金剛からの入電を受けて画面上に海域図を映し出す。状況を把握するまでもなく金剛に指示を飛ばす。
「撤退してくれ。泊地にたどり着くのが難しいなら近くの島影に隠れてもいい」
〈テートク、でも…〉
「練度の低いやつらに対空装備もないまま戦わす訳にはいかないだろ?」
燃料も少なく、演習とはいえ多少の損傷もある状態ならなおさらだ。それでも金剛は針路を敵に向けたままだった。
「近くの鎮守府に要請は送った。時間はかかるが到着すれば深海棲艦は排除できる」
「提督、入電が入りましたが、到着時間は」
〈それじゃダメデス!〉
秘書艦として連絡を取っていた鳳翔の声が遮られた。
〈敵艦隊の狙いは港デス!攻撃を許せば物資が失われマス〉
「あの港は普段から人がいない。大きな港でもないんだから、物資はあきらめる」
突き放すような声音になったのはいら立ちではなく違和感からだった。深海棲艦の脅威から、海上輸送にかかわるものはほとんど無人になっている。それは輸送任務を行う艦娘には常識である。金剛はもちろん分かっているし、現に物資の心配しかしていない。
そもそも伝えた状況はすべて金剛が把握しているはずだ。海域情報を開くだけで見ることができるものなど金剛の頭には入っている。
材料に違いはないのに、決定的に判断がずれている。
「司令官!」
吹雪が息を切らしながら執務室のドアを開けた。通信は吹雪にも開放していたから状況は分かっている。そして、
「対空装備への換装、完了しました。金剛さんの支援に向かいます」
吹雪も金剛を肯定していた。鳳翔も戸惑いの表情を見せるが、吹雪を咎める様子はない。わずかな沈黙ののち、彼女たちの普段とは異なる印象の正体にようやく気付く。
「…ああ、そういえば初めてだったな」
自分の指揮下で予定外の深海棲艦との遭遇も、国土への被害を受けるのも。だから知る機会がなかっただけだ。違和感が理解に変わったとき、妙に乾いた笑いがこぼれた。
「金剛、撤退だ」
…そういえばこの言葉も初めてだったな。
「命令に従え」
〈…ハイ〉
反駁を断ち切られ、か細いと返事を最後に通信が途絶えた。途絶音が脳を揺さぶる。
「帝国海軍最初の世代、か」
艦娘が生まれたのはたかが三年前の話だ。だが、そう呼ばれる者は極端に少ない。わざわざ訓練所の教導艦なんて名目で戦闘から遠ざける必要があるほどに。
人類が軍艦の力を持つ個人を手にしたとき、初めに行ったことは耐久試験だった。人類の命運を託すに値するか、どこまで使いまわせるか、それを見極める必要があった。何も知らない白瀬でも想像できるくらい基本的な手順だ。
その必要のために、艦娘には前線の維持と国土の絶対防衛という分かりやすい題目が与えられた。それが彼女たちの根幹であり存在意義だ。
「分かってはいるんです。もうあの時とは違うんだと」
鳳翔はうつむきがちに答えた。それを見て、唇をかんだ。間違っていると叫びそうな衝動を抑え込む。
過去の命令にとらわれているわけではないのは分かっている。鳳翔も吹雪も金剛も生き延びたからこそ、手にした力が未来のために使うべきものだと知っている。だが、かつての仲間が散っていった海と命を懸けて守った国土のためならば躊躇うつもりはないのだろう。訪れた自分の番を受け入れることが弔いだった。
その覚悟に今まで気づかなかった白瀬に、否定する言葉は持てない。だからせめてもの、事実を告げる。
「今は耐久力も運用法も分かってる。無理な戦いはさせないさ。豊かとはいえないが、物資も取捨選択できるくらいには安定してきた」
鳳翔の頭に触れると、少し不思議そうにこちらを見上げた。
「今戦えるのは鳳翔たちのおかげだ。ありがとう」
誰かの犠牲で成り立っている世界を前に、これだけがただ言えることだった。それを聞いて鳳翔は口に手をあてて小さく笑った。
「…どうした?」
「提督らしいなと思って。なぐさめてくれているつもりだったんですね」
「まあ、なぐさめといえばそうなるか…」
「でしたらもう少し柔らかくいったほうがいいですよ?急に講義が始まったのかと思って、びっくりしちゃいました」
「こればっかりは性分というか、なかなか抜けないもので…」
珍しくいたずらっぽく言う鳳翔への言い訳もそこそこに、執務室を出る。
「吹雪、出撃準備だ。金剛を迎えに行ってくれ」
「はい!」
吹雪が横について見上げてくる。
「私、毎朝海を見るたびに思い出すんです。前にいた鎮守府を。ありがとうって伝えるために。多分、金剛さんや鳳翔さんよりもたくさんたくさん助けてもらったから」
吹雪はいつもと変わらない笑顔を向けてくれた。
「ありがとうって言ってくれて、嬉しかったです。だからこれからは、もっと言ってももらえるように頑張ります」
吹雪の目からわずかに逃げながら、背中を押した。遠ざかっていく背中を見ながら停泊所に出た。壁に背を預けながらゆっくりと息を吐いた。
結局のところ、何もできていない。見捨てた物資のせいで苦しむ人は出る。命を守ることと戦わないことは決定的に違う。それを金剛たちは理解していた。彼女たちは彼女たちなりの尊厳のために命を懸けている。
その重みを理解したうえで、誓うしかなかった。かつて簡単に裏切られた理想を再び。
「金剛」
夕日に赤く染まった港で向き合った。
「テートク、私…」
うつむき気味で声を絞り出そうとする金剛をそっと寄せる。声になる前に遮った言葉は勝手な宣誓だ。
「誰も沈ませない」
ろくに艦隊運用もできていない身で、何ができるか分からない。それでも誓うしかないのだろう。目の前の少女が希った、本当はささやかなはずの夢を、打ちのめされて歪んでしまった理想を、叶えたいと思ってしまったからには。
「ホントに、ホントにいいんですカ…?もう誰かがいなくならなくても…」
「ああ、この海を取り戻そう。俺と君たち、みんなで」
胸ににじむ熱を感じながら、静かに頭を撫でた。
戦場で何かを為すには戦場に立つしかない。理解していても、ささやかな平穏を手にした少女たちに再び戦火を浴びてほしくなかった。
だが、決断など待ってくれず、歯車は回りだす。
深海棲艦の活性化を止めるべく行われた三週間に及ぶ大規模作戦が白瀬のかかわる余地のないまま終結し、その後まもなく鎮守府への異動が命じられた。