くらやみ   作:ほし


オリジナル現代/ノンジャンル
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一日を怠惰に過ごす話

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ただ起きて寝るだけの話


くらやみ

 真昼の明るさは穏やかで、暖かいものだった。

 充電器とイヤホンに繋がれたスマホはスリープ状態。僕は上半身を起こす。気だるげな陽気は昼に目覚めるには鬱陶しい。

 

 スマホの電源ボタンを押して、現在時刻を確認する。ディスプレイに光の文字が表示されようとした瞬間、あくびとくしゃみが重なって変な声が出て、鼻水といっしょに鼻血が出ていることに気がついた。ティッシュをとり、鼻をかんだあとにちょうどいいサイズにちぎったそれを鼻に詰め込み、落ち着いてからスマホの元へと向かうと、ちょうどスリープ状態に移行するときだった。

 電源ボタンを押下する。13:23。7月29日(水曜日)。それだけ確認して、僕は部屋を飛び出した。

 

 カーテンが閉められて暗いリビングには誰もいない。エアコンが付けっぱなしになっている。

 僕はリビングの床に畳んで置かれたままのタオルと下着を引っ掴んで、風呂場に向かう。

 風呂は気持ちのよいものだった。睡眠から目覚めたあとの気持ちの悪いベタつきを洗い流す感覚は、自分の心をそのまま丸洗いしているような気がして大好きだった。

 

 しばらくして風呂を出て体を拭き下着を履いてリビングに向かい、エアコンの冷たい空気に悪寒を感じるまで当たり、気分が悪くなってから服を着る。そのままキッチンに移動して、冷蔵庫の中のラップされた皿と茶碗を電子レンジに放り込んで適当にボタンを押す。

 そのままその場で立ち尽くして待ち、電子音が鳴ったら放り込んだものを取り出す。そこで初めて確認した内容(だし巻き玉子、ソーセージ、昨日の夕食で余らせておいたらしいハンバーグ、米)。

 眠気の覚めないぼやけた頭でそれらを貪る。濃いだしの味。濃い肉の味。濃いソースの味。印象の薄い味。

 

 食べ終わったあとの食器をシンクに適当に置いておく。

 自室に戻った。

 

 

 ノートパソコンで大学から配信された映像講義を見終えたあと、書き留め途中のノートに加筆することもなく、まっすぐベッドに向かう。

 枕元に乱雑に置かれてある充電器に繋がれたスマホの電源を入れる。17:52。7月29日(水曜日)。夕方。朝の時間はもう戻ってこない。

 

 僕はスマホのロックを解除して、表示されたホーム画面をしばらくぼうっと眺める。5cm程先の画面には焦点が合わず、画面越しの壁の模様に視線が釘付けになっていた。うっすらと見えるしみ。幼い頃につけたものだ。あの頃はもっと濃く見えたはずだけれど。

 生産性のない時間。受験のことなど意識していなかった2年前には趣味も多かったはずだった。受験期に抱いていた熱量と希望と欲望は、こなごなになって見えなくなっている。形だけの対策を盲信した結果第一志望の旧帝国大学に落ちたからなのか、浪人をせず滑り止めの私立大学で妥協したからなのか、自宅から出ることのない日々に嫌気がさしてきたからなのか、答えはどうでもよかったが、そんな考えがぐるぐると回っていた。

 壁にできているしみのように、いつかは世間にうっすらと溶け込むのだろうか。時間の荒波に精神を削られて、たいした熱も才能も努力もない、つまらない人間になるのだろうか。あの頃はもっと輝いて生きていたはずだけれど。

 

 スマホの画面が暗くなったときに我に返って、慌ててディスプレイをタップする。その流れのまま動画配信サービスのアプリを開いた。

 イヤホンをパソコンに付けっぱなしにしている事を思い出し取りに行き、すぐにベッドに戻ってスマホにイヤホンを挿した。好きな芸人が毎日投稿しているコントを見たり受験期前にはよくプレイしていたゲームの動画を見たりしていて、すこし眠くなった。

 

 

 目が覚める。窓の外からの光はなく、部屋の電灯だけが僕の視界を補ってくれていた。

 壁のしみが見える。目の前にはうっすら開いた右手と、そこに包まれるように存在している薄く四角い箱。押下する。0:21。7月30日(木曜日)。ゆっくりと半身を起こし、ベッドを出る。ふわふわとした頭のまま、リビングに向かう。

 

 カーテンが閉められ電気も消されたリビングには誰もいない。両親は既に寝室にいるようで、エアコンは消されてしまっていた。リビングの電気をつけ直し、キッチンを確認しにいく。冷蔵庫。ラップされたオムライス。その皿と一緒にラップされたスプーン。ケチャップは切れていた。

 

 電子レンジに温められた皿を持ってリビングに戻り、テレビをつける。適当に番組を回しつつスプーンを口に運ぶ。表面とは異なり中の方は冷えたままで、あまり美味しくはなかった。

 食べ終えたあとの食器をシンクに適当に置いておく。洗面所で歯を磨き、リビングに戻りテレビを消す。リビングを去る際に消灯し、自室に戻った。

 

 

 暗い部屋でスマホを触っていると、窓の外が白けだした。スマホの光が痛くなくなってきたことに気が付かないフリをしつつ、僕はSNSや動画を漁る。

 好きな芸人の漫才を垂れ流す。しばらくずっとそうしていれば、すこしは眠たくなるだろうと期待していた。

 

 ──親が家を出る音で、もうそろそろ寝ようかと考え出した。

 

 いったんスマホの電源ボタンを押し、もう一度押下する。

 7:39。7月30日(木曜日)。部屋が明るい。

 

 両親がもういない、僕だけがいるこの家の中で、玄関ドアが閉まる音だけがずっと響いているような気がした。胸が少しだけ苦しくなって、浮かんだ想いが言葉となって口を滑り落ちていく。

 明日こそ、きっと頑張るから。

 

 何度も決意して何度も諦めてきた思いをもう一度掴んで、重たくもない瞼で瞳を遮った。

 閉じた瞳に射す光のなか、イヤホンからの芸人の声のなか、感じるものは混雑していてよく分からない。

 

 瞼ごしの朝日は眩しかったけれど、目の前にはくらやみが続いていた。これならよく眠れそうだと、そう感じた。

 


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