夜が明けたらしい。今日も、自分が矮小に思える位に広々とした空が広がっている。雲一つない、青く広大な。嗚呼。天気がいい。快晴だ。だから。死ぬことにした。 ~本文引用~


※(POKENOVEL様に投稿済み)

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天気が良いので死ぬことにした。

 冷たく乾いた冬空の下で彼女が戦っている。

 ここ最近雨が降っていないが、今日もまた天は崩れる予定は無いようだ。それを雄弁に語るかの如く雲一つ無い青空が見る者の心を圧倒するように広がっていた。

「一〇万ボルト!」

 少女の声が大きく響く。忙しなく動き続ける二つの影へと視線を動かせば、次の瞬間に状況が変化した。

 少女の言下。影の一方である立派な黒い(たてがみ)(なび)かせた(ポケモン)が、その指示へと応える様に短く吠えた。そしてその逞しい四肢へと力を込めて地面を蹴る。

 牙を剥き、鋭い眼光を宿すレントラーの視線の先には『彼女』が。

 嗚呼、どうすれば良いのだろう。……指示を出せば良いのか。だとすれば何と?

 バチバチと爆ぜる電気を発しながら迫る雷獣。

 彼女と雷獣が肉薄した次瞬、閃光が瞬いた。

 思わぬ目眩まし(フラッシュ)。それをまともに喰らったのか苦悶の声を漏らす彼女。その発生源であるレントラーは大地を削りながらその(しな)やかな肢体を躍動させて、彼女の背後を取った。

 彼女はまだ気がついていない。

「後ろ」

 だから。背に回りこんだ黒い雷獣が四肢を折り曲げて、力を込め跳びかかる為に静止したその刹那の間に、僕はそう声に出していた。

 それは彼女に届いたらしい。指示とは言えぬ僕の粗末な言葉を受けた次の瞬間には、細身の肢体が動き出す。

 赤と黄色の羽毛に覆われた彼女の両脚。見た目に反して強靭な脚力を有したそれの一本を軸にして旋回。

 鋭い風切音が響く。続いて鈍い打音。くぐもった獣の声。炎を宿した後ろ廻し蹴り(ブレイズキック)はレントラーの顔面を捉えていた。

 だが。

 閃光。次いでバチン、と音が大きく爆ぜる。一瞬痙攣するように身体を震わせ、蹴りを放った態勢のまま動きを止める彼女。

「ナイス! 追撃! 雷の牙!」

 手を叩いて喜ぶ、という言葉が相応しい少女の声。しかし続く言葉に油断は感じない。

 顔の体毛を焦がしながらも、犬歯を剥き出して前傾姿勢を取る黒い獣の姿を見て理解する。痛打を喰らいながらもそれを耐え切り、至近距離からの電撃を彼女へと放ったのだと。

 ジムリーダーのポケモンでも防御の不得手な者だったら、一撃で沈めるだろう彼女の蹴りを真正面から喰らいながらも反撃するなんて、このレントラーは……強い。尤も、ジムリーダーなどとは戦ったこともないけれど。

 一歩も引かないこの雷獣はトレーナーである少女に愛されているのだろう。信頼されていて、信頼しているのだ。

 勝ち誇るかの様に咆哮するレントラーが、その牙に雷を宿し顎を大きく開いて肉薄する。

 ――嗚呼、けれど。

 その電撃を帯びた鋭い牙が彼女の細く引き締まった胴へと食い込むその直前。

 鳥の足の様に三叉に分かれた彼女の手。その手首から轟、と炎が噴出する。

 風を切りながら、ぐるりと身を翻す彼女。三本指の拳を覆う炎が火の粉を散らす。

 ガキン、とレントラーの顎が空を噛む。目を見開く雷獣。少女の息を飲む音も聞こえた気がする。

 そしてレントラーが次の動きに入る前に、振りかぶること無く放たれる炎を纏った彼女の拳。軽い所作とは裏腹に重い打音を響かせて振り抜かれる。

 横腹を殴られ呻き声を上げる雷獣。今度は攻撃を受けた刹那に反撃することは出来なかったようで、地面を転がる事はなかったが電撃が爆ぜる音も光も感じられない。

 そして彼女の攻撃は止まらない。

 態勢を整えたレントラーが向き直った。しかし、既に彼女の攻撃の初動は終わっている。

 流れるような挙動で、その長い足による蹴りが二度放たれる。

「あッ――」

 少女の唖然とした声が耳に入る。しかし僕の視線は地面と水平に飛んでいくレントラーを追っている。

 (いや)。それを追う、疾駆する彼女の姿を僕は見ているのだ。凛々しく、美しく、何より雄々しいその姿を。

 止めの追撃を繰りだそうと、雷獣を追う彼女に情けや容赦などない。勿論、それは戦闘(バトル)の間だけで普段は何かと世話好きな仔でもあるけれども。相手の力の全てを受け止め、どれだけの実力差があろうとも自身の力の全てを振るい戦うのが彼女なのだ。だから相手が強くても向かっていくし、弱くとも徹底的に圧倒する。

 手加減を加えることは彼女の中では悪らしい。僕としては、相手が圧倒的に弱い場合は少しは手心を加えて欲しい気もするが、まぁ仕方ない。

 色々な意味で僕とは正反対の彼女を眺める事は、憧憬と劣等感とが()()ぜになった重苦しい感情を生じさせる。彼女は強い。その強い彼女のトレーナーが僕なのはとても誇らしい。けれど。

「ッ――ワイルドボルト!!」

 思考は停止していなかったらしく呆然とはしていない。少女の叫びにも似た指示が飛ぶ。吹き飛ぶ雷獣はその声の直後身体を捻る。そして地面を削り土煙を巻き上げながら無理矢理に着地。次瞬には、その身を帯電させながら地面を蹴り走りだす。

 その先には彼女が。

 迎え撃つ意思を表すように更に加速するその姿は、燦爛(さんらん)と猛る炎で覆われて。

 万雷の如く猛々しい雷獣の咆哮。

 烈火の如き気迫を孕んだ彼女の咆哮。

 二つの哮り声が轟き混ざり、紫電と火の粉が軌跡を描いて空に散る。

 そして。

 途轍もなく重い衝撃音を響かせて一切の音は爆ぜて吹き飛んだ。

 

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 朦々と土煙の舞う情景の中でゆっくりと崩れ落ちるように倒れていくその姿は。

「ファング! ッ――」

 どさり、とその肢体が倒れ伏す。それを見た少女が悲痛そうな声を発して駆け出した。

 地面へと伏したレントラー――ファングという名なのだろうか――へと駆け寄る少女。

 倒れたのはレントラー。ならば立っているのは必然的に――

 膝をついて話しかけながら身体の様子を診ている少女のその隣で、悠然と立つ彼女を見る。

 凛とした空気を身に纏う細身の長身。雪のように白い頭を飾る長い羽。炎のように鮮烈な身体を包む赤い羽毛。先程までの燃え盛るような荒々しさは鳴りを潜め、穏やかに佇むその姿。

 それを見て僕は思う。嗚呼、彼女は勝った。彼女は強いのだ。

「お疲れ様」

 そんな言葉をかけながら僕は歩き出す。

 近づく僕へとゆっくりと身体を向ける彼女。その硝子玉の様に澄んだ瞳が僕を捉えたその瞬間、ぞわりと肌が粟立った。

 一刹那後、足が動かなくなりそうになる。だが足を止めるわけにはいかない気がする。僕は彼女を恐怖しているわけでもないし、嫌悪しているわけでもないのだから。

 彼女の瞳を見てこうなることは別に今が初めてじゃない。ここ最近は常な気もする。だから、それを可能なかぎり表に出さないように抑えつけて僕は彼女へと近づいていく。自分の顔を見ることは出来ないが、多分引き攣らないで軽く笑みを浮かべて。

 怖くはない。嫌いでもない。では、それが何なのかと自問すれば、即答できる。こうなってから、散々悩んだのだから。

 ……わからない、のだ。

 改めて彼女へと視線を向ける。

 精悍とした顔つき。だが表情は読み取れない。人間のように笑む事も無ければ困ったように眉根を寄せたり、不機嫌に眉間へ皺を浮かべたりも無い。

 その無表情の中で確かに意思の宿ったその瞳。しかしそこに映る感情が何なのか、喜怒哀楽のどれかなのすら僕には読み取れない。

 彼女が何を考えているかわからない。それが、僕がこうなるその理由。

 どうにか不審な挙動を見せずにすんだと思う。僕は彼女の隣へと辿り着いた。二〇センチメートルは背丈の高い彼女を見上げながら、何処か痛む所は無いか問いかける。

 無表情に、小さく首を振る彼女。僕が見ても大きな怪我は無いように見える。しかし万が一という事もあるのでこの後行く予定のポケモンセンターでまた診てもらうことにして、次に僕は倒れた雷獣と少女へと視線を向ける。……これ以上彼女を視線を合わせられなかった。

 呻き声を漏らしながらぐったりと倒れるレントラーに喋りかけながら、手に持った噴霧器式の傷薬の中身を吹きつけている少女。丁度治療が終わったのか、顔を上げたその子と目が合った。

「大丈夫?」

「あ、うん。まだ動けそうにはないけどポケセンで休めば大丈夫だと思う。骨も折れてないし」

 僕のかけた言葉にそう答え、「すぐ休ませてあげるから我慢してね」とレントラーをボールへと戻す少女。

「それにしても強いのね、貴方のバシャーモ。それだけ強いなら、バッジは何個持っているの?」

「ああ、持っていないんだ。ジムには挑戦したことがないから」

「嘘ッ!?」

 目を丸くして大声をあげられてしまった。

 各地方に八つあるジム。そこのトップであるジムリーダーに挑戦し、その実力が認められるとバッジという物が貰えるらしい。それを八つ全て集めるとポケモンバトルのメッカ、ポケモンリーグに無条件で挑戦が可能となる、らしい。あまり真面目にそういった話は聞いたことがないので詳しくはよく分からないけれど大体は合っているはず。

「本当だよ。それに、僕のポケモンは彼女しか居ないんだ」

 だから、様々なポケモン達と時には連戦することになるジム戦はしない。そう答える僕に、少女は茶色く短い髪を弄りながらこう呟いた。

「はぁ。そっかー、バッジ無くても強い人はいる。上には上が居るってことだねー。リーグチャンピオンの夢はまだまだ遠いー」

 両腕を空へと突き出して、天を仰ぐ少女。

「――でも諦めないッ!!」

 少しして、そう叫ぶ。嗚呼、この子は凄いな。

「君とレントラーも相当強かったけど、バッジは何個持っているの?」

「え? えへへ、五個ッ。あと少しで今期のポケモンリーグに挑戦出来るの!」

「ッ。凄いな。そして夢はチャンピオン?」

「そう! もっともっと私も皆も強くなって絶対に叶えるのッ」

 そう、輝くような笑顔で力説してくれた。嗚呼、この子は凄い。夢がある。それを実現しようと行動し、その結果として目標が夢幻(ゆめまぼろし)のような届かないものではなくなりかけている。

 僕のように何の目標も目的も無く、只流れるように無意味な旅を続けるのではない少女の姿が眩しくて、僕は視線を逸らした。

「君ならその夢、実現出来る気がするよ」

 面とは向かわずに僕が発した言葉を受けて「ありがとう」と嬉しそうにその子は応えると、腰の赤と白の球体から別のポケモンを繰り出した。

 閃光と共に飛び出た雄々しい大型の鳥ポケモンが、青い空を悠々と旋回する。

「ウィング! 近くのポケセンまで連れてってッ!!」

 手を振りながらそう叫ぶ少女。その声を聞き届けたウィングという名らしいムクホークは、勢い良く滑空すると彼女の両肩をその逞しい両脚で掴み、そのままバサリと浮き上がる。

 小柄な体躯の少女でなければ肩にあの鋭い爪が食い込んで痛そうだ。などと僕が空を飛ぶその子と猛禽を見て思っていると、

「じゃーねー! また逢えたらその時は負けないからッ!! じゃ、ウィング、よろしくね!」

 そう大きく手を振って空を行ってしまった。

「さて、僕達も行こうか」

 ふぅ、と息を吐きながら彼女の方を向き、言う。

 やはり何を考えているか分からない無表情で、小さく頷く彼女。

 嗚呼。わからないわからないわからない。

 しかし、彼女と僕はポケモンセンターへと向かい並んで歩いて行く。

 ――彼女は強い。それこそ、僕なんて必要の無いくらい。

 

        ‡‡‡‡‡‡‡

 

 空が赤く色づいた頃に、僕達はポケモンセンターへと到着した。

 既に彼女の検査と治療を済ませたので、僕らは利用者共用のソファに並んで座り同じく共用の机で早めの夕食を摂っている。

 献立はセンターに併設されたレストランからテイクアウトしてきたカレーと水。彼女には、彼女お気に入りのポケモンフーズ。何やら騒々しい客が居たのがお気に召さなかったのか、彼女が中で食べる事を拒否した結果、このテーブルとソファを占拠することとなった。まぁ、偶然そういう客が居たのでそう推理したけれど、実際彼女が何を考え拒否したのかはわからない。

 此処で食べるのも、泊まる為の部屋が満室でセンター内の何処かで寝なければならないので、場所を取っておくという面もあるのだけれど。

「ん? どうしたの?」

 カレーを頬張っていると、彼女の視線が突き刺さる。それが気になり、訊いてみる。

 訊かれた彼女はやはり何を考えてるか読み取れない無表情で、机の上に置かれたティッシュペーパーを三本指の手で器用に取り出す。そしてそのまま僕の方へとその手を伸ばすと、

「わ、何ッ」

 口元を拭った。ゴシゴシと念入りに。

 ……そんなに口元を汚していたのだろうか。

「……ありがと」

 なんだか子供扱いされた気になり釈然としないがお礼は言っておく。

 彼女は返事なのか呼吸音なのかわからないが小さく息を吐いて、汚れたティッシュを器用に畳みテーブルに置くと食事を再開してしまう。

 嗚呼、やはり何を思い、考えているかわからない。彼女とは僕が物心付く前からの付き合いだ。それこそ母のようでもあり、姉のようでもある近しい存在。嗚呼、しかし、何でこんなにもわからないのだろう。昔はもう少しわかっていたような気もするのに。

 そんな考えがループして、気分が落ち込む。好物のカレーを食べているのにあまり美味しく感じない。

 はぁ、と溜息が漏れる。

 それが聞こえたのか彼女の視線とクルル、という鳴き声が僕に向けられる。

「ああ、大丈夫。なんでもないよ」

 だから、笑みを貼り付けてそう答えた。

 

 

 

 陽はとっぷりと落ちて、星や月が輝いているのが窓越しに見える。

 ソファとテーブルのあるスペースに置かれた大型のテレビが、何処かのポケモンバトルの大会の特集を流しているのを僕達は観ていた。

 別の大会の録画映像などを交えながら注目のポケモントレーナーやそのポケモン達の紹介や解説などがその内容。

 画面の中でトレーナーの指示が飛ぶ。言下それに応じたポケモンが縦横無尽に駆け巡る。ハイレベルなポケモンバトルの姿がそこにはあった。

 贔屓目無しで見ても、テレビの中のポケモン達と彼女の動きを比べて遜色は無い。むしろ優っているとも感じられることもあった。

 嗚呼。けれど。僕はどうなのだろう。

 (いや)。考えるまでもなく、比べるまでもなく、劣っている。

 テレビの中で知った風な解説者が「この指示は良くなかった」「指示が遅れたのがこのバトルの勝敗を――」などとつらつら喋っている。

 ポケモンバトルはポケモンが強いだけでは駄目らしい。状況を把握し、流れを読み、それを活かす指示をトレーナーが出さなければならないのだ。

 それを、僕は出来ない。常に変わり続ける状況など掴めず、流れなどまず感じることすら出来ない。それは僕が幼い頃に友人とバトルをしていた頃からわかってる。見当はずれな指示を出して、まだ雛だった彼女を傷つけたのだ。

 今も未だ、バトルの時になんと指示を出せば良いのかわからない。だが、彼女は強くなった。それこそ、僕の指示など要らない位に。

 嗚呼、心が、寒い。

 

 

 

 ソファを枕に毛布に包まれている今の時刻は何時だろう。携帯電話(ポケギア)で確認するのも面倒くさい。多分、深夜。

 隣で彼女は毛布を被って寝息を立てている。その横で、僕は眠れないでいた。

 僕の方を向いて目を瞑る彼女を横目に見ながら、何故彼女は僕と一緒に居るのか考える。しかしわからない。トレーナーとしては欠陥がある。何か特技があるわけでもない。只何となく当ても無く理由すら無く各地を旅している、ただそれだけ。

 僕が故郷を旅立った理由は何だっただろうか。思い出せない程に些細な事だったような気もするし、しかし重大な事だったような気もする。

 旅に出る根本の理由は思い出せないが、その日に旅に出た理由が唐突だったことは覚えている。確か、雨が降っていた、とかそんな理由だ。暗雲から降り注ぐ雨雫を眺めていたら急に飛び出したくなった。……意味が分からない。

 しかしそれに彼女は付いて来た。

 嗚呼、屑みたいな僕に何故彼女は付いて来るのだろう。

 昼間の少女みたいにちゃんとしたトレーナーだったならば、僕も臆面なくチャンピオンが夢だと言えただろう。でも、違う。彼女ばかりに負担がかかるバトルしか僕はさせられない。だからそんなことは言えない。言いたくない。

 ポケモンを育てるブリーダーはどうだろう。否。無理だ。彼女以外のポケモンも、一緒に居る自分が全く想像できない。可愛いと思うし、格好良いと感じるけれども、他のポケモンも一緒に旅をするという気には何故かこれまでならなかった。だから、世話は出来るかもしれないが、愛情をもって接することは出来ない。それじゃあブリーダーとは言えない気がする。

 ならばポケモンの優美さを競うコンテストに出てみるのは……彼女がそういったのが苦手だから無理だ。

 ポケモンの関係の無い職に就く? 何をすればいい。わからないわからない。

 嗚呼、二〇年程生きてきて、僕は一体何がしたいのだろう。何が出来る? 何も出来ない。

 彼女は僕などと居て良いのだろうか。誰か優秀なトレーナーと一緒に居たほうが良いのじゃないか? それかいっそ野生に――

 頭の中が混濁していく。何故僕なんかが生きているのだろう。嗚呼、寒い。隣の彼女の高い体温で身体は冷えていないのに、心が冷たい。溶けない氷のように冷たく凍りついている。

 などと考えて居たら窓から覗く空が白ばんできた。夜が明けたらしい。

 今日も、自分が矮小に思える位に広々とした空が広がっている。雲一つない、青く広大な。

 嗚呼。天気がいい。快晴だ。

 だから。

 死ぬことにした。

 死のう。それが一番良い選択な気がする。だけど、この場で死ぬのは良くないな。センターの職員にも迷惑だ。

 うん。外に出よう。

 彼女を起こさないように静かに立ち上がる。屋根がある以外は野宿とそう変わらないので服装は直ぐ外に出れる格好だ。コートは畳んでソファに置いて枕にしていた。それを着る。

「あれ、お出かけですか?」

 さぁ、出るか。と思った途端、小さな声で尋ねられた。

 夜勤の女医さんのようだ。「そのバシャーモは連れて行かないの?」と更に訊いてくる。

「ああ、はい。ちょっと眠れなくて気分転換に散歩しようかと思ったので」

 今から死にに行こうかと。などと言ったら阻止されるだろうのでそう小声で返す。

「あら、そうでしたか。寒いから気をつけてね」

「はい。ありがとうございます。しばらくしたら戻るので、彼女は起こさないであげてくださいね」

 僕が彼女を指して言うと「ええ。わかりました」と返した後、ふぁ、と欠伸しながら歩いて行く女医さん。その姿が離れてから、僕は自動ドアから外へと出た。死ぬために。

 彼女が気がつく前に死ななければ。そうしなければ多分彼女は阻止しに来るだろうから。

 

        ‡‡‡‡‡‡‡

 

 どれほどの距離を僕は来たのだろう。人目につかない場所を探していたら、辿り着いた此処は何処か山の中。既に陽は沈み、冷たい闇が辺りを包んでいる。

 あれほどに、自分の小ささを思い知らされる広く澄んでいた空も、暗い色の雲に侵されて灰色の様相を見せている。嗚呼これはこれで、圧迫感や閉塞感を感じるので死ぬことを躊躇する必要は無い。だから、進む。

 いつからか、暗い灰色の空から吹きつけるように雪が降ってきていた。キシキシと積もった新雪を踏みながら、止まること無く歩き続ける僕。手袋をしていても手が冷たく悴んで、痛みすら発するようになってきた。歩き尽くめの両脚も、棒のようで動かしづらい。

 幸いなことに彼女が追ってくる様子は無く、僕はこのまま死ねるだろう。僕という欠陥のある人間と一緒にいるという、不幸な状況から彼女を開放することが出来るのだ。

 白い息を吐きながら、誰も居ない雪山の奥へ奥へと踏み入っていく。

 この、肺が爆ぜるように痛み、荒い呼吸によって喉が焼けつき、全身がバラバラになりそうな軋みをあげる、そんな心地良い疲労感。身体が凍りつきそうなこの寒さも、僕の氷のような心が生み出す寒さに比べれば何と心地の良いことか。

 さあ、このまま力尽きればそのまま僕は死ぬるだろう。

 だけども未だ、僕は力尽きないようだ。若干視界と意識は霞んできたが、未だ倒れこむ程じゃない。

「……ん?」

 歩き続けるその最中(さなか)、視界の端で何かが動いた。そちらに視線を動かすが、雲に遮られて僅かに注ぐ月明かりによって出来た樹木の陰と長く伸びた僕の影しかない。

 気のせいか。

 また前を向き、歩く。ザクザクと雪を踏みしめて。それにしても、先ほどよりも寒さが増した気がする。僕が雪を踏み歩く音しか聞こえない。その孤独感が体感の温度を下げるのだろうか。

 そんな事を考え気が付く。よくよく考えてみたら彼女が傍に居ないというのは初めてのことかもしれない。僕が物心付いたばかりの幼い頃から、まだ小さな(アチャモ)だった彼女が常に傍に居た。旅に出てからも数えると当然だけれど、下手をすればその前でも両親よりも長い時間一緒だったかもしれない。

 一番の友人であり、家族。……等と僕なんかが言うのはおこがましいか。くく、と苦い笑いが凍えた唇から零れ出る。

 しばらく歩き続けたが、

「――ッ」

 (いや)、やはり何かが居る。音も、姿も無いけれど何かが僕を見ている気配が感ぜられる。

 何も居ないように見える中で、視線だけが在る。そのことに全身に廃油を被せられたような気味の悪さを覚え、身を切る寒さとは違う悪寒が生じた。

 視線の感じる背後へと勢い良く振り返る。

 しかし、やはり何も居ない。

 僕の影が白い地面へと長く伸びているだけで――

 ……影とは、笑うものだっただろうか。僕の記憶では、笑うどころか顔にあたる部分はのっぺりとした黒が顔の輪郭を映すだけだったような気もするのだけれど。

 けれどもしかし、目の前の僕の影は裂けるように口を開き、ニタリと笑っていた。

 

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 それを見たまま動けないでいると、その笑う僕の影はケタケタと声まで出して笑い始める。

 そして次の瞬間には、ぬぅ、と浮かび上がる。二次元だった影が三次元の立体に。

 宙に浮かんで哄笑する僕の影。(いや)、それは。

「ああ、ゲンガーだったのか」

 宙に浮かぶ、ずんぐりとした身体で大きく口を歪めて笑うそれはゴーストタイプのポケモン、ゲンガーだった。山に迷った人の命を奪うなどと言われているポケモンだが、事実そうなのだろうか。

 ニタニタと粘ついた笑みを浮かべて僕を見据える亡霊に視線を向け続けていると、クスクスと笑い声が無音の銀世界に響き渡る。

 その声が聞こえた方へと視線を向けるとそこには振袖を着た童女のように小さな氷女が。

 嗚呼、こっちは凍てつく吐息を吹きかけて凍らせた獲物を何処かに飾っているなどと風説されるポケモン、ユキメノコ。

 そしてその隣には一ツ目の巨大な亡霊。ヨノワール。こいつも人を霊界に連れて行くなどと言われているゴーストポケモン。

 嗚呼。僕を獲物としたのだろうか。

 それならば、心の底から礼を言いたい。

「ああ、ありがとう。さぁ、抵抗はしないから」

 早く死なせてくれ。と彼らに言う。

 寒い。冷たい。身体はとうに冷え切って震えが止まらない。けれどそんなことはどうでもいい。この、凍りついた心の冷たさから開放して欲しい。

 僕の言葉を受けた三匹は。

 影霊はゲラゲラと大笑し。

 氷霊はクスリ、と小さく微笑して。

 巨霊は無言のままその大きな両腕を前へと構えた。

 瞬いた刹那、眼前に現れたユキメノコの、ひゅう、と空気さえも凍らせる吐息が僕に纏わり付く。パキパキと、身体の芯まで凍りつくような感覚が僕を包み込んでいく。

 続いて、ゲンガーが軽薄に笑いながら僕の目を覗き込んだ。怪しく光るその瞳を見た次瞬には僕の意識は微睡んでいく。

 嗚呼、そして、霞んだ視界にヨノワールが大きな拳を振りかぶり、僕へと振り下ろそうとする姿が。

 嗚呼。これで死ねる。

 ……けれど何故だろう。凍てついた身体のそれよりも低い、氷のような心の冷たさが未だ消えないのは。

 しかしそんなことは関係なく、巨霊の拳は僕を――

「――ッ?」

 刹那。赤い光の帯が巨霊を貫いた。僅かに遅れて知覚する焼けつくような熱。これは、オーバーヒート? 炎タイプ最高クラスの威力を誇る技が何故?

 ぐらりと傾く巨きな身体。

 次の刹那、火山の噴火にも匹敵する咆哮が轟いた。

 その方向へと目だけを向ければ、嗚呼、なんて事だろう。

 彼女が居た。

 手首どころか全身から劫火を噴き出しながら、無表情なその顔の、激情を湛えていることが一目で解る瞳でもってゴーストポケモン達を、そして僕を睨みつけてくる。

 嗚呼、来てしまったのか。

 僕の事なんて放っておいてくれて良いのに。彼女の姿を見て、心が一層重くなる。

 けれど、あんなに寒かったのに彼女の姿を見た途端、少し温かくなったのは何故だろうか。

 降り積もった雪を撒き散らし蒸発させながら、彼女が飛ぶように疾ってくる。

 

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 仲間を討たれたからか、敵意を剥き出しで彼女が疾駆してくるからか、残る二体の亡霊が迎え撃つように向き直る。

 冷笑的な笑いを漏らしながらユキメノコがその小さな両腕をひらりと広げたその次瞬、幾多もの分身が出現。更に降り頻る雪が霰へと変化する。

 哄笑を響かせるゲンガーは、その短い両腕に闇よりも暗い影球を生み出し振りかぶる。

 速度を落とすこと無く、むしろ加速する勢いで駆けてくる彼女へ向かい放たれるシャドーボール。

 目にも留まらない速さで迫るそれを、僅かに身体を逸らし躱した彼女。刹那後、その周囲に何体ものユキメノコが優美な所作で両腕を広げ囲むように現れた。

 僅かにも乱れない挙動で全ての氷女が攻撃を放とうと、両手を彼女に向ける。小さな両手に集まる光。水タイプの攻撃。恐らくは、水の波動。

 だが、放たれることは無い。それよりも早く、炎を帯びた彼女の蹴りが数多のユキメノコの悉くを打ち砕いたから。

 鈍い破砕音と共に雪と氷の破片が霰に混じり(くう)を舞う。暴力的で幻想的なそれを劫火で消し去って、止まること無く彼女は駈ける。

 その、背後。煌々と燃え盛る彼女の背へと回りこむように、(おお)きな影が延びていた。次瞬、地を舐めるように延びた影の一部が実体化。巨大な拳となって彼女を襲う。

 『影』を延ばして攻撃する機先を制す影打ちと、『影』が拳となって相手を殴る予測出来ない軌道のシャドーパンチ。それらが合わさる『影』の根へと視線を向ければ、倒れたヨノワールが臥したまま片腕を突き出しているのが見えた。

 しかし、その一撃すらも彼女には通用しない。迫る豪拳。姿勢を低く走り続ける彼女。影の拳が接触するその一刹那前に、振り返ることもなく跳び上がり、それを躱してしまう。

 亡霊達の攻撃をものともせず、只、僕を睨みつける様に見据えている彼女。

 だから、(くう)を殴った『影』の拳が不気味に蠢いたことに彼女は気がつかない。

 立体だった影の拳がまた平面へと戻り、映像の逆再生のようにヨノワールへと巻き戻り始めるその最中(さなか)。夜を写した水面が波打つ様に、その影が、揺れる。

 まだ彼女は気がつかない。巨大な拳を避ける為高く跳んだ、劫火を纏った肢体が次第に地面へと近づいていく。

 それでも視線を逸らさない彼女は、それが故に気がつかない。

 だから、

「影。ゲン、ガー……」

 身体の芯まで凍てついて、か細く震える小さな声で、指示とは言えないそんな言葉を搾り出す。

 吹き荒ぶ雪霰(ゆきあられ)の音に紛れてしまうようなその声を、なんと彼女は聞こえたらしい。僕の言葉に一切の疑いを感じさせない、淀みない動きで『影』へと向かい嘴を大きく開き、吹き荒れる雪霰を蒸気へと変えて吹き払う熱と風を放射する。

 倒れ臥す巨霊へと縮み戻る『影』から身体半分を覗かせていたゲンガー。強力な念動力を放とうと短い両腕を向けていたその影霊は、彼女の吐き出す熱風をまともにくらい吹き飛んだ。

 が、オーバーヒートを撃った疲労を残したその一撃は、ゲンガーを沈める事は出来ない。最初の様な元気は無いが、しかし笑みを浮かべてゲンガーは宙に浮かぶ。

 そして、倒された筈のユキメノコが雪霰の中に紛れるように、す、と姿を現した。彼女に砕かれた幾多のあれは、全て影分身か雪氷の像だったのだろうか。

 流石に走ることを止め、自身を襲う亡霊達へと視線を巡らす彼女。

 だが、それも一瞬。降り頻る雪霰の中に隠れる氷女へと向かい炎を纏って猛進する――

 その光景が最後。睡眠不足と極度の疲労、そしてゲンガーが僕を覗き込んできた時に放った妖しい光と催眠術によって、僕はもう意識を保って――

 

      ‡‡‡‡‡‡

 

 公園のベンチに腰掛けた僕の隣で彼女が鳴いた。

 「どうしたの?」と声をかける。視線を下げて向く僕の視界に入るのは、橙色の羽毛に包まれた、丸っこい小さな雛の彼女。黒目がちで円な瞳で僕を見つめながら、小さな足で何かを指す。何かを促すように、短い翼をパタパタと動かしながら。

 その方向へと視線を向ければ、そこには何人かの僕と同じくらいの歳の少年少女がポケモンと一緒に騒いでいた。何組かに分かれてそれぞれ自分のポケモンに何か身振り手振り叫んでいるところを見ると、多分、バトルの最中。

 何となく、彼女の言おうとしている事がわかった。

 「……バトル、したいの?」僕がそう問えば、円な瞳の輝きが増した気がする。座っていたベンチから勢いよく飛び降りる彼女。小さな嘴から火の粉を零しながらバトルが行われている方を向き、急かす様に短い翼を忙しなく羽ばたかせる。

 やる気満々の彼女を放っておくことも出来ないので、気乗りはしないが立ち上がる。

 それを見届けた彼女は、短い歩幅に似合わない速さでそちらへと駆けていってしまう。

 それを見て溜息を吐きながら、しかし置いて行かれるの嫌なので僕は追う為に走りだす。

 嗚呼、僕達はバトルがとても弱いのに。

 

 

 雨乞いによって一時的に降り頻る雨の中に僕と彼女は居た。

「水鉄砲!!」

 今行なっているバトルの相手である、僕より少し年上の少年の指示が飛ぶ。言下、青と白の毛皮を纏った楕円の(ポケモン)が口元から水流を勢い良く撃ち出した。

 強力で強大な一撃とは程遠いその攻撃も、しかし狙われているのが小さな彼女(アチャモ)なら話は別だ。

 何て指示を出せば良いのだろう。避けろ? それで避けられたならば僕は悩まない。『避けろ』と言われなければ動かない意思の無い物ではないのだから、避けられるならば彼女は避けるだろう。でも躱すことが出来ない状態だから、僕は悩んでいる。どんな指示を出せば良い?

 何と、彼女に叫べば良い?

 長い耳を揺らし水流を放つ水兎。

 身動き一つ取れず立ち竦む彼女。

 結局、僕は何も言葉を発する事が出来ないままに、彼女がマリルリの放水に吹き飛ばされるのを眺める事しか出来なかった。

 微かな、けれど確かな苦悶の声。小さな身体をずぶ濡れにしながら地面を転がるその小さな雛を指して――

「『転がる』だ!」

 ――少年は容赦なく、水流を放ち終えた水兎へと止めを刺すよう指示を出す。

 言下、とは言えない若干の間隔の後、長い耳を巻き楕円の身体を丸めてマリルリが転がりだした。

 ふらつきながらも立ち上がる彼女。それに迫る青い球。白い水飛沫を上げながら真っ直ぐと彼女へと向かってくる。

 彼女は、多分状況に気がついていない。

 だから。

「――前ッ!!」

 そう、指示にならない言葉を僕は叫んでいた。

 それは、彼女に届いたらしい。

 ふらつきが収まり、マリルリが迫る前方を見据える彼女。

 しかし、何か行動を起こす前に勢い良く転がり進むマリルリの身体が、無慈悲に彼女を弾き飛ばした。

 

 

 

「『転がれ』!!」

 ――青年は容赦なく、水流を放ち終えた巻貝状の殻を背負った軟体動物(ポケモン)へと止めを刺すよう指示を出す。

 言下、水色の触手を殻へと収め、オムスターが猛然と転がりだした。

 ハイドロポンプを受けて倒れた彼女がふらつきながらも立ち上がる。それに迫る乳白色の刺付きの球。ざりざりと地面を削りながら真っ直ぐと彼女へと向かってくる。

 彼女は、多分状況に気がついていない。

 だから。

「前!」

 そう、指示にならない言葉を僕は彼女に向けて発していた。

 それは彼女に届いたらしい。

 ふるり、と首を左右に振った後にオムスターの迫る前方を見据える彼女。

 肉薄する鋭い突起の付いた殻。

 それを、彼女は受け止めた。

 (アチャモ)の頃よりも逞しくなった両腕に生えた爪を使って回転するオムスターの側方から抑えこみ、同じく頑健に成長した脚の片方で受け止めるワカシャモである彼女。

 火花が散るのではないかと思うような擦過音が響く。

 次第に弱まる回転に安堵した、その刹那。

「水の波動!」

 焦りを微塵も感じさせない青年の指示が響いた。

 直ぐ様に回転している軟体生物は反応する。

 回転を止めぬままに青色の光を撃ち放つオムスター。

 爆ぜる閃光。彼女の苦悶の声。

 そして、至近距離から弱点である『みずタイプ』の攻撃を受けた彼女は崩れ落ちた。

 

 

 

「『転がる』ッ!」

 ――吹き荒れる砂嵐の中で壮年の男性は容赦なく、巨岩を放ち終えた巨大な鋼の蛇へと追撃の指示を出す。

 言下、全長一〇メートル近い巨体を伸ばし、ハガネールは転がりだした。

 鋼蛇の放ったストーンエッジを砕き落とした彼女は、飛び散る破片と吹き荒ぶ砂に視界と聴力が邪魔されているようで、忙しなく首を動かし辺りを探っている。それに迫る鈍い銀色の巨体。辺りの木々を薙ぎ倒しながら彼女へと迫る。

 彼女は、多分気がついていない。

 だから。

「前」

 そう、指示とは言えない粗末な言葉を僕は零した。

 びうびうと荒ぶ砂を纏った暴風。へし折られる木々。ハガネールの転がる轟音と地響き。そんな騒音に掻き消されるであろうその言葉を、なんと彼女は聞き取ったらしい。

 言下、忙しなく辺りを探っていたのが止まり、彼女が前方へと向く。

 そして、刹那の躊躇なく彼女は全身に炎を纏って駈けだした。

 圧倒的な圧力をもって転がるハガネール。その姿を捉えているのか、いないのかわからないが、燃え盛る彼女は速度を増し飛ぶように疾駆する。

 次瞬、鈍いが激しい衝突音。

 続きハガネールが苦悶の咆哮を発しながら鳴動する。

 呻き蠢く鋼の蛇。その巨体のすぐ近くに彼女は居た。

 フレアドライブによって赤熱したハガネールの身体。それを抱き抱えるように三本の爪を突き刺し、そのまま彼女は渾身の力を込めて自身の身体を捻り巨大な敵を空高く放り投げる。

「――んなッ!?」

 宙へと放り投げられたハガネールを見て、トレーナーである男性が驚き叫び唖然とする。

 正直僕も驚く。彼女の『馬鹿力』が此処までのものだとは思っていなかった。

 そして勿論これで彼女は終わらない。

 馬鹿力によって全力以上の力を使った反動で疲弊した肉体を、ビルドアップによって一時的に強化し補った彼女。

 未だ宙に居る鋼の大蛇。落ちてくるその巨体に向かい全身のバネを駆使して彼女は跳ぶ。

「――ッ。アイアンテールだ!」

 彼女が跳んだのを見て相手が叫ぶ。言下、不安定な空中に居ながらも姿勢を変えて、煌めく鋼の尾を迫る彼女へ向けて振り下ろすハガネール。

 (くう)を舞う砂塵を吹き散らし迫るアイアンテール。次瞬には彼女と肉薄する。

 嗚呼、けれど。

 彼女には通用しない。

 風を砕きながら振り下ろされる鋼の尾。身体を捻って彼女は躱し、あまつさえその尾へ爪を穿ちそれを支点に更に上へと跳ね上がる。

 そうして、ハガネールの大きな顔の下顎まで辿り着くバシャーモである彼女。

 強面な鋼の蛇が迎撃しようと大口を開け下方の彼女へと顔を向ける。

 が、それよりも速く彼女が動く。

 渾身の、全霊の力を込めてしかし動作は最小限。見た目以上に重い音を轟かせ、彼女の拳が巨蛇の下顎を打ち抜いた。

 巨体に似合わない弱々しい鳴き声を零しながら落下する鋼の蛇。次瞬、轟音と砂煙をまき散らしながらハガネールは轟沈した。

 嗚呼、雛の頃とは比べものにならないほどに彼女は強くなった。

 でも、僕は?

 

      ‡‡‡‡‡‡

 

「あー!! よかった見つかったんだッ」

 少し、聞き覚えのある声で目が覚めた。なんだかとても暖かくて心地良い。

「ん……?」

 目を開ける。霞んだ視界に入ってくるのは――

「わあッ!?」

 彼女の顔だった。びっくりする程のドアップで僕を覗き込んでいた。

 嗚呼、すると、この心地良い暖かさは彼女の体温か。

「あはは。大丈夫? 直ぐポケセンに運ぶからね」

 そしてそう話しかけてくる少女の声。昨日の昼間に戦ったあの少女だろうか?

 何故此処に? と訊こうと声のした方へとと首を動かすが、しかし僕の口から声が発せられることはなかった。(いや)、搾り出すような喘ぎ声なら出るには出たけれど。

 何故そんな事になったかというと、僕の体力が限界なのもあるけれどそれ以上に、彼女が僕の身体をへし折る勢いで抱きしめてきたから。

 痛い。みしみしと身体の骨が軋んでいるような気さえする。とてつもなく彼女は怒っているのだろうか。

 なんて考えていると、少女と目が合った。暖かそうなダウンコートを着込んだその隣には卵型の身体に頭と手足を生やした二足歩行の炎ポケモンが佇んでいる。

 その凶相のポケモン、ブーバーンも僕の視線に気がついたのか、その太い砲身のような腕で少女の肩を軽く叩く。

「ん? フレイム、何?」

 一旦僕から視線を外し、フレイムと名前らしいブーバーンへと首だけ向けて問う少女。

 問われたずんぐり丸い炎人は炎のように揺れる肩先をいからせながら、顎で僕達の方を示した。

「ああ、うん。私は平気だからあの人をもっと温めてあげて」

 頷くブーバーン。此方に向かって一歩目を踏み出したの同時、少女は「流石、気がきくねぇフレイムッ!」と破顔しながらアハハ、と声に出して笑う少女。その視線が再び僕へと向けられると、華が綻ぶようだったその表情は、す、と鳴りを潜めた。真剣な顔をして、睨みつけるような眼光の鋭さで僕を見据えてくる。

「全く、そんなに懐いてる仔を置いてどっか行っちゃうなんて馬鹿なの貴方はッ。『何が何だかわからない』って感じでパニック起こしてたんだからねそのバシャーモちゃん!! しかも何でまたこんな山の中に!! 私のウェイブが居なかったら貴方の波動で足どりを探し出せなくてそのまま凍死かゴーストポケモンに殺されちゃうところだったのよ!!! 分かってるの!? 分かってなかったならこれで分かったでしょう! 分からないとか言ったらウイングに強制スカイダイブさせてスリーピィで押し潰すんだからね! 反省しなさい!!!!」

 彼女に抱きしめられたまま、少女の機関銃のように捲し立てられる説教を聞く。

 どうやら同じポケモンセンターに居たらしい少女が、手持ちであるルカリオ或いはリオルのウェイブとやらに僕を行方を探させたらしい。波動、とやらを使ってそんな事が出来るのは『リオル・ルカリオ種』か特殊な才能を持った人間だけなのでそう推察する。

 そうして此処へと辿り着いた彼女は僕を殺そうとしていたゴーストポケモンたちを蹴散らした、というわけか。

 視線を巡らせば、雪に沈む様に倒れ臥した三体の亡霊達の姿が確認できる。

 ぎゅ、と僕を抱きとめる彼女。へし折る様な勢いは無い。

 暖かい。人肌よりも高めの彼女の体温の、微睡(まどろ)みに誘うような心地良さにまた意識が白ばんでいく。

 暖かい。

 けれど、凍った心は未だに溶けきってはいないようで、微かに刺すような冷たさを発している。

 彼女は僕に様々なモノをくれるが、僕は彼女に何もあげる事が出来ない。嗚呼、僕が彼女に出来る事は何も無いのだろうか。

 混濁し始めた意識が次第に落ちていく。その最中、烟る視界にピクリとも動かない亡霊達が再び入ってきた。

「ああ、そうだ――」

 説教を捲し立てる事に疲れたのか、少女は僕らの傍で降り積もった雪を溶かしながら立つブーバーンの隣まで来ていた。そちらに向かって僕は声をかける。

「ん? なに?」

 まだ説教し足りないのか、少し険のある声で少女は返してきた。

「お願いが、あるん、だ」

 そろそろ限界が近い。切れ切れに声を搾り出す様に続ける。

「もし、も、――ル、が、――って、いた、ら――」

 嗚呼、自分の声まで遠くに聞こえる。少女には伝わっただろうか。僕はあれを持っていないから――

 感覚も、思考も、全て闇の中に落ちていく。

 

        ‡‡‡‡‡‡

 

 ふと、外を見れば雨が未だ降っていた。大きな窓硝子を殴りつけるような土砂降りだ。あのマリルリの雨乞いによって降ってきたものとは比べものにならない程の。

 ぼう、とそれを眺めつつ、ポケモンセンターのロビーでソファに腰掛けたまま僕は考える。

 彼女はそれはもう頑張ってくれている。しかし、僕はその頑張りに応えられない。そのせいで彼女は傷ついてしまう。嗚呼、彼女が傷つかないようにするには、僕はどうすればいい何をすればいい何を頑張ればいい。どうすれば彼女は負けない? 何をすれば彼女は勝てる?

 戦わないという選択肢は彼女には無いらしい。だから彼女のトレーナーである僕にもその選択肢は無い。

 なら、どうすれば。

 篠突く雨によって水煙をあげて烟る外。先の見通せないその光景は、今の僕の靄々とした心の有り様によく似ている気がする。

 嗚呼、ならば。

 降り頻るこの大降りの雨を抜けていけば何か分かるかもしれない。

 よし。そうしよう。

 座っていたソファから立ち上がる。そしてそのまま僕は外へと歩き出す。

 自動ドアを抜ければ、ざあ、と風雨が僕を打ちつけた。礫で打たれる様な痛みが全身を襲う。

 けれども、彼女の痛みに比べたら微々たるものだろう。この程度では彼女は音を上げない。円な瞳に猛火を宿して立ち上がる。

 激しく打ちつけてくる雨粒に目が開けられない。痛い。寒い。

 けれど歩き続ける。彼女に相応しいトレーナーならばこの程度の事で諦めな――

 等と考えているその最中。荒ぶ風と雨音の中に甲高い彼女の声が確かに聞こえた。

 鳴き声がした方を振り返ったその刹那、僕は地面を転がっていた。砲弾の如き勢いで駆けてきた小さく丸い橙色の彼女によって蹴り飛ばされたのだ。

 声も出せず、濡れた地面を転げる僕。

 仰向けに地面に転がった僕に容赦なく雨粒が打ちつける。恐らくは泥まみれ。けれど全身濡れ鼠な今、それはそれほど気にならない。

 では何が気になるか。それは――

「ああ。なんで?」

 ――何故、彼女が此処に居て、僕を蹴り飛ばしたか。

 仰向けに倒れたまま目線を上に上げれば彼女が僕を見下ろしている。ボッと小さな嘴から零れた火の粉が豪雨に負けること無く瞬いた。

 しかし僕の問いに答えない。

 小さな身体で仁王立ち、僕を見下ろす彼女。嗚呼、感情の読み取れない、でも確かに激情の宿るその瞳。その小さな瞳に吸い込まれる様に視線を逸らせない。

 ざあざあという雨音だけが耳朶に触れる。

 その中で、本当にそれはもう小さな声で、彼女が鳴いた。長くはない。しかし一言だけという感じでもない、か細く呟いた様なそんな鳴き声。

「私を置いて、何処に行く?」

 嗚呼、何故だろう。彼女の言葉は分からない。だけれどそんな風に僕には聞こえた。

「わ!?」

 聞こえたような気がするだけなので、何と言葉を返せば良いのか分からず黙る僕の額を、彼女は嘴でコツン、と突っついた。

 それが何を意味するのかは分からない。けれど――

 激しい雨音の中、ぬかるんだ地面をバシャバシャと音を立てて何やら叫びながら近づいてくる気配。

 「アチャモ」と彼女の事、それと僕の名前を声を張り上げて呼んでいる。多分、ポケモンセンターの職員か何かだろう。

 それが段々と近づいてくるのを感じながら、

「うん。ごめん。置いて行くつもりはなかったんだ」

 そう謝る。

 すると、僕を見据える彼女の瞳が満足そうな光を帯びた。そんな気がする。

 嗚呼、彼女と一緒に旅に出よう。そうすれば何か僕に出来る事が分かるかもしれないから。

 ――彼女の炎が僕の心に火を点けたかの如く、僕の心は燃えていた。

 

       ‡‡‡‡‡‡

 

 微睡んだままの頭を何かが掴んだ。そのまま勢い良く揺さぶられる。

「――ッ!? な、何?!」

「わぁ!? 何してるのバシャーモちゃんッ!」

 それによって僕の機能していなかった意識が無理やりに覚醒する。しかし、それでも頭のシェイクは終わらない。覚醒した意識が眠気とは別の何かで混濁していく。行っているのは、叫ぶ少女の声の内容からして『彼女』なのだろう。

「あー、はいはい。痴話喧嘩はちょっと後にしてねー」

 また夢の中に旅立つその一歩手前で唐突に、そんな女性の声が此方に向けてかけられた。それによって『彼女』の揺さぶり攻撃はとりあえず中断される。

 頭が上下左右に動かされていたので全く見えていなかったけれど、落ち着いてようやく見えた天井や壁は白を基調とした清潔な物。そして横たえた僕の身体を支えているのは白い掛け布団の敷かれた寝台。微かに薬臭い空気。病院かポケモンセンターだろうか。そういえば、意識を失う前に少女が「ポケセンに連れて行く」等と言っていたのを思い出す。

 そして視線を戻せば、ベッドの上で仰向けに寝転がった僕に馬乗りになって顔を覗き込んでいる彼女が居た。

「まぁ、分かってるかもしれないけど此処はポケモンセンター。で、君は低体温症であの子達に担ぎ込まれてきた。それで? 君は何がしたくてこうなったわけ?」

 彼女の青色の瞳に見据えられて、そこから視線を逸らせないでいる僕に向かい女性が訊いてくる。

 その言葉を受けて、ようやく視線を動かせた。声のした方へと顔を向ける。今更に気がついたけれど身体はまだ上手く動かないようだ。柔らかい枕に沈んだ頭を横に向けて声の主を視界に入れる。

 そこに立っていたのは背の高い女性だった。黒い短髪で白衣を着た、少し目付きの悪いきらいがあるけれど綺麗な人だ。その隣には、楕円の桃色の身体に卵を抱いたポケモンが同じく立っている。

 そのハピナスが小さな両手で支え持っている銀色の四角い盆の上には紅白の球が乗っていた。三つある。

 嗚呼、けれど、何故全て空なのだろう。

 ……。それよりも質問に答えなければ。何がしたくて、か。

 嗚呼それならば。

「ああ、天気が良かったので死にに」

 僕の口から発せられたその言語に『彼女』も少女も女性も、ハピナスさえも言葉を失った様に黙ってしまう。(いや)、白衣の女性は呆れて物も言えないというような顔だ。他の皆は唖然という言葉がピタリと当てはまるような顔をしているけれど。

 僕が何をしたかはこの説明で良いと思うのだけれど、しかし理解してもらうには色々と説明が足りないかもしれない。

 だから、情けなくて恥ずかしいけれど僕が死ぬことにした経緯を一から説明することにしよう。

 疲れきって鉛のように重く動かない身体の代わりに、僕の口は驚く程に滑らかに動く。彼女がどんなに強く、気高く、直向(ひたむ)きかを。僕がどうしようもなく弱く、情けなく、努力しようと何も実らない劣等者であるかを紡いでいく。

 一度語りだしてしまったらもう止まらなかった。ダムが決壊した様に今まで溜めてきた思いが鉄砲水の如く溢れ出す。

 それに比例して、語れば語るほどに僕の駄目さ加減を実感し、暖かい部屋の中だというのに心がどんどん冷たく凍っていく。

「だから、死ぬことにしたんだ」

 どれほどの時間、喋っていただろう。誰も口をはさむ事無く僕の話を聞いてくれていた。そして語り終えた今も誰も僕へと言葉を発しない。少女は俯いて押し黙り、僕に馬乗りになったままの『彼女』はクルル、と低く唸りながら三本指の手を強く握り締めている。何時も揺らぐ事無く凛としたその眼の輝きは何故か常より弱々しい。

 ……否、一人、違った。

「あ、そう。じゃ、この三匹はどうすればいいのかしら?」

 心底どうでも良さそうな表情と声で、僕に問うてくる白衣の女性。

「この三匹? どの三匹ですか?」

 この女医さんの言っていることがイマイチ分からない。

 僕の返した問いに女性は、

「だから、その()が捕まえてきた、君を襲ったゴーストポケモンよ。ユキメノコ、ゲンガー、ヨノワール。この三匹」

 そう言いながら、ハピナスの持つトレイに乗った三つのモンスターボールを指して示す。

 嗚呼、そういうことか。どうやら僕が意識を失う前に少女に頼んだ事は伝わっていたらしい。

 僕があの山に死にに行かなければ、あの三匹も僕を殺そうとはしなかった訳で。なれば『彼女』に痛めつけられる事も無かった。だからせめて、ポケモンセンターで治療してもらおうと、少女にあの三匹を一旦で良いので捕まえて欲しいと、そう頼んだ。ボールがもしも余っていたならば、とも言った気がする。

 そのボールが三個、此処に在るということは、治療が終わって外に帰った? 否、そうするとこの女医さんが言っている質問の意図が分からない。

 ……嗚呼、治療で他の場所に居るからボールだけ此処にあるのか?

「ああ。はい。治療が終わったら野生に帰してもらえれば。別の場所で治療中なのでしょう?」

「ん? 治療が終わったから此処にボールが在るのだけれど? ちゃんと三匹とも中に居るし」

「どうしたの? 三匹ともボールの中に居るよ?」

「……え?」

 女医さんと少女の言葉の意味が分からない。しかし冗談を言って誂ってる風でもないし、そもそもそんなことをする理由もないだろう。

 もう一度、視線をボールに向ける。……やはり、空だ。何も入っていない。

「え、でも――」

 それらは空ではないか、と言い返そうと口を開くその瞬息前。視界の端にこの白い空間の天井がちらと入る。僕を見下ろす彼女の背後。そこで何か黒い影がゆらゆらと揺らめいた。

「――あ。後ろ」

 彼女も誰も気が付いていないそれが、ゲンガーだと気が付いた次瞬に僕の口はそう零していた。

「ん? 後ろ?」

「へ? なに?」

 白衣の女性と寝台の傍らの椅子に腰掛けた少女が疑問符を付けて返してくるが、彼女は違う。刹那も惑う事無く反転。背後でニタニタと笑っている影霊を視界に入れると、炎で包まれた拳を叩き込む。

 苦悶の声すら上げずに吹き飛ぶゲンガー。しかし僕はそれを最後まで見届ける事はない。

 ゲンガーが居たということは多分他の二匹も居るのだろう。未だ痛み軋む身体だけれど、どうにか首を枕から浮かせて辺りへと視線を巡らせる。

 ……居た。

「その()の足元。それとハピナスの隣」

 僕の呟く言葉を聞き取って、彼女は刹那の間も持たずに残りの二体を沈めてしまう。

 傍机やら花瓶やら、その他色々な物が埃や破砕音を上げて壊れたその中で、目を回して沈黙する三体の亡霊達。その光景を見て目を丸くしている僕と彼女を除いた面々。

 悠然と立つ細身ながらも引き締まった彼女の勇姿。それを見て、やはり彼女は僕なんかと居てはいけないと強く思う。もっと、もっと彼女の力を十全に引き出せる指示の出せる有能なトレーナーと一緒に居た方が――

「なッ!? 何でこの三匹が外に? ボールのロックは掛けたはずなのに……」

 狼狽した白衣を着た女医さんとハピナスの声が、思考に沈んだ僕の意識を浮かび上がらせる。

「多分、妖しい光や催眠術、悪夢とかナイトヘッドを上手く調整して惑わしたんじゃないでしょうか。僕もゲンガーに妖しい光と催眠術をかけられましたし」

 多分そんなところだろうと、そう答える僕。

「あれ。それだと何で貴方はそれを見破れたの?」

「ああ、多分起き抜けで半分以上寝ていたから催眠術が効かなくて、その後に頭をシェイクされて朦朧としてたからナイトヘッドとか妖しい光の効果が無かったんじゃない?」

 不思議そうに訊いてくる少女にそう答える。合ってるかは分からないけれど。

 頭をシェイク、という言葉を聞いて、倒れた三霊を睨んでいた『彼女』が此方を向き直る。相変わらず、何を考えているのか僕には読み取れないその青い瞳。それにすぅと吸い込まれるように視線を逸らせないでいると、

「あははッ! そのバシャーモちゃんも強いけど、貴方も凄いんだねッ」

 そんな少女の笑い声が響いた。

「どこが? 何にも出来ない駄目なトレーナーだよ僕は。技の指示すらまともに出来ないんだから」

 何をこの()は言っているんだろう。『彼女』が凄いのは自明な事だけれど、それと同様に僕の無能さも事実だ。……嗚呼、僕の駄目さ加減が凄いという事だろうか。

「え、だって信頼関係が凄まじいもん。バトルした時も思ったけど、技の指示が出せないのもバシャーモちゃんが最善の行動をするだろから、下手に指示を出しちゃいけないとか思ってるんじゃない?」

「それは……」

 確かに、僕の下手な指示よりも彼女が選択する行動の方が明らかにその状況を打開しうるものだろう。だから何と指示を出せば良いのか分からなくなるのも、少なからずあるかもしれない。

「その代わりにバシャーモちゃんが気がつかない死角からの攻撃は、さっきみたく必要な事だけ言ってるし。声は小さいけど」

「あれは気がついていないみたいだけど、何と言ったら良いのか分からなくて思わず言ってるだけだから」

「そうなのだとしても、それを聞き逃さないで尚且つ全然全く完全に疑うことをしないで直ぐ様に行動に移せるのって、それって凄い信頼じゃない?」

 そう、なのだろうか。彼女が何も出来ないこの僕に合わせてくれているように僕には思えるのだけれども。

「でも――」

「ふぅ。ぐじぐじと情けない。ポケモンとトレーナーの関わり方なんて千差万別でしょうが。ちょっと他とスタイルが違うからって何を思い悩んでいるの。ポケモンは道具だとかいう輩も居るんだから。君はそのバシャーモが好きなの? それとも嫌いなの?」

 何時の間にやら、立っていた場所を移動して倒れ臥した三匹のゴーストポケモン達を今度こそボールの中に収めながら女医さんが、少し咎める様に訊いてくる。

「大好きです」

 思った以上に即答できた。彼女のことは大好きだ。

 だからこそ、僕は死ぬことにしたのだから。

「ふふ。じゃあ貴女は?」

 僕の答えを聞いてにやりと笑う白衣の女医さん。次いで『彼女』へとそう問うた。

 問われた彼女は――

 何故か視線を僕にも誰にも合わせずに、そわそわとした雰囲気で両手を合わせてモジモジと三本指を忙しなく絡めては解き、絡めては解いている。

「どうしたの?」

 何時もの彼女らしくないその姿に、思わずそう訊いてしまう。

 肩を震わせ固まる彼女。ふい、とそっぽを向いて僕と視線を合わせようとしない。

 嗚呼。彼女は僕を好いては――

「あはッ。可愛い!」

 ――否、僕を嫌っているならば追いかけて来てなどくれないか。

 彼女の事を見た少女の笑い声が耳に入る。

 その彼女というと、満面の笑顔のハピナスに押されてよろけながらも僕の方へと向かい歩いて来ている。

 そして最後、僕の寝るベッドの傍へと辿り着くその一歩前で、彼女の長い脚が縺れてつんのめった。

「わッ」

 彼女が僕に覆い被さるように倒れてくる。既の所で僕の顔が押し潰されることは無かったけれど、至近距離で彼女と向かい合うことになった。

 青空の様な彼女の瞳。それに落ちて行く様な、なんだか心地良い感覚。少しの間見つめ合う。

「大丈夫?」

 そしてそう問うてみる。

 ハッとした感じで彼女が視線を逸らした。それを見て、嗚呼、彼女は照れている。そう何となく考える。

 ……あれ。彼女の事が分かった? 思い違いか。

 否、これは照れていると思う。

 じゃあ何故彼女はこうなったのだろう。こうなる前に何があっただろうか。

 ……。……嗚呼。「大好き」だと言った事だろうか。

 僕が彼女の事を大好きで、彼女がその事に照れているのならば、なれば彼女も僕を好いてくれていると思って良いのだろうか。

 そう考えたら、思わず彼女の顔に手を回して軽く抱きしめていた。

 ビク、と彼女がまた固まってしまう。これで拒絶されたら全て僕の勘違いだったのだろう。その時は――

 しかし、彼女は拒絶するどころか優しく僕の頭を抱いてくれた。彼女の高い体温が身体だけでなく心にも染み渡る。

 凍りついた心が溶け出して、それが涙となって出るほどに嬉しくて、そして勝手に死のうとしたことが申し訳ない。

「ごめんね、『ちゃちゃ』。もう、二度と、勝手に居なくならないから。許してくれる? こんな僕だけれど、一緒にいてくれる?」

 震えるか細い声で心の底から謝罪する。

 彼女の答えは、まずは痛いくらいの抱擁。続いてクルルッと力強い一鳴きだった。

「はいはい。感動の和解はちょっと置いといて、それでこの三匹はどうする? 野生には帰せないのだけれども」

 そんな僕達に淡白な女性の声が向けられる。

「え、野生に帰せないってどういう事ですか?」

 発せられた女医さん言葉を受けて、『ちゃちゃ』が離れる。そうして女医さんへと向き直った僕はそう問い返した。

「君を明確に殺そうとしたんでしょう? 縄張りを荒らした、とかそういう理由でもなく。そもそも、ゴーストポケモンが居る廃墟を壊そうとした、とかの理由が無ければそうそう襲ってくるものでもないし。悪戯はよく報告されてるけど」

「はぁ。それが何か?」

「野生に帰せばまた誰かを襲う可能性が高いポケモンを逃がせると思う? ポケモンセンターの職員が、よ」

「ああ……なるほど。僕はどうすれば?」

「別に? この危険なポケモンを手持ちに加えても別に止めないわよ。手持ちに加えた結果、君が何か責任を取ることもありうるけれど。それが嫌ならば、私達に任せなさい。こっちで処理するわ。結局『逃しました』とか最悪だから」

 嗚呼。どうしよう。こんな事ならば捕獲を頼まないほうが良かったのかもしれない。

 少女の方へと向いてみると、僕の視線に気が付いて、曖昧に笑って首を振る。それは、ポケモンセンターに任せてしまえ。ということなのだろうか。

 ……。僕も彼女――ちゃちゃ以外のポケモンを手持ちに加えるつもりも無い。

 嗚呼――

 その時、彼女が動いた。颯爽と女医さんの方へと向かい、ハピナスの持つ盆に乗った紅白の三つの球をむんずと掴む。

 そして、無造作に僕の方へと放り投げた。弧を描いて狙ったように僕の腹に落ちてくる3つのモンスターボール。少し痛い。

 彼女が取った行動の意味は。

 嗚呼、わかる。

「ああ、うん。じゃあこの三匹は僕のポケモン。ということで」

 そう言うと、ちゃちゃは満足そうに頷いて。

「ふうん。そ。じゃあ気をつけて。私の用事は終わったから行くわねー。あ、ハピナス、壊れた備品の掃除お願い」

 そう言い残してニヤリとした笑みを浮かべた女医さんは出て行った。ハピナスはニコリと微笑して応え手際よく掃除を始めている。

「ホントにその三匹を連れて行くの?!」

 そして、僕の顔を覗き込むように少女が訊いてくる。

「うん。まぁ、ちゃちゃの方が三匹まとめてよりも強いから何とかなると思う」

「でも!!」

 どうにも食い下がってくる。

「それに――」

 一旦ちゃちゃへと視線を移し、そしてまだ手持ちに加えるのは止めろと勧めるこの女の子へとまた戻し続ける。

「弱いと言っても、そこらのポケモンよりよっぽど強いし。だから僕達もジム戦ってやつをやってみようかと思うんだ」

「……へ? それって」

「うん。ポケモンリーグ出場を目指す。良いかな? ちゃちゃ?」

 最後は『彼女』へと向かって。

 彼女へと目を向ければ、首肯してくれた。

 多分、この三匹のポケモンを彼女程に愛することは出来ないだろう。それくらいに『ちゃちゃ』は特別だから。

 でも、まあ、多分、僕はゲンガーもユキメノコもヨノワールも嫌いじゃないんだと思う。殺されそうになったけれど、それは僕が望んたことだ。別にこの三匹に出会わなくても僕は死にかけたし、或いは出会わなければもっと早く、ちゃちゃが間に合わない内に自死していたかもしれない。だから、まぁ何とかなるさ。普通の好き、位にはなるかもしれないし。

 彼女に相応しいトレーナーになるのではなくて、彼女と一緒に強くなる。信頼してくれているのならば、此方も絶対の信頼で応えよう。それが今後の目標ということでどうだろう。

 ……あ、この三匹とも一緒に。

「……ふぅん。じゃあライバルね。負けないわよ?」

「僕達も頑張って君に追いつくよ」

「約束よ!」

「うん」

「じゃあ、こうしちゃいられないッ。私はもう行くね。お大事に。早く治して、ポケモンリーグで!」

「ああ。ポケモンリーグでまた会おう」

 慌ただしく少女は出て行った。残ったのは掃除をしているハピナスと、何時の間にかベッドに腰掛けて此方を眺めている『ちゃちゃ』。後はボールに入った亡霊達。

 嗚呼、早く僕の体力は回復しないだろうか。

 これからの事を考える。どうなるかはわからない。もしかしたらまた挫折するかもしれないし、ちゃちゃとでも超えられない壁が現れるかもしれない。

 でも、これまでの寒く重かった心と違い、今の心は熱く、軽やかだ。もう、僕は二度と、死のう等とは考えない。

 優しい彼女の眼差しを見つめ返しているうちに、冷たく氷の様に凍りついた心が溶けて、熾火が如く燃えている。

 願わくば、ちゃちゃとユキメノコ、ゲンガーやヨノワールにもこの火が燃え移りますように。

 そうすれば、どんなことがあろうとも、僕の心が氷になることはもう無いだろうから。

 

fin.

 

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