「ほう、これがうわさの家か」
自らの住んでいるアパートから車で二時間、C氏は郊外の一軒家をじっと見上げた。
「ええ、そうでございます」
「見たところ普通の一軒家のようだが」
その家は建売住宅の広告でよく見かけるような、いたって平凡な二階建ての家だ。
「それも工夫の一つでございます。奇抜な家で周りからうわさになっても困りますので」
「なるほど、さすが自粛ハウスだな」
「感心されるのはお早いですよ。どうぞ中をじっくりご覧ください」
世の中が新型ウイルスに支配され、あらゆる行動に自粛を求められるようになった現在、この自粛ハウスは飛ぶように売れていた。
C氏もその口コミに感化された一人であった。年はもう四十近いが、妻子はおろか交際経験もない。これといった趣味もなく、金だけが溜まり続ける日々を送っていた。親譲りの臆病な性格と、プログラマーという職業も背中を押し、今回の内覧が実現した。
若干心拍数を高めつつ、C氏はシャツ越しにドアノブを回した。
「うわっ」
ドアを開け一歩進んだとたん、霧状の白い物質がC氏の四方八方から発射された。
「なんだねこれは」
「消毒でございますよ。医療用と同じ成分を全身にかけることで、一気に菌を死滅させるのです。もちろん身体に悪影響はございません」
「なかなかインパクトがあるな」
「はい、そして次はこちらです」
玄関の正面には、少し変わった手洗い場があった。
「ふむ、すぐに手を洗うためにここにあるというのは理解できるが、この液晶はどういう意図かね」
「正しい手洗い、うがい方法が表示されるのです。世の中には、石鹸さえ使わない輩もいますからね」
「なんだか小学校に戻ったようだ」
「そのくらい基本から徹底しているのです」
「確かにこの家の意図とは一致しているな」
その後も、淡々と説明を受け、時計の長針が一周した。
「いかがでございましょうか」
「うむ、噂通り、素晴らしい構造だな。すべてが自粛の手助けをしてくれる」
「当然でございます。今まで一万棟以上は建てておりますが、住み心地についての苦情は一件もございません」
「なるほど、素晴らしい。といっても、すでに腹は決めている。ぜひ購入させてもらいたい」
「ありがとうございます。早速手続きに入りましょう。ただその前に、大事なことを一つだけ」
「なんだね」
「緊急時は、ご遠慮なく二階の受話器をお取りください。二四時間接続でスタッフがご対応いたします」
「ますます気に入った。実はもう通帳と判は持ってきている。この場で支払いを済ませ、すぐに移り住もう」
――翌日、C氏の自粛生活が始まった。
起床すると、マットレスとシーツは念入りに消毒される。朝食は栄養バランスの良いパンと卵とサラダ。その後、最新式のパソコンでテレワークを行う。今日の仕事は、人気ラーメン店がテイクアウトを始めるということで、そのウェブページのプログラム作成であった。作業に熱中していると、後ろの机に昼食が置かれていた。自動調理システムに感謝しつつ、スパゲッティを口に運ぶ。午後三時には仕事を終え、二階にあがる。二時間ほどフィットネス器具で身体を動かし、自動で沸いている風呂に浸かった。無論、入浴後の湯船は滅菌状態になるまで消毒される。夕食はC氏が好きな鮭と、赤だしの味噌汁だった。
「……ふむ」
テレビで今日の感染者数を確認しているうちに、夜風に当たりたくなってきた。あまり外に出ることは気が引けるが、あれだけ完璧な消毒や手洗いがあるのなら、少しくらい大丈夫だろう。念のため上着を一枚持って、玄関まで歩いた。これまた念を入れて、その上着でドアノブを包み、右に回す。
ガッ
「ん?」
C氏は何度もドアノブを右左に回す。だが、ドアは一向に開かない。
「故障か?」
とりあえず鍵開けを頼もうと、リビングに戻り、一日中充電しっ放しであったスマートフォンを手に取る。
「……圏外?」
携帯をソファに投げ、首をかしげる。
「そうだ、窓からなら……」
C氏の顔は、一瞬明るくなった。しかし視線を向けると、
「なっ……」
窓には鍵が存在していなかった。無論、サッシに手をかけても音が鳴るばかりで開かない。
「どうなっているんだ……?」
C氏は自分が閉じ込められていることを認識した。とんでもない欠陥住宅だ。今すぐにでもクーリングオフしたいところだが、あいにくこの状況を外に伝える手段がない。
しばらく頭を悩ませた後、彼は階段を一段飛ばしで二階に向かった。一番奥の部屋に入り、受話器を取る。
「はい、自粛ハウスコールセンターです」
無機質な男性の声が響いてきた。
「おい、この住宅はいったいどうなっている」
「どう、とは?」
「外に出ようとしても出られないではないか」
「ええ、そのような仕様となっております」
「冗談はよしてくれ、これでは自粛ではなく、ただの隔離ではないか」
「何をおっしゃいますか、」
かすかに笑い声を混じらせ、男性は続ける。
「おそらく、現に今、外出しようとなさいましたよね? それでは自粛ハウスの意味が無いではありませんか。我々の使命は、この家を買っていただいた皆様に最高の安全を提供することです。その理念に共感して頂いたから、購入なさったんですよね? ですから、それまでお外にお出しすることはできません。」
「ちょっと待て、それはあまりにも、」
「まったく、こんな苦情ばかりで応対している方も退屈ですよ。どうして自らを律して自粛しようとしているのに、周りの空気に流されてしまうのか。なあに、ご安心ください。我々があなたの盾となり、ウイルスからお身体をお守りいたしますよ。ウイルスが地球上から完全に死滅して、何事もなく暮らせるようになるその時まで……」
お久しぶりです。ようやく書く気が起きました。
東方のほうもそのうち書きます。
ではではー