泣き疲れていつのまにか眠っていた私を起こしたのは、男女の談笑する声だった。目を開けると、照明の光の中に、おぼろげながらも二人の人間がこちらを覗き込んでいるのが見えた。生まれたばかりなのと、ちょうど影になっているせいで、顔は見えない。なんだ? こいつらは。
順当に考えるならば、両親だろう。しかし、前世同様にここは孤児院で、二人は施設の職員かもしれない。だとすれば、面倒だ。生まれた時から孤児だった場合、そのあとの人生はなかなかに大変である。それこそ、軍隊に志願せざるをえないほど、だ。
おや、また何かを話している。ずいぶんと楽しそうだ。ああっ、帝国標準語でも合州国の言葉でもないため、何を言っているのかはわからない。言葉がわからないとは、こうももどかしいことだったとは。しかし、この言葉、どこかで聞いたことがある気がする。妙ななつかしさも感じるが……
言葉がわからず、字も読めそうにない状態では、何を考えるにしても憶測か。ならば、少し待つとしよう。焦ったところで仕方のないことでもあるか。
そう考えると、また眠気が襲ってきた。やはり、子供の体というのは不便なものだ……
女性が愛しそうに腕に抱く赤子を、傍の男性が見つめている。
「おや、また寝ちゃったのか」
「寝る子は育つものよ。きっと大きくなるわ」
「女の子だし、名前は……」
男性、いや父親がそう切り出すと、母親は楽しそうに答えた。
「碧。空と海の色。のびのびと自由に、そして大きな、たくさんの人を受け入れられるくらい大きな子になってほしいわ」
父親は碧、あおいと口の中で何度か転がすと、大きく頷いた。
「碧、谷野碧。うん、いい響きだ」
二人の眼差しの先には、すやすやと眠るターニャ、いや谷野碧の寝顔があった。
「そういえば、戦車道は……」
「なら、どんな学園艦が……」
その病室からは、楽しそうな声が響き続けていた。
ターニャ・デグレチャフから谷野碧になってから3年がたった。いやはや、長い3年間だった。自分で何もできないということが、かくも苦しいものだったとは。すっかり忘れていた。しかし、いろいろと充分な情報も、とはいってもあくまで基礎的なことだが、集まった。
まず、この国が日本であるということ。道理で言葉になつかしさを感じたわけだ。むしろ、そこまで日本語を忘れていたということを驚くべきか。
そして、私の知るような21世紀であること。存在Xがこの転生に関与しているとしたら、19世紀や20世紀前半だったり、「実は赤化日本でしたー」的な展開かもしれないと覚悟はしていたが杞憂で済んでよかった。もう一度あの総力戦を生き抜けだとか、共産主義を讃えろなどという事態になったらならば、真っ先にアメリカへの移住、亡命を考えていただろう。
そして、両親もいる。公務員として働く父親に、専業主婦である母親。ある種のテンプレートとさえ言えるような恵まれた家庭。普通に進学し、普通に就職し、出世する。それが叶う環境だということが、こんなにもありがたいことだったとは。
自由主義万歳! 法治国家万歳! コミー共に災いあれ!
さて、少し落ち着いたところで、目の前の現実を生け入れるべきか。前々世の記憶はもはや曖昧で、前世は孤児院だったため、こうした事態の対処法を私は知らない。
まさか、法治国家たる日本でこのような無法地帯が存在していたとは。
無闇に走り回り、突然泣き、怒り、突飛な行動をとり、意味不明な言葉を話す人々に、全くと言っていいほど対処のおいついていない監視者たち。もはや、ここにいる多くの人間が私にとってはバルバロイだ。
はぁ、幼稚園とはここまで地獄だったとは。ラインも東部も地獄だったが、こちらも負けず劣らずだ。
子供はそういうものなのだろうか?いや、ノイマンやケーニッヒの子供達は礼儀正しい良い子だったな。
……他の事例と比べても状況が改善するわけでもないな。
この喧騒にはなれそうにない。仕方ない、隅でおとなしく絵本でも読んでいるふりをするか。
棚にポツンと座る、包帯だらけの熊のぬいぐるみと目があった気がした。
紳士淑女の諸君、ターニャ・デグレチャフ改め、谷野碧です。
幼稚園でういていないか? さきほど、母にも同じようなことを聞かれましたが、ご理解願いたい。あのノリについていくのは多大な労力と精神力がいるといことを。
さて、誠に私ごとで恐縮なのですが、今度の休みに家族で出かけることとなりました。公務員の父が、仕事を見せてくれるそうです。ついでに、かつて母がしていたスポーツも。文部科学省に勤めていると聞いていましたが、スポーツ振興の仕事でもいるのでしょうか?
では、また戦場で。