拘束をティアに解いてもらい、乱暴に扱われたせいで再び出血している箇所を診てもらう。
そんな折、ルークの顔色に気づいて声をかけようとして。
「──何かされませんでしたか?」
ジェイドの問いに邪魔される。
「いや別に。どうしてここにルーク様がいるのかとか、
どうせ彼に真偽を知る機会は訪れない。
適当にそれっぽいことを答えた直後、こみ上げるものを感じてスィンは小さく咳を繰り返した。
なかなか止まらない咳にティアが心配して背中をさする。
ありがと、と呟けば咳は止まった。
「どうしたの? 今までも何回かしていたみたいだけど」
「……僕、持病持ちでさ。ときどきこんな感じで発作が出るから薬で抑えてたんだけど、今はないから」
こうなるに至った過程を思い出し、ティアがすまなさそうに眉を歪ませた。
まだ平気だから気にしないで、と明るく言い、やっとルークに声をかける。
「ルーク様。お顔の色がすぐれないようですが……」
お前は。ルークの口がそう動いた。
「はい?」
「なあ! なんでお前は平然としてられるんだ!?」
いきなり胸倉を掴まれて引き寄せられる。
スィンの脳裏で既視感が渦巻いた。
「何のことです?」
「だから、魔物と戦ったときも、人と戦ったときも! ティアやジェイドは軍人なんだろ。でもお前は今までバチカルにいたんじゃないのか!? 俺と同じ立場にいたんじゃないのか。どうして平気な顔して、人に剣を向けられるんだよ!」
ジェイドやティアとひと悶着あったのか、その顔は同意を求める色が濃い。
事情を伺うのは後にして、スィンは自分に求められた答えを口にした。
「……平気、ではありません。ずぅっとバチカルにいたわけでもなければ、同じ立場だったわけでも」
「はぐらかすな!」
「殺さなきゃ殺される。そんな状況に放り込まれたことがあるから、です」
ルークから初めて目をそらし、スィンは軽くうつむく。力の抜けかけていた手を胸倉から外させた。
「状況は、今以上に狂っていたと思います。誰もかも、何もかも失われていく。その中で生きることを選び、人を殺めました」
淡々と話すスィンから、ルークはあわてて飛び退る。
彼が何を思ったのかは、その場の誰もが察することだった。
そんなルークを寂しそうに見つめ、しかしスィンは微笑んだ。
「どのように罵ってくれてもかまいません。人を殺したそのとき、人は狂うとも言われています。もうすでに狂っているのかもしれません」
でも、これだけは譲れない。
「もう何も失いたくないんです。あの時僕が戸惑いさえしなければ、失わなかったものがある」
もう、あんな後悔はしたくないから。スィンはそう締めくくった。
「それでは、ダメですか?」
「……」
沈黙するルークから少し離れ、スィンは二人に事情の説明を求める。
「スィンが戻ってきたら、反撃に出ましょうと提案したところ、彼はそれに猛反対しました」
要約するとそんなところですね。
必要最低限の情報を教えてくれるジェイドを半眼で見てから、ティアに改めて説明を求める。
しかしティアは首を横に振った。
「ごめんなさい。それ以上、私に要約はできないわ……」
つまり二人とも詳細を話してくれる気はないらしい。
スィンは嘆息して、ルークを見やった。
「──剣をお棄てになられますか?」
どこかで聞いた台詞に、彼が反応する。
「どうしても嫌だと仰られるのなら、それでもかまいません。必要なら今までと同じく僕は盾にもなりましょう。しかし、戦われるにもかかわらず相手にとどめがさせないなら、それはほぼ、あなたの死を意味します。殺すことがお嫌なのでしたら、たとえあなたが戦う力を持っていても、僕は──いえ、僕も剣を手放してくださるようお願いします」
「そ、そんなこと言ってない! ……なるべく戦わないようにしよう、って言ってるだけだ……」
「……それは僕たちも、願っていることですよ」
唯一そうではないかもしれないジェイドを見る。
彼は相変わらずの微笑を浮かべていた。
「それでは戦うのですね? その気があるなら戦力に数えますよ?」
「……戦うって言ってんだろ」
苦渋に満ちた声で、ルークは頷いた。
「結構」
やれやれ、といった様子で、ジェイドは壁に備え付けられている特殊な形をした伝声管を操作した。
操作方法からして、伝声管に似せて作られたまったく別の装置らしい。
「……
途端。鈍い衝撃が足元を揺らし、音素灯が明滅する。
しかしそれはほんの一瞬のこと、あたりから光源が消えて失せた。
その代わり、足元の小さな音素灯が灯り、薄闇の中で誰かの動揺が伝わってくる。
「どういう手品なんです?」
ジェイドがいた場所に問いかければ、手品とは心外です、と笑みを含んだような回答が返ってきた。
「こんなこともあろうかと、タルタロスに登録しておいた非常停止機構です。復旧にはしばらく時間がかかります」
ふえー、とルークの抜けた感嘆が聞こえる。
脱出はどうするのかとティアが聞けば、ジェイドは壁の一部を蹴って隣への通路を確保した。
「もろい戦艦……」
単なる仕掛けだと知りながらぽつりとスィンが呟くと、ジェイドはにっこりと笑って、「抱きしめて差し上げましょうか?」と囁いた。
大慌てで近くにいたティアの後ろに隠れると、彼は満足そうに笑って隣室へ出る。
没収されていた三人の武器は、無造作に床を転がっていた。
「では、左舷昇降口へ行きましょう。非常停止した場合、あそこしか開かなくなりますから。イオン様を連れた
イオン様を連れた
「間に合ったようですね」
タルタロス左舷昇降口の扉の前、すぐ傍にあるのぞき窓から外を見つつジェイドは囁いた。
今の今まで無手だったその手には、一振りの槍が握られている。
「現れました。イオン様のようです」
緊張しているのかしていないのか微妙にわからない声音に全員が反応し、各々の武器を握りなおした。
ごくり、とルークが息を呑むのが聞こえる。
「このタイミングでは詠唱が間に合いません。譜術は使えないもの、と考えてください」
「どっちにしたって
ルークは鼻で笑い飛ばした。
いまだに残るかすかな恐怖をまぎらわせるために言ったのかもしれないし、本心なのかもしれない。
そんなルークをいさめるように、ティアは眉をひそめた。
「大佐は今も
「かまいませんよ、事実ですから」
ですが、とジェイドは横目でスィンを見た。
「もう少しスィンが早く来てくだされば、
「誰かさんに得物を取られて思いのほか苦戦したっけ。結局イオン様も連れて行かれちゃったし。あ~、武装解除なんかに応じてなかったらな~」
気のせいか険悪──ジェイドは揶揄気味だがスィンは一方的に敵意を飛ばしている──二人の空気に押されつつも、「非常昇降口を開け」と言う指示が外から聞こえてきたことを皮切りに彼らの様子は一変した。
「来ます。ルーク、お願いしますよ」
扉の前に立ち、ルークがミュウの頭を持って顔の位置まで上げる。
ぷしゅ、と空気が抜けるような音がして、扉が開いた。ほぼ同時に。
「おらぁ! 火出せぇ!」
勢いよくミュウを突き出し、その言葉にミュウが従う。
顔面に火炎を浴び、
その向こうで、ルークはイオンの前に立つひとりの女を目にする。
蜂蜜色の髪にやはり黒を基調とした、しかしこちらは襟と丈の短いスカートの部分だけが白い制服を身にまとっていた。
美人だが、その瞳は猛禽類並みに鋭い。
ここ最近で急に知り合いとなった少女に酷似する雰囲気を持った女は、両腰から下げていた二本の棒のようなものをルークへ向けていた。
しかしその直後、立ち位置を変えて跳びすさる。
一瞬のちには、その場に棒手裏剣が突き刺さるも、それは囮。
彼女が着地した瞬間、反対の方向から槍が伸びて白い首筋に突きつけられる。
そんな状況下でも、女は口元に笑みを浮かべていた。
「流石はジェイド・カーティス。譜術を封じても侮れないな」
「お褒め頂いて光栄です」
口調だけは平時と変わらず、ジェイドは真紅の瞳を油断なく巡らせる。
「ルーク、イオン様を」
「あ、ああ……」
ミュウをぶら下げたまま階段を降り、兵士を抑えているスィンの横を通ってジェイド越しにイオンを見る。
彼の人は疲れたように息をついて、木立に身を預けるようにして立っていた。その様子はチーグルの森で初めて会ったときと酷似している。
「ティア、譜歌を!」
彼らを完全に無力化させるために、ジェイドは控えていたティアを呼んだ。
そのとき、女の表情にかすかな変化が生まれる。
「ティア……?」
左舷昇降口の暗がりからティアが姿を現し、譜歌をくちずさむべく杖を構えた。
しかし、ジェイドに抑えられた人影を見て目をみはる。
「ティア・グランツか……!」
「リグレット教官!?」
二人が同時に互いの名を呼んだ。直後、ティアがハッとしたようにてすりを乗り越え大地を踏む。
ティアが直前まで立っていた場所、左舷昇降口付近で輝きが破裂した。
あまりの眩さに、距離があったにもかかわらず大半が目を覆う。
「大佐っ!」
唯一目を開けていたスィンが、警告を叫んだ。
リグレットがジェイドの槍をかいくぐり、彼の指示で地に転がしておいた銃を拾い上げるのが見えたのである。
そのまま発砲するものの彼はすんでのところでかわし、代わりとばかりティアに銃を向けていた。
一瞬の隙を突かれてスィンにも兵士の剣が向けられる。それを合図に木陰に隠れていた兵士たちが姿を現し、包囲した。
「ご主人さま、囲まれたですの……」
「見りゃわかるっつーの」
スィンと同じように剣をつきつけられ、ミュウを片手に携えたまま手を上げているルークがぼやく。立場は完全に逆転していた。
獣の唸り声が聞こえ、発生源を振り返れば、そこには警戒しているかのように体勢を低くしたライガがいた。
左舷昇降口での発光は、おそらくライガによる雷撃である。
すぐそばには、一人の少女が立っていた。
桃色の珍しい髪が腰まで伸ばされており、手には不気味といえばいいのか可愛いと称するべきか、好みによって意見が別れる人形を抱きしめている。
まとう制服の色合いはラルゴのものに酷似しているが、形は袖のないワンピースに近い。
頭には、イオンのペンダントに似た紋章が描かれた黒い帽子をのせていた。
「《魔弾のリグレット》に《妖獣のアリエッタ》ですか。六神将が二人もいるとは、困りましたねえ」
ジェイドはそう呟いているが、まったく困っているようには見えない。
「アリエッタ。タルタロスはどうなった?」
「制御不能のまま……このコが隔壁、引き裂いてくれてここまで来れた……」
階段を下り、少女はライガの頭を撫でた。
魔物とは思えないほど慣れた仕草で、ライガは甘えるようにアリエッタの小さな手を舐める。
「よくやったわ。さあ、彼らを拘束して……」
一人の兵士がイオンをリグレットとアリエッタの側へ連れて行く。
それを見届けながら指示を出しかけたリグレットは、はじかれたようにタルタロスの上部を仰いだ。
その瞬間、何かの影が彼女を通り越して着地し、イオンをさらって彼女らから素早く逃げる。
敵の動揺を素早く察知して、ジェイドが動き、続いてスィンが動いた。
兵士を突き飛ばしてルークを自由にし、イオンをさらった影のそばへ移動する。
ジェイドはアリエッタの後ろにまわり、彼女の首へ槍をつきつけていた。そして──
「ガイ様、華麗に参上」
白い歯をきらり、と光に反射させながら、にこやかに笑いかけたのは誰あろうガイ・セシルだった。
普段と変わらない使用人の服装だが、腰には一振りの剣を提げている。
しかしそれを信じられないような目で見ているのはルークだけで、他は緊迫した空気を持続させていた。
まだ決着はついてない。
「さあ、もう一度武器を捨てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」
アリエッタに突きつけられた槍の穂先を見、リグレットは一瞬の躊躇の後に銃を捨てて階段を登った。
「さあ、アリエッタ」
リグレットが乗艦したと見るや、ジェイドは槍を外して少女を促した。
「次はあなたです。魔物を連れてタルタロスへ」
それを聞き、アリエッタは泣きそうな表情でイオンを見た。
「イオン様。あの……あの……」
「……言うことを聞いてください、アリエッタ」
苦しげに、イオンが言う。
少女は抱きしめたぬいぐるみに顔を埋めるようにして、階段を駆け上がった。その後を、他の兵士たちが続く。
全員が昇降口に入ったのを確認して、ジェイドは階段をタルタロス内へ収納し、隔壁を閉ざすよう船体のパネルを操作した。
「これでしばらくはすべての昇降口が開かないはずです。逃げ切るに十分とは言えませんが、時間稼ぎ程度にはなるでしょう」
緊張が解けたように、誰かがほう、と息をつく。
ルークはガイの肩を軽く叩いた。
「ふう……助かった。ガイ! よく来てくれたな!」
スィンは久々にルークの満面の笑みを見た。
やはり心細かったのだろう、見慣れたガイの笑顔を目の当たりにし、明らかな安堵を見せている。
「やー、探したぜぇ。こんな所にいやがるとはなー」
ガイもまたルークの肩を叩いた。
「お友達ですか?」
ジェイドの声に、ガイが振り返る。
「ルークの家の使用人だよ。そっちは?」
「では、スィンのお兄様ですね。ご覧のとおり、マルクト帝国軍の軍人ですよ」
ガイの特徴からスィンとの共通点を見出したか、彼はそう言ってイオンに向き直った。
「ところでイオン様。親書……ではなくてアニスはどうしました?」
「敵に奪われた親書を取り返そうとして、魔物に船窓から外へ吹き飛ばされて……ただ、遺体が見つからないと聞いたので、無事でいてくれているかと」
「ならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流を図ります」
行き先は決まった、と行こうとするジェイドを呼び止め、ガイはタルタロスを指した。
「そちらさんの部下は? まだこの陸艦に残ってるんだろ?」
なぜジェイドの地位がわかったのか、という疑問はさておいて、ジェイドは軽く首を振った。
「生き残りがいるとは思えません。証人を残しては、マルクトとダアトの間で紛争が起こりかねませんからね」
何人が殺された、とのやりとりを耳で拾いながら、スィンはガイへ近寄った。
「ガイ……兄様」
誰が聞いているかもしれない状況を考え、スィンは彼を兄と呼んだ。
「お久しぶりでございます。無事で……なによりでした」
タルタロスを見て眉をくもらせていたガイは、偽りの妹を見て目元を緩ませた。
「まあ、思ったより元気そうで安心した」
「もったいないお言葉です」
微笑むスィンに、ガイは小さな袋を差し出した。
「ペールから預かってきた。わかるな?」
はい、と頷き、受け取って懐に収める。
歩き出した四人の後に追いつけば、ジェイドが不審そうな視線を寄越しているのがわかった。
あえて無視してルークの斜め後ろに立つ。
足元になにかいる感覚がして見下ろせば、ミュウが不思議そうな、それでいてきょとんとしたような目でスィンを見つめていた。
歩きながらひょい、と抱き上げれば、ティアのうらやましそうな視線が背中に刺さる。
「ミュウ。どうかした?」
「……何の
びく、と体が震える。
ミュウにはそれが伝わっているようだが、スィンの動揺につけこむような真似を聖獣はしなかった。
ただ発せられるのは、純粋な疑問。
「な、何が?」
「スィンさんからよくわからない
このブタザルめ余計なことに気づきやがって。
道中ミュウを伴って、スィンは初めて彼へ悪態をついた。もちろん心の中で。
「
たった一言で揺らぐ平静を必死に保って、顔面に笑みを貼り付ける。
それとなく、背後のティアへミュウをパスした。
でもー、と続けようとするミュウにルークがうっせー! と怒鳴る。
ティアがミュウを弁護する様子を見ながら、スィンはこっそりと背中に冷や汗をかいていた。
太陽は西の空へわずかずつ、確実に落ちていく。