the abyss of despair   作:佐谷莢

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第九十九唱——進むは和平条約交渉、絡まるは私情のもつれ

 

 

 

 

 

 

 

 

「陛下の機嫌を損ねる前に、和平条約に関連しての交渉を終わらせましょう。スィンについて問いただすのは後回しです。理解してくれますね、ガイ?」

「わかってる」

 

 和平条約について、ピオニーが快諾してくれることはわかりきっている。

 しかし、今彼らが謁見する用件と言えば和平条約に関する打ち合わせについて、だ。開口一番スィンのことを切り出すわけにはいかない。

 そんな短い打ち合わせの後に、一行は謁見の間へ通された。

 件の皇帝はどっしりと玉座に座しており、心なしか険しい一行の眼を微塵にも気にする素振りは見せない。ただ単に鈍い、あるいはその手の感情を隠すのに長けているのかもしれないが。

 どこかギスギスした空気の中、飄々とジェイドが歩み出て皇帝に一礼する。

 帰還報告、並びに和平条約締結に向けての報告を語れば、彼はどこかほっとしたように息をついた。

 

「……そうか。ようやくキムラスカが会談に応じる気になったか」

 

 ほっとして見せる反面、もう少しこの報告が早ければいたずらに兵士たちの命を散らすことはなかった、と悔いているようにも見える。

 そこへ皇帝の心を汲むように、気持ちを一国の王女のものへ切り替えたナタリアが進み出た。

 

「キムラスカ・ランバルディア王国を代表して、お願いします。我が国の狼藉をお許しください。そしてどうか、改めて和平条約の……」

「ちょっと待った。自分の立場を忘れてないか?」

 

 口上の最中、急にそんなことを言い出したピオニーに、ナタリアもルークを不思議そうな顔を隠さない。

 苦笑しながらも、彼はどういう意味なのかを説明してくれた。

 

「あなたがそう言っては、キムラスカ王国が頭を下げたことになる。……止めないのも人が悪いな、ジェイド」

「おや、ばれてましたか」

 

 書記官に記録の削除を要請しながら、ぺろりと舌を出さんばかりのジェイドを横目で見やる。

 おそらく止めなかったのは、マルクトに少しでも有利になるようにとの下心所以だろう。

 しかし、マルクトの皇帝たるピオニーはそれをよしとはしなかった。おそらくキムラスカとの間柄を、本気で修復したいとの気持ちの現れであろう。

 どこまでも、皇帝らしからぬ誠実な人柄だった。

 

「ここはルグニカ平野戦の終戦会議という名目にしておこう。で、どこで会談する?」

「本来ならダアトなのでしょうが……」

「今はマズイですね。モースの息のかかっていない場所が望ましいです」

 

 ジェイドの提案を、ダアト代表と言っても過言ではないイオンが否定する。

 一瞬の沈黙、後にルークが口を開いた。

 

「ユリアシティはどうかな、ティア」

「え? でも魔界(クリフォト)よ? いいの?」

「むしろ、魔界(クリフォト)の状況を知ってもらった方がいいよ。外殻を下ろす先は、魔界なんだから」

 

 的を射た意見に、ジェイドは「ルークにしては冴えている」といったおちょくりもなく採用していた。

 一応、謁見の間であることを自覚している様子である。同じような場所で、大胆にも第三王位継承者を小馬鹿にしていたのが嘘のようだ。

 

「悪くないですね。では陛下、魔界(クリフォト)の街へご足労いただきますよ」

「ケテルブルクに軟禁されてたことを考えりゃ、どこも天国だぜ。行ってやるよ」

 

 ……と、滞りなく和平に向けての段取りは終わるかと思われたが、ここで問題が生じていた。

 間違ってもスィンのことではない。

 

「こうなると、飛行譜石が必要だな」

「そうですね。飛行譜石はディストが持っています。ただ、どこにいるのかは、ダアトでトリトハイムに確認しないとわかりません」

 

 結局のところ、ダアトへは必ず行かなくてはならない。

 一国の主たちを同伴しなくてもいいことから、彼らへの暗殺を警戒しなくてもいいにはいい。

 しかし、厄介なことに変わりはない。

 

「ダアトか……。モースも戻ってるんだろ。危険だな」

 

 想定されるいざこざを憂い、ガイが眉を曇らせる。

 ルークもまた、物事が円滑に進まないこの事態に苛立ちをあらわとしていた。

 

「くそ! なんだってディストの奴が飛行譜石を持ってるんだよ。面倒だな」

「興味があるんでしょう。あれは、譜業や音機関の偏執狂ですからね。ガイと同じく」

 

 沈んだ一同の雰囲気を和らげんとしてか、ジェイドが軽口を叩いている。

 新しく見る顔に皇帝は口を挟んでこないが、イヤミなその物言いにガイは華麗にスルーをしなかった。

 

「誰が偏執狂だって?」

「そうですよ。ガイとディストを一緒にしてはいけませんね、ルーク」

「俺は何も言ってねぇっつーのっ!」

 

 まったくもってその通りである。

 

「ほらほら、いつまでもふざけてないで。ティアが睨んでますよ」

「……もういいです」

 

 次から次へと他人のせいにして煙に巻くジェイドに、ティアはあきらめたように息をついた。何を言っても無駄だということは、これまでの付き合いが教えてくれる。

 突如繰り広げられたショートコントに、ピオニーはあっけにとられた風もなく苦笑しただけだった。

 流石はジェイドの親友、インゴベルト国王ではこうはいくまい。

 

「まあ、そいつに関してはそちらに任せよう。いつ可能になってもいいよう、支度はしておく」

「そうしてください。では、そろそろ本題に入らせていただきましょうか」

 

 ──ジェイドがそれを言い終わる頃、ほぐれかけていた一行の雰囲気はにわかに張り詰めた。

 

「ん? 何のことだ」

「まずは紹介しておきましょう──ガイ」

 

 ジェイドの声に応え、ガイはさっと前へ出ると優雅な会釈を披露した。

 

「お初にお目にかかります、陛下。ホド領ガルディオス伯、末子ガイラルディア・ガランに御座います」

 

 以後お見知りおきを、と締める。

 聞き覚えのあるその家名に一瞬眉を動かしたピオニーの変化を見逃さず、ジェイドは詰め寄るような言葉を続けた。

 

「尋ねたいのは彼の従者、スィン──いえ、シア・ブリュンヒルドの名で連行された女性のことです。また報告書を読まれなかったのですか、陛下?」

 

 にこにこにこ。

 ジェイドはきっと、そのように形容される笑みを浮かべているのだろう。

 しかし、どうやらその瞳は少なくとも笑っていないらしい。

 現にピオニーは皇帝らしからぬ態度で冷や汗をかき、速やかに玉座の後ろに隠れようとしている。

 

「陛下、子供じゃあるまいし、遊んでないで我々を納得させる説明を。何のことかわからない、とは言わせませんよ」

「……それはこちらの台詞だ、ジェイド」

 

 恥も外聞もなく玉座の後ろに体を隠し、顔だけのぞかせたピオニーは渋い表情をしていた。

 

「何のことです?」

「とぼけるな。シア──今はスィン、なのか? あいつがお前に何もしなかった、とは言わせないぞ」

「おや? スィンは軍属詐称で連行されたようですが」

「便宜上はな。第三師団師団長暗殺容疑も考えなかったわけじゃないが、その件に関してはキムラスカの密命が下っていたんだろう。平和条約を交わそうってこのときにほじくり返すのはまずい」

「なるほど……言い逃れできない罪を全面に持ってきて、連行を可能にしたのですか。それで」

 

「彼女に何をするつもりですか?」と続けようとして。

 ジェイドの口上は止まらざるをえなかった。

 何故なら。

 

「……大佐の暗殺に、スィンが我が国の密命を!? 何ですのそれは、初耳ですわ!」

「どういうことですか。スィンが、ジェイドを……?」

 

 何も知らなかったナタリア、並びにスィンとジェイドの確執に関してやはり何も把握していなかったガイが双方に詰め寄ったからだ。

 

「詳細は後ほどご説明しましょう。スィンは以前、キムラスカの密命という形で私の首を狙っていたことがあります」

「……詳細は後で本人に聞け。密命とは別に、おまえの従者はわけあってジェイドに恨みを持っている。このままなら、あいつをマルクトで生かすことはできん」

 

 衝撃の事実に黙った二人を置いといて、ジェイドは再び玉座に隠れるピオニーを批難するように睨みつけた。

 

「それで、彼女に何をするつもりですか?」

「……ちっとばかり大人しくなってもらう。ガイラルディアには悪いが、これは議会でも決定したことだ。今はただでさえ人員不足だってのに、第三師団の師団長を暗殺されるわけにはいかない」

「陛下の御前で彼女が語ったあの言葉は、すべて偽りだったと?」

「少なくとも、すべてがすべて本音だったとは思えん」

 

 独断と偏見と私見、更に邪推の混ざった極めて一方的な推測である。

 ともすれば我侭にしか聞こえない皇帝の弁に、ジェイドはわざとらしいため息をついた。

 ピオニーは気づいただろうか。それが親友の、彼に対する失望を示していることに。

 

「……陛下。それはあまりに身勝手が過ぎますよ」

「お前はっ!」

 

 ジェイドの視線から逃れるように玉座の後ろへ隠れこんでいたピオニーだったが、そのジェイドの一言が疳に触ったらしい。

 激昂したように立ち上がり、ジェイドの視線を受けてまた気圧されている。

 

「お前は、あの女の本性を知らないから! ……あの女は間違いなくお前寄りだぞ」

「というと?」

「それだけ色んなモンが尋常じゃねえんだよ!」

 

 さりげなくジェイドを化け物扱いしつつ、彼は意を決したように玉座へふんぞり返った。

 威勢はいい。しかし、虚勢丸出しである。

 

「俺があの女に会ったのは、何年前だと思ってんだ。頭に血が上ってたか何だか知らねえが、七つかそこらのガキにあんな凄まじい殺気が出せてたまるか! 俺は本気でションベンちびるところだったんだからな」

「……下品ですねえ。一国の主ともあろうお方が、何情けないことを胸張って言ってるんですか」

「事実だったんだから仕方ねーだろ!」

 

 それでも彼は女性たちに失礼、と侘び、気を取り直したように大きく咳をした。

 

「とはいえ、本気で牢屋にブチ込もう、とかは考えてない。今はそんな余裕がないんでな」

「戦争中ですからねえ。ただでさえエンゲーブが崩落していて食糧不足気味なのに、余計な犯罪者を増やし、更に気前よく食わすタダ飯はありません」

「そういうことだ。だからといって見逃しもできん。だから……特別措置を設けさせてもらった」

 

 特別措置。その異様で怪しげな響きに、ジェイドもガイもわかりやすく眉をしかめた。

 

「特別措置? それは「失礼します、陛下」

 

 ガイの声を遮って現れたのは、先ほどスィンを連行したアスラン・フリングス少将その人である。

 どうも事前に呼ばれていたらしい彼に、一同はとりあえず道を譲った。

 だが。

 

「よお、ご苦労だったな」

「……ねぎらいありがたく存じますが、本当によろしかったのですか? 死刑確定者らの減刑擬似戦闘に女性を、しかも若く見目のいい方を加えるなど……飢えたハイエナの檻に子兎を放り込むようなもの」

「フリングス少将」

 

 背後から立ち上る異様な気配。

 彼が慌てて振り向いた頃には、今にも腰の得物を引き抜かんと指をわきわきさせているガイの姿があった。

 

「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえないか?」

「ガイ……賛同したくて手がうずうずしてきましたが、殿中ですので控えましょう」

 

 なにやら黒いオーラをまとうガイをどうどう、と鎮め、彼は標準装備の胡散臭い笑みを浮かべてフリングスと対峙した。

 彼はジェイドから、ガイとは違う種類のオーラを感じ取っているらしく、完全に気圧されている。

 

「まさかとは思いますが、加えたというのはスィン……先程連行したじゃじゃ馬のことで?」

「……と、そのご息女と思われる少女です。以前は連れていなかったように思いますが、一体」

「連れていなかったのですから当たり前でしょう。彼女にも色々と事情があるのです」

 

 言い訳も何もなく想定外の事柄を問われて、ジェイドは答えることなく煙に巻いた。

 今のスィンは幼い少女の姿をしていて、スィンのふりをしているのは彼女が創り出した空蝉なる人形であったことを思い出す。

 

「……少女を連れている? どういうこった」

「それが彼女にそっくりな「と、ところで陛下! 減刑擬似戦闘っていうのは……その、なんですか?」

「飢えたハイエナの檻に子兎を放り込むようなもの……死刑確定者というのも、聞き逃せません」

「まさか、捕まえてある犯罪者と殺し合いでもさせるつもりなんですかぁ!?」

 

 この状況下で、スィンに関する新たな情報を彼らに与えるわけにはいかない。

 ジェイドの視線を受けてルークがフリングスの言葉を遮り、ティア、アニスによる連携で皇帝の気を引きにかかる。

 殺し合い、というあたりで言葉をなくしているナタリアに気をかけながらも、ピオニーは小さく頷いた。

 

「今から、お前らから離れた……この場合は主たるガイラルディアでいいか? ともかく、あいつの本性を垣間見ようと思う」

 

 唐突にピオニーが、ぱちんと指を鳴らす。

 フリングス少将及び皇帝の護衛についていた兵士が素早く動いて、なにやらてきぱきと音機関やら譜業の設置準備を始めていた。

 

「本性?」

「確約はできんが、それでも多少はわかるはずだ。シアがどんな女なのかをな」

 

 暗幕が引かれ、謁見の間が薄暗くなる。

 どういった仕組みなのか、水鏡の滝が奏でていた落ちゆく飛沫の音すら聞こえない。

 

「始めろ」

 

 皇帝の合図により、音機関は稼動を始めていた。

 

 

 

 

 

 

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