the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百二唱——隠し事はその中へと

 

 

 

 

 

 

 

 武器持ち込みは禁止、プチスィンが所持するものは例外、ただし空蝉が使用するのは不可。つまり、カンタビレの目さえごまかせば所持武器の使用はいくらでも可能となる。

 カンタビレの説明に対して空蝉を従順に振舞わせ、スィン本人は自分の挙動も気にせずこれからのことを模索していた。

 彼女の言葉が正しいものなら、すでに演習場は死刑囚が散らばっている。

 どれだけの武器をどんな風にばら撒いたのか知らないが、これだけの時間が経過しているのだ。めぼしいものはもう残っていまい。

 となれば、どのようにして彼女の監視下から抜け出すか──

 

「譜術が使えないあんたには関係ないけど、使用制限がかかってるからね」

「使用制限?」

「場内に敷かれた譜陣の影響で、あらゆる譜術の威力は最大限殺されている。使えないも同然なのさ。まあ、他者を害するもの限定だから、自分を強化する譜術なら使えるだろうね。そんなこと、第七音譜術士(セブンスフォニマー)でないとできないだろうけど」

 

 この分だと、死刑囚の中に第七音譜術士(セブンスフォニマー)はいないのだろう。

 カンタビレがやけにつまらなさそうにしているのは、スィン自身の戦力低下に繋がらないからか。

 実際スィンは通常譜術をまともには扱えないし、第七音素(セブンスフォニム)も表立って使ってみせたことはないが……奥の手は最後までとっておくことにした。

 そうなると気になるのは空蝉だ。空蝉をこうして顕現し操っているのは、まぎれもなく第七音素(セブンスフォニム)を用いた譜術。

 その譜術封じがどれだけ影響してくるか、気がかりな点でもある。

 最悪、場内へ一歩足を踏み入れた瞬間消滅する危険も視野に入れなければならないだろう。

 もしそんなことになったら、どうやってごまかしたものか……

 手持ちの煙幕弾は残数一、閃光弾は二。残りはガイに預けた荷袋の中。これらを駆使するより他はないが、不安な数字である。

 心残りを引きずりつつ、いよいよ演習場内へ足を踏み入れることになった、そのときのこと。

 

「……さーん!」

 

 誰かに呼ばれたような気がして、先行くカンタビレをほったらかし周囲を見回す。

 当然、誰もいない。

 空耳かと、空蝉と共にカンタビレに続こうとして。

 

「……ィンさーん!」

 

 空耳などではないことを確信する。

 非常に甲高く、男女の区別がつけ難い幼子のものに酷似した声。

 とても人らしくないこの声の持ち主なら、唯一心当たりがあった。

 

「ミュウ?」

「いたですのっ、スィンさんっ!」

 

 水色の毛玉が廊下の彼方から跳ねてきたかと思うと、思いもよらない速さで二人のもとへと到達した。

 スィンと空蝉の足元で毛玉は小さな肩で息をしている。

 意外すぎる存在の登場に、ただ驚くしかない。

 

「よ、よく、ここまで来れたねえ」

「スィンさん、おいしそうな匂いだからわかりやすかったですの」

 

 おいしそうな匂いとは、スィンが愛用している柑橘系の香水を指しているのだろう。

 しかし、問題はそこではない。

 

「そうじゃなくて、誰にも何も言われなかったの?」

 

 如何にミュウが人畜無害に見えても、マルクト軍本部への侵入者であることは変わらないはずだ。

 ぬいぐるみにも見紛う容姿であることは認めよう。しかし、ぬいぐるみの真似なら人間の、それもこの場所へ立ち入れる権利を持った人物の協力が必須だ。

 今のところスィンの視界に、それらしい人物は──

 

「ああ、いたいた」

 

 ミュウがやってきた方向から現れた姿を見て。

 思わず声が飛び出した。

 

「フリングス将軍!?」

「少将、一体どういう風の吹き回しだい?」

 

 ここで、二人がついてこないことに気づいたらしいカンタビレが、何事かとフリングスへ問う。

 何でも、いつものように道具袋の中に隠れていたミュウが謁見の間にて話を聞きつけ、スィンのところへ連れて行け、と彼に直談判したらしいということ。

 稀に見るミュウの行動力に目を白黒させながら、どうしてこんなことをしたのかと問えば、返答は以下だった。

 

「同じご主人様を持つ者同士、ミュウもお手伝いするですの!」

「あー……ミュウ? ボクもうルーク様の護衛従者じゃないよ。大分前にお暇貰ったから」

「みゅ? ひま?」

「クビになったってこと。もう従者やらなくていいって、ルーク様から直々に」

「スィンさん、ガイさんをご主人様って呼んでますの。同じですの~」

 

 そっちか。

 ルークの命令でないことだけは確かだったが、まさかチーグルに仲間意識を持たれていたとは。

 思いもよらない事態を前に混乱しかける頭を鎮めて、ミュウの説得に取り掛かった。

 どんな罠が仕掛けられているかもわからないのに──自分の身さえ危ういこの状況下で、彼を連れ歩く余裕はない。

 

「ミュウ。ボクはこれから知らない人たちと闘わなきゃいけない。殺し合いをして、生き残らなきゃいけないの。危ないからみんなのところに戻って」

「ダメですの! ジェイドさんが言ってたですの、もうスィンさんを独りにしちゃいけないって!」

 

 ああ、そういえば大分前にそんなこと言ってたような。

 確かに、彼によって単独行動は制限された。

 もともと団体行動を主とする旅路の中で単独行動は極めて稀なこと、それでも日常生活においてそんな制限は守られないことが多く。スィンも制限を歓迎していたわけではなかったため、時経つにつれてなあなあになって現在に至る。

 そのなあなあになった結果が、この幼児化にも繋がったわけだが。

 

「ガイさんもジェイドさんもできないなら、ミュウがいますの! スィンさんの背中を、ミュウが守るですの!」

 

 敢然と言い放つミュウだが、チーグルがやってもあまり格好がつかない。それゆえに。

 

「あっははは! 可愛い騎士(ナイト)様じゃないか」

 

 スィンは何とも言えない表情で彼を見つめるより他はなく、フリングスは微笑ましそうにその様子を見つめている。カンタビレは素直に爆笑していた。

 気持ちはとてもよくわかる。

 笑うなんてひどい、とつぶらな眦を吊り上げるミュウなど気にも留めず、彼女は空蝉に話しかけた。

 

「ところで、なんで聖獣チーグルが人間の言葉を話してるんだい? すごく可愛いけど、魔物だろ」

「ソーサラーリングなる輪っかのおかげだと伺っています」

 

 からかう調子のカンタビレには目もくれず、引き続きスィン本人はミュウの説得にあたる。

 

「ミュウ、中にはどんな罠が仕掛けられてるかわかんないんだよ。すっごく、寒いかもしれない。いきなりネズミに囲まれてかじられちゃうかもしれない」

 

 とりあえず、ミュウが苦手なものを全面的に押し出して諦めさす作戦に出る。

 聖獣はあっさりと躊躇を見せた。

 

「みゅ!? ネズミがいるですの?」

「かも、しれない。そんな中でミュウを守れるかはわかんない。ミュウに何かあったら、ボクはルークになんて言えばいいの? それに」

 

 ここでスィンは、意図的に空蝉へ振り返った。

 そのまま、空蝉を操ってカンタビレに問いかける。

 

「この仔を連れて演習場へ入ることは可能ですか、不可ですか」

「……うーん……アリエッタのとこの魔物じゃあるまいし、チーグルが直接戦闘に影響するとは思えないしねえ。あんたのハンデが増えるだけなら、別に構わないかな」

「この仔が持つソーサラーリングが、譜術の威力を高める響律符(キャパシティコア)であっても?」

「同じことさ。あんたは譜術に疎い。よしんば使えたとしても、結界の影響でまともに機能しないよ」

 

 一応可能であるらしい。が、ミュウ及び自身の安全性を考慮するに何も──

 

「ではこうしましょう」

 

 それでも、いやハンデとなるからこそ連れて行く選択肢はないと言葉を探したスィンの耳朶に、とても聞き慣れているはずの、聞き慣れない声が届いた。

 

「?」

「ミュウもフリングス将軍もせっかくここまでお越し頂いたのです。演習場内まで、お見送りに来てくださると光栄なのですが」

 

 振り仰げば、スィン扮する空蝉が二人に向かって流暢に話しかけていた。

 その光景を目にしてスィンが固まっている間にも、彼らのやりとりは続いている。

 

「そっちの仔はともかく、なんで少将まで」

「頼まれごととはいえ、ミュウをこの場へ連れてきた責任を果たして頂くために、です。チーグルはもともと臆病な性質ですから、演習場内の空気を感じ取れば、きっと分かってくれるものと」

 

 つまり、フリングスにはミュウを連れ帰ってもらうために演習場内まで付き合えと言う。

 これはどうしたものかときカンタビレが唸っている間、空蝉はフリングスに話しかけていた。

 

「それにしても、どのようなご指示を経てミュウの願いをお聞き入れいただけたので?」

「──陛下の指示ではありません。私の独断です」

「将軍はカワイイ生き物に弱いのですか」

 

 確かにミュウ──チーグルは魔物に種別されるとは思えないほどの魅力を備えている。ミュウの場合は意思の疎通も可能なことから、愛らしさはとどまることを知らない。

 ティアなどは彼の何気ない仕草を見てよくノックアウトされている。

 思わぬところでティアとの共通点を見つけたと思いきや、彼自身の返答で大真面目にそれは誤解です、と返された。

 

「あなたに対する罰則が明らかに過剰だからです」

「軍属詐称だけならそうかもしれませんが、陛下への不敬罪と第三師団師団長暗殺容疑がセットなら妥当では?」

「……軍属詐称は行動を円滑とするため、暗殺容疑はキムラスカからの密命とカーティス大佐より聞き及んでいます。不敬罪は、証拠不十分……」

 

 こんなことを言い出すとは、盗聴はされていないのか、すべてを承知なのか。

 驚愕で顎を外さんばかりのカンタビレを見やるに、おそらくは後者だ。

 そんなカンタビレは、どうにか我に返った。

 

「ほ、他ならぬ陛下の証言じゃないか! それを証拠不十分と抜かすか、フリングス!」

「今の陛下を見ていると、でっち上げを疑います」

「あっ、不敬罪」

「──承知の上です。此度の措置は陛下の身を危うくするものでもある。ですから」

「ちょっとでもご機嫌取りを、ですか。将軍ともあろうともお方が、本当にご足労様です」

 

 フリングスの言葉を最後まで聞かず、空蝉は納得がいったように頷いて見せた。

 そのまま彼に背中を向け、スィンの傍へと歩み寄る。

 そして、ヘッドドレスが装着されたスィンの頭にミュウを載せた。

 

「……」

「ですが、私の選択が罪だと仰るならば、償うまでです。恥ずべきことなど何もない。あくまでも規則にのっとり、胸を張って皆の元へ戻ります」

 

 もちろん、今回の軍属詐称に限ってのことなのだが。

 そのままスィン達を伴って示された演習場内へと歩を進めてしまう。

 それを追いかけるように続いた二人だったが、彼女達は入ってすぐの場所で足を止めた。

 無理もない。屋内演習場はそこかしこに濃い霧が立ち込めて、視界を大幅に狭めていた。

 耳を澄ませば遠くから、喧騒が感知できる。しかし、それがどの方向から、どれほどの距離かは判然としない。

 

第四音素(フォースフォニム)だらけですの。ちょっと、肌寒いですの……」

「霧が立ち込める湿原内での戦闘を想定しているからね。転ぶと泥まみれになるよ」

 

 土の敷かれた足元は霧の影響なのか故意なのか、そこそこぬかるんでいる。歩行は問題なかろうが、足音は普通の地面より大きく聞こえた。

 そしてこの状況なら、足跡を追うことも非常にたやすいだろう。

 戦場の様子を一通り確認し、空蝉を見やる。

 譜術に対し一定の制限を発揮する結界とやらの影響は、今のところない。

 言葉を紡がせるのも良好だ。気になるのは……

 

「さて、今から擬似戦闘に参加してもらうわけだけど。見送りはこの辺でいいだろ」

「──ええ、そうですね。ご足労様でした」

 

 周囲を見回すプチスィンとミュウから離れたスィンが、しずしずとフリングスへ歩み寄る。

 カンタビレに対するものとは根本的に違う態度に反吐が出ると言わんばかりに、彼女は音高くケッ、と吐き捨てた。

 

「なんだい、フリングスが現れた途端元に戻って、取り繕って……あいにく少将にはいい人がいるんだ。擦り寄ったって無駄「隙だらけ」

 

 フリングスへ向かっていた足がくるりと方向を転換して、カンタビレに向き直る。直後、一呼吸するほど僅かな間に、スィン扮する空蝉はカンタビレの背後を取っていた。

 それに気づいた彼女が振り返るのと同時に、空蝉は軽快にプチスィンとミュウの傍へ舞い戻る。

 その手に緩やかな曲線を描く一振りの刀を握って。

 己の腰に差していたそれを穏便に奪われて、彼女は当然憤った。

 

「あたしの叢雲……なにすんだい!」

「──演習場内にある武器は使用可能でしょう? 武器の持ち込みは禁じられていますが、持ち込んだのは私ではない。監視役たるあなたには指一本触れていないから、手出しには該当しませんし」

 

 言いながらカンタビレを指し、刀を示す。

 だから監視役の得物を手にしたところで問題はない、と締めくくるスィンに詰め寄ろうとしたカンタビレだったが、掴みかかった手は壮絶に空を切った。

 

「ブリュンヒルド、貴様!」

「罪人に対して油断しすぎましたね。こっちの意識は冤罪で強制連行食らっているのですから、このくらいの抵抗は想定できたでしょうに。少将やこの子達のことがあったから、気が抜けてしまいましたか?」

 

 ぬかるんだ足元を確認するかのように、いささか無駄の見える体捌きでカンタビレから距離を取る。

 抱えるようにしていた叢雲の鞘を払ったところで、彼女は気圧されたように足を止めた。

 よく手入れされ、冴え冴えと光をはじく刃の切っ先を向けられて。

 

「よくも情婦だの女狐だの、好き勝手罵倒してくれましたね。腹いせにばっさりやっときたいところですが、規則に抵触するのでやめときます。ああそういえば監視役から離れてはいけないとか、そんな規則もありませんでしたね」

「あんた、初めからこうするつもりで……!」

「では御機嫌よう。ご心配なさらずとも、あなたの御言い付けは守って差し上げますから」

 

 ぞんざいにスィンへ鞘を投げつけるように放り投げ、空蝉はその場から逃走した。

 鞘を受け取ったスィンはといえば。

 

「──あー、もう」

 

 逃走する空蝉の背中を睨むカンタビレに鞘と血桜を渡し、プチスィンもまた頭にミュウを載せたまま走り出した。

 暴走した空蝉を追って。

 

 

 

 

 

 

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