the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百三唱——結び目をほぐしたその中に、知りたくもない事実を知る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白煙立ち込める演習場内、空蝉の背中は消えては垣間見え、それを繰り返して尚、先を行く。向かっているのは先程、喧騒を感知した方角だと思われる。

 抜き身の刀──叢雲というらしいそれを携えて向かう空蝉が何を考えているのか。

 それは誰にもわからない。

 

「スィンさんっ、どうしちゃったですの?」

「──術が、暴走した。空蝉が勝手に動いてる。この中、譜術が制限されるって言ってたのに、全然それらしい影響もないし」

 

 演習場へ入る直前のこと。勝手に言葉を発したため、すわ暴走かと慌てて手綱を握りなおしたら制御可能だった。単に空蝉でできるようになったことが増えただけかと思いきや、突然の暴走である。

 もしかしたら制御可能と見せかけて、暴走するタイミングを見計らっていたのかもしれない。

 すなわちそれは、空蝉が知性を──自我を得たということになるだろう。

 

 空蝉自体は、別に秘術でもなんでもない。

 仲間達の誰もがそうと勘違いして尋ねてこないが、こちらはコンタミネーション同様ディストが持っていた資料を参考に構成したれっきとした譜術である。

 ディストが持っていた資料──フォミクリーの礎となった、譜術レプリカの理論。

 現在こそレプリカはフォミクリーによる作成が主となっているが、ルーツを辿ればジェイドが恩師を──否、破損したネフリーの人形をレプリカとして生み出したことから始まる。

 スィンは、作成したそれを自分を模した囮として、自分の意のままに操れるよう──自我が生まれないよう調整した。

 攻撃されたと感知すれば消滅するよう、意図的に脆弱性を高めたもの。それが空蝉だ。

 

「でもこの中、全然譜術が使えないみたいですの」

「ん?」

「見てくださいですの」

 

 スィンの頭から飛び降りようとしたミュウをすくい上げ、両手に乗せる。

 彼はぷい、と横を向いたかと思うと。

 

「ふぁいやー!」

 

 火を吐いた。

 しかし。

 

「……ミュウ?」

「これで全力ですの。これじゃボク、お手伝いできないですの……」

 

 普段見る彼の火吹き芸を鑑みるに、ふざけているのかと思うほど炎に勢いはなかった。

 以前ミュウはまだ子どもだから、本来火は吹けないのだと聞き及んでいる。しかし、ソーサラーリングを装備している関係で、その能力は強化されているはずなのだ。

 それなのに、これは。

 

「土に隠れて見えないけど、譜陣はちゃんと機能してるんだ……」

 

 演習場内全域に設置された結界の存在を話し、とにかくミュウにこれ以上の同行は危険だと説く。

 これまでも戦闘となれば時に道具袋に、あるいはイオンと共に避難していたミュウはしょんぼりと頷いた。

 

「みゅうぅ……」

「ミュウが来てくれて、すごく嬉しかった。心強かったよ。でも後で、フリングス少将と一緒に引き上げて」

 

 ミュウの説得が済んだところで、まずは暴走した空蝉をどうにかしなければならないことに変わりない。

 ミュウとのやりとりで空蝉の背中は見失ってしまっている。再びミュウを乗せたスィンは、その場から駆け出した。

 いかに空蝉といえども、存在する以上それなりの質量が存在する。

 ぬかるむ地面に残った足跡を辿って駆けていたスィンは、不意に立ち止まった。

 

「スィンさん?」

「……目をつむって。いいと言うまで、開けちゃ駄目」

 

 戸惑うミュウの肯定が聞こえなかったから、だろう。

 スィンはヘッドドレス──フリルがあしらわれた帯状のそれを外した。

 乗せられていたその場所をすくわれて、転がってきたミュウの瞳を覆うように巻きつける。

 

「みゅっ!?」

「ごめん、見せたくないの。しっかり掴まっていて」

 

 あしらわれたフリルこそ白く薄いものだが、布地は黒だから透けて見えることはないだろう。直視さえしなければ、なんでもいい。

 スィンが向かう先、空蝉がいるだろうと推測されるその場所もまた濃霧が漂っているはず、なのだが。

 近づくにつれて、赤い靄らしきものが確認できる。断続的に浮かんでは消えていた飛沫は、霧と混ざってしまったのだろうか。色つきの霧は、近寄るに連れてどんどんその色を濃くしていく。

 ミュウとてこれまで、ルークと共に旅した身だ。刃傷沙汰に縁がなかったわけでも、伴って凄惨な戦場の光景も目にしている。

 それでも見せたくない。その理由は。

 

「……ひぃ、ふぅ、みぃ……」

 

 ぬかるみに水分が足されたのか、僅かに足を取られる。

 そのすぐ横にわだかまる物体を見ないようにしながら進んでいくと、ようやく目的まで到達した。

 漂う臭いで察したのだろうか。目隠しを取ろうと短い手足を振り回して騒いでいたミュウは、いつしか口を閉ざしてじっとしている。

 すでにスィンの制御を受け付けない空蝉は、優雅に腰掛けて足を組み、何かを数えていた。

 

「よ、いつ、むぅ……」

 

 土の敷かれた演習場内に、腰掛けられるようなものなど本来存在しない。彼女の尻の下には、黒と白の縞模様がのぞいている。

 それは、人が着る被服の形をしていた。おそらくは囚人服、それも中身入り。ひとつだけではなく、五人ほど折り重なっている。

 そのような扱いを受けても彼らはぴくりとも動かず──いずれも、首が胴体から離れて転がっていた。

 犯人が空蝉であることを語るかのように、色つきの水たまりへ放り出されるようにして、カンタビレの愛刀が柄だけ顔を出している。

 向かう最中派手な血飛沫を幾度も確認したし、カンタビレの得物はスィンの所持する血桜と形こそ大きく異なるが同系統の武器。

 扱いは慣れているはずだ。空蝉に記憶があるならば。

 周囲に散らばる様々な武器を見るに、この囚人達は丁度交戦中だったのだろう。

 そこへ空蝉が乱入、制圧し勝利の証たるバッジを強奪して数えている真っ最中、か。

 その結果が示すのは、空蝉はスィンの持ちうる戦闘技術を少なからず習得しているということ。

 そして。

 

「はたちあまりここのつ、みそじ。みそじひとつあまり……こんなものですか。先は長うございますね」

 

 霧に遮られ視認こそ叶わないが。それだけの人数がこの場所に集っていて、空蝉はそれらを屠ったことになる。

 演習場に足を踏み入れたそのときから喧騒はもう発生していたから、皆殺しにしたわけではなさそうだが。

 叢雲という銘らしい刀を取り上げ、状態を見る。血のりと泥にまみれて酷い有様だが、幸いにも刃こぼれや破損の類はない。

 

「あくまで借り物に、そのようなヘマはしません」

 

 バッジを数え終わった空蝉が、まるでスィンの思考を読み取ったかのように発言する。

 立ち上がったのを見て、スィンは警戒するように後ずさった。

 相変わらず空蝉は、スィンからの支配を──チャネリングを受け付けない。

 スィンのものでありながら異なるニュアンスを覚えたのか。目隠しをしたままのミュウが、怯えたように誰何した。

 

「だ……誰、ですの?」

「誰でもない。私は空蝉、空っぽの抜け殻。与えられた人体情報を映す鏡でしかない」

 

 空蝉が流暢に語る言葉に何ひとつ間違いはない。

 ただそれは、チャネリングを使って操り人形にした代物で、今の空蝉──彼女に該当するかどうか、定かでない。

 

「そんな口の軽い人形を作った覚えはない? 当然です。術が暴走しているのですから」

「自分が人形だと、自覚はあるんですね」

 

 鏡に話しかけるようなおかしな錯覚に陥りながら、直視しないようにミュウを眼前に掲げて確かめる。

 よもやゲシュタルト崩壊はしないだろうが、念には念を、だ。

 空蝉が唇を歪めているのがわかる。笑っている、のだろうか。

 

「正確には、模造品(レプリカ)。そう、私にはあなたの記憶がある──譜術レプリカにはある程度の記憶が継承されています」

「!」

 

 空蝉が暴走した──自我を得た瞬間に浮かんだ仮定。

 道徳や倫理を彼方へ吹き飛ばすおぞましいそれを肯定する形で、空蝉は言葉を紡いでいく。

 表情こそわからないが、その様子はまるで、おしゃべりが楽しくて仕方のない様子で。

 ──嫌悪感が収まらない。

 

「この譜術の基礎は、ネイス博士のところから拝借した資料を参考にしたものでしょう。正確にはバルフォア博士が考案したものを」

 

 ただ、資料をそのまま術に反映させれば出来上がったレプリカが暴走することは構築した本人が検証済み。

 そこで構成要素が均一になるよう第七音素(セブンスフォニム)で統一した。

 廃棄も容易にするために、更には自我も生まれないよう根本を大分いじって、ほぼ別物になったはずだ。

 構築した本人──ジェイドが見ても気づかれなかったくらいだから。

 それでも、眼前のレプリカに記憶が継承されているということは。

 

「確か。レプリカの彼女はどこかに封じられているという話でした。一部の音素(フォニム)が欠落して精神の均衡は保てなくても、記憶があるのなら」

「……やめて」

「ネイス博士、ご存知だったのでしょうか。本人蘇生からいつの間にかレプリカを造ることに集中し始めたから見限りましたが、記憶の継承を知っていたとしたら? 記憶のないまっさらなレプリカに、抽出した海馬の情報を書き込む技術さえ確立させたら」

「やめて、やめて! 死んだ人は戻らない、そんなの生き返ったことにはならない、つぎはぎだらけのお人形なんて、いらない!」

 

 何の制限もなしに可能か不可能かで考えるなら、おそらく可能だろう。

 フォミクリーの原案を構築したバルフォア博士、譜術だったフォミクリーを譜業に転写したネイス博士の知恵と技術の粋を束ねたならば。

 ケテルブルクが誇る天才達が力を合わせたなら、出来ないことは何一つないだろうと誰かが言っていた。

 ただ、それは過去の話。

 生体レプリカを禁忌としたバルフォア博士──ジェイドが、そんなものに賛同するとは思えない。思いたく、ない。

 それに。

 

「あくまである程度の記憶しかないのに、そんなことしたってっ」

「お母さんが帰ってきたことにはならない? まだ喩えの範疇だというのに、せっかちなオリジナルですね。脳みそまで退行しましたか」

 

 その辛辣な一言で、スィンは現実へ引き戻された。それまで話していた内容をすべて破棄、現状の打開を図りにかかる。

 何をしなければいけなかったのか。

 演習場内に放たれたすべての囚人からバッジを奪う。そのために、再び空蝉を傀儡とする──暴走した彼女を、始末する。

 

「──ええと、精神の異常、破壊衝動、一部能力の肥大……だったっけか。この惨状を見るに、交戦能力だけ特化してしまったんだね。術が暴走すれば第七音素(セブンスフォニム)製でも譜術レプリカでは副作用は出てきてしまう。やっぱり譜術で生体レプリカは、限界があるんだ」

「私を失敗作扱いしますか、オリジナル。私はあなたの情報を余すことなく写しているだけなのに」

 

 会話が成立していることを考えると、精神異常の程度は低そうだが、暴走した時点で失敗作以外何者でもないと思う。

 ──と。

 

「──こんなことしてる場合じゃない」

「ええ。夢物語に現を抜かしている場合ではありません」

 

 まるでスィンの独り言に同調するかのように、弄んでいたバッジをポイと投げ捨てて、立ち上がる。

 そのまま彼女は、スィンが手にしていた叢雲を取り上げた。

 抵抗はしない。その理由は。

 

「囲まれた……」

「先程のような烏合の衆ではありませんね。どうせ最後は一人になるのに、どうやってこの人数をおまとめに?」

 

 返事はない。

 視界不良の現状、声による索敵は見破られてしまったか──と思いきや。

 

「へへ、それはな「そこですね。さようなら」

 

 空蝉は躊躇なく、手にしていた叢雲を投げつけた。けぶる霧の向こうで、赤い飛沫と断末魔が上がる。

 叢雲の刃は見事対象を仕留めており、空蝉がそれの回収に勤しんでいると。

 

「な、なにしやがるこのアマ……!」

「殺しました。では、さようなら」

 

 一人のお調子者が消えたことで、また一人獲物が飛び出した。

 これ幸いと屠れば、事態を察したらしい囚人達のざわめきがじわじわと広がり始める。

 

「おい、話が違……」

「そこっ!」

 

 事前にどんな話が通っていたのやら。気にはなるがどうでもいい。

 棒手裏剣を声がした方へ投げつければ、「いてっ!」と悲鳴が上がった。

 視界が悪くて狙いがつけられないこともさながら、子供の投擲で致命傷を与えることはやはり難しいらしい。

 

「オリジナル。手持ちの飛び道具、全部寄越しなさい」

「なくされたら困るから却下。コンタミネーション使えないでしょう。あと、あなたはボクの持つ武器を使っちゃいけない」

「飛び道具は本来消耗品であるはずです。確かにそんな規則ありきの場所ですが、発覚さえしなければ何の問題もないかと」

「ダメ。これ以上ケチをつけられる材料は増やさないから」

 

 自分と対話をしている。

 打てば響くような返し、それはすべて自分なら──自分が空蝉の立場なら間違いなくこねたであろう屁理屈で。

 空蝉を起動し続けていることも手伝い、そこはかとない吐き気を覚えていると。

 

「あ」

 

 呟きが聞こえたと同時に、振り返ったプチスィンに向かって何か降ってきた。

 それまで空蝉に着せていたはずの、黒外套。

 降ってきたそれを回避して向こう側に見えたのは、武器なのだろうか。

 アイスピックを片手に驚愕する囚人と、地に転がる叢雲の姿だった。

 

「き、消えたぁ!?」

 

 ──会話に夢中になっていたのか。空蝉が男の接近を許した挙句、攻撃を受けて消滅した。

 自分の手元と黒外套を交互に見やって、混乱の色濃い囚人の後ろへ回り込む。

 再び、空蝉を練り上げた。転がるカンタビレの愛刀を掴み、そして。

 

「ふう、危ない危ない」

「ぎゃあっ!」

 

 制御は──可能。チャネリングによる支配に抗うこともないまま、空蝉は問題なくスィンを演じている。

 もしたしたらまた、制御されているフリで暴走のタイミングを見計らっているのかもしれないが。

 それはあるはずのない空蝉の心をのぞかなければわからない。

 

「ちっ……てめえら、少しは頭を使え! 子供を使うんだ!」

 

 ついにそれに気づいてしまったか。

 弱者の集中攻撃、この状況下では間違いなく有効な策である。

 彼らは知る由もないが、空蝉を操るスィンは本来無防備もいいところなのだ。

 だが。

 

「ミュウ、火を吹いて!」

「は、はいですの!」

「うわっ!」

 

 殺到してきた囚人は、勢いこそないが突如発生した火炎噴射にたじろいだ。

 一瞬でも止まってくれればしめたもの。そのとき彼らは囚人どころか、ただの的と化す。

 プチスィンとミュウに殺到した囚人達は、あえなく叢雲の錆びの元になって命を散らした。

 いくつもの断末魔が、血飛沫が、飛散しては地に伏してぬかるみを増やしていく。

 

「この役立たず共が……!」

「その役立たずと一緒に、お逝きなさい」

 

 徒党をまとめていたであろう、彼らの後ろを陣取っていた最後の一人。首を半ばから切断する勢いで斬りつけて、今に至る。

 残りはいないか逃げたのか。

 スィンとミュウ、二人の周囲にはいつしか誰もいなくなった。

 

「──」

 

 大きく息をついて、まずは空蝉を消す。

 先程空蝉を消された一瞬を除いて術を起動し続けていたスィンは、着用者がいなくなった外套を抱えてへたり込みそうになった。

 暴走した空蝉を消してくれたアイスピックを手に、しばし立ち尽くしていると。

 

「スィンさん、どうなったですの?」

「終わった、よ。片付いたから連中のバッジを集めなきゃいけないんだけど、疲れちゃって」

「じゃあ、じゃあミュウが集めるですの!」

 

 どこまでも役に立ってくれようとするミュウは抱っこしたまま、転がる叢雲を拾い上げて。

 スィンはさっさとその場を後にした。

 

「バッジ、集めないですの?」

「最後の一人になったら嫌でも持ってることになるんだから、慌てて集めなくてもいいよ。かさばるし荷物だし、別にいらないし」

 

 そして、スィンですら触りたくないのに、ミュウにあんな血まみれの物体を集めさすわけにはいかない。

 まずはフリングスを見つけてこの無邪気な聖獣をこの場から避難させなければと、スィンは自分がやってきた方角を定めて歩き出した。

 周囲を見回せど、視界は濃霧にまみれ、垣間見えるは累々と伏す屍のみ。

 そんな状況でやってきた方向を特定できるわけもなく、スィンは自分の足跡を探してひたすら下を向いていた。適当なところで、ミュウの目隠しを外して一緒に探してもらう。

 正確には空蝉と、それを追いかけた自分の足跡。戦闘になったせいで足元はぐちゃぐちゃにつき探索は難航を極めたが、あきらめたところで行き着く先は迷子。

 ミュウさえいなければそれでもよかったかもしれないが、彼を最後まで巻き込むつもりもない。

 監視役と離れたことでどんなペナルティを寄越されるかもわからないし、現在主だった武装がないカンタビレがフリングスと別行動を取る可能性は低かろうと考えて、当面は二人と合流することを考えて行動しておく。

 ふと。不意に体を強張らせたスィンは、唐突に地面へ伏せた。

 驚くミュウそっちのけで片耳を地面に押し付け、何かを探るように耳を澄ませる。無論のこと手も顔も泥まみれ、血まみれになるが当人が気にした風情はない。

 身を起こすと同時に少女は、ミュウへと迫った。

 

「ミュウウイングは? できる?」

「は、はいですの!」

 

 体に対して大きな耳を羽ばたかせるように動かし、チーグルが宙を舞う。

 ソーサラーリングを掴むことで共に中空へ飛ぶスィンに、一体何事かと尋ねようとして。

 

「みゅうううっ!?」

 

 ミュウのつぶらな瞳が、大きく見開かれた。

 大地──土の敷かれた床が、発光している。

 それに伴い、パチパチッと空気が爆ぜる音が鳴り、明滅のたび輝く雷光が帯電の気配をありありと示していた。

 

「ノーム、足場を!」

『心得た~』

 

 滞空し続けるにも限度がある。

 それでも普段ならしばらく浮遊できるものの、結界の影響なのか。術者のミュウは早くも自分達が落ちかけていることに気づいた。

 それを伝えようとして、自分だけが滞空していることに気づく。

 自分の体重を支えきれず落ちたのかと、ミュウは悲鳴じみた調子で彼女を呼んだ。

 

「スィンさんっ!?」

「ありがと。降りてきて」

 

 ミュウウイングを使用するにあたって天井のみを見ていたミュウだったが、気が抜けたように停止する。

 ほんの僅かな浮遊感のち、チーグルの体は小さな両手にしっかと受け止められた。

 

「降りちゃダメですの! バチバチ、痛いですの……?」

「大丈夫。避難したから」

 

 言われて、ミュウは初めてミュウの足元を見た。

 丸っこいフォルムのおでこ靴が踏みしめるは、水分を多量に含んだ土ではない。

 硬質な岩のような──

 

第二音素(セカンドフォニム)で大っきな石を作ったですの! すごいですの!」

「感電したくないからね。早く収まってくれないかな」

 

 二人が乗れるほどの大岩を作成した影響か。周囲の土は失せて、むき出しの床には展開した譜陣の一部が浮かび上がっている。

 床そのものに雷気はなく、帯電するは湿った土の範囲のみ。おそらく譜術によるものだが、結界は起動したままだ。

 如何なる手段を用いたのか──

 積極的に解除する方法が見出せない今、とにかく永続性がないことを祈るしかない。

 その祈りが天に届きでもしたのか。唐突に、発生していた雷撃は失せた。

 

「ミュウ、どうかな」

第三音素(サードフォニム)、なくなったですの。もう大丈夫ですの」

 

 ミュウのお墨付きも貰って、床に降り立つ。

 注意深く見やるも、再び電撃が放たれる気配はない。

 

「ミュウアタックでこの岩、壊せる?」

「任せてくださいですの! お茶の子さいさい、ですの!」

 

 先程電撃から避難するために発生させた岩を砕いてもらうことで隠滅し、一応このことは隠しておく。

 制限のせいなのか、幾度か繰り返してもらってようやく大岩は土に紛れる程度の代物へと成り果てた。

 そこへ。

 

「いた、あそこだ!」

 

 カンタビレの声音と、二人分の足音を聞きつけたスィンは、瞬時に空蝉を起動した。手首から足首から、体の線にぴったりと添う材質の水着をまとうスィン本来の姿が、顕現する。

 霧の向こうにまぎれていた二人分の影が、やがてはっきり浮かび上がった。

 無手のカンタビレ、佩剣していたサーベルを手にしたフリングス。彼は転びでもしたのか、青い軍服のそこかしこに泥を払った痕跡が見られる。

 外套を着せて叢雲を持たせた空蝉が進み出た矢先、横っ面にカンタビレの手のひらが飛んできた。

 首をそらすことで回避、そのまま飛んできた拳打からも逃れて、プチスィンを抱えて突き出す。

 少女の盾を前にして、カンタビレは苛立ったようにうなりながらも、攻撃を止めた。

 

「いきなりご挨拶ですね。ご立腹ですか?」

「ああご立腹だとも! 覚悟はできてるんだろうね!」

 

 憤然と言い放つ彼女の怒りを如何にして静めるべきか。

 とはいえ、暴走した空蝉の所業を考えれば、何をしようと怒らせることしかできないか、と考え直して。

 スィンは煽ることにした。

 

「覚悟ぉ? 自分が油断してたせいで武器を取られてさっくり逃げられて、何私のせいにしてるんですか」

「ぐ……」

「自分の失態を罪人になすりつけるだけの単純極まりないお仕事ですね。いや羨ましい。私にはちょっとできませんけど」

 

 スィンはスィンで、自分の犯した規則違反スレスレの行為をカンタビレの失態としてなすりつけているわけだが、怒りと屈辱に震えるカンタビレにそれを指摘する余裕はない。

 彼女は彼女でスィンに規則の詳細を語らなかった落ち度がある。譲歩してやる気は皆無だった。

 唇を噛んで黙り込んでしまったカンタビレはさておき、空蝉はフリングスを見やった。

 

「では少将。お手数をおかけしました。ミュウを連れて速やかにご帰還ください。ミュウ、みんなによろしく……」

 

 プチスィンの後ろから覗き込むようにしてミュウをフリングスへ渡すよう促す素振りをした空蝉が、そのまま固まる。

 プチスィンの腕の中で、何か考え込むような風情のミュウを見て。

 

「ミュウ?」

「決めましたの!」

 

 まさか、やっぱり戻るのをやめてスィンと一緒にいると言い出すのだろうか。

 内心慌てるスィンの予想を裏切って、ミュウは朗らかにプチスィンへ振り返った。

 

「スィンさん」

「な、なあに、ミュウ?」

「このソーサラーリングを持っていってくださいですの!」

 

 そう言って、彼は胴に抱え込むようにして装備していたソーサラーリングをスィンの手のひらに置いた。

 

「……なんでそうなる」

「みゅう。みゅみゅうう、みゅうみゅ……」

 

 装備していないせいだろうが、チーグル語で理由を述べられても、ただひたすら愛らしいだけだった。

 大仰な身振り手振りで一生懸命何かを伝えようとするミュウに、一度ソーサラーリングを装備させて詳細を尋ねる。

 

「どうしてそういうことになるの」

「ソーサラーリングは特別な響律符(キャパシティコア)ですの。お守りですの」

「あのねえ。それはただの響律符(キャパシティコア)じゃなくてチーグルの長老からの預かり物でしょ? ボクが無事に戻れるかもわからないのに、預けるなんて」

 

 下手を打てば紛失、損壊の危険もあるのに、何を考えているんだと続けて。

 小さな聖獣の言葉に、面食らった。

 

「絶対返してもらわないとダメですの。だからスィンさんは必ず戻ってきて、ミュウにソーサラーリングを返してくださいですの」

 

 約束ですの! と指きりのつもりだろうか。ミュウは小さな手を目いっぱい伸ばしてくる。

 ──まったくもう。

 小さく嘆息したプチスィンは、伸ばされた手に指を一本あてがった。

 人差し指を。

 

「みゅうう、スィンさん。指が違うですの」

「指きりはできない。絶対に守る保証もない約束はできないし、ボクは針を千本も飲み込めない」

 

 この場合、約束を破ることはスィンの死を意味するから、どのみち飲むことは出来ないが。

 

「だから、ボクなりに守らなきゃいけない誓約を立てるね」

 

 そして、スィンは自分が身に着けていた首飾りを外した。

 常日頃片時も外さない、胡桃大のロケットペンダント。

 

「みゅ?」

「ガイ様以外に渡すのは初めてだよ。これと、ソーサラーリングを必ず交換に行くから」

 

 たとえ両足が砕けても、この眼が潰れても。これまで立ててきた、ありとあらゆる誓いを破ってでも。

 まるで自分へ言い聞かせるように唱えながら、ミュウの首にロケットペンダントをかける。

 ロケットの部分を持って引きずらないようにしているミュウを、フリングスに預けた。

 

「……そっちの方はカタがついたね。次はあんただよ」

「お早い回復で何よりです」

「戯言はいい、叢雲を返しな。あと、チビちゃんに持たせてる武器を没収。今みたいにあたしの目を盗んで使われちゃ困るからね」

 

 監視から故意に離れたペナルティを課すと、彼女は締めくくった。

 空蝉が暴走し時点で大なり小なり予測できた展開である。了承して、空蝉は手にしていた叢雲をカンタビレに返還した。

 

「ったく、こんな泥まみれにして……」

「持ち物を使わないためにお借りしたのですがね。まあ、あなたがそうおっしゃるなら従っておきましょうか」

「気持ち悪いくらい殊勝な態度だね。やらかす前フリかい?」

 

 先程の交戦で、囚人が所持していた武器を忍ばせてある。こうなった以上、刀にこだわる意味もない。

 プチスィンが所持していた短刀と譜銃、それからカンタビレに預けた血桜。

 主な武装はそれだと告げると、彼女は迷いなくフリングスにそれを渡した。

 

「その仔と一緒に、お仲間に渡してあげて。あたしが持ってたらまた盗られちまうからね」

「奪われるのが前提なんですね。情けなっ」

「うるさいね! そのソーサラーリングとやらも没収するよっ!」

 

 みゅうみゅうと苦情が聞こえる中、カンタビレはそんなことを言って凄む。

 が、少女から物を取り上げるという強硬手段はとられなかった。

 その代わり。

 

「何せ、遺品が一切残らないかもしれないんだからね。先にとっとくのも手だろ」

「その辺りはご心配なく。こうなった以上、いざとなればあなたを盾にしてでも私は生き延びます」

 

 あっさりばっさり返されて、カンタビレが言葉をなくしている間に。スィンは気になっていた事柄をフリングスに尋ねた。

 

「ところで、転倒でもされましたか?」

「ああ、実は「フリングス、その辺にして、余計な情報を与えないでおくれ。その仔を連れてきたことを『あたしは』不問としておくけど、これ以上は見逃せないよ」

 

 とはいえ。二人の格好を見れば、多少は推測が立てられる。

 フリングスだけに泥を払った痕があることを考えると、あの電撃は定期的に発生するもので、それを事前に知っているカンタビレの足裏には絶縁体が仕込まれているから無事、とか。そうでない少将は電撃の影響で転倒してしまったとか。

 

「──では、ご武運を」

「みゅ! みゅうっ!」

 

 しかしこの霧だらけの中、どうすれば方向違わず入り口まで向かえるのか是非教えてほしい。

 ミュウと共に去りぬフリングスの背中を見送って、スィンはそんなことを考えていた。

 

「そうそう。拾った武器なんかは申告しておいたほうがよろしいですか?」

「ああ、望ましいねえ。これであんたは一切武器を持っていないはずだから、見慣れないもん見つけたら即没収だからね」

 

 本音として、無手は厳しい。それは回避するべき事態である。

 拾ったアイスピックを示して、最後にカンタビレは尋ねた。

 

「バッジは? あんだけ盛大に脱走しておいて戦果なしってことはないだろ」

「その辺に転がっているかと」

 

 横着しないでとっとと拾え、とどやすカンタビレに適当な返事をしながら、スィンは嫌々戦場だった場所へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ひぃふぅみぃ。この数え方はひとつふたつみっつという和語の数え方から「つ」を省略した数え方だそうです。
10は「とお」当時の発音は「とを」11になると「とお あまりひとつ」
20(はたち)30(みそじ)40(よそじ)50(いそじ)60(むそじ)70(ななそじ)80(やそじ)90(ここのそじ)
「ち」や「じ」を省略することもあるようです。
100は「もも」百の単位は「ほ」で200だと「ふたほ」
1000は「ち」10000になって「よろづ」
よく八百万と書いて「やおよろず」と読みますが、これは和語による数え方だったのですね。
勉強になりんした。
百万の数え方だけよくわかりませんが、八百が「やお」で万の単位が「よろづ」だから百万で「ももよろづ」だと思われます。
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