the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百五唱——天秤はどちらへ傾くのか

 

 

 

 

 

 

 

 フリングス少将とミュウが謁見の間に戻ってきたのは、二人が雑談に興じていた最中のことである。

 フランシス・ダアトのくだり。まるで当事者が過去を語るかのような言動は、カンタビレの罵倒に耐えかねて、彼女の意表を突くためのブラフだろうとジェイドが推測を立てたところで、閉ざされていた扉が開いた。

 

「失礼します、陛下」

「みゅっ! みゅみゅうっ!」

「フリングス……」

「ミュウ!」

 

 画面の中の二人は未だ会話を交わしているが、誰もが二人に注視した。

 フリングスが帰還を告げ、ミュウが彼にぺこりと頭を下げている。

 結果として彼らはディスト関連の話を聞き逃しているが、当事者達にとっては幸いに当たるだろう。

 

「お前、いつの間に、いや、なんつーことを……!」

「みゅ?」

 

 人の言葉を話せずとも人語は理解できるのか。はたまたそうでないからなのか。ルークに耳を掴まれてもミュウは首を傾げるばかりで、文字通り話にならない。

 仲間達がミュウに注目するのを横目に、ジェイドはフリングスが跪いてピオニーに頭を垂れるのを見ていた。

 

「差し出がましい真似をしました。如何様な処分も謹んでお受けします」

「みゅう! みゅみゅうう、みゅっ!」

 

 それに対する返答がされるよりも早く。

 ルークの手からするりと抜けたミュウが跳ねるようにしながらフリングスの前へ転がり出た。

 そのまま何かを訴えにかかるミュウを慌ててルークが回収するも、ピオニーは意に介していない。

 苦い表情を崩さないまま、フリングスを見下ろした。

 

「……何の言い訳もないのか」

「ありません」

「やりすぎだと思うのか。ジェイドを殺しかねない女だぞ」

「過去、彼女と陛下の間で何があったのか。私にはわかりません。カーティス大佐との確執も。ですが、被害者であるはずのカーティス大佐から何の申告もない以上、その理由でこの刑罰は過剰です。軍属詐称のみ、しかも実際に何らかの被害があったわけでもないのに……」

「いえ。あとは不敬罪があります」

 

 促されて口を開くフリングスの口上を止めたのは、騒動の渦中にありながら黙しがちだったジェイドだった。

 

「目撃しているのが私とブウサギ五匹しかいませんが。確かに陛下を突き飛ばしていたので、不敬罪は妥当です。怪我をしていないから不敬罪なのでしょう?」

「まあ、そういうことになる。咄嗟に受身なんか取るもんじゃねえな……お前も何か言いたそうだな、ジェイド」

 

 皇帝の問いかけに、懐刀は軽く肩をすくめて口を開いた。

 

「私の身を案じてくださる慈悲深い陛下の御心には感謝感激雨霰、言葉にしきれないほどなのですが」

「体裁はいい、省略しろ。それはさっき聞いた」

「いえ、不敬罪はご勘弁ですので──私はもう、彼女に我が身を差し出しました。いつ殺してくれても構わないと、告げてあります」

 

 聞き逃せないそれを聞かされて。体裁と言う軽口に破顔しかけたピオニーは顔を引きつらせた。

 

「お前、いつのまに……! なんつーことを!」

「旦那、そりゃどういうこった!? そうするまでのことを、あいつにしたのか!」

「……私の役割を彼女は理解しています。本格的に暗殺に怯えるべきは、この件の何もかもが収束してからでしょうね」

 

 そう言って。仲間内、主にガイからの詰問も何もかも答えぬまま。

 彼は再び、スクリーンに目をやった。

 

『逆恨み……逆恨み、ね。そうなのかもしれません』

『! あんた、あの死霊使いにコナかけたってのかい!?』

『コナかけたなんてそんなちょっとホレちゃっただけですあんな色男なんだから多少色目使ったって不自然じゃないでしょう結局はねつけられちゃいましたけどっ』

 

 そこには、嘘八百を並べ立てる彼女の姿がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!」

 

 乾いた銃声にいち早く反応したのは、スィンを扮する空蝉だった。

 その場に伏せることで視認し難い銃弾は回避、身を低くしたまま前進しようとして。

 その後ろで、悲鳴が上がった。

 

「うあっ!」

「流れ弾には気をつけろと言ったのに。不運な方ですね」

 

 立ち位置が悪かったとしか言いようがない。空蝉が回避したことでカンタビレが被弾したらしく、太腿の辺りを押さえて呻いている。

 押さえた手の隙間から、赤いものがにじんでいた。

 

「大丈夫ですか?」

「う、うっさい! あんたは自分達の心配だけしてなっ!」

 

 負傷具合を診ようとして、しっしっと追い払われる。これだけ元気なら大事はなかろうが、放っておくわけにもいかない。

 彼女が空蝉だけを睨んでいることをいいことに、スィンは胸元のリボンを外して近寄った。

 

「それなら、血止めだけでも」

「あっ」

 

 手早く患部にリボンを巻きつけて、応急処置とする。真白の絹は瞬く間に血の色を吸い込んだ。

 出血量から察するに動脈は無事のようだが、銃弾がかすっただけ、でもない。治癒しない限り、普通に歩くだけでも難しいだろう。

 

「譜銃でよかったですね。鉛弾(なまりだま)は取り出すのが大変ですよ」

 

 苦い記憶がちらりと横切る。振り払うように頭を振ると、空蝉もまた同じように頭を振った。

 チャネリングで回線を常時繋げているため、気を抜くと空蝉はスィンと同じ行動を取る。

 何事もなかったように、アイスピックを取り出させて──空蝉ともども凍った。

 この感覚は、二度目。一度目はミュウと共に来た方角を探してさ迷っていた時。土の下に描かれた譜は二種類あるのか、あるいは結界が吸収した譜力を放出する仕組みなのか。

 とにかくぬかるんだ土の下には譜陣が存在し、かすかに第三音素(サードフォニム)の気配を漂わせていた。

 あの時はミュウとノームの協力で何とか凌いだが、カンタビレがいる以上、彼女の目に付く限り同じ手は使えない。

 ならば。

 

「さてでは、ここでお待ちください。すぐ戻るよう努力する姿勢だけはとりますので」

「それじゃあ監視にならないだろ!」

「動き回らないほうが身のためですよ。とはいえ、あなたの都合に合わせていたら命がいくつあっても足りません」

 

 これは、事実。このまま立ち往生していたら雷撃発生で全身満遍なく痺れたのち、包囲網完成で四方八方からしこたま殴られることだろう。

 否、殴られるだけで済むとは思えない。

 

「出血も過多気味ですし、救護兵呼んだほうがいいと思います。連絡手段ならおありでしょう」

 

 まだ何か言い募ろうとするカンタビレに、耳の辺りを示してみせて。スィンは空蝉を伴い、その場を後にした。

 図らずもまたカンタビレを置き去りにした形だが、今回ばかりは仕方ないはずだ。

 あの負傷をスィンのせいにされて全兵士動員による死刑にされたらたまったものではないが、今のスィンは銃を持っていないし、もしやるとしたら間違いなく彼女の足ではなく頭を射抜いている。殺意があるなら生かしておく理由がない。

 もしもの話はさておき、今はもうすぐにでも発生する雷撃をどうにか回避せねば。

 ふと、ソーサラーリングに触れる。

 ユリアにまつわるものとされていながら、スィンが触れても何も起こることはなかった。

 ガイの妹として振舞っていた頃も、そうでなくなった今も。

 フォンスロットに接触して強化されたリングを確かめた二度とも、警戒しながら触れたのだが、ただひどく懐かしかっただけ。

 チーグルがユリアとの契約の証がどうのこうの言っていたが、スィンには関係ないものか──

 ソーサラーリングに刻まれた文字に指を這わせる。

 あのときは単語しか読み取れなかったが、子供の小さくて繊細な手だからなのか。

 指の先からは正確な文字が読み取れた。

 

「三界を流浪する旅人よ。流転を好む天空の支配者、天空を踊りし雨の友。シルフ、ヴォルト。汝らの力を此処に示せ」

 

 いつしか指で文字を追うよりも早く、言の葉が口をついて出て行く。

 それに伴って空蝉が雲散霧消したことは承知していたが、詠唱を止めることはできなかった。

 パチパチッ、と足元が鳴る。

 

「──ユニセロスウイング」

 

 ソーサラーリングから朧な光が溢れ、形となった。

 それがユニセロスのふさふさした翼に酷似しているとぼんやり思いながら、リングを頭上へと掲げた。

 ぐんっ、と力強く引き上げられ、体が宙を舞う。

 その出力はミュウウイングと明らかに違い、霧に遮られ、それまで見えもしなかった天井へ到達した。

 鉄の枠で補強された天井には、照明を点す譜陣や何かしらがごちゃごちゃと描かれ……遠くから、悲鳴が聞こえる。

 スィン達を囲んでいた囚人達のものだろうか。野太いものばかりで、カンタビレに該当するような女声はない。

 悲鳴が収まる頃合を見計らい、スィンはゆっくりと下降を始めた。

 霧に遮られて視界不良とはいえ、周囲に他者がいないことを十分に確認して地に足をつける。

 雷撃が発生するより前に集中を解いたせいで、空蝉の姿はない。

 外套とアイスピックを拾い、スィンは歩き始めた。

 ソーサラーリングの思わぬ力の発動に驚いたのもそうだが、譜術を制限する結界と空蝉を起動し続けたせいか。あるいは、この幼い体になった影響によるものかもしれない。

 肉体的にも精神的にも、スィンは疲弊していた。

 空蝉も、もう一度起動させるのが精一杯だろう。次に消滅させてしまったら、少なくとも本日中は起動できない。

 自らの状態を逐一把握、確認しながらも足を動かし──目的地へ到達した。

 カンタビレの共謀か、あるいは渡されたバッジが発信機になっていたのか。とにかくどうにかしてスィンたちの居場所を把握し、包囲しようと目論んでいた囚人達が死屍累々と横たわるその場所へ。

 そこかしこから呻きが聞こえるあたり、痺れているだけで死んではいない。しかし、動けないなら同じこと。

 これからスィンに殺されて、バッジを奪われるのだから。

 

「なんだ……ガキ……?」

 

 仰向けに倒れ、回らぬ舌で遺言を呟く囚人の首に、無言でアイスピックを突き立てる。喉を貫かれた壮年の囚人は、声すら殺され絶命した。

 バッジが一枚、手に入る。

 囚人が手にしていたのだろうか。転がっていた槍──長さは今のスィン程度──を拾って霧の向こうを透かすようにして、動けない囚人を探しては槍の穂先を首に付随する場所へ埋め込んだ。

 ひとつふたつ、むしりとったバッジが増えていく。

 たくしあげたスカートのくぼみに戦勝品を放り込んでいたスィンは、ふと目をこらした。

 痺れから回復したらしい、移動をしている誰かがいる。霧がかっているせいで詳細は不明だが、出くわすのはよくない。

 スィンは今空蝉を連れておらず、血塗られた槍を所持しているのだ。

 空蝉自体は無詠唱、一動作で発動可能だが、もう少しだけ休んでいたかった。

 

「三界を流浪する旅人よ……」

 

 先程は思いつきで、ほとんど意識せず行使したソーサラーリング……ユニセロスウイングを用いて天井まで上昇する。

 もちろんその場に、スカートに溜めていたバッジ総てを放棄して、だ。

 霧の動きかバッジの音か、あるいはすでにスィンがいたことを知っていたのか。誰何の声が上がるも、霧が邪魔で天井近くに滞空するスィンを見つけることなどできないはずだ。

 移動すれば、慣れない譜術で更に消耗し、その分誰かに発見されるリスクが上がる。

 このままやり過ごそうと考えた、その矢先のこと。

 

「!?」

 

 霧が、薄くなった。

 気のせいなどではない。

 音もなく羽ばたく翼の力で飛び続けるスィンが見つめる中、霧の濃度はどんどん薄くなっていく。

 このままでは視界の不備もなくなり、いずれスィンも発見されてしまうだろう。

 空中で、しかもソーサラーリングを使いながら空蝉を起動できない。起動したところで、空蝉を支え続ける自信もない。

 スィンは手にした棒手裏剣で、すぐ傍の照明譜陣を思い切りひっかいた。傷つけられた譜陣から光が喪われ、その場所にだけ闇の帳が落とされる。

 これを何回か繰り返すために、リングの起動は必須。しかも慣れない移動を試みなければならない。

 間に合ったところで、力尽きるが関の山か──

 

『ホラホラヴォルト、あんたの出番よ。派手にやっちゃいなさーい!』

『……俺に指図していいのは我が主だけだ』

『あんた、アタシと違ってただでさえ使い勝手悪いんだから。自主的に動きなさいよ!』

 

 歯噛みしたその瞬間、第三音素意識集合体たちの漫才が始まった。

 正確には、シルフがヴォルトにハッパをかけた、か。

 

『主、一帯の光源を消すのだろう? 助力する、備えろ』

「ちょっと、まっ──」

 

 シルフの軽口に乗ったヴォルトが具体的に何をしたのか。まばゆさを感知して咄嗟に目を瞑ったスィンに詳細はわからない。

 しかし、どうやら設置された照明すべてに彼の力が働いたようだ。

 白だらけだった光景はすべて黒で塗りつぶされ、周辺からは混乱している様が見て取れる。

 しっかり視認しているわけではないが、スィンは夜目がかなり利くのだ。

 少し慣らせば、通常と遜色なく行動可能となる。

 

『え、えぇっと……ありがとう』

『どういたしましてー。もっと頼ってくれていいのよ』

『おい、何でお前が応えるんだ』

『まあまあ、カタいこと言わない。アタシたち二心同体かもしれないんだからさっ! でね、ここに敷かれてる結界なんだけど』

『……一定の譜力を蓄え、第三音素(サードフォニム)に変換して放出する仕組みのようだ。ゆめゆめ油断するな』

 

 かなり好き勝手をのたまった後に、彼らは去ったようだ。

 ──意識集合体達と契約を重ねるにつれ、できることは増えた。

 この間、興味本位でウンディーネが使った状態異常快復の術のことを聞いたら、もとはユリアが使用していたものだからと、彼女はかの術をスィンに授けてくれた。

 いわく、快復術行使のためにわざわざ呼び出されてはたまらない、と。

 意識集合体達と契約したとはいえ、否、契約したから、なのか。望む望まないに関わらず、彼らは何かしらスィンの手助けをしてくれる。

 それはとてもありがたいことと同時に、彼らの力を借りることは危険だと再確認せざるを得なかった。

 厚意に部類するものであっても、スィンには制御できない力なのだ。

 どれだけ強大にして偉大な力でも、御することができないのでは……使用はためらわれる。

 制御しようにも、彼らの力はスィンがどんなに努力しても完璧に扱えるものでもない。何も知らなかったあの頃とは違うのだ。

 そのことを改めて心に刻み、闇に慣れた瞳が周囲の状況を探る。

 異常事態を察知して、兵士が出張ってきたようだ。灯りを手にした集団がひとかたまり、そうでない有象無象がちらほらと視認できる。

 相手が灯りを手にしているなら、それを回避するのもまた容易く。

 地面へ降り立ったスィンは、宵闇に乗じて囚人狩りに徹していた。

 

 

 

 

 

 

 

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