the abyss of despair   作:佐谷莢

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第十唱——行軍

 

 

 

 その後いくらかも経たないうちに、イオンが足を止めて両膝をついた。

 顔色が悪く、息も荒い。

 ティアが傍へ寄り、必然的に全員が足を止めた。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 ルークが珍しく心配そうに声をかければ、いさめるようにジェイドの質問が飛んだ。

 

「イオン様。タルタロスでダアト式譜術を使いましたね?」

「ダアト式譜術って、チーグルのトコで使ってたアレか?」

 

 二人の言葉を肯定するかたちで、イオンは苦しげに答える。

 

「……すみません。僕の体はダアト式譜術に耐えられるようできていなくて……ずいぶん時間も立っているし、回復したと思ってたんですけど」

 

 休憩を提案するジェイドの案に従い、一行はその場に腰を下ろした。

 ついでとばかり、合流したばかりで事情のわからないガイへ状況を説明する。

 

「……戦争を回避するための使者、ってわけか」

 

 確認するようにガイはスィンを見たが、ガイから渡された袋をのぞきこんで眉をしかめている最中だった。

 話に参加しようとする気配はない。

 

「でもなんだってモースは、戦争を起こしたがってるんだ?」

「それは、ローレライ教団の機密事項に属します。お話できません」

 

 すまなさそうにイオンがうつむくが、ルークはそれを当然のように不服としている。

 

「なんだよ、けちくせえ……」

「理由はどうあれ、戦争は回避するべきです。モースに邪魔はさせません」

 

 厳しい表情で言い切るジェイドを横目に、ガイは嘆息しかけて呟いた。

 

「ルークもえらくややこしいことに巻き込まれたなあ……」

 

 話がひと段落ついたところで、イオンがガイへ自己紹介を求めた。

 遠まわしな言い方ではあるが察して、ガイが立ち上がる。

 

「そういや、自己紹介がまだだったな。俺はガイ。ファブレ公爵のところでお世話になっている使用人だ」

 

 スィンの兄でもある、ともう一度スィンへ目をやると、彼女はなにやら棒のようなものをいじくりまわしている最中で聞いていない。

 そのスィンとガイを見比べて、ジェイドはふむ、と顎に手をやった。

 

「お話には聞いていましたが……あなたは虹彩異色症(オッドアイ)ではないのですね」

 

 髪の色や顔の特徴など、似通るところは多々あれど、ガイの瞳は角度によって碧とも蒼とも取れる色をしている。

 まあな、と微妙な笑みを浮かべているガイに、イオンが片手を差し出した。

 握手に応じ、ジェイドとも同様に手を合わせる。

 最後にティアが彼へ近づいたそのとき、ガイは声もなくバッタのように飛び退った。

 

「な、何?」

 

 心底不思議そうにティアは一歩距離を詰めるも、ガイはその分だけ逃げる。

 こんな美人を前にして失礼な、と思えるほど顔が恐怖に引きつっていた。

 ティアが目を白黒させていると、ふー、という嘆息が聞こえ、スィンが二人の間に割り込んだ。

 

「ごめんね、ティア。この人かなり重い女性恐怖症なんだ」

 

 だから握手どころか近寄るのも勘弁してあげて、と締めくくると、ジェイドの茶々が入った。

 

「兄妹そろって異性恐怖症なのですか?」

 

 ぐるんっ、と首をめぐらせてジェイドを睨む。

 

「僕は違います! イオン様やルーク様といった年下の男性なら平気だし、大佐やガイ兄様にだって近寄るだけならできるし!」

 

 怖がっている時点で恐怖症ですよ、というジェイドの突っ込みにスィンが黙ると、ティアは何かをあきらめたように手で額を押さえた。

 

「……わかった。あなたには不用意に近づかないようにする。それでいいわね?」

「すまない……」

 

 スィンが動き、再び自分が座っていた場所へ戻る。

 

「ファブレ公爵家の使用人なら、キムラスカ人ですね。ルークを探しにきたのですか?」

「ああ、旦那様から命じられてな。マルクトの領土に消えてったってのがわかったから、俺は陸伝いにケセドニアから、グランツ閣下は海を渡ってカイツールから捜索してたんだ」

 

 その一言を聞いて、二人の表情が一変した。

 

「ヴァン師匠(せんせい)も捜してくれてるのか!」

「兄さん……」

 

 ルークは喜色満面の笑みで喜び、ティアは複雑そうに影を落としている。

 

「兄さん? 兄さんって……」

「ガイ兄様。彼女はヴァン謡将の妹君なんだそうです」

 

 ちなみに確執の要因は不明です、と引き継ぐ。

 今の今までスルーしてきたものの、とうとうそこでジェイドは彼女へ声をかけた。

 

「ところで、先ほどからあなたは何をしているんです?」

「《魔弾のリグレット》が放棄した武器をいじってます」

 

 譜業銃なんて貴重品ですから、と呟くと、ガイは目の色を変えて妹に迫った。

 

「お前、抜け目ないなー……一丁俺にも寄越せ」

 

 手元からまったく目を離さず、スィンは横の一丁を掴み放り投げる。

 顔面に激突しそうになった銃を受け取って、物珍しげに彼も眺め始めた。

 ──と、そこで。スィンはいきなり銃口をジェイドに向けた。

 

「おや。いきなり殺意が沸きましたか?」

 

 それなら常に持っている。それを表に出せたら、どれだけ気持ちが楽になることか。しかしそれは、出すべきではないのだ。今は、特に。

 

「馬鹿言ってないで、しゃがむか退くかしてください!」

 

 本当に射殺しますよ!? という言葉で、ジェイドは素早くその場を離れる。

 譜力が姿を変えた銃弾は、迫り来る神託の盾(オラクル)兵の兜の隙間にもぐりこんだ。

 真紅の噴水を撒き散らし、仰向けに倒れる仲間に恐れることなく、他の兵士たちは剣を抜いて駆けてくる。

 

「やれやれ。悠長に話している暇はなさそうですよ」

 

 その手に槍を携え、ジェイドは敵を睨みつけた。イオンは邪魔にならぬよう下がり、スィンは銃を捨ててガイ同様剣を引き抜いている。

 ティアもイオンの前に出るが、ルークだけは別だった。

 

「に、人間……」

 

 人間の殺害、という恐怖が蘇ったか、躊躇したように下がり気味である。彼を気遣うようにティアは言った。

 

「ルーク、下がって! あなたじゃ人は斬れないでしょう!」

 

 そんな事情など当たり前だがおかまいなく、兵士たちは迫ってくる。

 前衛を勤める三人はそれぞれ自分の担当した兵士に接敵したが、名高い死霊使い(ネクロマンサー)と対峙した兵士は彼との戦いを避け、武器も構えていないルークへ斬りかかっていく。

 

「ルーク様!」

 

 片刃剣で兵士を仕留めたスィンが、倒れる兵士を蹴りながら警告を叫ぶ。

 ルークは剣を引き抜くと兵士の斬撃をいなし、足払いをかけて転倒させた。

 トドメを刺さんとスィンが駆け寄ろうとするが、ジェイドの腕に制止される。理由を察することはできた。

 この先ルークが戦力となるのか、それとも護衛対象になるのか、この戦闘の結果で左右される。

 起き上がろうとする兵士を前に、ルークは剣を握って戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「ルーク! とどめを」

 

 ジェイドが押しやるように促した。

 やはり彼とて足手まといを増やしたくないのだろう、ルークに戦うことを無意識に求めている。

 

「……う……」

 

 耐えるように目を瞑り、腕を、剣を振り上げ、そのまま降ろそうとした。

 その剣が鋭い音を立て弾かれ、くるくると回転して地面へ突き刺さる。

 

「ボーッとすんな、ルーク!」

 

 ルークの眼前で、起き上がった兵士が剣を構えなおした。振りかぶり、斬りかかる。

 ティアがルークと兵士の間に割り込んだ。

 兵士が剣を振り抜いた直後、駆け寄ってきたガイによって兵士は切り倒され、スィンがその首に刃を押し込む。

 血を振り払って見れば、ルークはしりもちをつき、ティアはその横で倒れていた。駆け寄ると、後ろ側の二の腕、肩に近いあたりに大きめの裂傷が見受けられる。

 外套の裾を切り裂いて彼女の動脈を抑えるように縛ると、ふぅ、と誰かが嘆息した。

 

「今夜は、野宿決定ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 膝に乗せていたティアの体がわずかに動いた。見下ろせば、綺麗な碧玉の瞳がうっすら開いている。

 

「……おはよ、ティア。痛くない?」

 

 起き上がろうとする体を補佐して座らせた。

 即席の止血帯をほどいて、治癒術行使の手伝い──彼女の手を患部へ誘導すると、傷は見る見るうちに塞がっていく。

 大きすぎる裂傷のせいか、完全に消えることはない。それでも、腕が千切れかけたスィンほどではなかった。

 

「……ん。僕のやつより大分まし」

 

 独り言のように呟けば、ティアの瞳がスィンの顔を映す。

 何か言いたそうにしている彼女を微笑みで黙らせ、立ち上がる。

 ティアが気づいたのを見て歩み寄ってきたルークと入れ替わるようにして、木に寄りかかっている兄の前へ座った。

 隣に座っている大佐をじー、と彼の顔を見つめる。

 彼はルークとティアのやりとりを見ながらも、スィンの視線に気づいていた。

 

「どうしました?」

 

 見とれましたか? と、からかう気満々のジェイドの表情が、スィンから突き出された手を見てほんの少し揺らいだ。

 その手に持つのは封印術(アンチフォンスロット)の込められていた箱。その状態で、小さな譜陣が展開する。

 それはゆらゆらと、まるで万華鏡のような不規則さをもって紋様を変えていき、音を立てて消失した。

 

「……これが限界、かな」

 

 箱は音もなく音素(フォニム)へ返る。

 そうしてスィンは、空になった自分の手を見やった。

 

「どうです、大佐? 封印術(アンチフォンスロット)の譜力残滓を解析して、逆側から作動させてみたんですけど」

「……両目の封印術が解けたようですね」

 

 何度か瞬きをしながら、確かめるように目のあたりを触っている。

 そうですか、と無感動に答え、スィンは視線を囲んでいるたき火へうつした。

 

「ホントは今の一回で全解除を促したかったんですけど、やっぱ難しいですね」

「今のやつを何回かくりかえせばいいんじゃないのか?」

 

 俺にはよくわからんが、と続ける兄に体ごと視線を向ける。

 

「できるものならとっくにやってます。ですが、これは他人に直接影響を与える第七音素(セブンスフォニム)だから、もう一回やったら大佐の体が拒絶反応起こすと思いますよ」

 

 精神汚染あたり引き起こすんじゃないですか? と締めくくれば、ジェイドはおおげさに肩をすくめて言った。

 

「それは残念……」

「すみませんね力不足で。でもこれで、多少は譜術、使えるようになったでしょう?」

 

 譜眼を解放したんだし、と呟けば、ジェイドは驚いたように眼をわずかに──ほんのわずかに見開いたが、それ以上なにも言わなかった。

 ガイが真面目な顔でスィンを問い詰めたからである。

 

「スィン、そろそろ話せ。その腕はどうした?」

「名誉の負傷ですよ──では、通じませんか?」

「それはもういい。誰にやられて、具合はどうなんだ」

 

 再会当初はごまかしたものの、戦闘どころか何をしようにも一切使われない腕に気づかれれば最後だ。

 ちら、とルークを見やるが、彼はイオンと話をしており、こちらに気づいている様子はない。

 

「……タルタロスで六神将の『黒獅子ラルゴ』に。もっとも、視界を奪われて武器を振り回しただけだから、あちらは知らないと思いますけど」

「それで具合は」

「動かせますが、千切れそうでちょっと怖いですね」

 

 ガイは無言で見せるように促したが、スィンはそれを拒否した。

 すくっ、と立ち上がり、見回り行ってきます、と腰の剣を確認しながら走り去る。

 追いかけようか迷い、やめてガイはジェイドの隣に座った。

 

「なあ、あんたは知らないか?」

「いえ。残念ですが詳細は知りません。今のところ、しっかりと確認したのはティアだけだと思いますよ」

 

 スィンの走り去った方角を見やる。

 闇に包まれているこの先で、彼女は何を思っているだろうか。

 

「気丈にして忠実な妹さんですね。役立たずと罵られようと、ぞんざいに扱われても未だにはっきりとした感情を見せまいとしているのですから」

 

 しかし、とジェイドは、要らぬ世話だとミュウに怒鳴りつけているルークを見た。

 

「彼には驚かされました。人を殺すのが怖い、というのはわりかし普通の反応だと思いますが、スィンに対して謝罪どころか感謝の言葉もないというのは」

 

 貴族という生き物は、マルクトもキムラスカもあまり変わりませんねえ、と幾分自嘲気味に呟く。

 

「……ま、あいつの場合はもう少し特殊だからな」

 

 そこへ当のルークがやってきた。

 

「スィンは?」

「見回りへ出向きましたよ。──どうしました? 思いつめた顔をして」

 

 事実、彼はどこかうつむき加減で暗い顔をしていた。

 自分のせいでティアを傷つけてしまったことに影響しているのだろうか。

 

「……そ、そういえばジェイド、あんたはどうなんだよ」

「なんです?」

封印術(アンチフォンスロット)ってやつ。体に影響ないのかよ?」

「もちろん無傷ではありませんよ。スィンも言っていましたが、多少、身体能力も低下したようです。今はもう安定しているようなのでこれ以上弱体化はしないかと……そうですね、感覚的には、全身に重りをつけられて海中散歩している感じ、ですか」

 

 スィンの言葉の意味がわかりました、と苦笑するジェイドに、ルークは突っ込んだ。

 

「それのどこが多少なんだよ!」

「おや? 心配してくださるのですか」

「ご主人様、優しいですのー」

 

 意地悪げに言い返すジェイドに便乗し、ミュウがティアのそばで、たき火の反射か眼をきらきらさせている。

 とはいえども、ミュウの場合は嫌味などではなく本心なのだろうが──

 

「ち、ちげーよ! このおっさんにぶっ倒れられると迷惑だから──」

「照れるな照れるな」

 

 ガイが笑いながら言うと、ルークは今気づいたように拳を振り上げた。

 その顔はたき火のせいとは思えないほど赤い。

 

「照れてねぇ!」

「まったく」

 

 ジェイドはそれこそまったく、声の質を変えぬまま言った。

 

「私のことよりか、自分をかばって──」

 

 銃声が思いのほか近距離で聞こえ、その言葉は途切れた。

 

「あー、すいませーん。暴発しちゃったみたいですー」

 

 見事な棒読みで暗がりから姿を現したのは、スィンだった。

 なぜかにこにこ微笑みながら、手に持った銃を剣帯に押し込んでいる。

 

「とりあえず、周囲に怪しい奴はいないようです。魔物にも遭遇しませんでしたし」

 

 ガイとティアの間に座り、誰ともなしに報告した。

 

「し、しかしまあ、考えてみると豪華な面子だよなー」

 

 中途半端に切れた話題を補うように、ガイが指折り数え始めた。

 

「マルクトの死霊使い(ネクロマンサー)だろ、神託の盾(オラクル)騎士団の響長に、ローレライ教団最高位の導師。それにキムラスカの公爵の息子なんて、野盗も裸足で逃げ出しそうだな」

「ガイも、スィンもいますしね」

 

 イオンの言葉に、二人は一瞬顔を見合わせてから同時に顔の前で手を振った。

 

「『いやいや、俺はただの使用人だって』」

 

 なぜか同じ声の同時音声である。

 スィンによるガイの物真似はなんだか可愛らしく、それなりに笑いを誘うものでもあった。

 ひとしきり笑ったところで、ジェイドが両手を軽く打った。

 

 ぱふっ。

 

「さ、そろそろ休みましょうか。私とガイとスィンの三交代で見張りをしますので、三人はゆっくり眠ってください。特にイオン様はまだ体力が回復していないのですから」

 

 話し合いの結果、まずはスィンが見張ることになり五人は床についた。

 木の幹に体を預けながら、この世界の天井を仰ぎ見る。

 きらきら、ちかちか瞬く星が、すべてを見通すような輝きを放つ月が色違いの瞳に映った。

 

 ──ゆっくりと、斬られた側の腕を持ち上げる。

 

 ルークをかばって寸断されかけた腕だが、すぐに治癒術をかけてもらったことが功を奏したのだろう。幸運なことにどうにかくっついていて、奥の手を使えば何とかなるくらいまでは快復に向かっている。

 とはいえ、すぐに治してしまうわけにもいかない。唯一、怪我の状態を確認しているティアが不審に思わない程度に、そして身体に大きな負担をかけないように、ゆるやかに治っていく風を演出しなければ。

 包帯を巻きなおそうとしてふと、視線を感じた。

 金色の短い髪に、蒼玉とも翡翠とも取れる切れ長の眼──ガイ。

 

「如何なさいましたか?」

 

 首を傾げて彼をみやる。彼はなんでもないというように首を振ったが、すぐに彼女を見直した。

 

「持病の具合の方は?」

「お薬さえあれば支障はありません」

「そうか……」

 

 話をそれで終わったものと解釈したらしく、スィンは漆黒の懐刀を取り出した。

 手入れを始めるあたり、もう何も話す気はないらしい。

 怪我の具合を確認する機会を失ったガイは、彼女に背を向けてふう、と息をついた。

 

 

 

 

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