the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百八唱——人殺しは英雄と擁護され、復讐者は人殺しと弾劾される。

 

 

 

 

 

 

 

 一抱えはある太い酒瓶から、あっという間に中身が消えていく。

 男性陣用仮眠室の一角にて。ジェイドは大瓶から直にアルコールをあおっていた。

 

「……ジェイド。失礼します」

 

 きぃ、と小さく扉がきしみ、小柄な人影が現れる。

 今のジェイドに近づいて、唯一何もされないであろう人物──導師イオンだった。

 

「何か?」

「先ほどの話の続きです」

 

 飄々としらばっくれてみせる死霊使い(ネクロマンサー)に、臆することなく向かい合うように腰掛ける。

 

「すでに結論が出ていると思いませんか?」

 

 ぐいっ、と紳士らしからぬアルコール摂取に何を言うでもなく、年若き導師はただ静かに耳を傾けた。

 

「スィンと私の確執がどのようなものであったのか、それを話すつもりはありません。敵意を向けられて平気なのかどうかは、今しがた答えました」

「ですが、このまま放っておいていいんですか!? 今の問題が解決したら、あなたはスィンに殺されるかもしれないんですよ!?」

「──では、訪れる死を避けるために、今のうちに彼女を殺しておけ、と?」

 

 真紅の視線が、導師の反論を戒める。

 

「それこそできない相談です。案外そうした方が、正当防衛を理由にスィンは私をすんなり殺せるかもしれませんが、やりたくありません。かと言って、今私が何かを言えばかえって彼女の機嫌を損ねるだけ……沈黙は金とも言いますから」

「しかし……!」

 

『……れ、とっととねんねしな』

『……ども扱いすんなっ、つーの!』

 

 かすかではあるが、そんな言葉たちが聞き取れた。

 不意に言葉を切り、じっと耳を済ませていたイオンがおもむろに立ち上がる。

 静かに窓を開けば、アルビオールの翼で語り合う二人の会話が流れ込んできた。

 

 

 

 

 

 

「いい加減戻りなってば。風邪引くよ」

「お前こそ、こんなところでうじうじしてねーでさっさと戻ったらどうなんだよ」

「もちろん戻るよ。頭が冷えたら」

「じゃあ俺も、そのとき戻る」

 

 どうでもいい会話が打ち切られ、沈黙が漂う。

 やがて先に口を開いたのは、ルークだった。

 

「スィンはさ……ジェイドにどうしてほしい?」

 

 おずおず、といった形容が良く似合うルークの様子に、わかっていながらついからかってしまう。

 

「ルーク。そう聞いてこいって、大佐にパシられたの?」

「違うって! ほら、俺も……アクゼリュスで、取り返しのつかないことしたろ?」

「うん。まあ、あれはほっといてもああなってたんだけどさ」

 

 これは純然たる事実なのだが、彼はそれを認めることなく話を続けた。

 彼なりに考えたであろう、スィンの望むジェイドの償い方を。

 

「……過程とか、そういうのをおいといて、俺がやったってのが残った事実だ。やらかした者としてどうすればいいのか、何をすれば償えるのかとか、その……俺とジェイドを同じ風に考えてみるのは間違ってると思うんだけど」

「被害者として、加害者に何をしてほしいかってこと? その前に、大佐と僕を加害者と被害者として考えること自体が間違ってるよ」

 

 考えてみれば、彼は大本の原因を知らない。

 直接の関係があると思い込んでいるなら、当然か。

 

「え?」

「だから、僕自身は別に、大佐から直接何かをされたわけじゃないんだよ。その点だけを考えれば、僕は単に逆恨みをしてるってことになる」

 

 一般的に考えて、『母親を殺された』は十分直接何かされた、の範囲に入る。

 しかしスィンはそう考えなかった。考えないようにしていた。

 少年で、色々未熟だったジェイドは事故を起こした。それで結果的に母親は死んでしまったのだと認識することで、復讐を望む自分の欲望に歯止めをかけ続けている。

 そうでなければ、とうの昔に。スィンはジェイドを刺していたはずだ。

 

「……バカだよねえ。逆恨みで、皇帝のお気に入りに手ェ出そうとするなんて」

 

 反応のないルークの腕を撫でながら、自嘲的に呟く。

 

「──でも差し出さないと、ガルディオス家の復興は望めないかな?」

「え?」

 

 聞こえなかったわけではない。しかし、呟かれたその内容はあまりに非現実的で、ルークの理解を超えていた。

 

「だから、首。ルークだったら、どうすれば許せると思う? 大切な人を殺そうとした輩を」

「な、何バカなこと言って──!」

「……ああ、そうだね。酔っ払いが何を言っても、説得力ないね」

 

 けらけら笑う。

 しかし、自称酔っ払いの言葉に多大な飛躍はあっても口調はしっかりしているし、何より冗談に聞こえない。

 

「……スィンがどうしてジェイドを、その……殺そうとしたのか、俺たちにはわからない。ピオニー陛下がどうしてお前にあんな仕打ちをしたのかも、知らない。でも、そんなことをしたってガイは──!」

「喜ばない。きっとお怒りになられる」

 

 ルークの言わんとすることを引き継いだスィンの言葉には、何の感情もなかった。

 まるで他人事であるが、もちろん本当に他人事だと思っているわけではない。ただ、当事者とは思えないほど物事を客観的に見ており、起こる事柄に含まれる自分という存在すらも、『こういった役割の人間』としか捉えていないのだろう。

 

「でも、死んだ人間を思って皇帝に逆切れするほど、愚かな人じゃない」

「そりゃ……けど、そんなことすればガイが苦しむだけだ。お前と引き換えに家を再興したいなんて、あいつなら考えないだろ!?」

「話の論点がずれたね」

 

 ガイにまつわる話題を嫌ったか、スィンは強引に話をずらしていた。

「誤魔化すな!」というルークの苦情にも動じない。

 

「えーと、大佐に何を望むのか? 今は生きててもらうことかなあ。そんでやることやってもらわなきゃ。そうじゃないと僕が殺されちゃうしね」

「生きてて……」

「謁見の間で、僕が何をしていたのか本当に知っているなら、これ以上の説明はいらないはずだけど」

 

 確かに、彼女はカンタビレ、と呼んでいた将校に尋ねられ、その話をしていた。

 だが──

 

「なあ、ホントに何があったんだよ? 初めて会ったときには好みだ、って言ってたくらいだから、俺はその気持ちを利用されてジェイドに何かされたんじゃないか、って思ってた。だけど、そうじゃないのに、殺してやりたいほど憎んでるって……」

 

 再三どころか、何回目かもわからない質問を、スィンは黙って聞いていた。

 そういえば、ルークはネフリーから件の事件を聞いている。真相を話したところで、今の彼なら口を滑らせたり、態度を豹変させてしまうことはないだろう。

 過ちを犯した人間としての自覚もあってか、ケテルブルクでの一件後でも、彼はジェイドに対して露骨に態度を改めたりはしなかった。

 

 僕はジェイドが、ジェイドの恩師を死なせちゃったから、殺したいほど憎んでいるんだよ、と。

 

 それを伝えて何がどうなるだろう。

 不毛だとか、憎しみは何も生まないとか、憎んだところで死んだ人は戻ってこないとか。変に諭されたらその場で殺してしまいそうだ。

 きっとルークは何も言わない。頼めば多分、黙っていてくれるだろう。今のルークならば。

 

 だからこそ。

 

「……さーねー」

 

 だからこそ、事実を話すわけにはいかない。余計な重荷を背負わせて、苦しめる趣味はない。

 彼もまた、預言(スコア)に振り回された被害者だから。

 下方をちらと見やったスィンは、今度こそ話をそらそうと。これまで誰にも明かしたことがない、秘めていた事実を口にした。

 

「好みだっていうのは、本当。昔の一目惚れを未だ引きずってる証拠かな。向こうは初対面だと思ってるのに、あんなことを言ってしまったんだから」

「……! ハァ!?」

 

 何を言っているのか、また理解できなかったらしい。眼を点にして、彼は腕の中のスィンを見つめている。

 ようやく緩んだ腕から抜け出す彼女の動きをもってして、やっと我に返っていた。

 

「ひ、ひとめぼれ? ってお前、まさか」

「うん。大佐と初めて会ったの、エンゲーブじゃない」

 

 好みであること、好みだと口走ってしまった理由も、紛うことな事実だ。

 ルークの隣に、膝を抱えるようにして座る。

 どういうことだと、興味津々で食いついてくる彼を見やって、スィンはこっそりほくそ笑んだ。

 話題そらし、成功。

 

「ホド戦争が起こるより結構前のこと。ちょっとした用事でグランコクマに来てたんだけど、不慣れだったから迷っちゃって」

 

 そう──あれは確か、ナイマッハの人間としての、初めての仕事だった。

 マルクト帝国軍の名家、カーティス家が養子を取ったことに対抗し、どこそこの貴族が対抗して跡取り問題もないのに養子を取ったらしい。

 その養子がどんな人間なのかを調べてこい。できなければ似顔絵を描いてこい。子供に任せる初仕事としてはそこそこ妥当な、そんな内容だった気がする。

 大通りを通って貴族の住まう区域までやってきたのはよかったのだが、整然とした──目印のようなものがあまりない高級住宅街の中を進んでいるうちに、自分がどこにいるのか、まったくわからなくなってしまったのだ。

 持たされた地図を睨むようにしながら歩くうち、誰かにぶつかる。

 ごめんなさい、と言いながら見上げて。雷に打たれたような衝撃に襲われた。

 

『……大丈夫?』

『あ、あの、あのあの、道に困って迷っていました。ここがどこなのか教えてください!』

 

 謝りながらも硬直した子供を、少年のジェイドはいぶかしげに見下ろしていた。

 その彼に、そんなことを口走りながら、持っていた地図を思い切り突き出した気がする。

 

「子供は苦手だったのか、すっごい仏頂面だったけどね。全然気にならなかった。穴が空くくらいずーっとその顔見てた。飽きることなく」

 

 不思議に思うほど、記憶は鮮やかに蘇った。

 自分に地図を見せ、ここがどこなのかを事務的に語る彼の声を熱心に聴き入り、お礼を言って頭を下げて、すぐにその場から離れている。

 仕事のこともあったからだが、初めて出会った彼とそれ以上同じ場所にいるのが、気恥ずかしくてたまらなかったからだ。

 当時は自覚こそしていなかったが、あれぞ伝説の『一目惚れ』という奴だろうと今だから思う。というのも、すぐに彼の正体を知ったからだ。

 幼くて単純な思慕は憎悪に塗り潰されて、後から執着が練り合わさって、嫉妬も添えられて。スィンの胸の内に燻る黒い炎の燃料になっている。

 

「ジェイドは、このこと……」

「覚えてないと思うよ。熱い視線で見つめられることなんか日常茶飯事だったろうし、僕は仕事の都合上変装してたし。是非とも忘れたままでいてほしい」

 

 幼い時分とはいえ、頰を染めて見惚れていたときのことなんか覚えていてほしくない。

 と、ここでルークはふぅっ、と息を吐いた。

 何かと思って首を動かせば、彼はやるせない表情で彼方を見つめている。

 

「……そんな風に笑ってるスィンを見てると、とてもジェイドのことを憎んでるなんて見えない」

「だってこれは、表に出しておくものではないもの」

 

 感傷的な彼の言葉に惑わされることもなく、スィンは大きく伸びをした。

 もっとも、チーグルの森で再会した際は、寝起きということもあって取り繕えなかった点が多々ある。

 あの節は、怪しまれなくて本当に助かった。違う意味で怪しまれはしたが。

 

「さて、眠くなってきたから戻ろうかな。ルークは?」

「……戻る」

 

 スィンから確執のことを聞きだせず、歯がゆい思いをしているのだろう。くぐもったような声で、彼は立ち上がった。

 そのルークが、ふと思いついたように口を開く。

 

「なあ、一目惚れって、つまり好きになった、ってことだよな? もうスィンは、ジェイドのこと好きじゃないのか?」

「……直球、だね」

 

 なんと答えればいいものやら、スィンはぽりぽりと頬をかいた。

 普通、誰それのことが好きか嫌いか、など、本人に尋ねるようなことはしない。

 これまで傍若無人っぷりを如何なく発揮してきたルークだからこそ、天然で無邪気に尋ねることができるのだろう。きっとイオンに通じるところがある。

 

「……ねえルーク。この世の中で一番信用できないもの、ってなんだと思う?」

「え? えーと……預言(スコア)、とか?」

「自分だよ」

 

 それも、今は正解だけどね。

 思いもよらない答えだったのだろうか。彼は眼を見開いて、その場に突っ立っている。

 

「誰が好きなのか。誰を憎むべきなのか。誰を討つべきなのか。僕の中では明瞭に、その答えはあるんだけどね。いつ裏切られるかわからなくて、ずっとビクビクしてるよ」

 

 ──そう。自分ほど、世の中で信用できないものはない。

 自分あっての他人、自分あっての世の中において自分が信用できなくて何を信用するのか、と識者は一蹴するだろう。

 しかしそれは、自分が何なのかをはっきり把握している人間、あるいは把握していると思い込んでいる人間だけだ。

 人は取り繕うことのできる生き物である。嘘をつき、誰かを騙すことができる以上、当の本人も例外とはなりえない。

 

「ルーク。ガイ様のこと、好き?」

「え……ああ、うん」

「アニスは?」

「え、まあ」

「ティアは?」

 

 質問が彼女に及んだとき。彼はかあぁっ、と頬を赤らめた。

 

「な、何なんだよ、いきなり!」

「自分のことすら答えられない人に、答えてあげる義理はありません」

 

 くすくす、と笑むスィンに、一杯食わされたと気付いたらしい。

「ったく!」と立ち上がり、彼は赤い顔を隠すようにアルビオールの中へと戻っていった。

 初々しい彼を見送ったスィンだったが、ふと笑みを消して呟く。

 

「──盗み聞きなんていい度胸してますね」

 

 返事はない。

 しかしスィンは、彼と話している間、真下で窓が開く音を確かに聞いたのだ。

 窓は未だ、閉ざされていない。

 

「気晴らしさせてくれたルークに感謝して、もう何もしないで眠りたいと思います。……おやすみなさい」

 

 コツコツ、と足音が聞こえる。

 響いていたその音は徐々に遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

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