the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百十二唱——垣間見えるは、らしからぬ心

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では私は、外殻へ戻ります。また後ほどお迎えにあがります」

「頼むよ」

 

 ルークの労いを受けて、ノエルは慌ただしくアルビオールに飛び乗った。

 その後姿を見送り、一行はケセドニアへと足を運ぶ。

 

「あいっ変わらず気が滅入るな、この空は……」

 

 軽く空を仰いで、ガイがため息をついた。

 ケセドニアの空は降下直後から変わらぬ魔界の大気に浸されており、明らかに瘴気が漂っている。

 ふと、先頭を歩いていたルークが振り返った。

 

「なあ、スィン。ホントによかったのか?」

「いいの。僕も、個人的に用事があったんだし」

 

 ──事の発端は、ガイのトンデモ発言から始まった。

 

「……すみませんガイラルディア様。もう一度、言ってください」

「だから、お前はノエルと一緒に行け。で、陛下たちと一緒にユリアシティで待機してるんだ」

「イヤです」

 

 スィンは、痛む頭を抱えつつもきっぱりと拒絶した。

 少し離れたところで二人のやりとりを見守っていたナタリアがまあ、と口元を押さえている。

 

「珍しいですわ。スィンがガイの言葉に従わないとは……」

「そ、そぉだねえ。無茶やって叱られたことはあっても、こんな風にきっぱり拒否って」

 

 またも訪れた不穏な空気に、他の面々がハラハラと、あるいは面白そうに見守る中、二人の意見はまっぷたつに分かれた。

 

「何が悲しくて陛下たちのエスコートせにゃいかんのですか! この大事な時期に、二人を惑わせるなんて、何企んでるんですか!」

「あのな! ケセドニアは今瘴気まみれなんだぞ! 瘴気蝕害(インテルナルオーガン)罹患(かか)ってるなら、行かないほうがいいに決まってる!」

「へーきです! 薬ちゃんと飲んでるから最近は体調いいし! それに」

 

 どうせパッセージリングを解放する際、嫌というほど瘴気を取り込むのだ。

 だから、ケセドニアの大気に含まれる瘴気を多少肺に入れたところで大差はない。

 それを言いかけて、口を閉ざす。

 

「それに?」

「個人的にアスターさんにお尋ねしたいことがあります。それに今、両陛下と顔なんて合わせたらどれだけ混乱されるか、わかったものではありません。平和条約締結という重要な事柄を前に、二人の心を乱すのは危険です。よもや締結破棄は起こらないでしょうが、変な影響が出てもつまらないでしょう」

「ああ、その点に関しては、私もスィンと同意見です」

 

 ここで、これまで傍観に徹し、面白そうに二人のやりとりを見ていた人が口を挟んだ。

 

「旦那……」

「ガイに味方したいところですが、場合が場合です。スィンの方が正しいですよ。陛下に混乱してもらうのは、平和条約うんぬんをきっちり済ませてからにしてもらいましょう」

 

 正論を言われて、それ以上ゴリ押しができなくなったガイが黙り込む。

 そんなガイの気持ちを察したのか、ジェイドはスィンの頭に手を置いて、その顔を覗き込んだ。

 

「……ですが、ご自愛なさってくださいね? アスターさんのところへ行ったら、寄り道しないで宿で休むこと。いいですね」

 

 何で頭を触ってくるのかがわからないし、こいつの言うことにきくのは業腹だったが、ここで反発したところで話は終わらない。

 スィンは表向き、素直に頷いた。

 

「ガイラルディア様、お気持ち、ありがたく頂戴します」

「……くれぐれも、無理はするなよ」

 

 そう言って、彼は何とか納得してくれた。

 そのやりとりがダアト~ケセドニア間の航路で起こり、先ほどのルークの質問になる。

 

「さて。瘴気に弱い人もいることですし、さっさと済ませましょう」

 

 嫌味を小さじ一杯混ぜたジェイドの言葉通り、一同はアスターの屋敷へと赴いていた。

 階段を登ろうとして、反対側の階段に座り込み、だべっている男たちの会話が聞こえてくる。

 三人組の、いずれも筋骨隆々とした逞しい男たちだった。

 

「ったくよう。なんで鉱夫の俺たちがこんなことしなきゃなんねーんだよ! 女房だってそうだ。知らねぇ連中のために飯炊きなんか……」

 

 うち一人、赤ら顔の男がぐだぐだと不満を募らせている。

 鉱夫ということは、アクゼリュスの住民なのか。

 どくり、とスィンの心臓が大きく脈打った。

 

「まあまあ。アスターさんは行き場のない俺たちに仕事を斡旋してくれたんだぞ」

「嫌なら辞めて、出て行けばいいじゃないか」

 

 他の二人はといえば、ふてくされる一人をなだめるように、あるいは冗談めかして話し込んでいる。

 しかし不平を垂れる男は、開き直ったように声を荒げた。

 

「それができれば苦労はねーよ! そもそも、アクゼリュスさえなくなったりしなきゃ、こんなことにはならなかったはずじゃねーか!」

 

 前方を歩くルークが、ハッと息を呑む音が聞こえた。

 彼が発生させた超振動によって、アクゼリュスは崩落した。それは確かな事実であり、その心中は計り知れない。

 それでも、否、だからこそ。スィンはルークの服の裾を引いた。

 

「ルーク」

 

 今にも彼らの元へ駆け寄り、謝罪したそうにしているルークに、告げる。

 

「アクゼリュスは落ちるべくして落ちた。誰が何をしていても、ルークが何もしなかったとしても、遅かれ早かれ崩落してた。それを忘れないで」

 

 慰めにもならないことはわかっていても、言わずにはいられない。

 その言葉に足を止めるルークを、先導していたガイが引っ張り、なんでもないような顔をして階段を登りきる。

 尚も後ろ髪引かれるルークだったが、次なるティアの一言で、完全に気持ちを切り替えていた。

 

「あの人たちを真に思うなら、今は平和条約のことを考えるべきだわ。そのためには、アスターさんにも会談に参加してもらわなければ」

「そっか……そう、だよな」

 

 出迎えた使用人に対し、イオンが丁寧に事の次第を伝える。

 通された執務室で、彼は散らばっていた書類と格闘していた。

 このケセドニアを維持する上で、きっと魔界(クリフォト)における様々な弊害に頭を悩ませていたに違いない。

 

「……なるほど。それで私めを。ありがたき幸せにございます。イヒヒヒ」

 

 とりあえず仕事を中断し、イオンの話に耳を傾けていたアスターは、例の特徴的な笑声を洩らした。

 

「先に降下を体験した者としての注意事項や、瘴気の弊害などご説明できると思います」

「確かに、降下の準備を進めるためには参考になるわね」

 

 先ほどまで整理に追われていた書類を手に取るアスターに、その点はあまり考慮していなかったらしいティアが頷く。

 これはケセドニアのためだけでなく、マルクト、キムラスカにとって有益な情報と言えよう。

 

「そういえば、瘴気の影響はどうですか? 他にも何か具合の悪いことは?」

 

 ルークの問いに、彼は沈痛な表情で違う書類を手に取った。

 

「年寄りや子供が、瘴気にあてられて寝込んでいます。症状の重い者はユリアシティの方が連れて行ってはくれますが、さすがに全員は……あとは戦争の最中でしたから、備蓄した食糧が減っていまして、その点が気がかりです」

「陛下たちに陳情してみたらどうだろう」

「そうですね」

 

 その口調から、あまり余裕がないことがうかがえる。

 ガイの提案に、この中で唯一両国首脳と直接意見を交わすことができるイオンが賛同した。

 話が整ったところで、ナタリアが誰ともなく尋ねた。

 

「ところで、出発はいつにします?」

「まだしばらくノエルは戻ってこないよねぇ」

 

 アニスの言うとおり、いくらアルビオールが通常の状態に戻ったからといって、そうそうすぐには戻ってこないだろう。

 最高出力のアルビオールなら不可能ではないが、少ないお供を連れて慣れない乗り物に乗る二人の陛下のことを考えれば、そんな無茶はできない。

 

「宿で休憩を取りましょう。そうすれば、アスター殿も準備の時間が取れます」

 

 今思いついたようなジェイドの提案に、彼は素早く反応していた。

 

「では、宿の代金はこちらで支払いいたします。ごゆっくりどうぞ」

 

 これを単なる好意と受け取るか、はたまた打算的なことを考えてのことか。

 それは受け取る側の考え方によって異なるだろう。

 

「ありがとう。助かります」

 

 ルークが代表で礼を述べ、自然一同は退出を促される。

 しかしスィンは、会談出席の交渉が終わったと見越してアスターの前へと歩み寄った。

 

「ご無沙汰してます。お忙しいところ大変心苦しいのですが、よろしいでしょうか」

 

 こうまで言われて、ダメだと言い張る人間も珍しい。彼は快く応じてくれた。

 

「アクゼリュスから、転送した人たちのことなのですが」

「ああ。彼らなら、落ち着いた後に各地故郷へと帰っていきましたが……」

 

 それが何か? と言いたげなアスターに、一息おいてから告げる。

 

「アクゼリュス出身の方々は?」

「一部の方々は親類に頼って各地へ出てゆきましたが、大半は現在ケセドニアに留まって私どもの指示のもと、避難民の面倒を見てもらっております。戦争は人々の心を荒廃させ、心の荒廃は要らぬ争いを呼びます。そのため鉱夫の方には治安維持の警備を、そうでない方々には種々の雑務を行ってもらっておりますが」

 

 やはり先ほどの三人組はアクゼリュスの人間たちだったか。

 

「なるほど……わかりました。すみません、両国の戦争に巻き込まれたことだけで大変なのに、こんなことまで押し付けてしまって」

「とんでもない! むしろ働き手を増やしていただき、こちらとしてはとても助かっております。今は両軍部も引き払っておりますし……彼らとて、無駄に命を落としたくはなかったでしょう」

「……すぐに弊害が出てきます。人が感謝を覚えるのは、悲しいことにほんの一瞬でしかありません。現在も、なぜ自分たちがこのような仕事をしなければならないのか。そういった不満はすでに発生していることでしょう」

 

 アスター邸前での会話を思い出しつつ、探りを入れてみる。

 案の定、彼はわずかに眉を歪めてスィンを見た。

 

「……そうですか。そういった不満が、あなたの耳に届いたのですね」

 

 この反応を見るに、彼もまた多少の声を聞いているのだろう。

 

「不平不満が噴出するだけなら、まだいい方なんです。彼らはこの先の恐怖を知らない」

「恐怖……このケセドニアが、瘴気に冒され滅びる可能性、ですか」

 

 今の彼が考える可能性としては、それしかない。

 しかしスィンは、首を振って否定した。

 

「それは今、あなたを含むケセドニアの住民がすでに感じ取っているはずです。私の言う恐怖は、彼らが生きている限りずっとつきまとっていた、そしてこれからもつきまとうであろう姿なき支配者を指します」

 

 その正体が何を指すのか、アスター並びに一行が気付いたかどうかは定かでない。

 しかし、重要なのはもちろんそんなことではなかった。

 

「あなたのおっしゃるとおり、人の心はもろい。恐怖はたやすく伝染します。恐怖が絶望と化し、誰もが嘆かなければならない事態だけは回避するべく、尽力を尽くします。だから──」

 

 言葉が、途切れる。

 スィンは自分の目の下をちょん、とつついて見せた。

 

「心安らかな眠りが、あなたを一瞬でも包み込んでくれることを切に願います」

 

 ここで初めて、アスターはにこやかな来客用の笑みを崩している。

 彼が反射的に覆った眼の下にうっすらとクマが宿っていたことを、スィンは確かに確認していた。

 それ以上何を言うでもなく、ただ辞儀をしてきびすを返す。そのスィンに同調して、一同はアスター邸を辞した。

 空は、相変わらずどんよりと煙たい。

 

「……アスターのあんな顔、初めて見ました」

 

 階段を下りる最中、イオンは独白じみた呟きをもらした。

 

「怒ったと思いますか? ケセドニアが大変なことになっているのに、自分の健康を省みろと言われて」

「いえ、そんなことはないと思います。ただ、僕は──」

 

 イオンの言葉が最後まで綴られることなく、途切れる。

 見れば、階段の終点を三人組の男たちが占拠しているのが見て取れた。

 間違えて男たちがたむろっていた側の階段を下りてきてしまったわけではない。

 男たちが意図的に、一行の行き先へ立ちはだかっていた。

 

「何なの、あの人たち……」

 

 警戒もあらわに、アニスが肩のトクナガに手を伸ばす。

 六神将の差し金か、大詠師の手先か。

 戸惑う一行の前に出て、スィンは変わらぬ歩みで三人の前へ歩み出た。

 

「……何か御用ですか?」

 

 表向きは友好的に、しかし柄にはしっかりと手を添えて、彼らに話しかける。

 うち一人はスィンを胡散臭そうな目でジロジロ眺め、一人はスィンと後ろの一行を交互に見つめ、一人はスィンの目を直接見据えていた。

 そらすことなく見つめ返した数瞬後、スィンの目を見据えていた一人が「……やっぱり」という呟きを洩らす。

 

「あんた、あの時おかしな譜術を使った人か!? 導師イオンの護衛で、キムラスカからの親善大使のお供っていう……!」

「いかにも」

 

 何か異なっている部分があるような気がしないでもなかったが、大した誤解でもない。

 スィンは即座にそれを認めていた。

 

「本当かよ、こんな変な目の、ションベンくせぇガキみてぇなのが……」

「信じろとは言いません。疑うならご自由にどうぞ」

 

 先ほど不満たらたらで、胡散臭げに見ていた男がやはり胡散臭そうな口をきく。

 仲間がそれを制止するより早く、スィンは苛立ちを隠さず言い放った。

 予想できなかったわけではないが──酒臭い。

 赤ら顔はもともとではないらしく、目つきも胡乱気である。よほど嫌なことでもあって、深酒しているのか。

 もちろん、男は腹を立てて詰め寄ってくる。

 

「テメーのせいでなあ、俺たちは鉱夫を無理やり辞めさせられて、アスターのヤローにこき使われることになったんだ。挙句こんなわけのわからねえ地下世界に放り込みやがって、どうしてくれるんだよ!」

「大変ですねお可哀想に。ご不満ならどうぞご出奔なさってください。今を生きていらっしゃるならどちらへでもいけますよ」

「はっ! 生かしてやったんだ、ありがたく思えってか!? 冗談じゃねえ、俺こそ瘴気は平気だがなあ、俺の女房子供は家でも外でもけほけほやってやがる。あのままじゃあすぐにでも、ユリアシティだかなんだか知らねぇところに連れて行かれるだろうよ!」

「お、おい。落ち着けって──」

 

 もはや単なるこじつけにしか過ぎない男の抗議を男の仲間が止めようとして、それをスィンは手振りで制止した。

 

「……お好きなように、どうぞ。罵って済むことならばいくらでも。憎むでも恨むでも、気の済むように」

「ふざけんなよ! そんなもんで済むとでも……」

「街中の殺生は犯罪ですよ。奥さんもお子さんもいらっしゃるなら、あなたに関連する方々が大事なら、軽はずみな言動は慎むべきです」

「このメスガキが! 知った風な口を……!」

「私を殴っても刺しても、殺しても。あなたやご家族を取り巻く環境は変わらない。個人の命で購えるものではありません。私が死んだところで、あなたのご家族は喜んでくださいますか? 多分あなたの溜飲が下がるだけ」

 

 その言葉に、赤ら顔の男はぐっ、と黙り込んだ。

 そろそろ彼は、自分がしているのは八つ当たりに過ぎないことに気付いているだろうか。

 

「私がしたことの責任は取ります。この大地を覆う瘴気を取り払うこと、アクゼリュス同様崩落の危険にある大地を、このケセドニアと同じくあるべき場所へ正すこと。私を殺してやりたいくらいなら、その怒りは今を生きるために使って。それらすべて叶ってからにしてください。もちろん私も殺されてあげることはできないので、相応の対応をとらせていただきますね。鉱夫でしたっけ。なら光も差さぬ穴倉で息絶えるが本望でしょうか」

 

 一瞬の惑いもなく、スィンは赤ら顔の男にそう、言い捨てた。

 当初こそ、彼に同情していたと言ってもいい。こんな風にわめかねば、日中から酒を飲まねば彼の心は壊れてしまうのかと、追い詰められた男へ詫び言のひとつも言いたくなった。

 しかし。言い分がただの侮辱に摩り替わった時点で、慰めも謝罪の意も、すっかり消えている。

 人によって感じ方は様々だろうが、命を救って罵られるいわれはない。最後まで責任を見なかったとしても、それから生きていけるだけの道をアスターに頼ることで導いたつもりだ。

 

 他に、何をすべきだと言うのか。どうすればよかったというのか。

 

 ドクドクッ、と心臓がいつにも増して激しく蠢く。男の言葉を受けて動揺しているからだけではない。

 ──今この瞬間にも、瘴気を取り込んでいること。

 どういった因果関係なのかまではわからないが、瘴気を取り込むことで軽い興奮状態に陥ることを、スィンは随分前から知っていた。

 男の言葉に動揺でなく怒りを覚え、必要以上に頭に血が上っていく。

 通常とは程遠い精神状態であることを自覚しながら、言葉だけが静かで鬼気迫る。そんなスィンの言葉にたじろぐ男を睨みつけた。

 

「とりあえず、身の危険を感じたということで「はい、そこまで」

 

 血桜の柄を握り締めたところを見計らったかのように、スィンの眼前が蒼一色に染まる。

 いつの間にやら、男とスィンの間にジェイドが割り込んできたのである。

 スィンに対し、完全に背を向けているためにその表情は伺えない。きっと声の調子と同じく朗らかな笑顔なのだろう。

 男は瞬く間に当惑した。

 

「なんだてめぇは。その女の情夫(イロ)か」

「だったらよかったのですがねえ。違います」

 

 おそらく男は眼前のいけ好かない優男を挑発しようとそんなことを言い出したのだろうが、ジェイドはまったく意に介していない。

 きっと暖簾に思い切り体当たりしたような感覚を覚えているだろう男に、ジェイドは続けた。

 

「このまま彼女に任せておくといつまでたっても動けないので仲介させていただきますが……要は彼女に救われたことが気に食わなくて、ご自分が生きていらっしゃることに不満を持っているんですね」

 

 ジェイドの声の調子は、まったくと言えるほど変化がない。

 しかし男の声が脅えているのは何故だろう。

 

「そ、そう言ってるわけじゃ」

「言いましたよねえ? 彼女があなたを生かしたせいで、あなたはアスター殿に慣れない仕事を強制され、挙句こんな、絶望的なケセドニアと心中するはめに。いやはや、まったくその通り。彼女があなたを生かしたせいだ」

 

 ジェイドの声の調子は、まったくと言えるほど変化がない。

 しかし男が黙っているのは何故だろう。

 

「しかも話を聞く限り? あなたのご家族までその被害に遭われているという。このままでは延命のためとはいえユリアシティへ──そうですね。彼女があなた方を放置すれば、そのまま永別できたでしょうに」

 

 ジェイドの声の調子は、まったくと言えるほど変化がない。

 しかし場の空気が張り詰めつつあるのは何故だろう。

 

「救われたことを感謝できないのなら、今生きていることがそれほど絶望であるのなら。過ちを犯した彼女に代わって、私が霊柩を開いて差し上げましょう」

 

 ジェイドの声の調子は、まったくと言えるほど変化がない。

 しかしその腕が輝き、槍が取り出されたのは何故だろう──と思ったと同時に、スィンはジェイドの利き腕をがっしりと掴んでいた。

 抗議の声を上げるそれよりも早く、ジェイドが振り返る。

 その眼を見て、スィンは出しかけた言葉を引っ込めた。

 

「落ち着いてくださったようですね。あなたは同じことをしようとしていたんですよ?」

 

 無表情だったその顔が、ふと柔らかく笑みを浮かべる。

 輝きと共に、槍は仕舞われた。

 すみません、と言いかけ。その口が素早く塞がれる。

 他ならぬ、ジェイドの手で。

 

「ですが、まあ気持ちはわからないでもありません。どんな形であれ、人助けで文句を言われるとは予想もつかないでしょうし」

 

 だから、謝罪するべきではないでしょうね。

 そう言って、彼はスィンの口から手をどかせると、再び男に眼をやった。

 死霊使い(ネクロマンサー)の精神攻撃──殺気をもろに受け、屈強な鉱夫であった男はまともに歯を打ち鳴らし、ガタガタ震えている。

 赤ら顔の男に何かを言う意思はなし、と判断したジェイドは、その紅い瞳で仲間の二人を映し出した。

 

「あなたがたも、理不尽な苦情を言いにこられたのですか?」

 

 顔は、笑っている。しかし瞳は、一切の緩みがない。

 この死霊使い(ネクロマンサー)がそんな顔になってるんじゃないかと考えつつ、スィンはジェイドを真横に押し退けた。

 

「おや?」

「僕の凶行を止めてくださったことには御礼を申し上げます。でも一般人を脅さないように」

 

 邪魔なジェイドをどかして、階段を下りきる。

 赤ら顔の男が引いてくれたおかげで、スィンはやっと彼らと同じ地面に立つことができた。

 

「あ……」

「自分を取り巻く環境が激変すれば、愚痴のひとつも言いたくなるのはわかります。まして、あなたがたは助けてくれと頼んだわけでもないのですから」

 

 つっかかるでもなく、赤ら顔に便乗するでもなく、不平をのたまう男を止めようとしてくれた二人に向かい合い、丁寧に語る。

 本当は赤ら顔にも言うべきなのだろうが、そこにいるからいいだろう。

 

「取り返しのつかないアクゼリュスの二の舞だけは起こさないよう──」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。違うんだ、俺たちは文句を言いに来たわけじゃ」

 

 語ろうとしていた内容が、鼓膜を通じて理解したその言葉で完璧に消失した。

 脳裏で語るべきとしていた言葉が、一瞬のうちに変換される。

 

「では何用で」

「あの時、助けてもらった礼を──」

「あなたたちを助けたのはこっちの都合でもあるんです。感謝する必要もないし、それを示す必要もないですよ」

 

 きっと予想外の言葉だったのだろう。

 赤ら顔も含めて、彼らはポカンとスィンの顔を見ていた。

 

「一歩間違えば、何もかもが失われていたのですから。今ある命をどうかお大事に。不幸にも感謝を抱いてしまったあなた方に、悔やむ日がどうか訪れませんようお祈り申し上げます」

 

 最早話すことはないとばかり、スィンは歩みを再開した。

 二人の間をすり抜け、すっかり酔いが冷めているらしい赤ら顔の男の脇を過ぎ、アスター邸の門扉をくぐる。

 一同がついてきていることを確認するように、彼女はくるりと振り返った。

 

「ところで、ケセドニア(ここ)にはふたつ、宿がありますけど。どっちに行きますか?」

「どちらでもかまわないと思います。ですが、どうして彼らにあのようなことを……?」

 

 先ほどのことなどまるでなかったことのように振舞うスィンに、イオンが持ち前の素直さで直球に尋ねる。

 

「言ったじゃないですか。別に彼らに助かってほしくてやったことじゃない。僕の都合でしたことに、お礼なんて言われる筋合いはありませんよ」

「なら、感謝したことを悔やむ日がくるというのは」

「イオン様なら、もう気づいているんじゃないですか?」

 

 さらりと言い放たれた言葉は、年若い導師を動揺させるのに十分な一言だった。

 

「それに、皆勘違いしてますよ。必ず成功するとわかってて、あんな無茶をしたわけじゃありません」

 

 しかし、導師が黙り込んだことを一行が知るよりも早く、スィンは言葉を連ねている。

 そのため、彼がどのような意味をもって沈黙したのか、気にしている者はいない。

 

「どういうことだ?」

「どうやって彼らを避難させたかは前に話した通りだけど、場合によっては失敗して本当に全滅する可能性があった。そのことを考えると、とてもじゃないけど感謝なんて、される資格ないよ。信じないだろうから話さなかった、っていうのは理由にならない」

 

 ルークの問いに答えたスィンが、口元を抑えて軽く咳をする。

 いつぞやのような濁ったものかは、ルークの耳では判然としていない。だが。

 

「──長らく外に出すぎたようですね。さ、行きましょうか」

 

 これまで黙して話を聞いていたジェイドが、突如スィンの肩を掴んでグイグイと押し始めた。

 

「あの、屋内だろうと屋外だろうと瘴気の濃度は変わらないと思いますよ。あと僕、ちょっと買い物行きたいんですけど」

「ガイが代わりに行ってくれるそうです。あなたはとっとと休みなさい」

「俺かよ!」

「勝手にガイ様に押し付けないでください、大佐!」

 

 寂れた大通りで、賑やかな舌戦が繰り広げられる。

 その光景を少し離れた場所で見ながら、アニスは呆れたように頭の後ろで手を組んだ。

 

「……大佐、すっかり過保護になっちゃってるね」

「だなぁ。あれはちょっと引くっつーか……」

「……兄さんに心酔していた頃のあなたよりは、マシだと思うわ」

 

 苦笑いするルークを、さりげない突っ込みでティアが絶句させる。

 一方で、ナタリアはそれに賛同することなく首を振った。

 

「わたくしは大佐と同意見ですわ。スィンは今ひとつ、自分を省みるという発想に欠けていますもの」

「僕もそう思います。それにグランコクマでのことがありますから、ジェイドにしてみれば償っているという意味合いもこもっているのではないかと」

 

 大声を上げたせいなのか、スィンがまたもや咳き込む。

 その姿を見て、ふとルークの脳裏に疑問が生じた。

 張本人に聞きたいところだが、それ以外のこともある。

 まるで木箱を動かすかのようにスィンを移動させようとするジェイドたちに続く一同の中、ルークはさりげなくティアの隣に移動した。

 

「あのさ、ティア──あとで俺の部屋に来てくれないか? 話があるんだ」

「え? ええ、わかったわ」

 

 

 

 

 

 

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