the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百十五唱——今こそ、向き合おう

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙が漂う。

 会議室前は、今や誰もが逃げ出したくなるほどの緊張感に包まれていた。

 

「……市長殿。すまないが、引き続き会議室を借り受けたい」

 

 永遠に続くかと思われた対峙の果て、口火を切ったのはピオニー陛下の無感情な一言だった。

 ユリアシティ市長、テオドーロの戸惑いがちな了解を得て。彼は無言のままスィンの眼前へと歩み寄った。

 

「へ、陛下!」

 

 フリングスの声が慌てているのは、スィンが帯刀しているから、だけではないだろう。

 警告に近いその響きをまるで無視。皇帝は気さくに片手を挙げた。

 

「よう、久しぶりだな。これが無事済むまで、わざわざ待っててくれたのか?」

「──はい。お疲れ様、です」

 

 会話を試みてくるとは思わなんだ。口にこそ出さないが、それがスィンのどこまでも正直な感想である。

 驚く風情こそ隠さなかったものの、ピオニーはまるでなんでもないことのように──あるいは何もなかったかのように、スィンに挨拶した。

 情報が事前に流出していたのか、彼個人の胆力によるものか。

 前者ならば戦犯は間違いなくジェイドだが、表情に変化はないものの、僅かにいぶかしんでいる風情が見受けられる。

 後者、なのだろうか。

 どっちでもいいが、内心で動揺くらいはしてほしい。驚いているところをつけ込む気満々だったスィンとしては、やりづらい。

 更にここで、皇帝から思いもよらない一言が発せられた。

 

「労い痛み入る。それでお前、俺とサシで話をつける気はあるか?」

「は、い──我が主の同席を、お許しくださるならば」

 

 ガイを見ずとも、彼から向けられる視線に気づけないはずもない。

 しかしピオニーは、間髪入れずにそれを却下した。

 

「駄目だ、赦さん。ジェイドで我慢しろ」

「……サシ、になりませんよね。それ。僕の言えることじゃありませんが」

「俺達の確執における中心人物だろうが。何の問題がある」

 

 ピオニーの言葉は事実だ。一寸たりとも違わない。

 言いあぐねるスィンに背を向けて、皇帝はフリングスに何かを言付け、会議室へと戻っていく。

 

「スィン……!」

「では、ガイラルディア様。ちょっと、行ってきますね」

 

 今度は、何も預けることなく。会釈をしたスィンがくるりと彼に背を向ける。

 その視線の先には、皇帝の入った先。会議室を見やるジェイドの姿があった。

 彼の視線の先には、それこそ何事かといぶかしんでいるインゴベルト国王やファブレ公爵に話しかけて誘導していくナタリアやルークの姿がある。

 珍しく二人とも、空気を読んでくれたようだ。

 

「大佐」

「では、行きましょうか……ところで」

「言うまでもないと思いますけど、中立でいてくださいね。陛下のご機嫌損ねてガイ様の不利益に繋げたくないので」

 

 他一同にはピオニーとの、ジェイドとの確執は何一つ明かしていない。

 当事者だけで話すこと自体は、むしろ歓迎するべきことなのに。

 主が同席しない。他一同も、門番を命じられたらしいフリングスによって足止めされている。

 主の目がないこと。すなわちそれは、スィンの自制心低下に繋がる。どのような話運びになろうと、感情に囚われることだけは避けないといけない。

 そんな当たり前のことを今更ながら心に刻み、スィンは両の頬を軽く打って皇帝の待つ扉の向こうに赴いた。

 先程アルカを突き飛ばすようにして入室した会議室は広く、中央に据えられたテーブルと対面式になった椅子がずらりと並んでいる。

 テーブルの向こう側、先程まで座っていただろう椅子には座らずに、ピオニーは佇んでいた。

 

「さて、これから俺達も平和条約を交わすわけだが。座った方がいいか?」

「陛下のお好きなように。でも、書面に記すようなことは何もないかと存じます」

 

 言い得て妙だが、この冗長な調子はわざとなのか元からなのか。ピオニーの性格を知らないスィンにはわからない。

 返答に対し僅かに笑んだような風情を見せて、皇帝はどっかと椅子にふんぞり返った。

 あまつさえテーブルに足をかけて、椅子の足二本でバランスを取り出す始末。

 

「陛下」

 

 ジェイドにたしなめられても、彼は小揺るぎもしなかった。

 どうでもいいが、これで後頭部を強打したら、やっぱりスィンのせいにされるのだろうか。

 

「は……破天荒な御方ですね」

「おふざけが過ぎますよ。スィンが珍しくびっくりしているではありませんか」

「好きなように、と言ったのは誰だ。そっちも何かしらあったようだが、こっちは肩の凝るような会談終わったばっかりなんだぞ」

 

 実際肩が凝ったようで、首を回しながらジェイドに「肩を揉め」と命じる始末。

 それもまた冗談めいた調子だが、件の若年寄はデフォルトの笑みを崩さず、ため息のひとつもつくでもなく、ピオニーの肩を懇切丁寧に揉みほぐしにかかっている。

 この様子だと、公式な場ならいざ知らず、非公式の場では普段から相当ふざけた……もとい、フランクな人柄なのかもしれない。

 

「お前も好きなようにしたらいい」

 

 あのジェイドが皇帝とはいえ、他者の体を甲斐甲斐しく揉む。

 そんな珍風景を見せ付けられながらそう言われて、スィンは即座にその場へ座り込んだ。

 今度こそいぶかしんでいるピオニーに構わず、居住まいを正して正座、そのまま手のひらと額を床につける。

 

「おい、何を──」

「僕の好きなようにしています」

 

 俗に言う土下座をしたまま、二の句は告げさせない。

 特に何かを謝罪する意味もなければ、哀願するでもなかった。

 ふざける──そんなつもりはないのかもしれないが──二人を視界に入れずに済み、なおかつ無礼にはならないはずの姿勢である。

 人によってはさせていることに心を痛めるだろう。もっとも、彼らに痛める心などなさそうだが。

 しかし、このポーズをすることでピオニーは思いもよらない一言を発した。

 

「ガイラルディアの件か」

「……」

 

 雄弁は銀、沈黙は金。

 何のことかはさっぱりわからないが、あえて口は開かない。

 皇帝はスィンの目論見通り、事の次第のヒントをくれた。

 

「主の非礼を詫びているつもりなのか? そんなことをしなくても、ガイラルディアを罪に問う気はない。面を上げろ。女にひれ伏させるなんて不名誉なことを俺にさせるな」

 

 平伏したままだから、彼らの表情はわからないのだが。ピオニーの声音に険が帯びてきた。

 ジェイドが黙したままだが、気にしなくていいだろう。とにかく皇帝の機嫌を損ねることは避けるべきなのだ。

 

「陛下のお心のままに。寛大な処置を、ありがとうございます」

 

 促されるまま頭を上げるが、立ち上がらない。面を上げろと言われただけだ。

 額に付着した埃を払うようにしていると、ジェイドからの視線が気になった。

 

「知って……いたんですか。会談中のことも」

「いいえなんにも。ガイ様、何をやらかしました?」

 

 あのタイミングで主と話をする余地はなかったのに、頭がわいているのだろうか。

 それを聞きつけたピオニーといえば。

 

「お前、主の不始末を詫びてたんじゃないのかよ!」

「いいえそんなまさか。で、大佐。ガイ様は如何なるご所行をなされたので」

 

 呆れる皇帝はさておいて、ジェイドに詳細を尋ねる。

 そこで初めて会談でのやりとりを知ったスィンは、内心だけで頭を抱えていた。

 

「平和条約にかこつけて私怨爆発、あえなくやぶへびですか……とうとう事実を知ってしまったのですね」

 

 下手を打てば、もしもこの場に当事者以外の人間が出張っていたら。平和条約はあえなくご破算の憂き目にあっていたかもしれない。

 そのくらいのことを、確かに彼はやらかした。

 話を聞く限り条約に影響がないよう、締結署名にサインしたところで仕掛けたようだが、どのみち国同士に禍根を残しかねない。

 調印式という公式な場で、マルクトの貴族がキムラスカ国王に刃を向けた、など。

 

「でもお咎めはなしですよね」

「確かに言ったしそのつもりだが、なあ」

「なら何も問題ありませんね。皇帝ともあろうお方が前言を翻すなんてそんな、器の大きさ疑われるような真似をなさるはずがありませんし。殿方に二言なしとはよく言ったものですしね」

 

 これで翻すようなら相当のタマである。

 あるいはただの馬鹿か、とにかく、そんなことをするようなら今後の話運びは考え直さなければならないだろう。

 場合によっては、主にマルクトという国に属することを考え直すべきと注進することも。

 幸いにして、皇帝はスィンの言動が気に食わないとばかり、前言撤回することはなかった。ただ、騙された形になったピオニーは、釈然としないという心情を全面的に表へ出している。

 

「じゃあなんで土下座なんかしたんだよ」

 

 いちゃいちゃする二人を殊更視界に入れたくない。そして、ちょっとでも動揺させて今後の話運びを有利に進めるため。

 そんなことを馬鹿正直に告げるわけもなく。

 

「僕の好きなようにしてみましたー」

「どっちもどっちですよ。陛下はちゃんと座ってください。スィンもです。床ではなく椅子に」

 

 最終的にはジェイドの仲裁で、二人は文字通り話し合いにテーブルにつかされた。

 とはいえ。

 

「僕の動向はもうご存知かと思います。事態が落ち着くまでは私情で大佐に危害を加えることはしません。何なら大佐のお弟子さんを監視役につけてくださっても「それは私がお断りします。大体カシムは弟子ではありません」

「そういえば自称でしたね。でも、頑張って大佐になりきってたじゃないですか。すっごい面白かったし、カッコよかったですよ、ポージングとかは。見た目民間人でしたが、何か教えてあげたんじゃないんですか?」

「あれは限定された空間に譜陣を仕込んだチャチな幻術です。通常譜陣が乱れるまで術は解けないのですが、不安定になった挙句解除されたのは発動に足る譜力が絶えたせいかと」

「術を持続させられなかったんですね。でも、極悪非道な死霊使い(ネクロマンサー)の弟子ならあのくらいのメンタルでちょうどいいですよ。無手の女一人、軍人で囲んで袋叩きにしようとしたんですから。素質ありますって」

 

 皇帝に話しかけていたつもりが、いつの間にかジェイドとくっちゃべっている。

 そのことに気づいたスィンが話題を修正しようとして、妨害された。

 

「ほお……あのくらいがちょうどいいと。あなたはどうなんですか」

「何がですか。僕に弟子なんていませんよ」

「とぼけても無駄です。戦女神ブリュンヒルド、夜叉姫シア。人の弟子がどうのこうの言う前に、あなたの弟子はどんな如何様で?」

 

 なぜ彼が夜叉姫の名を知っているんだろう。

 神託の盾(オラクル)騎士団に聞き込みでもしない限り、夜叉姫の存在やその悪行と教え子達を知る由はないはずだが、あえて問わない。

 知る理由を聞いても仕方がないし、まずはこの話題に決着をつけておく。

 

「在籍中にしか手がけていない連中の弟子呼ばわりは妥当なんですかね。上からの指示で造ったようなものなのに」

「連中……? アッシュも、その内の一人なのですか?」

「いいえ。彼はヴァンの弟子、ですよ。確かに剣術以外は僕の担当でしたが、主席総長の秘蔵っ子を内密に預かっている、という体裁だったので」

 

 この様子を見るに、彼は何か勘違いをしていたようだ。

 アッシュの剣術がルークのものと同一であることは見知っているはずだが、やはり冷静ではないのだろう。

 

「彼らのことを指してよいならば、とても出来のいい子達でしたよ。誰一人僕を負かしてくれなかったことを除けばね」

 

 これでジェイドとの話はひと段落ついた。

 そう認識して、皇帝と向き直る。

 

「陛下におかれましては……」

 

 どんな意見があるだろうかと尋ねようとして、言葉を切る。

 ピオニーの表情は苦渋が滲むような、それでいて苦虫でも噛み潰したような顔をしていたからだ。

 もしや、気分でも悪くなったのだろうか? 

 

「如何なさいましたか」

「……ジェイドが騙されるわけだな」

 

 騙すとは人聞きの悪い話だが、彼に対して黙っていることなどいくらでもある。隠し事をしているのは確かだ。返す言葉は特にない。

 皇帝はしばらく黙していたものの、やがて小さく息を吐いた。

 

「今は殺さない、か」

「はい」

「今は、を随分強調するんだな。そいつはつまるところ、世の中が落ち着いたらジェイドを殺すと公言しているとみなすが」

「未来は誰にもわかりません。だからこそ、そんな可能性が無きにしも非ずかな、と思っています」

 

 そう。未来に展望のないスィンに、先のことは語れない。

 だから現在の事柄しか語らないのだが……ジェイドも同席するこの場で、詳細は語れない。

 ジェイドに知られるだけなら構わないが、彼の口から主に伝わる可能性は非常に高いのだ。

 そのことに何を思ったのか、皇帝は何も触れてこなかった。

 

「ジェイドはお前に命をくれてやったと言ったが、それは事実なんだな。だから今、躍起になってジェイドを殺そうとしていないことになるのか」

「──確かに、そんな感じの言葉は頂きました。でも、それとこれとは無関係です」

「何?」

「大佐がどうしてそのような世迷い事を口にしたのか、私にはいまいちわかりかねますが。私には大佐を裁くような権利はありません。肉親を殺した輩が許せない、というのはただの私怨で、正当性はないと思います」

 

 途中、ピオニーから目を離してジェイドを見やる。二人の話し合いを見守るようにしている緋色の瞳は、小揺るぎもしない。

 ここで彼に何のつもりだったのかを尋ねたところでどうにもなりはしないだろう。

 再び、ピオニーと向かい合った。

 

「それとは別に。世界が存続するために、大佐は必要な人です。少なくとも僕はそう認識しています。これまでも、これからも。大佐の生き死により、ガイ様の生きていくこの世界の方が大事なので」

 

 ガイの名を出した途端、ピオニーの話は彼の事柄に言及してきた。

 

「お前の主人は知っているのか? お前らの確執を」

「大佐が何も話していないなら、ご存知ではないはずです」

「お前がジェイドを殺せば、奴にも迷惑がかかるとは思わんのか」

「間違いなくおかけすることになるでしょう」

 

 外聞も、心の内も。

 どんな影響が出るかもわからないが、少なからず彼が喜ぶことはない。

 それだけは、間違いない。

 

「なら、お前は主のために自制するんだな? ジェイドを殺すことを」

「今のままなら、そうなるんじゃないでしょうか。未来は誰にもわかりませんから」

 

 もしかしたら、この先。

 本来保つはずもない身体がついうっかり生き延びて、平和な世界を主と共に生きていけるかもしれない。

 そうなったとき、果たしてジェイドへの感情はどうなっていることやら。

 

「陛下はどのようにお考えでしょうか。今の状況は、納得しかねるものですか」

「納得するしないの話なら、納得しているわけがないと返す。俺としてはお前をどうにかするよりも、ジェイドに戻ってもらうのが一番いいと思っているがな」

「左様でございますか」

 

 なるほど。それならば確かに、ガイの傍を離れたがらないスィンとの接触を極力なくせば、ジェイドが殺される危険性は低くなる。

 この提案に対し、さてジェイドはどのように受け答えるのかと眺めていたところで。

 何故か皇帝に苦言を呈された。

 

「それだけか?」

「質問の意味がわかりかねます」

「ジェイドが逃げるんだぞ。それについてどう思うんだ」

「逃げるって、軍に戻るだけでしょう。それは大佐が考えることで、僕が特別関わることではありません」

「何故だ? ジェイドと顔を合わせない方が、お前としては心穏やかに過ごせるんじゃないのか」

 

 心穏やかに、だって。ちゃんちゃら可笑しい。

 何をしたところで、恨みが消えることはないというのに。

 

 彼女──ゲルダ・ネビリムの死を、その原因を知って激しい憎しみに駆られた。

 いつかいつの日か、彼女と同じ場所に送って謝らせると心に決めた。

 そのためにも強くならなければと、あの時からヴァンに負けない、立派な騎士になる、以外に生きる理由が増えた。

 殺してやりたくて、でもどうしようもなくて、狂わんばかりだった時期もある。

 しかしそのときスィンは、ジェイドの居場所どころか少年であったジェイドの顔しか知らなかった。

 探すとしたら、ケテルブルク在住だっただろう彼の妹を締め上げるしか方法はなかっただろう。

 我慢するより他はなかった。どうしようもなかったから。

 キムラスカの姫に仕えながらマルクトに行くことも、到底出来ることではなかったから。

 抱えたそのときは自分ごと焼き尽くしそうになった激情も、時が経つにつれゆっくりとなりを潜めていく。

 いちいち火種を投下する暇もなかった。忘れることこそなくても、殊更思い出すこともなかった。

 今スィンの中にある憎悪は小さな熾き火のようなもので、日常生活に差し障りこそないのだが。

 この暗い炎が、恨み自体が消える日はけしてこない。どれだけ時間をかけても、何があったとしても、この感情は消えない。

 表に出すことこそ押さえられても、ジェイドを憎む心はなくならない。

 だから、心穏やかに過ごしても、意味なんかない。

 

 理解されるわけもない内心を語ることもなく、スィンは立ち上がった。

 このままではいけない。

 ふとしたことで、久々に表層意識まで浮かばせてしまったこの感情を、そのままジェイドへぶつけてしまうだろう。

 主の顔が見たい。

 

「おい?」

「大佐が軍に戻るなら、みんなにも意見を聞かないと、ですよ。いくらなんでも問答無用で引きこもれと仰せではないでしょう」

 

 軽く腰を浮かせかけたピオニーに会釈をして、会議室の扉までゆっくりと歩み寄る。

 どろどろとした胸の内を入れ替えるように呼吸をして開けば、すぐそこにはフリングスの背中があった。

 その向こう側に、スィンが最も見たかった顔がある。

 ガイは彼女の姿を認めるなり、眉間に刻んでいた筋を消した。

 

「スィン!? お、終わったのか?」

「いいえ、まだです。ガイ様、みんなはどうしていますか?」

 

 問われて、彼は少し戸惑いながらも身体をずらして背後を見やった。

 そこには、キムラスカの首脳陣にして各々の家族を見送ってきたのだろう王族二人、そして神託の盾(オラクル)騎士団に所属する二人と、その組織の中心人物たる少年がいる。

 

「どうかしたのか?」

「これから大佐がマルクトに戻る、ってことになったら困りますよね?」

「随分唐突なお話ですわね」

「中で何話してたの?」

 

 スィンが顔を見せたことで集まってきた仲間達から、当然賛成できないという意見を総括して。

 礼を述べるなり、スィンは顔を引っ込めて扉を閉めた。

 扉の向こうから聞こえる主の声に耳を塞いで、テーブルに戻る。

 

「満場一致で反対、だそうです。大佐、ご愁傷様でした」

「私はまだ何も言っていません」

 

 確かに。

 ピオニーが自分の意見を述べただけで、何かが決まったわけではないのだが。

 

「満場一致ということは、お前はジェイドが離れることに反対だというのか」

「どちらかといえばそういうことになります。もちろん、陛下のみならず大佐が決めたことを覆す権利はございませんが」

「……よく言う。ジェイドの生殺与奪をその手に握る人間の言うことじゃねえな」

「その認識は間違いです。今大佐に死なれでもしたらどんな理由だろうと僕のせい、ひいては主の不始末になります。私怨を晴らすためにそんなリスク、割に合いません」

 

 感情的にならまいとして、努めて理性的に話を進めていたつもりなのだが。なかなか、皇帝は納得する素振りを見せない。

 彼の立場を考えれば、ジェイドを失いたくない気持ちを察して余りある。しかし実力行使できない以上、どのみちスィンには殺さない、殺しはしないと訴えるだけしかできないのだ。

 堂々巡りになろうと無限ループになろうと、説得を続けていくしかない。

 重ねて、口に出そうとして。

 

「さて。そろそろ口を出させていただきましょうか」

「口なら初めから出していたでしょうに。とってつけたように前置きなんかしないでも結構ですよー」

 

 遅々として進まない話し合いに飽きてきたのか。満を辞してジェイドが話の輪に加わってきた。

 そこへ、思いもよらない茶々が放り込まれる。

 

「陛下、この一件が済んだら彼女を後宮に迎えればいいんですよ。そうすれば、家族以外の男に接触する余地はなくなります」

「いや無理ですよ。何を唐突に言い出すんですか」

 

 なんか戯言抜かしているが、空気抜きなのか、本気なのか。

 どのみち皇帝はスィンを後宮になど入れようとはしないはずだし、それに。

 

「後宮入りは二十歳以下、健康体で初婚の女性に限るはず。全部ダメじゃないですか。あと、ピオニー陛下の代になってから後宮入りした女性はいなかったような」

「おや、よく知っていますね。ただ条件云々は陛下の裁量によってどうにかなると思いますよ。何せ皇帝ですからね」

 

 確かに、その通りだ。

 感情のままに歪む表情を修正しないまま、スィンは反射的にぐるりとピオニーへくってかかっていた。

 

「もちろん嫌ですよね、陛下! 嫌だって言ってくださいよお願いだから! ちなみに私はイヤです!」

「お前な……嫌がらせに本当に放り込むぞ。確かに今後宮には誰もいないがな、ジェイドの言うとおり不可能ってわけじゃない」

 

 嫌がらせにもほどがある。

 確かに中立でいてくれと頼んだし、スィンの浮かべた『露骨に嫌そうな顔』を見て彼のご機嫌斜めは直りつつあるようだが。

 ここはピオニーにそう決めさせて話し合いを終わらせるという案がちらりと頭を掠めるも、実際そんなことになってしまったらと考えると、恐ろしい。それこそ舌噛んで死ぬしかない。

 渋面を作って押し黙るスィンをとっくりと見やった後に。極悪非道の死霊使い(ネクロマンサー)はこともなげに言い放った。

 

「まあ、それは冗談なんですが」

「冗談きっついですよ……いくら僕が陛下のお眼鏡に叶うわけないってわかっていても」

「何故ですか? 女性なら誰でもいい方ですよ、陛下は」

「……おい」

「昔の初恋まだ引きずってるって、有名な話じゃないですか。誰でもいいってのは、その人以外の女は誰でも同じって意味かと」

「お前らなあ! 本人目の前にして陰口叩きまくってんじゃねえ!」

 

 怒れる皇帝に対して、スィンはあくまで真面目に返した。

 ジェイドには許されるだろう軽口も、対応を誤ればまた不敬罪扱いになってしまうだろう。

 

「本人の目の前につき、陰口ではありません」

「なお悪いわ!」

「しかも本当のことですからねえ。単に陛下の耳には痛いだけかと」

「くそ、よってたかっていじめやがって。俺に味方はいないのか……」

「身から出た錆びでしょう」

「ほっとけ、可愛くないジェイド!」

「えーと、フリングス少将なら扉の外に」

「あの日からなんとなく視線が冷たいんだよ。あれはカシムの暴走だってのに、まるで戦犯扱いだ」

 

 皇帝が何を考えて特別罰則など講じたのか。どうせジェイドにちょっかい出せば面倒なことになると警告を出したつもりとか、そんなところだろう。

 それ自体はどうでもいいので、聞かない。そんな昔の話をほじくり返したところでスィンの気分が悪くなるだけだった。

 にっちもさっちもいかない。

 ジェイドは場を引っ掻き回すしかしないようだし、最早膠着は避けられないかと長期戦を覚悟した、そのとき。

 爆弾が、投じられる。

 

「前置きはこの辺りにして、本題です。スィン、私と家族になりましょう」

「………………はい?」

 

 彼は、何を言っているのだろうか。

 残念ながらジェイドの言葉に冗談めいたものはない。

 それは皇帝も察したようで、ただならぬ様相を示している。

 

「……おい、ジェイド?」

「家族……? 養子縁組のことですか? マルクトの法律じゃ確か、独身はダメだったような」

「ですから、私と夫婦になりましょう。私の人生はすべて差し上げますんで、あなたの人生も私に下さい。そうすれば私達の確執は家庭の問題に成り代わります。夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますし、馬鹿馬鹿しくてそのうち陛下も口出ししなくなりますよ。多分」

 

 スィンの顔は、瞬く間に赤く染まった。

 熟れた林檎も茹で上がった甲殻類でも、ここまで赤くはならないだろう。

 

「な、なっ」

 

 動揺を殊更表に出しながら、椅子を蹴倒して離席したスィンは、衝動のままにジェイドの胸倉を掴んでいた。

 

「何を抜かすの、ねえ、なんでそうなるのっ!?」

「そろそろこの不毛な話し合いを終着させたい、と願う私からの建前です。それとも、私を意識するあまり建前だけでも繕うことはできませんか」

 

 冷静に考えれば、建前だの繕うだの、誤魔化す対象である皇帝に聞かれてはなんら意味を成さないだろう。

 しかしこのとき、完全に頭に血が上っていたスィンが気づくことはなかった。

 

「別にあなたなんか意識してない!」

「しかもあなたは非公式とはいえ、ガルディオス家の長女」

「長女ではないです! マリィベル様の存在をなかったことにしないでください!」

「まあ、それは置いといてですね。カーティス家と姻戚関係を持つことは、お家にとってどれだけ利益を運ぶことでしょうか? そんなことすら図れませんか」

「それはそうですけれども! って、このやり取り、こないだやりましたよね⁉︎ お断りしましたよね、ご破算になったはずですよね! なんで⁉︎ 何で今それを言い出すんですか⁉︎」

 

 不幸によって断絶同然の扱いだったガルディオス家は、継嗣ガイの存在が皇帝に認められた。

 情勢が落ち着けば本格的に再興の道を辿るわけだが、そこに軍の名門であるカーティス家の後ろ盾があればどれほど心強いか。

 家名の高さで言うなら、名門であろうと養子の嫁より後宮入りして皇帝の妾になった方が断然位は高くなる。

 平時ならばすぐに比べられもしただろうが、今のスィンにそれを考えるだけの頭はなかった。

 今の会話に置き去りのピオニーはといえば、怪訝そうな顔をしている。

 

「ガルディオス家の、次女? どういうこった、従者じゃないのかよ」

「ち、ちょっと前にそういうことだったと判明しまして。半分だけですが」

「それが事実だとしたら、お前は自分の弟に仕えていることになるんだが」

「血筋の上だけなんで! 扱いは妾の娘、ガルディオスの姓を名乗ることはないと思います! 旦那様の血だけなので!」

「いや、半分だけなのは百も承知だ。でないとガイラルディアが先生の息子になっちまう」

 

 話が横に逸れつつある。

 このまま先程の話をうやむやにできないかと企み、更に捻じ曲げようとして。

 

「それで、返事は?」

「へ、返事っ?」

「ちなみに断ったら話が振り出しに戻ります。更に皆さんを、ガイを待たせることになりますが、それで良いのですね」

 

 いいわけがない。さりとて、安易に肯定するわけにもいかない。

 色恋沙汰における感情の有無とか、ジェイドの人柄がどうとか、そんな次元の話ですらなかった。

 彼はおそらく、贖罪のためだけに──スィンに殺されてやる未来を想定してこんな爆弾発言をしたのだ。

 それは皇帝も想像がついたようで。

 

「ジェイド! お前、自分が何言ってんのか分かってるのか!?」

「ネビリム先生の娘、ガルディオス家次女、継嗣ガイラルディアの従者にプロポーズしています」

「胸張って言うことじゃねえ!」

「嫌ですねえ。独り身の陛下にはわからないかもしれませんが、プロポーズは背中を丸めながらするものではないんですよ」

「あのなあ……!」

 

 二人の口論が続く。

 しばらくその様子を眺めることしかできなかったスィンだが、ふと瞳を瞬かせて手の力を抜いた。

 今更ながら、ジェイドに掴みかかっていたことを思い出したのである。

 椅子に戻って頭を冷やそうと考えたところで。

 がし。

 

「うっぎゃあああっ!?」

「色気のない悲鳴ですね」

 

 皇帝の口論に夢中になるわけもなく、ジェイドは離れようとしたスィンを片手で捕まえた。

 そのまま背中に手を回され、抱き寄せられる。

 

「な……!」

「もうそういう関係だと演じなければ、陛下を騙せません。それらしくしろとは言いませんから、口を噤んで身動きしないでください」

 

 耳元で囁かれ、そのまま両手で抱きすくめられる。

 否応なく顔を埋めることになった胸の奥から、どくんどくんと血潮の脈打つ音が聞こえてきた。

 

「そういうことなら、俺はそいつを後宮に迎える。おめおめお前を殺されてたまるか!」

 

 ──皇帝の言葉はとても遠く、すぐそばにジェイドの心臓がある。

 一時期は焦がれるほどに欲しくてたまらなかったジェイドの、母を殺した少年の命。

 血桜は腰に、短刀は懐、手のひらはいつでも、集中さえすればコンタミネーションで棒手裏剣を持てる。

 どれでもいい。今刃物を持てば、すべてが──! 

 

「……陛下。他人の恋路を邪魔すらならば、豆腐の角に頭をぶつけられると相場が決まっていますよ」

「それを言うなら、馬に蹴られて死んじまえ、だろうが」

 

 頭の上で、言葉が交わされる。

 それを聞きながら、スィンは一気に噴出してしまった殺意をどうにかこうにか押さえ込んだ。

 武器を求めて無意識に震えていた手をぐっと握り締め、すっかり浅くなってしまった呼吸を落ち着ける。

 ジェイド愛用の香水の匂いがする。

 幸いにもその香りはスィンにとっても心地よく、殺意を強める効果はなかった。

 

「恋路、っつってもな。嫌がってるようにしか見えんぞ」

「スィン、わざとらしく震えないでください。もう私のことは怖くないでしょう」

 

 言われて、膝がびっくりするほど震えていることに気づく。

 そこへ。

 

「ちょっと、ガイさん……!「スィン! 今の悲鳴はなんだ!?」

 

 乱暴に扉がこじ開けられる音、フリングスと、主の声。

 途端、冷水を浴びせられたような感覚に陥ったスィンは、持ちうる全力をもってジェイドの腕から逃れた。

 

「おや」

「な、何でもありません! ちょっと、吃驚しただけ……」

 

 速やかにジェイドから距離を取り、取り繕う。

 そこで。

 

「!」

 

 だだっ広い会議室の、部屋の隅。

 何もないように見えるその辺りから、無機質な機械音が聞こえた。

 これは──

 

「た、大佐! 陛下も、伏せて!」

 

 空気を切り裂く音がして、何かが鋭く飛来する。

 ──反応が遅れたせいか、あるいはジェイドを突き飛ばしたせいか。

 肩の後ろに鈍い痛みが走り、嫌な熱がじわっと滲む。

 

「スィン……大胆ですね」

「色ボケてないで、警戒してくださいよっ!」

 

 突き飛ばした勢いで乗っかってしまったジェイドを、踏んづけて立ち上がる。

 部屋の隅へ駆け寄りながら抜刀すると、ばさりと音を立てて布地を投げつけられた。

 一刀のもとに斬り伏せる。布地の向こう側もろとも斬ったつもりが、負傷の影響か。踏み込みが足りずに、侵入者は辛くも逃れたようだ。

 

「……どうして」

 

 暗がりに溶け込むような、昏い色合いの布地が床にわだかまる頃。

 上から下まで黒の衣装に身を包む、少女の声の持ち主が自ら覆面を床へ叩きつける。

 

「どうしてなの、先生!」

 

 見覚えのある少女だった。

 記憶より遥かに女らしくなっているが、おそらく間違いない。

 

「スイ。何が、ですか」

「何がじゃないわ! 死霊使い(ネクロマンサー)にお母さんを殺されたんでしょう!? 今の皇帝には死霊使い(ネクロマンサー)惜しさに殺されかけて、前の皇帝には故郷を消されて……どうして、平気なの!? 何もせずにいられるの! 死霊使い(ネクロマンサー)といちゃいちゃできるのよっ!」

「いちゃいちゃなんてしてません!」

「嘘だ! だったらなんで庇えるのよ!」

「だって、まだ死なれたら困るからです! 少なくとも今死のうものなら、確実に私のせいになって、いつの間にか殺したことにされて、今度こそ処刑されちゃうからに決まってます!」

 

 反射的に喚くように否定して、コホンと咳をする。

 未だ突き刺さったままの短矢を引き抜いて、おざなりに止血帯を巻きつけた。

 スイを前にして、悠長に癒す時間はない。

 

「アルカも言ってましたね。そんなこと。ディストから仕入れたんですか?」

 

 要らないことばっかり教えて、とため息をつく。

 少女──スイは、手にしたボウガンをスィンに向けた。

 不気味な緑色の雫を滴らせた鏃は、持ち主の震えを伴いながらもスィンを狙っている。

 

「はぐらかさないでよ! 憎くないの、なんでそんな……!」

「そんなの、決まってます」

 

 先程引き抜いた短矢の鏃が鈍い鉄色なのを確認して、脇に放り投げた。

 その挙動で、なんとなく腕を動かすのに違和感を覚える。

 毒、だろうか。

 

「私は、私にこんな仕打ちをした鬼畜どもと同じところには堕ちません。堕ちてなんかやらない。私はどうなったっていいけど、それでは私の大切な人を悲しませてしまうから」

 

 ちらりと見やれば、先程ついに会議室へ突貫してきた主と仲間達、ついでにフリングスがジェイドとピオニーもろとも固まっている。

 ついに、知られてしまった。

 隠し通すことはもとより無理だろうと、覚悟していたことである。

 今は少女との、スイとの決着をつけることを優先した。

 

「大切? 死霊使い(ネクロマンサー)のことが、主席総長より大事だって言うの?」

「いやそんなことはないです。でも、世界を滅ぼそうとしている奴とそうでない人、比べるべくもないと思いますが」

 

 激昂するスイにガイを主だと紹介するわけにはいかない。

 ここはジェイドをダシにして煙に巻いておく。

 

「何よ、それ……リグレット奏手の言っていた通りだわ、この女狐、売女!」

「何を吹き込まれたのか知りませんが、言いたいことはそれだけですか」

「誰もいない夜の教会で誓い合った愛は、偽りでしかなかったの!?」

「」

 

 誰もいない、夜の教会。

 そのフレーズを聞いて、スィンは音を立てて固まった。

 

「公にはできないけど、せめて形だけ……教会の講堂で二人きり、二人だけの結婚式を挙げていたじゃない! それなのに……!」

 

 顔中に血液が集まってくる。

 そんな感覚に、頭にまで血が上りそうになりながらも、スィンはどうにか正気を保っていた。

 おかしい。

 確かにスイは夢見がちな夢子ちゃんで、白馬に乗った王子様に憧れる、外見から頭の中身まで可愛らしい少女だったが、けして誰かのように空気の読めない馬鹿ではなかった。

 今の状況を理解していないはずもない。間諜(スパイ)として忍び込んだ先で、索敵されたのだ。

 つまり今、彼女が長々と垂れ流しているのは、この場から逃れるための手段に過ぎないはず。

 何を企んでいるのか──

 

「主席総長を捨てて死霊使い(ネクロマンサー)に走るなんて! 女として、ううん、人として最低よ、最悪だわ!」

 

 興奮して罵詈雑言を並べ始めたスイを前にしたまま、伏兵がいないかを探る。

 考えてみれば、平和条約を成立させないために連中はユリアロードを使って強襲してきた。そのタイミングを図り、知らせたのはまず間違いなくスイだと思うが、単独とは考え難い。

 もし感づかれたら、すべてがおじゃんだ。

 

「聞いてるの!?」

「あなたがどんなに喚いても、私が考えを改めることはありません。私から言えるのはそれだけです」

「……っ」

「敵の謗りは賞賛としれ。即ちそれは、くだらない挑発しかできないと露呈しているから。そんな汚い言葉を使って罵るしか、もう手立てはないんですね。下手に近づけばアルカ達のように、殺されると知っているから」

「……どうしてなのよ……」

 

 アルカ達の死を知っていてか、知らなかったのか。少女の目がみるみるうちに潤み、透明な雫が頬を伝う。

 それを拭いもせず、食いしばった口から漏れる嗚咽を殺して、スイは叫んだ。

 

「弟子を殺して、何も思わないの!? 孤児だった私達を引き取って、教会で働けるようにしてくれたのは、一体何のためだったのよ!」

「それが私に課せられた仕事だったから、です。実際にその手続きをしたのは上の方々、少なくともあなたたちのためではなかった」

 

 構えたボウガンの先は隠せないほどにぶるぶると震えて、殺していた嗚咽がひっきりなしに響いて消える。

 

「それでも……あたしは先生のこと、大好きだったのに……信じてたのに……!」

「情を訴えても無駄です。人として最低で最悪な売女に、そんなもの通じるわけないでしょう」

「!」

「信じるのは自分だけにしとけ。後は信じたい人を信じて、裏切られたら自分の見る目のなさを呪えと教えたはずです」

「う……」

「覚えてませんか? あなたはあまり出来のいい方ではなかったから、とっくに死んだと思っていましたが。一応、全員生きてはいたんですね」

「……! どういう、意味」

「ユウとジェニー、ジグとムートは時期こそ異なりますが、私達のことをこそこそ嗅ぎ回っていたでしょう。ファルとミリアとアルカは、つい先程私が片付けました。あなた……スイ、そしてフレドも、ここにいますね。し組は本日をもって全滅、ですか」

 

 言葉を失くしたスイが、無意識なのか。濡れている目元を拭う。

 涙でぼやけていた視界がくっきりとひらけた途端、眼前には赤い刃が迫っていた。

 ほんの一瞬、その隙をついて。

 間合いを詰めたスィンが少女に切りかかったのである。

 

「ひっ……」

「スイ!」

 

 成人前だろう少年の声が、少女の名を叫ぶ。

 硬質な刃がぶつかり、擦れ合う音が響いた。

 緋色の刃と、ふた振りの剣──双剣が、どちらともなく引き下がる。

 

「現れましたね」

「フレド……」

「このばか、お前がたぶらかされてどうすんだよ!」

 

 少女と同じく、黒の装束に身を包んだ少年が立ちふさがる。

 どこに潜んでいたのか、スイを護るように二人の間へ割り込んだフレドは、双剣を振りかざしたままスィンを睨んだ。

 とはいえ、その顔は黒い頭巾で覆われたまま。刺すように尖った視線を感じるだけだ。

 

「……みんなのことは、帰ってこないから覚悟してた。けどあんた、アッシュの奴まで殺したのかよ!」

「だからアッシュは主席総長の弟子だと何度言わせれば……いや、もういいです。のこのこ姿を現して、覚悟はもちろんできてますね」

 

 少年──フレドは射撃の才持つスイと違い、利き手だろうと逆手だろうと遜色なく剣を操る筋力も器用さも備えていたと記憶している。

 間諜(スパイ)よりは兵士向きで、他の誰より交戦技術の伸びしろは大きかった。

 果たして今現在、それはどこまで伸びているのか──

 

「状況は!?」

「右肩の後ろに当てたの。もう動けなくなるはずだから……!」

「おっしゃ、了解! 覚悟しろ夜叉姫、みんなの仇討ちだっ!」

 

 そうそう、こっちは状況判断が割と下手だった。その視野の狭さが、交戦においては集中という形でよい方向に働いていたわけだが。

 繰り出される軽やかな剣戟を、時には刃を交えて凌ぐ。

 双剣の扱いこそ教えた覚えはないが、基本となる剣術の素地は他ならぬスィンが仕込んだもの。多少我流が混ぜられた程度のそれに苦戦するなど、ありえないことだった。

 同時に。ほんの少しずつ、気取られぬよう、すり足で誘導を始める。

 背中に護るスイから、フレドを引き離すように。

 

「どーした、防戦一方じゃねえか」

「……」

「わかってるぜ。スイの毒が効いてんだろ? 結構強力な奴だもんな、そろそろ足にクる頃か?」

 

 フレドが揶揄したように、毒が身体を蝕み始めたのか。それまで問題なく剣戟を捌いていたスィンの足取りが、突如としてもつれた。

 迫る双剣を血桜で危うく払うも、被弾した側の腕はだらりと垂れたまま。

 血桜を握るのは、片手だけだ。

 

「……く」

「そらどうした、足元がお留守だぜ!」

 

 もつれた足に追い討ちをかけるように、下段蹴りがまともに入る。

 おかげでスィンは、後退を余儀なくされた。

 ──そろそろ、いいだろうか。

 スィンを後退させたことに気をよくしてか、フレドは一層距離を縮めんと突出してきた。

 そこへ。

 

「スィ──「来ないでください! 僕が蒔いた種です、自分で刈り取ります!」

 

 スィンの劣勢を見て取った主の声を、どうにか誤魔化して。

 猛追するフレドをかわしたスィンは、手にした棒手裏剣を投擲していた。

 毒に侵され、動かないはずの右手で。

 

「え? なんで、私の名前──」

 

 フレドに庇われたことでぼんやり突っ立っていたスイの、顔に。

 

「きゃああぁっ!」

 

 ボウガンを放り出し、患部を押さえて呻く少女に接敵、懐に潜り込む。

 ──次の瞬間にはもう、血桜はスイの心臓を貫いていた。

 

「スイっ!」

「おやすみなさい、スイ」

 

 崩れ落ちる少女を見送ることもなく、奪ったボウガンをフレドに向ける。

 呆然と立ち尽くすフレドは、格好の的で。

 躊躇いもなく放たれた短矢(ボルト)は、少年の足に被弾した。

 

「ぐあっ……!」

「みんなが向こうで待ってますよ。今ならスイに追いつけるでしょう。せっかくだから二人で逝きなさい」

 

 スィンが腕の動かしにくさを感じたように、麻痺毒だったのか。剣を取り落とし、少年は成す術なくへたりこんでいる。

 毒も薬も効きづらい体質のスィンにすら、短時間とはいえ効果を発揮したのだ。麻痺毒では戦いはおろか、呼吸することも困難になる。放っておくだけで毒は全身を巡り、やがて心臓を動かす機能も麻痺させるはずだ。

 単純な解毒でも第七音素(セブンスフォニム)の使用は不可欠である。

 第七音素(セブンスフォニム)を扱う素養もない、ましてや譜術の才もなかった彼にはどうしようも──

 

「……け、穢れを、浄化、せよ」

 

 途切れ途切れの拙い詠唱、淡い淡い第七音素(セブンスフォニム)の気配。

 刮目するスィンの眼前で、癒しの輝きが収まっていく。

 痺れて動けなかったはずの少年は、ゆっくりと自分の顔を覆っていた頭巾を取り払った。

 現れた顔を見て、息を呑む。

 頭にくそが付くほど生意気だった少年の顔立ちに、大人びた以外の激変はない。

 驚いたのは、色の違うその瞳。

 スィンはこれまで、自分以外の虹彩異色症と出会ったことがない。しかしその眼は片方がそのまま、片方は譜陣が刻まれて緋色に変色した──譜眼。

 それを眼にして、どうにかこうにか言葉を振り絞った。

 

「これは……片方だけ、譜眼を仕込んだのですか。私の眼を見てカッコいいとか、アホなこと抜かしただけはありますね」

「驚いただろ? あんだけ譜術を教えてくれって言っても聞いてくれないから、ディスト響士に頼んだんだ」

 

 あいつは本当に余計なことしかしないなあ。

 アルカやスイに吹き込んだこと──事実であるが余計なことに変わりはない──といい、フレドの譜眼といい。

 あのマッドサイエンティストのことだから、譜術の才能を持たない人間が譜眼を刻んだらどうなるのか、実験しただけな気もするが。

 そんなスィンの冷めた予想は、残念ながら的射ていた。

 

「面白い実験だったって言ってたぜ。一度だけ、どんな術でも使えるようになるって言ってた」

「……? 譜眼にそんな効果はなかったはずですが」

「あんたが知る譜眼は原案の方だろ。通常より取り込む音素が三倍以上になるやつ。才能がなくても譜術を扱えるようにならないかって頼んで、そういう技術を考案してもらったんだ。譜眼の理論を参考に、オレを実験台にして」

「実験台だってわかってて、施術を受けたのですか。バカだアホだくそがきだと思っていましたが、治ってなかったんですね。残念です」

「何とでも言えよ。敵の悪口を褒め言葉だから気にすんなって、自分が言ったばっかりじゃねえか」

 

 大分独自解釈が盛り込まれているが、本質に差異はない。

 それがわかっているなら無意味だが、一応挑発はしておく。

 

「そのつるぺたなおつむで私の教えを記憶した上に守っているとは。律儀なことで」

「へん、それしか言うことねーのかよ。あんたが知るように、俺には第七音素(セブンスフォニム)の素養はない。ディスト響士は一度だけって言ってたからな。もう一度譜術を使えば、きっと暴走しちまうだろう」

「──ええ、そうですね。ただでさえ譜眼の制御は、並大抵のことではない。自爆でも企んでおいでで?」

 

 それは彼らが現れた時点で懸念していたことだ。索敵され、退路は塞がれ、よしんば生き延びたところで任務を失敗した彼らが行くところなど、どこにもない。

 自害の術は数あれど、やけっぱちになったフレドが周囲一帯を巻き込んで自爆することが気がかりだったが──

 妙な真似をされる前に、刺し違える覚悟で手を下すべきか。

 スィンが迷う間にも、フレドはその場から一歩も動かない。懐から自害用の毒を取り出して飲むとか、身体に巻きつけた爆薬に火をつけようとするとか、そういった行動も見られない。

 その足元に、譜陣が浮かび上がった。

 

「!」

「なあ、見えるか? あんたの母親を焼き殺した炎が」

 

 第七音素(セブンスフォニム)を、集めているのか。

 もう制御する気もないようで、収束する音素(フォニム)は彼にまとわりつくように白い炎と化していく。

 ──第七音素(セブンスフォニム)が、暴走している。

 

「みんなの……スイの仇討ちだっ! 母親と同じように、あんたも死ね!」

 

 初めから、否、スイが死んだときから。彼はこれを企んでいたのだろうか。

 おかしいとは思っていた。スイが死んでから、ほんのちょっと呆然としていただけで、彼はひどく冷静だったから。

 第七音素(セブンスフォニム)を故意に暴走させようなど──正気の沙汰ではない。

 茫然と立ちすくむスィンに掴みかかり、勢いのまま共に倒れこむ。

 弾みで取り落とした血桜は抜き身のまま床を滑り、スィンの手からはどうやっても届かない。

 接触したフレドの身体から、白い炎はスィンをも覆い──

 消えた。

 

「……え」

 

 ぞぶり

 

 白い炎は彼の師であった彼女に燃え移ることもなく、消滅していく。

 そのことに驚愕した少年を襲ったもの、それは根元まで首に突き刺さる短刀だった。

 言葉を発しようとしてか、ごぼり、と咳き込む。

 思い出したように溢れた真っ赤なそれは、下敷きにしていた彼の師に容赦なく降り注いだ。

 真下にある色違いの瞳は、初めて見た時から憧れていた双眸は、たゆまずフレドを睨みすえている。

 

「……」

「なんで、って? 暴走しているとはいえ第七音素(セブンスフォニム)を、第七音譜術士(セブンスフォニマー)が制御できないわけないでしょう」

「え?」

 

 遠くから酷く間の抜けた懐疑が聞こえる。

 フレドの唇からは、最早言葉が出るはずもない。喉を切り裂かれてまともに喋れる人間はいない。

 力を込めて引き抜けば、勢いよく血潮が噴出した。

 それを顔中に浴びながらも、眼を閉ざさない。

 そのままスィンは、彼が息絶えるまで、その瞳から光が消えるまで、微動だにしなかった。

 

「さようなら、フレド。大っきく、なりましたね」

 

 少年の心臓は停止した。

 それを確認してから、よろよろと上体を起こす。

 術者死亡により、暴走した第七音素(セブンスフォニム)の炎が徐々に失せゆくフレドの遺体を見つめたまま、スィンは口を開いた。

 

「……大佐だって、可能でしょう? 音素(フォニム)の暴走を鎮めるくらいなら……第七音素(セブンスフォニム)だって同じですよ」

「ですが! あの時の、彼女は……!」

「声が笑えるくらい震えてますよ。しゃんとなさってください」

 

 理由はなんだか腹が立つから。

 皇帝がその場にいることを考慮して、悪口と軽口は抑えておくが。

 

「彼女があのとき御し切れなかったのは、大佐が譜眼を持っていたから──そして、あなたを守ったから、ですよ」

 

 できるだけ感情を出さず、溢れる私情は殺して。

 淡々と、他人事のように。

 

「譜眼は通常の三倍以上の音素(フォニム)を集めるでしょう。もともと譜術の才を持つ人間が収束させて、それが暴走したんです。咄嗟に抑えこむなんて、とても」

 

 もしもの話は無意味でしかないが。

 もしフレドに譜術の才があり、譜眼を両目に刻み、第七音素(セブンスフォニム)を故意に暴走させていたとしたならば。

 

「僕の命だってとうにない。彼女と同じように……いや、違うか」

「?」

「虫の息でしたもんね。見た目はほとんど無傷なのに内臓の大半が焼け焦げて、声すら出せなくて、時間の問題みたいでしたが。あなた達は彼女を町外れに連れて行って、それで」

 

 喋り過ぎた。この先は関係ない。

 前髪から赤い雫が垂れてきて、拭う。

 べったりと張り付いた血の量から、顔中血まみれだろうと想像できた。

 

「それ、で?」

「ああいえ、なんでもないですよ。ガイ様」

 

 こんな顔はちょっと見せられない。

 手巾を探しつつ、いつの間にかすぐ後ろにいた主に頭を垂れた。

 ちらりと見えた己の顔が酷い有様なのだろう。彼からは非常に困惑した気配が伺える。

 

「こんな顔で失礼します。すぐに拭きますので……」

「そんなことはいいから、怪我は? 大丈夫なのか!?」

「……えっと」

「毒付きのボウガンで思い切り撃たれただろうが! ナタリア、ティア、頼む!」

 

 眼前の展開についていけなかったのだろう。

 ハッとしたように彼女達が駆けてきて、二人がかりで治癒してくれる。

 その間距離を取っていたガイは、治療が終わるや否や水で湿らせたハンカチを構えていた。

 

「ガイ様、手が汚れちゃいますよ」

「俺がそんなの気にしないって知ってるだろ! 無茶ばっかりしやがって、ったく!」

 

 頭を掴まれたかと思うと、乱暴に顔面をこすられる。

 風呂桶に放り込まれて洗われる猫は、こんな気分なのだろうか。

 そこはかとなく怒気と混乱を漂わせたしゅじんを前にされるがままだったスィンだったが、その眼は手にかけたばかりの教え子達から離されることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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