the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百十六唱——望まれぬ邂逅、再戦の序曲

 

 

 

 

 

 

 

 

 これでようやく戦争再開の心配はなくなったものの、これで終わったわけではない。

 地殻振動の件を何とかする前に、ノエル及びアルビオールにはキムラスカの首脳陣同様、マルクトの首脳を無事に送り届けるという仕事が残っていた。

 

「遠足は、帰るまで終わらないといいますしね」

 

 お任せください! と笑顔で飛び立ったノエルを見送り、一同はユリアシティの滞在を余儀なくされている。

 アルカと同じように、スイとフレドの遺体をユリアロードで外殻へ送ったスィンは、ティアの部屋を借りていた。

 正確には、返り血で血まみれになっていたスィンを不憫に思ったらしいティアが、自分の住まいのシャワーを提供してくれたのである。

 ありがたく甘えることにして、現在彼女は一人黙々と濡れた髪を拭いていた。

 

「……」

 

 これで、よかったはずだ。

 先ほどまで自分が振り回していた血桜に眼を止め、手を伸ばす。

 平和条約は無事締結され、マルクト皇帝との話し合いも済ませた。ちょっと尻切れトンボだった感は否めないが、些細なこと。

 他の何においても、それが達成されたことを喜ぶべきなのである。

 どんな犠牲があったとしても、否、そのために様々なものを押し退けて、スィンは自分の道を歩み続けたのだから。

 抜き身の血桜を手にとる。

 何人もの命を奪い、スイの命を喰ったばかりの家宝の妖刀はひどく脂ぎっており、てらてらと緋色の刃が煌いた。

 懐紙を取り出し、脂肪分を素早く拭き取る。

 そのままいつもの手入れを始めようとしたところで、階段から足音が聞こえた。

 

「──スィン?」

「ガイラルディア様」

 

 現れたのは、部屋の主ではなくスィンの主の姿だった。

 条約締結直後は、会議室内で何かあったらしく不安定だった彼も、今はすっかり落ち着いている。

 

「ノエルが戻ってきたんだ。行こう」

「かしこまりました」

 

 口の中で譜を唱え、まだ濡れている髪から水気を飛ばす。そのまま無造作に束ね、背中へと放った。準備を済ませて主に従って歩く。

 そのとき、彼は唐突に口を開いた。

 

「──条約締結の際。インゴベルト王にこいつを突きつけたんだ」

 

 ガイの手は、腰に下がった片刃の剣にかかっている。

 

「同じ過ちを繰り返させない。そのつもりでホド消滅のことを切り出したんだが……思いもよらないことがわかったよ」

「ホドの崩落は、マルクトがヴァンを使って引き起こしたこと、ですか?」

 

 その言葉を聞き、彼は驚きをあらわにして振り返った。

 

「知ってたのか!?」

「ヴァンを通じて、随分前に。違う用件で、マルクト軍情報部から資料を頂戴した際ついでに調べてみたのですが、彼の証言に偽りはありませんでした」

 

 これまでそのことを話さなかった従者に、ガイは批難の視線を隠すことなく浴びせている。

 スィンは臆することなく、その眼を見返した。

 

「不思議には思っていたんです。キムラスカがホドを崩落させる手段を持っていたのなら、なぜお屋敷が襲撃されたのか。それも、キムラスカ王国軍元帥たるファブレ公爵自らが指揮して、遠征によるただでさえ少ない人員を割いてまで。傭兵を使い、瘴気に似せた毒ガスという新兵器の実験を兼ねた陽動だと考えれば納得はできますが、それでも元帥が直接出てくる理由がわからなかった」

「……ペールは、このことを」

「これを知った当初、おじいちゃんにこの話をしたんです。そうしたら、怒られた上にあなたの耳には絶対に入れるな、と」

 

 なぜか、と尋ねた主を見つめたまま、当時の記憶を思い出す。

 

「戦争なのだから、両国ともにどんな手段を使っていようと驚愕に値しない。過去の歴史を紐解けば、そんな事例は数多く存在する。そんな余計な事実を吹き込んで、お前はガイラルディア様に更なる苦しみを植え付けるつもりか、と」

 

 マルクトが行ったことは、けして許されることではない。

 だからといって、憎しみを受け継がせるほど愚かなことはない。

 どこかで必ず、誰かが断ち切らなければならないことだと、彼は言った。

 

「無知は罪であると同時に、幸運なことでもある。多分僕は、初めてその意味を理解しました。知ることがどれだけ苦しみを伴うのか、知ってたはずなんですけど」

「……彼女の、ことか?」

 

 一瞬、ガイが誰のことを言っているのか、戸惑って──会議室での出来事を思い出す。

 

「そう……ですね。だけど後悔はしてません。彼女の死について真相を知ったこと。ホド消滅の事実を、あなたに知らせなかったこと。一概に間違っていたとは思いません」

 

 結果的に、正反対な対応をとることになったけれど。

 どちらも、「こちらが正しかった」とは断言することはできない。

 どちらが反対になっても、利害は確実に存在する。

 

「今回のことでは僕、謝りませんから」

「そっか……なら、このことに関してはもう何も言わない」

 

 彼なりに思うことはあるだろうに、ガイはそこで会話を打ち切った。

 

「でも、さ。お前──」

「ガイ! スィン!」

 

 続いて何かを言いかけたガイの言葉を、二人の姿に気付いたナタリアによって打ち消される。

 見れば港の小さなスペースにアルビオールが鎮座しており、その傍には二人を除く全員が集結していた。

 

「両陛下から、テオドーロ市長に外郭大地降下作戦は一任されたようです。瘴気についてはユリアシティの技師をベルケンドに派遣したとか」

「で、いよいよ私たちに地殻の振動を止めて欲しいって!」

 

 両の拳をぐぐっと握り、興奮気味のアニスと比例してジェイドはどこか口調が冷めている。

 普段どおりだがアニスがいるからそう見えるのか、それとも心に何か、思うことがあるのだろうか。

 

「なら、シェリダンに行かないとな。タルタロスの改造が終わっていればいいんだが……」

「大丈夫でしょう。なんせシェリダンめ組とベルケンドい組が珍しく手を組んでいるんですから」

 

 思わし気に顎へ手をやるガイを見上げて、スィンはそう励ました。

 亀の甲より年の功とはよく言ったものである。それは目の前にいるこの若年寄でも説明がつくはずだ。

 流石にそれを口に出すのはためらわれて、言葉もなくジェイドを見上げる。

 ところが。

 

「では、行きましょうか」

 

 スィンが彼の眼を見る直前、彼はぷいっときびすを返してアルビオールへ乗り込んだ。

 

「……?」

 

 偶然か、それとも故意なのか。

 それは、アルビオールがシェリダン郊外にある専用地に降り立つまでに、明らかとなった。

 誰も何も言おうとしないが、雰囲気が、全員承知であることを示している。

 アルビオールがシェリダンに到達するまでの数時間、ジェイドはついに一度としてスィンと接触を図ろうとしなかった。会話どころか、眼すら合わせようとしない。まるで腫れ物に触るかのような、彼にしては珍妙とも取れる態度である。

 微妙な空気が漂う中、一行はついに集会場の扉を押し開けた。

 中では、シェリダンめ組メンバーたる二人が何やかやと話し合っている。

 それも束の間、その中の一人、色黒の老人──イエモンが彼らを認めると同時に口を開いた。

 

「おお、あんたらか。タルタロスの改造は終わったぞい」

「そうか! さすがだな!」

 

 ルークの惜しみない賞賛に、彼はただでさえ細い瞳を更に細くして「ふぉふぉふぉ」と笑いかけた。

 

「年寄りを舐めるなよ。タルタロスはシェリダン港につけてある」

「あとはオールドラント海を渡ってアクゼリュス崩落後へ行くだけさ。そこから地殻に突入するんだよ」

 

 それだけだったら、話は早かったのだが。残念なことに、彼らの説明は続く。

 

「ただ注意点がいくつかあるぞい。作戦中、瘴気や星の圧力を防ぐため、タルタロスは譜術障壁を発動する。これは大変な負荷が掛かるのでな。約百三十時間で消滅してしまう」

「百三十時間ってずいぶん半端だな」

 

 単なる感想であろうルークのぼやきに、イエモンは眉尻を下げて「負荷が強すぎるんでな」と説明した。

 

「ここからアクゼリュスへ航行して、地殻までたどり着く時間を逆算してなんとか音機関を持たせてるんじゃ」

「それと、高出力での譜術障壁発動には補助機関が必要なんだよ。あんたたちが地殻突入作戦を開始すると決めたら、あたしらがここから狼煙を上げる。すると、港で控えているアストンが譜術障壁を発動してくれる」

「つまり俺たちがこの街を出発する時間から、限られた時間も消費されていくってことだな」

 

 続くタマラの説明に、ガイを初めとする各々が、時間に対して相当余裕がないことに懸念を示している。

 

「ここからアクゼリュスまではタルタロスで約五日。地殻突入から脱出までを十時間弱で行えということか……これは厳しい」

「ほんの少しの遅れや失敗も、命取りってことね」

 

 ジェイドに続き、自らをも律するような口調のティアに、イエモンは首肯を示して説明を続けた。

 

「脱出はアルビオールで行う。そのために、圧力を中和する音機関を取り付けねばならん。作戦を開始すると決めたら、アルビオールはこちらで港に送る」

「音機関を取り付けたら、アストンがタルタロスの格納庫に入れておいてくれるよ」

 

 タルタロスを沈めてしまう以上、それ以外一行が無事帰還する手段はない。

 だが、ということは。

 

「……じゃあ、作戦が始まるとアルビオールは使えないんだね」

「そうさ。そうなってからじゃ、他の街に買い物へ行くこともできないよ」

 

 流石に他の街へ行くほど大切な用事はないが、アニスの言葉にタマラは冗談めかして答えた。

 

「だからやり残しがないか、よく考えてから作戦を始めとくれ」

「さ、わかったら準備をしてくるんじゃ」

 

 イエモンの言葉に、ルークがくるりと一同の顔を見やる。

 彼としてはすぐにでも始めるつもりなのだろう。だが一応皆の都合を確かめる所存なのだ。

 成長したなー、と、内心でスィンは思う。

 

「皆はどうだ? 何か用事とか、あるか?」

 

 一人一人に確認を取る最中、「はい!」と挙手して用事の有無を主張するのはアニスだった。

 彼女一人に視線が集まる中、アニスは小さく咳払いをした後で、スィンに視線を向ける。

 

「ね。確か今日の買出し当番って、スィンだよね?」

「違いますわ、アニス。今日はルークの番だったはずですわよ」

 

 猫なで声に近いアニスの言葉を否定したのは、わざわざ荷袋から当番表まで持ち出したナタリアだった。

 アニスは一瞬、アテが外れたように口ごもった後で、わざとらしく首を傾げている。

 

「あ、あれ、そだっけ? でも私、是非ともスィンに行ってほしいんだけど……」

 

 言いながら、アニスは手に持っていたメモをスィンへ手渡した。

 リストを見て、彼女は納得したように軽く頷いている。

 

「いいよ。行ってくる」

「ホント!? ありがとうスィン、おつりは好きに……あ、やっぱりナシ。今度代わってあげるから」

「買ったものはアルビオールに預けとくね。後でタルタロスに移そう」

 

 そしてスィンは、共用財布とメモを手にきびすを返して出入り口の扉に手をかけた。

 ナタリアを筆頭とする何人かは当惑した視線を隠さないものの、アニス一人がぱたぱたと手を振って、にこやかに送り出している。

 

「行ってらっしゃーい♪ そんなに急がなくていいからね~」

 

 その声に応えて、スィンは軽く手を挙げた。そして、集会場の扉が閉まる。

 その足で食材を扱う商人が、いつも根城にしている酒場へ赴きつつも、何らかの意図をもって自分に席を外させた少女のことを考えていた。

 おそらく、今頃はジェイドあたりに尋問が始まっていることだろう。ただスィンへの悪口雑言を言うために買い物を頼んだとは考えにくい。

 あの若年寄相手に何をどこまで聞きだせるものか。そんなことを考えつつも、買出しは順調に済む。

 さてアルビオールの貯蔵庫に仕舞ってこようかと、アルビオールが停泊している郊外へ足を向けた。

 そこに。

 

「あれがアルビオールだ! 速やかに破壊しろ!」

 

 聞いたこともない男の号令が飛び、物陰からわらわらと神託の盾(オラクル)騎士団が支給する鎧をまとった兵士たちが、アルビオールへ群がっていく。

 遠目では、ギンジ、ノエル兄妹がアルビオールの調整を執り行っていたらしく、突如現われた兵士たち相手にただ、戸惑っているように見えた。

 ──などと、呑気に見物している場合ではない。

 

「遥か彼方の空へ我、招くは楽園を彩りし栄光。我が敵を葬り去れ、荒らぶる神の粛清を受けよ! アースガルズ・レイ!」

 

 アースガルズ・レイ──古代秘譜術による光の奔流に飲み込まれ、兵士たちは次々と姿を消していく。超高熱を孕んだ光は肉体をあっけなく消滅させ、後には彼らの装備品である兜や剣が、原型を留めずして転がるのみだ。

 接敵する前だったからよかったものの、混戦ともなればギンジもアルビオールも巻き込んでいたことだろう。

 その威力、マリィベルの扮装をしたまま行使したときとは桁が違っていた。

 何せ、兵士たちが踏んでいた大地まで灼熱にさらしており、焼かれた土が焦土と化している。

 

「二人とも!」

 

 その間にも、スィンはノエルたちのもとへ駆け寄っていた。

 ざわめきに見やれば、騒ぎを聞きつけて様子を見に来た技師たちが、ぱらぱらと集まりつつある。

 

「スィンさん、一体何が……」

「それは僕が聞きたい。とりあえず、ちょっとどいてね」

 

 戸惑いを隠さないノエルに、スィンは偽りない本音を語っていた。

 とにもかくにも、アルビオールに乗り込んで荷袋を貯蔵室へ放り込む。これで両手が使えるようになった。

 素早くアルビオールから降りれば、技師たちに話を聞いていたギンジが駆け寄ってくる。

 

「シアさん! 神託の盾(オラクル)騎士団兵士が、傍の海岸から大量にやってくるらしいです! まさかこれが話に聞く、ローレライ教団の妨害じゃあ……!」

「その危険性は十分にある……ノエル、今すぐにアルビオールで港へ向かって!」

「さ、作戦を開始するんですか?」

「そういうこと。港から来たわけじゃないなら、まだ制圧はされてないかもしれない。危険だと思ったら逃げてくれていいから、さあ!」

「……わかりました!」

 

 アルビオールに飛び乗るノエルを見送る暇も惜しみ、スィンはギンジに向き直った。

 

「僕は街の入り口で兵士の侵入を防ぐから、事情を説明して……」

「狼煙を上げるんですね、任せてください!」

 

 計画の詳細は彼にも伝わっているらしく、脱兎の勢いでギンジは駆け出していく。

 大変なことになった、と思いつつ、シルフに呼びかけ、彼女の目を借りて港の状況を探った。

 ほんの一瞬だけ、慌ただしくはあるが兵士の姿はない港の様子が、脳裏をよぎる。

 スィンは街の南に位置する入り口を目指して走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

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