数瞬の沈黙の後、満足げにくるりと振り返ったアニスを、ガイが不思議そうに尋ねた。
「アニス、あいつに何を見せたんだ?」
「ただの買出しリスト。ただし、ルークの嫌いなものがのっけてあるの。スィンだったら下手に何か言わなくても、ルークは嫌いなものを売り切れとか言って買ってこないかも……って勘ぐってくれるから」
「なるほど」
納得するガイに、どういうことなのか見当もついていないルークがくってかかる。
ティアもナタリアも、何となく想像がついているのか、何かを尋ねようとはしていない。
「って、お前初めからスィンに席外させるつもりだったのか?」
「だってそうじゃないと、大佐が素直に答えてくれないじゃん」
ねー大佐v と言わんばかりに、彼女は満面の笑顔を彼に向けている。
ジェイドはジェイドで、多少の予測はついていたのか、軽く吐息を零して軽く腕を組んだ。
「……何をですか? アニス」
「とぼけたって無駄です、もちろんスィンのことですよ! なんだってあんな態度取るんですか」
眼鏡の奥で、紅玉の瞳が鋭くすがめられた。
その様を目にして、ルークはやっとこさアニスが何を企んだのかを察している。
対してジェイドは、どこか斜に構えた風情であっさり受け流した。
「さて、何故でしょうね」
「何故でしょうね、じゃあないですぅ。別に私は、大佐がスィンと喧嘩してたって首突っ込む気はないです。でも、今は地殻突入なんて大仕事前なんですよ? ちょっとした喧嘩が大事故に繋がるかもしれないのに」
もっともなアニスの指摘に、彼は嘆息をつきつつも眼鏡の位置を調整している。
しかし、そこへナタリアが至極不思議そうに口を挟んだ。
「そもそも、大佐はスィンと喧嘩をしているのですか? わたくしは、二人とも会議室以降アルビオール前でしか、顔を合わせていないように思っていましたが」
「確かに、それまでスィンは私の家にいたはずよ。そして大佐は、確かピオニー陛下と言葉を交わした後は、おじいさまのところにいたはず。喧嘩のしようがないのでは……」
ティアも、当時を思い出すように考察を論ずる。
女性二人の疑問に答えるように、ジェイドは観念した様子で口を開いた。
「確かに、今回は何もありませんよ。私が一方的に、彼女を避けているだけですから」
「やっぱりか。スィンも、旦那の様子に戸惑ってたみたいだからな。最も、あまり気にしてないみたいだから、ひょっとしたら諍いのひとつでも、と思っていたんだが」
こうなると、気になるのはジェイドの態度の理由である。
何もないはずなのに、何故スィンを無視するような態度を取るのか。
それを憂えるように切り出したのは、導師イオンだった。
「ジェイド。それではやはり、会議室でのことが原因ですか。それも……」
「イオン様。ひとつお尋ねしたいことがあります」
珍しくイオンの言葉を遮り、ジェイドは今まで疑問に思っていた事柄をぶつけている。
資質のない彼では絶対にわからない、この世界の根幹に関わる現象のことを。
「
「はい。僕たちは基本的に、ユリア・ジュエの詠んだ譜石をもとに
「……そのはず、ですよね。ならば何故、あんな……」
彼が気にしていたのは、スィンが語った『彼女』の様子についてであった。
具体的な描写だけならまだしも、彼女はまるで実際にその光景を見たかのように語っている。
同じことを不思議に思っていたと言うイオンが、自分の推測を口にした。
「これは僕の想像なのですが、スィンはおそらく
「……?」
おかしな話である。
「かのユリア・ジュエは、実際に起こりうる未来にすべて目を通し、その結果巨大な譜石を作られたとあるんです。このことから、ユリアは
イオンの語る言葉が、何を示すのか。それを察した一同は、一様に静まり返った。
以前、スィン自身の語った、荒唐無稽な言葉が、思い起こされる。
口火を切ったのは、ユリアの子孫にして譜歌を受け継ぐ、ティアだった。
「……じゃ、じゃあ、スィンは、ユリアと同じように
「ユリアに近い振動数であり、記憶や知識を多々備えていることを考えれば、その可能性は大いにありえるんです。この場合彼女が行ったのは、過去視になりますが」
彼女自身の証言とマルクト皇帝の話を統合すれば、先天的な素養がなければ詠めないとされる
スィンがシアとして
彼女自身が過去話した証言と、それに伴う事実とを鑑みるならば、そう考えるのが一番自然だった。
「だがジェイド、仮にスィンがそうだったとしても、それとあいつを避けることに何の関係があるんだ」
「……あそこまで詳細を知られているとは思わなかった。これが率直な感想です」
ガイの言葉を答えると同時に、彼は半ば自分を納得させるような調子で言葉を発している。
その顔には、紛うことなき悔恨が、くっきりと現われていた。
「つまり彼女は、私が何をしたのかも、つぶさに知っているのでしょう。とうに理性が千切れていてもおかしくなかっただろうに、耐え抜いて……今も、耐え続けている」
「だが、スィンは旦那とよく些細なことでも喧嘩していたじゃないか。今までのあれは、本音の裏返しにはならないのか?」
「──慰めは結構ですよ、ガイ。真実は彼女しか知らないし、そう思い込んで安心することすら、私には許されない」
半ばじゃれあいのようなあのやりとりだけではない。
ともすれば、スィンがこれまでジェイドと接してきた態度も、すべて演技だったかもしれないのだ。
「いくら何でも、それは……!」
「ありえない、と言い切れますか? 私とて、そんな馬鹿なと笑い飛ばせたらどんなにいいかと、夢想しましたよ」
「けれど……」
「現実として、彼女は私を憎んでいながら、まるで何事もなかったように振舞っていた。秘めた思いを隠し続けることは容易でなかったはずなのに、私たちの誰にも事実を悟らせずに。事情を知っていた陛下によって、私は初めて事実を知らされたんです。ケテルブルクに乗り込んできたという彼女が陛下と巡り合っていなければ、私は一生、気付かなかったでしょうね。この因縁も、彼女の苦悩も」
普段が普段なだけに、悪循環な思考に陥ってしまったジェイドに歯止めをかけるのは難しい。
加えてスィン自身も尋常とは程遠い存在もあってか、否定しようとしたナタリアは完全に言い負かされている。
「突き詰めてそのことを考えていたら、自然と彼女の顔すら見ることができなくなった。これが、私の奇妙な態度の理由です。疑問が晴れて満足ですか? アニス」
彼に心情を吐露させる原因を作った張本人に視線をやって、ジェイドは口を閉ざした。
一方で、当の本人は臆することなく言ってのけている。
「……踏み入ったことを聞いたのは、失礼しました。でも私は、謝りません」
「アニス……」
イオンの控えめな制止に、珍しく彼女は耳を貸さなかった。
口にこそ出さないが、「イオン様は黙っててください」と言いかねない雰囲気をまとっている。
「だって大佐は結局、自分がしたことから、スィンからも逃げてるだけじゃないですか! 詳しい事情はよくわからないけど、部外者の私だってそれだけはわかります」
「そこまでだ、アニス。気持ちはわかるが、それ以上はダメだ」
アニスの指摘に、ジェイドがわずかに目を見張る。
指摘を続けようとするアニスに対し、ガイが彼女の前へと立ち塞がった。
「ダメじゃないよ、ガイ! 珍しく大佐が何か勘違いしてるんだから、ここでビシッと正して大佐の中でアニスちゃんの株を大幅アップ!」
「部外者だってわかってるなら尚更だ。俺たちは口出ししちゃいけない。このことに関しては、旦那がサシでスィンと決着をつけるべきなんだ」
冗談なのか本音なのか、図りかねるアニスのボケをスルーして、ガイはあくまで真摯に発言を差し止めている。
スルーされたアニスとしては、嫌でも真剣になって応じるしかない。
「……そりゃそうだけど、ガイは気にならないの? せっかく仲直りしたと思ったのに、あの空気がまた漂うのは私、ゴメンなんだから」
「そいつは俺も同意見だ。ついでに言うなら詳しいこともわからん。だがな、繊細な問題だってのはわかるだろう。こういうのは他人がどうこう言ったってどうにもならないさ」
彼の言葉に対し、アニスはつぶらな瞳をまん丸にして首を傾げた。
「ほえ? ガイも詳しいことはわかんないの? ガイのことだから、どういうことなのか、今度こそ質問攻めにしまくったと思ってた」
「……聞いたさ。グランコクマでの後からずっと、何十回と。結局何一つ教えてくれなかったよ。挙句の果てには、『それを聞いてどうするのか。聞いたってどうにもならない。同じ気持ちになってほしくない』と言われる始末さ」
アニスを諭していた力強い瞳が一転、悲しげに歪められる。それを見たアニスが、気まずげに、彼から眼をそらした。
その時。バァン! と激しく乱暴に、集会場裏口の扉が開く。
一行が一様に眼を向ければ、そこにはつい先程慌ただしく出て行ったイエモンとタマラが、厳しい表情をたたえて立っていた。
「どうしたんですか?」
「事情が変わってしまったんじゃ。急いで港へ行け!」
「一体何が……」
ティアの問いかけに、イエモンが語気荒く言い放つ。
反論しようとしたナタリアが、息を荒げたタマラによって遮られた。
「ついさっきアルビオールが襲われたのよ! シアお嬢ちゃんが助けてくれたからよかったものの、アルビオールどころかギンジもノエルも殺されるところだったわ!」
「例の兵士どもが、このシェリダンに押し寄せてきとるんじゃ! お嬢ちゃんの機転で計画は始まっておる。もう狼煙が上がるところじゃ」
そこへ。足音も高らかにギンジが、集会場正面扉から駆け込んできた。
「現在、シアさんが正面の門で兵士を食い止めていてくれます! 伝言を預かってきました、皆さんはこのまま、北門から港へ向かってください!」
「あいつを置いていけって言うのか!?」
「たっ、タルタロスの移動なら、皆さんで事足りる。シェリダンに押し寄せた兵士を片付けてからでは到底間に合わない。更に港へも、兵士が殺到している可能性が高いと言っていました。港へは行くつもりだが、間に合わないなら置いていってくれ、と……」
眦を吊り上げたガイに、ギンジは多少脅えながらも、スィンが唱えたと思しき推測を語る。
合理性を、制限時間を考えるなら、正論以外の何者でもない。
イエモンやタマラも、そのあたりは心得ているらしい。口早に、地殻突入後のことを説明している。
「地殻到達後、タルタロスの振動装置を起動させたら、アルビオールでタルタロスの甲板上に移動しとくれ」
「甲板に上昇気流を生み出す譜陣が書かれておる。それを補助出力にして、脱出するんじゃ」
「アルビオールの圧力中和装置も、三時間ほどしか持たないよ」
「急いで脱出してくれないと、ぺしゃんこになるぞい」
「何から何まで命がけか……」
スィンが戻ってきてから明かされただろう事実に、ルークが小さく呻いた。
「そんなことより、ホントにスィンを置いてくの!?」
「確かに、計画が発動されているなら時間はないわ。けど……」
スィンが兵士の足止めをしているなら、囮としての意味合いも高い。
六神将が来ていれば、その効果は更に飛躍することだろう。
しかし、それがわかっていても。彼女の了承があったとしても、その案には承服しかねた。
「……ですが、仮に作戦が成功しても、その後で孤立したスィンに何が起きるかも気がかりです。いくら彼女でも、六神将総がかりで来られたら……」
「ダメですわ! わたくしが……タルタロスの操縦ができないわたくしが残って、スィンを援護します! 皆は行ってくださいませ、さあ!」
ジェイドの言葉を真に受け、弓を掴んで今にも集会場から飛び出そうとするナタリアを、慌ててルークが止めにかかる。
「落ち着けよナタリア! お前一人残ったって、状況は変わらな……」
「なら俺が残る! ジェイドの旦那、すまないがナタリアに指導を頼んだ!」
「ガイ!」
スィンの援護か、作戦遂行か。
この緊急時にふたつの選択を迫られ、にっちもさっちも行かなくなった一同は──
「何をグズグズしてやがる、お前ら!」
そんな一喝で、ぴたりと喧騒を沈めた。