the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百二十一唱——そして辿りつきしは、ひとつの終焉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タルタロス出港、五日後のこと。

 これといった計器トラブルもなくアクゼリュス崩落跡に到達はしたものの、取り巻く状況はいささか不利なものだった。

 本来は艦長がいるべき位置を陣取ったジェイドが、険しい顔でモニターを見上げている。

 

「……予定より一時間到着が遅れました。これ以上の失敗は許されません」

 

 あれからジェイドと何かあったかといえば、それは否だ。

 彼が何を考えているのかはさっぱりだし考えたくもなかったが、妙な干渉をしてこなかったのは正直ありがたかった。

 眼前のモニターを見つめ、地殻突入を開始しようかといった、矢先のこと。

 突如響き渡った警戒音に、一同は騒然と立ち上がった。

 

「な、何だ!?」

「侵入者よ!」

「まさか、ヴァン謡将か!?」

 

 誰何の声を上げたルークに、ティアが焦りを含むその声で答える。

 スィンが個人的に拒否したい可能性をあっさり口にしたのはガイだ。

 訂正させたいが、そんなことをしてジェイドにまた因縁つけられる──寝た子を起こすような真似はしたくない。

 

「余程地殻を静止させられては困るんですね」

「どうしてなのでしょう……」

 

 ゆったりと本質たる原因を探るのはイオンとナタリアだ。

 非常に重要なことではありながら、今はそれの議論をしている場合ではない。

 

「それもそうだけど、今は侵入者だよぅ。どーすんの?」

 

 誰ともなく尋ねられたアニスの問いに、しばし目を伏せていたガイはスィンに目をやった。

 

「スィン、機関室を見てきてくれないか」

「ガイ」

 

 スィンがそれに答えるよりも、ジェイドの咎めの声が飛ぶ。

 

「今誰かが単独行動を取るのは危険です。あなたはこれ以上作戦を遅らせたいのですか?」

「だが、タルタロスに何か小細工かけられて、地殻停止に不備が生じたら大事だ。下手をすれば突入する前に、全滅させられる可能性がある。俺が行ってきたいところだが……もし侵入者がヴァン謡将だとしたら、返り討ちがオチだ」

「……行ってきます」

 

 ベルトを外し、立ち上がる。

 ガイの言うことはもっともだ。そしてそれ以上、そんな可能性など聞きたくなかった。

 

「スィン!」

「──あなたはどうか知りませんが、僕はまだ死にたくないんです。ましてや、あなたとの心中など御免被る。作戦準備を続けてください。何もなければ、すぐに戻ってきますから」

 

 ジェイドの顔も見ず、そう言い捨てて。

 スィンは足早に艦橋(ブリッジ)を後にした。

 

 

 取り付けられた譜業装置の作動により譜陣が展開し、タルタロスは沈みゆく。

 機関室にそれらしい人影も、機材を弄られた形跡も見つけられなかったスィンが全速力で艦橋(ブリッジ)に戻ってきた瞬間、作戦は開始していた。

 想像よりも凄まじい振動に当然直立はできず、その場にうずくまってやり過ごす。

 やがて振動はやみ、奇妙な浮遊感にモニターを見やれば、タルタロスは海が割れたことによって生まれた滝へ一直線に落ち込んでいた。

 

「スィン、こちらへ」

 

 その光景から眼が離せなかったスィンだったが、ふと名を呼ばれて手を引かれた先に蒼い軍服の背中があった。

 半ば強制的に繋いだ手だが、まったく恐怖はない。違和感や嫌悪感がないかと聞かれれば、ないわけがなかったが。

 導かれるがままに艦長席の隣、副官席に座らされジェイドの手によってベルトが締まる。

 そこで初めてジェイドを見やれば、彼もまた艦長席に腰掛けてベルトをきつく締めている最中だった。

 

「その様子では、機関室には何もなかった様子ですね」

「……ええ、機関室には。警報機も異常なく作動していたようですが」

 

 直後、タルタロスが重力の楔から完全に解き放たれる。

 内臓が浮き上がるような不快感をまんべんなく味わったところで、魔界(クリフォト)の瘴気に満ちた毒々しい海が近づいてきた。

 派手な着水をするかと思いきや、再び譜業装置が作動する。

 モニターには見えないが、おそらくタルタロス降下時、青い空に描かれた譜陣が形成されているのだろう。

 タルタロスの巨大な艦体は、まるで羽毛か木の葉であるかのように着水し、そのまま降下ならぬ沈下を始めた。

 さぞや毒々しい瘴気の海一色に染められるだろうと予測されたモニターは、そんな予測を綺麗に裏切っている。

 何の色ともつかない眩い光に満ちたモニターは一瞬にして全員の光をくらませるも、その一瞬、スィンは光の正体を過去の回想に見つけていた。

 

 なつかしいひかり。あれは──

 

「……着いた、のか?」

「そのようです」

 

 追憶は、ルークとジェイドによる会話によって儚くもかき消された。

 一同が息をついて席を立つ中で、一人思わしげな表情を浮かべているのはガイである。

 

「さっき一瞬見えたあれは……」

「どうかしましたの? 確かに地殻に飛び込む直前、何かが光ったみたいでしたけれど」

「……ホドでガキの頃に見た覚えがあるんだ。確かあれは……」

 

 ナタリアの言葉で記憶を探り始めた彼ではあるが、残念なことにそれは時間が許してくれなかった。

 

「詮索は後です。こちらは準備が終わりました。急いで脱出しましょう」

 

 スィンの隣でてきぱきと計器を操り、ベルトを外して立ち上がったジェイドが一同を促す。

 その姿が、異様に腹立たしく映った。

 地殻突入の衝撃に耐えられなかったのか、どこか足元のふらついているイオンをアニスが支えて歩き出す。

 その補助に向かうその背中に、なぜか短刀を突き立てたくなって、たまらなくなった。

 

「……?」

 

 不意に湧いたジェイドへの殺害衝動に、首を傾げる。

 彼は当然のことを言っただけだ。侵入者のことは気になるが、早く脱出するにこしたことはない。地殻から脱出さえできれば、侵入者が見つかろうと見つかるまいと作戦は成功するのだから。

 どれだけ経とうと消えない感情にやるせなさを覚えつつ、一同に従って甲板へと至る。

 道中侵入者による襲撃に気を配っていた一行が目的地たる甲板にたどり着き、ホッとするのも束の間。

 最初に異変に気付いたのは、アニスだった。

 

「あれ……? イエモンさんたちが言ってた譜陣がないよ?」

 

 スィンは直接聞いていないが、タルタロスでの航行中地殻突入後脱出の手はずは教わっている。

 それによればアルビオールで脱出する際補助出力として設置した譜陣が描かれているはずなのだが……それが跡形もなくない。

 どういうことなのか、一同がそれを巡って議論を始めるその前に。

 

「ここにあった譜陣は、ボクが消してやったよ」

 

 常に皮肉がこめられたような、それでいてどこかで聞いたような幼い少年の声音が甲板に響く。

 一同の移動してきた通路からちょうど反対側の方角より現われたのは、目元を隠す仮面を装着した少年だった。

 神託の盾騎士団、第五師団師団長、烈風のシンク。

 

「侵入者はおまえだったのか……」

 

 誰かがそれを言う。しかしスィンは、それが誰の発言なのかがわからないほど意識を薄れさせつつあった。

 否、正確には理性と言った方が正しいだろう。

 

「逃がさないよ。ここでおまえたちは、泥と一緒に沈むんだからな」

 

 こんな時なのに、ジェイドのことが憎たらしくてたまらない。過去のことばかりが脳裏を瞬くように駆け巡り、負に属する感情が刺激されていく。

 振り払っても振り払っても、まとわりつくコールタールのような追憶に、スィンは急激なめまいを覚えつつあった。

 そんな中で、残された理性のひとかけらが原因をじりじりと探っていく。

 その間にも、緊迫とした会話は続いていた。

 

「多勢に無勢って言葉を知らないわけ? あんたなんか、けちょんけちょんにしてやるんだから!」

「──まあ、お前はいいだろうさ。導師を護れればそれでいい、お前はさ」

 

 普通に考えてアニスの言うとおりなのだが、シンクはどこか含みのある言い回しで一同を見回している。

 こちらからは窺えない視線がスィンに向けられた瞬間、理性のひとかけらは原因を探り当てた。

 真相を、警告を口に出そうとして──腕に走った激痛が、スィンの喉を詰まらせる。

 

「けど、ホドの生き残りもそう考えるかな? だとしたら大したもんだけど」

「どういう意味だ……」

 

 いぶかしげな主の声が遠い。

 その様をせせら笑うように、シンクは細い顎をしゃくってみせた。

 

「下手なことはしないほうがいいよ? お前の従者を壊したくなければな」

 

 その声を合図に、一同はしんがりに立つ彼女へ視線を集中させた。

 当の本人に、表立った変化はない。

 ただ、常に前を見据えるその眼を伏せられ、左腕を抱えて小刻みに震えているように見える。

 押さえている腕の部位からは、禍々しい印象の光が零れては消えていた。

 

「まさか……まさか、カースロット?」

 

 まさしく信じられないといった顔をしているイオンの口から、紛うことなき事実が発生する。

 否定する様子のないスィン、シンクの浮かべた嘲笑によってそれが正解だと知った一同は驚きを隠せなかった。

 

「スィン! どうしてガイと一緒に解除してもらわなかったんだよ!」

「無駄だよ。もうまともに話なんかできない。ボクがその気になればすぐにでも──お前らにけしかけられる」

 

 まるでその言葉を肯定するかのように、スィンは動かない。

 その唇を奮わせる動作すら、うかがわせない。

 ただ。ゆっくりと外された腕はだらりと垂れ下がり、余計な力を抜いた状態に移行しつつある。

 それに伴い、抑えていた腕の部位から奇妙な紋章の形が、服さえもはねのけて不気味に浮かび上がった。

 

「ああ、正確には死霊使い(ネクロマンサー)かな? だけど他の連中にカケラも恨みがないわけじゃないみたいだし……ま、死霊使い(ネクロマンサー)と共倒れになってくれれば、それでいいや」

「……私とスィンを相打ちさせたら、ヴァンが悲しむのでは?」

「そうかもね。だけど、そんなことをボクが配慮する義理はない」

 

 ジェイドによる、軽口を使っての時間稼ぎは見抜かれていたらしい。

 シンクは唇を歪めながら応じるものの、スィンの左腕に宿った輝きは徐々に強さを増していく。

 

「そうそう。先に言っとくけど、下手な真似をすれば遠慮なくこいつを壊すからね。大切な仲間を人形同然にしたくないなら、余計な真似はしないことだ」

「壊す……!?」

 

 そんなことが可能なのかと言いたげなナタリアに、イオンの絶望的な肯定が返ってきた。

 

「カースロットは、人の精神の奥底に潜り込んで発動されるものです。侵された度合いにもよりますが、術者がその気になれば精神崩壊を促すこともできます」

「そんなこと、一体どうやって」

「簡単だよ。過去のトラウマをほじくりだしてやればいいのさ。こんな風にね!」

 

 びくっ、とスィンの体が震える。

 もはや何者も映さない瞳が大きく揺らぎ、声にならない悲鳴が木霊することなく消えた。

 苦悶に歪む顔が伏せられ、耳を塞ぐように細い両腕が頭を抱える。

 その尋常ならざる様子に、アニスにかばわれていたイオンは慌てて彼女へ駆け寄った。

 この場でカースロット解除を行うつもりだったのか、その手を浮かび上がる紋章へかざし──

 彼は驚愕を浮かべて手を下ろした。

 

「そ、そんな……!」

「無理だよ、もう手遅れさ。仮に可能だったとしても、それをボクが許すとでも?」

 

 ぱちん、とおもむろにシンクが指を鳴らせば、彼女はゆるゆると腕を下ろした。

 苦悶の表情こそ消えているものの、瞳の揺らぎは以前そのまま。どう好意的に見ても、正気ではない。

 そんな彼女に、シンクは不愉快を孕んだ声音で告げた。

 

「さて……これでわかっただろ? これ以上悪夢を見せられたくなければ、抵抗をやめろ」

「……っ」

 

 言葉こそないものの、スィンは未だ血桜の柄すら握らない。

 その様子を見て、シンクはやれやれと肩を落とした。

 

「しぶといね。もう十分だと思って仕掛けたのに、ここまで往生際の悪い奴は初めてだよ」

「……」

「ん? 何?」

 

 掠れたその声を、言葉にすることをシンクが許可をした瞬間。

 

「初めて、ね。それくらい、使ってきたんですか。本当に、悪趣味なこと」

 

 スィンは明瞭に言葉を発した。記憶を揺さぶられ平静ではいられなくなるはずのカースロットの支配下に置かれているとは思えないほど、きちんと会話が成立している。

 いや、そもそも。カースロットに侵されて、会話している時点で、抵抗できている時点で。何かがおかしい。

 

「……なんだと?」

「そんなに、不思議そうに、しなくても、カースロットなら、ちゃんと、働いてますよ」

 

 苦しげに、気だるげに、声を出すのも億劫だと言わんばかりに。

 それでも今、自分にできるのはこれくらいだと示すように。スィンは言葉を紡いでいく。

 

「初めは、ちゃんと集中してないと、発動もしていなかったのに。研鑽、なさったんですね」

「……」

「ただね。あなたが研鑽できる程度に、時間があったんです。対抗策くらいは、打っておくのが、常識というものではありませんか?」

「対抗策? またあの時みたいに、よくわかんない手を」

「カースロットの逆操作は、流石に接触してないと、無理ですが。この記憶を見せているのは誰なのか、それを認識して、術者に憎悪を向けるくらいなら、できなくは、ないんですよ」

 

 自らが受けたカースロットの解析を続けて、導師の術は本当に理不尽だと、嫌になりながらも仕込んだ対抗術式。

 カースロットによる支配を受け入れながらも、術式はきちんと働いてくれた。

 

「秘匿されて暗号化がかかってるダアト式譜術の解析どころか、手まで加えたのか。アンタ、実はディストばりの天才なんじゃないの」

「最大級の侮辱として受け取ります。お母さんに固執する変態と一緒にしないで……こっちに意識を向けてくれて、よかった。捌け口がないから、危うく、斬りかかるところ、だった」

 

 フラフラと、覚束ない足取りで。スィンはシンクに向かって歩み始めた。

 それすらも体力を使っているかのように呼吸を荒げながら、その手が血桜の柄を握る。

 この状態で、ぎりぎり正気を保ちながらでは、まともに戦えはしないだろう。しかし同士討ちになるよりはずっといい。

 

「待ちなよ。アンタが殺したいのは死霊使い(ネクロマンサー)のはずだ」

「違う、死霊使い(ネクロマンサー)じゃない。あれはまだ殺しちゃいけない。この悪夢は、お前が死ななきゃ消えない」

「セコい自己暗示で誤魔化すな! ったく、もう知るもんか。ブッ壊してやる!」

 

 ──かかった。ほぼ動かない思考の裏側で歓喜する。それを示すかのように、スィンの口元が笑みの形へと歪んだ。

 

「カースロット、カウンター、クラック」

「うわぁっ⁉︎」

 

 カースロットの発動だけならまだしも、本格的な精神崩壊を促してくるならば。ある種の精神同調を起こす必要がある。

 同調における経路(パス)が確立した瞬間を狙って反撃を仕掛けると、シンクはあっさりと集中を乱した。

 カースロットの発動を示す浮かび上がった紋章が、唐突に消える。

 

「あはは、挑発すれば、使ってくださると、信じてました! 引っかかってくれて、本当にありがとうございます!」

「貴様……!」

「触れてなければ平気だって思い込んだでしょう、残念でした! 同じ手を何回も使うわけないじゃないですか、あなたじゃあるまいし! まずい、感情制御できない、あはは、あははは!」

「ふざけた真似を……!」

「ふざけているのはてめぇの方だ! こんなくだらねぇ(もの)を我が主に使いやがって! ぶっ殺してやるっ!」

 

 大気を震わせる、怒声が響き渡った。

 それまで心底おかしいといった風情で笑い転げていたのが一転、狂気さえ滲ませた罵声を放ち、シンクへ詰め寄ろうとする。

 明らかに様子と情緒がおかしい。

 

「だ、ダメです、スィン!」

「イオン様⁉︎」

 

 そのスィンの腕を掴んで止めたのは、先程カースロットの解除を断念した導師であった。

 

「感情の制御ができないのは、カースロットが精神を蝕み始めている兆候なんです! これ以上抵抗を続けたら、廃人にされてしまいます!」

「それなら尚のこと、廃人にされる前にシンクを殺っちまわないと……!」

「やれるものならやってみろ! その前に考えることすらできない人形にして、こいつら全員その手で殺させてやる!」

「これ以上シンクに、術者に近づけば、それだけ侵蝕が早まってしまいますっ」

 

 再びスィンの腕に、カースロットの紋章が浮かび上がる。ぎりっ、と歯を食いしばり、まずはイオンに掴まれた腕を振り解こうとするスィンではあったが。

 徐々に歪む意識の中で、掠れたその声を聞いた。

 

「……もう、いいんですよ。スィン」

 

 常に調子の変わらなかった声だった。

 どんな危機においても、一定の音程──冷静や平常によって乱れることがなかった声。

 恨み憎み妬み、そして同時に心惹かれた、耳に心地のいい低音の男声。

 ──どうして、こんなにも掠れて、震えている? 

 あの、常に自信たっぷりな嫌味男の声が、何故? 

 

「私が憎いんでしょう? もう隠す必要はありません。そして我慢をする必要も」

 

 意識は歪んでいても、視界は通常のままだ。その視界の中で、ジェイドはスィンに向き直っていた。

 その表情に、あの胡散臭い笑顔はない。他者に恐れを抱かせた怒気もない。

 

「あなたが私を殺しても、ガイは不当な扱いをされない。そう、陛下に約束させました」

 

 表情はなかった。淡々と、彼は言葉を紡いでいる。

 あの掠れ声で。

 あの、スィンをこの上もなく苛立たせる、掠れ声で。

 

「だから、もういいんです。シンクの声に頷いてしまいなさい。……楽に、なりなさい」

「……うるさい! 楽になんかなれるか!」

 

 耳を塞いで、首を振って。ジェイドの言葉を拒絶するスィンは、言うべきでない言葉を口走る。意味が通じるものでないのは、それだけ切羽詰まっている証か。

 

「何のために庇ったと思ってるんだっ! あの預言(スコア)を気にしてかもしれないけどっ、母さんが護ったあなたを私が殺してしまったら、ただの犬死にだ、意味がなくなってしまう!」

 

 直後、顔を苦悶に歪めたスィンは、慌ててジェイドを視界から追い出した。

 とうとうその手が血桜の柄が握る。しかしまだ、それが抜かれる気配はない。

 

「ありがとう、死霊使い(ネクロマンサー)。こいつを怒らせれば怒らせただけ、制御がしやすくなる」

 

 自分をやりこめたスィンが苦悩する姿を見て溜飲を下げたのだろう。傍観者と化しつつあったシンクが、耳障りな笑声を放つ。

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、彼はまとわりつくような誘惑をスィンにつきつけた。

 

「当の本人がそう言ってるんだ。もう何も気兼ねすることはない……キレちゃいなよ」

「うくっ……!」

 

 理性が剥がされていく。

 日頃眠る狂気が鎌首をもたげて、甘美な誘惑を拒む意識に牙を剥こうと──

 

「スィン!」

 

 その声を聞いて、鎌首は止まった。

 

「もう逆らうな! 俺がお前の暴走をきっちり止めてやる、あとで覚悟しろよ!」

 

 主の、声。

 揺らいでいた瞳が、わずかな輝きを灯した。

 問いも明らかなその視線に、ガイは力強く頷いている。

 

「……死なない?」

「安心しろ、誰もお前如きに殺されないさ!」

 

 幼児退行でも起こしたかのような、単純にして純粋な問いに、その答えが返る。

 それを聞いて、スィンは明らかな笑顔を浮かべた。

 ──その手に、家宝にして愛刀を携えて。

 

 

 

 

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