the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百二十五唱——新たな予感

 

 

 

 

 アルビオールの水上走行機能を使って、メジオラ高原へと続く渓谷を進む。

 徒歩で向かうことが不可能だったわけではないが、メジオラ高原の奥部といわれるくらいだからそれなりの距離を要するだろう。

 その手間を少しでもなくせないかと吟味した結果、地図上にあったシェリダン港南西の河口からショートカットできそうだと、敢行したのである。

 河口といっても、それほど広い河ではない。ノエルに苦労をさせることになるが、アルビオールが飛行不可能である状態時での経験があったために、彼女はすいすいとアルビオールを遡らせていた。

 やがて十分に進んだのち、これ以上進むと戻れなくなるのか、それともメジオラ高原から遠ざかるのか。

 アルビオールはゆっくりと停止した。

 

「アルビオールで進めるのは、ここまでのようです。皆さん、お気をつけて……」

「ノエルも気をつけてな」

 

 そう言い残してアルビオールを降りるガイに、スィンもまた続く。

 借姿形成で見た目は誤魔化してあるが、自分の感覚だけはどうあっても騙せない。どうにも抜けないだるさから目を背けつつ、スィンは歩き始めた一行の後ろについた。

 以前訪れた際と同じように、メジオラ高原はどこまでも荒涼とした景色が延々と続いている。これならタタル渓谷の、超振動によって飛ばされた場所のほうがよほど高原らしい。

 切り立った崖、緑もなければ水もない寂しげな風景はどこまでも変わらない。

 アルビオール初号機とギンジ救出時には急いでいた故にまったく気にかけていなかったが、これではダアト式封咒もこの風景に溶け込んでいるような気がしてならなかった。

 

「パッセージリングはどのあたりに取り付けてあるのでしょうか……」

「今までと同じような、ダアト式封咒の扉があるはずです。まずはそれを探しましょう」

 

 ナタリアとイオンの会話を片耳に挟みつつ、ふとあることを思い出す。

 以前来た際も、魔物は生息していた。

 あそこよりも更に奥地だからもちろんいるだろう、ということを念頭に、進んでいくと。

 

「!」

 

 突如として、銃声が響く。

 何事かと一同が見回した先には、以前リグレット本人から奪った譜業銃と構えるスィンの姿がある。

 譜業銃の先には崖が存在しており、その崖から一同を見下ろすように佇む女がいた。

 同じく譜業銃を油断なく構え、スィンを睨む女性──魔弾のリグレット。

 

「教官!」

「これ以上無駄なことはやめろ。ヴァン総長も、心配しておられる」

「無駄なことをしているのは、あなたたちです!」

 

 これまでの間柄からして、リグレットが話しかけているのはティアだろう。彼女自身もそう思って受け答えしているのだろうが……どうもおかしい。

 スィンが譜業銃を向けているせいなのか、リグレットは一向にティアを見ない。

 それどころか、女狐と呼んであからさまに敵視していたスィンの顔を、ジッと見つめている。

 ためしに譜業銃を手放してみるものの、リグレットの様子に変化はない。

 それどころか。

 

「……何故だ」

 

 唇を噛み締め、眦が吊りあがる。

 明らかな怒りを示しつつも、彼女は譜業銃をホルスターに納めていた。

 

「何故あの方の寵愛を受けていながら敵対する! お前がその男の傍にいることが、どれだけ閣下を苦しませていることか……恥を知れ、女狐!」

「……そ。そんなこと言いに、わざわざこんなところまでご足労いただいたわけ?」

 

 リグレットの言葉に激しく動揺しつつも、スィンは半ば呆れていた。それとも、そう罵られることによってスィンが動揺することを、わかっていての芝居なのか。

 わからないがそれよりも、何故リグレットがここにいるのか。それが問題だった。

 

「それとも、誰かを暗殺してこいとでも言いつけられたの?」

「……叶うならば貴様の脳髄を吹き飛ばしてやりたいが、閣下はそれを望んでいない」

 

 物騒なことをのたまいつつ、その手は譜業銃の収まったホルスターに添えられている。

 添えられているだけで、抜かれようとはしていない。

 

「じゃあ、何。まさか一人でイオン様の強奪に来たんじゃ……」

「……自分の身を犠牲にしてまで守る価値のある世界か? まったく理解ができないな」

「!」

 

 かまかけ──であれば、どんなによかったことか。

 シュウ医師からカルテを回収してきたというのに、リグレットは全ての事実を承知しているらしかった。

 これに反応しない彼らではない。

 

「自分の身を、犠牲……?」

「……その様子では、何も知らなさそうだな」

 

 ガイの呟きを耳ざとく聞きつけて、リグレットは嘲笑した。

 

「哀れな奴だ。そこまで「何のことだかさっぱりわかんないね。ガセでも掴まされたんじゃない? 可哀想なのはあなたの方だよ」

 

 リグレットの嘲る声を遮る。

 どんな情報をもとに物を言っているのかはわからないが、これ以上彼女にしゃべらせない方が多分いいだろう。

 

「憎しみに駆られて殺そうとした人間を。弟を殺したも同然の人間を閣下と呼んで敬愛して、ついでに恋心まで抱いてるあなたにはそりゃ、理解できないよ」

「──貴様っ!」

 

 盛大に自分の過去を暴かれ、リグレットはあっさりと激昂した。

 ただ、ホルスターから譜業銃を引き抜くことなく、さっ、と腕を上げたかと思うと、その腕を何かが掴む。

 鳥獣型の魔物に運ばれ、一同と同じ道に降り立った彼女はつかつかとスィンに迫ってきた。

 当然、スィンは血桜を引き抜いて警戒している。

 

「最低な女だな。都合が悪いと、人の過去を暴いてまで誤魔化すか!」

「──泥棒猫に最低とか言われるとー、本当に最低になった気がする」

 

 しれっと、ヴァンに迫ろうとして強攻策をとったリグレットの過去の醜態を揶揄すれば、彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。

 多分、怒りではない。

 

「だっ……黙れ! それ以上口を開くな!」

「泥棒猫って……スィン、教官は一体何をしたの?」

「あのねーリグレットったらねー」

 

 言いかけて、その場に伏せる。

 今度こそ銃撃してくるかと思われたが、リグレットは顔を真っ赤にしたまま何かを投げつけてきただけだった。

 陽光に反射して煌いたそれは、力なくスィンの背後に転がった。

 

「ティアにそのことを話してみろ! 今度こそ、貴様を蜂の巣にしてくれるわ!」

 

 再び腕を上げたリグレットを、鳥獣型の魔物がさらっていく。

 そのまま、豆粒のようになっていく彼女を見送って、ルークがポツリと呟いた。

 

「……何だったんだ?」

「どうやら、戦うつもりではなかったようですね」

 

 いつの間にか槍を携えていたジェイドが、何事もなかったようにそれを消す。

 くい、と眼鏡の位置を正すと、その真紅の瞳はスィンを見やった。

 

「個人的には、スィンが女狐と呼ばれる所以を知りたいところですが」

「……んー。思い当たるフシがないわけではありませんが、わかりません。一体どれが決定的な原因なのか」

 

 リグレットが投げつけてきたのは何だったのかを見、拾い上げて首を傾げる。

 あれかなあ、これかなあ、と過去の追憶を穿り返して思い悩むスィンに、興味津々なナタリアが口を開いた。

 

「では、泥棒猫のくだりのあたりを。彼女は一体何をなさったのですか?」

「ティア、耳塞いで。蜂の巣にされるのやだから」

「でも、私も興味があるのだけれど……」

 

 何とか誤魔化すことには成功したか、と内心で安堵する。

 ティアが知りたがっていることをいいことに、リグレットの暴露話もあえてすることなく、一同は先を進んだ。

 そして行き着いた先に、あの特徴的な扉が出現する。

 それを一目見て、それまで守られていたイオンが前へ出た。

 

「ここがそうですね」

「やっぱり、ヴァン師匠(せんせい)が来た形跡はないな……頼むよ、イオン」

「はい」

 

 歩み寄ったイオンが、扉と対峙する。

 譜陣が浮かび上がり、規則的な動きをもってして、扉は空気へ溶けるように消滅した。

 瞬間、がくっ、とイオンの膝が崩れる。

 それを察知して駆け寄ったスィンは、彼の細い体を抱きとめた。

 

「すみません……」

「イオン様、しっかりしてください」

「能力こそ被験者(オリジナル)と変わらないのですが、体力が劣化していてどうしてもこうなってしまうんです」

 

 そんなことは誰も聞いていない。

 しかし、これで創生歴時代の音機関や譜術に触れることで、奇妙な消耗などは起こりえないことがはっきりした。

 

「ただ病気というわけではなかったのですね」

「ええ……」

 

 移動するだけなら平気だと主張するイオンの言を信じて、解放された扉の先を行く。

 開けた視界の中、周囲に溢れるそれらを見て悪い癖が発生したのは、誰あろうガイだった。

 一目その光景を見た途端、自分の世界へ嬉々としてダイビングしている。

 

「はぁ~ん。こんなところに、こんな音機関があるとはな!」

「嬉しそうだな、お前……」

「キムラスカで暮らすようになってから、すっかり譜業に目覚めちまったからな」

 

 どことなく引いているルークに取り合うことなく、ガイは無邪気に音機関へと駆け寄った。

 そのまま子供のようにはしゃぐ彼に、誰一人としてついていけてない。

 

「やっぱ、創生歴の音機関は出来がいいなあ! スィンも見てみろよ」

「封咒に守られていたせいか、保存状態は良好ですよね。パッセージリングも同様であればよかったのに……」

「そう言うなって! こんな状況でもなきゃ、こんな音機関拝めなかったんだからな!」

 

 不謹慎にもほどがあるのだが、今の彼には何を言っても通じないだろう。

 これまでと同じように、半ば諦めて長々とした講釈を垂れ始めた彼に付き合っていると、生暖かい眼でそれを見守っていたナタリアがぼそりと呟いた。

 

「殿方って、こういう物が好きですわよね」

「うちのパパも模型大好き。ばっかみたい」

 

 女性陣の呆れに似た感想を、無論のことガイは聞いていた。

 しかし、機嫌がすこぶる良いガイに、怒るという概念はなくなっている。

 

「いいんだよ、女にはわからないロマンなんだから。なあスィン、あのパーツなんだかわかるか?」

「接続……えーと、何でしたっけ?」

「あれは接続器の負担を軽くする奴でな、もう今じゃ滅多にお目にかかれないレアパーツなんだぜ! くーっ、外して持って帰りたいな!」

「盗掘じみたせせこましい真似はやめてください」

 

 正体こそ知っていたが、それでも説明がしたくてうずうずしているガイの眼を見て、とぼける。

 嬉々としてやはり講釈を垂れるガイが奥へ行ってみようと一人走り出したところで、そのまま追いかけられないスィンに一同が歩み寄ってきた。

 

「スィンも、無理して付き合わなくたっていいのに」

「……これも従者の勤め。多分」

 

 知識はあれど、けしてスィン自身ここまで節操なく音機関を愛しているわけではない。可能な限り、彼の趣味について理解はしている。

 だがそれでも、常に暖かい目で見守れることではなかった。

 息をつき、一人先行してしまった主を追って走る。

 追いついたところで、ガイはふとスィンを見やって言った。

 

「なあ、スィン。お前……ちょっと太ったか?」

「は!?」

「なんか動きにキレがないっていうか、追いついてくるのが遅かったような……」

 

 首を傾げる主を前に、動揺が隠せない。

 確かにスィンは現在、体型に若干の変化が現われていた。

 それを聞きつけ、女性陣がブーイングを放つ。

 

「ひっどーい! 確かにスィン、最近食べる量増えたけどそこまではっきり言う!?」

「アニス! どちらかというとあなたの方が失礼ですわ!」

「でも、確かに増えたわね。今までそんなことなかったのに、最近はよくお菓子を作ってるみたいだし」

 

 食べる量を増やしたことも、菓子を作って振る舞いつつ自分もしっかり食べているのは事実だ。

 動きにキレがなくなったのも、かなり深刻な理由があるのだが。事実は話せない。

 スィンは音の外れた口笛を吹いて誤魔化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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