the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百二十九唱——形となった希望の光。その生まれた影の中、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダアトの教会を経て、ザレッホ火山からベルケンドへ向かう。

 この頃、あれほどの挙動不審っぷりを披露していたアニスはまるで憑き物が落ちたかのように所謂元の彼女へ戻っていた。

 あの場所が何らかのキーであることはこれで確定したわけだが、あんな場所早々向かう理由もない。モヤモヤこそ残ったが、あの挙動不審が続かないことは一同にとって幸いといえよう。

 再発を防ぐためなのか、誰もが火山での彼女の態度に触れぬまま、第一研究所へと赴いた。

 監視対象である彼と接触するためにナタリアを通してベルケンド知事に話を通し、研究室に詰めているスピノザを訪問する。

 彼は一同を目にするなり、開口一番こう言った。

 

「さすがはバルフォア博士じゃ。あれなら上手くいくかもしれん」

「ってことは、瘴気は中和できるんだな!」

 

 詳細こそわからないものの、喜々としてそれを確かめるルークに答えたのはジェイドだ。

 しかし、その答えは応ではない。

 

「いえ、中和ではなく隔離するんです」

 

 その言葉に、一同が一同首を傾げて彼に注目する。

 これまで一同が目指してきたのは瘴気の完全中和だ。それと隔離では、大分結果が違う。

 ただこの時、スィンだけはモニターに映る計算式を見つめていた。

 

「どういうことだ?」

「外殻大地と魔界(クリフォト)の間には、ディバイディングラインという力場が存在します。そうですね、スィン」

「……ええ。セフィロトツリーによる浮力の発生地帯ですね。外殻大地はその浮力で存在しています。正確には、ディバイディングラインの浮力と星の引力とで均衡を保っているから、大地はこの位置に固定できているわけですが」

 

 解答をすると共に、スィンはモニターへやっていた目をジェイドにスライドしている。

 その答えに頷いて、ジェイドは続けた。

 

「外殻大地が降下すると言うことは、引力との均衡が崩れるということ。降下が始まると、ディバイディングラインは下方向への圧力を生む。それが膜になって瘴気を覆い、大地の下──つまり地核に押し戻します」

「でもそれだと瘴気は消えないよな。また発生しないのか?」

「瘴気が地核で発生しているなら、魔界(クリフォト)に瘴気が溢れるのはセフィロトが開いているからです。外殻の降下後、パッセージリングを全停止すれば……」

「セフィロトが閉じて、瘴気は外に出てこなくなる」

 

 それまでの話なら、セフィロトが閉じてしまえば大地が存在しえなくなるだろう。

 しかし、タルタロスを犠牲としたあの作戦が成功した現在ならば。

 

「地殻の振動は停止しているから、液状化していた大地は急速に固まり始めていますわ。だからセフィロトを閉じても、大陸は飲みこまれないのですね」

「すっげーじゃん、それ!」

「これを思いついたのが物理学専門のわしではなくあんただとは、さすがじゃな」

「そうは言っても、専門家に検証してもらわなければ確証は得られませんでした」

「これで後は、ロニール雪山のセフィロトをどーにかするだけだね」

 

 以前はスピノザに対し、あれだけ怒りと猜疑心をあらわにしていたアニスも、全てが丸く収まるこの案を耳にして穏やかに一言、発するのみだ。

 ここでひと悶着起こされたら厄介なだけに、胸を撫で下ろす。

 

「出発の前に、宿で少し休んでいきませんか」

「……なら私、ここでもう一度薬を処方してもらうわ」

 

 ナタリアの提案に乗るように、それを言い出したのはティアだ。

 特に症状が出ている様子はなかったが、ルークがそれを言い出す前に自己申告した様子である。

 

「そうだな。今度ここに来られるのはいつか、わからないし」

「時間がかかると思うから、先に休んでいて」

「じゃあ明日、宿の前で待ち合わせな!」

 

 ティアは医務室へ、他一同は研究所の外へ、その足で研究室を後にする。

 ガイの後についていこうとして、スィンは袖を引っ張られたことに気づいた。

 その手の持ち主は、ティア。

 

「……ガイ様。僕もちょっと、先生に用事が」

「ん、どうした? もう治療の必要はないんじゃ」

「最近、ちょっと体重が増えたことを相談したいなあと」

「そうだなあ……まあでも、体質が変わっただけかもしれないし。変な質問して先生困らせるなよ」

 

 それでも一応付き添うかと聞かれて首を横に振り、研究所にはティアとスィンが残された。

 一同が完全に立ち去ったことを確かめて、ティアにくるりと向かい直る。

 

「……行かないの」

「あなたも、診てもらわなくていいの?」

「確かに変な質問かもだし、やっぱやめよっかなって。何か用があるんじゃないの」

 

 これまでも、ティアから再三無言の誘いがあったのを、スィンはすべて黙殺していた。その理由は一同の眼が届く危険性のある場所でばかり誘いをかけられたからなのだが……

 今回は違う。誘いを断る理由にならない。

 全てを承知であるらしいスィンの態度を認めてか、ティアは意を決したように切り出した。

 

「……スィン。私、少し気になっていたことがあるの」

「うん。ここでは何だから、移動しよっか」

 

 ティアを伴い、第一研究所を出る。

 研究員も滅多に使わない通路から先にある錆びだらけの階段を使って、スィンは屋上へとやってきた。

 

「ここ、立ち入り禁止なんじゃ……」

「すぐに終わるような話なら、大丈夫。見つかったら一緒に怒られよう。それとも、誰かが聞いているかもしれない喫茶店とか公園とか、行く?」

 

 それを聞いて、ティアは即座に首を横に振った。

 一同の前で尋ねるのはためらっていたようだから、誰に聞かれても差し支えのある話なのだろう。

 この時点で、スィンはあまり慌てていなかった。

 もしも彼女の話がスィンの体のことなら、一同の前だろうと関係はないはずだ。

 では彼女が話したいこと、想定できるのは。

 

「その……リグレット教官のことなのだけれど……」

 

 ヴァン関連か、例の泥棒猫騒ぎか。そのどちらかだ。

 スィンは飄々と口を開いた。

 

「泥棒猫云々のことなら」

「い、いいえ、違うの。リグレット教官が、あなたに何かを投げつけていたわよね?」

 

 それが何だったのかを、知りたいと言う。

 ティアのことだから誤魔化しても、後日しつこく問いただされる危険性があった。

 今は気分も落ち着いているから冷静でいられるが、体調が不安定な今日この頃。気分が優れない時にそれをやられて、冷静に対処できるかどうか。

 熟考の末、スィンは掌にすっぽり収まる鉱石を取り出した。

 

「これって……」

「エンシェント鏡石だと思う。これが採れるのは世界にいくつもあるよ」

「だが、人の手が入っていて連中が拠点に出来るようなところはひとつしかない」

 

 それまで一切感じなかった気配が浮上し、スィンは弾かれたように後方を見やった。

 それまで階段の踊り場に身を潜めていたのか、足音を立てて現れたのは──

 

「アッシュ!?」

「ありがとう」

 

 黒を基調とした特務師団師団長の制服に、鮮血を思わせる真紅の髪。ルークのものよりつり上がった碧玉の瞳。

 出会い頭に礼を言われて、アッシュはもちろん戸惑った。

 

「?」

「シェリダンで。僕達もシェリダンも助かった。本当にありがとう」

「……そんなことはどうでもいい」

 

 不意をついて困惑させたつもりだったが、あまり効かなかったようだ。

 彼はすぐさま平静を取り戻してしまった。

 

「ヴァン達は、ワイヨン鏡窟にいるんだな?」

「……」

「このベルケンドから、研究所の連中がワイヨン鏡窟へ行くための定期便があるそうだ。それに潜り込めば奇襲をかけられる」

 

 いつの間にそんなことを調べたのか、アッシュの言っていることは事実だ。

 それは今このときにおいて、非常にまずい情報だった。

 

「本当なの!?」

「嘘を言ってどうなる。ここがベルケンドなのが幸いだ。今この機を逃して、いつ奴を討つ? いつ奴を、止められる?」

 

 物事には順序というものがある。最優先でしなければならないのは瘴気の中和……いや、隔離だ。

 正確にはそれをしなければ、全力で──今後を顧みる必要なくヴァンに挑めない。

 そもそもこの鉱石を寄越したのは、リグレットなのだ。罠の類でないはずがないのだが、わかっているのかどうか。

 多分、わかっていない。ティアはともかく、アッシュは妙に気が急いているように見える。

 

「……性急過ぎる。気持ちはわかるけど、これを寄越してきたのがリグレットだということは」

「罠かもしれないと言いたいのか? この研究所に残された資料からしても間違いは」

「罠でも、おびき出しでもいい。ワイヨン鏡窟に拠点があってもなくても、間違いなく何か企んでるだろうね」

 

 その企みが何なのか、アッシュが嗅ぎつけられる程度にこの研究所へ資料を残している辺りほぼ想像がつくのだが……この様子では、そう告げたところで止まらなさそうだ。

 ヴァンに関することだからなのか、ティアもあまり躊躇がない。

 

「ワイヨン鏡窟に、兄さん達が……!」

「行きたいの? 何のために」

 

 長い沈黙を経て、彼女はゆっくりと口にした。おそらくは、これまで秘めてきた願いを。

 

「兄さんを、止める」

「ヴァンを討つの? この面子じゃ難しいと」

「違うわ、そうじゃない! 兄さんを説得したいの」

 

 ──眼前の出来事なのに、これがあのティアの言葉なのかと信じられなくなる。

 これまで感情を理性で抑えつけてきた反動によるものなのか。彼女の希望は非常に現実味を欠いていた。

 この後に及んで説得とは……これが兄妹間における感情なのか、スィンにはわからない。

 しかし、それを看過することもできない。

 

「言葉で、止めるの? お屋敷で襲撃かけてきた人の台詞とは思えない」

「あ、あの時は……! 仕方が、なかったのよ。だって」

「それで、どうする?」

 

 本題から逸れつつある会話を嫌ったのか、アッシュは苛ついたように動向を確かめてきた。

 ここでどうにか、ティアを口車に乗せて思いとどまらせることに成功しても。アッシュが向かうことになれば、彼女もつられてかの場所へ向かうことになるのは間違いないだろう。

 

「──何を焦ってる?」

「!」

「わかっているはずだよ。奇襲だけでヴァンを仕留められないことくらい。一対一で僕は勝てなかった。それとも何か、勝算があるのかな」

 

 ワイヨン鏡窟に向かえば、一対一などもってのほか。どのような罠が仕掛けられているのか、そもそもヴァンがいるのかどうか。

 不確定要素はいくらでもあり、吶喊するには危険すぎる。

 沈黙するアッシュの様子からして、何か策があるようには見えない。

 勝算も、精々ヴァンが本気で殺しにかかれない面子であるということくらいか。

 

「それでもあんたは、ヴァンと互角に──!」

「僕ね、あの人より弱いつもりはないけど、強いつもりもない。あの時だって、リグレットの参戦であっという間に勝負、ついちゃったよ」

 

 そして今、スィンの体はあの時と同じではない。同じように戦うことも、できるかどうかもわからない。

 それを語ることこそしなかったが、スィンにやる気がないと、これで彼に伝わらないはずもなく。

 このまま彼らが思い直してくれたら──そう願った矢先のこと。

 

「……なら」

「え?」

「俺にしたこと、『俺達』にしたことを少しでも悪いと思っているなら! 止めようとすんな!」

「!」

 

 それを振りかざされては、太刀打ちできない。

 彼女の行いを批難するのは、アッシュ──ルークの正当な権利で。彼の批難は、スィンにとって甘んじて受けるべきものだったはず。

 とっくの昔にわかりきっていたのに、それでいて尚その言葉の衝撃は大きく。

 スィンは、大きく息をついた。

 

「思い切った、ね」

「……」

 

 口にするのは、勇気が要ったのだろうか。

 非常にバツの悪そうな顔で明後日の方角へ顔を向けているアッシュに、スィンは下った。

 

「それ言われたらおしまいだ。もう止めないし、僕も行く」

「……どういう了見だ」

 

 いぶかしげに尋ねるアッシュの眼を見つめて、にこやかに笑いかけて。

 こともなげに言い放った。

 

「このまま見送ることはできないよ。二人が帰ってこなかったら、カケオチ疑われちゃうじゃん」

 

 ルークもナタリアも、もちろん他の皆も。事情を知るスィンに非難轟々は間違いない。

 そう締めくくれば、スィンは眼前の二人から非難轟々を受けた。

 

「ふざけんな! 何があろうと、そんなことにはならねえよ」

「そうよ、ふざけないで!」

「二人とも、自分の目論みが失敗したらどうなる? 彼らが無事に帰してくれると、本気で思っているの?」

 

 アッシュもティアも、幸いなことにそうとは考えていなかったようで非難はやむ。

 どうかこのまま冷静になって思い直してくれたらよかったのだが。

 アッシュに止めるなと言われた手前、それを促す発言はもうできなかった。

 

「僕は保険だよ。二人のおまけで、くっついていくだけ」

 

 そうと決まれば、まずやらねばならないことがひとつ。

 移動手段の船を確保するべく、アッシュに心当たりがあるというのでそれに従う。

 第一研究所の、入り口にて。足音が聞こえなくなったことに反応してか、アッシュが振り返った。

 

「どうした」

「おとしものー」

 

 その場にかがもうとして、思いのほか手間取る。

 かがむのを諦め、しゃがむことで目的は果たせたものの、アッシュに疑惑の目を向けられてしまった。

 

「……?」

「スィン。まさかお腹が邪魔でかがめなかったわけじゃないわよね」

「そうそうそんなかんじ」

 

 最近太っちゃったみたいでー、とおちゃらけてみせ、道化を演じることで彼らの意識を向けさせないようにする。

 廊下の端に転がった、ロケットペンダントに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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