the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百三十唱——まどろみから醒めて、決別への道を歩む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所内にて、フォミニンの採取隊が件の鏡窟へ向かうとの情報を得る。

 彼らを脅して無理やり乗船するのか、あるいは袖の下を使うのか。

 あわよくば挫折しろ、との思いが強いスィンは交渉の一切をアッシュに任せて、彼の手腕に少なからず感心した。

 元々彼一人ででも向かう予定だったのか、あらかじめ用意してあった書類を取り出して手続きに入り、表向きは正攻法で採取隊の船に乗り込むことを成功させたのである。連れの二人は部下だの何だの抜かしていたことから、教団での立場を利用して研究所内で通じる書類を偽造したとか、そんなところだろうか。

 詳細は聞いていないが、スィンにとって憂うべきはそこではない。

 原因表向き不明のエンジントラブルで出港こそ遅れたものの、船は海中の魔物に襲われるでも何か妨害が入るでもなく、ワイヨン鏡窟へ到達した。

 採取用の資材搬出を手伝うでもなく、つかつかと進むアッシュの足が止まる。

 騎士団の兵士が行き交う中、奥へ進む唯一の道を塞ぐように佇む姿があった。

 

「来たか、女狐」

「教官……」

 

 淡い蜂蜜色の髪をまとめあげ、二丁の譜業銃を手にして佇むその姿が、憂いをあらわとするティアを映す。そして彼女は、不意に表情を緩めて道を空けた。

 こんな穏やかな彼女を見たのは、久方ぶりのことである。

 教え子たるティアを見て、かすかにでも気分が和らいだのだろうか。

 

「ティア。閣下は奥にいる。話があるのだろう? アッシュと共に行きなさい」

「そんなこと言って、二人だけを先に進ませて。こう、檻を降らせて二人まとめて捕まえる気でしょう」

「貴様ではあるまいし、そんな姑息な罠など張るか!」

 

 相も変わらず、彼女はスィンに対してだけ敵意をまき散らした。

 ティアに通じるものもあるのだが、美人が怒気に駆られている姿は怖い。

 この様子では、スィンだけは頑として彼女は通そうとしないだろう。

 強行突破したところでアッシュはさておきティアは落ち着いて話などできないだろうし、ベルケンドにおける似たような事態に発展することも避けたい。

 

「じゃあ、二人とも。後でね」

「ああ」

 

 二人が奥へ進んだことを見届けてか。リグレットはようやくスィンを視界へ入れた。

 その口が何かを語りだす前に。

 

「リグレット。いつもいつでもお怒りの印象がありますが、疲れませんか?」

「私が平静をなくすのは、貴様を眼にしたそのときだけだ」

 

 嫌われている理由などわかりきっている。

 ほんの少し何かが違えば、スィンもまたリグレットのように振る舞うかもしれなかったから。

 こんなことをしている場合でないとわかっていながら、スィンは明確な目的のもと胸中を零した。

 

「私は、リグレットのことが怖かったです。優秀で、女らしくて、あの人の傍にいられて、妹のことも任された、信頼に足る副官。私にはないものばかり持っているあなたが」

「……なんだと」

 

 無駄話など好まないかと思っていたが、彼女は存外きちんと耳を傾けている。

 あるいはスィンから意外な話が聞けて、驚いているだけか。

 

「不思議でした。こんな綺麗な人から好意を寄せられているのに。どうして彼は私を選んだのだろうかと」

 

 彼女の顔には瞬く間に血が集まった。

 きっと照れているわけではない。

 

「き……貴様の口車などには乗らん! 私を動揺させようとして、適当なことを」

「適切で、当たっていることを話しているつもりです」

 

 そう、嘘を言っているつもりは欠片もない。

 ヴァンと婚姻という契約を交わすまでは、何なら交わした後でも何かにつけ不安に駆られ、おかしな風に勘繰っては嫉妬した。

 当時のスィンは男性恐怖症を万人に発症していたから、想いは伝えるべきでない。彼のことを真に想うならば身を引くべきと、それら一切を表に出さなかっただけで。

 心はいつも、千々に乱れていた。

 

「……ブリュンヒル「でも今なら、選ばれた理由がわかります。ヒスってるところが怖かったんでしょうね」

 

 だって実際怖いもん、としめくくれば。

 赤くなった顔はそのまま。リグレットの表情に般若が降臨した。

 彼女は何を思ってスィンの口上を素直に聞いていたのだろう。

 上げてから落とすのは伝統美と言えるほど定石なのに。

 

「そんなことを話すためにおびき寄せたわけではない!」

 

 それもそうだ。

 目論み通りに平静を投げ捨てて、リグレットは感情のままに盛大な罵声を放った。

 

「閣下のお心を乱す女狐め、寵愛をいいことに未だあの方の気持ちを弄ぶ淫売め!」

 

 傷つくお言葉ではあったが、彼女は敵だ。

 敵の謗りはこちらへの賞賛である。スィンが何かを思う余地はない。

 

「言いたいことはそれだけですか? もう聞き飽きました。いい加減耳にタコが出来る……」

「貴様に決闘を申し入れる! 私に勝てば二人を追うがいい。だが、貴様が私に敗北したその時は……!」

「時は?」

「閣下を解放して差し上げろ! あの方の苦悩は私が癒す。貴様は先にこの世から退場するがいい!」

 

 この、何とも独りよがりに聞こえる言葉を耳に入れて。

 スィンは思わず反射的に言葉を返してしまった。

 

「──人の心に鎖はつけられない。ああそうか、そんなこともわからないから、あなたは」

「黙れ! 貴様の声にすら虫唾が走る!」

 

 だめだもう、やる気満々だ。

 ふたつの銃口を向けられていても、スィンは得物を手にしなかった。

 これだけは、告げるべきと。

 

「わかってます、よね?」

「なにがだ!」

「私にお伺いを立ててる時点で、負け犬だということは」

 

 いわずもがな、淫売呼ばわりに対するお礼だった。

 怒りで面相が歪むほど、声も出ないほどに怒髪天をつくリグレットの銃弾から紙一重で避け。スィンは今度こそ血桜を手にした。

 こうなるように誘導したとはいえ、状況はあまりいいとはいえない。

 二人は別行動で状況がわからず。襲いかかってきたリグレットは怒りで照準が甘くなっているためどうにかあしらえるが、周囲は神託の盾(オラクル)騎士団兵士がうじゃうじゃいるのだ。

 手を出さないように言われているのか、彼らは勃発した戦いに眼を向けながらも、様々な機材をあらかじめ接岸していた大型船に積み込んでいる。

 おそらくは撤収準備。スィンにヒントを寄越してきた時点で想定できたことだ。

 

「逃げるなぁっ!」

「いやむり」

 

 足元から駆けあがるような銃撃が襲う。

 小粋なステップから遥かにかけ離れたバタ足で逃げ、手近な遮蔽物に隠れ込んだ。

 兵士が搬送していた、音機関の影に。

 

「ち……」

 

 多少理性は残っている様子だが、撃てないのは音機関か兵士か。

 音機関を担いでいるため、剣が抜けない兵士は捨て置いて、すぐに位置を移動する。

 銃撃は雨あられと降り注ぐが、一度としてスィンに被弾はしなかった。

 

「化け物め……!」

「自分の腕のヘボさを、人のせいにしないでください」

 

 そこかしこで動く神託の盾兵士(しゃへいぶつ)を駆使してリグレットを翻弄し、接近戦へ持ち込むことに成功する。

 接近戦において銃は役に立たない。彼女は惜しげもなくスィンに向かって手にしていたそれを投げつけてきた。

 わざわざ構うことはなく、携えた血桜をリグレットに向ける。

 

「シアリングソロウ!」

「熱波旋風陣!」

 

 譜業銃から杖に持ち替えたリグレットが、生成した火球を叩きつけにくる。

 それを回避し、第五音素(フィフスフォニム)の名残を利用して、己を中心とする小規模の炎の渦へと巻き込んだ。

 かろうじて火だるまになるのを避けたリグレットだが、本業後衛の悲しさ。回避するためのステップは、どうしようもない隙を生んでいる。

 

「獅子戦吼!」

「かはっ……!」

 

 放出された闘気の塊をまともに受け、リグレットは背中から岩盤に激突した。

 反動でうなだれるようになった彼女に血桜を突きつける。

 決着の様子に周囲の兵士は色めき立つが、リグレットの命を盾に牽制した。

 

「なぜ……」

「だから負け犬なんですよ」

 

 正確には、前衛を用意せず彼女一人で戦いを仕掛けてきた時点で、勝敗は眼に見えている。

 嘲りを耳にして、リグレットは勢いよく顔を上げた。

 突きつけていた血桜の切っ先がその額を切り裂くものの、彼女が気にしている様子はない。

 

「貴様の体は、瘴気触害(インテルナルオーガン)の影響でボロボロのはず! 閣下と、同じように……それなのに何故、戦える!? こんな死に損ないにどうして、勝てない……?」

「背負ってるものが違うからでしょうきっとたぶん。そうだったらいいですねうん」

 

 ──いいことを聞いたような気もするが、もうおしゃべりに付き合っていられない。

 転がっていた譜業銃でリグレットの足を撃ち抜く。

 搬送作業を放って騒ぐ兵士達を彼女の手当てにするよう仕向け、スィンは二人が向かった最奥へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 洞窟を抜けて、いつか来た拓けた場所へと到達する。

 設置された音機関などはそのまま、その場所にいるのは、三人。

 大剣を手に悠然と佇むヴァン、その眼前に剣を手放して這いつくばるアッシュ、二人から少し離れて、ティア。

 一体どんな話し合いをすればこんなことになるのやら。

 手放してしまった剣を探り、杖のようにしながら立ち上がる。これで幾度目だろう、挑みかかるアッシュはやすやすとヴァンに斬り払われた。

 衝撃で身を投げ出すように転がるアッシュは、立ち上がらない。よくよく見ればその体は満身創痍で、上体を起こすのが精いっぱいといった風情だ。

 

「兄さん、やめて!」

 

 戦闘には参加していないティアが、悲痛な声で制止を叫ぶ。

 おそらくそれは、アッシュとの戦闘を指しているわけではない。

 彼女の望む話し合いは決裂したと断定して、スィンはわざと足音を立てて歩みを進めた。

 

「来たか……」

「ティア、終わった? アッシュも、満足したかな」

 

 彼らには一瞥もくれず、そのままヴァンの前に──アッシュを背にするように立ち止まる。

 傷の具合を確かめる必要はない。ヴァンが今、アッシュを殺すことなどできはしないのだから。

 手加減しながらでも応戦して、無力化に成功させているあたりは、流石というべきか。

 

「今この状況で、二人の目的は達成できなかったとさせてもらうよ。そろそろ時間切れだから」

「?」

 

 ヴァンから片時も眼を離さないまま、スィンは血桜の柄を手にした。

 空気が澱んでいるはずの洞窟内で、ふんわりと風が躍る。

 

「ティア、アッシュを連れて離脱して。ルーク達がここへ来る」

「!」

 

 第一音機関研究所の屋上から今に至るまで、スィンは一度たりとも単独行動を取っていない。

 状況を忘れていぶかしんだアッシュに、こともなげに答えて見せた。

 

「どうやって、知らせた?」

「ベルケンドのあれだよ。皆と合流して、助けに来て。お願い」

 

 意図してくるりと、彼に振り返り微笑む。

 空を切り裂いて、大剣はスィンを両断せんと迫った。

 

「スィンッ!」

「さ、早く」

 

 抜く手を見せない鋭さをもって、応戦する。

 舌打ちをするアッシュがティアに支えられるようにして二人が去ったところで、ヴァンは唐突に剣を引いた。

 隠しているようだが、呼吸が乱れている。アッシュとの交戦の名残だろうか、それにしても。

 

「随分息が上がっていらっしゃる様子で。取り込んだ瘴気の影響でしょうか」

「つれない話し方だな。お前が離縁した気でいるのなら、せんなきことか」

「あなたには感謝しています。バチカルから追い出され失職した私を拾って、生き長らえる手段を──薬代が賄えるほどお給料のいい仕事場を紹介してくださった」

「そしてお前の異性恐怖症を、支障ない程度まで快復させるきっかけとなった」

 

 ヴァンの言葉に、揶揄する響きはない。だから、なのだろうか。

 こんなにも心に、言葉が突き刺さるのは。

 

「……どうした。息が上がり、動きの鈍っている私を、討たないのか?」

 

 風の古代秘譜術、ウィンドビジョンに用いる触媒が、随分近くにある。

 術を使用するにあたって感覚的に知ったスィンは、術を解除した。

 

「私がここへ来たのは、二人が囚われないため。死なせないため。そして、止めることができなかったからです」

 

 一同が近くにいる。それを前提に、スィンは殊更淡々と言葉を連ねた。

 

「もう二度と、主を煩わせたりはしない。二人のことがなければ、ここへ来るつもりもなかった。リグレットには、ティアにこれを渡すよう指示するべきでしたね」

 

 エンシェント鏡石を放り投げる。

 かつん、と音を立てて、三人を招いた招待状は対峙する二人の狭間に転がった。

 そうすれば少なくとも、彼女は。

 彼の最愛の妹は、ひょっとしたら話し合いによって懐柔されていたかもしれないのに。

 その言葉を聞いて、ヴァンは深くため息をついた。

 彼にしては、珍しい仕草である。

 

「……お前は、いつもそうだ。いつだって、そうだった」

「?」

「二言目には主と、ガイ様と、彼を理由にする。お前は風に吹かれるままの草か? 流されるだけの笹舟か?」

 

 その言葉を受けて、スィンは。一瞬の間も置かずに口を開いた。

 

「私は、それでいいんです。剣を突っ返されたあなたとは違います」

「お前は歪んでいる。従者としての生き方に縛られ過ぎだ」

 

 また始まった。

 胸中でこっそりため息をつくスィンに気付かぬまま、珍しくヴァンは声を荒げた。

 

「何度も言ったはずだ! そればかりがお前の生きる道ではないと。私と共に過ごした時間で、人が生きるに理由など必要ないことは……!」

「そのお話でしたら平行線ですから、ご納得いただけないなら指環の交換はできません。婚姻の儀を前に、あなたは頷いてくれたのではなかったのですか」

 

 とはいえ、これは発端に過ぎない。

 婚姻の契りを交わした後も、何かにつけて彼はスィンの生き方を否定した。

 初めの頃こそ理解してほしいと幾度となく話し合い、時には可愛い嫉妬と思いこむことで軽くいなし。それが勘違いだと発覚してからは、過ごしてきた環境が違い過ぎると割り切って。

 次第にスィンは、意図して彼の前で主の話をしなくなった。そうすれば、彼とつまらない諍いを起こさずに済んだから。

 決着をつけなかったことがよかったのか悪かったのか。まさか今になって指摘されるとは、思いもよらなかったが。

 

「どのように生きるかなど、私の勝手です。以前ならいざ知らず、他人に口を出されたところで改めるとでもお思いですか」

「自分すら、自分の身すら顧みぬ者に誰を護ることができる!」

「!」

 

 心当たりのあり過ぎる図星に、スィンは鋭く息を呑みこんでいる。

 ここへきて、形勢は逆転した。

 

「そ、それは……」

「お前が抱いた理想の姿は、今のお前とは真逆のはずだ。己への扱いはやがては他者への扱いへも影響する。その時お前は、誇りを持って主の従者として在れるのか!?」

 

 蚊の鳴くような声で反論するその言葉をかき消して、問い詰める。

 反論しかけた唇が震えて、言葉にならない音が漏れた。

 それも、刹那の出来事。

 

「君にわかるわけないだろ! マリィベル様を、お嬢様を眼の前で失った僕の気持ちなんか!」

 

 動揺は、怒りと悲しみに変換されてヴァンへと返された。

 図星であったことには間違いはない。それでも、彼の言葉を認めるわけにはいかなかった。

 

「……これ、話したっけかな。ガイラルディア様はね、僕の命の恩人なんだよ」

「逆だろう。お前がいなければ、彼の命すら失われていた」

 

 現実としてはそうだ。

 ただ、それはひとつの視点としての事実であって、当時のスィンにはそうではなかった。

 

「違うんだ。あの方がいなければ、僕はとっくの昔に死んでいた。主を護れない従者に何の価値もないって。失意のどん底から這い上がることもないまま。少なくとも今の僕はいない」

 

 それはたとえ息をしていても、死んでいることと変わらない。

 失った光を探して、暗闇を這いずり回る暇もなく。彼女は傍らの光を抱きしめていた。

 彼女の遺言を守るべく、弟であったその人を、改めて主と定めて。

 

「ガイラルディア様がいたから、僕はこうして生きている。マリィベル様の冥福を祈りながら、あの時の気持ちを忘れないまま」

 

 彼を助けることでスィンは一生涯引きずる障害を負った。

 病を抱えて今に至るまでの道は平坦どころか崖と谷の連続ではあったが、それらを乗り越えてきた己が今ここにいるのだ。

 

「歪んでいたってかまわない。もう二度と後悔したくないから。そのために生きて、することして、何が悪いの」

「シア……」

「こう見えても、依存だけはしないよう頑張ったんだよ? 君はそうとは、見てくれなかったけどさ」

 

 視線が、強く絡み合う。その最中も、スィンは内心で訝しがっていた。

 助けが来ない。

 ロケットの存在を感知した時点で、一同はすでにこの鏡窟へ辿りついているはずだ。最奥とはいえそこまで距離が空いているわけでもないのに、リグレットあたりに妨害されているのだろうか。となると、二人は──先に行かせたアッシュとティアはどうしているだろう。

 無事合流しているならばよし、もし合流できていないとしたら行かせたのは早計だったか……

 この間にもヴァンは何かしら言っていたようだが、スィンは一切耳に入れていなかった。

 

 

「マルクトの皇帝に、死霊使い(ネクロマンサー)との確執を知られたそうだな。そのことでマルクトの貴族たるガルディオス家がどうなるか、どのような扱いになるのか。何も考えぬお前ではあるまい」

「……」

「情報によれば……死霊使い(ネクロマンサー)との婚姻を結び、彼の知己たるマルクトの皇帝を黙らせるとあった。ナイマッハの名を捨て、ガルディオスの子として、カーティス家と手を結ぶことで伯爵家の再興をも企んでいると」

「……」

「お前がガルディオス伯爵の血を引いていることが証明されたなら、確かに 可能なことだが」

「……」

 

 

 ロケットの存在を強く意識して、口の中でシルフに助力を乞う。珍しく返事をしなかった彼女だが、術は問題なく発動した。

 その直後、せっかく起動させた術を解除する。

 ヴァンが何か仕掛けてきたわけでもなければ、彼を警戒してのことでもない。

 一同は思いのほかすぐ傍にいた。通路が途切れる手前、最奥から見えない位置でこちらの様子をうかがっている。

 一瞬のことで彼らが何をしているのかは定かでないが、まさか助けが必要になるまで突入しないつもりなのだろうか。

 確かに助けにこいとは言ったが、こんな発想をするのは一人しかいないと内心で頭を抱えていると。

 

「……正気なのか」

 

 何やら非常に重要な気がする主語が聞こえなかったものの、聞き返すも無粋と沈黙を貫く。

 そこで彼は、誰が聞いても落胆のものとしかとれないため息をついた。

 

「今後の打算とはいえ、死霊使い(ネクロマンサー)のものになることを受諾したというのか」

「ん?」

 

 一体いつからそんな話になったのだろうか。

 隠すことも忘れた、不思議そうなスィンの表情にも気付かず、ヴァンは吐き捨てるように首を振った。

 

「とても認められん、受け入れ難い。主はいつのまにか、お前を物のように扱うこともためらわなくなったか」

「!?」

 

 全身を貫かれるような衝撃に、混乱も手伝って今度こそスィンは絶句する。

 そこへ。

 

「ちょっと待て!」

 

 ほんのり怒気が漂う、困惑の強い声。

 一同と共に通路に潜んでいたらしいガイが、単身飛び込んできた。

 やっと来た助けにほっとする──や、否や。ヴァンの挙動を認めたスィンはガイの元へと全力で駆けた。

 

「ネガティブゲイト!」

「危ない!」

 

 足元に譜陣が浮かび上がる。

 それが完成するより早くガイへ飛び付いたスィンは、その場から転がるように逃れた。

 

「助けに入った方が助けられてどうするんです」

 

 ジェイドの余裕な声音。

 腹が立つより早く安堵するのはやっぱり腹立たしい。

 しかし、他一同が姿を現してもヴァンは止まらなかった。

 

「ヴァン……!」

「問答無用!」

 

 間合いが近すぎる。彼はすでに大剣を振りかぶっており、ガイは今まさに柄へ手を伸ばしていた。スィンによって体勢が崩れたせいでもある。

 更にスィンもまた無手。ガイへ駆け寄った時点で血桜は放り出しているし、そもそもあの刀で防御は望めない。

 いつかの夢を思い出しながら、スィンはガイを背中に庇いながら迫る大剣と向き直った。

 

 どうなろうと構わない。彼さえ、生きていてくれるなら。

 

 そのまま──眼前の刃を音高く両掌で挟んで止める。

 真剣白羽取り。一歩間違えば両断される荒業で凶刃を凌いだスィンは、ガイへ逃げるよう促した。

 このままヴァンが止まらないなら、自分が引きつけて。ジェイドでも誰でもいい、譜術をもってして狙い撃てばあるいは──

 

「時間切れか」

 

 ふと、冷静なそんな言葉を聞く。

 白羽取りしていた大剣から圧力が抜けたかと思うと、スィンを振り払うようにして大剣の切っ先が引かれた。

 それをいいことに懐刀を取り出し、応戦の意を示すスィンを見やって、彼は。

 小さく、咳をした。

 

「!」

 

 ──彼がユリア式封咒に手を出したことで、瘴気に侵されていることは先刻承知。

 それなのに尚、スィンがするものによく似た咳をする姿を眼にして、胸が締め付けられるように苦しい。

 そこへ、伝令らしい兵士が姿を現した。

 

「総長閣下。資料の積み込みが完了しました」

「これまでだな。アブソーブゲートにて待つ」

 

 口元を軽く拭ったヴァンが、まるで何事もなかったかのように立ち去る。

 その背中にティアの悲痛な声がかかるも、彼は平然として歩みを止めることはなかった。

 

「兄さん、待って!」

「お前とは戦いたくなかった。残念だよ、メシュティアリカ」

 

 ヴァンが立ち去ったことで、場に満ちていた緊張感が緩やかにほどけて四散する。大きく息をついたスィンが、ガイの傍を離れて血桜を回収した。

 奥の檻、かつて被験者(オリジナル)とレプリカのチーグルが閉じ込められていた区画へ向かうミュウ、ルークに促されてそれに伴うティアをぼんやり見やっていると。

 

「おい!?」

 

 アッシュに掴みかかられた。胸にかかる圧力に顔が歪み、思わず背ける。

 しかし血相すら変わっている彼がそれに気付くことはなかった。

 

「お前、正気か!?」

「……ヴァンと、同じこと聞くんだね」

「当たり前だ! 何が悲しくて、あのメガネのところへ嫁ぐことになってんだよ!」

 

 確執とは何か、ガイとは姉弟なのか、矢継ぎ早に問い詰めるアッシュがびくりと体を震わせた。

 掴みかかっていた手を、逆にスィンが握りしめている。その顔は、困惑に満ち満ちていた。

 

「何? 嫁ぐ? 何の話? ヴァンもそんなこと言ってたけど」

「彼の話を聞いていなかったのですか?」

 

 尋ねていたのはアッシュだが、混乱する彼女はおかまいなしに尋ね倒す。

 仲裁をするべく間に入ったジェイドの話を聞いて、スィンはがっくりと脱力していた。

 いわく、ヴァンはスィンとジェイド間における確執がピオニー陛下の耳に入ったことを知ったらしい。

 その際、スィンがガルディオス家の血を引いていることを利用し、カーティス家と姻戚関係になることでお家再興を狙っているという情報を得たという。

 ……確かに。好き好んで死霊使い(ネクロマンサー)に嫁入りするなど正気を疑いたくなる話である。

 ただ、そのヨタ話をヴァンが信じたとすれば。

 

「……好都合だ」

 

 うなだれていた顔を上げれば、話についていけないアッシュの顔がある。

 掴んでいた手を離し、またアッシュの手も外させた。

 

「詳しいことは後で話す。それと」

「おい、スィン。アッシュに俺達のお家騒動を話す必要は」

「そのこととは関係なく話があるから。逃げるなよ」

 

 一瞬低くなり強調されたその言葉が、アッシュを黙らせる。

 それからやっと、スィンは主たるガイに眼を向けた。

 

「して、ガイラルディア様。何か?」

「いや、だから。アッシュにそれを話す必要は……」

「まだ何もはっきりしたことは決まっていないのです。彼にも意見を聞きたいと思います」

 

 難色を示す彼に対して、スィンはあっさりけろりとそれを告げた。

 何故アッシュに意見を求める必要があるのかを尋ねても、スィンはそれを語ろうとはしない。

 とにかく駄目なものは駄目だと、ガイは一蹴した。

 それを受けて、スィンは軽く眼を伏せてからアッシュに向き直っている。

 

「ごめんね、駄目だってさ。ところで話は変わるんだけど」

「な、なんだ」

「ご主人さまのいうこと全部聞いて、我儘放題さすのはやっぱり本人にとってよくないことだよね?」

 

 その言葉に黙考したアッシュは、やがて指をある一点へと指した。

 

「よくわからんが、あいつみたいになる可能性はあるんじゃないか」

 

 彼が指差す先には、閉じ込められた同族を心配するミュウに付き添ったルークだ。ティアと共に彼の訴えを聞いている今を指しているわけでないことは明白である。

 それを聞いて、スィンはちらちらとガイをみやりながら、わざとらしく応じた。

 

「あー、ルーク『様』かあ……うん、ご勘弁だぁね」

「おい。俺が我儘坊ちゃんだったルークみたいになるかもって言いたいのかよ」

 

 眉間に皺を寄せて詰め寄るガイをいなし、その他面々に意見を募る。

 結果は、といえば。

 

「んー、ありえるんじゃない? ガイ、時々だけどスィンに対してすんごい横柄になる時あるもんね」

「悪い意味で非常に貴族らしい態度ですからね。第三者の立場から言わせてもらえば、スィンの接し方にも大いに問題ありですが」

「従者と主とはいえ、普段は紳士然としているあなたが傲慢に振る舞うのは見ていて好ましくありませんわ」

「時折ですが、ガイは以前のルークによく似た表情を浮かべますね。大概、スィンが意に添わない行動を取った時でしょうか。それがとても気になります」

 

 イオンを含めて、散々だった。忌憚ない意見を聞いて、ガイはがっくり落ち込んでしまっている。

 反射的にフォローを入れようとして、それをすれば台無しだと口を噤む。

 その代わりにスィンは、戻ってきたルーク達に意識をやった。

 彼はミュウ以外に一匹のチーグルを連れている。

 

「チーグル?」

「ああ。ここ、もう引き払うみてえだからな。誰も来ないならほっとくわけにもいかねえだろ」

「ご主人様、ありがとうですの!」

 

 彼はあのチーグルを、これからミュウ同様連れて歩くつもりなんだろうか。

 二匹のチーグルを見つめてうっとりしているティアはさておいて、和やかな会話を挟み、ガイが復活した。

 

「……わかった。そうだよな。俺にはお前の行動を制限する権利なんかない」

『ご主人様、ありがとうですの』

 

 言外に好きにしろと言われ声真似で応じると、彼は再びがっくりと肩を落とした。

 イオンによってこの場の脱出を促され、ジェイドによって近くのシェリダンへ行こうとの提案がなされる。

 それなら話はシェリダンでとの提案に、アッシュは嫌そうに眉を歪めるも、彼がそれ以降何かを言うことは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

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