the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百三十一唱——思い出とさようなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルビオールによって、ワイヨン鏡窟よりシェリダンへと移動する。その移動中、スィンは何一つとして問われることは無かった。

 ヴァンとの会話を一部盗み聞きしていたことを、代表してナタリアから謝罪されている。このことで、何故スィンが二人と共にワイヨン鏡窟へ赴いたのか、把握されていると思われた。

 どこか落ちつけるところを探して広場へ入り、アストンとばったり会う。

 

「おお、あんたたちか」

「ちょうどいい。集合所をお借りしていいですか。今後の話し合いをしたいのです」

 

 他の面々は未だ入院中とのことで、姿はないが自由に使ってくれと許可を得て、一同は集会所へと入っていった。

 ──アッシュと、スィン以外の面々が。

 

「話、か?」

 

 アッシュの嫌そうな問いにこっくりと頷く。

 どうせ彼らは、道中誰も話しかけるのを躊躇ったティアから話を聞こうとしているのだ。二人がそれを聞く必要はなし、その間に話を済ませようとの魂胆である。

 外にいると一言告げて、スィンは集会所の重厚な扉を閉ざした。

 そして、いつかナタリアとアッシュが語りあった波止場へと赴く。

 

「まず……なんでしたっけ」

「俺の質問は後でいい。話は、なんだ」

「もうヴァンとは単独で交戦しないでください。どうしてもというなら、私を叩きのめして打ち倒して屍を乗り越えていってからに」

 

 それができるならば、多少なりともヴァンと渡り合えるはずだ。

 沈黙が漂い、居心地悪そうにアッシュが口を開いた。

 

「……それだけ、か?」

「何が何でも従えとは言いません。これはお願いで忠告で警告。次はないと思います」

 

 ないと言うよりは無理、だ。ヴァンは何処で待つかを言い残して去った。ガイの傍を離れる気がないスィンに、彼を止めることはできない。

 アッシュは存外、素直に頷いた。

 

「わかった」

「その言葉が偽りでないことを強く願います。それで、何を御所望で」

 

 アッシュの口から出たのは、ガイとの血縁にまつわる話だった。

 冗談めかして、事実を伝える。

 

「半分だけですがね。本当、あの時は吃驚しました。もとは追及を避けるための方便のはずが、まさか事実だったとはね。嘘から出たなんとやら、とはよく言ったものです」

「ジェイドとの確執、ってのは。もともと仲は悪かっただろう。皇帝がそれを知って、ガイへの扱いが悪くなるほどのことか?」

 

 何も事情を知らなければ、訳がわからないだろう。

 しかしこれは、馬鹿正直に話していたら日が暮れる。

 

「そうですねえ……皇帝は、私がジェイドの殺害を企んでいると、思い込んでいらっしゃいます。それでちょっと、ごちゃごちゃしておりまして」

「それでどうして、嫁入りの話になる」

「それはヴァンが勘違いしてるだけです」

 

 事実を余さず事細かに話せば、彼の混乱は必至。更にはガイやジェイドに、的外れな意見を抜かすかもしれない。

 それは、避けたい。

 まだ正式な話は何も決まっていないのだ。現時点では、ヴァンはエセ情報掴まされているだけに過ぎない。

 そのはずだった。

 

「……」

 

 真偽を計りかねてか、アッシュは黙り込んでいる。それをいいことに、スィンは無造作に積まれた木箱に腰かけた。

 疲労がずしりと体にのしかかる。

 リグレットとの交戦、ヴァンとのちょっと血なまぐさいやりとりがあったとはいえ、現在のスィンは非常に消耗していた。

 可能なら眠ってしまいたかったが、それをすればアッシュは怒りだすだろう。

 彼が考え事をしているのをいいことに、木箱に寄りかかりうとうとと目蓋を重くする。

 ふと、アッシュが動いたような気がした。慌てて目蓋を押し上げれば、眼前にはアッシュの顔がある。

 彼は木箱に腰かけたスィンに対して、のぞきこむようにしていた。

 

「……あんたは以前、俺に嘘をつきたくないと言っていた。今は、それを信じる」

「ありがとうございます。信じてくれて」

 

 おそらく彼も気づいているだろう。スィンが全てを語っていないことは。

 けれどその上で今は問いただすことなく、いつか真実を話してくれることを信じると、彼は言っているのだ。

 捨ててきたはずの良心が、ちくちくと痛む。

 事実を紛らわせ、煙にまかなければならないのに、すべてをぶちまけたくなる気分に襲われた。

 でも、それでは何も解決しない。

 気分を抑えるように再び礼を呟けば、アッシュはぷいとそっぽを向いた。

 

「なんだ、しつこいな」

「私の言うことを疑ってかかる方ばかりなものでして。信じてもらえることは非常に嬉しいんですよ?」

 

 それがたとえ心の底からでなくても。

 未だまとわりつく睡魔を振り払うように勢いをつけて、木箱の上から降り立つ。

 

「話はこの辺でよろしいでしょうか? ちょっと、野暮用を済ませてきますね」

 

 そう言ってふらふらと彼女が向かったのは、飛行艇ドッグの裏手だった。

 街全体が造船関係を一手に引き受け、それに関連した職人の多い街だけあって、廃棄される金物も半端ではない。

 スィンが立ち止まったのは、そんな鉄屑や消耗しきった譜業がまとめられた一画だった。

 こんなところに何の用かと、尋ねかけたアッシュが凍る。

 スィンが手にしていたのは、小さな銀環と平たい金属製の板切れ……認識票(ドッグタグ)だった。

 散らばる鉄屑を一瞥し、それらを投げ込もうと振りかぶって。

 言葉もなくアッシュに腕を掴まれる。

 

「どうかしましたか?」

「捨てるのか、それを」

 

 認識票(ドッグタグ)はさておいて、スィンが手にしているのは長年結んでいた契約の証──結婚指環、だ。

 その問いに、スィンは大きく頷いた。

 

「捨てます。私はもうヴァンの妻ではない。初代特務師団長ブリュンヒルドでもなければ、ルーク様の護衛従者でも、ありません」

 

 ガルディオス伯爵家の騎士にして、継嗣ガイラルディアの従者。今のスィンはそれだけの存在だった。

 それだけの存在で、あるべきなのだ。

 ずっと棄てようとして、できなかったことである。

 睡魔に憑かれ理性があまり働いていない今、可能だろうと敢行したわけだが。

 

「だが……」

「それ、ただの響律符(キャパシティコア)ですよ? 宝石ついてないから売り払っても二束三文にもなりません。認識票(ドッグタグ)は……言うまでありませんよね」

「なら俺が預かる」

 

 そう言って、彼は有無を言わさずスィンから二つを奪い取った。

 元から棄てるものだからなのか、抵抗らしい抵抗はない。

 スィンの本音としては、アッシュをゴミ箱扱いしたくなかったのだが……口に出せば烈火のごとく怒りだすのは必至だし、指図する資格もない。

 ベルケンドでの批難を受けてから、スィンは今更のように自覚していた。

 今まで彼がスィンの頼みを聞いていたのは、彼が必要なことだと判断して、僅かにでもスィンに対して好意的だったからだ。

 それが薄れれば、この関係は自壊の一途を辿る。それは避けようがない事実だ。

 悪戯にそれを早めようとも思わず、スィンはそれを許容した。

 

「煮るでも焼くでも、潰すでも踏みにじるでも、お好きにどうぞ」

「そうする」

 

 廃棄こそできなかったが、これらはアッシュに所持されたところで困るものではない。

 そう考えた矢先に、彼女は意図せずしてアッシュに指図をする羽目になる。

 

「あなたにその響律符(キャパシティコア)はつけられないと思います」

「……うるせえ」

 

 アッシュは銀環を、どうにか装着しようと四苦八苦していた。

 己が指で一番可能性がある小指に押し込もうとしているようだが、第二関節から先に進まない。

 

「それが壊れるよりも早くあなたの指が壊れてしまいます。だから……」

 

 諦めの悪いアッシュの手から銀環を、そして認識票(ドッグタグ)を取る。

 認識票(ドッグタグ)から外していた細鎖を取り出し、ふたつを通してアッシュの首にかけた。

 

「これで我慢なさい」

 

 不満そうな表情こそ消えなかったが、彼は受け入れたようだ。無言でそれを襟の内側へ送り込んでいる。

 集会場に足を向けると、丁度扉が開くところだった。

 

「ガイラルディア様には誤魔化したことにします。合わせてくださいね」

 

 最後に口裏合わせを頼んで、スィンは一足先に彼らと合流した。

 

「お話はお済みですか?」

「ああ。ロニール雪山のパッセージリングへ行く。アッシュとの話は……」

「解決しています」

 

 何の問題もない、と太鼓判を押すも、彼はもちろん信じていない。

 スィンは重ねて強調した。

 

「きちんとごまかしましたっ!」

「……お前、そういうことは俺に聞かれないように言うべきじゃないのか」

「大丈夫。もう何を聞かれても答える気ないから」

 

 二人の、漫才のようなやりとりに辟易するように、わかったわかったと彼は大仰に納得の意を示す。

 そこへ、やりとりなどまるで気にしていないナタリアがやってきた。

 

「アッシュ、これからどうなさいますの? 私達はロニール雪山へ参ります。だから……」

 

 その先の言葉が紡がれるより早く、アッシュは一同に背を向けている。

 彼女の言葉を遮るように放たれたのは、別離の言葉だった。

 

「あの場所はいわくつきだと聞く。ぬかるなよ」

「アッシュ、どこへ……」

「俺には──時間がない」

 

 そのまま彼は、その場から去っていった。

 事情を知らない一同が呟くは、何とも呑気な会話である。

 

「……その割には随分のんびりしていったよーな」

「きっとあれだよ。船の時間が迫ってる的な」

 

 

 

 

 

 

 

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