「なあジェイド。ロニール雪山ってのはどの山なんだ?」
「ここから西にあります。裏手からケテルブルクを出ましょう」
ジェイドの案内を基に観光客の出入りする南口からではなく、地元の人間しか使わないような小さな北門を通って連なる山脈を目指す。
広がる銀世界を楽しんでいたのも束の間、ふとアニスが呟きを洩らした。
「ロニール雪山にはアリエッタもくるのかな」
あり得ない話ではない。これまで何も仕掛けてこなかったことを考えると、むしろ可能性は高い。
似たような内容をジェイドが意見し、話がラルゴに及んだところで、ルークと共に歩いていたミュウがこちらへと跳ねてきた。
「ボクはあのおっきな人怖いですの」
「大丈夫よ、ミュウ。私たちが守ってあげるわ」
場合が場合だからだろうか、ティアは至極真面目にそう答えた。
それに便乗するように、ジェイドが雪山におけるミュウへの期待を口にする。
彼が吐く炎で暖を取るとか、そういう話かと思いきや。
「みゅ?」
「遭難したときの非常食として……」
怪しげに眼鏡を光らせながらそんなことを言われたら、スィンだったら裸足で逃げる。
その例にもれずして、ミュウは怯えて悲鳴を上げつつ、その場から逃走した。
「だ、大丈夫よ、ミュウ!」
ティアの声は届いていない。珍しくアニスが彼に咎めだてするも、ジェイドの答えはひどいものだった。
「大佐! 冗談の域を越えちゃってますよぅ」
「ははっ。本気ですから」
「……」
「最低だよ、このおっさん……」
その辺りには同意する。今に始まったことではないが。
逃げたミュウが庇護を求めてルークの足にしがみつかんとするが、ガイと話していて気付かなかったらしく、その小さな体を蹴り飛ばしてしまっている。
そのことで女性陣から批難を浴びるルークを横目に、スィンはひたすら転ばないよう気をかけていた。
やがて一同の眼前に、そびえ立つ白峰──ロニール雪山が現れる。
「以前六神将がここへ来たときは魔物だけでなく、雪崩で大勢の
雪化粧をとんでもない厚塗りにしている山を見上げて、イオンはかつての大惨事をさらりと語った。
スィンは詳細を知っているが、こと細かく話すつもりはない。
「雪崩は回避しようがないからな」
「必要以上に大きな物音を立てないように。いいですね」
何故ジェイドはその注意をガイの顔を見ながらしているのだろうか。もしかしたら不用意に女性に近づいて、悲鳴を上げるなと言っているのかもしれない。その意図を知ってか知らずか、ガイが気にした様子はなかった。
その注意を一同が頷いて、雪中行軍は開始される。
足取りに関してもっとも心配されたのはイオンだが、意外なことに彼は一度たりとも転ぶことはなかった。後ろを歩くアニスの注意をしっかり聞いていたからだろうか。
代わりというわけでもないだろうが。
途中、踵の高い靴を履くナタリアやティアが雪に足を取られて派手に転倒し、それを見て足元不注意になったらしいアニスまでもが盛大にすっ転ぶ。
転ぶこと自体はともかく、悲鳴──大きな声を上げることはよくないとジェイドが苦言を呈したところで彼は足を滑らせた。
「おおっと!」
しかし、彼はそのまま雪まみれになるという事態には陥っていない。
手近にいたルークの服の裾を掴んで体勢を立て直し、転んだ際にかかった慣性を余すことなくルークに押し付けている。
成す術もなく悲鳴を上げてスノーマン手前になったルークと、飄々としているジェイドを見比べて、スィンは一言呟いた。
「平常運転だね」
このやり取りすらも芝居じみて見えるのだから、もう重症だといえるかもしれない。
その呟きを耳にして、ジェイドは含み笑いを浮かべていた。
「ここはお約束として、あなたも足を滑らせてみますか?」
「そうだよっ! スィンもいっぺん転んでおきなよ、付き合い悪いなあ!」
ジェイドとの結婚話が持ち上がって以降、かなり刺々しくなった少女が意地悪く抜かすも、聞く耳は持たない。
絶対ヤだ、と短く返して転んだルークに手を貸す。立ちあがったルークが弾みでスィンを突き飛ばすようなことはなかった。
そんな道すがらにも、吹き下ろす風は独特の音をまとって一行の間をすり抜けていく。
その音がまるで、女性の泣く声のようだと誰かが言ったところで、話は始まった。
「どうした、ジェイド。まさかあんたも怖いのかい?」
「いえ……昔のことを思い出しただけです」
予期される戦いを前にして、和やかな会話が繰り広げられている。
しかし、スィンはそれどころではなかった。
『ふぅむ。汝が契約者か……聞きしに勝る弱りようじゃの』
久しぶりに聞いた音素集合体の声に吃驚している最中である。
年季を感じる年かさの女の声で、尊大な物言いが特徴的だった。
人に対してかける言葉だからか、元からこうなのかは杳としてしれない。
『ほれ、なんぞ応えてみせんか』
『何か用ですか。その前に、どちらさまでしょうか』
大分余裕がなくなってきたと、スィンは他人事のように自覚していた。
見下すようなその声音に、応える反応は硬くなってしまっている。
名も知らぬ音素集合体が、それに気付かぬはずもなく。
『ほほ、そうツンケンするでない。妾はセルシウス。第四音素集合体所縁の者じゃ』
『はい、初めまして』
自己紹介はしない。セルシウスとて、伊達や酔狂で話しかけてきたわけではないはずだ。
ただ。
『如何なる御用件で。第四音素集合体との契約は成されているはずですが』
第三音素集合体シルフにもヴォルトという縁者がいたが、彼との契約はしていない。正確にはする必要がないと、諭された覚えがある。
『妾とて、契約しようと声をかけたわけでもなければ、ちょっかいを出しに来たわけでもない』
では何用だろうと語りかけられる言葉を意識に入れながら、周囲は警戒しておく。
アリエッタがいるなら、そこいらの魔物が一同のみに襲いかかる敵になる──といった極端なことにはならないが。それでも、彼女が来ているなら他の誰よりも脅威で、警戒するべきである。
単純な話、従える魔物総勢に囲まれて遠吠えの合唱でもされた日には雪崩でお陀仏、全滅の憂き目にあうだろう。
彼女は使役する魔物に対してすべからく「お友達」と認識している。そのようなことを強要するはずもないが、それでも危惧をするに越したことはない。
そうこうしている内に、セルシウスの話は終わった。
『さて、なんとする? 汝の生存は契約において必須──』
『無理です。少なくとも、今すぐには』
『左様か。忠告はした。ではの』
セルシウスの忠告。それは
本来人の生き死になど関与しないところ、それが契約者のものであるなら話は別だと。刻限の近づくこの状況をなんとかせいと、セルシウスは一案をスィンに示した。
聖なるものユニセロス。かの幻獣の角を用いれば、スィンの体は全快する。
彼らを眷属とするシルフ達から反発があるだろうが、セルシウス──ひいてはウンディーネの提案だと告げれば、彼らも頷かざるをえないだろうと。
しかし、今彼らの元を離れてタタル渓谷へ向かうことはできない。
それ以前におそらくスィンには、ユニセロス──ニルダの角を強奪することなど、できないだろう。
聖なるものと称される彼らの力の源である角を失えば、その命もまた失われる。
仮に彼女以外のユニセロスがいたところで、同じこと。ニルダがスィンによる同族殺しを享受するとは思えないし、思いたくない。
だが、それをセルシウスに言ったところで理解されるわけもないのだ。
だから端的に拒否したわけだが……彼女はあっさりとそれを受け入れた。声どころか気配の一欠片も感じない。
契約の遂行にあまり興味がないのか、こればかりはどうしなければいけないのか一番よく知っているのはスィンだから、強制したところで意味はないと思っているのか……と、彼女の意向を考えたところで、何がどうなるというわけでもなかった。
「あれ、お前……」
「全然怖くないわ。だからとにかく行きましょう!」
先程の怪談がらみか、ティアが半ば肩を怒らせながら──あるいは肩を震わせながら一同の先を行く。その態度が何を示すのかはバレバレで、他一同は苦笑を禁じ得ない。
それに気付いているティアは頬を染めてただただ黙していた。
確か彼女は、シュレーの丘でもジェイドによる似非怪談で恐怖のあまり気絶している。
普段は気丈で芯の強い少女の一面を見て内心和んでいると。
「──」
風の音にまぎれて、人の声が流れた。
それを風の音と勘違いしたらしいルークが、頭をかいてぼやいている。
「……まただ。なんか俺もおっかなくなってきた」
しかし同じものを聞いたらしいティアは脅えるでもなく怪しみ、ジェイドもそれに同意している。
スィンもまた、この声には聞き覚えがあった。それも、六神将の一人のものに。
「──ええ、人の声です。気をつけましょう。私達以外に誰かいます」
「六神将ですか?」
「……多分、間違いないと思います」
確かに、今しがたの声はリグレットのものに酷似していた。
一同の中で一番彼女と関わりがあったティアもそれに気付いたようで、硬い表情のままイオンに対し頷いてみせる。
六神将が待ち伏せをしている。その事実に一同は一層用心しながらも、山中を行く矢先のこと。
「スィンは……いいんだな?」
「うんかまわない」
先を歩くルークが転進したかと思うと、殿を歩いていたスィンの元へとやってきた。
彼の問いに対して、スィンは迷うことなく肯定を返す。ルークがこの状況で尋ねることなど、限られているはずだ。
答えが瞬時に返ってくるとは思っていなかったようで、彼は慌てている。
「い、いいんだな? ホントに、いいんだよな?」
「うん!」
殊更快活なスィンのお返事により、二の句を告げられないルークに、さてなんと言葉をかけたものやらと考えて。
「スィン……何がって、聞いてやるのも優しさだぜ」
「僕の優しさはすべてあなたにつぎ込んでいるので空っぽです。ところでルーク、何が?」
主の言葉に乗っかって、ようやっと本題に入る。彼もまた安心したように質問内容を口にした。
「六神将と戦いになっても「ガイラルディア様の敵は僕の敵。その辺に迷いはないよ」
偽りなきスィンの本音である。スィンはとっくの昔に、最も敵対を躊躇うべき相手と刃を交えて乗り越えた。
あの時のことを考えれば、元同僚との交戦──否、再戦などお茶の子さいさい、というやつである。
ところがそこへ。
「……以前から思っていましたが、その考え方は危険ですよ」
スィンの言葉を疑うでもなく呆れるでもなく、考え方そのものにケチをつける人間が現れた。
その発言主がジェイドであることを知り、スィンは全力で受け流しにかかっている。
「そうですか」
「この後の戦いで、もしガイがお亡くなりになられたらどうするんです」
「縁起でもないことを言わないでください」
そんなことになれば、草場の陰で見守っていてくれているはずの人々に顔向けができない。
「そうならないようにするのが、僕の仕事ですよ」
最も、実際そのような事態に陥ればスィンの命をもってして償う他ないわけだが。
その前に祖父に殺されるかもしれないし、場合によっては錯乱した末に自分で腹なり首なりかっさばくかもしれない。
──あるいは、今際の際に主の血をもらい、彼に成りきることで今後の人生を捧げる、ということになるかもしれないが。
内心の動揺は内側に収めたそのままで、しれっと返す。
その様子を見て、その話を続けるのは無駄だと悟ったらしいジェイドは例えをソフトなものへと変えた。
「わかりました、言い方を変えます。仮定の話です。ガイに暇を出されたら、あなたはどうなさるので?」
これには即答が出来ず、スィンは黙考している。
彼の一存でそれが出来るかといえば、可だ。
しかし今のスィンには、ガイが意味もなくスィンをクビにする理由など思いつかないが。
それでも、もしクビになったら──
あり得ない可能性におたついても仕方ない。ここは無難に返しておくべきだろう。
「その時になってみないと分かりませんが、とりあえず自分探しの旅にでも出ましょうか」
「無難な答えですね。実行できますか?」
「そんなの、その時になってみないと分かりませんよ」
一同の誰かが警戒に当たっているとはいえ、いい加減待ち伏せには総員で警戒するべきだろう。
しかしジェイドはなかなかその話題から離れようとしなかった。
「主に──ガイに依存するのはどうかと」
「してません。他の誰からそうとしか見えなくても。依存だけはしないよう自制してます」
「あなたのそれは依存ではなく共依存です。言葉の意味は御存じですね?」
共依存。特定の人間関係に執着する状態を指す。
一例として、自己の存在意義を認めてもらうべく過剰な献身を繰り返すという行為もある。
──この言葉を向けてきたのがジェイドでよかった。
譜を刻んだことによって血の色を有するその眼を見ながら、スィンは淡々と共依存における定義を語った。
他の人間にこれを言われたなら、スィンは己を抑えることはできなかっただろう。図星という認識は欠片もないが、すれすれであることは自覚している。
これまで行動を共にしていたがため、彼を見やれば私情を抑え込む癖をつけていたことが、良い方向へと働いた。
「……少なくとも、僕はガイラルディア様に認めてもらいたくて従者をしているわけではありません」
わざわざ認めてもらうまでもなく、スィンはガイの従者で、ガルディオス家の騎士なのだ。
物心ついたと同時に教え込まれたことを、今更改めろと言われても無理なお話である。それに。
「共依存だとガイ様もまた僕に依存していることになるのですが、いかがでしょうか」
「してるかしてないかって言えば、依存してる方かもしれないけどな」
それでも認めてもらいたい云々は筋違いだし、依存ではなく頼りにはしている、とガイは締めくくった。
ジェイドに向けられていた瞳が、主の警戒を聞いて、くるりと周囲を見やる。
「さて……そろそろか?」
前方には山の中腹だからか。これまでの道のりとは違い、少々拓けたなだらかな場所が見える。
待ち伏せ、あるいは一行を待ち受けるにはお誂え向きの場所と言えるだろう。
用心しいしい、歩みを進めて──
「……うそっ」
小さな驚愕を耳にして、スィンはその方角に取り出した譜銃を向けた。間髪入れず、発砲する。
残念なことに被弾はしなかったものの、潜んでいた小さな影を焙りだすことには成功した。
可愛いとはちょっと言い難いぬいぐるみを片時も手放さず、珍しく『お友達』は伴っていない──
「アリエッタ!」
「……やはり勘付かれていたか」
再び少女を狙撃せんとして、横合いからリグレットの姿を認める。
その銃口がガイへ向けられているのを見て肝が冷えるも、彼は見事なバク転で凶弾から逃れた。
しかし。
「ナタリア!」
「きゃっ!」
咄嗟に彼女の腕を掴んでその場を立ち退けば、追い立てるように衝撃波が駆け抜けた。
放った張本人らしいラルゴは、周囲に紛れるような色のシートを投げ捨てて得物を肩に担いでいる。
あんな黒塗れの巨体を何処に隠していたのかと思えば、カモフラージュしていたらしい。
「──総力戦だね」
アッシュはとうの昔に離脱し、シンクは地核へ落ちて行方不明、ディストは先程マルクト軍に突き出した。
後は彼らを排除すれば、残るはヴァンただ一人。
彼らにしてみれば後がない戦いだ。さぞかし焦っているだろうと思いきや。
「シア……本当、だったなんて」
「……その胆力には、敬意を払おう」
アリエッタはイオンをちらちらみながら、目を白黒させている。
ラルゴはどこか呆れたように首を振っているし、リグレットに至っては言葉もないようだ。
そして三者は一様にして、スィンに視線を集中させている。一同は当たり前のように怪しんだ。
「どういうことですの?」
「何を言ってるんだ」
「あれは僕宛てだよ、ルーク」
心当たりはある。考えてみればディストが知っていたのだ。
彼らが知っていても不思議はない。そうなると、気になるのは。
「ヴァンも、このことを?」
「総長は……」
「話せるわけがなかろう、このようなこと!」
「知らずともよいこと、だ。口止めさせてある」
言いかけて押し黙るアリエッタ。言葉を荒げるリグレット、片手で彼女を制しながら淡々と返すラルゴ。
その返事に胸を撫で下ろして、訝しげな視線を寄越す一同には苦笑いを浮かべて見せる。
「ふっくらしたことかな。幸せ太りかって」
もちろんこれで、全員が納得したわけではない。
しかし、悠長に言い訳を募らせている場合でもない。
「何をしゃあしゃあと! よくもそんな体で、ここまで来れたものだな」
「よく僕の前に顔出せたね。しゃあしゃあしてるのはそっち。僕も、その胆力には違う意味で感心しとくね」
ぐぐっ、とリグレットの眉が見る間につり上がった。いきなり発砲されることを覚悟しての挑発だったが、何もない。
何か企んでいることは明白だ。だからこそ、リグレットからだけでも平静は奪っておかなくては。
「き、貴様の口車になど──」
「いーのかなあ? 教え子の前で本性さらけ出しちゃって。あっ、ちなみに泥棒猫のくだりは話してないよ。蜂の巣はいやだから」
それを聞いても、リグレットの表情は揺らがない。
しかし悲しいかな、ホッとしたように息をついたことをスィンは見逃さなかった。
さあ、ここが落とし所だ。
「代わりに、負け犬のくだり、話しちゃっていい?」
「ま、負け犬?」
「そう。リグレットったらねえ……」
ついに銃声が木霊する。構える双銃はスィンを狙っていたはずだが、照準が狂ったのか。
放たれた譜弾は彼女の脇を通り過ぎた。
「リグレット、落ちつけ。ブリュンヒルドの言葉に耳を傾けるな」
「わかっている!」
「わかってはいるんだ。大変だねえ。頭と気持ちがバラバラだから、全然集中できないんだ。とっても好都合だけど」
イラついたリグレットの怒声が叩きつけられるも、今更である。スィンが怯むことはなかった。
「黙れ女狐!」
「黙らない。無闇に大声出すと雪崩呼ぶよ」
彼らの挙動に注意を払いながらも、アリエッタがいる場所を見やる。彼女はアニスに退避を促されたイオンへと話しかけていた。
今のところ、三人の内誰も何かを仕掛けてくる気配はない。
奇襲を考えていてその目論みが潰されたのだ。アリエッタだけならまだしも、ラルゴやリグレットが代替え案もなくただ待ち伏せしていたなど考えにくい。
それがわからない以上無闇に仕掛けるわけにもいかないだろう──
『やれやれ。このようなことをしておる場合か?』
その勘繰りは他の仲間達とて同じこと。
一触即発の空気が破られるよりも早く、再びスィンはセルシウスの声を聞いた。
『あの、今忙しいんですが』
『存じておる。妾が
声が聞こえるやいなや、唐突に地響きが足の裏に伝わる。
地鳴りにも似た、大量の雪が滑る音を聞いて、当たり前だが一同は浮足立った。
「しまった! 雪崩が……」
「譜歌を……!」
「駄目だ、間に合わない!」
真白の端切れが視界に入ったかと思うと、それはあっという間に眼の前を覆い尽くした。
そのまま崖下へ連れて行かれる──かと思いきや。
轟音は唐突にやみ、体の自由もきく。
雪崩に呑みこまれたはずなのに何の影響もない体を起こして見回せば、狭い足場に折り重なるようにして一同の姿があった。
『せ、セルシウス。まさか……』
『雪崩を思いのままに操るなど、妾には朝飯前じゃ。仲間らは無事、敵は退けた。なんぞ文句があるのかえ?』
『いえあの、他の人間達はどうしました? あなた方は命に手出しすることを嫌っていたはずでは』
『殺してはおらぬ。ほれ、そんなことよりこれを探しておったのじゃろ?』
セルシウスの声に導かれるように見やれば、足場のすぐ先に硝子に似た物質で構築された扉らしいものが存在している。
壁面に張りつくような形であることもさながら、以前訪れた調査隊もこれでは見つからなかったのも無理はない。
セルシウスの声が遠のく頃、仲間達は意識を取り戻していた。
「ガイラルディア様、ご無事ですか?」
「ああ……まさかリグレットが怒鳴っただけで雪崩が起こるとはな」
「──銃声が原因かなと僕は思っています」
すごい濡れ衣だが、訂正するわけにもいかない。そういうことにしておいてもらおう。
やがて、なかなか眼を覚まさないルークをジェイドが起こしにかかった。
「ルーク! しっかりしなさい!」
「助かったのか……?」
軽く身じろぎをして起き上がったルークが、周囲を見回しながらそれを尋ねる。
夕日色の頭に乗った雪を払ってやりながら、ガイが答えた。
「俺たちのいた場所はちょうど真下に足場があったんだ。それでなんとか……」
「ってことは、六神将の三人は……」
「アリエッタたちは、谷に落ちちゃったみたい……」
この場所付近にいないということは、そう考えるのが自然である。
言いにくそうにそれを告げるアニスの視線は、彼らが見当たらないことを知ってから沈んだ表情を浮かべるティアへと寄せられていた。
その視線に気づいた少女が、軽く首を振って見せる。
「……大丈夫。どちらにしても教官は倒さなければならない敵だったんだし。それより見て。パッセージリングの入り口があるわ」
その話題から逃れるように示された扉を見て、ルークが目を丸くしていた。
「ホントだ! こんなところに……」
「ある意味、雪崩に巻き込まれて幸いだったということですか」
「」
巻き込まれたというか、巻き込んだというか。焦れたセルシウスが仕組んだことなのだが、それを語るわけにはいかない。
沈黙が金と、黙って事の成り行きを見守るスィンが望んだ通り、どうにか無事だったイオンが進み出た。
「では、ここを解放しますね」
「イオン様、今の雪崩でお体が……」
「大丈夫。任せてください。ここで最後ですから」
そう。ここで、ダアト式封咒の張られた扉は最後となるはずだ。
もう彼に……扉を開く度に命を削るイオンに、負担がかかることはなくなるはず。
雪をかきわけての登山は大変だっただろうに、彼は淀みなく術を発動させた。
扉は開き、その代償として華奢な体が崩れ落ちる。
「イオン様!」
「……大丈夫。あと少しですから」
「……わかった。行こう」
雪の山の只中で休む──立ち止まるよりは、パッセージリングが収められた内部に入った方がいいだろうと、一同は歩みを再開した。