「スィン。どうかしたのか?」
それをガイから尋ねられたのは、ダアト式封咒の扉をくぐってしばらくしてのことだった。
あれから変わらず一行のしんがりを歩み、特別何かしたわけでもない。
その意図を尋ねると、彼は軽く頭をかいた。
「いや、さっきから……雪崩の後からずーっと黙りこくってるから、どうかしたのかと思ってな」
「どうもいたしませんよ。ただ」
変な胸騒ぎがするだけで。
続く言葉を、スィンはどうにか呑みこんだ。
それを告げたところで、どうなるだろう。
スィンが抱える言い知れない不安が伝染するかもしれないのだ。
「ただ?」
「お腹が空いて、無駄口叩く元気があんまりないくらいですかね」
最近大食らいになった事実を基にそれらしいことをほざけば、彼のみならず彼らはそれを信じてくれた。
「お腹空いたってお前、子供じゃないんだから……」
「そう言われると思ったから、何にも言わなかったんですよ?」
「でも、スィン。本当に食べる量が増えましたわね。体に変調はありませんの? あまり太っているようにも見えませんし……」
そんなことはない、体重が増加していると返答しておく。
病気の前兆かと心配するナタリアに対して、アニスは意地悪だった。
「お腹に虫でもいるんじゃないのー?」
そしてニアピンだから困る。
無論虫ではないが、こんな戯れ言をまともに受け取るのは馬鹿正直のすることだ。
「遅れてやってきた成長期とか、一時的なものだと思うけど」
否、間違いなく一時的なものだが、断言するわけにはいかない。
思いのほか長引いた話題に終止符を打つべく、スィンは誰もが嫌がるだろう要素を口にした。
「あんまり長引くようなら虫下し飲まないといけないかもだね。あ、でも、寄生虫がいるときってやっぱり下から出てくるのかな?」
「スィン……その話はいいよ、もう……」
自分で振ったくせに嫌そうにアニスが顔を歪めたため、口を閉じておく。
描かれた螺旋を下るように進んだ先。ついに一同は、遺跡の最奥たるパッセージリングを目の当たりにした。
まずは起動を促すべく、制御盤の眼前へと歩み寄る。
残るはアブソーブゲートとラジエイトゲートの二か所。
あとたった二回、パッセージリングの起動に耐えることができれば勝ち、だ。
起動に伴い、汚染された
体にかかる負担に耐えるべく、そしてそれを悟られないために歯を食いしばり──
「……?」
いつまでもあの受け入れ難い感覚がこないことに気付いて、不審に思う。
歯を食いしばるにあたり閉ざしていた瞳をそろそろと開くと。
「!」
視界が、一変していた。
眼前にあったはずのパッセージリング制御盤に、誰かが立っている。
その背中が誰のものなのかに気付いて、スィンは戦慄した。
白を基調とした外套に、頭頂部でまとめられた蓬髪が揺れている──
「……ヴァン」
スィンの呟きを、彼が聞きつけた気配はない。
一体どうしていきなりヴァンが現れたのか。
さぞかし驚いているだろう一同に振り返って、呆然とした。
それまで後ろに控えていたはずの誰もが、いない。
よくよく見回せばこの場所まで至る道が消えており、据えられたパッセージリングだけが同じの別の空間に成り代わっていた。
呟きが音にならなかった先程を思い出す。
これは、スィンの意識だけがヴァンのいるアブソーブゲート──正確にはパッセージリングが起動されている場所へ飛んでしまったのか。
ヴァンと思わしき人物はパッセージリングを仰いだまま、身動きひとつしない。
ふと、耳元で声がした。
「さあ、ルーク。あとは全てのセフィロトをアブソーブとラジエイトのゲートへ連結して下さい」
「わかった」
ロニール雪山のパッセージリングが起動しているためか、ジェイドがルークに指示する声が聞こえてくる。
それに伴い、眼前のパッセージリングにも変調が訪れた。
「来たな」
展開された各地のパッセージリングを模した図式が、発光する。
ルークの超振動によって強引な操作がなされた直後。
それを確認したらしいヴァンが、操作盤に手を伸ばした。
その操作が何をしているものなのか、その場から動けないスィンには伺い知れない。
しかし、猛烈に嫌な予感が全身を駆け巡る。
早く止めなければならないのに、成す術がない──
「よし。でき……」
「ルーク、駄目! 手を止めて!」
ようやく言葉が声として出た。
同時に、体が鉛と化したかのように重くなり、その場にべしゃっ、とへたりこむ。
その瞬間。
操作されたパッセージリングが、極めて正確に、命令通りに稼働を始めた。
その余波なのか、大地に属さないはずの足元が鳴動を始めた。
予想もしていなかった事態に、仲間達は浮足立つ。
「何ですの!?」
「まさか、俺、しくじったのか!?」
「……やられた……」
崩れ落ちた体を支えてくれた手に礼を言って、ふらつく足で制御盤に近寄る。
どうしてあのとき、意識だけがヴァンの元へ飛んだのかはわからない。
その原因を考える暇もなく、制御盤を通じて現在のパッセージリングの状況を探りにかかると。
「どうしたの? 何が起きたの?」
「アブソーブゲートのセフィロトから、
「そんなことができるのは、パッセージリングを操作できる奴だけ……」
呆然としたようなスィンの声を受けて、ガイもまた制御盤を見つめた。
今の状況でそれを可能とするのは、たった一人しかいない。
「兄さん……でもどうして!
「……違うよ、ティア。今は……」
「私たちによって、各地のセフィロトがアブソーブゲートに流入しています。その余剰を使ってセフィロトを逆流させているのでしょう。むしろ落ちるなら、アブソーブゲート以外の大陸だ」
あちらにしてみれば起死回生の一手だ。
こちらにしてみれば、見事足をすくわれたといったところか。
「冗談じゃないぞ!」
「ねえ、地核はタルタロスで振動を中和してるんでしょ。活性化なんてしたら……」
「タルタロスが壊れますわ!」
そして、世界には瘴気が溢れだすと。たまったものではない。
戦艦であったタルタロスが早々に壊れるとも思えないが、それでもあまり猶予はないだろう。
となれば、やることはこれしかない。
「くそっ! 師匠を止めないと!」
「総長を止める前に、イオン様を街で休ませるのも忘れないでよ」
はやるルークにアニスが釘を刺す。
その気持ちは痛いほどわかるのだろう。それでも体がついていかないイオンは、小さくうなだれた。
「……すみません……」
「謝るなって。大体、イオンは体を張って俺たちを助けてくれた。ちゃんと休ませるべきなのは、ルークだってわかってるだろ?」
「ああ。ごめんなイオン。もう少し辛抱してくれ」
「はい……お願いします」
焦る気持ちは皆同じ。
それでも消耗の激しいイオンを男性陣が代わる代わる運び、下山を急いだ。
ロニール雪山を出て、麓。
ふと、歩みを止めてティアが下山してきたその場所を振り返った。
どこか口惜しささえ滲ませた声音で、呟く。
「……わからないわ。教官もみんなも、どうして兄さんの馬鹿な理想を信じるの」
人それぞれ思うことが違うからこそ、争いは起こるものなのだが。それがわかっていても、尚納得のいかないことなのだろう。
答えなどあるはずもないが。彼女の気持ちに寄り添うように、ガイは口を開いた。
「それぞれに思惑があるんだろう。俺にはわかる気がする」
「ガイ……どうしてですの……」
ナタリアの声音は疑問のみならず、どこかしら恐れも含んでいた。
彼の背景を鑑みればどことなく想像できたからだろうか。
復讐を遂げることなく、一同と──ルークと行動を共にする主の言葉は重かった。
「俺はずっと、公爵たちに復讐する為、ヴァンと協力する約束をしていた。どこかで違う道を選んでいたら、俺は六神将側にいたかもしれない」
「ガイ……ヴァン師匠の目指す世界の姿を知ってもか」
現存する全人類を滅ぼし、大地さえもよく似た別物に取り替えんとする、常軌を逸した計画。
それでも見方を変えれば、受け入れ難くはなくなる。
実際彼らは、見方を歪めたそちらを見据えているから。
「それでホドが復活するなら……例えレプリカでも……仲間や家族が復活するなら、それもいい」
「ガイ!」
「……と、考えたかもしれない。今だって、正直何が正しいのかはわからないさ」
ガイなりに、もしヴァンに協力していたらどのように感じていただろうか、想像したことがあるのだろう。
ただ彼は、そうとは考えなかったから今ここにいる。
それがわからぬルークではなかった。
「……そうだよな……故郷を失ったんだったな」
「六神将はそれぞれ、この世界を消滅させてまで、叶えたい思いがある。それがヴァンの理想と一致しているのでしょう」
「
押し殺すように零したティアの呟きは、ひとひらの雪を載せた山颪にさらわれて消えた。