the abyss of despair   作:佐谷莢

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第百三十五唱——決戦前夜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケテルブルクへと帰還したその足で、スィンは街はずれに訪れていた。

 アブソーブゲートへ向かう前にこっそり抜け出してきた……わけではない。

 ロニール雪山よりケテルブルクに帰還した一同を出迎えたのは、珍しく顔を曇らせたノエルの姿だった。

 

「皆さん、お待ちしていました」

「ノエル! どうしたんだ?」

「……実はこの寒さで、アルビオールの浮力機関が凍りついてしまったんです」

「ええ~!?」

 

 浮力機関が眠っていたのはメジオラ高原にある遺跡だ。発掘した場所を考えれば、寒冷地に耐える仕様のはずもない。

 アルビオールに搭載中も、以前確認した限りでは対策らしい対策はなかった。当然のトラブルとも言える。

 ここへ至る経緯が経緯だったから、まったく考えつかなかったが。

 

「今、ネフリーさんの協力で修理をしていますが、一晩はかかってしまうかと……」

「そうか……イオンを休ませたらすぐにでも出発しようと思ってたけど……」

 

 それはそれで無茶な話であるが、事態はそこはかとなく一刻を争う。

 とにかく、そういうことなら思考を柔軟に切り替えなければならない。

 

「無理なものは仕方ないさ」

「そうよ。この時間を利用して、明日の準備を整えましょう」

 

 ガイがそれを促し、ティアもまた準備という形でモチベーションを下げないよう提案した。

 その場で話し合った結果。

 各々必要な準備も気構えもあるだろうということで、ここからは個別行動と相成った。

 

「疲れたら、各自で宿へ向かいましょう。それでは」

 

 ジェイドの一言を最後に、スィンはまずこの場所へと訪れていた。墓標に積もった雪を払い、消耗品補充のついでに購入したケテルブルクの地酒を供えて。

 本当はこの場所に撒こうとしていたのだが、彼女が酒類を好んで嗜んでいたかどうかは知らない。

 ディストは知らないと言っていたし、彼が知らないということはジェイドも知らないだろうと勝手に決め付けた結果である。

 ゲルダ・ネビリムその人について尋ねるのは、古傷をえぐることになるから、気を使っているわけではない。尋ねたところで苦しくなったり悲しくなったりするのはスィンだけで、それでいさかいの種になってもつまらないと思ったからだ。

 

「ね。驚いた? 僕は明日、あなたの愛弟子と一緒に、僕の愛しい人を殺しに行く。人生って、何があるかわかんないよねえ」

 

 彼女が失われたその場所に視線を留めて、本日してきたこと、明日成そうとしている事柄を、ひたすらつらつらと語っている。

 街はずれだけあって人目はないが、時折通りかかる地元民の視線は冷たい。

 気づいていても気にする気のないスィンはふと、言葉を切った。

 

「……あなたのところへはいかないし、いけない。もうちょっとだけ、先になる。今までの行いが行いだから、同じところへいけるとは限らない、けど」

 

 弾かれたように立ちあがり、尻についた雪を払う。

 ちらっと振り返った先には、見慣れた金髪がちらつく雪の向こう側に見えた。

 

「ガイ様」

「ここにいたのか。宿にはいないし、思わず街中探して回っちまったぜ」

「それは、お手数おかけしました」

 

 快活な笑顔を前に、内心で胸を撫で下ろす。

 この様子、彼女への語りかけは聞いていない模様──

 

「んで、誰と話してた?」

 

 と、考えたのは甘かったようだ。

 彼はしっかりとスィンの奇行を目にしていたようで、彼女を見つめるその目は半眼になっている。

 

「……報告、してました。母に」

「墓はないのか?」

「共同墓地にあります。ちゃんと整えてきましたよ。僕にとってはあの場所より、ここで話したかったんです」

 

 彼女が息絶え、彼女に関するありとあらゆるものが失われたこの場所で。

 言葉にこそしなかったが、ガイがそのことに言及してくることはなかった。

 

「そっか。邪魔しちまったか?」

 

 たとえそうだったとしても、ここで、はい、邪魔です、と答える従者はいない。

 首を振って否定を示す。

 

「問題ありません。ガイ様、如何なさいましたか?」

 

 彼とて、伊達や酔狂で街中を巡ったわけではない。探し当てたスィンからそれを問われて、彼は軽く頭をかいた。

 

「ああ……それ、なんだが」

 

 その口調はどこか重たく、切り出そうとしている話があまり愉快なものでないことが伺える。

 だからこそ、スィンは黙して彼からの言葉を待った。

 やがて彼から発せられたのは。

 

「あの……さ。従者、やめないか」

 

 ──伊達や酔狂で言いだしたことでないのは、重々承知。

 しかしこの言葉に──これまでスィンが全てを捨てて選んできたその道を否定するその言葉を。

 ただ頷くことはできなかった。

 

「ガイ様、それは」

「お前はずっと、よくやってくれた。ナイマッハの人間としての責務を果たしてくれたと思う。だから」

「ガイ様」

「聞いてくれ。もう何も知らなかった頃には戻れない。設定じゃなくて、俺達は本当に腹違いの姉弟なんだから」

 

 一度は、頷いてくれたことだった。

 血のつながりがなくても親子でいられるように、血のつながりがあっても主従のままで、今まで通り在ることができると。

 そう思っていたのはスィンだけで、彼はずっと疎ましく思っていたのだろうか。

 自分の姉でありながら自分につき従い、かしずいてきたスィンを。

 

「姉上には、家来のように……俺の従者として振る舞ってほしくない。お互い、すぐに意識を変えるのは難しいと思う。でも俺は、姉上にはガルディオス家の人間として」

「やめて! 私はガルディオス家の人間じゃありません! 旦那様の血がこの体に流れていたとしても、たとえあなたに認められたとしても! 半分だけなんですよ、扱いとしては妾の子! そんな人間を迎え入れるなんて、あなたは笑い者になりたいのですか!」

「……そんなもの、他言しなければいい話だ。貴族に返り咲くならそりゃ、面子も面目も重んじることを強いられる。でもな、俺にとってそれは、家族をないがしろにしてまですることじゃないんだよ!」

「ガイ様……」

 

 家族という言葉が、じくりと胸に痛みをもたらす。

 スィンにとってのガイは、家族を……夫を切り捨てて選んだ主だ。対等であり尊重し合える家族とは、存在の次元が違う。

 その主を、家族として扱えというのか。スィンが切り捨てた、切り捨てることのできる、家族に。

 がんがんと、頭が痛む。

 まるで、頭の中で銅鑼を鳴らされているような感覚だった。

 

「……この戦いが、終わるまでは」

「?」

「ヴァンを討つその時までは、このままで、いさせてください。それはナイマッハの名を捨てること、ガルディオス家左の騎士としての立場を捨てることと同義なのです。おじいちゃんにも、ちゃんと報告してから、に」

 

 立っていることすら難しかった頭痛が、唐突に失せる。

 これが何を意味するのか、今は誰にもわからない。

 

「……じゃあ、敬語をなくすことから始めようぜ」

「おねえちゃんに命令すんな、ガイ」

 

 このような形でよろしいでしょうか、と殊更丁寧に伺いを立てる。

 鳩が豆鉄砲を食らったような、呆気に取られていたガイだったが、不意にくしゃりと破顔した。

 

「……なんか、腹立つかな。これはこれで」

「口調そのものでしたら、切り替えはいつでも容易です。僕があなたの姉として振る舞うその時までは、従者でいさせてください」

 

 気取ったように胸を張ってかしこまる姿が滑稽だったのか。彼は呆れたようにため息をついていた。

 そんな時は訪れない。

 彼の姉として振る舞う日など、永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿に戻ろうと促すガイに、寄るところがあるから、と丁重に辞退し。

 向かったのは、アルビオール……ノエルのところだった。

 

「お疲れ様ー。よかったら、一息どう?」

「あ、ありがとうございます!」

 

 地理的には豪雪吹きすさぶ辺鄙な場所でありながら、貴族御用達の観光地だけあって、手土産には事欠かない。適当に見繕った肉まんを渡して、一息入れさせる。

 ネフリーに貸してもらったという街外れの倉庫内はだだっ広く、そこかしこの音素灯で作業に支障こそない。

 しかし、その広さが災いして動いているはずの空調機は効きが悪く、肉まんを受け取ったノエルは顔をほころばせながら「あったかい……」と染みいるように呟いている。

 凍結してしまったという浮遊機関は、彼女の尽力によってどうにか元の姿を取り戻しつつあった。

 作業に夢中で休憩どころか食事も摂り忘れていた、と笑いながら肉まんをほおばるノエルに、自分用に買ってきたみそおでんも渡し、お腹を満たしてもらったところで持参したコーヒーも出す。

 自分も一緒に水筒のコーヒーをすすりながら、スィンは話を切り出した。

 

「ノエルー」

「なんでしょうか」

「ごめんね。本当はルークに来させようと思ってたんだけど、ちょっと捕まらなくて。せっかく二人きりにできると思ったのに」

「!!」

 

 それを口にした途端、彼女は口に含んでいたコーヒーを吹き出した。

 

「な、んっ」

 

 げほげほと咳きこみながら、涙目で何かを訴えるノエルの背をさすって落ち着くのを待つ。

 ふうふう、とどうにか息を整えた彼女は、盛大な抗議を始めた。

 

「な、なんのことですか! 私、そんな大それたこと……」

「バレバレだからさ」

 

 口で何を抜かそうとも、今のリアクションだけで語るに落ちるどころの話ではない。

 それを指摘すれば、自分でもわかっていたようで。年若き操縦士はがっくりと肩を落とした。

 

「……そんなに、わかりやすいですか?」

「少なくとも今の反応は。本人はまるで気付いてないし、僕が見る限りではアニスやガイ様くらいしか、知らないと思うけど」

 

 頬を赤く染めたまま、ノエルはコーヒーのカップを覗きこんでいる。

 そのままぽつりと、呟いた。

 

「ティアさんは、知らないんですね」

「気づいた風ではないね。知ってたら、もう少し態度に出てるだろうし」

 

 理想の兵士として、常に冷静であるべきと自分に課しているティアだが、それを理想とするだけあって、ボロが出る時は盛大に出る。その上で、今は事態が事態だから色恋沙汰に気を回す余裕はないとみた。

 スィンの分析を聞いて、ノエルはほぅ、と安堵のため息を零している。

 しかし、すぐに首を振った。

 

「ダメですね、私。こんな大事な時に、自分だけ勝手なことばかり考えて……ルークさんはお師匠様と、ティアさんは実のお兄さんと戦わなくてはならなくて、苦しんでいるのに」

 

 その瞬間、ノエルは何故か、はっ、と息をのみ、自分の口を押さえてしまった。

 またコーヒーで噎せそうになったのだろうか。

 ただ、咳きこむ気配はない。気にしないで進めることにする。

 

「僕としてはこんなときだからこそ、自分勝手になってほしいんだけどな」

「ど、どうしてですか」

「帰ってこないかもしれないんだよ。明日」

 

 びくっ、とノエルの体が震えた。

 思わずといった調子で立ち上がり、悲鳴にも似た批難をぶつけてくる。

 赤かった頬は、随分青くなっていた。

 

「嫌なこと言わないでください!」

「ルークに限っての話じゃないよ。僕達が負けたら、誰も帰ってこないし、世界もそこでおしまい。その時になって何もしなかったこと、後悔しないでいられる?」

「それは……」

「僕だって、他の誰に聞いたって、勝って帰ってくるつもりだと思うよ。でも、世の中に絶対はない。だから」

 

 取り出した鍵をノエルに握らせる。

 鍵本体に鎖で繋いだ棒状──透明な水晶には、ケテルブルクホテルの銘と部屋の番号が特殊加工で浮かび上がっていた。

 

「え?」

「今日はそっちで休むといいよ。本来貴族御用達で庶民が利用できるわけもない、あのケテルブルクホテル。こんなときでもないと泊まれないよ?」

「でも、私は……」

「何も告白してこいと言ってるわけじゃないからね? したいならすればいいと思うけど、ノエルはルークと付き合いたいとか、そういうのではないみたいだし」

「あ、当たり前です。ルークさんは貴族、それも王族に連なる方ですよ? 身分が違いすぎます……」

「ティアもダアトに所属する一兵士だから、十分身分違いだけどね。それと僕の事情もある」

「スィンさんの、事情?」

「大佐に会いたくない。アニス辺りから、色んなこと聞いてると思うけど」

 

 青かった頬に赤みが差して、空色の瞳に困惑が宿る。

 飲みさしのコーヒーとホテルの鍵を手に棒立ちしていたノエルは、思い出したようにすとんと座りこんだ。

 

「スィンさん、こそ。ジェイドさんと、話をするべきじゃないですか」

「今更改まって話すことなんかないよ。僕は覚えてないけど、大分好き勝手言ったらしいし。話すとしたら戦いが終わって落ち着いてから、これからを話し合う時だね」

 

 最も、そんな時は訪れない。スィンの頭の中で組み立てられた(はかりごと)が無事に通ったとしたら、だが。

 今はそんなことよりも、明日の決戦について思考を巡らせる必要があった。

 ドジ踏んでヴァンに殺られてしまえと全く思わないではないし、自分がドジ踏んだふりして後ろから刺してやりたいと思わなかったわけではない。

 ただしそれは──ジェイドが死ぬということは皇帝から少なからぬ不興を買うことになり、ガイにとっても不利に繋がる。そして単純に、ガイはそのことを喜ばないだろう。

 そんな邪念を払うためにも、今夜は明日の決戦のことだけを考えていたかった。

 何せヴァンには、どうしても伝えなければならないことが──出来れば一同に知られずに──あるのだから。

 立ち上がり、ただいま解凍中の浮力機関を見やる。

 一度凍りついた影響なのか、ぼんやりと浮かび上がっていた譜は見えず、その機能は完全に停止しているように見えた。

 

「今は譜業で発生させた熱にあてがっての解凍作業中です。済み次第起動を確認し、接続しますから、やっぱり私がここを離れるわけには」

「イフリート、お願いします」

『承知した』

 

 イフリート──第五音素意識集合体に命じて解凍してもらう。

 瞬く間にぼんやりと浮かび上がった譜を見て、ノエルはその頭上に「!」を浮かべた。

 

「まだしばらくはかかるはずなのに……!」

「ごめんね。慣れない登山のすぐ後に動くのは危険だと思って、黙ってたんだ」

 

 実際のところ、ノエルの報告を聞いた時点で可能だったことではある。

 とはいえ意識集合体の力を借りなければできることでもないし、凍結した浮力機関を一瞬で解凍するなど、ジェイドが聞いたら間違いなく怪しむだろう。

 隠しきるつもりだった秘密の数々を垂れ流してしまった身として、これ以上の暴露は避けたい。

 その上で、雪山登山によりスィン自身疲労が溜まっていて、それは他の面子も同じだと判断しての選択だった。

 何ともいえない顔をしているノエルを尻目に、そのままアルビオールの内臓部に納める。

 極めて手早く接続したその箇所を彼女に確認してもらい、何も問題ないことを確かめて。

 

「さあ、これでノエルのお仕事もおしまい。皆に何か聞かれたら、後は試験飛行だけど夜間は迷惑だからとでも言っとけば」

「豪雪地帯の夜間飛行は危険なので、どのみち無理な話ですけど……本当にいいんですか?」

「僕、前に一回泊まったことあるしー」

 

 遠慮しまくるノエルの背中を物理的に押して、結局ケテルブルクホテルの付近まで至る。

 ジェイドがいないかを警戒しつつ、ノエルが振り返りながらもホテルに入ったことを確かめて。スィンは足早にその場から立ち去っていた。

 

『アッシュ。ケテルブルク付近にいますね?』

『……あんたか……その通りだが、何故わかった』

『チャネリングであなたの視界を借りました。公園にいますので、ご足労願います』

『待て、ここからじゃ大分かかっ……』

 

 ぷつりと、一方的に通信を打ち切る。

 一方的に呼びつけられて、間違いなく彼は立腹するだろう。

 しかし最早、彼の機嫌を取る必要もなくなる。

 これを、これより命じることを感情で突っぱねたなら、世界は崩壊の一途を辿るのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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