アルビオールが、蒼く澄みきったバチカルの空を舞う。
アブソーブゲートを後とし、イオンと合流した一行は一路、キムラスカへと向かっていた。
姿の見えぬスィン。
泣きはらしたナタリア。
仏頂面のガイ。
ハンカチを目に押し当てるノエルに、しょんぼりと耳を垂れたミュウ。
うつむきがちなルークにティア、顔色が青ざめたままのアニス。
そして、普段の笑みを消していつになく事務的なジェイドの報告に、彼もまた顔を曇らせて追悼を口にした。
「そうですか。スィンが……ガイ「俺は大丈夫だ。気にしないでくれ。それで、この後のことなんだが……」
「陛下達に、顛末を報告しなければなりません」
現在地ケテルブルクからならば、グランコクマが近い。
ピオニーへの報告を淡々と提案するジェイドを遮り、ガイは切り出した。
「すまない、先にバチカルに行ってもらえないか」
「先にお父様へ報告を? わたくしは構いませんけれど、バチカルにはペールがいますわ。その……」
「わかってる。だが、時間を置いたってしょうがない。それに、後回しにはしたくないんだ」
インゴベルト国王への報告、そしてスィンの祖父であるペールへ訃報を届けるために。一同は無言のまま、バチカルへ足を踏み入れた。
事前の通達──外殻大地降下が行われることが民衆にも伝わっているのか。普段は賑わう大通りも、日中であるにも関わらず人通りは皆無である。
そこへ。
「!」
「ご帰還、誠に喜ばしく存じまする。ナタリア殿下。皆様も、ご無事のようで」
たった一人、凱旋した一同を出迎えたのは。スィンフレデリカ・シアン・ナイマッハの祖父、ペールギュント・サダン・ナイマッハであった。
ぺこりと頭を下げる所作は普段と変わらないが、庭木用の手入れ挟みをよく携帯していたその手には、持ち歩くにはいささか不都合な、分厚い書類入れを携えている。
ここに至るまで、覚悟を決めていなかったわけではない。
それでも、不意討ちの登場に動揺したのか。進み出たガイは、問われる前に謝罪を口にした。
「……ペール、すまん! スィンは……!」
「死にましたか」
「!」
あっさりと。まるで夕餉のリクエストでも呟くかのように。
彼はそう、言ってのけた。
「あ奴の姿もなし、皆様のお顔の色から伺えることです。そうですか。あ奴も、逝きましたか……」
ペールとて、彼女の姿が見えないことから覚悟していたのか。
言葉からも表情からも寂しさを滲ませて、深いため息をひとつ吐く。
そして、彼はくるりと踵を返した。
「愚孫がご迷惑をおかけしましたな。何はともあれ皆々様、お疲れ様で御座いました」
王城へ連絡し迎えを来させましょう、と言い残し、立ち去らんとする。
それを止めたのは、泣きはらし腫れぼったくなった目を隠そうともしないナタリアだった。
「ペール! あなたはどうしてそのような……! スィンが、な、亡くなったのですよ! どうしてそのようなことが言えるのですか!」
「……愚孫をお気に掛けて頂き、あ奴は幸せ者で御座います。ですがナタリア殿下。悲しむことはありませぬ」
足を止めたペールが、ナタリアに向き直る。
彼は常に王女のみならず、仕える人々に対し会釈をするように──目線を合わせぬように接していた。
しかし今、彼はナタリアの瞳を真正面から見つめている。
「遠くない未来、あ奴の命が潰えることは最早、避けられぬ定めでした。それがほんの少し、早まっただけのことです」
ペールの手にはスィンのカルテがあり、一方一同はスィンによって大幅に歪められた事柄しかわからない。
一同の……特にガイの反応で漠然とそれを察したペールは、あえて間違いあわせをするような真似はしなかった。
「ど、どういうことだ?」
「
「その上? 何かあるの? でも
「いえ、何も。あ奴が亡き今、何を確かめたところで不毛な話です。時にあ奴の亡骸は? 一体、何があったのですかな?」
「……それは「そうですか」
言い淀むガイを前に、詳しいことは一切聞き出そうとせずに、ペールはその話を打ち切った。
詳細を聞いたところで、何も得られるものはないと悟ったのかもしれない。
口を開きかけたティアを制するように、間髪入れず彼は質問を重ねている。
「話は変わりますが、皆様はアッシュなる者を御存じではありませんか」
「アッシュ?」
唐突にペールの口から彼の名を出され、一同は当然戸惑った。
「ああ、知ってるけど。なんでペールが……」
「このようなものが送られてきたのです」
そう言って彼は、分厚い書類入れの中から二つの封書を取りだした。
ひとつの宛名はペール。もうひとつの宛名は。
「アッシュと名乗る者に渡してほしいと、言付けがありました。あまりの身勝手な言いぐさに棄ててしまおうかと思いはしたのですが……」
「それはいつ、あなたの元に届いたものなのですか?」
それを訊ねたのは、それまで黙って話を聞いていた導師イオンだった。
「イオン様……」
「つい先日のことです。消印はケテルブルクのものですな」
「確かスィンは、アブソーブゲートへ出発する直前、手紙を出していました。その時のものでしょうか」
「なんて、書いてあったんだ?」
それを尋ねられ、ペールは沈黙した。その面持ちから、内心を推察するのは難しい。
ただ、少なくとも即答しなかったということは、ただの近況報告の類でないことだけは窺えた。
「……ガイラルディア様。是非に、確認したいことがありまする」
長くもない沈黙は、他ならぬペールの口から破られる。
聞くことを、確かめることを恐れるような、そんな物言いに訝しく思いながらもガイは首肯した。
「なんだ?」
「スィンを従者の任より解いたとは、真ですか?」
「!」
そのこと、か。
「え? ガイ、そうだったの?」
「それは……」
「解いたのですな。あ奴の働いた粗相は承知しております。無理も、ないことですか……」
「!? どういう意味だ。確かに従者をやめないかと持ちかけたさ。でもそれは、これからは家族として居てほしいと願ったからだ。答えろペール。手紙にはなんとあったんだ?」
寒風吹きすさぶケテルブルクより、如何お過ごしでしょうか。
まどろっこしいの嫌いだろうから中略するね。
従者、クビになっちゃった。色々あったからね、しょうがない。
僕が
そんなの従者にしてる貴族なんて、目の仇にされちゃうよ。
ガイ様は家族として接してほしいとお望みだけど、それなら尚のこと。
家族を想うなら、やっぱり傍にはいられない。
皇帝に睨まれることは、貴族社会じゃ致命的だよ。
主であっても、家族であっても、ガイ様には笑顔でいてほしい。
これまでずっと苦しんで、辛い思いを抱えて生きてきたのだから。
「……それは」
だから、僕はもう帰らない。ガイ様の前から、皆の前から、姿を消す。
──頃合い、なんだと思う。カルテを見たでしょう?
遅かれ早かれ、僕の意志関係なく。さよならしなくちゃいけないんだよ。これだけは避けられない。
病気が治らないのは承知の上だったけど、進行を止める術さえなくなっちゃった。
セントビナーが崩落して、あの薬草を作っていた土壌、なくなっちゃったからね。
その上で……ヴァンの子供達を、宿した。
「それは、言えませぬ」
「ペール!」
「あ奴はもういないのです。いなくなってしまった者のことで議論しても、始まりませぬ」
……好都合かな、って、考えなかったわけではないの。
皇帝は僕がいなくなって胸を撫で下ろす。
ジェイドは死なずに、殺されずに済む。
ガイ様も、マルクトで窮屈な思いをせずに済むはずだよ。
そして僕は何の気兼ねもなく、この子達の母親でいられる。
……ごめんね。渡りに船って、思ったかもしれない。
僕はこの子達のお母さんでいたい。最期の、そのときまで。
望みに望んで諦めた、ヴァンの子だから。
生きにくくしてしまって、ごめんなさい。
血の繋がらない私を家族のように扱ってくれて、ありがと。
それじゃあ、さようなら。どうかお元気で。
「ペール……」
「あの馬鹿者め。こんな年寄りを置いて先にいくとは、とんだ不孝者じゃ」
温厚な彼にして珍しく吐き捨てるように──やりきれない悲しみを吐露して、失礼、と詫びを示す。
「取り乱しました。手紙の内容についてはどうか、ご勘弁願いたい。あ奴がこのことを、あなた方に知ってほしいと思っていたならば。間違いなく自分の口で言っているはずなのです。どうか、ご容赦願います」
そう言って、ペールは封書の一通を書類入れに仕舞いこんでしまった。
それを力づくで奪取することは可能だが、それを実行する人間はいない。
「……ペールがそう言うなら、今は何も聞かない。いつかは、話してくれるよな?」
「…………そう、ですな」
それがいつかはわからない。
この出来事が思い出となる頃に。
あるいはペール自身が、この世を去る前に。
それを言及することなく、ペールは封書のひとつを改めて提示した。
端的に「アッシュへ」と表記された、飾り気も何もないそれを。
「して、この手紙をどうしたものかと……」
「それを預けてくださるなら、私達でアッシュを探して「その必要はない」
ティアの言葉を遮って、足音高く現れたのは。丁度話題に上っていた、アッシュその人だった。
眉間の皺はいつもより深く刻まれ、吊り気味の瞳は明らかな不機嫌さを浮かべている。
初めて、否、二度目の邂逅となるペールは当時を思い出したのだろう。驚きを露わとしていた。
「おぬしは、あのときの……」
「アッシュ!」
彼を前にして、思わずといった調子でナタリアが駆け寄る。
瞬く間に不機嫌さを散らして戸惑うアッシュだったが、縋りつく彼女を支えて言葉を失った。
「お、おいナタリア」
「スィンが、スィン、が……!」
泣きはらした瞳から枯れない涙を零し、泣き崩れる。
それを目の当たりにしてわざわざ事実確認をするほど、彼は朴念仁ではなかった。
「……!」
「真紅の髪に黒ずくめ、目つきの鋭い翠眼にルーク様に酷似……おぬしが、か」
人通りが皆無とはいえ、このまま話ができるわけもない。
ナタリアがすぐに泣きやみそうにもないと踏んだペールは、一同をとある建物へと誘導した。
「……ここって」
「ここの道場主とは知り合いでしてな」
随分昔のようにも思える。
そこはかつて、ルークが親善大使としてアクゼリュスへ向かう直前、ガイに連れられ訪問したミヤギ道場であった。
「ペールではないか、ガイも……それにお主らは、いつぞやの」
「お知り合いですかな?」
「前にちょっと、な」
驚くミヤギに取りなし、道場の一角に集う。
スィンは息災か、とミヤギが口走ったところで発生した張り詰めた空気を読んだ結果なのか、彼の姿はない。
ようやく落ち着いてきたナタリアが「ごめんなさい」と嗚咽混じりにアッシュから離れたところで、ペールは切り出した。
「ご無沙汰しております。いつぞやの騒動におきましては、孫が世話になりました。自己紹介は、必要ですかな?」
「必要ない。シアから……スィンから、俺宛てに手紙があるんだろう」
不躾に手を突き出すアッシュだったが、ペールがそれに応じる気配はない。
スィンをシアと呼ぶ彼の様子に眉を動かすも、ペールがそれを言及することはなかった。
「アッシュ殿。ひとつ、伺いたい。スィンとは、あ奴とはどのような間柄ですかな」
ルークであった彼を誘拐した張本人。
アッシュが教団に入ってからは、ヴァンに代わる目付役にして、世話役。
現在に至るまでは、一同とアッシュの連携をより円滑なものとした、橋渡し。
「……それを聞いてどうする」
「どうもしませぬ。ただ、あの独りよがりで見栄っ張り、思いこみが激しくて『自らが後悔しないために』一度こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固者が、何故あなたに手紙を残したのか。あなたは何者なのか。それを知りたい年寄りの繰り言です」
言外に答えなくてもいいと告げるペールだが、それさえも建て前であることを見抜けぬ彼ではない。
ひとつ息をついて、アッシュは口を開いた。
「あいつがダアトにいた頃、何をしていたのかは知っているか」
「ヴァンの伝手で教団に属し、細々と補佐をしていたと聞いています」
「その時に知り合ったようなもんだ」
一概に間違いではない。
「本物のルーク」ではなく「アッシュ」がスィンと──シアと関わりあったのは、間違いなくその時分からだ。
「当時、教団は慈善活動の一環で孤児院からあぶれていた孤児連中を引き取った。あいつはその世話役をしていて、その中に俺も放り込まれていたんだ。なんというか……その、俺にとっては育て親みたいなものだ」
極めて淡々と、アッシュは語った。
当人を前にしていたら、間違いなく伏せられていた事実でもある。
一同としては驚きを隠せない。例外は、当時から噂を耳にしていたアニスだけだ。
「そ、育て親ぁ!?」
「やっぱり……」
「俺の主観だ、他の連中だって似たようなものだ! ただ、あいつを母親呼びした奴はもれなく尻叩きの刑に……そんなことはどうでもいいだろう!」
彼の言う他の連中とは、平和条約締結後の騒ぎで垣間見えた、スィンに所縁ある黒ずくめの少年少女達を指すのだろうか。
彼らが他ならぬスィンの手によって死亡していることを知ってか知らずか。
アッシュはその話題を打ち切った。
「……呼んだの? スィンのこと、お母さんて」
「そんで尻を叩かれたのか?」
「呼んでないし叩かれてもいない! そういうことがあったから気をつけろと、当時警告されただけだ」
アニスやルークから他意がないはずの質問≠茶々にもめげずに、アッシュはペールに視線を向けた。
彼は「育て親……」と口の中で反復するように呟いている。
「信じられねえって顔だな」
「あ奴が他人様を自分の子のように扱うなど、少々信じ難く思っています。当時は子が成せなかったとはいえ、なんと厚顔無恥な……」
「俺の主観だと言っているだろう。あいつがどう思っていたかまでは知らん。ただ」
「ただ?」
スィンは、憎きファブレ公爵の血縁であるアッシュをはっきりと疎んでいた。
アッシュには早々に悪感情を持っていることも、その理由も告げられている。
それが態度として彼に向けられることこそなかったが、果たして一般的に母親が子に抱く感情があったかどうかは、甚だ怪しい。
「あいつが俺を、自分の子供扱いしたことは、ないと思う」
「──左様、ですか」
ここでペールは、思い出したように封書をアッシュに手渡した。
「読み終えたならば、手早く手離したほうが良いかと存じます。あ奴め、くだらん手品を……」
「おい、人の話くらい聞けよ」
──これを目にしているということは死んだか消えたか。
少なくとも私の姿はないようですね。正気を取り戻したようでなにより。驚かせてしまいましたね。
「どれどれ」
「横から盗み読みすんなよ、ジェイド!」
単刀直入に申し上げましょう。あなたに殺されてやることはできなくなりました。
理由は先に告げた通り──私はこの子達の母親として一生を全うすると決めたからです。
探しても無駄ですよ。あなたに見つかるようなヘマはしない。
仮に見つかったとしたら、それは私が没した後でしょう。
私の死に顔踏んづけたいなら止めませんけど、きっと時間を無為に費やすだけなのでお勧めはできません。
私が消えたことを前提で話をしていますが、今の時点で生きているかどうかも、わからないわけですし。
「! この字って」
「ティアまで……」
「色が少し変だわ。まさか、血文字……?」
そんなことはさておいてですね。
生きているか死んでいるかもよくわからない人間に振り回されるなど、愚の骨頂。言うまでもなく時間の無駄でしょう。
だからあなたはもう、あなた自身のために生きるべきです。
私がいないからといって私に近しい人達に何かしたところで、私にそれを知る術はない。
従って何か思うこともないし、あなたが薄汚いケダモノになり下がるだけ。お薦めもしませんが止めもしません。
誇り高いあなたにとって、それが己のためになると本気で思いこんでいるのなら。止めようもない。
私の持論ですが、復讐ほど辛くて消耗して己が身を滅ぼしかねないことはないと思っています。
何より、復讐を果たしたところで何も返ってこないのですから、不毛以外の何者でもない。
自分の気は晴れるかもしれない。引き換えに、大切なものを失うことは確かで、間違いなく割には合わない。
それが理解できていても、私の中で恨みつらみが消えることはありませんでしたが……それが判っていて、なお。
あなたの時間を無駄にしないでください。
あなたの時間は、あなたのためだけに使ってください。
美味しいもの食べたら笑ってほしいし、綺麗なものを見て心豊かになってほしい。
大切な人に優しくしてほしいし、優しくされてほしい。ただ自分のために、利己的に幸せを求めてほしい。
あなたの人生を滅茶苦茶にした人間が言えることじゃない。そんなことはわかっています。
本当にごめんなさい。
謝ったところで許されるはずもなし、許される気もしませんが……あなたの顔を見て謝罪する勇気が、どうしても出なかった。
遅ればせながら手紙にて失礼します。
「……」
そうそう、この手紙。
一定時間が過ぎたら消滅するように仕込みました。
火傷には十分、お気をつけて。
「……なに?」
最後の一文を読み終えて、思わず声が出た、その時。
記されていた文字のひとつひとつが陽炎のように揺らめいたかと思うと、熱を伴う光が宿った。
「うわっ!」
「危ない!」
にじみ出るように発生した炎は、赤い舌で舐めとるようにじわじわと羊皮紙を浸蝕していく。
ナタリアにはたかれたことでアッシュが手紙を取り落とした途端、勢いを増した炎は瞬く間に便箋を丸呑みした。
その勢いたるや、床に落ちるより早く燃え尽きた辺りで察しがつく。
どういうことか、燃え滓も灰もなく便箋は消滅してしまった。
「い、今のは……」
「自らの血液をインクに混ぜ、それを媒介に
そのため、ペールの手元にも便箋本体はなく、残ったのは封筒だけだという。
危うく手袋に引火するところだったアッシュは、言葉もなくわなわなと震えていた。
「そんなことできるもんなのか?」
「確かに機密文書は速やかに破棄するものではあるけど、自動で焚書する術なんて聞いたことが……」
「あの野郎! どこまでも人をおちょくりやがって!」
残った封筒を握りつぶし、アッシュが吼える。
怒りを、内包する感情を隠さずに彼はルークへ詰め寄った。
「な、なんだよ」
「あいつは何故死んだ。一体、何があったんだっ!」
怒り狂っているように見えて、ガイやナタリアにそれを尋ねないだけの理性はあったようだ。
しかしルークとて、全てを知っているわけではない。
「そ、それは……」
「あったことを話すのは容易いが、我々にも把握しかねる事態ではありました」
割って入ったのは、そろそろ通常に戻りつつあるジェイドだ。あるいは、戻らざるを得ないのかもしれない。
飄々としたジェイドの物言いに、アッシュは怪訝そうに鼻を鳴らした。
「把握しかねる、だぁ? まるで見てなかったかのような言いぐさだな」
「その通りです。道中、突発的な事故で我々は別行動を余儀なくされた。丁度孤立してしまったスィンの前に、見計らったかのようにヴァンが現れたのです。それが、生きている彼女の、最後の姿でした」
「……その場で、斬り殺されたのかよ」
「いえ。合流を果たしたその後、二人を発見したのですが……その時すでに、スィンは頭を割られていた」
当時を思い出してか、アニスの顔に影が差し、他の面々も俯きがちになる。
バチカルにつくまでアブソーブゲートでの出来事をあえて聞かなかったイオンは、顔色を青くしていた。
それ以上に。
「頭、を……」
「割られて……いや、あ奴の頭が割れていた!? そ、それは真ですか」
これまでにない激しい動揺を露わとしたのは、スィンの死を確認しても冷静たらんと己を律していた、ペールだった。
何故彼が、スィンの死因を聞いてうろたえるのか。
一同の視線を集めていることにすら気づかぬまま、彼は独白を続けている。
「ご老人、何か思い当たることがあるのですか」
「それが事実だとすれば、あ奴は……!」
いぶかしげなジェイドの詰問も、聞いている様子はない。
そこへ。
「……従属印」
ぼそりと呟かれた言葉は耳に入ったようで。ペールはびくりと肩を震わせた。
それを口にしたのは。
「ガイ」
「この件が済んでから、確認しようとは思っていた。あいつには……スィンには、従属印が刻まれていたのか」
地核停止の際、忌々しげに吐かれたシンクの悪態が思い起こされる。
カースロットすらもはねのける従属印。
つまるところそれは、カースロット以上に強い力をもってしてスィンに強いていたことになるのだ。
他ならぬガイへの、無自覚の忠誠を。
「それを、その存在を一体どこで……」
「あいつが俺の従者だったのは、ずっと俺につき従っていたのは! あいつに刻まれた譜陣がそうさせていたのか!?」
今にも掴みかからんばかりに問い詰めるガイを見て、皮肉にも己を取り戻したようだ。
次に言葉を発したペールは、完全に平静を取り戻していた。
「……お答えするわけには参りませぬ」
「ペール!」
「……それは古きホドの民に伝わる、今では失われた秘術。その存在も詳細も、みだりに口にすることはできぬのです」
たとえこの口が引き裂かれようとも答えられることはない、とまで言われてしまい、ガイに成す術はない。
「答えられねえってことは、そいつが答えか。あいつが死んだのは少なからず、その従属印とやらが絡んでいる」
「……お答えできません。すでに亡きあ奴について語ったところで、もう戻らぬのです」
アッシュの追撃にも動じることなく、ペールは表向き泰然としている。
ガイの目を見ることもできず、力なく伏せがちなその視線を除けば。
「スィンはこの事を知っていたのですか? 自分にそんなものが刻まれていたなんて……!」
「お答えできません」
もはやにべもない。
どこか「ジェイドを憎む理由」を黙秘し続けたスィンにも重なる態度で、ペールは言葉を濁し続けた。
ふと、老人が目を上げる。ある一点を注視し、何の含みもなく足を踏み出し──
気づけば彼は、ガイが携えていたはずの血桜を抜刀していた。
「……えっ!」
けして力づくで奪われたわけではない。
抜き取るように掏り取るように、ごくごく自然にペールは血桜を手にしていた。
抜き放った緋色の刃をじっくりと見つめ、唸るように呟く。
「……疵がありませんな」
「大切な家宝だと言って、手入れを欠かさずにいたから……」
「ヴァンと、この刀で交戦はしなかったようです。打ち合った形跡もありませぬ」
惚れた男が相手とはいえ仕合いもしなかったのか、何をしていたのかとため息をつく。
そのまま納刀した彼は、ひょいと自らの片手を己の眼前に掲げた。
その手には長年使いこまれた革紐と、それに繋がれた胡桃大のロケットペンダントが絡みついている。
それを見てガイは、慌てて自分の懐を探り──首に提げていたはずのそれがなくなっていることを、初めて知った。
「スィンじゃあるまいし、手癖が悪いぞ、ペール!」
「この技術をあ奴に仕込んだのは他ならぬ儂です。こうでもしなければ、ホド亡命後、儂らに生きる術はありませんでした──ときに、あ奴が遺したのはこれだけですか?」
個人的な手荷物等は、残っていない。スィンはそれらすべてを身に着けて決戦に臨んだのだと回答を得て、ペールはひとつ頷いた。
「そうですか……」
「なんだ? 墓にでも、供えるのか」
「いいえ。アッシュ殿、何かお持ちなのですか? あ奴の持ち物を」
少しでも、スィンが生きていた証を手元に置いておきたいのだろうか。
軽く胸元を押さえたアッシュを、ペールはじっと見つめている。
一同の注目を受けて、彼は探った襟ぐりから細鎖を引き、それらを取りだした。
「その指環って、スィンがずっと着けてた……」
「ヴァンとの、婚姻の証ですな。こちらの認識票は、
「……棄てようとしていたから、預かっただけだ。これをどうするつもりだ」
渡してもらえればそれはわかると、ペールは言った。
何も語らず、語ろうともせず、物だけ渡せとは随分な言いぐさである。
それをそのまま口に出して、アッシュは思わぬ反撃を受けた。
「亡きあ奴を慕ったところで、不毛なだけですぞ」
「べ、別に慕ってなんかねえよ!」
「ならば構いませんな」
抵抗する暇もあらばこそ。
まるで奇術師が鳩でも取り出すかのように、アッシュの手からふたつは消えた。
スィンが遺した数少ないそれを抱えて、ペールはくるりときびすを返している。
そのまま歩みを進め──彼は無言で道場から出ていってしまった。
「お、おい!」
「追いかけましょう」
唯一、イオンだけがおそるおそる顔を出したミヤギに事情を説明すると言って残り。
アッシュを含む他一同は、老人らしからぬ俊足で道場を飛び出したペールを追いかけた。
「い、いきなりどうしたんだよ、ペールは……」
「いた! あそこだよ!」
アニスの指の先には、天空客車の前にて佇むペールの姿がある。
港行きではなく反対の方角、すなわち工場跡地行きの天空客車だった。乗り込もうとしている様子はない。
血桜を、ロケットペンダントを、銀環と認識票を繋ぐ細鎖を携えたその手が、客車ではない場所へ差し出される。
ぽっかりと口を開けた、譜石の落下跡の底へ──
「ペール!?」
ガイの驚愕が聞こえたのかどうか。彼は何ら動ずることなく、その手から力を抜いた。
一同がその場所に辿りついたその時にはもう、手放されたそれらも見えない。
未だ奈落へ落ち続けているのか、あるはずの底に叩きつけられた音もしない。
「てめえ、何を……!」
「や、やめてくださいませ!」
とうとうペールの胸倉を掴みあげたアッシュだったが、割り込んだナタリアに気を取られ、あっけないほど簡単にペールは彼から逃れている。
しかし、ペールはもはや、アッシュを見てなどいなかった。
「
「!?」
「どうか、皇帝へ取りなしを願いまする。あなたの殺害を企てた張本人は死んだ。儂にも、ガイ……ガルディオス家継嗣も、あなたに対し思うところはありません。それはこれより、証明してゆくこととなるでしょう」
遺物は処分し、墓を立てることもしない。スィンフレデリカの名も、ナイマッハの家より除名する。
スィンを、初めからいなかったものとする。
ペールは、そう言ったのだ。
「ぺー、ル……」
「そもそも、スィンフレデリカ・シアン・ナイマッハは生まれてくることができなかった、儂の本当の孫娘につけられるはずの名でした。あ奴は……本来、ただの代替え品にしか過ぎなかった」
「!」
「お調べくださればわかることです。ホドが、大地ごと消滅していなかったとしたらの、話ですが……」
誰も何も言えぬままに、時が過ぎゆく。
冷たい風は横切るように、吹き抜けた。
──言うまでもないことだとは思いますが。
私がいなくなったなら、残った物はすべて処分してください。物だけではなくて、私の名前も。
もともとは、あの人達の娘に、あなたの本当の孫娘につけられるはずだった名です。
その上で
幸運を。
ガルディオス家、左の騎士たるナイマッハの一員として、最後の血脈として。
ペールは、真実を秘するという形で。主の忘れ形見を、守護した。
「The abyss of despair」を書ききっての、あとがきのようなものです。
お話の内容とは関係ありません。
キモイ一人語りなので、閲覧注意の方向で。
※書き終わった当時のものを再掲載しております。
とうとう終わってしまいました。奈落の底への物語(本当
いやー、終わった! 終わった! やっと書き終えたヒャッフー!!
完結する完結するって念仏のように繰り返してきた甲斐があったぜイヤッフー!!
これでもう自分で設定した締め切りに追われずに済むヒャッホゥゥゥ!!
書き切った瞬間の感想はこんなもんでした。アタマ悪い文章でごめんなさい。酔ってないですよ?
数にして百三十六+アルファ。
原作にオリジナルを混ぜ混ぜした改悪錬金術小説とはいえ、よくもまあこれだけ書けたもんだ。
自分で自分を褒めてやりたい。さあ、全然進んでないモン●ンやろうかな~♪
そんな感じで浮かれ調子、真夜中の謎なハイテンションのまま。
とっておきのお酒で祝杯挙げて、そのまま寝こけたわけですが……
翌日風邪を引きました。そのまま、三日ほど寝込む事態に。
季節の変わり目だったので、お酒飲んで布団入らず半裸で寝てたら、当然の結果ですね。
特に気にも留めていませんでした。熱が出ていて意識朦朧状態では、そんな余裕もありません。
看病してくれる人間なんておりません。
なので粉ポカリを水に溶かして飲み、冷凍庫のお握りをどうにかおかゆに加工して食いつなぐこと三日ほど。
久々に夢を見ました。起きた後も覚えている強烈な奴です。
スィンに殺されるという内容でした。
夢の中では痛くないなんて、嘘です。
めっちゃ痛かった。というより、熱かった。
初めて見た血桜の刃は透き通るような緋色で、私の想像以上に美しい代物でした。
綺麗だな、と思った瞬間、斬られたらしくて。
うつ伏せになった私をスィンが何か喚きながら、血桜振り下ろしてたのかなー……
脳天に衝撃が走って、頭皮と髪が生暖かくて、ぬるぬるしていたことだけは覚えています。
自分の視点だったので、いまいち状況は把握していなかったですね。
彼女が何を言っていたのはわからなかったし、わかったとしても覚えていません。
どんな顔をしていたのか、どんな声をしていたのか。それも、覚えていません。
ただ、必死に何かを訴えていたことだけは、確かでした。
次の日にはもう、風邪はけろりと治っていました。
たかだか夢です。
話を考え始めていたときから決まっていた結末とはいえ、彼女をああいった目に遭わせたことが私の中で多少なりとも罪悪感が生まれ、表層に出てきたのでしょう。
ただ、自分の考えた結末を読み返して、思います。
こんなに後味悪いままで終わって、いいのかと。
とあるアニメのOPソングのワンフレーズに、こうありました。
「終わらせない。始まりなさい」
理由はわかりません。しかし、まるで打たれたかのように心を震わせます。
やっぱりそれは、私もまだ終わりたくないとどこかで思っているからでしょうか。
そんなわけです。
色々考えた結果、次回より新シリーズ「swordian saga」を展開します。
主人公は夢の中で私をメッタ打ちにした彼女を起用。
ジアビスの世界より「不朽の名作」デスティニーの世界へクロスオーバーさせます!
「The abyss of despair」オリジナルキャラクター、スィンフレデリカ・シアン・ナイマッハを気に入ってくださった方。
彼女の行く先に興味のある方。
あるいは、私の書く小説に多少なりとも興味を抱いてくださる方。
今まで以上に夢小説チックになりますので、苦手でしたらごめんなさいね。
ここまでお目を通してくださり、ありがとうございました!