「……な~るほど。音素振動数まで同じとはねえ。これは完璧な存在ですよ」
「そんなことはどうでもいいよ。奴らがここに戻ってくる前に、情報を消さなきゃいけないんだ」
思いのほか簡単に譜業装置のある部屋へたどり着いたスィンは、そっと水面から顔を出した。
すぐ目の前ではディストが制御装置を覗き込んでぶつぶつ呟き、シンクは何かの作業をせかしているように見える。
「そんなにここの情報が大事なら、アッシュにこのコーラル城を使わせなければよかったんですよ」
「あの馬鹿が無断で使ったんだ。後で閣下にお仕置きしてもらわないとね。……ほら、こっちの馬鹿もお目覚めみたいだよ」
「いいんですよ。もうこいつの同調フォンスロットは開きましたから……」
何が目的でルークをさらったのか、いまいちわからないが、音もなくスィンは水路から上がった。
そのまま足音を立てずに制御装置に歩み寄る。
ディストはというと、あの奇妙な椅子で飛びあがってシンクのそばへ移動していた。
彼女は一瞬の躊躇を見せてから制御装置をそっと叩き始める。
「……だめか。もう消されてる」
膨大なメモリが綺麗に消去され、バックアップデータも残っていない。
上を見上げればディストがシンクに気色の悪い笑みを浮かべている。
二人ともスィンに気づいた気配はない。
「それでは私は失礼します。早くこの情報を解析したいのでね。ふふふふ」
そのディストを見送り、シンクも早々に去ろうとしていた。
「……お前ら一体……俺に何を……」
「答える義理はないね」
装置の圧力で起き上がれないルークに、シンクが冷たく吐き捨てている。
あからさまに見送るわけにもいかず、スィンは階段を駆けながら血桜を引き抜き、今度こそ斬りかかった。
が、相手に気づかれて間一髪のところでかわされる。
乾いた音を立てて、何かが足元に転がった。
「しまった!」
懐に手を当ててシンクが呟くのを、拾い上げた音譜盤を手に持つスィンはしっかり聞いていた。
今までのやりとりから察して、これはこの装置のメモリかもしれない。
有無を言わさず襲いかかってきたシンクの足に血桜が当たらないよう応戦する。
ヴァンの部下だから手加減しているわけではない。
刃物を持っている人間に生身で挑むということは、それ相応の装備が施されていると予想するべきだ。
下手を打てばこちらの武器が砕かれかねない。
と──攻防の末、血桜の刃先が彼の顔をかすった。
その衝撃で仮面が外れ、素顔があらわとなる。
「……ああ。そゆこと」
特に驚いた様子もなく、なぜか納得したようにびしょぬれの髪をかきあげたスィンに、シンクはいぶかしがって返した。
「……何?」
「ザレッホ火山。レプリカ。生き残り」
びくり、と体を震わせて硬直するシンクにあえて追撃はかけず、「スィン!」というガイの声に反応したように顔ごとあらぬ方向へ向ける。
顎を狙った蹴りを回避して平衡を保つため下がれば、彼は転がった仮面を拾い上げて再び素顔を覆っていた。
「くそ……他のやつらも追いついてきたか……!」
スィンの手にある音譜盤を気にかけるようにしながら、シンクは屋上とは反対側にある階段を駆け上る。
「今回の件は正規の任務じゃないんでね。この手でお前らを殺せないのは残念だけど、アリエッタに任せるよ。奴は人質と一緒に屋上にいる。振り回されてゴクロウサマ」
そんな捨て台詞を残して去るシンクを見送っていると、ジェイドが譜業装置の制御盤を操って装置の圧力を消した。
自由の身になったルークがむっくり起き上がる。
「ふぇ……、何がなんだか……」
気の抜けたその声を聞きながら、スィンはじっとイオンを見つめていた。
顔かたちに違いはないけれど、以前の彼を知る人々にとってこの雰囲気は違和感そのものだろう。
むしろ、あのどこか虚無的な態度を見るとあちらのほうがオリジナルに近いかもしれない。
「どうしました、スィン?」
イオンに訊かれ、スィンはやっと我に返った。思わず彼から眼をそむけつつ、手の音譜盤を見やる。
「……なんでもない、よ? 変な音譜盤を手に入れたから、何かと思ってさ」
「後で、ジェイドに調べてもらいましょう」
スィンの口調が敬語でなくなったことに気づいていないのか、イオンはまったく変わらずそう提案した。
上では、ティアがルークのそばにいる。
「……大丈夫? ルーク。一体あなたをさらってなんのつもりだったのかしら……」
「知るかよっ! くそっ! なんで俺がこんな目に遭うんだ!」
ティアの心配をよそに、怒りをあらわとするルーク。
彼の気を引かんがため、アニスはすべてをアリエッタになすりつけた。
とはいえ、別に間違いではない。
「アリエッタのせいです! あのコただじゃおかないからっ!」
顔から叩きつけられそうになったことをまだ根に持っているのか、息巻いて拳を握るアニスとは裏腹に、ジェイドは淡々と、少し億劫そうに言った。
「屋上……でしたか。何度も同じ所を行き来するのも面倒ですが、仕方ないですね。行きましょう」
「スィン」
先を行く彼らに続こうとして、スィンは終始黙していたガイに向き直った。
「……」
あえて沈黙した。常に穏やかな雰囲気を欠かさない彼に、今そのようなものは見られない。
「何が言いたいのかはわかるな?」
「……はい」
すみません、と軽くうなだれる。
全身を濡らす海水が、涙のように床へ滴った。
「なら、どうしてあんな真似をした!」
ルークですら聞いたことのないような叱責が轟く。
驚いて振り返った面々をよそに、スィンは顔を上げてガイの瞳を見た。
吊り上がり、怒り一色に染まった彼に理性は見当たらない。
「幸い海に落ちただけみたいだからよかったものの、下手をすれば海に叩きつけられて死んでいた! どうして俺たちを待っていられなかった!?」
「……体が動いたから。後先を考えていなかったから。ひとつのことに集中しすぎていたから……」
言葉での言い訳に納得できるわけがないと知りながら、連々と理由を述べる。
彼が落ち着いてきたところを見て、続けた。
「一番の理由は、僕が精神的に混乱していて最良の選択をすることができなかったから。気がかりを増やしてしまい、申し訳ありませんでした」
深々と頭を垂れる。
兄に謝る、というよりは使用人が主人に対し謝罪しているに近い、ひどく余所余所しい彼女の態度に、ガイは怒るでもなく「とにかく」とわずかに嘆息した。
「……今は負傷してるんだろうが。でしゃばるな」
「はい」
お気遣いありがとうございます、と答える彼女に早く服を乾かせと言い捨て、ガイは一行のもとへ行った。
服や髪に残る雫を軽く絞り、その上で譜を口ずさみ、ずぶ濡れの被服から水気を追い出したスィンがその後へ続く。
「……口出しするべきじゃないわ」
見たこともないガイの剣幕と、兄に対するものとしては冷ややか過ぎるスィンの態度にルークが口を開こうとすると、ティアにそう囁かれた。
「アッシュがどう、とか言っていたわりに見当たりませんね。なんだったんだろ?」
「──違う六神将に代役任せて、俺たちを消耗させた上で襲撃に来るのかもしれない。まあ、ヴァン謡将がこっちへ向かってるなら、とりなしてもらえばいいと思うがな」
驚いたことに、二人はもう何もなかったような顔をして会話を交わしていた。
一行の雰囲気を思ってのことかと思われたが、本当に自然なやりとりだった。
男女の差はあれど、二人がひきずるような性格でないからか、または仲直りの意味を兼ねて無意識に交わしたものなのか──
それは他人が与り知ることではなかった。
屋上へ、またもルークが一人飛び出した。
同じようにフレスベルクが彼へ襲いかかる。が、彼はにやりと笑んで手に持ったミュウを突き出した。
放射された炎の勢いに驚いたように、青い怪鳥はあとずさり、アリエッタの元へ戻る。
「へへ、何度も同じ手にひっかかると思うなよ」
勝ち誇ったように言い放てば、アニスがそれを増長させるように彼を誉めた。
「ルーク様、すっご~いv」
実際はミュウの手柄なのだが、ルークに気に入られようと努力する彼女にそんな理屈は通じない。
が、有頂天になるルークを抑えるようにジェイドが一言、珍しく誉めた。
「あなたにしては上出来ですね」
「いちいちうるさいぞ!」
やる気を殺がれたルークが怒ってみせる。しかし、向こうにはもっと怒っている人がいた。
「アリエッタのお友達に……火……吹いた……! もう許さないんだからぁ!」
ほとんど泣きべそをかいている彼女を威嚇するように、ルークは怒鳴った。
もしかしたら、フーブラス川でスィンが彼女を圧倒したように、自分も気持ちの上で圧力をかけようとしたのかもしれない。
「うるせぇ! 手間かけさせやがって、このくそガキ!」
しかし、安易な罵声は彼女を挑発するしか力はなく、アリエッタは眉を吊り上げて自己完結した。
蛇足ではあるが、アリエッタとルークはほんの一歳しか年が変わらない。
「いいもん! あなたたち倒してからイオン様を取り返すモン! ママの仇っ! ここで死んじゃえっ!」
アリエッタの叫びを受け、控えていたライガとフレスベルクが咆哮して飛びかかってきた。
血桜を抜こうとして、ガイに止められる。
「……ヴァン謡将が来るんだろ? お前は言いつけられた役目を果たせ」
有無を言わさぬ声音で戦うな、と言われ、スィンは戦場から離脱しかけ──やはり血桜を抜いた。
アリエッタの命令なのか、それとも先ほどの復讐なのか。フレスベルクがスィンめがけて一直線に襲いかかってきたのである。
居合いで掴みかかってきた鉤爪をいくつか斬り飛ばし、横合いから攻撃を仕掛けるガイに任せて階段へ駆け寄った。
「っおいっ! どこ行くんだよ!」
「そろそろヴァン謡将が来るので、事情、説明してきます!」
ルークの怒鳴り声に便乗してヴァン謡将、という言葉を強調して答える。
彼の人の名を聞いて、アリエッタがびくりと体をすくませ、その隙にジェイドが少女へ接近する。
その光景を最後に、階段へ降りる。
全速力で──いったん入り口まで戻って、確認してから戦闘復帰するつもりで走っていると、巨大な譜業装置、フォミクリーの装置が設置してある部屋でヴァンとの邂逅を果たした。
「スィン、これはどういうことだ」
彼の姿を見つけ、肩で息をするスィンに、ヴァンは大股で歩み寄った。
その手には、一本の棒手裏剣とくくりつけられた手紙が握られている。
カイツール軍港で連れが増えるとわかったそのとき、彼らを連れて行くと手紙に記して整備士に伝言を頼んだのだ。
「内容そのままだよ。強硬に止めたら怪しまれると思ったから、連れて行った。……ごめん」
「過ぎてしまったことは仕方ない。彼らは?」
「アリエッタと屋上で交戦中」
ヴァンを先導するように屋上へ向かう。
アッシュはいないようだと伝えれば、彼は特に気にした風もなくそうか、と端的に呟いた。
屋上へたどり着いたそのとき。戦闘には決着がついていた。魔物二匹と並んで、アリエッタは力なく膝をついている。
その様子をきわめて冷ややかに見ながら、ジェイドは改めて槍を取り出した。
「やはり見逃したのが仇になりましたね」
「待って下さい! アリエッタを連れ帰り、教団の査問会にかけます」
穂先を彼女へ向けるジェイドの前に両手を広げ、イオンが立ち塞がった。
「ですから、ここで命を絶つのは……」
「それがよろしいでしょう」
頃合いを見計らい、ヴァンがスィンを伴って一行の前へ姿を見せた。
「
ルークの声に応えることなく、二人は一行の元へ歩み寄る。
「事情はスィンから聞いた。まさかとは思ったのだが……」
「すみません、ヴァン……」
何の言い訳もなく、彼は部下である彼に頭を下げた。
ただ謝っているように見えがちだが、事情も言い訳も、何もなしに謝るというのは実は至難の業である。
「過ぎたことを言っても始まりません。アリエッタは私が保護しますが、よろしいですか?」
「お願いします。傷の手当てをしてあげてください」
気を失っているアリエッタを軽々と抱き上げるヴァンを見て、ガイはため息混じりに尋ねた。
「やれやれ……。キムラスカ兵を殺し、船を破壊した罪、陛下や軍部にどう説明するんですか?」
「教団でしかるべき手順を踏んだ後、処罰し、報告書を提出します。それが規律というものです」
果たして身内の処罰に彼らが納得するかどうかは疑問だが、それを口に出したところで解決するわけではない。
ガイはその後の言葉を飲み込んだ。
「カイツール司令官のアルマンダイン伯爵より、兵と馬車を借りました。整備隊長もこちらで連れ帰ります」
戦場となった位置より遠く離れた場所に転がされている整備隊長を解放しているスィンに眼をやり、ヴァンは再びイオンへ眼をやった。
「イオン様はどうされますか? 私としては、ご同行願いたいが」
「このコーラル城に興味がある人もいるようですけど……」
誰も何も言わない。新緑の柔らかいまなざしが自分に止まるのをルークは感じた。
それなら──
「歩いて帰りたいな。どうせ船に乗ったらすぐバチカルだろ」
本当は師匠と一緒に帰りたい。
しかし、彼と共に行くということは、アリエッタとも同行するということだ。
隔離はされるだろうが、それは嫌だった。
「航路の都合で、途中ケセドニアに立ち寄るけどな」
ガイの説明が一言は入るが、誰も異存はない。イオンはヴァンに向き直った。
「……どうやら歩きたい人が多いようですし、後から行きます」
了承の意を示し、気をつけて、と声をかけたヴァンは、よろめいた整備隊長を支えているスィンへ呼びかけた。
「そのまま彼を連れ、カイツールまでの補佐をしてくれ」
「……はい」
男性を支えて戻らなければならないことに対する感情は隠さず、スィンはまた後で、と一行に頭を下げてからヴァンの後を追った。
「ねえねえ、スィンって主席総長のお気に入り?」
その後姿を見送った矢先、アニスが興味津々と言った様子でガイに尋ねた。
「んー、まあそんな感じだな」
「えー! じゃあじゃあ、主席総長の恋人ってスィンなのかなあ?」
恋人、という単語に、ルークとティアは同時に「え!?」と驚愕を洩らした。
「恋人、って……」
「知らないのティア? 主席総長が長年バチカルに滞在した理由って、王城の近くに住んでる、深窓の令嬢の家に足しげく通ってるからっていう噂があるんだよ」
深窓の令嬢。足しげく通ってる。
その単語を聞き、ガイはやけに快活な笑声を上げた。
「はははっ、それはスィンじゃなくて、ルークのことだな」
「俺ぇ!?」
なんでだよ! とくってかかるルークに、ジェイドが極めて冷静な分析を披露した。
「確かに、深窓の令嬢といえば──まあつまり家から出られない、世間知らずな貴族のお嬢さんを指しますから、スィンよりはルークのほうが当てはまりますねえ」
ついでに剣術の指南を受けていたようですし、と付け足せば、ルークは真っ赤になって否定した。
「だーっ!! そんなもんデマに決まってんだろうが! 俺はもちろん
妹を愛の奴隷扱いされ、微妙に顔をしかめるガイが、その件にはもう触れることなくそろそろ行こう、と先を促した。
屋上ゆえの強い風が、一行の背中を強く押す。