砂混じりの乾いた風を受け、スィンはほうっ、と息を吐く。
あれから、表向き何事もなくケセドニアに到着した。向こうではアリエッタを抱えたヴァンがルークに事情を説明している。
「えーっ!
「後から私もバチカルへ行く。わがままばかり言うものではない」
口を尖らせて不平を零すルークに、ヴァンがやさしくたしなめた。端から見ていると、まるで微笑ましい父子のようである。
ただ、片方若すぎで片方育ちすぎだが。
「……だってよぉ」
ティアはどう思ったのか、先ほどから沈黙を守ったままだ。
「船はバチカル側の港から出る。キムラスカの領事館で聞くといい。では、またバチカルでな。ティアも、ルークを頼んだぞ」
ひょっとしたら、ティアは兄を信じていいかもしれないと考えていたのかもしれない。彼女は珍しく素直に返事をした。
「あ……はい! 兄さん……」
そんな妹に軽く頷いて見せた後、彼はアリエッタを伴って去っていった。
彼らに近寄れば、ミュウがルークの足元でぴょこぴょこ跳ねている。
「ご主人様、新しい街ですのっ! 砂だらけですのっ!」
今までいくつか街を回ってきたものの、ここは彼にとって目新しすぎたらしい。
興奮した様子で、ミュウは自分の体よりも明らかに高く跳んでいる。
しかし、ルークにとっておおはしゃぎするミュウは目障り以外なんでもなかったらしい。
「……うるせぇ、ブタザル」
「こんなに可愛いのにねー」
しょげているミュウを見て何か言いたそうにしているティアに話しかける。
彼女はびくっ、と肩を強張らせてスィンを見た。
「え、ええ。そうね。ミュウが可哀想」
しっかりミュウが可愛い、ということを肯定しつつ、彼女は先を行く一行の後をついていった。
スィンもそれに続きかけて、ふと前方を見る。
鮮やかな桃色の髪に、同色の服を着た色っぽい女性が一行を見ていた。
心当たりのあるその姿を見て、スィンはある一計を巡らせる。余所見をしながら早足になって、わざとルークとぶつかった。
どんっ、と彼の横をすり抜けるように移動する。
「……と、すみません」
勢いをつけるというよりは、体を密着させるようにしてぶつかったせいか、彼は怒るような素振りを見せず「気ぃつけろ」と言っただけだった。
直後、例の女性がルークに向かって歩み寄ってくる。
「あらん、この辺りには似つかわしくない品のいいお方……v」
くるり、と彼の周囲を一周するようにしてから迫るように目の前へ立った。
「あ? な、なんだよ」
豊満な女性に体を押し付けられ、ルークは戸惑ったように体を引く。
「せっかくお美しいお顔立ちですのに、そんな風に眉間にしわをよせられては……」
細い指がルークの顔をすっ、と滑った。
「ダ・イ・ナ・シですわヨ」
ひょい、と離れたその一瞬、スィンはしっかりと確認した。
女のもう片方の手が、ルークのポケットへ沈んだかと思うと、彼の財布を握って引き抜かれたことを。
女の体がちょうど邪魔で見えなかったのか、アニスは体全体であせりを表現している。
「きゃぅ……アニスのルーク様が年増にぃ……」
確かに年齢不詳の外見ではあるが、そんなことを言われて怒らない女性はいない。
「あら~ん。ごめんなさいネ。お嬢ちゃん……。お邪魔みたいだから行くわネ」
最後のほうに至っては本性をむき出しにしていた彼女ではあったが、意識しているとしか思えない足取りで立ち去りかける。
そこへ、ティアが立ちはだかった。
「まちなさい」
「あらん?」
何か用、といわんばかりに女はティアへ顔を向けたが、次の一言でほんの一瞬固まった。
「……盗ったものを返しなさい」
「へ? あーっ! 財布がねーっ!?」
やっとこさルークがその事実に気づく。女の表情はえらくずるがしこそうなものへ変わっていた。
「……はん。ぼんくらばかりじゃなかったか。ヨーク! 後は任せた! ずらかるよ、ウルシー!」
手に持った財布を前方に待機していた眼帯の男に投げ、ティアの気が一瞬それたところで女は逃げた。
それを見届け、眼帯の男も逃走を図る。
ティアが腕を振りかぶってナイフを投げようとしたのを、スィンが肩を叩いてやめさせた。
「大丈夫、ティア。あれは贋物だから」
「……え?」
彼女が聞く頃、スィンは屋根の上へ逃げている三人をキッ、と睨み据える。
「ひっかかったな、バカ盗賊! 財布を開けてみろ!」
バカ盗賊、という単語に反発している男二人を抑え、女──ノワールが袋の口を開けた。
途端、彼女の目が吊り上がり、同時に財布が降ってきた。
地面に叩きつけられ、詰められていた中身が散乱する。中に入っていたのは──
彼らの様を見て、スィンはまるで人が変わってしまったかのように哄笑した。
「あはははっ! いい気味、ざまぁみろ! シアのときの借りと、ローテルロー橋をぶっ壊してくれた礼だ! 次はマルクト軍にでも突き出してやろうか、サンバカ!」
威勢良く叩きつけられる罵声に、彼らは青筋を浮かべながらも冷静に対応していた。
「……俺たち『漆黒の翼』を敵に回すたぁ、いい度胸だ。覚えてろ……!?」
向けられた銃口と、乾いた銃声を耳にして、彼らはすたこらと去った。
「いつでも来いっての」
譜業銃を腰に戻して、スィンは懐を探った。驚きに眼を丸くしているルークに、財布を手渡す。
「ルーク様、隙ですよ」
「は?」
イントネーションを変えればえらい問題が発生する発言だが、スィンは気づかなかった。
「だから、隙がありまくりですよ。さっき僕が財布を入れ替えたのにも気づいてないし」
「てゆーかお前、知ってたのか? あいつらが漆黒の翼、って……」
「はい。あの女──ノワールがじーっとルーク様を凝視しているのに気づいて、失礼ながら財布を預からせていただきました」
そのことについて謝るも、彼は違うことに夢中でさっぱり気にしていない。
「あいつらが漆黒の翼なのかよ! 知ってりゃもうぎったぎたにしてやったのに!」
くやしがるルークに水を差したのは、自分の行動が空回っていたことに嘆息しているティアだった。
「あら。財布を二回もすられた人の発言とは思えないわね」
「ちょっとデレデレしてたしね」
ティアとスィンのダブル口撃に、ルークは口をつぐんでいる。
「そういえばスィン。サンバカとは?」
「漆黒の翼といえばカラス。で、あいつらは三人組だから三羽烏。略してサンバカ」
「なるほど。三人の馬鹿、ではないんですね」
騒動は終わったとばかり歩き出す一同であったが、ふとアニスが口を開いた。
「ねえスィン。シアってひょっとして……シア・ブリュンヒルドのこと?」
ぴく、と先を行くスィンの肩が痙攣した。そーっ、とアニスに振り返る。
「……そだけど、アニス知ってるの?」
「うん!
偽りなく嬉しそうに微笑む少女に、スィンはおそるおそる聞いた。
「……アニス。シアと面識あるの?」
「あるよ。何回か料理のイロハを教えてもらったんだ」
その一言に、ふーんとスィンが返事してから「……覚えてたんだ」と呟く。
それに反応する前に、一行はキムラスカの領事館へ到着していた。
受付を通って執務室へ入る。彼はすぐさまこちらが誰なのかわかったようだ。
「ルーク様と使者の方々ですね。ご苦労様です」
「バチカルへの船は?」
「ただいま準備を進めております。お時間まで街を観光されてはいかがでしょうか」
領事の薦めに、それなら、とガイがきりだした。
「じゃあこの隙に例の音譜盤を調べないか?」
「音譜盤の解析機でしたら、ケセドニア商人ギルドのアスター氏がお持ちだと思います」
すかさず解析機の有無を教えてくれた領事の意を汲むためにも、彼は強めに主張している。
「ルーク、ちょっと寄ってみようぜ。バチカルについてからじゃティアも忙しいだろうし」
「興味はありますねぇ……」
彼らの言葉に、ルークは興味がないながらも了承した。
「ふーん。ま、いいぜ。俺も観光してーから」
国境をまたいで立つ豪邸に足を踏み入れ、待つこと少し。
主の登場に全員が起立し、ルークも遅れて立ち上がった。
「これはこれは。イオン様ではございませんか! 前もってお知らせいただければ盛大にお迎えさせていただきましたものを……」
この状況下でそんなことをされたら困るどころではない。
しかしイオンはそれに気づいたのか否か、きわめて朗らかに、短く答えた。
「よいのです。忍び旅ですから。ところでアスター。頼みがあるのですが」
「我らケセドニア商人ギルド、イオン様のためならなんなりと」
多少の媚と大袈裟感が浮き上がっているものの、彼の言葉に偽りはないように感じられた。
ダアトとケセドニア間の友好状態を維持するためか、イオンの人となりを信頼しているからか。
「この音譜盤を解析したいんだ」
イオンの言葉に合わせ、スィンから預かっていた音譜盤をガイが取り出した。
「お任せ下さい。──誰か!」
大仰な仕草で手を叩けば、扉の向こうから使用人らしい男性が現れた。
「そちらの音譜盤を解析して届けろ」
「かしこまりました」
深々と頭を下げ、彼は音譜盤を受け取り立ち去った。
解析が終了するまで、一行はアスターと雑談をしていたが、金持ちならなんでもいいのか、アニスがそこはかとなく、しなを作っている。
その様子を苦笑いしていたスィンに、アスターが眼を止めた。
「ところで、そちらのお嬢さんは珍しい瞳の色をお持ちですね。もしや、シアという女性をご存知ではありませんか?」
「シア・ブリュンヒルドでしたら、僕とは血縁関係に当たります」
ずいぶん回りくどい言い回しに、しかしアスターは気にせず続ける。
「やはりそうでしたか。同じ瞳の色でしたので……」
「アスターさんは、彼女と面識があるんですか?」
スィンの問いに、アスターは以前を思い出すように語った。
「はい。一度しかお会いしたことはありませんが。以前ザオ砂漠で大量発生した魔物がケセドニアへなだれ込んできた際、偶然ザオ遺跡調査に来ていた彼女たちのおかげで、ケセドニアには何の被害もありませんでした。それどころかオアシスの住人たちまで保護していただいて。感謝の印にとここへご招待したのですが、丁寧にご辞退されまして、大変残念でした」
アスターの話は続く。
「砂漠で肌を焼かないように、と瞳を除いて顔は隠されていましたが、その分色違いの
彼の熱弁をなんとか止められないものかとそわそわしていたスィンだったが、扉を叩く音にほっとした。
我に返ったアスターは「これは失礼を」と頭を下げて使用人を見ている。
「こちらが解析結果でございます」
「ありがとう」
朗らかにガイがそれを受け取り、渡された書類を見てルークが驚いた。
「すごい量だな」
「船の上で読むか」
用事は終わった、とばかりに、ジェイドが立ち上がる。
「では行きましょう。お世話になりました」
「何かご入り用の節には、いつでもこの私にお申し付け下さい。ヒヒヒ」
どこか怪しい笑みに見送られ、一行は豪邸を後にした。
「ねえ、そういえばシアってスィンのお姉さん? てことはガイの……」
「あー、違うよ。シアは、ガイ兄様とは血、繋がってない」
どこか言いにくそうにしているスィンの答えを聞き、アニスは気まずげに口を閉ざしている。
が、どこまでも空気が読めていないルークの追求に容赦はない。
「どういうことだよ、血の繋がりがないって……」
「──腹違いなんだよ。俺たちは」
はっきりと顔を曇らせたスィンの代わりに、ガイがさらりと説明した。
が、ルークの興味は早くも別の方へ移っている。
「へえ……。そういや、元六神将って、そいつはヴァン
塗りつぶされたと思っていた彼女の話題がルークによって浮上したことに、スィンは軽く挙動不審になっている。
「そもそも二年前までは六神将なんて正式名なかったんですけど、元祖・六神将ともいえる人たちがいたんですよ。今の六神将の三人──ラルゴ、ディスト、リグレットのほかに、
「へーっ……
なかなか思い出せないらしくうーん、と首をひねっているアニスに、ジェイドは心なしか早足で進んでいくスィンの背中を見ていた。
「ブリュンヒルド……古代イスパニア神話に登場する戦乙女たちの統率者、戦女神の名ですね」
いい名前です、とイオンは言ったが、どう考えても偽名くさい。二つ名と合っているだけに。
「妖獣のアリエッタじゃないのか?」
「あのコ、もとは
顔を曇らせるイオンを気遣ってか、その声が少し小さくなる。
酒場を通過したところで、キムラスカ兵が歩み寄ってきた。
彼はルークたちの姿を認め、その前で立ち止まり敬礼をする。
「こちらにおいででしたか。船の準備が整いました。キムラスカ側の港へ……」
そのとき。
足音高くこちらへ駆けてくる影を認め、ティアが警告を放った。
「危ない!」
はっ、と顔を上げると、仮面の少年──烈風のシンクが腕を振り上げて襲いかかってきたところだった。
隙を狙ってか、音譜盤と書類を抱えたガイに迫っていく。
とっさにガイの腕をつかみ、ひっぱりながら接触する間に割り込んだ。
「うわっ!?」
結果、シンクの手がスィンと、スィンに反応して飛び退ったガイの腕に触れる。
その際彼は腕の荷を落として倒れこんだが、無事のようだ。
音譜盤がシンクの手に渡ったが、解析結果があれば変わらない。触れただけなのに痛む腕を押さえてスィンは書類を回収した。
「それをよこせ!」
「お断りだっ!」
飛びかかってくるシンクに、腕を突き出した。
投擲された小型の譜業から瞬時に譜陣が展開し、まばゆい光が彼の眼を灼く。
しかし気配に頼ってか特攻をやめなかったシンクに応戦しかけ、ジェイドに止められた。
「ここで諍いを起こしては迷惑です。船へ!」
「くそっ! 何なんだ!」
避けられる戦いなら避けたほうがいい。確かにそっちのほうが利口である。
スィンは一行のしんがりを駆けた。
「逃がすか!」
仮面で防いだのか、閃光を浴びせたというのにその足取りに迷いのようなものはない。
「ミュウ! ちょっと来て!」
「はいです「おらよっ!」
げし、と足元のミュウをスィンのほうへ蹴飛ばす。
片手でミュウの頭を掴んだスィンが、後方へ向けて「お願い」と囁いた。
「ふぁいやー!」
北の森を丸裸にした火炎放射が、追いつきそうになっていたシンクの勢いを弱める。
その隙を見逃さず、スィンは全力で駆けた。
そのために肩にしがみついていたミュウを落っことし、ルークに回収されたというハプニングがあったものの、出航するキャツベルトのタラップに二人は何とかしがみつく。
そのまま船にもぐりこんでいくルークのあとは追わず、スィンは船の屋根に四つんばいになって、すぐそばまで来ていたシンクに眼をやった。
「……くっ、逃したか」
悔しそうに呻く声。海に飛び込んで追ってきたらどうにかして追い返すつもりだったが、それはなかった。
そのかわりといってはなんだが、椅子が飛んできた。無論、シンクが投げつけてきたわけではない。
「ハーッハッハッハッ!」
頭にくる哄笑がスィンのところまで届く。
が、それ以降は二人で話しているらしく、肉声が聞き取れるレベルのものではない。
いつまでも姿を見せないスィンを呼ぶ誰かの声がした。仕方なく、スィンは船の屋根を伝って甲板へ着地する。
「驚かせるなよな!」
落っこちたと思ったじゃねーか、とルークに軽く小突かれながら、スィンは腕の中の書類に眼を落とした。