the abyss of despair   作:佐谷莢

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第一唱——それはそれは綺麗な歌

 

 

 

 ND2018、レムデーカン、レム、二十三の日。

 

 スィン・セシルは一通の書簡を携え、ファブレ公爵邸前まで来ていた。

 警備兵に用件を話し、屋敷の中へ足を踏み入れる。

 ここへ来るのは久々だった。十年ほど前までは彼女もここで兄であるガイと共に働いていたが、縁あってナタリア王女の傍仕えとなったときからあまりこの屋敷へは来ていない。

 兄に会うため遊びに行くには、少々近寄りがたい場所でもあったからだ。

 青い刀身が特徴的な長剣が飾られている柱を極力見ないように玄関を見渡す。

 探していたわけではないが、とりあえず人影を見つけた。

 ファブレ公爵家、執事ラムダス。

 

「スィンではないか、どうした?」

「こんにちは、ラムダスさん。ルーク様はどちらでしょうか」

 

 ナタリア王女から手渡せと命じられたものがある、とのことを伝えると、かのご子息は自室にいる、とのこと。

 礼を言い、廊下を通って中庭に出る。

 そこには、ローレライ教団神託の盾(オラクル)騎士団主席総長のヴァン・グランツと、ファブレ公爵邸使用人にして彼女の兄、ガイ・セシルの姿があった。

 少し離れた場所で、庭師のペールが作業をしている。

 見慣れた姿を見つけ、スィンはひとつに結われた金の髪を尻尾のように揺らしながら二人に近づいた。

 

「ガイ兄様! ヴァン謡将!」

「お、スィンじゃないか」

 

 お久しぶりでございます、と頭を下げ、ヴァンに対しても同様の挨拶をする。

 身内に対して丁寧すぎる挨拶に、彼らはそろって眉を下げた。

 それを口に出される前に、スィンはにっこりと微笑んでみせる。

 

「どんな悪巧みをたてていらっしゃったのです?」

「悪巧みっていうなよ、人聞きの悪い」

「それはさておき。どのような用事で来たのだ?」

 

 ヴァンの質問に、スィンは携えていた書簡をかざしてみせた。

 

「ナタリア様からルーク様へ、機密文書です」

「……ああ、恋文か」

 

 どうでしょうね、と首を傾げてみせるスィンを傍らに、ヴァンは再びガイに向き直った。

 

「そういうわけだ。しばらくはそちらに任せるしかない。公爵や国王、それにルークの──」

「ルーク様!」

 

 ペールの声で彼がこの場へ到着したことを知ったヴァンは口を閉ざした。

 気になる話の詳細は後で話してもらおうと考えつつ、スィンは長い橙髪が特徴的な少年の元へと歩む。

 

「ルーク様、ご無沙汰しております」

「お? スィンじゃねーか。どうかしたのか?」

「ナタリア様から預かってまいりました。お受け取りください」

 

 私的なものとは到底思えない立派な封蝋がされた書簡を恭しく差し出す。

 またかよ、とげんなりした表情でぞんざいに受け取ろうとしたルークだったが、思い直して手をひっこめた。

 

「あのさ、俺今からヴァン師匠(せんせい)と稽古があんだよ。部屋に置いといてくれ」

「承知いたしました」

 

 御前を失礼いたします、と会釈して中庭に面した離れ──ルークの自室へ向かう。

 元メイドだけあって、屋敷の構造は把握していた。

 サイドテーブルに書簡を置き、再び中庭へ出る。

 すると、ヴァンはルークに剣術を指導しており、ガイは片隅のベンチで見学していた。

 先に話を聞いておこうと、スィンはベンチに近寄る。

 隣には座らず、一定の距離を空けて佇んだ。傍目から見れば彼とともに見学している風体である。

 

「……何のお話をなさっていたのですか?」

「ヴァンが帰国するってよ」

 

 囁きに近い、絞った声量での会話だ。稽古に夢中、あるいは気をやっている二人に聞こえるものでもないが、用心に越したことはない。

 

「任せるということは、しばらくは戻ってこれないと?」

「そうだな。でなけりゃいちいち報告してこないだろうよ」

「そうですか……」

 

 心なしか沈んだような彼女の声音に、ガイはいたずらっぽく笑って見せた。

 

「寂しいか?」

「そんなことはありませんが、ガイ様の負担を考えると……」

 

 ♪ トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ──

 

 透き通るような歌声を耳にして、スィンはとっさに耳を塞いでいた。

 思わず聞き惚れてしまうほど美しく、壮麗な歌声ではあったが、独特の旋律、使われている言語から、その効果は見知ったものであったから。

 ぐぐっ、とせりあがってくる眠気に耐えて警戒する。

 

「か、体が、動かない……」

 

 これはルークの声。

 

「こ、これは譜歌じゃ! お屋敷に第七音譜術士(セブンスフォニマー)が入り込んだのか!」

 

 己の睡魔に対抗するかのようにペールが叫んだ。

 きちんと聞かなかったおかげか、なんとか抵抗できたスィンが襲撃者の姿を探す。

 スィンは過去、この歌を聞いたことがあった。そのときは子守唄程度にうとうとする程度だったが、これは他人を強制的に熟睡させる威力を持っている。

 使い手が限られるこの譜歌、となれば襲撃者も予想できるものだった。

 しかしその目的は──

 

「──ようやく見つけたわ。裏切り者ヴァンデスデルカ!」

 

 どうやら彼らしい。たんっ、という音に振り返れば、一人の少女がこちらに──正確にはヴァンへ迫りゆく。

 その手には、譜術士(フォニマー)がよく使用するありふれた一振りの杖。

 見覚えはあるが、それを表に出すスィンではない。

 

「覚悟!」

 

 かといって傍観するわけにもいかず、駆け寄ってヴァンの手から落ちて転がった木刀を拾い上げる。鉄心を仕込んで真剣並みの重さに仕立ててあるらしく、重い。

 しかし、スィンはそれを構えると、ヴァンの前に飛び出して杖による一撃を受けた。

 細腕からは想像もできない重い打撃から、彼女が本気であるということを知る。

 

「邪魔しないでっ!」

「……そんなこと言われても……」

 

 ちら、とヴァンを見る。譜歌に抵抗し切れなかった様子でへたりこむ彼にいつもの覇気はない。

 とりあえず、とばかりにそのままの体勢で足払いをかけるも、彼女は倒れそうになりながらぐっ、と制動をかけて踏みとどまった。

 素人のできる動きではない。

 威嚇程度に振り回された杖を木刀で捌いて、表面上訝しげにスィンは尋ねた。

 

「どちらさまでしょう?」

「あなたには関係ない! そこをどいて!」

 

 どうも興奮しているらしく、全く聞く耳を持たない少女をどうやって説得したものか、それを考えた矢先。

 

「何、なんだよ……」

 

 搾り出すような声にちらりと声の主を見て、スィンはぎょっとした。

 ルークが立ち上がっている。驚いたことに、ヴァンよりも早く睡魔から脱却したらしい。木刀を潰れるほど握りしめ、その表情は怒りに歪んでいた。

 

「何なんだよっ、お前はあぁっ!」

 

 木刀を振り上げ、大上段から少女に打ちかかる。

 回避できないと踏んだのか、少女は反射的にそれを受け止めた。

 突き放せないのか、まるでそれが真剣であるかのようにそのまま耐える。

 

「くっ……」

 

 今が好機と、スィンは少女に接近した。当て身のひとつでもくらわせて、無力化できれば──

 

「……いかん! やめろ!」

 

 ヴァンの焦りを含んだ声に、いぶかしがり動きをとめる。それからスィンも気がついた。

 せめぎあう杖と木刀。その接点から、肌で感じられるほどの第七音素(セブンスフォニム)が溢れている。

 

「っ……!」

 

 まずい。

 きん、と接点から波紋が生じるのを視界に収めながら、とにかくこれをなくそうと駆け寄った。

 鍔迫り合うふたつの武器に思い切り木刀を打ち下ろす。強烈な打撃を伴い武器は地に転がる──と思いきや。

 瞬間、杖と木刀の間で光が膨れ上がり、爆発した。輝きは三人を包み込み、瞬く間に収縮する。

 出来上がった光の球は吸い込まれるように空へ疾り、三人の姿はあとかたもなく消えた。

 

「しまった……! 第七音素(セブンスフォニム)が反応したか!」

 

 ガイは呆然と空を見上げ、ヴァンはぎり、と歯噛みした。

 ファブレ公爵邸は、いまだに静寂を保ち続けている。

 

 

 

 

 

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