the abyss of despair   作:佐谷莢

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第十九唱——あんたらホントに三十路過ぎ?

 

 

 

 

 

「ここまでくれば、追ってこれないよな」

 

 船室に備えつけられた椅子にふんぞり返り、ルークは安堵の吐息をついている。

 対照的に、ガイは険しい目で書類を点検していた。

 

「くそ……烈風のシンクに襲われたとき、書類の一部を無くしたみたいだな」

 

 見せてください、とジェイドに乞われ、ガイは机の上に書類を滑らせた。

 黙々と他の書類に眼を通しているスィンの前を通って、書類はジェイドの手に渡る。

 

「同位体の研究のようですね」

 

 一通り眼を通してから、彼は眼鏡を押さえて呟いた。

 

「3.14159265358979323846……」

「ローレライの音素振動数?」

 

 すべての書類に眼を通したスィンが、ガイの隣で突っ伏しながら確認している。

 彼らの発する単語がさっぱりわからない、と喚くルークにかわるがわる説明をしている彼らをよそに、スィンはゆっくりと立ち上がった。

 

「ちょっと、外の風当たってきます……」

「なんだよ、数字の見すぎか?」

「その解釈で問題ないかとー」

 

 真っ青になって口を押さえているあたり、酔ったように見える。

 

「落っこちるなよ! 多分助けてやれないから」

「はーい……」

 

 深呼吸を繰り返しながら、甲板へ続く階段を登る。潮風を全身に受けて船のへりに寄りかかると、少しだけ気分が落ち着いた。

 船酔いではなし、数字の見すぎでもない。

 抑えていた咳を繰り返せば、痰が絡んだような、空咳とは程遠く聞く者に不安を与える音がする。

 深呼吸を繰り返して、息を整えて。ガイより渡された薬──丸薬を噛み砕いて飲み込む。痛みこそ治まるものの、胸の奥から突き上げるような気持ち悪さは和らがない。

 胸騒ぎにも似たこれは、どうやって鎮めたものか。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 いつのまにかへたりこんでいたスィンは、巡回中のキムラスカ兵に声をかけられた。

 

「──あー、大丈夫、です。めまいがしただけ」

 

 差し出された手を丁重に断り、よいしょっ、と立ち上がる。

 ルークの連れであることもあってか、しきりに心配してくれる兵士を苦笑いで対応しながら、海を眺めたそのとき。

 

「……あ!」

「な、あれは!」

 

 ケセドニア方面から小型艇が猛スピードで追ってくる。

 あわてて兵士が探査機を向けると、複数の生命反応と巨大質量の譜業装置の反応が示された。

 

「……ルーク様たちに伝令を。お願いします」

「は、はいっ!」

 

 本来ならスィンが走るべきだが、兵士はすんなりとその場を去る。

 見張りの兵がいるのにもお構いなく、小型艇からいくつもの碇つきロープが放り込まれた。

 それを基点とし、何人もの兵士──この鎧は神託の盾(オラクル)のもの──が乗り込んでくる。

 

「はっ!」

 

 スィンの姿を認めて挑みかかってくるのをいなし、まずロープを切断する。

 併走こそしているものの、キャツベルトと小型艇を繋ぐ線はいとも簡単に断ち切られた。

 これでキャツベルトが乗っ取られることだけはなくなったはず。

 

「貴様っ!」

「この単細胞!」

 

 増援を奪われて逃げ場をなくした兵士が、逆上して切りかかってくる。

 頭に血が上っているせいなのか、単調な攻撃のおかげでスィンは敵地に取り残され背水の陣を強いられた兵士たちを返り討ちすることに成功した。

 普段ならばいざ知らず、今のスィンに生け捕りという高等技術は難しい。

 ふと、自分の周囲が限定的に暗くなったことに気づいた。風を切り接近してくる影の存在を知り、あわてて後ろへ跳ぶ。

 瞬間、衝撃が足元を揺るがし、スィンはたまらずしりもちをついた。

 

「おや? 取り巻き一人だけですか」

 

 ひどく蔑んだ物言いと聞いたことがある声に見上げれば、ちょこんと──本人は泰然と、のつもりかもしれないが──ソファに腰かけた男がスィンを見下ろしていた。

 

「さーあ、立ちなさい! そして尻尾巻いてあの性悪・陰湿ロン毛眼鏡を呼んでくるので──ん?」

 

 ならそうさせてもらおうと、スィンが立ち上がった途端。彼は丸眼鏡をきらりと輝かせた。

 ディストが従えていた、球体に足と手のようなものがくっついている譜業が彼の操作を受けて動き出す。

 

「わっ!」

 

 一本の腕がスィンへ迫り、それを回避すると、もう一方の手が襲いかかってきた。

 

「……おい、ジェイドに用事があるんじゃねーのかよっ!」

 

 どうやら捕まえようとしているらしい手を避けつつ口汚く抗議すれば「予定変更です!」という返事が返ってきた。

 だからといって捕まってやる義理はない。

 縦横無尽に逃げ回るスィンに対し、しびれを切らしたディストが譜業に命令した。

 

「カイザーディストR! 地団駄を踏むのです!」

 

 まるで着地を果たしたときのように足元が揺れる。

 不安定になった足場で素早く逃げることができなくなったスィンは、健闘むなしく機械製のヤットコで簀巻きにされた。

 

「っ! このっ!」

 

 必死で暴れるが、人の手、それも女の細腕で譜業(てつのかたまり)に対抗できるわけもない。

 無駄な抵抗を繰り返している内に、スィンはディストの目の前に差し出された。

 

「何のつもりだっ!」

 

 噛みつく勢いで喚くも、ディストはまったく気にしていない。

 ただ、じーっとスィンの眼を穴があくほど凝視している。

 その様子が殊更不気味で、更に暴れるのに疲れておとなしくなってきたところで、彼はぽん、と手を叩いた。

 

「緋色に藍色……シアのものと同色ですね。虹彩異色症自体貴重種ですが、まったくの他人が同じ眼を持つとは……珍しい事例ですねえ」

 

 自分の目が目的だということに気づいたスィンがあわてて首ごと明後日の方向に向けるが、ディストは気にしていない。

 まるで子供のように目を輝かせてスィンの瞳に見入っているが、純粋さは皆無である。その代わりに詰まった狂気が眼と鼻の先にらんらんと──

 ついにスィンの理性が弾け飛んだ。

 

「ちょっと、やだ! 鼻息やだ! 離せ、このひとさらい!」

「おや、よくわかりましたね」

 

 へ? とスィンは聞き返した。一体彼は何を言っているのだろう。

 

「せっかくですから持ち帰って調べさせていただきましょう。結局彼女には何もできなかったことですし」

 

 彼女は総長のお気に入りでしたから、と朗らかに呟くディストに、スィンは彼が本気で言っていることを悟った。

 

「スィン!」

 

 そこへ、彼女にとっての救世主たちが現れる。

 

「お前、何とっ捕まってんだよ!」

「す……すいません……」

 

 何も反論できず、がくっ、と肩を落として謝罪する。が、すぐに切り替えた。

 

「ガイ兄様っ、助けてください! このままだとルーク様よろしく誘拐されるっ! ガイ兄様のこと忘れたくないぃっ!」

 

 珍しく錯乱しながら助けを乞う妹を救出するべく、ガイは腰の剣を抜きかけた。

 しかし、それは、ジェイドを眼にしたディストの哄笑で止められる。

 

「ハーッハッハッハッ! ハーッハッハッハッ! 野蛮な猿ども、とくと聞くがいい。美しき我が名を。我こそは神託の盾(オラクル)六神将薔薇の……」

「おや、鼻垂れディストじゃありませんか」

 

 本人としてはおそらく気取ったつもりだったのだろうが、多分厳かだった名乗りはジェイドによって綺麗に破壊された。

 

「薔薇! バ・ラ! 薔薇のディスト様だ!」

「死神ディストでしょ」

 

 アニスがそう言ってまぜっかえす。

 

「黙らっしゃい! そんな二つ名、認めるかぁっ! 薔薇だ、薔薇ぁっ!」

「なんだよ、知り合いなのか?」

 

 二人に問えば、アニスは小さく、しかし顔をしかめて頷いた。

 どうでもいいが、喚き散らすその姿からは到底薔薇を連想できない。

 強いて挙げるなら、彼の仰々しい襟は花弁に似ているかもしれないということか。

 

「私は同じ神託の盾(オラクル)騎士団だから……。でも大佐は……?」

 

 ジェイドが答えるまでもなく、ディストが勿体つけて教えてくれる。

 

「そこの陰険ジェイドは、この天才ディスト様のかつての友」

「どこのジェイドですか? そんな物好きは」

「何ですって!?」

「ほらほら怒るとまた鼻水が出ますよ」

「キィ────────!! 出ませんよ!」

 

 その後ろでは、仲の良さそうで悪いやりとりを呆れながら、ルークとガイがヤンキー座りでだべっていた。

 

「あ、あほらし……」

「こういうのをおいてけぼりって言うんだな……」

 

 スィンとしては、だべってないで、この隙に助けてほしいのだが、それを大声では言えない。

 どうにか逃げる余地はないか、再び抵抗を始めるスィンをよそに、ディストは目的を思い出したようだ。

 

「……まあ、いいでしょう。さあ、音譜盤のデータを出しなさい!」

「これですか?」

 

 ジェイドが見せた書類を、ソファ型の浮遊譜業を操ったディストが『厨房の黒い悪魔』並みの素早さで奪い取る。

 

「ハハハッ! 油断しましたねぇ、ジェイド!」

「差し上げますよ。その書類の内容はすべて覚えましたから」

 

 勝ち誇るディストに、ジェイドは極めて淡々と返した。

 まるで痛痒を覚えていない。これならディストでなくても、対象者は誰であれ怒るだろう。

 

「ムキ────────!!  猿が私を小馬鹿にして! この私のスーパーウルトラゴージャスな技を、食らって後悔するがいい!」

「うわっ!?」

 

 ぶぅんっ、とスィンを捕まえたまま、ヤットコが激しく旋回する。

 激しい重力をかけられ視界が真っ黒く塗りつぶされた彼女を見て、ディストがふわふわと椅子を浮かせた。

 

「おっと、すっかり忘れていました」

 

 ヤットコに挟まれていた体が解放され、ブラックアウトした視界が元に戻る。

 スィンは己が置かれた状況を初めて知って青ざめた。

 不安定なクッションの上に、強制的に座らされている。腹のところにはやけに太目の棒が体を拘束しており、背中と尻の下が生あったかい。

 振り返りたくない。だけど確かめなければ始まらない。

 ぎぎぎ、と首をねじってみれば、そこには。

 

「うっ……ぎゃああ────っ!!」

 

 スィンは、呆けている間にディストの膝の上に座らされていた。

 だらだらだらと大量の汗が噴出し、体が拒絶反応を起こして彼から離れんとめちゃくちゃに暴れ始める。

 

「……スィンでなくても拷問ですねえ」

「いやだあっ! 触るなあ! 離せぇぇぇっ!」

 

 半泣きになって喚く彼女を見上げて、ジェイドは冷静に分析した。

 本来不安定なはずの椅子に二人の体重が乗っていることに加え、多少でも暴れればひ弱なディストのこと、すぐにてこずって解放するだろうとスィンは踏んでいた。

 しかし椅子は揺らぎもせず、学者肌とはいえディストも男。

 それなりに上背があるためか、彼はぐずる赤ん坊をあやしでもするかのように、スィンをいとも簡単に押さえつけている。

 それに集中しているせいか、カイザーディストRはまだ起動していない。

 

「お、おい! そいつ男嫌いっていうか、恐怖症なんだ! 離してやってくれよ!」

 

 異性に触れる恐怖を知るガイが説得にかかったが、ディストはふん、と鼻を鳴らすだけだった。

 

「ほう、こいつもそうなのですか。虹彩異色症はそういった疾患を負うことが多いのかもしれませんねえ……」

 

 嫌がるスィンを押さえ込んで、まじまじとその両目を覗き込む。

 自分を押さえ込む鉄棒を掴んで暴れていたスィンが、間近に迫った男の顔を前にして。

 

「っ……」

「スィン!? スィン、おい!」

 

 ぱたりと脱力した。鉄棒を中心に体をくの字に曲げたまま、どんなに呼びかけてもぴくりとも反応しない。

 自らの置かれた状況を拒否するあまり、失神したのだろうというのがジェイドの意見だった。

 

「……厳密に言ってしまえば、スィンは和平の交渉に必要ありませんので見捨てても痛手はありませんが……まあ、あの馬鹿を喜ばせてもメリットがありません」

 

 救出しましょうか、と槍がその手に握られた矢先、ディスト命名による珍妙な大型譜業人形が襲い掛かる。

 その瞬間、脱力していたスィンの髪から、色という色が抜け落ちた。

 

「!!」

「造られし命よ、創り手の願いよ、今ここに砕かれん。ブレイクディストーション!」

 

 いつの間にか握られていた棒手裏剣が、二人を宙に浮かせている浮遊する一人掛けソファ──浮遊譜業装置の足に突き立てられる。

 その場所から蜘蛛の巣状のヒビが走ったかと思うと、譜業は音もなくバラバラに砕け散った。

 突き刺さった、棒手裏剣と共に。

 

「なっ……」

「好き放題しやがって、歯ぁ食いしばれ!」

 

 空中落下するよりも早く、スィンはディストを足蹴にしてその場から離脱した。

 その頃にはもう、髪は元の色を取り戻している。

 革靴による顔面蹴打を負ったディストはといえば、鼻血で宙に線を描きながらも、カイザーディストRの上へと落下した。

 死神の名を冠する男を踏み台とした彼女は、艦橋(ブリッジ)の屋根へどうにか着地している。

 それだけに終わらなかった。

 

「穢れなき海原の乙女よ。そなたの清らかなる歌をもて、我が敵を水底へ沈めん──」

 

 途端、カイザーディストRとその上のディスト中心に譜陣が展開する。

 穏やかそのものだった海が荒れ始めたかと思うと、甲板を覆うほどの巨大な津波が立ち上がった。

 

「セイレネウス・タイダルウェイブっ!!」

「ちょ、ちょっと、飲み込まれちゃう……あれ?」

 

 発生した高波は、甲板にいる一同に害を及ぼすこともなく。侵入者とその付属を見事に押しつぶした。

 譜術であるせいなのか、小規模の津波を受けてもキャツベルトの甲板はぐらりとも揺れていない。どころか、濡れてすらいない。

 譜陣が消失すると同時に、海は見る間に穏やかさを取り戻した。

 引いていく波が、その質量で押し潰した譜業とおまけを連れて退場していく。

 

「おい……あれ……」

「殺して死ぬような男ではありませんよ。ゴキブリ並みの生命力ですから」

 

 ジェイドは淡々と答えたが、ルークが心配しているのはそこではなかった。

 

「じゃなくて、スィン……」

「っあー、怖かったー」

 

 上から降ってきた呟きに全員が注目すれば、艦橋(ブリッジ)の屋根に座り込んだスィンが大きな安堵のため息をついていた。

 

「よかった、無事だったのね」

 

 ティアの呼びかけに対してぱたぱたと手を振っている。

 そして彼女はガイに眼を向けたかと思うと、宣言した。

 

「お休みなさい」

「って、おい……」

 

 そのままその場に丸くなり、身動きをしなくなる。

 術を使ったせいで消耗したとの解釈のもと、彼らはすべきことを優先した。

 

「では、艦橋(ブリッジ)を見てきます」

 

 そう言って背を向けたジェイドに、ガイが続いた。

 

「俺も行く。女の子たちはルークとイオンのお守りを頼む」

「あれ? ガイってば私たちが怖いのかな?」

「……ち、違うぞ! 違うからなっ!」

 

 アニスにすりよられ、彼は必死になって否定していたが、挙動は見事に肯定している。

 

「俺たちは……」

「怪我をしている人がいないか、確認しましょう」

「そうですね」

 

 ルークが問い、ティアが答え、イオンが同意する。

 

「平和の使者も大変ですよねぇ……」

「……ホントだよ」

 

 

 

 

 

 




ローレライの音素振動数=円周率かと、誰もが突っ込んだと思います。
現在の円周率はおよそ3で定義されているそうですが。
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