the abyss of despair   作:佐谷莢

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第二十七唱——砂漠の夜の月

 

 

 

 

 

 国境線上の豪邸の門前に立ち、彼女は深呼吸をして門番に話しかけた。

 

「……シア・ブリュンヒルドといいます。アスター氏にお目通り願いたい」

 

 言伝を頼み、待つことしばし。以前も訪れた客間に通された。

 アスターを前にして、少々ぎこちなく神託の盾(オラクル)騎士式の礼を取る。

 

「ご無沙汰しています」

 

 驚いたように、しかし再会を喜んでくれているアスターにホッとしながらも、彼女は本題を切り出した。

 

「私は今、キムラスカより派遣されたアクゼリュス救援隊に同行されたイオン様の護衛を勤めています」

 

 イオンの名を出したのは、果たしてアスターが以前の恩だけで自分に協力してくれるかどうかわからなかったためだ。

 それに、けして嘘ではない。

 

「アクゼリュスなのですが、現在は鉱山の奥より発生した瘴気に侵され、取り残された多くの人々は一刻も早い救助を望んでいます。両国から救助用にと陸艦が派遣されていますが、最終手段を用意しておきたい」

 

 そこで、とここぞとばかり、まくしたてた。

 

「あなたの敷地内をお借りし、転送の譜陣を描きたいのです。この譜陣が輝いたとき、アクゼリュスの住民がケセドニアへ避難できるように。図々しい話ではありますが、あなたに彼らの保護をお願いしたく、参りました」

 

 お願いします! と大仰に頭を下げる。

 それまで黙して彼女の話を聞いていたアスターだったが、やがて、頭をお上げください、と言い出した。

 

「……イオン様にも、あなた自身にも、我らケセドニアの住民は助けられています。受けたご恩を忘れはしません。承知いたしました、とイオン様にお伝えください」

「──ありがとうございます……!」

 

 やはりイオンのことを出したのは後押しという意味で大きかった。頭を下げて、必死で緩みそうになる顔の筋肉に叱咤する。

 譜陣を描くため『彼の敷地内でそれなりに広い場所』という条件に当てはまった中庭へ案内された。

 事前に購入しておいた杖で巨大な譜陣を描き、中心地にその杖を突きたてて譜陣の補強を施してから、その様子を見ていたアスターと向かい直る。

 

「なるべく使わないことを祈りたいのですが、預言(スコア)に読まれている未来はそれを許してくれそうにありません。この譜陣が輝いたとき、アクゼリュスの人々をお願いします」

 

 驚愕に表情を彩られた彼に一礼し、素早く屋敷を後にした。

 やれ忙しい。次は酒場の前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。キムラスカとマルクトの国境線を中心に立つ酒場の前で、アッシュはまんじりともせず立っていた。

 ときおり酔っ払いに絡まれ、商売女に声をかけられるも、適当に追い払う。

 と──国境線上で仁王立ちしている彼に、ふらふらと近寄ってくる者がいた。

 フードつきのマントで顔と格好を隠し、頼りない足取りで、しかし目標を持ってアッシュに向かってくる。

 

「おい、お前──」

 

 格好からして物乞いか何か、と考えたアッシュがさっさと追っ払おうとした矢先。不意に上がった顔を見て、彼は絶句した。

 緋色と、藍色の瞳。

 眼から下を布で覆っていた怪しい人物は、暗い中でも酒場から洩れてくる明かりでその色を宿していたからだ。

 アッシュが固まったのを見るや、彼女はわずかに体の向きを変えた。

 何を思ったのか、すたすたと彼の目の前を通過していく。その足取りたるや、まるで別人のようだ。

 

「──ちっ」

 

 何を言っても無駄だと悟ったアッシュが、歩み去る彼女を追う。

 気配で感じ取っているからなのか、アッシュが来ることを確信しているのか、とにかく振り返ろうとしない。

 そうこうしているうちに港へたどり着き、その人物はやっと足を止めた。

 ふわり、と唐突にマントを脱ぐ。

 ──色が抜け落ちたような、あえて例えるなら雪色を宿した髪に、端正な面立ち。

 色違いの瞳を有する女は月を背にする形で、アッシュに向き直った。

 ぼんやりと月光に照らされる漆黒の特徴的な装束に見覚えがあるものの、それをはっきり思い出すよりも早く。

 

「こんばんは、アッシュ」

「……シア」

 

 あどけなく微笑みながら、月光を一身に浴びる彼女が歩み寄ってくる。

 眼前に立たれて、自分の背が彼女より高くなっていることに気づいた。

 

「……大っきくなりましたねー」

 

 相手もそれに気づいたようで、ぽふっ、と頭に手が伸びて、さわさわと撫でられる。

 眉をしかめてその手を払えば、「つれないやつ」とますます笑みが濃くなった。

 

「ちょっと見ないうちにひねたツラになっちゃって、まあ」

「だ、誰がひねたツラだっ!」

「鏡をご覧になれば眼前に」

 

 思いきり顔をしかめたアッシュの、眉間のしわをちょんちょんとつつく。

 その手が払われる前に、シアは一歩下がった。首に巻かれた包帯が眼につく。

 

「見た目以外はお変わりなく、安心しました。此度は何用で?」

「──ヴァンは何を企んでいる?」

 

 その問いに、シアは軽く眉を動かした。

 

「有り体に言いますと、そりゃもう色々と」

 

 大雑把過ぎる答えにアッシュが不服を示すと、彼女は呆れたように眉を下げた。

 

「ご自分でお調べなさいな。彼に近しいあなたなら、問題なく……」

「わからないから聞いてるんだ! 最近俺はあいつに信用されてないから、レプリカに手を出すな、だのアクゼリュスへは来るな、だの命令だけで……なんでレプリカの軟禁が解かれてる? どうしてナタリアがあいつらと一緒に……!」

「軟禁の件なら、来るべき時が来たから、というのが当てはまりますか」

 

 指先が伸びてきてアッシュの口を塞ぐ。

 静かに、とシアは小さく、しかし鋭く言った。

 

「お話した預言(スコア)のことは、覚えておいででしょうか?」

「……預言(スコア)……」

 

 覚えてないみたいだからもう一度。シアは預言の復唱を始めた。

 

「──ND2018 ローレライの力を継ぐ若者、人々を引き連れ鉱山の街へと向かう。そこで若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって……」

「……街とともに消滅す」

 

 どうやら思い出したらしいアッシュがその後を引き継いだ。

 ひとつ頷けば、彼は冷静さを失ってシアに詰め寄っている。

 

「なぜ阻止しない!? あのレプリカはともかく、このまま連中を行かせればアクゼリュスが──!」

「落ち着けったら!」

 

 落ち着かせようとして声を荒げたら意味がない。気まずげに口を押さえて、シアは続けた。

 

「ヴァンは、ルークをそそのかしてパッセージリングを超振動で消滅させ、アクゼリュスを崩落へ導く腹積もりです」

「パッセージリング……」

「一回教えたはずですが。この世界は、ここからは地下に位置する魔界から延びるセフィロトツリーなる柱に支えられた外殻大地で、パッセージリングはそのツリーを支える音機関」

 

 過去の講義を彷彿とさせるシアの声を聞きながら、語られた言葉をひとつひとつ思い出し、理解していく。

 

「同じことだろう! 連中を止めれば、いや、レプリカを殺せばそれを阻止──」

「話を最後まで聞きなさい。預言(スコア)に詠まれている以上、真っ向から覆すのは並大抵のことではありません。ルークのことですが、彼は親善大使としてアクゼリュス救援をファブレ公爵やインゴベルト陛下に課せられました。ルークを殺そうとするなら、全員を相手しなきゃいけない」

 

 死霊使い(ネクロマンサー)、ヴァンの妹、導師守護役(フォンマスターガーディアン)。イオンを敵に回すことにもなるし、ガイもナタリアもけしてそれを許しはしないだろう。

 ルーク自身、偶然屋敷を飛び出してから大きく成長した。工場跡での行動、ザオ遺跡での戦闘。

 彼の瞳には、アッシュを見て我を忘れていたからというのもあっただろうが、人を相手──斬ることにためらいはなかった。

 

「父上や伯父上が……?」

 

 一方、アッシュは自分のレプリカにそんな大層な任務を身内が課したと知り、呆れるやら驚くやらしかない。

 

「ナタリアは?」

「彼女は、反対されていたにも関わらずルークに同行を迫りました。民を見捨ててはおけないと、独断で。インゴベルト陛下はさぞ焦っていらっしゃることでしょう」

 

 どこか皮肉げに明後日の方向を見ているシアに気づくことなく、アッシュは苛々と考えている。

 ならどうすればいいのか──

 

「……あんたはどうするつもりなんだ」

「このまま静観する予定」

 

 しれっ、と言い切ったシアに、アッシュは警告も忘れてつかみかかった。

 

「あんたは! あんたはアクゼリュスがどうなってもいいっていうのか!? あのまま放っておけば、スィンだって死ぬんだぞ!」

「それだけはありえません。あなたが気にすることじゃない」

 

 思わず言いきり、アッシュのいぶかしげな表情を見てはっと口を押さえる。言うべきでないことを言った、と伝えるかのように。それを誤魔化すかのように「と、とにかく!」とアッシュの耳を掴んでひっぱった。

 

「……気がかりがあるので確認のため、私はこのまま静観を貫きます。最悪の事態を想定して仕掛けを施しました。詳細はアクゼリュスで答えるとして、あなたが何をしようと私は一切関与しません。協力もできない。他に質問は?」

 

 時間が差し迫ってきたのか。

 そこはかとなく早口でアッシュに問うシアだったが、彼の質問で思わず言葉を詰まらせた。

 

「……ありえない、ということは、いざとなったらスィンだけは逃がすつもりなのか?」

 

 う、とシアが軽く後退る。

 

「……それはヴァンがティアにやろうとしてるんだけど……じゃ、じゃあいいや。そうするということで」

 

 ──匙加減が難しい。ここで言い訳を連ねればアッシュが納得するか疑念を抱くか、どちらかをするだろう。

 納得はよろしくない。ならば疑念を持たせるか。そう選択しての返しであったが、彼は予想外の反応を示した。

 アッシュは傷ついたように眦を下げ、瞳を伏せている。それだけだ。疑念の追求をしてこない。

 気を許した相手の隠し事。それに踏み込むことが必要だと考えていながら、拒絶を怖れて何もできない様子。

 そんな状態のアッシュを見るに耐えかねて、ふぅ、と息を吐き。シアはマントを再び広げた。

 

「……信頼しています、アッシュ」

 

 そろそろ限界だ。一時的な封印が、緩やかにほどけかかっている。

 シアがフードをかぶった次の瞬間。封印は音を立ててはぜ割れた。

 硝子を砕くような音がして、白い髪が急激に色を帯びていく。

 隠していた顔立ちがすっかり変わってしまったことを手鏡で確認し、スィンはフードをめくってそっとアッシュを見た。

 彼はといえば、言葉にならないくらい、驚いている。

 まるで伝説の秘術、タイムストップをかけられたような硬直状態だ。

 

「……早いとこ戻ってこないと、風邪引くよ」

 

 冷たい潮風が吹き込む港から、彼女はフードを被って立ち去った。

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