the abyss of despair   作:佐谷莢

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第三十三唱「──すんません、アレは書けませんでした(謝」

 

 

 

 

 

「うっ……」

 

 全身が痛い。

 無意識に寝返りを打とうとしたのか、全身の至るところに走った痛みにスィンはゆっくりと眼を開けた。

 ぼんやりとする視界を、まばたきではっきりさせる。すると、暗い中でぼんやりと、見たことのある音素灯が淡い明滅を繰り返していた。

 かけられていた備え付けのシーツを剥がして起き上がる。体に巻かれた包帯はにじんだ血と汗でひどい有様となっていたが、あまり気に止めないで傍らに置いてあったシャツを拝借した。

 明らかに大きいそれに袖を通すと、かすかな体臭と香水の残り香が鼻をくすぐる。

 大佐のかこれ、と思いながら、記憶の片隅に残るタルタロスの一室を出た。

 艦橋(ブリッジ)へ続く甲板へ出れば、艦橋(ブリッジ)前でうずくまり顔を覆ったルークと、心配そうに彼を見るミュウの姿が見える。

 あえて駆け寄ろうとはせず、ゆっくりと、音を立てて近寄っていった。

 

「……ルーク、様」

 

 どこか腑抜けたような声に苛立ちを見せるかと思いきや、ルークは顔を上げて「スィンか……」と呟くだけだった。

 

「ルーク様」

 

 彼の心情を考えるなら、他の誰かに聞くべきなのかもしれない。しかし、スィンはそれをしなかった。

 

「……お話しください。何が起こったのですか?」

「……アクゼリュスが、崩落した」

 

 自分でも把握しきれていない事柄を、ぽつりぽつりと語り始める。

 アクゼリュスへ赴く前、事前にヴァンから指示があったこと、アクゼリュス坑道の奥にダアト式封咒──イオンにしか開けられない扉があったこと、その向こうに不思議な空間が広がっていたこと、瘴気を消そうとしたそのとき、ヴァンの言葉がきっかけで全身の力が抜けていったこと──

 

「……その後、あのアッシュとかいう奴が皆と来た。師匠はでっかい鳥を呼んで、アッシュを失うわけにはいかないって言って、ティアに生きてほしいって言ってから、アッシュを連れて飛んでいっちまって、それで」

「……今この状況に、陥ったのですね?」

 

 虚ろなルークの声を聞きたくなくて、聞くのが心苦しくて、遮るように言った。

 

「なあ! お前も俺が悪いって言うのか!? 俺はヴァン師匠(せんせい)の言う通りにしただけなんだ、俺は……俺はっ」

 

 スィンの両肩を掴んで激しく揺さぶる。擁護してほしくて、否定してほしくて。

 今までスィンはルークの立場を思い、彼をかばってきた。そんな彼女のやさしい言葉を、ルークは身も蓋もなく欲しがっている。

 うつむき、されるがままにされていたスィンがゆっくりと顔を上げた。

 色の違う瞳に浮かべていたのは、たとえようもない、哀しみ。

 アクゼリュスにて失われた命を思ってか、自己弁護のみを叫ぶルークを思ってか、あるいは他の理由か──それは他ならぬ彼女自身にもわかっていないかもしれない。

 スィンの首が小さく、だが確かにかぶりを振る。

 

「……それは、あなたが一番よくわかっていることです」

 

 口にした瞬間、突き飛ばされた。二人のやりとりをはらはらしながら見守っていたミュウが、悲鳴を洩らしかける。

 腕をかばい、受身が取れなかったスィンはまともに甲板へ叩きつけられた。

 軽く咳き込むスィンに吐血のことを思い出したルークは、それ以上何をするでもなくそっぽを向く。

 

「ルーク様……」

「……」

 

 答える気がないとわかっていても、言わずにはおれなかった。

 

「お願いです。あなたの目で現実を見つめてください。何が起ころうとも眼をそらさないで、逃げないで……あなたならきっと向き合ってくれる。私はそう、信じています」

 

 沈黙を貫き、ただ泥海の果てを見つめるルークに失礼します、と告げた。

 

「ミュウ、皆は?」

艦橋(ブリッジ)、ですの……」

 

 スィンとルークを心配そうに見るチーグルに、ルーク様をお願い、と囁いた。

 こくこく頷くミュウを見、艦橋(ブリッジ)へ続く扉をコンコンコン、と叩く。

 扉を開き、注目している面々の顔触れを確認し、スィンは安堵の息をついた。

 

「よかった。みんな無事だ……」

「スィン!」

 

 扉のすぐそばにいたアニスではなく、ナタリアが駆け寄ってくる。

 

「起きて大丈夫なのですか? 今様子を見に行こうとしていたのですが……」

「ご心配おかけしました、もう大丈夫です。……そうだ、アニス」

 

 ナタリアに一度頷いてから、スィンはアニスに向き直った。

 

「何々?」

「ごめんね。おぼろげにしか覚えてないけど、思い切り突き飛ばしちゃって……も少しやさしく押し退けようと思ってたんだけど、間に合いそうになくて」

 

 怪我しなかった? と問えば、アニスの大きな瞳がうるうると潤んでいく。

 

「アニス?」

「……馬鹿! なに人の心配してるのよぅ。あんなに血ぃ吐いて、あたしもうスィンが死んじゃうのかと……!」

 

 後半は言葉にならず、スィンに抱きついて嗚咽をとめようとしている少女に、彼女はそっと抱擁を返した。

 

「……ありがと、アニス」

 

 緊張の糸が途切れたのか、そのまま泣きじゃくる少女をイオンに任せ、スィンはジェイドに向かってぶかぶかのシャツを示している。

 

「借ります。洗って返しますね」

「……どうして私のものかとわかったのかはさておいて、休んでいなくてもよろしいのですか?」

 

 加齢臭がしたから、という要らない一言を、スィンは直前でどうにか堪えた。

 

「大丈夫ですよ。さっきたっぷり寝ましたから。ところで、ティアにガイ兄様、顔色が悪いけど……」

 

 なんでもない、と口をそろえて答える二人に、遠慮がちを装って尋ねる。

 

「……ルーク様のこと、ですか」

「スィン。今はあんな奴のこと言わないで」

 

 答えたのはガイでもティアでもなく、ごしごしと目元を拭っているアニスだった。

 

「どうして」

「どうしても! アクゼリュスを崩落させておいて、あたしたちには何も話さなかったくせに『俺は悪くない』? 冗談じゃないわよ!」

 

 挙句にイオン様まで、と不平を呟く彼女を見て、なんとなく何があったのかを察する。

 今ここで彼の弁護をしても、おそらく何もならない。一度閉口して、別の話題を取り出した。

 

「……一応聞いておくけど。僕の発作止め知らない?」

 

 全員が一瞬、硬直して見えた。

 

「さっき荷袋確かめたんだけど、あれだけが見当たらなくて。誰か知らない?」

 

 無邪気を装って尋ねるも、スィンと眼を合わせようとする者はいない。沈黙を返事と受け取って、彼女は小さくため息をついた。

 

「……知らない、かあ。やっぱなくしちゃったのかな」

「スィン」

 

 ふとジェイドに呼ばれ、目を合わせる。「ジェイド!」とガイが声を上げるも、彼は気にかけなかった。

 

「あれの中身を調べさせてもらいました」

「……で、有毒と判断して棄てた?」

「そのとおりです」

「嘘ばっかり」

 

 半眼になって言い切ったスィンが、驚愕の視線を浴びながら早足でジェイドに歩み寄る。

 

「あなたから匂いがします。疑うなら身体検査してもかまいませんよね」

「……犬ですか」

 

 嘆息しているジェイドの懐に思いきって手を入れようとして、さっと逃げられた。

 

「カンベンしてくださいよ……残りはもうほんのわずかなんですから」

「スィン! あなた何を考えていますの!?」

 

 もう一度手を伸ばしたところで、ナタリアに遮られる。

 

「何って……」

「大佐から聞きましたわ。あの発作止めは正規の薬草を用いたものではなく、毒草をいくつも代用しているとのことではありませんか! 自分から毒を摂取するなんて、正気の沙汰では……」

 

 何の前触れもなくスィンの手が振り上げられた。

 ナタリアを叩くかと思われた手だったが、彼女の頬へ迫るずっと前に、力なく下ろされる。

 

「……どのように思ってくださっても結構です。でも僕は、ただ生き長らえるより、自分らしく生きたい。それだけだから……お気になさらないで」

「でも、あんなに血を吐いたのに。つらくないの……?」

「今に始まったことじゃないし、あれを摂らないと、もっと頻繁に血を吐くことになるんだよ」

 

 アニスの問いに対し、さらっと呟かれた衝撃の事実にガイが口を開ける前に、スィンはタルタロスの計器類を指した。

 

「何か反応しているようですが」

「非常に強い音素反応を感知しています。このまま西の方向です」

「多分、それがユリアシティです」

「ユリアシティ?」

 

 唯一ティアの説明を受けていなかったスィンに、かわるがわるここがどこなのかを説明していくうちに、ナタリアがタルタロスのモニターをさした。

 

「何か見えて来ましたわ!」

 

 確かに、今までは行けども行けども禍々しい泥の海と同じような色の空しかなかったのに、巨大な浮島のような街とその街に降り注ぐベールのようなものが徐々に姿を現していく。

 

「……あれって、滝!?」

「外殻の海水が落ちて、大瀑布になっているの。街はその奥よ」

 

 アニスの言葉を受け、ティアがそう答えた。外殻とここ──魔界をつなぐ場所といえば、今しがた崩落したアクゼリュスを除けばひとつしかない。

 何度か来ているのに、初めて見るユリアシティの外観を複雑そうに見ているスィンには気づかず、ガイが尋ねている。

 

「タルタロスなんて、水圧で潰されるんじゃないか?」

「大丈夫よ。地面に近いところは水分が気化しているから」

 

 気化……となると、外殻と魔界はどれだけ離れているのだろうか。

 ここへ来る道はユリアロードしかないから、考えたこともなかった。

 

「では入港しますよ」

 

 ジェイドの言葉に再びモニターを見れば、タルタロスが薄い霧のカーテンを潜り抜けて接岸しているところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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