the abyss of despair   作:佐谷莢

36 / 140
第三十五唱——盛大な音たてて、歯車が狂いゆく

 

 

 

 タルタロスに乗り込み、少ない総員が配置につく。

 

「これだけの陸艦を、たった五人で動かせるのか?」

「最低限の移動だけですがね」

 

 瘴気を吸い込んだ兵士たちの吐血痕が残る、おせじにも綺麗とは言えない艦橋(ブリッジ)内にて。アッシュの問いを、ジェイドはこういうとき巨大陸艦とは不便だ、と言いたげに返した。

 

「ねえ、セフィロトってあたしたちの外殻大地を支えてる柱なんだよね。それでどうやって上に上がるの?」

「セフィロトというのは、星の音素が集中し、記憶粒子(セルパーティクル)が吹き上げている場所です。この記憶粒子(セルパーティクル)の吹き上げを人為的に強力にした物が『セフィロトツリー』つまり柱です」

 

 もっともなアニスの問いに、イオンがそう返している。

 

「要するに、記憶粒子(セルパーティクル)に押し上げられるんだな」

 

 わずかに半信半疑といった様子のガイに、ジェイドが詳細な説明を語った。

 もっともこの案は、アッシュが提案したものだが。

 

「一時的にセフィロトを活性化し、吹き上げた記憶粒子(セルパーティクル)をタルタロスの帆で受けます」

「無事に行くといいのですけれど」

 

 感覚から言えば、天へ昇るのと同じ心地なのだ。彼女の不安は皆が思うところだろう。

 提案者と、以前その彼にセフィロトツリーの知識を刷り込んだ人物以外は。

 

「……心配するな。始めろ!」

 

 ナタリアの不安を杞憂とするべく、アッシュがどこまでも不遜に号令をかけた。その言葉を受け、ジェイドが音素活性化装置を起動させる。

 遠くでかすかな音がしたかと思うと、装置によって一時的に活性化したセフィロトが、かつてと同じように大量の記憶粒子(セルパーティクル)を吹き上げ始めた。

 タルタロスの帆が、記憶粒子(セルパーティクル)を満たしていく。陸艦は魔界の海から押し上げられ、急激な上昇を開始した。

 光の大樹と化したセフィロトツリーの、次々と生まれる枝に翻弄されながら──傍からは長大な滝に翻弄されている木の葉のように見えたタルタロスは、持ち前の頑丈さが幸いしてか、やがて無事に外殻の青い海へ着水する。

 モニターに映る青い空を確認し、心なしかジェイドがほっとしたように呟いた。

 

「うまく上がれたようですね」

「ここが空中にあるだなんて、信じられませんわね……」

 

 タルタロスに装備されている重力制御装置のおかげで、健在だった彼らの心情を、ナタリアが代表して吐息をついている。

 

「それで? タルタロスをどこにつけるんだ?」

 

 彼にしては珍しく、どこか投げ遣りに尋ねるガイにアッシュが目的地を答えた。

 

「ヴァンが頻繁にベルケンドの第一音機関研究所へ行っている。そこで情報を収集する」

「主席総長が?」

「俺はヴァンの目的を誤解していた。奴の本当の目的を知るためには、奴の行動を洗う必要がある」

 

 的を射た意見ではあるが、アニスには事情がある。そのアッシュに対し、言いにくそうに、しかしはっきりと彼女は異議を唱えた。

 

「あたしとイオン様はダアトに帰して欲しいんだけど」

「こちらの用が済めば帰してやる。俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ」

 

 知識さえあればどうでもいい、と言わんばかりの彼に──実際そうなのだろうが──カチンときたかどうかはわからないが、ガイが皮肉げに、聞こえるように呟いた。

 

「自分の部下を使えばいいだろうに」

「ガイ兄様。それではアッシュの行動がヴァン謡将に把握されてしまいます」

 

 一応彼らは敵対していると考えていいのでは? と続けるスィンに同意するように、アッシュは頷いた。味方するように、ナタリアも続ける。

 

「いいじゃありませんの。わたくしたちだって、ヴァンの目的を探る必要があると思いますわ」

「ナタリアの言う通りです」

 

 イオンの同意に、アニスはしぶしぶ、といった表情になった。

 

「……イオン様がそう言うなら、協力しますけどぉ」

「私も知りたいことがありますからね。少しの間、アッシュに協力するつもりですよ」

 

 彼らの肯定的な言葉に、ガイは不機嫌そうにしていたものの、それ以上言葉を発しようとはしない。

 

「ベルケンドはここから東だ。さあ、手伝え」

 

 タルタロスを旋回し、東の方向に向かって進めていく。制御が一通り安定してきたところで、スィンが席から立ち上がった。

 

「ちょっと、席外しますね」

「かまいませんが……どうしたんです?」

「──別に」

 

 不思議そうな視線を背中に受け、なんでもないような素振りで艦橋(ブリッジ)を出る。

 甲板へ出たそのとき、スィンは口を覆って我慢していた咳を繰り返した。

 あれから、発作止め──鎮痛剤の摂取ができなくなったせいで、痛みがさっぱり治まってくれないのだ。

 ガイはアッシュに対し思うことがあるのだからそれを和らげないといけないのに、口がまったく回ってくれない。

 咳が収まったため手を外せば、新たな鮮血が手を汚していた。広がる大海原にドス黒い赤を払い落とす。──と、扉が開いて誰かが出てきた。

 複数の足音。振り返れば、ジェイドをのぞく全員がそこにいる。

 

「目的地が決まったのなら、ある程度はタルタロスの自動航行機能で代用できるから、休憩を取れ、だそうだ」

「ふーん……」

 

 不思議そうな顔をしているスィンに、アッシュがそう説明した。そんなものがあるなら最初から使え、と言わんばかりの彼からさりげなく風下へ移動する。

 

「それなら、アッシュの言う『タルタロスを動かす人員』は別にいらないんじゃ」

「航行だけなら問題ないが、発着に関しては必要最低限の人員を必要とするらしい」

「そっかあ。やっぱり小回りのきかない巨大戦艦は面倒だね」

 

 違いない、というアッシュの同意は、アニスの「やったー!」という言葉に消された。

 

「どしたの、アニス」

「今、アッシュに敬語使わなかったよね?」

「うん、ふつーに話したけど……」

 

 スィンの言質をとり、アニスはにんまりとほくそ笑む。それ以上質問に答えず、彼女は艦橋(ブリッジ)へ走った。

 

「大佐―! 私の勝ちでーす!」

 

 何がなんだかさっぱりわからないスィンに、ガイが苦笑交じりで説明を始める。

 

「本当のルークだったアッシュに、お前が敬語を使うか使わないか、ジェイドと賭けてたらしいんだよ」

「……なんていうか、マイペースな人たちですね」

 

 こういうときだからこそ、なのかもしれないが、それがわかっていても呆れざるをえなかった。

 そこはかとなく不機嫌な顔をしているアッシュを一瞥してから船室へ移動しようとして、ナタリアに呼び止められる。

 

「そういえばスィン、野暮用とはなんですの?」

「──大佐に借りたシャツ、まだ洗っていなかったので」

 

 簡潔に答えて立ち去るスィンの背中を見送り、ガイは軽くため息をついた。

 

「どうかしましたか、ガイ?」

「……血の匂い」

 

 イオンの問いに、ぼそりと呟かれた言葉は、潮風に流される。

 

「え?」

「いや、なんでもないよ」

 

 スィンの後を追って去るガイを不思議そうに見つめている二人を見つつ、アッシュはガイの言葉をいぶかしげに反復していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルケンド港にたどり着き、いの一番に下船したアッシュに、ナタリアは懐かしそうに語りかけた。

 

「確かベルケンドは、あなたのお父様の領地でしたわね。昔二人でベルケンドの……」

「……街は南だ。行くぞ」

「アッシュ……」

 

 ナタリアの言葉を振り払うように歩き出したアッシュの傍へ行き、スィンは「どうかした?」と声をかけた。

 

「別に……」

「まさかとは思うけど、誘拐された先ってここのこと?」

 

 その言葉に、アッシュは驚いたような顔をしてパッ、と振り仰いだ。

 

「──知らないのか?」

「あのね。当時僕はナタリア様の傍仕えだったんだよ? 君が誘拐されたもんだから、『わたくしも捜査隊に加わります!』って息巻くナタリア様のお世話に四苦八苦してた。僕が代わりに行くってことで、結局コーラル城でのルーク様発見時には同行してたけど、詳細は知らないの」

 

 無論、シアとしては事の次第を把握している。が、今の自分はスィン・セシルだ。スィンとしては、こう考えるが妥当だと判断した結果である。

 それを察したか、理解できなかったか定かではないが、取り合わないことにしたらしい。

 アッシュはそれに答えることなく、再び舗装された街道を歩き始めた。軽く肩をすくめてそれに続いたスィンに、ナタリアがすすっ、と寄ってくる。

 

「どうかされましたか?」

「あの……スィンはどうして、アッシュに敬語を使いませんの?」

 

 自分でも言い方がおかしいとわかっているのか、言葉を捜しながらたずねるナタリアに、スィンは即答した。

 

「彼がアッシュだから、ですが?」

「でもアッシュは、本当の……」

 

 ああ、そういうこと。

 ナタリアの言わんことを事前に察し、スィンは続く言葉を押しとどめるようにナタリアと向き直る。

 アッシュ──ルークにも届いているはずのこの言葉を、ナタリアのものとして届けるわけにはいかなかった。

 

「ルーク様だ、とでも言いたいんですか? なら今のルーク様は誰です? 偽者、なんですか?」

 

 ストレート過ぎたか、「そんなことは!」と否定するナタリアに、眼を細めてみせる。

 

「確かにアッシュは、僕が子守役としてお仕えしたルーク様です。が、それは九年以上前の話。今彼がアッシュとして生きている以上、望んでいるならともかく、そのように接してはかえって失礼だと思いますよ」

「……それは、そうかもしれませんが……」

 

 まだ納得していないようなナタリアが、不意に足を止める。それに気づいて、アッシュが不機嫌そうな顔を二人に向けた。

 

「何をコソコソ話してるんだ?」

「女同士の内緒話」

 

 たじろいでいるナタリアに何かを言わせようとはせず、しれっとした様子でスィンが受け流す。それ以上何かを洩らすような愚は冒さない。

 

「……フン」

 

 追求を諦め、街道を進むアッシュの背を見送り、スィンは気づかれないよう小さく嘆息した。

 確かに、二人の思い出の中には、ナタリアが懐かしむような微笑ましい思い出の一つや二つ、あったのかもしれない。だが、アッシュ──当時のルークにとってここは鬼門でもあった。

 幼い彼には途方もない苦痛をもたらした超振動に関連する実験を受け続けていた地、という印象が、ただでさえ淡い思い出を打ち負かしてしまったのだろう。

 ナタリアとアッシュの会話を、ひどく冷めた目で見守っていたガイのこともある。彼がいつルークの元へ行くと言い出すか、それともやはり自分が行くべきか、つらつらと思考しながらも、スィンはベルケンドへ進む一行の後を追った。

 

 

 

 

 




セフィロトツリーに押し上げられる際、みんなが無傷だったっていうことにいちばん驚きました。
だって船体あれだけガンガン揺さぶられたら、運が良くて全身打撲だと思うんですよねー。
イオンはどうやって耐えたのだろう(イベント処理につっこんではいけない)
それはさておき、ここらあたりは。人間っていうのは何を指して人間と呼ぶのか、ひどく考えさせられます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。