the abyss of despair   作:佐谷莢

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第三十六唱——暴かれし罪を前に、抗うは愚かなことか

 

 

 音機関都市と呼ばれるベルケンドには、生活に必要な雑貨を取り揃えた店が少なく、大小様々な数多くの音機関研究施設が立ち並んでいる。

 しかしアッシュは迷いない足取りで、第一音機関研究所の扉をくぐった。

 

「……そっか。ここ、ヴァン謡将が全権を任されてるんだっけ」

「知ってるのか?」

 

 耳ざとくスィンの呟きを聞きつけたアッシュの問いに、彼女は懐かしそうに周囲を見回しながら答えた。

 

「まあね。ディストがここの所長だっけか? 持病のこと話したら、ここに所属している医師が世界最高レベルの人だって、紹介してもらったことがある。発作止めの調合法もその人に教えてもらったんだけど、薬がもう高価(たか)いのなんのって。成分表もらって類似品作れたからよかったけど……」

 

 持病、と聞いていぶかしげにしているアッシュに気を取られていると、ナタリアがしっかりとスィンの腕を掴む。

 

「何か?」

「ちょうどいい機会ではありませんか。診てきてもらいなさい」

 

 有無を言わさぬその一言に、スィンがどうやって断ろうか思案していると、それに気づいたガイが逃げ場を塞いできた。

 

「俺もナタリアに賛成だ。せっかくベルケンドへ来たんだし、もののついでだ。診てもらってこい」

「ガイ兄様まで何を仰ってるんですか? ほら、アッシュがいつも以上に顔をしかめてますよ」

 

 足の止まった一行を急かすように見ているアッシュを指す。

 が、何を思ったのか、アッシュは同意してくれなかった。

 

「……別に構わない」

「へ?」

「詳細は後でガイにでも教えてもらえばいいだろう。とっとと行ってこい」

 

 くるりと背を向け、スタスタと奥へ行く。

「ちゃんと診てもらうのですよ!」とナタリアが念を押し、彼らはアッシュを追って行ってしまった。

 ただし、ガイだけが残っている。

 

「……行かれないのですか?」

「俺はお前の診察が終わった時点で、抜けることにする」

 

 唐突に囁かれたその一言に、スィンは特に驚きも見せないで返した。

 

「ルークのことですね?」

「ああ。もう俺がみんなと行動する意味はないからな。お前は、アッシュを監視してくれ」

 

 かしこまりました、と了承するとガイは駆け足で一行を追い、入り口付近にて、ぽつんとスィンだけが残る。

 

「……」

 

 ぽりぽりと頬を掻いたのち、スィンは医務室の扉を叩いた。

 確かにここの医師とは顔見知りだ。ヴァンがいなくても診察はしてくれるだろうが、問題は薬代のほうである。

 応答を聞いて医務室へ足を踏み入れた。白衣を着た人物がくるりと振り返る。

 ご無沙汰してます、と頭を下げてから、診察は頼まないで薬の処方だけを依頼すれば、シュウ医師は訳知り顔で頷いてくれた。

 手持ちのガルドが許してくれる限りの代金を置くと、一行を追うべく退室する。スィンの持病に合わせて作られた薬のため、用意するのに時間がかかるのだ。

 一行の足跡を追ってレプリカ研究施設へ入ると、奥まった場所で老人の驚愕が聞こえた。

 

「お前さんはルーク!? いや……アッシュ……か?」

 

 見れば、一行はその老人の前にいる。研究者たちの間をすり抜けていけば、会話が聞き取れた。

 

「はっ、キムラスカの裏切り者がまだぬけぬけとこの街にいるとはな……笑わせる」

「裏切り者って、どういうことですの?」

 

 尋常ではない単語を聞き、ナタリアが聞けば、アッシュは苦々しくそれに答えている。

 

「こいつは……俺の誘拐に一枚噛んでいやがったのさ」

 

 まさか。ジェイドが呟いた。

 

「フォミクリーの禁忌に手を出したのは……!」

「……ジェイド。あんたの予想通りだ」

 

 目の保護にしては、一風変わったゴーグルを装着した老研究者が、その名を聞いてよくわからない顔色を変えている。

 

「ジェイド! 死霊使い(ネクロマンサー)ジェイド!」

「フォミクリーを生物に転用することは、禁じられた筈ですよ」

 

 彼の驚愕などどこ吹く風で、ジェイドは淡々と事実を告げた。が、老研究者はもっと驚く事実を暴露している。

 

「フォミクリーの研究者なら、一度は試したいと思うはずじゃ! あんただってそうじゃろう、ジェイド・カーティス! いや、ジェイド・バルフォア博士! あんたはフォミクリーの生みの親じゃ! 何十体ものレプリカを作ったじゃろう!」

 

 一行に緊張が走ったものの、ジェイドはあわてる様子も見せず、ひどく淡白に認めた。

 

「否定はしませんよ。フォミクリーの原理を考案したのは私ですし」

「ならあんたにわしを責めることはできまい!」

 

 責任転嫁とも思える言葉を、ジェイドは軽く一蹴している。

 

「すみませんねぇ。自分と同じ罪を犯したからといって、相手をかばってやるような傷の舐めあいは趣味ではないんですよ」

 

 ──ジェイドらしい考え方だ、と少なからずスィンは思った。

 

「私は自分の罪を自覚していますよ。だから禁忌としたのです。生物レプリカは、技術的にも道義的にも問題があった。あなたも研究者ならご存知の筈だ。最初の生物レプリカがどんな末路を迎えたか」

「……っ」

 

 最初の、生物レプリカ。お前がそれを言うのか。

 

 診察を断らなくてよかった、誰も自分の存在に気づいていなくてよかった。

 ナタリアに、ガイに、アッシュに、このときばかりは感謝しながら、一行の後ろで人知れず唇を噛んだ。

 スピノザは、いるはずのない味方を失ったかのようにうろたえている。

 

「わ、わしはただ……ヴァン様の仰った保管計画に協力しただけじゃ! レプリカ情報を保存するだけなら……」

「保管計画? どういうことだ」

 

 アッシュがそれを聞くと、スピノザは心底、といった様子で驚いた。

 

「おまえさん、知らなかったのか!」

「いいから説明しろっ!」

 

 声を荒げて情報の開示を求めるも、彼は口を割ろうとしない。

 

「……言えぬ。知っているものとつい口を滑らせてしまったが、これだけは言えぬ」

 

 そのまま貝のように黙ってしまったスピノザに詰め寄ろうとしたアッシュを、駆け寄ったスィンが襟首を掴んで引き止めた。

 

「警備員呼ばれたら面倒だよ。下がろう」

「……ちっ」

 

 スィンの手を払いのけ、大股で研究施設を後にする。その後に続きながら一行はこんな会話を耳にしていた。

 

「いかん。フォミニンが足りなくなってきた。あれがないとレプリカを作れないぞ」

「もうか? 次にワイヨン鏡窟へ採取に行くのはかなり先だぞ」

「あの洞窟は色々便利だが、ラーデシア大陸へ行くのが面倒だよな……」

 

 会話を聞き、アッシュは顎に手を当てて考え込んでいる。

 

「そういえば、スィン。診察の結果はいかがでしたか?」

 

 不意にイオンからそんなことを聞かれ、スィンは生返事気味に返した。事実をそのまま話せば、何名かがうるさい。

 

「簡略に疾患の進行の有無を確かめてもらって、発作止め、処方してもらいました」

「病状の進行はあったのですか?」

「瘴気を吸い込んでいるからそれの影響はありましたが、薬飲めばなんとかなるそうです」

 

 詳細を聞きたそうにしているアッシュから故意に背を向け、医務室に寄って薬を受け取ってくる。

 見せてください、というジェイドの求めに応じれば、彼は少し怪訝そうに首をひねった。

 

「……丸薬、なんですか」

「以前僕が飲んでいたのは、自分で作ったものですよ」

「異様に数が少ないと思うのは、私の気のせいですかねぇ?」

「事実ですよ。それ以上は懐が許してくれなかっただけで」

 

 本当は適宜服用し続ける必要があるものなのだが、一粒の価格が馬鹿にならないため、今回は三日分しか購入できなかったのである。それでも、無いよりはずっとマシだった。

 

「……悪ぃ、俺の財布渡すの忘れてた」

 

 いいんですよ、とガイに笑顔で返す彼女に、アニスが興味本位で価格を尋ねてくる。

 

「ちなみにさ、一日分でいくらになるの?」

「一日分……? 五粒だから、一万だね」

 

 一粒二千ガルド。あまりの高額に、ナタリア以外が言葉を失ったとき、一行は第一音機関研究所の入り口にたどり着いていた。

 

「ヴァンはレプリカ情報を集めて、どうするつもりなのでしょう?」

 

 凍った話題をほぐすように、ナタリアが誰ともなくそれを問えば、アニスが当たり前のことを返す。

 

「そりゃ、レプリカを作るんだとは思うけど……」

 

 それだけでは目的に繋がりようがない。と、そこへアッシュが次の目的地を告げた。

 

「……ワイヨン鏡窟に行く」

「西の、ラーデシア大陸にあるという洞窟にですか? でもどうして……」

「レプリカについて調べるつもりなのでしょう。あそこではフォニミンも取れるようですし。それに……」

 

 珍しく言いよどむジェイドに、ナタリアが聞き返すも、彼は詳細を語ろうとしない。もっともらしい説明付けをして切り抜けた。

 

「それに?」

「……まあ、色々と。ラーデシア大陸ならキムラスカ領。マルクトは手を出せない。ディストは元々マルクトの研究者ですから、フォミクリー技術を盗んで逃げ込むにもいい場所ですね」

「……お喋りはそれぐらいにしろ。行くぞ」

 

 傲岸不遜を絵に描いたようなアッシュの態度に、アニスが軽くむくれている。

 

「……ぶー。行ったほうがいいんですか、イオン様」

「そうですね。今は、大人しく彼の言うことに従いましょう」

 

 それなりにアッシュの性格を知るイオンが、特に何かを思うことはなく、自身の導師守護役(フォンマスターガーディアン)を促した。が。

 

「俺は降りるぜ」

 

 そのとき、今の今まで黙りこくっていたガイがぼそりと切り出した。

 スィンとジェイドと当人を抜かした全員が──アッシュさえも驚愕をあらわとしている。

 

「……どうしてだ、ガイ」

 

 動揺のあまり、声がかすれていた。

 

「ルークが心配なんだ。あいつを迎えに行ってやらないとな。スィンも診てもらったことだし、俺がついていく意味はない」

「呆れた! あんな馬鹿ほっとけばいいのに」

 

 この期に及んでまだルークを擁護するガイに、アニスが心底呆れたといった風情で進言するも、彼にそれを聞く耳はない。

 

「馬鹿だから俺がいないと心配なんだよ。それにあいつなら……立ち直れると、俺は信じてる」

「ガイ! あなたはルークの従者で、親友ではありませんか。本物のルークはここにいますのよ」

 

 どうしても冷たい眼になってしまうスィンの視線にも気づかず、ナタリアはアッシュの側に回ったが、同じことだった。

 

「本物のルークはこいつだろうさ。だけど……俺の親友はあの馬鹿の方なんだよ」

 

 自分では説得不可と察したナタリアが、スィンを見る。

 アッシュに対し、何かと棘があるガイとは違い、スィンは適度に柔らかな対応をしていた。アッシュの側に回ってくれることを期待したのだろうが、スィンはその視線を無視してしっかりとガイを見据えている。

 

「行ってらっしゃいませ、ガイ兄様。ルーク様をよろしくお願いします」

「……信じらんない」

 

 兄妹揃って馬鹿だと言いたげなアニスに、スィンは軽く唇に笑みを刻んで見せた。

 

「ガイ兄様やナタリア様ほどではないけど、アニスよりはルーク様のこと、知ってるつもりだからね。きっと立ち直ってくれるよ、ルーク様なら」

「……その根拠は?」

「ルーク様だから、だよ」

 

 ジェイドからの質問に即答し、呆れてものも言えなくなっているアニスから目を外し、一瞬だけアッシュの目を見る。

 つらそうに伏せられているその内で、アッシュは、そしてルークは何を感じ取ったのだろうか。

 

「僕が行くよりは、ガイ兄様のほうがお喜びになられるでしょう。ルーク様によろしくお伝えください」

「ああ」

 

 頷いたはいいが、ジェイドのもっともな質問に詰まった。

 

「迎えに行くのはご自由ですが、どうやってユリアシティへ戻るつもりですか?」

「……ダアトの北西に、アラミス湧水洞って場所がある。もしもレプリカがこの外殻大地へ戻ってくるなら、そこを通る筈だ」

 

 苦々しいアッシュの呟きが耳朶を打つ。驚いて彼を見れば、『文句でもあるのか』と、目が言っていた。

 スィンとしては、アッシュがユリアシティへ訪れたルートを尋ねて間接的にアラミス湧水洞のことを教えようと思っていたが、まさか彼が自発的にそれを教えるとは。

 

「そうか……スィン、それならダアトで落ち合おう。悪いな、アッシュ」

「……フン。おまえがあいつを選ぶのは、わかってたさ」

 

 どこか言い訳がましく彼に背を向けるアッシュに、ガイは軽く肩をすくめている。

 

「ヴァン謡将から聞きましたってか? まあ──それだけって訳でもないんだけどな」

「どういうことですの?」

 

 話が見えないと、ナタリアは尋ねたが、彼は追及を避けた。

 

「……何でもないよ。それじゃ」

「ガイ兄様!」

 

 走りかけた兄に、首から提げていたロケットを外して彼の背中へ投げる。

 片手でそれを受け止めたガイへ、駄目押しのようなスィンの言葉が飛んだ。

 

「お守りです。それを返すためにもご無事でいてくださいね、ちゃんと戻ってきてくださいね、間違ってもルーク様とカケオチしないでくださいね!」

「なんでそうなるんだ!」

 

 最後の一言にだけ反応を返し、去っていったガイの背中とアッシュを交互に見ながら、ナタリアはおろおろと、思わず言ってしまった。

 

「ルーク! 止めないのですか!」

「その名前で呼ぶな。それはもう俺の名前じゃねぇんだ」

 

 苛立ちを隠さないアッシュの怒気に押され、ナタリアが口をつぐむ。

 すっかり不機嫌になってずんずん街の外へ向かうアッシュの背中に、なんとなく親善大使となったルークの姿を重ね合わせつつスィンがついていくと、彼は睨むようにスィンを見た。

 

「どうかした?」

「……持病ってのは何のことだ」

 

 押し殺すような言葉に、スィンは軽く眉を跳ね上げて簡潔な説明をする。

 

「持病は持病さ。呼吸器系の疾患があるって、知らなかったっけ?」

「……」

 

 そういえばそうだったような、そうでもないような。微妙な顔になっているアッシュは、再び前を向いて歩き始めた。

 ナタリアが話しかけてもスルーしているあたり、ルークに何か聞いているのかもしれない。といっても、たいした情報をルークが持っているわけでもなく。

 こっそりと、もしくは無意識にちっ、と舌を打つアッシュに、他三人がいぶかしげにその様子を観察しながら密談を交わしている。

 不協和音を盛大に奏で、戦力不足が目に見えている一行にわずかな不安を抱きながら、スィンは黙して港方面を見やった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ぽろぽろとパーティ離散中。そのうち元に戻ります。
しかしまー、ジェイド。本当に厄介なもの考えてくれたもんですよねー。
預言が狂ったのは、彼の妹が不注意を起こした瞬間だったのかもしれません。
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