the abyss of despair   作:佐谷莢

39 / 140
第三十八唱——いつであれどこであれ、ついて回るは病の影

 

 

 

 

 

 

 前衛を歩いていたスィンが足を止め、それにアッシュが倣った。

 

「どうした?」

「……いや、察してよ」

 

 血桜に手をかけ、周囲を睥睨するスィンがちら、とたゆたう水面を見やる。それを見たアッシュの表情がにわかに険しくなり、遅れ気味の後衛に警告を伝えた。

 

「……気をつけろ。何かいる」

「え……!?」

 

 ナタリアの声を境に、わずかな(さざなみ)に混ざって不気味な水音が徐々に大きくなっていく。まるで一行に気づいて忍び寄ってくるかのごとく──

 

「そこっ!」

 

 わずかに変化した水面に棒手裏剣を放てば、少し前にナタリアへ襲いかかった謎生物──クラゲ型の魔物が空気の抜けるような悲鳴を洩らして水辺へ沈んでいった。

 同時に、盛大に水をかきわけて、それが姿を現す。

 長大な腕のような部位を振りかざした魚人のようなもの。ようなもの、とは、泳ぐにはちょっと要らないのでは、と思える巨大な二枚の背びれと、チーグルなら二、三十匹は入りそうな巨大口(ビッグマウス)を見ての感想だった。ただ、足が六、八本あるわ、開いた二枚貝を背負っているわ、サカナとは呼びがたいシルエットであることも事実である。

 同時に、屠ったばかりのクラゲモドキが三匹ほど生まれてきた。

 比喩の類ではない、卵生の魔物にしては珍しくそのまま生まれてきたのである。

 

「うざったい……!」

「えぇいクソッ!」

 

 それほど頑丈ではないものの、次々と生まれては襲いかかってくるクラゲモドキに、前衛組の足が取られた。

 そういう戦法なのか、前衛の気をそれている間に、変異種とでも呼べそうな魚介類は行動を開始している。長大な腕を振りかざして後衛の詠唱を止めたかと思うと、今度は巨大な泡を吐き出し始めた。

 

「うわっぷ!」

 

 横合いからアニス、もといアニスが操作する巨大化トクナガが殴りかかるも、流れた泡の直撃を食らって後退を余儀なくされている。攻撃に転じてくれたおかげでクラゲモドキの発生が止まり、足止めされていた二人はやっと諸悪の根源と対峙した。

 

「絶破裂氷撃!」

「守護氷槍陣!」

 

 度重なる泡攻撃のわずかな恩恵を見逃さず、右サイドからアッシュが吹き飛ばし、着地地点でスィンが追い討ちをかける。

 とどめを刺すには至らなかったものの、変異種魚介類は鋭い氷で傷ついた体表皮から体液をまきちらしてどう、と倒れた。

 

「手間取らせやがって、この──!」

 

 すぐさま駆け寄ったアッシュが剣を振り上げる。が、ローレライ教団の詠師に支給されるという黒剣は凄まじい音を立てて跳ね返された。

 

「うわー……」

 

 シュール、の一言に尽きる光景を目の当たりにして、スィンは思わず手で口を覆った。

 あれだけの巨体が、背中より下に当たる部分に鎮座していた二枚貝の中にすっぽり入り込んでしまっている。

 刃こぼれしている剣でアッシュが殴るように斬りつけているが、効いている様子はない。

 

「今のうちに──!」

「タービュランス!」

 

 スィンが促すまでもなく、ジェイドは詠唱を完了させていた。風の渦が時折蠢く二枚貝を激しく揺さぶるものの、効果はやはりわからない。

 追撃とばかりアニスが「ネガティブゲイトー!」と叫ぶが、譜陣が消えた後に二枚貝から出てきた変異種魚介類にはさしたる痛痒も与えていなかったようだった。

 驚いたことに自己回復能力があるのか、前衛組のつけた傷が綺麗さっぱりなくなっている。

 またもクラゲモドキを生み始めた様を見て、アッシュが嫌そうに眉をしかめた。

 

「ジリ貧だな……」

「……アッシュ、今使える第五音素(フィフスフォニム)系列の譜術教えて」

 

 いぶかしげにしているアッシュから答えをせがみ、回答を得てからわかった、と頷く。

 

「大佐、アニス! 時間稼いで!」

「……やれやれ。仕方がありませんねえ」

 

 スィンに何か策ありとみたジェイドが、ナタリアから治癒術を受けていたアニスを伴い、変異種魚介類に斬りかかりにいった。

 その背中を見送って、アッシュに振り返る。

 

「あいつの動きが止まったら、エクスプロードをブチかまして!」

 

 言い捨て、すぐさま詠唱に入る彼女に軽く頷いてから、アッシュは一匹のクラゲモドキに苦戦しているナタリアの援護へいった。

 

「……そなたが涙を流すとき群がりし愚者は、白に染め上げられし世界の果てを知る」

 

 譜陣がスィンの足元に展開したかと思うと、それは対象の足元にもシンクロして輝いた。変異種魚介類及びクラゲモドキが光の奔流に縛り上げられ、その隙にジェイドたちが退避していく。

 

「セルキーネス・インブレイズエンド!」

 

 肉眼で確認できるほどの冷気が集結したかと思うと、殻にこもる暇もなくそれらは凍結した。ナタリアに接敵していたクラゲモドキを斬り捨てたアッシュが、スィンの視線を受けて詠唱の体勢に入る。

 

「全てを灰燼と化せ……!」

 

 氷の彫像と化した変異種魚介類に、大質量の炎塊が圧倒的な勢いで降り注いだ。結果、彫像は粉々に砕け散り、鏡窟に静寂が漂う。

 敵の最後を見届けたスィンが、ほぅっ、と息を吐いた。直後、アニスが元気よく喚いている。

 

「なんなの、今の! でかっ! キモっ!」

「フォミクリー研究には、生物に悪影響を及ぼす薬品も多々使用します。その影響かもしれませんね」

 

 興味深い、と顎に手を当てるジェイドの向こうで、ナタリアがわずかに顔を赤らめながら感謝を述べていた。

 

「アッシュ……。あの、かばってくださって、ありがとう……」

「……い、行くぞ!」

 

 同じように赤くなった顔を隠すためなのか、思わず彼女から顔を背けて先を促したアッシュを、ジェイドが引き止める。

 

「待ちなさい。彼女を置いていくつもりですか?」

 

 ルークじゃあるまいし、とジェイドの言葉など最後まで聞かず、アッシュははっとしたように片膝をついているスィンに駆け寄った。

 うつむいているために表情はわからないが、胸元に添えられていた手が不意に動きを見せたかと思うと、その指が鉤爪の形へ変えられ、激しく胸元をかきむしる。

 

「大丈夫か!?」

 

 その手を掴んでやめさせ、労しげに体を支えるアッシュに「……大丈夫」と返し、スィンは懐から小さな丸薬を取り出した。

 真っ黒く動物のフンを連想させるそれを躊躇なく口の中へ放り込み、豪快に咀嚼する。顔をしかめて口元を押さえて、どうにかこうにかそれを飲み込んだらしい。

 

「お待、たせ……」

「眠そうですね」

 

 ジェイドの言葉に間違いはない。無理な譜術の行使で消耗した体は、意思とは裏腹に休息を求めていた。

 立ち上がろうとして、上体がふらりと傾ぐ。

 

「アッシュに運んでもらいますか?」

 

 眠気を払おうとしてか、その問いに対してなのか、スィンは激しく首を振っている。やがて彼女はその動きを止めたかと思うと、足元を危うくさせながらジェイドのそばへと歩み寄った。

 

「おや、私をご指名で?」

「……」

 

 かけられる声が、とても遠い。

 遠のく意識をたぐりよせるべく、スィンは眼をこすりながらも軍服に包まれたその腕を掴んだ。

 異性恐怖症と自身が呼んではばからない精神疾患が、過去負った心的外傷(トラウマ)が、全身を余すことなく粟立たせる。

 その感覚をもってして、意識を蝕む睡魔の手は退散していった。

 

「いいい行きましょう。ここここれでタルタロスまではもつはずずず」

「恐怖症を利用して眠気覚ましとは、見上げた根性ですねえ」

 

 声も体もがくがく震えている上にとても戦えるような状態ではないが、それでも運搬されるただの荷物に成り果てるよりはましなはず。

 そんな見立てのもとジェイドの腕を掴んだスィンは、次の瞬間綺麗に理性を飛ばしていた。

 えらいえらい、とのたまいながら頭を撫でるジェイドの手のひらに気がついて。

 

「ぅああああっ! やっぱり無理いっ!」

「そんなことではいつまで経っても治りませんよー」

 

 ほぼ反射的、弾かれたようにその場から逃げ出そうとするスィンを、逆にジェイドが捕まえる。

 いっそ自分から気絶してしまいたい衝動に駆られながら、肩を抱くようにしてきたジェイドの膝を蹴った。

 

「おっと」

 

 ほんのわずかに体勢を崩させただけだが、逃げるだけなら十分な隙である。

 身を翻して逃げた先は、一連の珍事を呆れたように見やっていたアッシュの後ろだった。しかし、そこは安住の地ではなく。

 

「レプリカに運ばれるのはよくて、俺は駄目な理由を言ってみろ」

「!」

 

 なんでそれを!? 

 内心をそのまま口に出しかけて、どうにか口を押さえる。

 落ち着いて考えれば、アッシュはルークと意識を繋げている。ルークが思い出したことをアッシュに読み取ることが可能なのかどうか、スィンに知る術はない。

 従って、その理由は想像するしかないのだが。

 恐怖症の余韻にて多少はっきりした意識でアッシュを見やる。一体何があったのか、彼の顔は不愉快であると主張するかのようにむっつりとしかめられている。

 それとも、元からこうだっただろうか。

 

「なんでそんなこと知ってるの」

「……」

「僕がルーク様に運搬してもらったのを知ってるのはルーク様当人にティア、イオン様に大佐……ぎりぎりアニスが知ってるかもしれないくらい。何で知ってるの」

 

 返答は、ない。それどころかアッシュの眉間の皺がいくらか深くなったような印象すらある。

 それを質問に答えていないことの苛立ちに通じていると判断したスィンは、事実を言わないためにもそれらしい理由を練った。

 ただでさえ、判明した事実にナタリアが不安定になっているのだ。その彼女が、スィンだけには違う態度を取るアッシュを見て更に不安定になっている。

 アッシュがスィンに対して優しく振舞う──飾らずにたとえるなら甘い態度を取る姿をこれ以上見せるわけにはいかない。

 それを知ればアッシュは、そしてルークは何を思うだろうか。

 

「その手は荷物を運ぶためにあるわけじゃないでしょ。前衛が抜けたら大変だよ。戦闘が」

「まあ、スィンはしばらく戦えないし。確かにアッシュの両手が塞がってると、困るかな」

 

 意図しないアニスの援護により、彼はしぶしぶながら納得の意を見せた。

 止めてしまった足を動かす一行を認めながら、すぐそばの水面に両手を沈める。噛み砕き、飲み下したはずの薬は未だスィンの喉奥にひっかかっていた。咳を繰り返すも取れる気配はなく、水筒も荷袋と共にタルタロスの中だ。

 両手に溜めた水が海水であることは承知している。とにかく喉のひっかかりが煩わしくてそれを取り除くべく、あおろうとして。

 

「海水を多量に摂取すると命を落としますよ」

 

 ぺし、と軽く手をはたかれて、溜めた水は零れて散らばる。

 彼はいつの間に戻ってきていたのだろうか。先行くアッシュの後ろについて去ったことは確認したのだが。

 ただ、この死霊使い(ネクロマンサー)相手にそれを尋ねたところで時間の無駄でもある。

 ずい、と自分の水筒を突き出してきたジェイドの顔を見、スィンはしばしの逡巡を経てそれを受け取った。

 スィンやジェイドがいないことに気づいたのだろうか。足音高く戻ってきたアッシュは、その光景を見て「あっ!」と珍しくアッシュがあせったような声を上げている。

 

「どうかした?」

「お前、それ、間接……」

 

 本当に珍しく、変に狼狽しているアッシュに、何を言いたいのか自力で察したか、彼女はこともなげに言い切った。

 

「大丈夫だよ」

「何がだ!」

「僕は性病持ってないし、軍人ってのはおかしな病気持ちだと例外なく除隊させられる規律があるから」

 

 そういう問題じゃねえ! と喚くアッシュに、他に何か問題でも? と真顔で問う。

 

「……もういいっ」

 

 どこかすねたようにずんずん歩き始めたアッシュに、首を傾げながらスィンが追った。

 呆気に取られていた三人が、ゆっくりとそれに続く。

 

「いやー、青春ですねえ」

「青春て……なんか果てしなく複雑な三角形が見えるんですけど」

 

 アッシュに追いつき、何事かを話しかけるスィンと、無視を貫くでもなくしぶしぶ応じている風を装う──しかしつり上がり気味の眼はわずかに緩んでいる──アッシュ両名を寂しそうに見つめているナタリアを盗み見ながら、アニスが押さえ気味の声で突っ込む。

 

「っていうか、大佐が仕掛けたんじゃないですか」

「仕掛けたとは失敬な。私はただ、必要に迫られるなら海水をがぶ飲みするのも厭わないお馬鹿さんに水を差し上げただけですよ」

 

 当人が離れていることをいいことに、好き勝手を述べながら、ジェイドはおもむろに返された水筒の口を開いた。

 しかし前衛は疲れますねえー、とかなんとか言いながら、水筒に口をつけようとして。

 

「テメェ、眼鏡っ! そいつに口つけんじゃねえっ!」

「アッシュ、落ち着け! 唾液なら拭き取ったってば!」

 

 またも眼を吊り上げて怒鳴るアッシュを押しとどめ、ようやく彼の言いたいことを理解したらしいスィンが弁明している。

 

「おや、拭いてしまったのですか。気づきませんでした」

 

 残念です、と真顔で(のたま)いつつ、水筒をしまっているジェイドを殺人的な視線で睨みつけるアッシュに、スィンはなだめるように言いのけた。

 

「いーい? 思春期の少年少女じゃあるまいし、この年になるとそういうことは気にしなくなるものなんだよ。も少し年食えばわかるようになるから」

「わかりたくねえよ! 大体からしててめえ、レプリカが残した果物普通に食ってんじゃねぇ!」

「……えらく脈絡がないことと、なんで知ってるのかはこの際置いといて、好物だったんだもん。もったいないじゃん」

「いい年こいた女が『もん』とかいうなっ!」

「君が『もん』とか言ってもホラーだね」

「うるせぇ!」

 

 吊り上がった眼がなかなか元に戻らないことを懸念したスィンは、不意ににこー、と意図が不明瞭な笑みを浮かべる。

 

「な……なんだ」

「まあ、落ち着こう。大佐を前にしたディストみたいになってるよ」

「あー、そういえばそうかも」

「言われてみればそっくりですねえ」

 

 何が、と返す余裕もないほど、どうやら強い衝撃を受けたらしいアッシュに「そ、そんなことありませんわ!」とナタリアが条件反射的なフォローを入れるも、彼はなかなか回復しなかった。

 彼女の励ましが、多大な救いになったことは明白であったが。

 

 

 

 

 

 いくつかの珍事を経て、当初よりずっと雰囲気が和らいだ一行を、タルタロスのすぐそばで立っていたイオンが出迎えた。

 

「おかえりなさ……」

 

 その言葉が終わる前に。大地の身震いが一行を襲った。

 

「地震!?」

「きゃ……!」

 

 危うく倒れかけたナタリアの肩をアッシュが支え、どうにか持ちこたえる。

 地震が収まった後も、彼はなかなかナタリアの肩を離そうとしなかった。

 

「あ、あの……ありがとう……」

 

 その一言で我に返ったのか、壊れ物を扱うようにナタリアの姿勢を正し、ぽつりと呟く。

 

「……前にもこんなことがあったな」

「そうですわ! 城から抜け出そうとして、窓から飛び降りて……」

 

 瞬時に記憶の再生に成功した彼女を優しげに見つめたものの、懐かく温かな思い出話から目をそむけるように、彼はタルタロスへ歩み寄った。

 

「今の地震、南ルグニカ地方が崩落したのかもしれない」

「そんな! 何で!?」

 

 思いもよらない、といった様子で、アニスが眼を丸くしている。

 

「南ルグニカを支えていたセフィロトツリーを、ルークが消滅させたからな。今まで他の地方のセフィロトでかろうじて浮いていたが、そろそろ限界の筈だ」

「他の地方への影響は……?」

 

 悠長な質問をするジェイドを、アッシュは睨むように見た。

 

「俺たちが導師をさらって、セフィロトの扉を開かせてたのを忘れたか?」

「扉を開いても、パッセージリングはユリア式封咒で封印されています。誰にも使えないはずです」

「ヴァンの奴は、そいつを動かしたんだよっ!」

 

 察しの悪い彼にイラついたか、アッシュはそう吐き捨てる。

 

「つまりヴァンは、セフィロトを制御できるということですね。ならば彼の目的は……さらなる外殻大地の崩落ですか?」

「そうみたいだな。俺が聞いた話では、次はセントビナーの周辺が落ちるらしい」

 

 一瞬黙して立ち止まったアッシュが、スタスタとタルタロスへ乗船する。

 それに続き、一行はワイヨン鏡窟を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。