the abyss of despair   作:佐谷莢

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第四唱——いざ、濡れ衣晴らしへと

 

 

 

 

 

「ここがエンゲーブだ。キムラスカへ向かうなら、ここから南にあるカイツールの検問所へ向かうといい。道中気をつけてな」

「待った。お代は?」

 

 そのまま食料の補充に向かおうとする御者の男を呼び止める。

 彼は、そっちのお嬢さんからこれを代金代わりに受け取っていると告げた。ティアも、軽くだが頷いている。

 しかし取り出されたペンダントを見て、スィンは思わず声を張り上げた。

 

「ぼったくり!」

「あんたら、首都まで行くと行っただろう。一人12000ガルドなんだから……」

「そりゃ首都まで無事に着いたらそのお値段で納得だ。でもここはエンゲーブ。三人で、あの場所からここまでの値段は?」

「お、おい。スィン……」

「値段は!?」

 

 いつにないスィンの迫力に、御者はおろかルークさえもがたじろいでいる。

 一歩前へ踏み出したスィンに押されるようにして返答された値段は、やはり大幅に減額されたものだった。

 それを聞きつけて、スィンはポケットに入っていた家政婦帽(ホワイトブリム)を取り出している。

 ひっくりかえし、裏地を破って取り出されたのは折り目のついたガルド札数枚だった。

 

「足りない?」

「……いいや。しかし、ちょっと惜しいなあ……」

 

 御者は渋々、といった体を隠さずしてスィンにペンダントを返還している。

 それを受け取り、世話になったと頭を下げ。御者を見送ったスィンはことの成り行きを見守っていたティアに向き直った。

 そのままペンダントを突きつける。

 装飾こそ控えめだが、三カラットという大粒スターサファイアのペンダントだ。売り場所を間違えなければ、十万ガルドはくだらないだろう。

 それ以上に、これは彼女が所持してしかるべきものである。ヴァンとの縁からそれを知っていたスィンであったが、当然それを表に出すわけにはいかない。

 

「──はい。どうぞ」

「あ、ありがとう……」

 

 不機嫌の形へ歪む表情を意図的に矯正して、小さく息をつく。

 ティアはペンダントを手にしたままいぶかしげにしており、スィンに無視された時点でやりとりに興味をなくしたらしいルークは物珍しげに周囲を見回していた。

 ──少し、頭を冷やそう。

 

「真に申し訳ありませんが、少し別行動を取らせていただきます」

「へ? なんだよ、急に」

「どうしたの?」

「懐が心もとなくなりました。換金できるものを現金に換えてきますね」

 

 御前を失礼いたします、とお辞儀をすると、それをティアにいさめられた。

 

「スィン。これからはそれ、やめたほうがいいわ」

「大丈夫。設定考えてあるから」

 

 じゃーねー、と手を振って、周囲の人間の視線から逃げるようにその場を後にする。

 食料品中心の露天が立ち並ぶ一画を素通りし、服飾や嗜好品を扱う一画を探した。

 ──マルクト帝国真っ只中で、キムラスカの王族に従事するメイドの制服を知っている者がいるわけないと思うが。一応念のためと、外套を買って羽織っておく。

 これから必要だと思われる細々としたものを買い付け、ついでに制服の隠しに仕込んでおいた宝飾類を換金し、備えあれば嬉しいと間違った慣用句を実感して。

 スィンが二人を探して歩いていると、入り口近くにあった家がやけに騒がしい。

 ひょい、と中を覗いて見れば、夕日色の長髪と、薄い栗色の長髪が垣間見えた。

 

(なんか厄介ごとかな……)

 

 なんとなく想像してはいた。

 初めて市場などを見るルークが、商品を勝手に取って食べてしまうとか、買い物の仕組みを知らずに商品を持ち逃げしてしまったとか、そんなトラブルを引き起こすのではないかと危惧はしていたのだが。

 開いている扉から静かに入っていき、ティアが軍人と話している間、それを見ていたルークの肩を叩く。

 

「うおっ!? って、なんだ。お前か」

「はい。──で、何がどうなっているんです?」

 

 そのとき。ティアと話していた青い軍服に眼鏡をかけた軍人がこちらを見た。

 血のように赤い緋色の双眼が印象的な、青年とも壮年とも取れない風貌である。

 

「ではあなたも──そちらのお嬢さんも、漆黒の翼だと疑われている彼の仲間ですか?」

 

 冷やしたはずの頭が、煮えていく。

 その感覚に促され、先ほど購入した片刃の剣を握りそうになりがなら。スィンは無理やり目の前の軍人から視線を外した。

 

「……ははあ。なんかやらかして、連中じゃないかって疑われてるんですね」

 

 そうルークに確認を取っている間も、ティアは軍人との質疑応答をこなしている。

 

「私たちは漆黒の翼ではありません。本物の漆黒の翼は、マルクト軍がローテルロー橋の向こうへ追い詰めていたはずですが」

「それで橋が壊されてたよね」

 

 疑いを晴らすため、スィンもわざとらしくティアに話しかけた。

 

「ああ、なるほど。さきほどの辻馬車に、あなた方も乗られていたのですね」

 

 その言葉にティアが頷く。

 

「大佐、どういうことです?」

 

 この家の主人らしき恰幅のいい婦人が、話が見えないと軍人──大佐に話しかけた。

 

「いえ、実はですね。ティアさんの仰るとおり、漆黒の翼らしき盗賊はケセドニア方面へ逃亡しました。ローテルロー橋を破壊して」

 

 事実に沿った証言に、人々はどよめいた。

 

「だから、彼らは漆黒の翼ではないと思いますよ。それは私が保証します」

「ほらみろ!」

 

 ルークが吼える。しかし、それで引き下がる人々ではなかった。

 

「だけどそれは!」

 

 村人の一人が反論する。

 

「こいつらが漆黒の翼でないってだけだ! 食料泥棒じゃないという証明にはならねえ!」

「そうだそうだ!」

 

 なんだと! とすごんでいるルークを見ながら、スィンはティアに向き直った。

 

「……食料庫で昼寝でもしてたとか?」

「……もっとひどいわ。いきなり店頭に並べてあった林檎を齧ったのよ。すぐお金を払って事なきを得たのだけれど……」

 

 宿屋前で無神経な発言を連発し、村人とのいさかいを経て食料泥棒に仕立てられてしまったという。

 ださー、と思わず呟いた直後、涼やかな少年の声が響いた。

 

「いえ、彼の仕業ではないと思いますよ」

 

 人々が道を空けた先にいたのは、少女に見紛う可憐な面立ちの少年だった。濃い翠の髪に同色の澄んだ瞳、白い法衣をまとって首から音叉を模したペンダントを下げている。

 

「イオン様」

 

 大佐が彼の名を呼んだ途端、ティアの表情が驚愕に彩られた。

 瞬きもしないで、少年を見つめている。

 

「少し気になったので食料庫を調べさせていただきました。部屋の隅にこんなものが落ちていましたよ」

 

 少年は柔らかな微笑を浮かべて、手のひらを差し出した。もこもことした原色の何かが華奢な手のひらに鎮座している。

 

「こいつは……聖獣チーグルの毛?」

 

 婦人の問いに、イオンはしっかりと頷いた。

 

「ええ。考えにくいことですが、チーグルが食料庫を荒らしたのでしょう

「ほらみろ! だから違うって言ったじゃねーか!」

 

 勝ち誇ったようにして、ルークは村人たちに不平をぶつけた。

 

「でも、お金を払う前に林檎を食べたのは事実よ。疑われるような行動をとったことについては反省するべきだわ」

 

 言い訳と屁理屈を交わす二人を視界に入れながら、スィンは興味深そうに二人を見ている大佐に目をやった。

 キムラスカ王家に連なる赤い髪と緑の眼を知っていて確認しているようにも見える。ただ二人の言い争いが面白いから見ているようにも見える。

 どちらにせよ、好意的な視線とは言いがたかった。

 視線を感じたのか、大佐がスィンの方を見やる。慌てて視線を明後日の方向へ向けるが、気づいているだろう。

 婦人が場を和ませるようにルークたちの仲裁をしている間、話しかけられた。

 

「失礼。私はマルクト帝国軍第三師団所属、ジェイド・カーティス大佐です。あなたは?」

 

 そんなことは知っているから、話しかけてくんな近寄んな。

 内心でそう毒づいて、スィンは極めて淡々と会話に応じた。

 

「……スィン・セシル。訳あって二人、というか、そっちの少年の護衛をしている者です」

 

 連れがお騒がせしてすみません、と頭を垂れると、出て行く二人に便乗して早々に退出する。

 扉を閉めてジェイドの視線を絶つと、ティアの呟きが聞こえた。

 

「……導師イオンがなぜここに……」

「導師イオン?」

 

 どこかで聞いたような、と首を傾げるルークの問いに、スィンが答えた。

 

「ローレライ教団の最高指導者さんですよ」

「……ん? でも、そいつは行方不明だって聞いてるぞ。あいつを探しに、ヴァン師匠(せんせい)、帰っちまうって……」

 

 ヴァンの帰国理由をはじめて知ったスィンは、なるほど、と心の中で呟いた。

 しかしティアは不思議そうな顔をしている。

 

「そうなの? 初耳だわ……でもそういうことなのかしら? 誘拐されている風には見えないし」

「俺、あいつに訊いてくる」

 

 きびすをかえして出てきたばかりの家へ入っていこうとするルークを、ティアとスィンが同時に引きとめた。

 

「やめなさい。大切な話をしているみたいだから、明日にでも出直しましょう」

「さんせーい。それよりルーク様、新しい剣を買いましょう。ちょうど行商人が来ているみたいで色々ありましたから」

 

 気に入ったものを懐が許してくれる限り購入して差し上げますから、となだめすかして道を歩く。

 宿屋の前を差しかかると、中から甲高い少女の声が聞こえてきた。興味本位に開いている扉から中をうかがう。

 

「連れを見かけませんでしたかぁ? 私よりちょっと背の高くて、ぽやーっとした男の子なんですけどぉ」

 

 声に見合う愛らしい少女が、宿屋の主人を捕まえてまくしたてている。

 漆黒とは言いがたい黒髪を可愛らしいツインテールに編んでおり、特徴的な制服らしき衣装をまとっている。

 その小さな肩に可愛いとも怖いとも判別しかねる人形がひっかけられていた。

 猫を模しているのかもしれないが、巨大すぎるボタンの目に大きなギザギザの歯が見える口はどうしても怪獣にしか見えない。

 

「い、いや、俺はちょっとここを離れてたから……」

 

 回答に、少女ははぅ~っ、と大げさなため息をついた。

 

「もーっ……イオン様ったら、どこ行っちゃったんだろう……?」

「イオン? それって、導師イオンのことか?」

 

 同じく興味津々で話を聞いていたルークが、反射的に口を開く。

 少女はそれを聞きつけて振り返ると、とととっと駆け寄ってきて両の拳を胸につけ、こくん、と首を傾げた。

 

「知ってるんですかぁ?」

「あ、ああ……」

「導師イオンなら、ローズさんの家にいらっしゃいましたよ」

 

 返事をしておきながら引き気味のルークに代わり、ティアが珍しく微笑みながらそう教える。

 

「ホントですか!? ありがとうございますぅ♪」

 

 ツインテールとぬいぐるみを揺らして頭を下げる。そのまま小走りで駆け去っていった。

 

「あ! ちょっとあんた!」

「はい?」

 

 きゅ、と立ち止まり、少女は振り返る。背中のぬいぐるみが同様に振り向いた。

 

「なあ! なんで導師イオンがいるんだよ! 行方不明って聞いてるぞ!」

「はうあ!」

 

 ルークの言葉を受け、少女は大げさにのけぞった。

 

「そんな噂になってるんですか!? イオン様に報告しないと!」

 

 くるりときびすを返し、あっという間に駆け去っていった。

 もちろん、ルークの問いに対する解答は得られていない。

 

「あー……くそ、理由訊けなかった……」

「そうね。でも、彼女は導師守護役(フォンマスターガーディアン)みたいだから、教団も公認の旅だと思うわ」

 

 導師守護役(フォンマスターガーディアン)? と振り返るルークに、スィンも顎に指を添えてえーと、と思い出す。

 

「導師の親衛隊だっけかな? 女性教団員で構成されていて、公務には必ず警護につくっていう」

「そうよ。神託の盾(オラクル)騎士団の特殊部隊でもあるわ」

「わかりやすく言うと、護衛従者みたいなものですね」

 

 聞き慣れた単語で、ルークはようやく納得した。

 

「あんなガキでもヴァン師匠の部下ってことか。でもなら行方不明ってのはなんだったんだよ。誤報ならマジむかつくぞ!」

 

 苛々が再発したように、ルークは足元を蹴った。

 

「今日は宿に一泊して、明日はカイツールを目指しましょう。橋が落ちてしまったなら、そこからしかバチカルへは行けないわ。後は……旅券をどうするかね」

 

 話を逸らすべくティアは早口で言ったのだが、聞いているのはスィンだけだった。

 ローズ邸がある方向を睨んで不機嫌そうにうなっている。

 

「ルーク様?」

「……っかー! やっぱ腹の虫が収まらねえ。このままじゃ帰るに帰れねえぞっ!」

 

 吼えるように叫びだすルークに、ティアは呆れた、と額を押さえた。

 

「まだ怒ってるの?」

「当たり前だろ! 泥棒呼ばわりされたんだ!」

 

 理解できないとばかりにティアは頭を振ったが、スィンはまあ確かに、と心中で呟く。

 今まで、親を除く誰もが彼に頭を下げ、生まれだけで敬われていた箱入り息子なのである。

 隠してはいるが、ティアや村人のいわゆる普通の言葉にも対応しきれていないし、混乱している様子もあった。

 どうにかスィンの敬語と態度で自分を状況に慣らしているようだが、さすがにこれはどうにもならなかったようである。

 誇り高きファブレの血脈は、こんなところで子供のように発揮されていた。

 

「それでは、どうなさるおつもりなのです?」

 

 現行犯確保に食料庫の見張りでもなさいますか? という揶揄の含まれた言葉に、ルークは頬を膨らませた。

 

「……なあ、チーグルってどんな奴なんだ? 聖獣とか言われてたけど」

「東ルグニカ平野北部の森林地帯に生息する草食獣の一種、って聞いています。一応魔物に分類されているようですが」

「この村の北辺りね。ローレライ教団では始祖ユリアと並ぶ象徴とされているわ」

 

 各々の知る情報を聞いた後、ルークは顔を上げて宣言した。

 

「明日、その森に行く」

「行って何をなさるのです?」

 

 わかりきっていることではあるが、一応訊く。

 

「決まってる。連中が泥棒だって証拠を探すんだ」

「無駄だと思うけど」

「うっせーな! もう決めたんだ!」

 

 ティアの的確な突っ込みにも取り合わず、ルークはずんずんと肩を怒らせて先を行ってしまった。残された二人は顔を見合わせる。

 

「──迷惑かけるね。ウチのぼっちゃまが」

 

 正確には違うけど、と苦笑を浮かべるスィンに、ティアは嘆息で応じた。

 

「ごめんなさい。そんなことはない──なんて、お世辞でも言えないわ」

 

 ひとしきり笑った後で、スィンは急に真顔になって尋ねる。

 

「ヴァンのことだけど、何をもって彼が裏切り者だと?」

 

 兄の名を聞き、ティアが顔をこわばらせた。かまわず、話す。

 

「あなたがあの人の妹であること、のこと故郷のこと、一通り知っているつもりなんだけど。何かあったの?」

 

 驚きを隠せない様子で、ティアはスィンを見つめた。色違いの双眸は揺らぎもせず彼女を見つめている。

 

「おい! お前ら何やってんだよ!」

 

 ルークの怒鳴り声でスィンは今参ります、と小走りに駆け去った。

 ティアの沈黙をどうとったのかわからないが、そのような話をしていたことをおくびにも出していない。

 彼女を信頼するにはまだまだ刻が必要だと考えながら、ティアはスィンの手招きに応じた。

 

 

 

 

 

 

 




護衛従者とは、この話オリジナルの用語です。劇中において(多分)存在しないので、ご注意を。
護衛兼従者の略ですが、意味としては漢字の意味そのままですね。
謎はいよいよ深まりつつ、次回は森の中。マスコット登場です。
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