the abyss of despair   作:佐谷莢

56 / 140
第五十五唱——はしゃぐが許されるは、純粋無垢の象徴のみであった

 

 

 

 

 どこぞで大地が崩落しようと、砂漠は変わらぬ暑さだった。道行きの最中、地面の陥没こそ見受けられなかったが、岩場に見られる大地の亀裂が崩落の前兆を物語っている。

 地平線の彼方が陽炎で揺れるオアシスの、落下譜石がもとでこんこんと沸き出でる泉の袂に、またもやルークを呼び出した人物は身じろぎもせず佇んでいた。

 纏う黒衣の外套が、見ているだけで暑苦しい。

 遠目からその姿を見つけ、スィンはくるりと一行に向き直った。

 

「ちょっとこの変装でアッシュが気づくか試したいので待っててもらえますか?」

 

 そう言って、スィンはとっととアッシュの元へ向かっていった。

 ざくざくという砂を踏む音はない。スィンが特殊な歩き方をしているため、摩擦による音が消失しているのである。

 足音がないせいで気づけないのか、アッシュはスィンの接近をやすやすと許してしまっていた。

 

「ふっ!」

 

 短い呼気と共に、鞘つきの血桜が彼の脳天へ迫る。

 そこでやっと背後の気配に気づいたアッシュが真横へ逃げ、スィンの姿を垣間見てその表情に困惑を宿らせた。

 気づいていない。

 思いの他変装が通用している。そのことが嬉しくて、スィンは軽く口元を緩めながら鞘がついたままの血桜を突き出した。

 アッシュが抜刀する。血桜に抜き身の刃が接触する直前手首をひねって回避させ、わき腹に突きを入れた。

 

「ちぃっ!」

 

 防御が間に合わず、わざと間合いを詰めることでダメージを最小限に抑える。

 どすっ、と入った見た目ただの棒の持ち主を忌々しそうに睨み、アッシュが罵声を張り上げた。

 

「てめえ、誰の差し金──!」

「僕だよ」

 

 罵声とともに振り下ろされたアッシュの黒剣をのぞかせた刃で受け、そのまま抜刀する。

 現れた緋色の刃を瞳に焼きつけ、眼前の外套を着込む女をまじまじと見つめ、アッシュははっと目を見張った。

 

「シア……!?」

「正解。こっちの状況、そんなには確認してないんだね」

 

 そんなら知らせておこう、と言って一歩引き、血桜を腰へ収める。眼鏡を取り、瞳に貼り付けたレンズを外せば、緋と藍の眼がそこにあった。払った外套の下に、マルクトの軍服を着ている。

 その変装の意味を尋ねようとして、彼は思い当たるフシを口にした。

 

「……そうか。緊急招集がかかったのか」

「らしいね。退役した奴を招集できるなんて初耳だよ」

「退役した奴は、ほとんど使い物にならねえからな──」

 

 にしても。

 スィンはアッシュの携える黒剣を見て、実に朗らかに言い切った。

 

「アッシュ。いい加減、その剣は換えないと死んじゃうよ」

「……うるせえ、手入れなら欠かさずしている。大体、そんなけったいなシロモノ持ってるてめえに言われたくねえ」

「けったいって、失礼な。これ一応僕んちに代々伝わる由緒正しき妖刀なんだけどな」

「妖刀って時点でけったい以外なんでもないだろうがっ!」

 

 アッシュの黒剣は、彼がダアトからバチカルへ逃亡する際スィンが寄越した剣である。

 当時シア・ブリュンヒルドとして元祖・六神将とでも言うべき立場に属していたスィンに支給されたものなのだが、彼女にはすでに愛刀・血桜があり、要らないから、という理由で何も知らないアッシュ──ルークだった頃の彼にあげたのだ。

 それからというもの、彼は七年という年月が経っても換えようとしていない。

 ふう、と息をついたスィンが、後方へひらひらと手をやる。それに誘われるように、とばっちりを食わないよう避難していた一行がやってきた。

 アッシュの表情が、柔らかなものから硬質化していく。

 

「やっと来たか……」

 

 まるで人が変わってしまったように、アッシュは無愛想に彼らを迎えた。

 ルークはその対応に早くも慣れたのか、何かを気にした様子もなく用件を尋ねている。

 

「話ってなんだよ」

「何か変わったことは起きてないか? 意識が混じり合ってかき乱されるというか……」

「はぁ? 意味わかんねぇ……」

 

 ルークは頭をがしがし掻きながらそう答えたものの、スィンはさっと顔を曇らせた。

 意識が混じり合う? かき乱される? 

 それは、もしかしなくても──

 

「おまえが俺との回線を繋いでこなければ、変なことは起きねぇし……」

「……そうか」

 

 スィンほど近くに寄らなければ、聞こえないような呼気が洩れる。ため息か、それとも安堵の吐息か。

 

「アッシュ。何かありましたの? どこか具合が悪いとか……」

「……別に」

 

 心配そうなナタリアの様子に照れているのか、それとも他の理由あってか、彼は一瞬の沈黙を経てやはり無愛想に答えていた。それがガイの反発心を呼ぶ。

 

「おい、それだけかよ」

 

 ガイの抗議を跳ね除けるように、アッシュは一呼吸置いて衝撃の事実を語った。

 

「……エンゲーブが崩落を始めた。戦場の崩落も近いだろう」

「そんな!」

「このままでは、戦場にいる全員が死んでしまいますわ!」

 

 自身を省みないナタリアの言葉を聞き、アッシュはおそらく我を忘れたのだろう。きつくなりすぎない程度に彼女を睨み、怒鳴った。

 

「馬鹿野郎。ここにいたら、おまえも崩落に巻き込まれて死ぬぞ!」

「そんなことわかっています。ですからわたくしたちは、セフィロトの吹き上げを利用して、ケセドニアを安全に降下させるつもりですの」

 

 わかりやすい説明だが、彼にとっては初耳なのだろう。彼の眼がスィンを映した。

 

「……そんなことができるのか?」

「──確約はできない。ほとんど裏技みたいなものだし」

 

 ひどく強引なやり方ではあるが、できないことはない。スィンとしては、その代償たる歪みが気になった。

 が、それを話したところで対応策が見出せるわけもなく、心配の種を増やさないために黙秘を続ける。

 ──それに、聞かれたわけじゃないし。

 

「もしその話が本当なら、同じ方法で戦場も降下させられるんじゃないか?」

「でも、シュレーの丘に行くのが間に合うかどうか……」

 

 アッシュの提案にティアがそう応じたが、彼は鼻を鳴らして断言した。

 

「間に合う。そもそもセフィロトは、星の内部で繋がっているからな。当然、パッセージリング同士も繋がっている。リングは普段休眠しているが、起動さえさせれば遠くのリングから別のリングを操作できる」

 

 一言一言を噛み締めるように吟味していたジェイドが、確認しやすいよう単語を並べてアッシュに確認を取る。

 

「ザオ遺跡のパッセージリングを起動させれば、すでに起動しているシュレーの丘のリングも動かせる?」

「そうなんだろう?」

「……うん」

 

 なぜだろう。ものすごく気になることがあるはずなのだが、もやもやと渦巻くだけでなかなか形を成さない。

 しかしアッシュの言葉は事実だ。否定すべき要素は何もない。

 どこか上の空であるスィンの様子がおかしいことに気づいたのか、アッシュがスィンの顔を覗き込む。

 スィンはこれ幸いと彼の耳を掴むと思い切り引き寄せた。それに彼が気を取られている間に身体を寄せて、もう片方の手を動かすことも忘れていない。

 

「っ、お──」

「ローレライが呼んでいるのかもしれない。体調に不備があっても、君の場合フォローのできる人間がいないんだから、重々気をつけて」

 

 ぱっ、とアッシュの耳を解放し、スィンはなんでもないような顔をして、ぴっ、と人差し指を立てた。

 

「君の言葉は事実だし、大佐の言っていることも可能ではある。だけど、ヴァンの小細工もそうだし、僕らが試みる方法はお世辞にも正攻法とはいえないから、少し心配なんだよ」

 

 上の空であった理由を語るかのような言葉に、アッシュは納得したようにわずかに目元を緩ませた。

 そして一瞬目蓋を閉じ、これで用は済んだといわんばかりにスィンの隣を過ぎ、ルークを押し退けるようにすたすたと歩み去る。

 当然、ナタリアがその背に呼びかけた。

 

「アッシュ! どこへ行くのですか」

「俺はヴァンの動向を探る。奴が次にどこを落とすつもりなのか、知っておく必要があるだろう。……ま、おまえたちがこの大陸を上手く降ろせなければ、俺もここでくたばるんだがな」

「失礼な奴」

 

 スィンの呟きはナタリアの砂を踏む音にかき消され、誰の耳にも届きはしなかった。ナタリアは片手を挙げ、毅然とした面持ちでアッシュに迫っている。

 

「約束しますわ。ちゃんと降ろすって! 誓いますわ」

「指切りでもするのか? 馬鹿馬鹿しいな」

「アッシュ……!」

 

 幼少より変わらぬ彼の弁に、少なからず衝撃を覚えたのか、ナタリアは驚いたようにアッシュを見つめた。

 

「世界に絶対なんてないんだ。だから俺はあの時……」

 

 言いかけて、口を閉ざす。彼は二度と振り返らなかった。

 

「俺は行くぞ。おまえらも、グズグズするな」

 

 さっさと立ち去るアッシュだったが、後ろから聞こえてきた言葉に眼を剥いて、ばっ、と振り返った。

 

「アッシュ~! いい機会だから、新しい剣買っとけよ~!」

 

 視線の先では、剣帯ごと外された彼の黒剣を高々と抱え、満面の笑顔で見送るスィンの姿がある。

 どうやら耳を掴まれた際、まんまとスリ取られてしまったらしい。

 

「お前、いつの間に……」

 

 ガイが呆れたようにスィンを見るも、彼女の視線はアッシュの黒剣に釘付けだった。慣れた手つきで抜剣し、かざすようにして状態を診て図る。

 

「……大分刃こぼれが目立つね」

「手癖の悪りぃガキみてぇなことしてんじゃねえ!」

 

 ざっざっざっ、と駆け寄ってきたアッシュの手から鞘に収めた黒剣を遠ざけつつ、スィンはひらひらと彼から逃れた。

 

「心だけでも、乙女のままでいたいなー、僕」

「乙女とか言うガラかっ!」

「ごもっともですねえ」

 

 外野の茶々はこの際気にしない。

 

「二人とも、どこまでいくのー?」

「こいつに聞け!」

 

 泉のほとりにそって後退するようにアッシュを誘いこみながら、スィンは軽く眼を細めてアッシュを、フォンスロットを意識した。

 見えない糸を絡めるように、何かが繋がったような感触を得る。

 

『あー、あー。テステス。アッシュ聞こえる?』

「っ……!」

 

 アッシュの顔が苦痛に歪んだ。黒剣を持った手で体を支えてやりながら、話しかける。

 

『繋がった? 会話できるかな?』

『……ああ。この間からの頭痛と幻聴は、お前のせいだったのか?』

『違う。さっきも言ったとおり、ローレライがなんらかの原因だと思われる。ついさっきルークに連絡したろ? そのとき僕にも聞こえたから、ちょっと試してみた。同位体同士の回線に割り込めるなんて、相当不安定になってるみたいだ』

 

 頭痛のほどを尋ねれば、耐えられないほどではないとの返事が寄越された。やせ我慢だということが、ありありと伝わってくる。

 

『……あんまり頻繁には使えないね』

『へ、平気だと言っている。俺はレプリカとは違うんだ!』

『はいはいそうですか、っと』

 

 早々に切れば、アッシュは額を押さえつつも黒剣を取り上げ、それでもなかなか離そうとしないスィンの胸倉を掴み上げた。

 後はこれも、伝えておかなければ。

 

「っ!」

「平気だと言って……シア!?」

 

 突如加えられた衝撃が、耐えてきた苦しみの波を増長させる。

 苦悶を浮かべて脱力したスィンを、アッシュはできるだけ負担が少ないようその場へ座らせた。今なら、譜石の陰にいることにも加えてスィンの姿はアッシュの陰に隠れて見えないはず。

 即席の衝立に甘えて、こみ上げてきたものを耐えずに吐き出した。

 

「シ……!」

 

 アッシュの口を押さえ、予想される吐血が彼にかからぬよう、顔を背けて地面を見る。

 濁った咳は、毒々しい赤の雫を伴って、砂漠へと吸い込まれていった。ひとまず収まったことを悟り、口の端を伝う雫を舐め取る。

 驚愕のあまり動けないアッシュから手を離した。

 

「驚かせちゃったね」

「お前……いつから」

「大分前から。ベルケンドで医者にかかってたろ? あれだよ」

 

 水分を吸収した血溜まりに砂をかけて隠蔽し、手巾をほとりでしめらせて口元を拭う。ルージュを塗ったように赤かった唇が、元の色を取り戻した。

 

「詳しいことはまた今度。君になら、話せるから」

 

 皆と同じように、彼は優しいけれど。一度憎しみを抱いた相手になら、きっと冷酷でいられる。いてもらわなければ、困る。

 取り出した洒落た小瓶のノズルを押し、霧状となった液体を胸元に吹きかけると、血の匂いが薄れた。

 

「大丈夫……なのか」

「今に始まったことじゃない」

 

 その言葉に動揺するアッシュから、再び黒剣を取り上げる。予備動作なく走り出せば、後ろから騒々しい足音が聞こえてきた。

 来た方向を逆走すれば、やがて面々の顔ぶれが見えてくる。

 

「あ、帰ってきたよ!」

 

 手を振るアニスにちゃくっ、と敬礼をして、素早くナタリアの後ろに回りこんだ。

 追いついてきたアッシュと、ナタリアを支柱にくるくる鬼ごっこを続ければ、痺れをきらせたらしいガイが「スィン!」と怒鳴った。

 

「いつまで遊んでんだよ、お前は!」

 

 彼の眼からすれば、否、彼の眼でなくてもふざけているようにしか見えないスィンから黒剣を奪い取り、ん、とアッシュに手渡す。

 

「こいつが迷惑かけた」

 

 詫びとばかりにスィンの脳天に拳骨を下ろせば、彼女は軽い拳打に「痛たたた」と頭を抱えていた。

 

「痛いです、ガイラルディア様。背が縮みます」

「じゃあやるなって」

 

 痛みを緩和させるかのごとく、わしわしと豪快に彼女の頭を撫でるガイを見て、アッシュは少し驚いたようにぽつりと零す。

 

「……治ったのか?」

「僕だけね。僕はトクベツなんだって」

 

 そっ、と丁重に自分の頭の上からガイの手を外し、ひらりと手を振った。

 

「じゃ」

「……ああ」

 

 今度こそ立ち去ったアッシュの背中を、いつまでも眼をすがめてナタリアが見送る。

 

「それで──アッシュの奴、結局なんの用だったんだ?」

 

 彼の意図を探りかね、ルークがため息をついた。

 

「話すだけ話して行っちまったけど」

「そうですわね。久しぶりに会ったというのに……」

 

 それでも、ナタリアの表情はわずかに明るくなっている。少しずつ、偽者呼ばわりされたショックから立ち直りつつあるようだ。

 

「よくわからない奴だよ。あいかわらずな」

「用件はよくわかりませんでしたが、重要な情報を届けてくれましたよ」

 

 放り出すようなガイの弁には取り合わず、ジェイドがレンズの砂を払った。

 

「戦場の崩落、パッセージリングの性質……まあ、後者はスィンから教わったような感じでしたが」

「やはり、わたくしたちを助けようと……」

「それはどうでしょう。結論を出すのは早計というものです」

 

 どうしても好意的になってしまうナタリアの意見を、ジェイドがばっさり切り捨てる。

 ふと、真紅の眼がスィンを見た。

 

「──スィン。レンズに赤いものが付着していますよ」

「へ?」

 

 どこか含みを感じさせるジェイドの指摘に眼鏡を外すと、先ほど吐き出した紅色の飛沫が付着している。

 爪を立てて剥がすと、「傷がつく」とジェイドにいさめられた。

 

「……扱いが難しいね」

「そうですね。激しい運動をすると容赦なく落ちますので、今は外しておいたほうがいいかもしれません」

 

 助言に従い、眼鏡を制服の内ポケットに収納する。

 ロスしてしまった時間を厭うように遺跡へ進むことを促され、ロスの主な原因たるスィンは口を閉ざしてそれに従った。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。