the abyss of despair   作:佐谷莢

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第五十七唱——緊張の中で揺れる、淡いひとときと爆弾発言

 

 

 

 以前イオンが六神将に脅され開けた、かつて封印の扉があった場所をくぐり、中へと踏み入る。遺跡内のひんやりとした空気とはまた違う、厳かなような静謐なような、侵されざる神秘の匂いが一行を包み込んだ。

 道なりに進んでいた彼らであったが、ふと唐突に開けた場所に出で、その光景に眼を奪われる。一行の進む道は空中に差し込まれたような通路で、その側面には超巨大な空間が広がっていた。

 遥か眼下に、かすんで見えるパッセージリングが臨める。

 

「ほわ~、ひろーい! たっか~い!」

 

 アニスの歓声は単純明快にして純粋な感動によるものだった。黙して光景に見入っていたルークが珍しかったのか、ティアが彼に声をかける。

 

「どうしたの、ルーク」

「こんな物の上に暮らしてたなんて、信じられねーやと思って」

 

 それはこの光景を知らない人間に言える共通の感想だろう。口に出してどうにかなるわけではないが、彼女は冷静に人間の矮小さを語った。

 

「でも、これが事実よ。人間は自分の範囲にあるものしか、目が入らないのね」

「……しかし好奇心、知識欲は時として要らぬ事実を人に突きつける」

 

 どこか自嘲気味にジェイドが呟いたが、ガイによってあっさり流される。もっとも、間違ってはいないのだろうが。

 

「外殻大地と同じだな」

「それでもわたくしたちは見てしまったのですから、現実から逃げる訳にはまいりませんわ」

 

 逃げたところで、待っているのは様々な意味での終焉だ。世界は預言(スコア)に踊らされ、そして──

 

「……急ごう。崩落は俺たちを待ってくれねぇんだ」

 

 何の記憶も浮上してこないことを確かめてから、一行に続く。

 眼下に見えた霞はスィンの眼鏡のような伊達ではなく、パッセージリングへ至るまでの道のりは長かった。時折おかしな行き止まりに突き当たっては分岐まで戻り、ようやくたどり着いたときには皆、それぞれに疲労の色が見える。

 

「では、お願いします」

 

 その中でも、あまり疲れているようには見えないジェイドの言葉に頷き、スィンは制御盤のところに両手をかざした。パッセージリングが起動する。

 おかしな細工はされていないか、用心深く巨大音叉の上空に浮かんだ譜陣を見ていたスィンは、一瞬走った赤太いフォニスコモンマルキスを目にして思わず声を洩らした。

 

「う」

 

 瘴気──正確には瘴気に侵された第七音素(セブンスフォニム)を取り込んだことで、鉛を着せられたような重量感が体をずしりと重くさせる。

 しかし、理由はそれだけではない。

 

「どうした?」

「……あ、いえ。何でも」

 

 パッセージリング上部に走った文字。それを眼に留めたのは、スィンだけではないようだった。

 

「やっぱり総長が封じてますか」

「そのようですね。しかし……セフィロトが暴走……?」

 

 ガイの心配を適当にごまかして、ルークを招き、立ち位置を変える。確認──失敗だけはしないように──するように、ルークが尋ねてきた。

 

「なあ、赤いところを削り取るんだよな」

「そう。おかしな細工は見受けられないから、この間のように」

 

 くるり、と削り取られていく赤い軌跡を眺めながら、指示をジェイドに任せる。もともと言い出したのは彼なのだから、大事はないはず。

 パッセージリングに何もないとしたら、周囲に何かあるのかもしれない。それを確認したかった。

 裏技に近い操作はちゃくちゃくと進む。

 

「この後は?」

「ああ、はい。光の真上に、上向きの矢印を彫りこんで下さい」

「私が代わりましょうか?」

 

 ティアはそう申し出ていたが、残念ながら、とジェイドは首を振った。

 

「いえ。強引に暗号を消去していますから、通常の操作では書き込みができません。ルークの超振動で、無理矢理に削っていかないと……」

 

 そうこうしているうちに、ルークが矢印を描き終える。

 

「次に命令を記入しますが、古代イスパニア語は……わかりませんよねえ?」

「当たり前だろっ!」

 

 古代イスパニア語は、日常生活で使用されているフォニック言語とは違い、教養的な分野で教えられる言葉だ。

 士官学校では教えられると聞いたし、王侯貴族も基礎的な教養で家庭教師に教えられるため、本来は知っているべきなのだが、彼の事情は根本的に異なる。

 彼に文字を教えたガイも、スィンの祖父たるペールが教えたのだから知ってはいるのだが、それを教える余裕も、ルークにそれを覚える余裕もなかったと聞く。

 それを知って知らずが、ジェイドは笑ってルークの逆切れを受け流した。

 

「わかりました。今使っているフォニック言語でお願いします。文法はほぼ同じですから、動くでしょう」

「なんて書くんだ?」

「ツリー上昇。速度三倍。固定」

「わかった」

 

 自分の手で書くのと超振動で刻むのはやはり勝手が違うのか、もともと達筆とはいえない字が更に少し歪んだ文字でそれが描かれた瞬間。

 パッセージリングの遥か下から記憶粒子(セルパーティクル)がせり上がってきた。

 細工が発見できなかったパッセージリングの周辺と同じく、おかしなところは一切ない。

 

「うまくいったみたいだな」

「でもまだ、エンゲーブが……」

 

 アニスの指摘を受け、ジェイドは立て続けにルークへ指示を出した。

 

「続いて、第四セフィロトから第三セフィロトに線を延ばしてください」

 

 空中に光の線が刻まれ、セフィロトを示す円陣が繋がる。第四セフィロトから光が伝い、第三セフィロトに輝きをもたらした。

 

「あとは第三セフィロトに、先程と同じことを書き込んでください」

「第三セフィロトってのがシュレーの丘なんだな。やってみる」

 

 このとき。ふと何かを考えついたらしいアニスが、制御盤を見つめるスィンにたたっ、と寄ってきた。

 

「ちなみにさ、ルークが綴りを間違えたらどうなるのかな?」

「パッセージリングが命令を読み取れなくて暴走──」

「そうなのですか!?」

 

 会話は丸聞こえだったらしく、ナタリアの悲鳴のような声でスィンの言葉が中断される。

 ぴく、とルークの手が止まり、彼は慌てて文字の刻まれた上部を見直していた。その苦労を無にするように、スィンの言葉が再度綴られる。

 

「──することなんかはなくて、多分命令がされていない状態での不完全な降下が始まってしまうと思う。どこを間違えるかにもよるけど、まずいことに変わりはないよ」

「お、驚かせるなよな……」

 

 気が抜けたように脱力しつつも、彼は平静を保って一気に文字を刻み上げた。

 スィンと同じく制御盤を見るジェイドがぽつりと零す。

 

「……降下し始めたようですね。念のため降下が終了するまで、パッセージリングの傍に待機していましょう」

 

 そこで、各自は思い思いの休憩を取った。

 スィンを除いた女性陣、ジェイドを除いた男性陣が少し離れた場所で横になる中、スィンはその場を座ったまま、約一名も離れようとしない。

 制御盤、そしてパッセージリングそのものを無言で監視しているうち、初めはいないものと考えていた隣の存在が妙に気になってきた。

 

 見るな。見たらもっと気になる、絶対気になる。

 

 ジェイドは何をしているんだろうと何故か気になる好奇心と、見たらきっと厄介なことに、と警告する理性。

 相反する心は同時に存在を主張し──スィンの本心を勝ち取ったのは好奇心だった。

 心持ち顎を引き、そーっと視線を移動させてジェイドの顔を盗み見る。顔は固定したまま、眼球だけじりじりと動かしていって──がちっ、と固まった。

 ジェイドの顔はある。しかし、それは横顔ではない。ジェイドはパッセージリングを見てはおらず、スィンを凝視していたのである。

 それを頭が認識した途端、石化していた目蓋が瞬き、眼球の位置が元に戻った。

 内心だけであるはずの困惑をジェイドはしっかりと観察していたようで、彼はくっくっ、とハトのような含み笑いを洩らしている。

 妙に気になっていた原因が、ジェイドの視線だったとは。いたたまれなくなったスィンは、完全無視を諦めて彼に話しかけた。

 

「……人の横顔見てて楽しいですか?」

「そうですね。私に視線に気づき始めたあなたを観察するのはなかなか面白かったですよ」

 

 ふざけろ、このクソオヤジ。

 こんなことを口に出しては何をされるかわからないため、比較的どうでもいい話題を取り出してみる。

 

「休まなくていいんですか? これまでの行程、年寄りにはきついと思うんですけど」

「年寄りの部分だけ変えてお返ししますよ、先天性の疾患を抱えた騎士くずれのお嬢さん」

「騎士くずれ……一応騎士の家の子なんですけどね。ついでに、お嬢さんなんて歳でもない」

 

 どうやら元より、彼はスィンと同じくパッセージリングの監視を努めようとしていたらしい。よく年寄りぶって楽しようとするくせに、こういうところはマメな人だ。

 

「一応細工は見受けられなかったけど、何か不具合が起こっても困る。緊急の際はすぐ動けるようにしておきたいんです」

「そうですか」

 

 疲れていたのだろう。後ろの方で、いくつかの寝息が聞こえてきた。 パッセージリングは変わらず記憶粒子(セルパーティクル)を制御し、唯一制御盤がゆるやかな大地の降下を教えてくれる。

 うーん、と伸びをしながら後ろへ倒れ、床に背を預ければ、記憶粒子(セルパーティクル)の上りゆく光景が見て取れた。

 きらきらと宙を舞うその姿は、まるで魂が天へ召されていくかのようだ。

 後頭部に両手を当てて腹筋で起き上がると、ジェイドが話しかけてきた。

 

「──スィンは、グランツ謡将と親交がありましたね。彼がどういった人間なのか、お尋ねしてよろしいですか?」

 

 それならティアに聞けばいいのに。そう言いかけて、スィンは口を閉ざした。

 今の状況下でティアに、あるいはルークにそれを尋ねるのは少なからず酷だ。

 どういった意図でスィンにそれを尋ねたのか、あるいは単なる興味からのものか。それを図りかねたので、追求はやめた。

 

「どういった人間……ティアに似てますね。生真面目で、優しい。頑固で厳しくてちょっと口やかましいけど、人間味がありますよ。まあ、これらは多分気を許した人間のみですね。時々容赦というものを忘れる。裏切り者には冷たい。年齢の割に言動が渋い。……大佐とは正反対」

 

 好き勝手にヴァンの特徴を挙げ連ねた彼女であったが、その顔色に嫌悪はない。むしろ在りし日の思い出を懐かしがっているように見える。

 

「戦闘タイプは基本剣士、けど第七音素(セブンスフォニム)を扱う素養を持ち、譜術の行使も可能。体格が恵まれているために小細工は通用しないことの方が多い。知略策謀にも長ける──けど、大佐と比べるとなると難しい。亀の甲より年の功で大佐が上と考えるべきかな?」

「好きにしてください」

 

 初めて得られた気のない感想のような回答にジェイドを見れば、彼はまるで拗ねた子供のように三角座りで向こうを向いている。

 なんとも珍しいポーズにどうかしたのか、と問えば、彼はちらっ、とスィンを見て呟くように言った。

 

「あなたは、よっぽど深くヴァンに惚れていたんですね」

「……そりゃまあ、一応。指輪も交わした仲ですし」

 

 オールドラントの婚姻は、基本的に規定年齢に達した男女が指輪を交わし合った時点で夫婦の契りを交わしたということになる。どこそこへ書類を提出しなければいけないということはない。精々、両親の許可を得るくらいだ。

 王侯貴族などは種々の儀式を行わなければ正式に認められないのだが、一般市民は初めに指輪を取り交わし、そして披露宴にて近しい人間たちに発表すれば晴れて夫婦となる。

 

「僕たちの場合、それを教えなきゃならない人間は数少なかったし、下手にばらして有事の際の弱みに繋がっても困るから、公言だけはしなかったんです。まあ、こんな状態になってしまったので、しかるべき措置を取りましたが」

 

 左の小指にはめた指輪。

 一度ルークに響律符として見せたものだが、これは夫婦の契りを交わした証と言う役割も兼ねていた。

 

「……そうですか。それは良かった」

 

 何が良かったのかスィンにはわからなかったが、とりあえず納得したようなのでよしとする。

 そこで、何を思ったのかジェイドはゆっくりと頭を、体を傾け──

 

 ぽふ。

 

 適度な重みと表現するが正しい重量が、スィンの太腿に転がった。

 

「……った」

「気が抜けてしまったので少し仮眠を取らせてもらいます。異性恐怖症を治す訓練だと思って、頑張ってください」

 

 事態が把握できなかった上一方的にまくし立てられたためにフリーズした思考は、時間と共に解凍されていく。ちら、と己の膝を見やれば、そこには茶の色合いが強い蜂蜜色の髪が無造作に投げ出されていた。

 ジェイドが、スィンの膝を枕にして寝ている。

 珍しいだのなんだの思う前に、男の頬が自分の太腿に押し当てられているこの感触が、背筋を総毛出たせた。震える手でジェイドの頭を掴んでどかそうとしたのだが、彼は頭を触られた時点で腕をスィンの腰に絡めてきている。

 悲鳴を上げそうになって、自分の口を手で塞いだ。寝息は絶えず聞こえてくるのだ。たとえさっきのやり取りで寝息がいくつか減ったような気がしても、誰かが寝てる以上起こすのは可哀想だった。

 

 これは石。ちょっと温かくて呼吸をする、毛と腕が生えた石。自らにそう言い聞かせて、深呼吸を繰り返し、震えを抑えて、叫びながら立ち上がりたい衝動を堪える。異性恐怖症を治す訓練として度々行う大佐タッチ、触れ続けた時間としては大幅更新となるだろう。

 

 そのままの体勢でいること、しばし。人間の頭はやはり重く、もう少ししたら痺れてきそうだな、と思った時点で、足元が軽く揺れたような気がした。

 ジェイドを揺さぶって起こし、膝からどけて制御盤を覗き込む。異変を感じ取ったのは皆も同じなのか、背後で身動きするような気配を感じた。

 

「二人とも、どうだ?」

「完全に降下したようです。パッセージリングにも異常はないですね」

 

 ルークの問いに、ジェイドが振り返ってそう答えた。確かに、異常は見受けられない。気がかりは、ひとつに絞られた。

 

「よかった。……へへ、何かうまく行きすぎて、拍子抜けするぐらいだな」

 

 そう思う気持ちはよくわかるが、彼には方向性が違うとはいえ前科がある。その傍に駆け寄り、アニスがルークの脇腹をついた。

 

「あんまり調子に乗らない方がいいんじゃないですかあ?」

「……う、それはそうかも」

「お、しおらしいな」

 

 からかいの含まれるガイの言葉に、ルークは真摯に返した。その声音には、これ以上ないくらいの切実さがこもっている。

 

「調子に乗って、取り返しのつかねえことすんのは……怖いしさ」

 

 ふと彼は、眉根を寄せた。

 

「ティア。んな顔しなくても俺、もう暴走しねーって」

「ううん。そうじゃないんだけど……」

「きっと疲れたんだよ。なんだかんだで降下に丸一日以上かかってるもん」

 

 今しがたのパッセージリング起動に彼女は関わっていないはずなのだが、以前の起動が関係しているのだろうか。

 単に疲れたというのも、ルークへの心配もあるかもしれないが、瘴気を直接吸収したのだ。関係ないとは言い切れない。

 スィンがそれを心配した直後、ぐらりと視界が揺れた。どうにか体を安定させようと失敗し、そのまま真横に倒れこむ。

 

「大丈夫か!?」

「……すみません。なんか、眩暈が……」

 

 ガイの胸の中で、彼に頼らまいと足を踏ん張ろうとして失敗した。完全に砕けた膝が自重に従い、腕が彼に抱きつく形となる。

 安定しない視界を正常化させるべく幾度か眼を瞬かせ、深呼吸を繰り返せばどこか懐かしい匂いがした。

 大分昔、ホド戦争によって一挙に家族を亡くした彼を寝付かせようとしたとき。目端に雫を溜め、亡き父、亡き母、亡き姉の名を紡ぐ幼子の頭を撫でて、子守唄を歌ったのはいつが最後だっただろうか。

 追憶に浸っていたスィンの思考を寸断したのは、頭を鷲掴みにされたような頭痛だった。

 否、されたような、ではない。

 

「あ痛たたた!」

「……いつまで寝てるんですか、あなたは」

 

 吊り上げられるような感覚と一緒に、温もりが遠ざかった。

 どうにか自分の足で立ち、無理やり振り返ればスィンの頭を片手で掴んでいるジェイドの姿がある。音が立つほどの勢いでひっぺがした。

 

「寝てません、ちょっと意識が遠くなっただけです! ……ガイラルディア様、失礼しました」

 

 抱きついてしまったことで服に皺が寄っているガイの衣服をささっ、と直す。ほんのわずかに、香水の匂いがした。

 

「すみません、匂いをうつしてしまいました」

「いや、そんなものどうでもいいが、大丈夫なのか?」

「だから休めといったんですがねえ」

 

 ジェイドの嫌味はこの際無視。ガイに「大丈夫です」と笑顔を向けてから、スィンはティアの顔色を見た。わずかな時間とはいえ睡眠を取ったはずだが、あまり芳しくない。

 

「ティアは大丈夫? 顔色悪いけど……」

「え、ええ。大丈夫よ。体調管理もできないなんて、兵士として失格ですもの」

 

 微笑を浮かべたティアに、ナタリアが心配そうに眉をひそめて確認した。

 

「兵士とか、そんなことを気にするより、もっと体の心配をなさい。本当によろしいんですの?」

「あ、ありがとう。でも本当に平気よ」

 

 心配されたことが気恥ずかしかったのか、彼女はわずかに頬の血色を良くしていた。

 

「それなら、外に出ましょう。魔界(クリフォト)に辿り着いているのか、確認した方がいいですから」

 

 ジェイドの提案を受け、一行が再び歩みだす。

 

「スィン、本当に大丈夫なのか? おぶってやろうか?」

「大丈夫ですよ。それに、僕はこう見えて結構重い──「おやおや、主に嘘をついていいんですか?」

 

 不意に後ろから声が聞こえたかと思うと、膝裏がつま先か何かに蹴られた。

 

「っ!」

 

 バランスを保とうとその場に留まる。しかし、スィンが地面へ倒れこむより早く膝裏と背に手が回ったかと思うと、ふわりと体が浮き上がった。

 

「!?」

「ふむ。なんとなくシュレーの丘のときよりも軽くなっているような気がしますねえ」

 

 近すぎる声に顔を上げれば、すぐ近くに眼鏡をかけた緋色の目。

 

「なっ、なっ、なっ……!」

「膝枕のお礼にこのまま地上まで運んで差し上げましょうか?」

 

 傾げられた小首に合わせ、茶の色合いが強い蜂蜜色のストレートがさらり、と揺れる。

 

「けっ、結構ですっ!」

 

 いきなり起こった騒動に一同が声もなく眼を見張る中、ジェイドにプリンセスホールドされたスィンは顔を青くして暴れた。それに逆らうことなく手を緩めた彼から素早く逃れ、地に足をつけた彼女は、青かった顔色を赤くして言い立てる。

 

「何すんですかいきなり!」

「横抱き──お姫様抱っこというものにチャレンジしてみたんですが何か?」

「挑戦しないでください、ぎっくり腰起こされても運べる人は限られてるんですから!」

「そっちかよ!」

 

 一同の共通する想像とは大分かけ離れた抗議に、思わずルークが突っ込んだ。

 

「それ以外に何かあるの?」

「いや、恥ずかしいとか男嫌いなんだから触るなとか」

「それもあるけど、大佐の年齢考えるとありそうな事故じゃん。よく言うでしょう? 『寄る年波には勝てない』」

「いや、そーかもしんねーけど……」

「ルーク、大佐を担いで運びたいの? 僕嫌だからね」

 

 不思議そうに尋ねるスィンに、反論の余地がなくなっていくルーク。

 これまでのやり取りを見ていたアニスは、どこかやり手ババアにも似た笑みを零していた。

 

「アニス、どうかしたの?」

「ん~、べっつに~? いよいよ大佐が動きだしたかなあ、と思ってさ」

 

 初めからこの人は皇帝の命で動いていた気がするのだが、気のせいだろうか。追求しかけて、ナタリアの質問にそれをやめる。

 

「そういえば、膝枕とは何のことなのですの?」

 

 起こった出来事をそのまま話せば、アニスの笑みはますます深くなり、ナタリアは歓声を上げて頬を染め、ティアはやれやれとばかり首を振り、ルークは苦笑いを零していた。

 後の二人は、といえば。

 

「旦那……」

「はっはっは。いいじゃないですか、副官にそれくらいねだっても」

「あのなあ!」

 

 こんなところで偽装設定を持ち出されても、と思いつつ、言い合いながら地上を目指した彼らの後を、彼女は黙々とついていった。

 パッセージリングの有する、瘴気に侵された第七音素(セブンスフォニム)。それを取り込んでうまく放出できない体が、ひどくけだるく感じられた。

 緊張を解すためだと思いたい会話に加わる余裕もないほどに。

 

「嫌がらせにもほどがあるぞ!」

「嫌がらせとは心外です。早いところ異性恐怖症を治して頂かないと」

 

 

 

 

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