the abyss of despair   作:佐谷莢

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第五唱——我らがマスコット、気弱に参上

 

 

 

 

 

 ──チーグルたちが住まうとされる、かの森へ来たのは翌日の昼ごろだった。

 

「こんな僻地に、ホントにいるのかよ?」

「僻地だからいるんじゃないですか?」

 

 日が経つにつれ敬意の薄れた話し方をしているスィンに気づいていないのか、ルークはきょろきょろと周囲を見回している。

 ルークの護衛に徹するつもりらしく、あくまで彼のそばを離れないスィンを見、ティアは昨日の出来事を振り返っていた。

 ヴァンと、兄と親しくしているというのはどのような経緯なのか、詳細として、どこまで知っているのか。

 何もかも承知しているような態度といい、珍しすぎるあの瞳の色といい、彼女は何者なのか。

 

「あっ!」

 

 驚愕に染められたスィンの声を聞いて、ティアは物思いをやめた。

 

「どうしたの?」

「なあ、あれってイオンって奴じゃねえか!?」

 

 尊き導師の名を聞いて、ティアは二人の視線の先を見──言葉を失った。

 導師イオンが魔物に囲まれている。どこか負傷したのか、彼は膝をついて肩で息をしていた。

 

「危ない!」

 

 杖を手に、ティアは駆け出そうとした。その時。

 荒い息の中、片手を天へ差し上げたかと思うと、手のひらに輝きが生じる。

 その手が地面に置かれ、イオンの体の下に巨大な譜陣が展開した。

 まばゆい輝きが、視界を真っ白に染めていく。とっさに目を閉じるも、なお輝きは目蓋を通して目を刺激する。

 やがてそれは徐々に薄れ、世界に色彩が蘇った。

 魔物は姿どころか気配もなく、音素に還ったか、逃げ出したのか、それは誰にもわからない。

 立ち上がったイオンは無事のように見て取れたが、譜陣が完全に消滅したのと同時に体勢を崩して倒れこんだ。

 ものも言わずに駆け寄るティアに続き、二人が彼女の後を追う。

 

「おい、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です。少しダアト式譜術を使いすぎただけで……」

 

 ティアに抱き起こされながら、イオンはかすれた声で答えた。

 血の気がひいた顔色は紙のように白く、言葉とは裏腹に体の均衡が微妙に保たれていない。

 そんな状態でイオンは三人を見てあ、と呟いた。

 

「あなた方は確か、昨日エンゲーブにいらした……」

「ルークだ」

「ルーク……古代イスパニア語で『聖なる焔の光』という意味ですね。いい名前です」

 

 無邪気な微笑を向けられて、ルークは面食らった様子だった。

 照れているのだろうと一発でわかる。今まで褒められた経験があまりない子供の反応だ。そもそも褒められるようなことをしていないから。あったところで、ヴァンとの稽古くらいか。

 しかし。

 

「導師イオン。私は……」

 

 彼の目はごまかせないと思ったのか、正式な長い肩書きを名乗るティアを見つめるイオンをこっそり観察する。

 雰囲気が穏やか過ぎるというか、前にあった高圧的なまでの威厳が消滅しているというか……

 

「あなたがヴァンの妹ですか。噂は聞いていました。お会いするのは初めてですね」

「はあ!? お前がヴァン師匠(せんせい)の妹!?」

 

 心底意外だという反応を返してから、ルークは眉を吊り上げた。

 

「じゃあ裏切り者だの殺すだの、あれはなんだったんだよ!」

「殺す?」

 

 物騒な物言いにイオンが目を丸くしてティアを見つめる。

 

「あ、いえ、こちらの話です」

 

 お茶を濁そうとするティアに、話をそらすなとルークの追い討ちが続く。

 ……どうせ彼女は口を割らない。この辺で終わらせよう。

 

「あっ!!」

 

 タイミングよく現れた小動物を指して、スィンは驚愕の声を上げた。

 

「チーグル!」

「何!?」

 

 スィンの指した方向、自分の背後を見てルークは勢いよく振り向いた。

 ティアに伸ばしかけていた手をひっこめ、茂みに飛び込んだ影を追いかける。

 話題が断絶したところで、スィンはイオンに歩み寄った。

 

「申し遅れました、導師イオン。ルーク様のお守り、じゃない、護衛を務めておりますスィン・セシルと申します」

 

 お守り、という単語に合わせて、ティアがぷっ、と吹き出す気配がする。

 ちょっと失礼、とルークを追うスィンの背後では、イオンがティアに語りかけていた。

 おそらくは、先ほどの話題に決着をつけていることだろう。

 そんなこととは露知らず、目を皿のようにしているルークに話しかけた。

 

「いましたか?」

「こっちのほうに来るのは見えた。……って、あいつらは?」

「あちらに」

 

 さっさと来い、とわめくルークに応じ、二人が茂みへ分け入ってくる。

 ふと思い立ち辺りを見回すも、昨日の少女──導師守護役(フォンマスターガーディアン)はどこにもいなかった。

 

「っくしょー! 見ろ! お前らがノロノロしてっから逃げられちまった」

 

 自分も追いつけなかったくせに遅く来た二人へ責任転嫁するあたり、すでに頭はチーグルのことでいっぱいらしい。

 

「大丈夫ですよ」

 

 導師イオンは優しく微笑んだ。

 自分に対し敬意のカケラも抱かない、不遜な少年に対し何か思う素振りを見せず。

 

「この先にチーグルの巣があるはずですから」

「なんでそんなこと知ってんだよ」

 

 ティアもスィンも同意見だった。

 

「エンゲーブでの盗難事件が気になって、調べていたんです」

「だからこの森へおいでになられたのですか?」

 

 ティアの言葉に、はい、とイオンは頷いた。

 

「チーグルは魔物の中でも賢くておとなしい。わざわざ人間の食べ物を盗むなんて、腑に落ちないんです」

 

 それを聞き、ルークは腕を組んで鼻を鳴らす。

 

「……ふん。なら、目的地は一緒、ってわけか」

「では、お三方もチーグルのことを調べに?」

「正確にはルーク様のワガ……たっての希望ですが」

「うっせぇ。濡れ衣きせられておとなしくしてられっか! ……仕方ねー、お前も来い」

「え、よろしいんですか!?」

 

 イオンは目を輝かせたが、ティアとしてはとても承服できる話ではない。

 ローレライ教団最高指導者を、危険が想定される場所へ連れて行くなどと。

 

「何を言っているの! イオン様を危険な場所へお連れするなんて!」

「じゃあどーすんだよ。今から村へ送ってったところで、どうせまた一人でノコノコ来るに決まってる」

 

 導師守護役(フォンマスターガーディアン)に引き渡せばそんなこともないだろうが、スィンはそれを口にしなかった。

 

「……すみません。どうしても気になるんです。チーグルは我が教団の聖獣ですし」

「ほれ見ろ。それにこんな青白い顔して今にもぶっ倒れそーな奴、ほっとくわけにもいかないだろうが」

 

 それを聞くと、イオンは感激したように胸の前で手を組んだ。

 

「あ、ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね!」

 

 それを聞き、ルークは焦ったような、困惑したような態度となる。調子がくるっているようだ

 

「だ、誰が優しいだと! アホなこと言ってねーで、大人しくついてくりゃいいんだよ!」

 

 最後の一文だけを聞けばなんだか誘拐犯のような言い草ではあるが、イオンは気にした様子もなく素直に返事をした。

 

「あ」

 

 赤くなった顔を隠すように歩き始めたルークではあったが、すぐに足を止めてイオンの鼻先に指をつきつける。

 ティアが何か言いたそうにしているが、それはスィンが押しとどめた。

 悪口雑言を並びたてようとしているわけではなかったからだ。

 

「あと、あの変な術は使うなよ。魔物と戦うのはこっちでやる」

「護ってくださるんですか! 感激です、ルーク殿!」

「ちっ、ちっげーよ! 足手まといだから、その……勘違いすんなよなっ。それと、俺のことは呼び捨てでいいからな。いくぞ」

「はい、ルーク!」

 

 嬉しそうに、まるで普通の少年のように笑う彼を複雑そうに見るティアの肩を叩き、スィンは少年二人の後を追った。

 

「にしてもよー。イオンといいスィンといい、術使って倒れるなんてどーゆー体質なんだよ?」

 

 それを聞いて、イオンは不思議そうにスィンを見た。

 

「譜術を使って、倒れたことが?」

「えーっと、そうですね。一応。譜術士としての素質がないんでしょうね」

 

 あはは、とごまかすように笑う。明々後日の方向を見ながらの弁明を聞いて、ティアは首を傾げた。

 先天的な身体の欠陥が原因ではなかったのだろうか? 

 イオンはイオンでどこか納得いかないらしく、不思議そうに彼女を見つめている。

 と、その彼女が不意に腕を上げた。

 

「どうしたの?」

「あそこ……」

 

 明々後日の方向を指差し、駆け寄る。

 まったく足音がしない駆け方にますます疑問が生じるが、ルークはそれに気づいた様子もなく続いた。

 

「……ゅう。みゅみゅうみゅう、みゅう!」

 

 可愛らしいような、甘ったるいような鳴き声が聞こえた。

 茂みを透かすようにして見れば、大きな袋状の耳を持つ発光色の動物が、巨樹の根元に開いた洞の中へ甘えるように呼びかけているようにも見えた。

 

「あれがチーグルなのか?」

「まだ子供みたいですね」

 

 ルークの問いを肯定するようにイオンが頷くと、ティアがぽそりと呟いた。

 

「……可愛いv」

「はぁ?」

 

 今なんか言ったか? というルークの問いに、ティアはなんでもないと返して素っ気なさそうな表情に戻る。

 やりとりに参加しなかったスィンがそのまま見ていると、チーグルはちょこちょこと洞の中へ入ってしまい、そのまま出てこない。

 意を決して洞の前まで来ると、同時に導師も歩いてきて地べたに転がっていた果実を拾い上げた。

 真っ赤に熟れた林檎。しかしその辺りの木になっていたわけではない。

 

「この林檎、エンゲーブの焼印が押されてますね」

「やっぱりこいつらが犯人か!」

 

 鼻息荒く同意を求めるものの、イオンは頷こうとしなかった。

 代わりに、目の前の暗い洞を見つめている。

 

「やはりここが巣のようですね。チーグルは樹の幹を住処としているようですから」

 

 そう言って、イオンはなんの躊躇もなく洞の中へ入っていった。

 

「導師イオン! 危険です!」

 

 ティアの制止などものともせず、少年は闇へ消える。

 

「しょうがねーガキだな」

 

 舌打ちをして、ルークもそれに続いた。警戒のためにか、利き腕が新しく手に入れた剣の柄あたりをさまよっている。それに続いて二人も洞の中へ入った。

 中は思いの外暖かく、明るかった。見る限り体毛が薄く見えるチーグルは寒さに弱いのかもしれないと考えつつ、眼前の小動物たちを見る。

 そこにはさっきいた仔よりは大きい、それでいて様々な色のチーグルがしきつめ……もとい集まってきており、イオンの行く先を遮っていた。

 

「通してください」

「みゅみゅう、みゅうみゅうみゅ、みゅっ!」

「みゅううみゅみゅ、みゅみゅ!」

「みゅうみゅうみゅ、みゅうみゅう!」

 

 ありがたいことに中が広いので反響はしなかったが、それでもこれだけ数が集まると、どれだけ小さくて可愛くても圧巻である。

 

「魔物に言葉なんか通じるのかよ」

「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約し、力を貸したと聞いているんですが……」

「通じてねえみてーだけどな」

 

 強攻策をとるべく、ルークは剣の柄に手をかけた。そのとき。

 

「みゅうみゅみゅう、みゅ」

 

 えらく低い鳴き声が奥から響いてきたかと思うと、集まっていたチーグルたちは道を空けるように移動した。

 暗がりから一匹のチーグルが現れる。

 どこか動きに精彩がなく、袋状の耳が垂れ下がって目を覆っていた。

 小さな手には不釣合いの金環を携えている。

 

「……ユリアの縁者か?」

「おい、魔物が喋ったぞ!」

 

 しゃべりましたね、と応じるスィンに、動揺しながらも頷くティア。イオンは驚くような素振りも見せなった。

 

「これは、ユリアとの契約によって与えられたリングの力だ。お前たちは、ユリアの縁者か?」

「はい。僕はローレライ教団の導師、イオンと申します」

 

 そう言って、イオンは頭を下げた。

 

「あなたは、チーグルたちの長とお見受けしましたが」

「いかにも」

「おい魔物!」

 

 ルークは前挨拶をすっ飛ばし、本題を突きつける。

 

「おまえら、エンゲーブで食べ物盗んだろ!」

 

 ちら、と老チーグルはルークを見た。

 

「なるほど。我らを退治しに来た、というわけか」

「へっ、盗んだことを否定はしないのか」

 

 老チーグルは沈黙を保っている。

 

「チーグルは草食でしたね。なぜ人間の食べ物を盗む必要があるのです?」

 

 おそらくこれが彼の最大の疑問だったのだろう。

 イオンはチーグルが犯人だと判明したにもかかわらず、変わらぬ態度で問いただした。

 

「……我らチーグルの存続のためだ」

「食べ物が足りないというわけではなさそうね。この辺りは緑が豊富だわ」

「草食動物が肉を盗むのもおかしいしね」

 

 便乗するようにスィンまでもが説明を求めると、老チーグルは重い口を開いた。

 

「半月ほど前、我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまった。その結果、北の一帯を住処としていたライガが、この森へ移動してきた。我らを新たな餌とするためにな」

「では村の食料を奪ったのは、仲間がライガに食べられないためなんですね?」

 

 イオンの言葉に、老チーグルは頷いた。

 

「そうだ。定期的に食料を届けねば、奴らは我らの仲間をさらって食う」

「ひどい……」

 

 思わず漏れたティアの呟きを、しかしルークは鼻で笑い飛ばした。

 

「知ったことか。弱いもんが食われるのは当たり前だろ。しかも住処燃やされりゃ、そりゃ頭にもくるだろーよ」

 

 無神経のきわみとも取れる言葉に、ティアはルークを睨みつけた。

 スィンとしてはルークの意見に賛成だったが、世の中には言っていいことと悪いことがある。

 

「ですが、本来の食物連鎖の形とはいえません」

「ルーク、チーグルが犯人だということははっきりしたわ。あなたはこれからどうしたいの?」

 

 ティアが真剣な表情でそれを聞いた。

 

「どうって……こいつらを村に突き出して……」

「そんなことしたら、餌がなくなったライガたちがあの村へ殺到すると思いますよ」

 

 あんな村がどうなろうと自分の知ったことではない、とエゴイストそのものの発言をするルークに眉をひそめるでもなく、イオンはきっぱりと首を振った。

 

「そうは行きません。エンゲーブの食材はマルクト帝国だけでなく、キムラスカを初め世界中に出荷されています。エンゲーブがなくなれば食料の値段が高騰し、各地で争いの火種となるでしょう」

「じゃあ、どうすんだよ」

「ライガと交渉します」

 

 当たり前のように、言い切る。しかし。

 

「魔物と……ですか」

 

 スィンは不思議そうに反復した。ティアも首を傾げている。そもそも──

 

「そのライガってのも、話せるのか?」

 

 その問題がある。

 

「もちろん僕たちでは無理です。ですが、チーグル族を一人連れて行って訳してもらえば……」

 

 黙して話を聞いていた老チーグルが頷いた。

 

「では、通訳の者にわしのソーサラーリングを貸し与えよう。……みゅう、みゅみゅうみゅう、みゅう~」

 

 その鳴き声を聞き、群れの中から一匹の小さな聖獣が転がってきた。

 空色の体毛に、つぶらな濃い紫の瞳。それほど大きくもないチーグルは、長老からソーサラーリングを受け取るとよちよちとそれを胴に装着した。

 

「この仔どもが、北の大地で火事を引き起こした同胞だ。これを連れて行ってほしい」

 

 紹介を受け、面々に向かい直り、ぺこりと頭を下げる。

 

「ボクはミュウですの。よろしくお願い、するですの」

「か、かわいいっ……!」

 

 愛らしい声、たどたどしい言葉、くりくりとした瞳に丁寧な態度。

 ティアはうっとりと、イオンも好ましくチーグルを見下ろしていたが、ルークだけは別だったらしい。

 

「……おい。なんかムカつくぞ、こいつ」

 

 呟いた。

 すると、ミュウと名乗ったチーグルはびくっ、とちいさな体を震わせている。

 

「ご、ごめんなさいですの! ごめんなさいですの!」

 

 相手は謝っているのだが、なぜかそれすらも腹が立つらしい。

 

「だーっ! てめえムカつくんだよ! 焼いて食うぞコラ!」

「みゅう────っ!!!」

 

 怒鳴られて本格的に怯えたらしく、小さな手で頭を抱えてぶるぶる震えている。

 

「食べるトコ少なそうですけど」

 

 しゃがんでミュウを見つめ、スィンはぽそっ、と呟いた。

 

「耳はからっぽだと思うし、ルーク様は好き嫌い激しいから脳みそも内臓も食べないだろうし、あとは肉の部分だけどスペアリブ数切れ程度にしかならないと──」

「スィン!!」

 

 ルークにつっかかっていたティアが、掴みかからんばかりに迫ってきた。

 

「悪趣味な冗談はやめて! ミュウの顔色がすっかり絶望に染まってるじゃないっ!」

「だから、食べられないよって暗に言ったつもりだったんだけど」

 

 こんなにかわいいのに、信じられない! とヒートアップするティアを、イオンが苦笑しながら仲裁に入った。

 

「落ち着いてください。今は仲間割れしている場合ではありません。急いでライガとの交渉に向かいましょう」

「そうですの、急ぐですの!」

「お前が言うなっ!」

 

 いらない一言を口にして、ルークに足を振り上げられると、ミュウは頭を抱えてぶるぶる震えだした。

 

「ごめんなさいですの! ごめんなさいですの!」

 

 

 

 

 

 

 

 




仔どもなら火は吹けないのに、どうして北の森を火事にできたんだろう? 
そう思った人たちはきっと多いはず。
やっぱりソーサラーリング盗んで調子に乗ってたんでしょうか。
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