ユリアシティの北東にあるセフィロトを利用し、外殻大地に再浮上したアルビオールはダアトへ向かう途中。大地が根こそぎくり抜かれた、無残な大陸跡に差し掛かった。
「ルグニカ大陸で外殻大地に残っているのは、グランコクマの周辺だけになってしまいましたね」
馴染み深い地を惜しむように、ジェイドが窓の外を一瞥して呟く。
「パッセージリングが上手く機能して、戦場の兵士たちが無事でいればいいのですが……」
「そうだな。それにカイツールにも住民が残ってた筈だ。あそこまで落ちてるとは思わなかったよ」
ナタリアが戦場の兵士たちを気遣い、ガイも思いがけなく崩落──正確には降下だが──した地域を憂えていた。
ルークもまた、わけのわからない事態に混乱することの苛立たしい気持ちを知る彼らしく、ぽつりと零している。
「みんな混乱してるだろうな……」
──その言葉を肯定するかのように、ダアトはかなり落ち着きがなかった。ダアトの街より少し離れた場所でアルビオールから降りれば、馬車がぞくぞくとダアトにやってくる。
港方面に行こうとした馬車はやってきた定期便の御者から事情を聞き、急遽出発を中止していた。そして民衆は、ローレライ教会を目指す。
とは言えど、一行の大半はそれに気づいておらず、ナタリアなどは久々に感じる瑞々しい大気を愛でていた。
「砂漠からだと、この辺りは天国ですわね」
「火山の影響でホントは結構蒸すんだけど、そんな感じしないもんね。ダアトサイコー」
しかしその空気は、ルークの一言によりいきなり不快なものと化す。
「……だけど、俺たちなんか汗くさくね?」
「うーん。みんなが汗くさいと臭いはわからないぜ?」
と、馬車の行き交いに気を取られているジェイドは別として、男性陣はあまり気にしていなかった。
しかし女性陣、特にこの人は気にしないはずはない。
「汗くさい王女なんて……いえ、考えてみればわたくしは本当は、王女ではないのかもしまれせんし」
汗臭さから派生しての偽王女疑惑を思い出してしまい、落ち込んでしまっているナタリアをなぐさめるべく、ティアが慌ててフォローを入れている。
「ナ、ナタリア? 落ち込まないで。私たち、汗くさくはないと思うわ」
「ティアティア。なぐさめるならそっちじゃなくて王女かどうかの方だよ」
「あっあっ……ごめんなさい」
ただし彼女はナタリアほどではないにせよ、
はじめて見る魔物の名前はわんたろーがいい、などと時々言い切ってしまう辺り、そのズレようがよくわかる。
「うーん……臭うわけじゃないんだろうけど、やっぱ気になるんだよ……って、ジェイドの方から微かにいい香りがする。香水?」
「香りは紳士のたしなみですので」
臆面もなく言い切ったジェイドに、スィンは思わず「へっ」と笑ってしまった。
「嘘嘘。きっと年と共に加齢臭がきつくなってきたから隠してるだけ……」
「おや、あなたからは爽やかな柑橘系の香りがしますね。ワキガですか?」
「ちがわい!」
思わぬ逆襲に──最近頻発してきた吐血の血臭を隠しているのが事実だ──スィンは思わずジェイドの軍服の襟を掴んで締め上げようとして、ぱっ、と襟を放した。
淡いシトラスの香りに驚いたわけではない。異性恐怖症が発動する前に、重要な事実を思い出したのである。
ここはダアトだ。緊急招集のかかっている自分が、変装しているとはいえ、堂々入っていくのはいかがなものか。多分、イオンとの再会は全員ひっそりと、だろうが、それでも気をつけてはおきたい。
ジェイドに対する怒りは忘れ、懐から取り出した眼鏡をかける。度なしとはいえ、どこか視界が制限されたような感じだ。
「譜眼暴走の抑止とはいえ、常日頃これを着用する大佐を尊敬します」
「おや、尊敬されてしまいました。それ以外のことでも尊敬してくださってかまいませんよ?」
「いくらでも。自分に出来ないことをやってのける
「……だから、の意味を是非ご教授いただきたいところです」
「あれ? 大佐なんで怒ってるの? 僕割と正直に褒めただけなのに」
「スィン……それ、絶対褒めてないよね……?」
彼が毛嫌いしている人間をわざわざ取り出すあたり、その狙いは穿わずとも見えてくる。持ち上げて落とすのは常套手段であると誰かが言っていたが、これは先程のワキガ呼ばわりに対する意趣返しなのか。
その後、スィンは女性陣、ジェイドは男性陣に香水の貸与をせがまれつつも、依然来たときより三割増しになっている人の流れに沿って教会前へとたどり着く。
普段開放された教会の扉は閉ざされ、黒山の人だかりができていた。人ごみにまぎれ、ざわめきを拾い集める。
「いつになったら船を出してくれるんだ」
「港に行ったら、ここで聞けと追い返されたぞ!」
不満をぶち曲げる人々に対し、詠師トリトハイムは豊かな声量で、しかし隠しきれない焦燥をにじませ理由を語った。
「ルグニカ大陸の八割が消滅した! この状況では、危険すぎて定期船を出すことはできぬ!」
当然のことながら、否定の声が乱反射する。
「嘘をつくな! そんな訳がないだろう」
「嘘ではない! ルグニカ大陸の消滅によって、マルクトとキムラスカの争いも休戦となった。とにかく、もっと詳しい状況がわかるまで船は出せぬ」
有無を言わさぬその声音に、巡礼者が中心だと思われる人だかりは徐々に薄れていった。納得したわけではなく、ここにいても無駄だと判断したのだろう。民衆から愚痴がとめどなく零れていく。
それは確かに、ルークたちの耳にも不満げな、そして不安の色濃い響きを残していった。
「ルグニカ大陸って言えば、世界で一番でかい大陸だ。それが消滅したなんて……。信じられん!」
「どうなってるんだ、世界は……」
人だかりが薄れるに従って、詠師を護っていた兵士や詠師自身が教会へと戻る。
これまでの会話から得た情報を確認するように、ガイがぼそりと呟いた。
「この状況で戦いを続けるほど、インゴベルト陛下も愚かじゃなかったってことだな」
「ええ、それだけが救いですわ」
真偽はともかくとして、父たる彼をこのようにけなされても、ナタリアはもうかばうようなことをしていない。むしろ全力で肯定している。
事実なのだから、仕方がないが。
「でも、このことがもっと大勢の人に知られたら、大混乱になるな……」
「この先どう対処するかがわかれば、それも抑えられる筈よ」
「そういうことですね。イオン様に面会しましょう」
ルークが言い、ティアが答えてジェイドが同意を示し、先を促す。教会内に足を踏み入れるなり、ガイが誰ともなく尋ねた。
「イオンはどこにいるんだ?」
「ご自身の私室ではありませんか?」
普通に考えればそうなるが、「でも」とティアが障害の存在を示唆している。
「導師のお部屋は教団幹部にしか入れないわ。鍵がわりに譜陣が置かれていて、侵入者対策になっているの」
そこで、ティアの心配を吹き払うようにアニスが元気よく挙手をした。
「そんなときは、
「元、だろ」
非公式とはいえ、最高権力者じきじきの解雇を揶揄するルークに頬を膨らませつつも、彼女は胸を張ってアピールしている。
「ぶー。『元』だけど、ちゃんとお部屋に続く譜陣を発動させる呪文、知ってるモン」
「譜陣って、隣の部屋にあったやつだろ?」
「そゆこと。さ、いこ~」
アニスに先導され、一行は隣の間へ移動した。幸いなことに表のごたごたが影響しているのか、それほど人目がない。
柱が居並び、すぐ傍に大きな階段のある小規模の広間。その中央部が正方形にへこんでおり、計五つの譜陣が描かれている。
「これこれ」
どこか楽しげにアニスが呟き、五つの譜陣のうち、中央に描かれた譜陣の上へ迷いもなく乗った。
「えっと……『ユリアの御霊は導師と共に』」
その瞬間、譜陣は光り輝き、アニスの姿が一瞬にして──消えない。
「あ、あれ?」
「おいおい、どうしたんだよ」
「おっかしいなぁ……」
調子のおかしい音機関を叩くのと同じような調子で足元の譜陣を踏むアニスを見つつ、スィンがぽつりと呟いた。
「呪文が変更されたんじゃない? 解雇した
「え~、そんなことないよう。イオン様がそんなの許可なんて……」
「だから。モースが勝手に変えちゃった、とか」
ありえない話ではない。現に今、アニスの知る呪文では譜陣が発動しないのだ。むしろ、それ以外に考えられない。
「ど~しよ~、そんなの初耳だよう!」
頭を抱えてくるくる回すアニスに、しばし考え込んでいたスィンが近寄った。
「ちょっと試してみたいんだけど……いいかな?」
アニスをどかし、譜陣の上に立って。スィンは実に懐かしい合言葉を口にした。
「
輝きがスィンを包む。次の瞬間、スィンの視界から一行の姿がなくなっていた。
「……ラッキー」
誰も来ないことを確かめて、もう一度譜陣を使う。光の先に見えたのは、とにかく驚くアニスの姿だった。
「すっご~い。なんでわかったの?」
「あれ、僕がここで働いてたときの呪文だよ。ダメ元でやってみたんだけど、試してみるもんだね」
思わぬ幸運に一同目を白黒させながらも、再び譜陣での移動を図る。再びアニスの先導で向かって左の通路を進み、扉を叩くも、反応はない。アニスがそっとノブを回してみるが、鍵はかかっていなかった。
鍵代わりに譜陣が使われているのだから当たり前ではあるが。
「イオンの奴、どこに行ったんだ」
殺風景な部屋の中、数少ない調度品である執務机に備えられた椅子を触るが、温もりなど欠片も残っていない。
アニスが奥の扉に駆け寄ったところで、ティアが急に声を潜めた。
「しっ、静かに。誰かくるわ!」
「ヤバ……ここは関係者以外立ち入り禁止だよぅ!」
「隠れよう!」
ガイの言葉に素早く反応し、アニスが開いた奥の扉に滑り込む。
どうにか気づかれず奥の寝室に全員が退避した後に、ひとつの足音、ふたつの気配が入室していた。
「ふむ……誰かここに来たと思ったが……気のせいだったか」
「それより、大詠師モース。先ほどのお約束は、本当でしょうね。戦争再開に協力すれば、ネビリム先生のレプリカ情報を……」
細く空けた扉の隙間から見えたのは、徒歩のモースに例の派手な椅子にふんぞり返っているディストの姿である。
ジェイドが嫌そうに眉をしかめるのがわかった。
「任せておけ。ヴァンから取り上げてやる」
「ならばこの『薔薇のディスト』、戦争再開の手段を提案させていただきましょう」
こんなときにも自分の二つ名を主張するとは、なんとも天晴れなバカである。
「まずは、導師イオンに休戦破棄の導師詔勅を出させるのが、よろしいかと」
「ふむ。導師は図書室にいたな。戻り次第、早速手配しよう」
足音と共に気配が去っていくのを見届け、ジェイドが口を開いた。
「……今の話を聞くと、モースとヴァンは、それぞれ違う目的の為に動いているようですね」
「ああ。なんかディストが自分の目的のために、二人の間でコウモリになってるって感じだった」
ルークはこういうものの、ジェイドはディストの存在を黙殺することにしたらしい。
さして脅威ではないからというのが理由だろうが、それ以上に触れたくないのかもしれない。
「モースは
「外殻大地を落として、人類を消滅させようと……」
ティアが即答するものの、彼はそれを肯定せずにただ、疑念を口にした。
「私には、あの人がそんな意味のない殺戮だけを目的にしているようには見えません。モースの方が目的が明快なだけに、脅威は感じない」
「なら、まず明快な敵の方を片付けようぜ」
考えていても答えは出ない、と言わんばかりにガイが提案する。
「インゴベルト陛下にモースの言葉を鵜呑みにしないよう進言して、戦争を再開させないように……」
「……でも、わたくしの言葉を……お父様は信じてくださるかしら」
ここへ来て、とうとうこの問題に触れてしまった。彼女はひどく青ざめた様子でうつむいている。
「ナタリア! 当たり前だろ!」
「……わたくし、本当の娘ではないのかもしれませんのよ」
ルークはこう言うも、モースの衝撃発言は思いのほかナタリアを蝕んでいた。それをきっぱりはっきり反論する材料もなく、一同は気まずげに黙りこんでいる。
それはスィンとて同じ──いや、場合によってはもっと残酷なことしか言えない。
「も、もーっ! その時はその時だよ! それより、図書室に行こっ!」
こういったネガティブな空気を嫌うアニスの先導により、こんなことを論議している場合じゃない、と今まで以上に慎重に移動を開始した。