数刻後。
確かに朝となってからルークたちは城へ連行されたのだが、スィンの予想に反してその姿を民衆が直接見ることはなかった。
おそらく往来への出入り禁止が発令されたのだろう。裏路地の隙間から一行が昇降機に乗せられていく様が見える。
「どうするんだい、これじゃあ煽動なんて……」
「大丈夫。すぐに人が集まるよ」
その言葉どおり、連行されてすぐ広場にぞくぞくと住民が集まってきた。少し耳を澄ませば、彼らは口々に何があったのかを聞きあっている。
思ったとおり、インゴベルト陛下は下々に対して何の説明もしていない。
ここでナタリアは十八年間、自分を騙してきた偽王女だと公式発表されていたらどうなるかわからなかったが、心情的に考えてそれは人としてできることではないだろう。
平和条約をあっさり破った男も、自分の一人娘に関しては畜生になりきらなかった、ということか。
「よーし……ここは任せな!」
「任せた」
漆黒の翼がほうぼうに散っていったのを見届け、アッシュと顔を合わせて頷いてから最上層へ直通の昇降機へ走る。
兵士が二人ほど見張りについているが、この程度の障害は気にしない。
外套をすっぽりと纏う二人組の接近に気づいて武器を構えかけた兵士だったが、開き直ったスィンの譜歌による効果であっさりと昏倒した。できるだけ怪しまれないよう壁に寄りかからせる。
アッシュにそれをやらせている間に、スィンは昇降機を使用不能とした仕掛けを解除し、作動させた。あっさりと最上層にたどり着き、先導してファブレ公爵邸の裏庭へと潜り込む。
そこでは、庭師のペール──もとい、スィンの祖父にしてガルディオス家左の騎士、ペールギュント・サダン・ナイマッハが剪定ばさみを手に庭木の手入れに勤しんでいた。
この様子だと、インゴベルト陛下はファブレ夫婦に事実を伝えていないらしい。
否、二人に事実を伝えていたとしても、緘口令が敷かれている可能性が高かった。
「ペール……」
何かに──おそらく、彼が自分の記憶より思いのほか老けていることに驚いているのだろう。感傷的になっているアッシュの隙をついて彼に前髪を降ろさせる。
ペールだけならスィンだけでいい。
だが、白光騎士団を動かすとなると、彼の姿があったほうがいいに決まってる。
「おい、何しやが──」
「ルークのふりして白光騎士団に協力要請! おじいちゃんには僕が説明するから」
ペールがスィンの祖父だと聞かされていないアッシュが目を白黒させているのを尻目に、潜んでいた茂みから一気に飛び出した。
当然、ペールは驚いて誰何の声を上げようとしている。
「何や……! スィン!?」
「ご無沙汰、おじいちゃん。この姿を見てわかるように、ガイラルディア様は全てをルークに話したよ。もう隠す必要はない」
ひらひらと手招きをするスィンに合わせ、前髪を下ろしたアッシュが堂々たる態度で彼の前に姿を現した。
驚愕のあまり硬直してしまっている祖父に怒鳴りつける。わざと大きな声で、異常を知った白光騎士団が集まるように。
「白光騎士団にも伝えて! ナタリア様が無実の罪で城に拘束されてる、このままでは処刑されてしまう!」
「なんと……ナタリア姫は、アクゼリュスで亡くなられたのでは……」
「そんな大昔のこといちいち覚えてらんないよ! 今から助けに行ってくるから「何奴!」
がしゃがしゃと音を立てて、白光騎士団の衛兵が駆け寄ってくる。
ちら、とアッシュを見れば、彼は小さく頷いて歩み出た。
「ル、ルーク様!? ご無事で……!」
「白光騎士団各位に伝えろ。ナタリア姫が無実の罪で城に拘束されている。このままでは処刑されるかもしれない」
ところが、衛兵は首を傾げてアッシュの顔をじっと見ている。
「……ルーク様、心なしか顔つきが凛々しくなられ……御髪の色もどこか鮮やかに……?」
言われてみればその通りだ。
しかし、屋敷の中のルークをまったく知らないからといって、アッシュに演技指導なんかしている暇はなかった。
教えたところで、本人も嫌がっていたことだろう。
「う、うるせえ気のせいだ、黙って聞け! ──白光騎士団は今すぐ城外へ赴き、解放された姫を昇降機まで導く道を確保せよ。可能ならば二班に別れ、別班は最下層にて待機、予想される混乱を防げ、いいな!」
「御意っ!」
特務師団長をやっていただけあって、アッシュの指揮は実に堂がいったものだった。その堂々たる態度を見るや、ペールは「ルーク様……ご立派になられて」と涙ぐんですらいる。
その背中をばしっ、と叩いて、スィンはアッシュに合図して公爵邸を後にした。
急ぎ城へ向かう最中、外套を脱いで腰に巻きつける。ここから先、機敏に動けない障害はできる限りなくすべきだった。
「……うまくいったな」
「そうだね。この調子で門番もよろしく」
「……もうルークのふりは通用しねーぞ」
「違う。六神将の立場を利用してよ」
その一言にすべてを悟ったか、彼は髪をかきあげて外套を脱ぎ捨てた。ちなみにこの外套は、アッシュが漆黒の翼から格安で買い取ったものである。
そうこうしている間に、二人は城門へとたどり着いていた。
「何者──」
「大詠師モースに呼ばれている、通せ!」
あんな短い時間では、気の利いた台詞は浮かばなかったらしい。
ほとんど押し入るような形で城内へ踏み込むと、スィンはアッシュを引っ張って罪人部屋へ走った。
扉を威勢良く蹴り開け、中の監視兵を譜歌で眠らせる。昏倒させるより遥かに早いそれに何かを思うより前に、スィンは彼らから鍵束を奪い取った。
「今の歌って、ティアの……」
「ガイラルディア様、無事ですかっ!?」
いても立ってもいられず、アッシュを見張りにと置き去りにして叫ぶ。
反応を素早く聞いたスィンが駆けつけると、彼らは贅沢にも一人ずつ投獄されていた。手前から、ティア、アニス。その向かいに、ガイ、ジェイド。ルークとナタリアの姿だけない。
ガイの無事な姿を見つけられたのはよかったが、二人はどこにいるんだろうか?
それを思いつつも、スィンはガイの投獄されている牢の前で跪いた。
「ご無事でなによりです、ガイラルディア様」
「お前も無事でよかった。それより……」
こくこく頷きながら、四人の脱獄に手を貸す。
片っ端から扉を開いた後、何か言いたそうにしているガイから意図的に眼をそらし、アッシュのいる監査室が騒がしいことに気づいて走った。
詰めかけた兵士を押し留めるように、アッシュが黒剣を振るっている。倒せない数ではないが、そんな悠長なことをしていられる場合ではない。
追いついてきたティアの肩を、スィンはがしり、と掴んだ。
「ティア、『せーの』で第一音素譜歌、歌って? いくよー……」
「え、あのっ「せーの!」
♪ トゥエ レイ ズェ クロア リュオ トゥエ ズェ──
♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──
狭い監査室に押し入った十数名の兵士は、ソプラノとアルトの二重奏を耳にして、ばたばた昏倒していった。
「よかったうまくいった。さあこっち」
「え? え? え?」
混乱するティアをさておき、アッシュに叫ぶ。
「アッシュ、二人がいない! どこにいるか──」
「ナタリアの部屋だ。隣にナタリアが立っていて、アルバインの野郎と兵士が来ていやがる!」
わかるか、と聞こうとして、そんな情報を得た。
「何かされてる?」
「兵士二人が、ワイングラスみたいなものを持っているな。まさか──」
服毒させるつもりか!
振り返れば、皆は没収された得物と荷物を回収している。
ありがたいことに、血桜と軍服を含むスィンの荷物もあったため、手に取った。
祝、所持金零生活脱退。
「ルークたちの場所がわかった、皆来て!」
兵士が集まる前に、ナタリアの私室へ急ぐ。
昏倒させる暇もなく蹴散らすようにして強引に突破すれば、私室の扉が見えてくる頃には追っ手が十数人どころではない騒ぎに発展していた。時間稼ぎが必要である。
スィンの視線に気づいたジェイドにあとよろしくっ、と囁き、先導させているアッシュはそのまま、足を止めた。こんなときだからこそ、将来を誓った二人を再会させてあげるのも悪くはない。
血桜を抜き、剣帯がないのに気づいて、片手に持つ。
図らずも、ガイと同じスタイルになっていることに気づいて、わずかに唇を歪めた。
兵士たちは、それを揶揄だと受け止めたらしい。一丸となって突っ込んでくる。
それを迎え撃つべく、腰溜めに血桜を構え──
「獅子戦「氷の刃よ、降り注げ──アイシクルレイン!」
ルークのものにしてはドスの利いた声が、後方で叫ばれる。
兵士たちに襲いかかる氷柱に漠然とした懐かしさを覚えながら振り向くと、アッシュが駆け寄ってくるところだった。
「ナタリアに会わなくていいの「うるせぇ、ほっとけ!」
鼻息荒く、兵士に飛びかかっていこうとするアッシュを制して、今日で何回目になるかもわからない第一音素の譜歌を歌う。次々と深遠へ誘われる彼らは、もはや意識の欠片も残っていない。
軽く息をついて、アッシュの望むようにその件には触れないことにした。
「なら、城中の兵士片付けるつもりでいこうか。皆なら、城から出ればなんとかなるだろうし」
「……ふん」
出会い頭の兵士を昏倒させ、ついでに謁見の間へ続く扉の兵士も転がしておく。
少しでも追っ手が少なくなるよう奮闘していた二人であったが、ふと皆が今どこにいるのか気になったスィンはアッシュに探るよう頼んだ。
「今皆どこにいる?」
「もう城の外だと──なっ!?」
実際に屠ったわけではないが、死屍累々としている廊下に、アッシュの驚愕が響く。
前半の言葉に安心しかかっていたスィンだったが、その驚愕に、内容には眼をみはった。
「どした?」
「あいつら……なんだって謁見の間なんかに!」
──考えられなかったわけではない。
ルークはともかくとして、ナタリアはおそらく父と信じていた人物から、人づてとはいえ毒を飲めと言われたのだろう。真意を問いただしたい気持ちがわからないわけではない。
割と冷静な人たち──特にジェイドがいさめると思っていたのだが、スィンが思っていたより彼は情け深いのか、あるいは何を言ってもナタリアを止められないと思ったのか。
なんにせよ、あまりいいことではない。
「謁見の間、誰がいる?」
「叔父上、モース、ディスト、ラルゴ……あれはナタリアの乳母か?」
モースと、ナタリアの乳母。更に六神将二人というあまりよくない組み合わせに、スィンは軽く眉をひそめた。
できれば、城の中の兵士は片付けておきたかったのだが、やむをえない。
「行っちゃったモンはしょうがない、行こう!」
まくり上げた白衣の袖が、ずるずると落ちかかってきている。
それを即席のたすきでたくし上げながら、スィンはアッシュを伴って謁見の間へ急いだ。