the abyss of despair   作:佐谷莢

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第六十六章——手に入れたのは、新たな力

 

 

 

 

 

 

「ザオ砂漠は途中で消失しています。イニスタ湿原へ向かってください!」

 

 バチカルを脱出する際、ナタリアたちに向けて白光騎士団はそのようなことを叫んでいた。

 ザオ砂漠はケセドニアと共に降下させたのだから仕方がないのだが、馬車で逃走した一行に湿原へ向かえと言うのはいかがなものかとスィンは思う。

 

「ベルケンドへ行けと言いたかったんだろうけど、馬車であの湿原はきついよね」

「徒歩はもっときついだろうが」

 

 不可能と言うわけではない。湿原を行くための装備が搭載されている馬車で行けば問題なかったのだが、あの馬車はどう見ても単なる幌馬車だった。

 そもそも、湿原を駆ける馬車は竜が引くものではない。車輪もキャタピラの、音機関で駆動する代物だ。

 広い湿原で同じルートを辿ることができるかどうかはわからないが、二、三日もすれば放棄された馬車や馬が発見できるのではないか、と考えている。

 スィンは(おも)としてガイに、アッシュはナタリアに追いつくつもりで走った行程だったが、徒歩で全力疾走させたと思われる馬車に追いつくのはやはり不可能な話だった。

 湿原へたどり着き、入り口の橋付近で咲いていた巨大な花──ラフレスから花粉を採取した後の話。

 スィンは湿原へ侵入した馬車の跡を発見したのだが、どう好意的に見えても一日以上は経過していた。

 

「くそっ!」

「──皆この湿原に入るのは初めてだし、それなりに時間はかかると思う。ここで距離をつめておこう? あとはベヒモスの件だけど……皆が遭遇しないことを祈るよ」

 

 討伐隊が幾度か組まれたにもかかわらず、結局退治報告の入らなかったあの怪物を、この湿原に閉じ込めた話を彼らが知っているかどうかはわからないが、ジェイドあたりが知っていることを望みたい。むしろ、知っていてもらわなければ彼らがここで処刑されてしまう可能性があった。

 橋を渡りきり、意気揚々とぬかるんだ湿原へ一歩足を踏み出した瞬間。

 指に、何かが生じたような気がした。

 

「ん?」

 

 見れば、その場所には螺旋状の針金のようなものが浮き出ている。

 ウンディーネによってバチカルにたどり着いた瞬間、溶けるように消えてしまった契約の指環だった。

 いきなりどうして存在を主張しているのか。

 アッシュと連れ立って歩く中、首をひねりつつも触れたそのとき。

 

『──待て』

 

 頭の中に、かなり明朗な声が響いた。

 

(ウ、ウンディーネ!?)

『その通りだ、主。ノームの気配がする。話は私がつけよう、奴と契約を交わせ』

(交わせ、って、アッシュの前で!?)

『ローレライの同位体とはいえ、無関係の者を巻き込むのは好まぬ。だが、契約を強固とするためだ。ノームの声に応え、誓いを思念とせよ。ノームの了承は譜が刻まれることで汝に伝わるはずだ』

 

 つまり、スィンが契約を破らないよう、複数の意識集合体と契約を結ばせてより強く縛るつもりらしい。特に文句を思う気はないが、無理やり契約を結ばされるのはあまりいい気持ちではなかった。

 ついでに、ノームが了承しなかったらどうするつもりなのだろうか? 

 

『悪い~なあ。ウンディーネは~、ああ見えて疑り深いんだ~。下手に契約を破る~とぉ、姉妹のセルシウスまで呼ぶか~らぁ、気をつけたほうがいい~よぉ』

 

 そんなことを思っていると、突如間延びした男声が頭を反響した。

 頭を抱えたくなるのを抑えて、尋ねる。

 

(……誓い、思えばいいのかな?)

『お~、思え、思え~』

 

 どうでもいいが、意識集合体の声はこの間と違って空気を震わせているものではないらしく、隣のアッシュは何も反応がない。

 

(……僕が生きている限り、預言(スコア)の消滅に全力を尽くすことを誓うよ)

『その心がある限り~、我は汝の僕であることを誓お~う』

 

 どこまでも間延びした声と共に、契約の指環の一部がぼんやりと輝いた。

 よくよく見てみれば、ウンディーネの譜は手の甲側の上から二番目、ノームの譜は一番目に位置している。

 

『困ったことがあったら~、今までのように、いつでも言ってくれ~。戦うとき以外な~』

 

 ──そうして、気配は消え去った。

 これはひょっとすると、すべての意識集合体と契約を交わすことになるかもしれない。

 これからも、こんなことがあるのだろうか。その度に、隠し通すことはできるのだろうか。

 ……できない気がする。

 姿を消した指環を見送るでもなく軽く額に手を当てると、右を歩いていたアッシュにどん、と背中を叩かれた。

 

「……どうする?」

 

 見れば、前方にはどすどすと徘徊を続ける漆黒の巨体が、正規ルートである橋を塞いでいる。周囲、そしてベヒモスの口元を見て、ほっとスィンは一息ついた。

 

「よかった……とりあえず皆、奴の腹に納まってる感じじゃない」

「それは喜ばしいことだが、どうする? ラフレスの花粉を……」

 

 使おうか、とアッシュが続けようとして、固まった。

 スィンの腹から、輝きと共に剣が取り出される瞬間を目撃して。

 

「……な」

「ちょうどいいや。こいつの錆びになってもらうから、アッシュは離れててね。他の魔物に不意打ちくらわないように」

 

 今しがた返り血を浴びたような、とても鞘には収まりそうにない異形の剣がぎらりと輝いた。

 

「おい! それ、なん──」

「預かってて!」

 

 血桜を──それまで手に携えていた──を投げられ、それを受け取りながらベヒモスに駆け寄っていくスィンの背中を呆然と見つめる。

 ──二人がイニスタ湿原を徒歩で抜けるのは、これが二度目となる。

 一度目は、誘拐されたアッシュがスィンの手引きによってダアトを抜け出し、単身バチカルを目指したそのとき。

 監視についていたスィンは、慣れぬ旅路で溜まった疲労のあまり、力尽きてベヒモスのおやつにされかけていたアッシュを救うためにラフレスの花粉を投げつけた。

 ベヒモスがあまりに生命力のある、スィンの手にも負えないような怪物だったからなのか、単に戦うのが面倒だったからか。

 いずれにせよ、ベヒモスとの交戦を嫌ったのは間違いない。

 ならどうして──

 

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ!」

 

 それは、スィンが手を打ち鳴らしてベヒモスを誘導する、その様子にあった。ベヒモスのすぐ近くには、整備もされていないボロボロの橋がある。

 トチ狂ったベヒモスが橋に乗り上げでもしたら、いとも簡単に破壊されてしまうだろう。

 アッシュが固唾を呑んで見守る中、ベヒモスの小さな目が、スィンという名の獲物を捕らえた。幸いにも腹が減っていたのか、ベヒモスは迷うことなくスィンに突進してくる。もちろん橋には何の影響もない。

 これで気にかかる要素は消えた。

 見た目にはおどろおどろしく、かつ耐久性が心配される剣を構える。

 闘いに使うのは、今が本当に初めてだ。どれだけ使えるか、見極めたい。

 手始めに。

 

「魔神剣!」

 

 シグムント派、基本中の基本たる技を放つ。普段は威力には期待せず、機先を制するに使ってきた技ではあるが今回は勝手が違った。

 振りぬく速度が格段に下がっている。これでは、相手が相手ならあっさりと避けられてしまうだろう。

 しかし、ベヒモスは基本的に鈍重だ。

 突進のような溜めがあるときならまだしも、敵の攻撃を素早く避けるという芸はない。

 衝撃を乗せた刃が普段よりは大振りなせいか、いつもより大きく見える衝撃波が滑るように巨体へ迫り──

 

 ズバンッ!! 

 

「へっ?」

 

 グギャオォォ……!! 

 

 単なる魔神剣であるはずの衝撃波は、ベヒモスの足を半ばまで切り裂き、思い切りその巨体を転倒させた。

 ──なるほど。

 今まで見たこともない威力に体の奥から湧いてくる驚愕と興奮を抑えつつ、スィンはどこまでも冷静に分析した。

 振りぬく速度も、発動も、血桜を大きく下回る。その代わり、威力はそれらの短所をたやすく凌駕するほどに大きい。

 更にこの譜術武器の性能を知るべく、転倒したベヒモスに接敵して斬りつける。

 繰り出される一撃一撃は明らかに速度が鈍いものの、剣自身の重さを乗せた攻撃力はとてつもなく大きかった。

 惜しむらくは、スィンが力を主としたアルバート流剣術ではなく、疾さに重きを置くシグムント流を継承する一人だということである。

 スィンが得手とし、免許皆伝に至るは、アルバート流シグムント派だ。

 アルバート流の扱いは奥義書を見せてもらえる程度には学び、ヴァンがアッシュに指導するにあたって助力できる程度に使用は可能である。

 しかしスィンにとっては、実力においてもっとも不足する要素──純粋な筋力と体格が要求される流派だ。どんなに頑張っても極めることはできないだろう。それどころか、そこいらの雑魚ならともかく一流相手に通用するかも怪しかった。

 ぐぐっ、と巨体を起こしかけたベヒモスに、苛烈としか言いようがない攻撃を叩き込んでいく。

 

「弧月閃っ、白虎宵閃牙! 虎牙破斬、虎牙連斬! 崩襲脚、飛燕瞬連斬っ!」

 

 月の幻影を二度──否、四度斬りつけ、虎が獲物を噛み砕くが如く上下に幾度も斬り上げ、斬り下げた。

 地面に叩きつけられた頭を跳躍した上で踏み潰し、更に後ろへ回り込んで、空を駆け上がるように蹴りを含めた連撃を打ち込んでいく。

 本来敵を浮かせなければならないが、この巨体がほんの少しでも重力に逆らうことはなく、それでも巨体であるがゆえに外すことはない。

 持ち前の素早さを駆使して一息に攻撃を加えてしまうと、ベヒモスは満身創痍にもかかわらずどうにかこうにか、尻尾を振り上げた。ちょろちょろ動き回る獲物をなぎ払おうという魂胆か。そうはさせない。

 全力で、人目も気にせず暴れることができる歓喜、興奮から調子に乗ったスィンは、剣を担ぐように振りかぶると、尻尾のところまで走った。

 

「シグムント流・奥義──次元斬!」

 

 大気を切り裂いて、魔剣が壮絶に空を切る。外したか、と思われた一撃は、一瞬の間をおいて発動した。

 剣の軌跡を描くように、視認不可の極大刃がベヒモスの尻尾を根元から切断したのである。

 痛みか怒りか、空気をびりびりと震わせる咆哮を放ったベヒモスは、がばりと口を開いた。

 咽喉の奥から何かがちりちりと燃え──

 

「させるか! 轟破炎武槍!」

 

 肩の辺りで垂直に構えた剣に真紅の剣気を纏わせ、打ち出すように放つ。吐き出される寸前の炎は、押し込まれたそれと結合し炎上、ベヒモスの頭は巨大な松明と化した。

 まぎれもない苦悶が辺りに木霊する。

 どんな魔物であれ、苦しませるのは好まない。一気にケリをつける! 

 

「怒り狂う龍をも屠る一撃……その身に受けよ。屠龍逆鱗斬!」

 

 今度は腰溜めに構えた魔剣を、瞬迅剣の要領で突き入れる。根元まで突き入れた刃をぐるりと回転させ、逆袈裟に斬り上げると同時に剣を通して衝撃波が発生した。

 体内を攻撃されて、生きていられる生物はほんの一握りだ。そして、図体のでかい魔物は足元か、内側への攻撃がセオリーである。

 ベヒモスは、その巨体をゆっくりと傾け──べしゃっ、と湿原へ倒れこんだ。

 湿原の水分で、松明になっていた顔がじゅうじゅうと湿原を乾かしていく。

 討伐隊全滅の前科は伊達ではなく、なかなか音素(フォニム)に戻ろうとしなかったが、首を切り落とすと流石に力尽きたらしい。観念したように、巨体が音素へ還った。

 ベヒモスの体液まみれになった剣を振るい、外套の裾を切って丁寧にぬぐう。

 ふとアッシュを見やると、彼はカエル型とオタマジャクシ型の魔物相手に奮戦している真っ最中だった。

 

「やれやれ」

 

 どこまではしゃいでいる姿を見られたのかと憂いつつ、スィンは放り出されている血桜を手に取ると、彼の補助に努めるべく走った。

 

「アッシュ~、なんか落としたよ~」

「あ、それは……」

 

 

 

 

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