the abyss of despair   作:佐谷莢

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第六十七唱——待ち受けるその気配の名は、嵐

 

 

 

 

 

 

「だからっ、あの腹から出した剣はなんだったんだよ!」

「あーもう、うるさいなあ。読書中なんだから静かにしてよぉ」

 

 アッシュがイオンから預かったという、創世暦時代の禁書とやらを読みながら、スィンとアッシュはベルケンドへ到着していた。

 イニスタ湿原では、あれから放棄された馬車と、ベヒモスや他の魔物に捕まり、あえなく食料にされたであろう馬の残骸に野宿痕を見つけたものの、想定される惨劇の痕跡は見つからなかった。

 ベルケンドへ通じる橋の付近でラフレスの花粉が大量に散っていたのは、やはりベヒモス撃退に使用されたものなのかもしれない。

 道中、嫌がるアッシュから禁書を奪い取ったスィンは、戦闘を専ら彼に任せて幾度となく読み返していた。

 ちょろちょろ逃げるスィンから禁書を取り戻すのを諦めたアッシュが「気をつけろ」だの「手荒い扱いをすると破損」がどうたらこうたら喚いていたが、ページを破ったり血飛沫で汚したりといった粗相は今のところしていない。

 これで五回目くらいになる最終章を読み終え、スィンがぱたりと本を閉じる。

 また読み返すのか、と言いたげなアッシュに、スィンは本を差し出した。

 

「……駄目だ。ジェイドに読んでもらったほうがいい」

「結局理解できなかったのか?」

「説明がめんどくさい」

 

 ガクッ、と肩を落としたアッシュと連れ立って歩くと、街角にいた住民の視線が気になる。

 ──もしかして。

 

「すいません。こんな顔した男の子見ませんでしたか? もうちょっと違う感じの」

 

 アッシュの髪を強引に下げさせ、首根っこを掴んでつかつかと住民に近寄る。

「なにしやがる、離せ!」と喚いたために離してやるも、髪を上げるのは許さなかった。

 

「見たが……よく似てなさるな。双子かね?」

「誰がふた「似たようなもんです。どこに行ったかわかりますか?」

 

 どうもルークのことになると興奮しがちなアッシュの口を塞ぎ、適当に話を合わせる。

 人のよさそうなおじさんは、うーん、と頭を傾けながらある方向を指差した。

 

「何人かと連れ立って歩いていたら、ダアトの兵士さんに囲まれて、第一研究所に連れて行かれたよ。特務師団長、とか呼ばれてたなあ」

 

 ダアトの──神託の盾(オラクル)騎士団、第一研究所、特務師団長。

 アッシュに間違われ、研究所の責任者のディストあたりに命じられて、連行されたと考えるのが自然だろう。

 だが──それなら何故、ディストを毛嫌いしているはずのジェイドが大人しく従ったのだろうか。

 アッシュの話では、ノエルは、もう──

 

「い、いつ? 二日前ですか、三日前ですか?」

「いや、ついさっきだよ」

 

 さっ、とアッシュと眼を合わせ、何も言わずに頷く。

 

「ありがとうございます、それじゃ!」

 

 髪を直すアッシュを伴い、不審な目でこちらを見ている兵士がいないことを確かめて尋ねた。

 

「ねー。ノエルは助け出して、ベルケンドに向かわせた、って言ってたよね?」

「ああ。そうだが」

「今どこにいるのかな?」

「宿を取って待っていろ、と指示したが……」

 

 この言い草を見るに、どうも彼は神託の盾(オラクル)本部に監禁されていた彼女とは、ダアトで別れているらしい。

 

「所在確認したいから探そう? 幸いこの街、宿は多くなかったはず」

 

 観光地ではないゆえか、おそらくそう沢山建てても儲からないのだろう。

 数少ない通りがかりに聞いてみても、ベルケンドに宿は一軒しかないという。

 通りに面した宿屋に足を一歩踏み入れると、所在なさげに座っていた女性が「あっ!」と叫びつつ、ガタッと立ち上がった。

 

「よかった……無事だったんだ、ノエル」

「は、はい。アッシュさんに助けていただいて……」

 

 となると、ますますわからない。

 

「どうかしたのか?」

「うん。ノエルが人質に取られてるわけじゃないのに、なんであっさり連行されちゃったのかな……と思って」

 

 ぽつりとそれを呟いた途端、ノエルがそれを否定した。

 

「あ、あの! 私、ここで皆さんが連れて行かれるのを見ました! そのとき、皆さんを囲んだ兵士が『主席総長がお呼びです』って……!」

「!!」

 

 ヴァンが、ここにいる。彼らは、ヴァンに会うために、わざと──! 

 

「アッシュ! ノエルについててあげて、僕第一研究所に行ってくる!」

「待て、バカ!」

 

 きびすを返して飛び出しかけた彼女の襟首を掴み、アッシュは猫でもつまむように持ち上げた。

 流石に浮きはしないが、勢いに首を絞められ「ぐぇっ」と呻いて身動きを止める。

 

「俺に留守番とはどういう了見だっ!」

「じゃあ君、ヴァンに会いたい?」

 

 迷わず頷くには勇気のいる質問に、流石のアッシュもぐっ、と詰まった。その間に、掴まれていた手を外してノエルに向き直る。

 

「ごめんね。そんなわけで第一研究所行ってくる。もう少し待ってて?」

「わかりました。皆さんのお部屋、とっておきましょうか?」

「ん、お願い!」

 

 そのまま宿を飛び出せば、思いの他早くアッシュがついてきた。

 

「待ってろ、って言ったのに!」

「うるせぇ! じゃあてめえは平気なのかよ!」

「決まってる、会いたくてたまらない!」

「ああ!?」

 

 この階段を登って右の道を行けば第一研究所。

 階段に一歩足をかけたところで、スィンは容赦なく引き戻された。

 

「……何すんだよ」

「会いたくてたまらない、って、どういう意味だ!?」

「そのまま、さ。これでやっとケジメがつけられる、ってもの」

 

 今はグローブに隠れた、小指の指輪を見る。

 違えた道をこのまま突き進むのか、それとも──共に果てるのか。

 どちらかの道が修正されることだけはない、とスィンは考えていた。

 またも襟首を捕らえた手を、今度は掴んで握りしめる。

 狼狽するアッシュの瞳を覗き込み、スィンは「頼みがあるんだ」と囁いた。

 

「たの……み?」

「僕は、皆と……ルークやティアがヴァンと話し終わるまで待つよ。皆ヴァンと衝突するだろうけど、仲裁を頼みたい。こっちにはまだやることがあるんだ、今ここで戦うのは避けてほしい」

 

 ゆるゆると手を外し、階段を登る。

 アッシュの長靴の音を聞きながら、続ける。

 

「その後で、皆をノエルと合流させてあげて。あの禁書はそのとき、ジェイドに渡せば……」

「やめろ! 何を考えていやがる!」

「……安心しなよ。頼むのは、それだけだ」

「おい!」

「──さ、おしゃべりはここまで」

 

 第一研究所前。警備兵代わりだろうか、神託の盾(オラクル)兵士がなぜか常駐している。

 アッシュの顔を知っているらしく、フルフェイスの向こうから動揺が伝わってきた。

 

『な……!』

「其の荒らぶる心に、安らかな深淵を──」

 ♪ Toe Rey Ze Qlor Luo Toe Ze──

 

 余計な力をここで消費するわけにはいかない。応援を呼ばれる前に昏倒させ、ずかずかと踏み入っていく。

 治療目的でしか入ったことのない彼女に、以前スピノザを問い詰める以外、奥の部屋へ入ったことはなかった。それでも、レプリカ研究所の区域へ歩を進め、ほぼ当てずっぽうで最奥へと突き進む。

 ディストからもらった白衣が、ようやっと役に立った。

 そこへ至るまでに兵士がちらほら見えたものの、ここの研究者だとでも思われたか、咎められることもなく易々入り込めたのである。

 奥の扉の前にいた兵士をアッシュに任せ、扉に耳を押し当てた。

 

『──かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば、喜んで迎え入れよう』

『かねてからの約束……ああ、復讐を誓い合った同志、のことですか?』

 

 久々に聞くヴァンの声、すでに承知済み、というニュアンスを漂わせたジェイドの声。

 おかしな沈黙の漂った場に合わせるように、アッシュが兵士を昏倒させる。

 それはやけに響き、おそらく中の全員にも伝わったと思われた。

 

「……お願いする」

 

 ぽん、とアッシュの肩を叩き、扉の開閉スイッチを押す。

 彼はちらりとスィンに視線を寄せ、すぐに中へ入っていった。

 

「アッシュ!」

 

 扉は開いたまま。だから彼らの会話はしっかりと、部屋の外に潜むスィンにも聞こえた。

 ナタリアの声に引き続き、ヴァンがアッシュを勧誘している。

 

「待ちかねたぞ、アッシュ。おまえの超振動がなければ、私の計画は成り立たない。私と共に新しい世界の秩序を作ろう」

 

 彼は当然のように拒絶した。

 

「断る! 超振動が必要なら、そこのレプリカを使え!」

「雑魚に用はない。あれは劣化品だ。一人では完全な超振動を操ることもできぬ」

 

 はっ、と息を呑む気配がはっきりと伝わってくる。

 十中八九、ルークのものだ。

 

「あれは預言(スコア)通りに歴史が進んでいると思わせるための、捨てゴマだ」

「その言葉、取り消して!」

 

 ルークへの侮辱に、ティアが珍しい金切り声で非難するも、ヴァンは意に介する気配はない。

 

「ティア。おまえも目を覚ませ。その屑と共にパッセージリングを再起動させているようだが、セフィロトが暴走しては意味がない」

 

 ティアが武器を手にしたのか、何らかのアクションを取ってリグレットを刺激したらしい。

 軽く立ち居地を変えるような床をする音がして、ヴァンの制止が入る。

 

「かまわん、リグレット。この程度の敵、造作もない」

 

 次の瞬間。何かをした気配もないのに、刃を突きつけられたようなヴァンの殺気が伝わってきた。

 ぴりぴりと、場の緊張が高まっていく。

 その緊張がピークに達する直前、ジェイドがおそらく前へ出ていたであろうティアを制した。

 

「ティア。武器を収めなさい。……今の我々では分が悪い」

「ああ。この状況じゃ、俺たちも無傷って訳にはいかない。たとえ相打ちでも駄目なんだ。外殻を降下させる作業が、まだ残っている」

 

 ガイの声。

 そう、その通りだ。

 少なくとも……否。ここは全員、生きていてもらわなくては。

 

「……ヴァン。ここはお互い退こう。いいな?」

 

 アッシュの声。これで彼が頷けば──

 

「よろしいのですか?」

「アッシュの機嫌を取ってやるのも、悪くなかろう」

 

 余裕綽々の声音。

 あくまで我々が有利だと言いたいのか、リグレットが高圧的に言い放った。

 

「主席総長のお話は終わった。立ち去りなさい」

 

 アッシュ、よくやったえらい! 

 喝采を上げて褒めてやりたかったが、それはすべてが終わってそれを言う元気があったら、の話だ。

 ヴァンと、話ができる。

 どくんどくんと耳元に響く鼓動を深呼吸して音量の調整に努めながら、退室していく彼らを見下ろした。

 しんがりに出てきたアッシュがきょろきょろと見回しているも、まさか天井に張り付いているとは思わないだろうし、角度的にもわかるまい。

 一行がレプリカ研究施設──出口の方角がある区画へと去る。

 それを見計らって、スィンは扉の真ん前に降り立った。

 

 ぷしゅっ。

 

 ──どうも、ここの扉は開閉スイッチがオンになっている場合、熱感知か何かで自動ドアとなるらしい。

 最後の深呼吸をする前に扉は勝手に開き、床に手をつけた際のほこりを払い落とすスィンの姿は、彼らの前にさらされた。

 当然、反応する人は反応する。

 

「あっ。やべ」

「っ、女狐!?」

 

 ほぼ条件反射なのだろう。

 両手の譜銃を抜き照準を合わせたリグレットに、スィンは内心で頭をかきながら一息に接敵した。

 

「くっ」

「悪いね」

 

 トリガーに指がかかった瞬間、銃身を掴んであらぬ方向へ捻じ曲げる。

 べぎっ、という骨のへし折れた音、くぐもった悲鳴を上げたリグレットの人差し指は、ありえない方向へ曲がっていた。

 少なくとも、これで銃は使えまい。

 飛び退って距離を取るリグレットに詰め寄り、手にした譜銃の角でみぞおちを突く。思いの他うまく入ったらしく、彼女は小さく呻いて昏倒した。無力化には程遠いが、それでも健在であるよりかマシだ。

 取り上げた譜銃を背後に捨てる。ゆっくりと、本棚を背に立つ男を視界に収めた。

 最後に会ったのは、いつだっただろうか。

 弧を描く唇をそのまま、スィンはこれまでまとめるのを忘れていた髪をかきあげた。

 

「……シア」

「ご無沙汰。──会いたかったよ、ヴァン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アッシュ……バチカルでは、助けてくれてありがとう」

 

 第一研究所前。

 ここまで来て、一息ついた彼らはしんがりを歩いてきたアッシュに振り返った。

 

「そうだ。二人のおかげだよ。ここまで逃げてこられたのは」

「それで、スィンはどこに……」

 

 ガイの言葉を遮るように、アッシュはナタリアとルークの礼を突き放すような調子で跳ね除ける。

 

「勘違いするな。導師に言われて、仕方なく助けてやっただけだ」

「イオン様が!?」

 

 アニスが驚いたように眼を丸くするも、彼がそれに取り合うことはなかった。

 

「宿に行け、ノエルを待たせてある。導師からの預かりものを渡しておいた」

「おい! だからおまえ、スィンはどうした!? 宿にいるのか」

「……こいつらは外に連れ出したからな。あとは勝手にさせてもらう」

 

 ガイの言葉を意識ごと背けるようにぼそりと呟き。アッシュはきびすを返して研究所の中へ入った。

 

「アッシュ!?」

「あいつ、ここは退こうって自分で言っておいて……どういうつもりなんだ」

 

 扉に阻まれ、見えない背中を追いながら呆然とルークが呟く。

 ずれてもいない眼鏡のブリッジを押し上げるようにしていたジェイドが「……まさか」と呟いた。

 

「まさかとは思いますが……我々とは入れ違いに、スィンが独断でヴァンのもとへ行ったのかもしれませんねえ」

「どうしてですか? スィンは、兄に何の用事で……」

「ケセドニア降下中に聞き出しました。彼女はヴァンと、指輪を交わした仲なのだそうです」

 

 世間知らずのルーク、魔界(クリフォト)出身であるが故にオールドラントの因習を知らないティアが首を傾げるものの、他はガイを除いて、眼を見張るなど驚愕を隠し切れていない。

 

「しかるべき措置は取った、と言っていましたが、やはり面と向かって言わなければならないことがあるのでしょう。夫婦とは難しいものですねえ」

「はあ!?」

「!?」

 

 ルークの驚き、ティアの無言の驚愕。

 ようやく何のことなのか理解した二人は、遅れて反応を見せる。

 特にティアなど、「結婚……兄さんが?」と、珍しくショックをあらわとしていた。

 

「た、確かに、何もおかしなことはありませんが……な、納得できませんわ!」

「そういう問題じゃないと思うけど……じゃあどうすんの? アッシュに任せて、戻ってくるのを待った方がいいの?」

 

 幼少の頃から知り合う仲としてナタリアがエキサイトする傍で、アニスが比較的冷静な意見を出している。

 そして、黙りこくっていたガイが口を開いた。

 

「……皆は、そうしてくれ。俺はスィンのところへ行く。あいつとは話し合わなきゃならないことが山積みなんだ。離縁話がこじれて、夫婦喧嘩……じゃなくて殺し合いに発展させないようにしないと……」

「では、戻るのは私とガイでよろしいですね? 皆さんは宿で待機、と」

「何ナチュラルについてきてんだよ!」

 

 さあ行きましょうか、と歩き出したジェイドに、ガイは素早くくってかかっている。

 そんな彼に、ジェイドはにんまりと、心の底から愉しんでいます、と主張しているような表情で微笑んだ。

 

「いやですね~。こんな楽しそうな修羅場を見逃す手はありませんよ。スィンがヴァンと離縁したかどうかも、しっかり知っておきたいですし♪」

「あんたには関係ないだろうが! 頼むから、あいつをからかって遊ぶのはやめてくれ!」

「はっはっは。失敬ですね、からかった記憶なんてありませんよ」

「記憶がないだけだろーが!」

 

 と、連行されたルートで研究所内を騒がしく歩く最中。

 ふとジェイドが後ろを向いた。つられてガイも振り向けば、そこには。

 

「いけませんねぇ。宿で待機と言ったはずですよ」

「や、だって……心配だし」

 

 なんとなくついてきてしまった、といった風情のルークが、ばりばりと頭をかいた。

 

「私は野次馬根性です☆」

「わたくしは、スィンのこともありますがアッシュのことも気にかかります。やはり彼も、スィンのことを心配したのでは……」

「わ、わたしは……二人がどうするのか、知りたくて……」

 

 悪びれもしないアニスに、アッシュのことも念頭に入れているナタリア。

 主にヴァンのことを気にかけているティア。

 特に止める理由もなく、結局一行は総出でヴァンのもとへ戻ることになっていた。

 

 

 

 

 

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