the abyss of despair   作:佐谷莢

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第六十九唱——史上多難の痴話喧嘩が迎えたのは、終焉か輪廻か永遠か

 

 

 

 

 

 取り巻く風が四散する。

 これまでこの術を使い続けていたために単調な攻撃しかできなかったスィンは、深呼吸をするように己の気を高ぶらせていった。

 

「……あと五年。もつかもたないか、って言われた」

「ホド戦争で吸ったという毒ガスか? それとも──取り込んだ瘴気か?」

 

 彼の言う取り込んだ瘴気とは、おそらくパッセージリング起動において汚染された第七音素(セブンスフォニム)を取り込んだものを指しているのだろう。

 それを彼が知っている、ということは。

 

「前者だけではそう言われた。そろそろ合併症でも起こしかけているんじゃないかな?」

 

 合わせていた刃に力をこめる。

 その微妙な重さの変動にヴァンが反応を見せる前に、スィンは押し切るようにしてヴァンの脇を駆け抜けた。

 ギャリッ、という耳障りな音を残して、スィンの瞳がヴァンの大きな背中を映す。

 異性恐怖症がすべての異性に働いていた頃、よくリハビリに使わせてもらった、背中だった。この背中に抱きつくのが好きだった。抱きつけるようになった時は本当に嬉しかった。

 暖かくて優しい、心から安心した背中が、今はこんなにも遠く、脅威でしかない。

 彼が振り返る、その前に。

 刹那の隙を縫うように、スィンは腰を軽く落とした片手突きの姿勢──ガイであれば秋沙雨の予備動作の構えを取った。

 

「ぬぅっ!」

「シグムント流、奥義──斬光蝉時雨!」

 

 基本は秋沙雨と変わらぬ比較的軽い突きの連続ではあるが、それだけでは終わらない。倍加した乱れ突きで相手をかく乱した後、防御の損ねを狙って逆袈裟に近い切り上げ、切り払いをした後に簡易型の獅子戦吼で相手を吹き飛ばすように間合いを取った。

 シグムント流免許皆伝を目指す折に得た、使用者の負担さえ気にしなければアルバート流を破るともされた技だ。

 ヴァンを破るにはうってつけ、ではあるが。

 

「……く……」

 

 白衣を彼の血で染めたに飽き足らず、後先を考えない力の働かせ方により、スィンの肩も悲鳴を上げていた。

 後のことを考えなければならない通常戦闘ではおよそ使用に向かず、また護衛対象がいても使えるものではない。

 このような、決闘という状況下以外では。

 

「……(はや)いな」

「それだけが取り柄だからね」

「シグムント流が……アルバート流をしのぐであろう剣術だというのは、真であったか」

「正確には、アルバート流の弱点をつくとされた流派だから」

 

 だから、スィンはまだ優位に事を運べるようなものだ。

 もしもスィンがシグムント流派の使い手でなければ、アルバート流の剣技を使用できる程度に熟知していなければ、こんな死合い運びにはならなかっただろう。

 傷ついた背中をかばうヴァンに、流れるような連技を仕掛けていく。

 

「弧月斬、餓狼弧月斬っ!」

 

 弧月閃とはわずかに異なる型の剣技でヴァンに後退を余儀なくさせた後で、飢えた狼が獲物に追いすがるかのごとく大胆な踏み込みのもとに斬りこんでいく。

 袈裟と逆袈裟を繰り返して散った赤い粒は、スィンの猛攻を咎めるように降り注いだ。

 

「守護氷槍陣!」

 

 たまりかねたヴァンの一撃は、懐に飛び込みかけていたスィンを捕らえんと牙を剥く。

 地面より放射状に突き出した氷にタイミングよく飛び乗って宙を舞えば、彼はスィンの滞空時間を利用して小刻みに譜を唱えていた。

 

「グランドダッシャー!」

 

 重力に囚われたスィンが着地するその地点へ、大地はめきめきと音を立てて地割れを発生させていく。

 しかし、彼女は顔色ひとつ変えることなく螺旋状の指環を撫でた。

 

「──ノーム。汝の恩恵より、僕を少しだけ解き放って」

 

 自由落下中の体が、第二音素(セカンドフォニム)の輝きを伴ってふわりと浮き上がる。

 その真下で地割れからエネルギーが迸り、それが収まる頃にスィンは地面へ降り立っていた。

 同時に──ヴァンの正面へ。

 

「天空を舞いし龍、大地を駆けし虎。望みしは頑健たる汝らの牙! 零式・龍虎滅牙斬!」

 

 グランドダッシャーの余韻を利用した、龍虎滅牙斬の発展形である。基本は忠実であるものの、威力は体への負担同様莫大なものだった。

 地面を叩いた刃を中心に譜陣が展開し、牙を模した衝撃波が天へ上っていく。

 まばゆい衝撃が、持ち上がる土埃が視界を覆い隠し、ヴァンがどのような状態になっているのか、視認することは叶わなかった。

 ほとんど血桜にもたれかかるようにして、土煙に隠れたヴァンの姿を探す。

 譜術を使った直後だったのだ。回避はほぼ不可能と考えていい。直撃は除外、残るは、防御術が間に合ったか否か──

 かつんっ、と背後で小石が転がる。

 振り向きたい衝動をこらえ、スィンはまったく反対の方向へ足を踏み出して、

 

 ギィンッ!! 

 

 鋼と鋼が盛大に激突し、火花が散った。

 

「やはり見抜かれていたか」

「それをやるなら気配とか足音を消さないと」

 

 ぎりぎり、と鈍色と緋の刃が鍔競り合う。

 直前で噛み合う位置を変えられて、本来の威力を半減された大剣が、そんなことは関係ないと言いたげに押し込まれた。

 威力を最大限までに殺したためにどうにか受け止めていた血桜が、それを操るスィンの手が力比べに負けてじりじりと押されていく。

 浅くはあるが幾多の傷を負うゆえか、息の上がりかけているヴァンに比べれば、スィンのそれは比較的無傷に近い。

 一度離れようか、と考え、大地を踏みしめたそのとき。

 ヴァンの視線が、あらぬ方向へと向けられた。

 

「?」

 

 あのヴァンが、戦闘中余所見をするなど実に珍しいことである。

 もしかしたら、スィンが知らないうちにつけてしまった彼の癖なのかもしれないが、それでも何もないところへ視線を向けるわけがない。

 何かあると確信していても、確認したいとは思っていようと、スィンにそれだけの余裕はなかった。

 たとえヴァンのように一瞬であれ、自分の背後に位置するその先を見据えるのは敗北を意味していたから。

 その唇に蛇のうねるような笑みが宿ったのと、背中に衝撃が走ったのはほぼ同時だった。

 

「!?」

 

 衝撃は燃えるような熱さを呼び、焼き鏝を押し付けられたかのような灼熱はじくじくと痛覚を刺激する。

 一挙に冷えた気がする体を総動員して横っ飛びに転がれば、立っていた位置──足首の辺りに、チュインッと何かが弾けて飛んだ。

 

「閣下! ご無事ですか!」

 

 交戦の激しさを語る、荒らされた大地を蹴って現れたのは彼の副官、魔弾のリグレットだった。

 折られた人差し指は手製の添え木を当てて縛っており、構えた古臭い小銃の引き金には驚いたことに中指があてがわれている。

 スィンが身を起こしている間、彼女は無傷ではないヴァンを見て眉を吊り上げた。

 

「……! おのれ女狐!」

「大事はない。頭に血を昇らせるな」

 

 ヴァンが彼女をいさめる間に、留まることを知らない痛みの箇所に手をやれば、予想通り大量の血液がとめどなく流れている。これまでヴァンにつけたものとは比べ物にもならない。

 幸いにして急所は外れているが、時間が立てば立つほど危険な傷であると、出血量から判断できた。

 はやくも貧血の症状だろうか、どことなく足元がフラついてくる。

 

「これ以上は手を出すな」

「……はい」

 

 癒しの譜歌を使う暇はなかった。

 リグレットの接近に気づかなかったスィンに非があると、彼は考えたのだろう。『決闘』を邪魔された苛立ちはあれど、容赦をする気配は一向に見られない。

 その事実が、何を示しているのかは察しかねるが、それでも退くつもりはなかった。

 どうせこの怪我では、下手に逃げてもたかがしれている。それならば、いっそ。

 もはや受けるという愚を冒さず、刃がかみ合う寸前で受け流し、後退を余儀なくされるスィンを一歩一歩追い詰めながら、ヴァンはうっすらと唇に笑みを刻んでいた。

 一合交わすごとに、スィンの顔色から血の気が失せ、動きに精彩が失われていく。彼女が落ちるのは、もはや時間の問題だった。

 たまたま足場の悪い位置を踏みしめたスィンが、平素なら考えられないほどの無防備さで大きく体勢を崩す。

 そこを見逃すわけもなく、ヴァンは躊躇なく秘奥義を発動させた。

 

「己が敗北を認め、我が軍門に下れ!」

 

 大地へ突きつけられた大剣を中心に蒼い輝きを伴った譜陣が浮かび上がる。

 逃げないと、という呟きが脳裏を警鐘さながらに駆け巡ったが、その際スィンが行ったのは吐き気をこらえるように口元へ手を当てることだけだった。

 輝きの奔流は対象たるスィンを絡めとる。そして技は完成した。

 

「──星皇蒼破陣!」

 

 大剣が引き抜かれ、大地のすぐ下を這っていた衝撃のすべてが捉えた標的の全身を砕く。

 全身を貫かれるような衝撃を受けようと、その際血桜が弾かれ、あらぬ方角へ飛ばされようと。

 口元に覆われた手だけは、うっすらと開かれた瞳だけは外されることも閉ざされることもなかった。

 

「生きとし生けるもの全ての母よ。そなたの宿せし穢れは、誰の罪や?」

 

 ひゅっ、と空を切り裂く音が聞こえたかと思うと、ふくらはぎの辺りに鈍痛が走った。

 特にずたずたになっていた腕をかばって走っていたスィンが、もんどりうってその場に倒れこむ。

 星皇蒼破陣の余韻が消え去る頃、逃げるかのように走った彼女を、リグレットが精密な射撃で──人差し指が使えないくせに──足を撃ち抜いたのだった。

 とどめのつもりなのか、人差し指の仕返しか、もう片方の足にも撃ち込まれる。

 全身をくまなく走り回る痛覚のせいで、新たな痛みを覚えたという感覚がない。

 強いていうなら、大きな衝撃がまたひとつ体に風穴を作った、というところか。

 

「──シア。起きているか?」

 

 起き上がろうとしないスィンに、ひとつの足音が近寄ってきた。

「閣下!」という制止にこれっぽっちも反応した気配はない。

 

「……一応」

 

 小さくぼそりと呟いた瞬間、抱き起こされて顎を持ち上げられる。

 ぱちり、と瞬けば、くっきりとヴァンの顔があった。

 

「負けを認めろ。でなければ、我らは本当に死別しかねん」

「……それで僕はかまわない……と言いたいところだけど、そうも言ってられないね」

 

 わずかな喜色を浮かべたヴァンを見据えながら、スィンはゆっくりと片手を地面へ押し当てる。

 もう片方の手で口元を伝った血を拭いつつ、微笑むように目元を和らげた。

 

「負けは認めない。まだ、勝負は終わってない」

 

 眼を見張ったヴァンの腕から余力を振り絞って逃れ、膝をつくように大地に手のひらを押し付ける。

 紡ぎ続けていた譜を、そこいらの音素(フォニム)と紛れ込まないうちに最後の譜を唱え、結んだ。

 

「我は、彼の者に償いを命じる──インテルナル・グラヴィトン!」

 

 その瞬間。大地はまるでのた打ち回るかのような身震いを始めていた。

 

「な……!」

 

 地震にしては規模が小さく、限られたフィールドで力が働いているのか、周囲の海は静かなものである。

 しかし楽観できるものではないと、彼らは次の瞬間を目にして戦慄した。

 ビシビシッ、と大地に亀裂が走る。

 まるで崩落を連想させる光景だったが、その地割れから毒々しい紫の靄が噴出されたのを見て、リグレットが叫んだ。

 

「瘴気!?」

「正解。あなたを巻き込んだのは心苦しくて好都合だ。せっかくだから、苦しんでくれ」

 

 その言葉が終わるか終わらないか、その刹那でヴァンが小さく口元を動かしたのをスィンは見逃さなかった。

 やはりその手段を使うか、ならばその隙を利用させてもらうまで。

 第二音素(セカンドフォニム)に属する古代秘譜術を操作し、瘴気の発生を──正確には瘴気を模した濃度調整可能のモドキを──停止する。

 

「堅固たる守り手の調べ──」

「母なる抱擁に覚えるは安寧──」

 

 ♪ クロア リュオ ズェ トゥエ リュオ レイ ネゥ リュオ ズェ ──

 ♪ Qlor Luo Ze Toe Luo Rey Nu Luo Ze ──

 

 バチカルのときのように示し合わせたわけではないため、わずかな差異はあったものの、アルトとバリトンの二重奏は張り巡らされた靄を一挙に浄化していった。

 驚いたのはヴァンである。

 

「!?」

 

 合唱に気づかなかったわけもなく、矛盾した行動をとった彼女に疑念をぶつけるべく、当人の姿を探して。

 

 ドカッ! 

 

「ぐあっ!」

 

 後ろから肩口にめり込んだ衝撃に、ヴァンは膝をつきながらも大剣を振るった。

 ぎんっ、と明らかに重くなった刀身を弾き、後ろを見れば、そこには。

 まるで血に濡れたかのような魔剣を振りかざし、返り血をまともに浴びて朱色に染まるスィンの姿があった。

 少しだけ吸ってしまった瘴気の影響で濁った咳を吐きながら、ヴァンの姿勢が崩れている隙に剣を振るう。

 ガギンッ、と硬質音が大気を震わせ、切っ先が流れぬよう抑えようとして。

 

 ドン──ッ! 

 

 かつてない衝撃を叩き込まれ、視界が、体が震えた。

 今度こそこらえきれず、衝撃を流すこともできぬまま、体がふわりと宙を舞う。

 直後、重力に引かれていやというほど地面へ叩きつけられた。

 

「げほっ……」

 

 こらえる気もなくした血を思う様吐き出す。

 咳をし、体が震えるたびに、麻痺していた痛覚が眼を醒ましていった。

 今度こそ手放すまいと握りしめていた剣が、腕を踏まれてあっさりと取り上げられる。

 重たげにその柄を握り、切っ先を垂直──仰向けになったスィンの胸に向けていたのは、険しい眼で彼女を睨むリグレットだった。

 

「よくも閣下を……!」

「やめろ!」

 

 その声が聞こえたのと、刃が振り下ろされたのは、ほぼ同時。

 背中合わせの斧刃に似た切っ先が、今や紅衣とでも称した方がいい白衣に覆われた胸へ突き刺さる。

 肩を負傷し、鎖骨まで折れているとは思えぬ速さでヴァンがリグレットの腕を取るのと、自重で刃が沈むのは、ほんの少しの差異があった。

 ヴァンがリグレットに叱責か何かを下している。それを横目に、刺された瞬間働かせたコンタミネーションをそのまま作動、剣を再び体内へ収めた。

 おそらく自分自身の血溜まりだろう。ぬるま湯のようなぬかるみに浸かったような気持ち悪さを覚えながら、これだけは、と懐に手を伸ばした。

 力の入らない右手が掴んだのは、先ほどつき返された懐刀。

 ヴァンを討つことができなかった以上、最早スィンが帰還することはできないだろう。少なくとも、ヴァンの傍から離れることはできない──

 薬で自我を破壊されて単に能力だけを悪用されるかもしれないし、レプリカ情報を抜き取られてそのまま……

 何をされるかも、どうなるかもわからないが。

 少なくとも、ルークたちの──ガイの益になることはない。ならば。

 この体が、ユリアと同じ振動数であることに加えた能力が、ヴァンの手に渡る前に。

 壊す。

 ゆるゆると短刀が取り出され、その過程で鞘を外した。

 黒く塗られた切っ先が、心臓の真上に突きつけられる。

 ちらりと思い浮かんだのは、生きて戻って来いといった祖父と、精霊たちと交わした約束だった。

 

(命ある限り、って言ったんだ。あながち間違いじゃないよね)

 

 自分の血でぬめる柄をどうにか握りなおし、残る力を振り絞って持ち上げた体を反転させる。

 漆黒の刃は体重による自重で心臓に深く突き刺さる──はずだった。

 不意にわき腹を蹴られ、あっさりと体勢を崩して仰向けにさせられる。もぎ取られた懐刀が、遥か後方へ投げ捨てられた。

 

 これでは──今、最後の手段を使わないと自害は失敗する! 

 

 予備動作も覚悟もなく舌を噛もうとしたスィンは、直後、がちんっ! と音を立てた衝撃の痛さに一瞬動くのをやめた。

 息苦しい。後頭部がしっかりと抑えられ、口の中を生暖かいものが侵食している。

 これは──

 

「んんっ!」

 

 懐に残っていた鞘を掴み、ヴァンのこめかみを殴って拘束を緩めさせる。首を振って密着中だった唇を離れさせると、芋虫のように転がって距離を取った。両腕はともかく、両足の感覚がないのだから、致し方ない。

 短刀が投げられたであろう後方へ転がり、手探りでその柄を掴んで回収する。

 血を吐いたからだろうか。

 ルージュをひいたように赤くなっている、スィンと重ねた唇をぐい、と親指になするヴァンの仕草に、自分で自覚ができるほど赤くなった。

 

「この期に及んで、死別を果たそうとするその覚悟は認めよう。しかし、私がそれを許すとでも思ったのか?」

 

 肩を深く斬られ、鎖骨まで叩き折られたとは思えぬ足取りで、歩み寄ってくる。

 

「約束のときまで、死なせてたまるか。お前は私のものだ」

 

 いちいち言わなくてもわかりきっていることを口にするのは、一重にスィンの心をぐらつかせるためなのか。

 大剣を収めたのを見るに、スィンが懐刀を手にしていることは彼は知らない。

 ロクに動かぬこの体でどこまで戦えるものか、それを瞬時に試算して──

 

「──大地の咆哮! 其は怒れる、地龍の爪牙っ!」

 

 まるで怒鳴るかのような詠唱──牽制するためだろうか──に、ヴァンが顔色を変えた。直後。

 

「グランドダッシャー!」

 

 ヴァンのものではない譜術が発動し、スィンとヴァンを隔てるように地割れからエネルギーが迸る。

 

「……来たか」

「スターストローク!」

 

 天より飛来する矢をヴァンが弾いている間に、彼と同じ髪色の少女が前へ出た。

 

「エクレールラルム!」

「くっ……」

 

 立ち上る光を回避せんとヴァンが大きく下がったとき、入れ替わるように黒衣をまとう真紅の髪の青年がスィンに駆け寄った。

 

「シア……」

 

 へたり込んだままのスィンを一目見、絶句する。

 それでも硬直することはなく横に抱きかかえ、後退するティアと共にナタリアの元へ走った。

 

「スィンッ!」

「……ガイラルディア様。ご無沙汰しております」

 

 そして、遅ればせながら走ってきたルーク、ガイと対面する。

 主を前にしても立とうとはしない──立てないスィンをゆっくりと地面に下ろし、アッシュは腰の黒剣を引き抜いてヴァンと対峙した。

 

「てめえ、俺たちは見逃してシア一人を狙うとは、どういう了見だッ!」

「アッシュ……何故そこまでシアに入れ込む? 私におまえの誘拐を促した当人だというのに」

 

 ──おそらく、彼はここで仲違いを図り、スィンの孤立を目論んだのだろう。

 が、アッシュはその言葉に小揺るぎもしていなかった。

 

「それがどうした。そのことならもう、七年も前に聞いている!」

「……アッシュ、それ胸張って言うことじゃない」

 

 ティアたちの治癒術により、痛みのひいた体で彼の眼前へ歩もうとする。

 ジェイドに肩を掴まれて身を震わせて歩を止めはしたものの、このまま彼らの背に隠れてしまうわけにはいかなかった。

 

「決着がつけられなかったのは残念だけど、介入者を招いたのはお互い様のはずだから、もう意味を成さないよね? 本当なら寄ってたかってボコにするべきだけど、泥仕合になるだけだから」

「──現にあなたはボロボロですからねえ」

 

 余計なことを呟く頭上の声は無視。

 

「だからアッシュの提案をもう一度繰り返す。『……ヴァン。ここはお互い退こう。いいな?』」

「なんで声真似をする必要があるんだっ!」

 

 実に迅速な突っ込みに、スィンは笑おうとして──失敗した。

 目元を手のひらで覆い、唇を歪ませるだけに留める。

 それを見たアッシュが、その表情を変える前に。

 

「──聖なる焔の光たちが、同じ燭台にその輝きを灯すとき。栄光を掴むものは……奈落の底へ落つ。そして世界は、在るべき姿を取り戻すであろう」

 

 言葉が締めくくられた直後、輝きは唐突に消え失せる。スィンの指先から弾かれた爪の先ほどの譜石が、砂礫の間に埋もれていった。

 唐突に詠まれた預言(スコア)を前に、誰もが硬直している。

 

「君が辿るその道に先はない。どうせ君はそれを認めないだろ、そのまま転げて落っこちろ。もう止めないからさ」

「く、くだらない虚言を!」

「好きな解釈をすればいい。嘘か本当かは、そのうちわかること」

 

 今更こんなもので止められるとも思わないが、牽制になればそれでいい。

 完全に黙ってしまったヴァンをかばうようにリグレットが反論を唱えかけ、あっさりと黙った。

 この世界の住人である以上、排除しようという考えの持ち主でも、預言(スコア)の信用度がゼロであるわけがない。

 無知によるもどかしさと、知っていることにより発生する恐怖。選ぶのは個人の自由であるが──彼らが選ぶのは、前者だろう。

 彼らとて、知らなければこのような事態を引き起こしはしなかったのだから。

 

「……スィンフレデリカ!」

 

 呼ばれた名の懐かしさに、思わず気が遠くなった気がした。

 呼んだのは、もちろんのことヴァンである。

 

「……久しぶりに口にしてくれたね。従者である僕の名を」

「今一度尋ねよう。お前が真に討ち取るべきは、その男ではないのか」

 

 血の流しすぎだろうか。あまり頭が働いていないらしい。

 仲間割れを誘うなら、フルネームを出した方がいいのに。

 

「仲間割れしてほしいのか、せせこましい。僕はガイラルディア様の心に殉ずるよ」

 

 これで何があったのか理解できる人間は、少なくともこの場に存在はしなかった。

 だが、彼の副官はその空気に流されることなくヴァンに寄り添う。

 

「覚えていろ女狐……! 貴様の詠んだ預言(スコア)など認めない、必ずや覆してみせる!」

 

 一方的にそれを宣言した後、リグレットはデオ峠でも使った閃光弾を用いて逃走を果たしていた。

 残されたのは一行と、痴話喧嘩、もとい交戦により激しく磨耗した大地のみ。

 

「はーっ……」

 

 彼らが消えたことにより、緊張状態から解放されたスィンは、その場に座りこもうとした。

 掴んでいた肩が下へひっぱられる感触で、いち早くそれを察知したジェイドに支えられ、ゆっくりと地面へ横たえられることとなったが。

 

「剣の傷はあらかた癒えている……問題はこの銃創ですか。リグレットに加勢されるまでは、互角だったようですね」

 

 体を調べているのはジェイドなのだが、反応は鈍い。

 治しきれなかった患部に触れても痛みを訴えず、眼が虚ろなところを見ると、これは──

 

「しっかりしろ、シア!」

 

 口を聞く元気すらない、といった風情の彼女を揺さぶろうとするアッシュを制し、ガイがスィンの正面に回った。

 

「……スィン……あ、姉上。俺がわかりますか?」

「ガイ様。そんな意表をつく真似をされなくても意識はあります。だからどうか、驚かせないでください」

 

 ぐっ、と両腕に力を入れて、上半身を持ち上げる。

 動いたことによって発生した新鮮な鉄錆の匂いは、潮風がさらってくれることを願って。

 

「ティア、ナタリア。大雑把でいいですからスィンの傷を塞いでください」

「お、大雑把に、ですか? 時間はかかりますが、完全に治癒したほうが……」

「背中の銃弾が貫通していませんのでね。本当はこのままの方がいいのですが、出血量に問題があります。死ぬほどつらいでしょうが、こんなところで弾の摘出なぞすれば、それこそ命に関わりますからねえ。構いませんね、スィン?」

「……イヤだって言っても、そうするつもりでしょうが」

 

 そう言ってどうにか渋面を作り、ジェイドの返事を聞く前に。

 上体をどうにか起こしていたスィンは、力尽きたかのように脱力した。

 

「おわっ!」

 

 地面へ激突しそうになったその頭を、ガイが慌てて抱える。

 幾度も返り血を浴びたらしいその髪は血の凝固作用によって固まり、本来の色をほとんど失っていた。

 

「スィン! どうしたんだよ、おい!」

「静かに。血を失いすぎて気絶したんですよ」

 

 いきなり意識を飛ばしたスィンに動揺するルークを、ジェイドは冷静になだめている。

 

「ま、この出血量からすれば今まで起きていられたことに賞賛するべきですね」

 

 血桜、懐刀ともに鞘へ収め、ジェイドがそれらを携えて立ち上がった。

 とりあえず血止めを目的とした治療を済ませ、ガイがスィンを抱え上げようとして、小さな騒動が起きる。

 

「ガイ。そうやって運ぶのは負担が大きいから、背負った方がいいと思うわ」

「う。せ、背負うのは、まだちょっと」

 

 それからスィンが眼を醒ましたのは、それからしばらくしてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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