the abyss of despair   作:佐谷莢

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第七十唱——戦い疲れ、残る哀しみは

 

 

 

 

 ベルケンドに一軒しかない宿へ入り、一行はロビーに佇んでいた少女と再会していた。

 

「ノエル! 無事だったのか!」

 

 ほっとした、といった風情のルークに、ノエルは微笑みを浮かべて頷いている。

 

「はい。アッシュさんに助けて頂きました」

「よかったですの!」

 

 ミュウを始めとする一行は再会を喜んでいるものの、彼女の顔色は優れない。

 

「あの、アッシュさん。スィンさんは、どちらに……?」

「そこだ」

 

 ぶっきらぼうに彼が指したのは、ジェイドだった。

「はい♪」とタイミングよく前に出れば、彼が背負うぐったりとしたスィンの姿があらわとなる。

 ノエルは、当初白衣をまとい雪色の髪をしていた彼女が何故赤い服を着込み、髪を赤く染めているのか疑問に思っていたようだったが、やがて事実に気づいてビクッ、と体を震わせた。

 

「な、何があったんです!? ひどい……こんな……」

「……ちょっと、話がもつれちゃって」

 

 いたたまれなくなったのか、スィンがむくりと顔を上げる。

 パッ、と合わせた顔が「早いお目覚めですねえ」と宣うを見て、げんなりとした様子になった。

 

「……降ろしてほしいんですが」

「いつまでもそうだから、治るものも治らないんですよ。アクゼリュス行きの最中はあんなに奮闘していたのに」

「……根に持つんだから……」

 

 自力で降りようと試みてはいるが、わずかに体を動かすだけで痛みが走るのか、億劫そうにジェイドの腕を外そうとしている。

 その間にも、会話は続いていた。

 

「ただ、アルビオールの飛行機能はダアトで封じられてしまいました」

「どういうことなの? 飛べないのなら、どうやってここに……」

「水上走行は可能だったので、それでなんとか」

 

 ティアの質問にノエルが答え、ガイはその理由を推測している。

 

「そうか。多分浮遊機関を操作している、飛行譜石が取り外されたんだな」

「じゃあ、それを探さないと飛べないのか」

「ああ。現状では船とかわらないってことさ」

 

 アルビオールが単なる鉄塊にならなかっただけマシだが、イニスタ湿原で乗り物のありがたさを嫌というほど学んだ一行に、本来の機能が失われてしまったのは大きかった。ノエルも、沈痛そうな表情を隠そうとしない。

 一方で、一行と違い空飛ぶ経験は皆無のアッシュは、スィンをジェイドの背から降ろしてノエルの座っていた椅子に腰掛けさせると、おもむろに机の上にあるそれをとった。

 

「イオンから、これを渡すように頼まれた」

 

 差し出されたのは一冊の本。

 湿原を抜けてからスィンが奪い取り五回ほど読み返した、あの禁書である。

 

「これは、創生暦時代の歴史書……。ローレライ教団の禁書です」

 

 流石というべきか、なんというか。

 ジェイドはそれをパラパラめくっただけで看破していた。

 

「禁書って、教団が有害指定して、回収しちゃった本ですよね」

「ええ。それもかなり古いものだ」

 

 アニスに答えながらも、ジェイドの眼はすでに禁書の内容を追い始めている。

 

「あんたに渡せば、外殻大地降下の手助けになると言っていた」

 

 しばらく黙って斜め読みしていたジェイドであったが、軽く眉間に筋を入れたかと思うと、顔を上げた。

 

「──読み込むのに、時間がかかります。話は明日でもいいですか?」

「いいんじゃないか? この中でその本を理解できそうなのはジェイドぐらいだし」

 

 何か物言いたげにアッシュがちらりとスィンを見たが、それに気づいた者はいない。

 ガイの提案を反対するものはいないと判断し、ルークが決定した。

 

「頼むよ、ジェイド」

「わかりました」

 

 パタン、とかび臭い本が閉じられる。同時に、スィンは力を込めて立ち上がった。

 みし、と足の骨がきしんだような気がしたが、努めてポーカーフェイスを気取る。

 

「さて──ね、ノエル。部屋取っといてくれた?」

「あ、はい! ちょっと待ってくださいね」

 

 ポケットを探る彼女が、「あっ」と零した。

 どうしたのか、と問えば、ノエルは申し訳なさそうにうなだれている。

 

「ごめんなさい、私──自分を数えるのを忘れていました」

 

 彼女の手にある鍵、その本数を見て、あー、とアニスが呟いた。

 

「男部屋女部屋、って取っちゃったんだね」

 

 鍵は二本。

 おそらく、四人部屋をふたつ取ったのだろう、もしくはそれしか取れなかったか。

 なんにせよ、好都合である。

 

「じゃあ僕、一人部屋取っちゃお。駄目ならアルビオールで寝る」

「そんな! 悪いですよ、アルビオールに寝泊りするなら、私が──」

「だってノエル、いつもいつもアルビオールにこもりっきりでしょ? たまにはふかふかの布団で手足伸ばして眠りたいと思わない?」

「でも」

 

 それ以上彼女に取り合わず、カウンターへ歩み寄る。

 少し足をひきずったが、些細なものだ。気づかれていないことを願う。

 そしてスィンは、ひとつの鍵を手にして一行のもとに戻ってきた。

 

「それじゃ、お先に」

 

 夕飯は要りませんから~、と残して、さっさと歩き去ろうとして、痛みを堪えきれずゆっくり移動を強いられる。

 部屋番号を確かめかけて、スィンはぴたりと立ち止まった。

 

「……どうかしましたか? 大部屋は反対方向のはずですが」

 

 くるりと振り返れば、ジェイド、アッシュ、ガイの三人がそこにいる。

 代表してか、ジェイドが胡散臭い笑顔で本を片手に肩をすくめた。

 

「またまたぁ、わかっているくせに♪」

「……治療のことなら、自分でできます。大佐はどうぞ、本の解読に集中してください」

「無茶言うな。背中の銃弾なんかどうやって自力で摘出するんだよ」

 

 不可能ではない。何もかもを無視して目標を引きずり出した後、損傷した部分をまとめて癒せばいいのだ。

 ……かなりの苦痛との戦いに勝てれば、の話だが。

 

「それに……あんたに対するヴァンの執着ぶりは半端じゃなかった。一人になったところで拉致られたらたまったもんじゃないだろう」

 

 一度外してから、棄てようとしてもゆるんでくれなかった拳を締めなおす。

 自覚するにはなんとも気恥ずかしいが、事実だ。眼を背けるわけにはいかない。

 

「そういうことです。あなたのことだから、子供や女性に血なまぐさいものを見せるわけにはいかないだの言うと思って、あえてこのメンバーにしてみました。いかがです?」

「……図星だけど、そこまで察してくれたのなら放っておいてほしかったな。アッシュにも、ガイ様にも、あんまり見てほしいものじゃない。……もちろんあなたにも」

「私は軍人であり、監察医の経験もあります。むしろ見慣れていますが?」

「個人的な本音、あなたに素肌を見られたくなかっただけです!」

 

 ちらりと二人に視線を送るも、説得できるような雰囲気ではない。ジェイドは、最初(ハナ)から問題外だ。残念ながら、スィンの技量では逆立ちしても説き伏せることは難しいだろう。

 ふぅ、とため息をつき、それ以上話すことを拒否して歩行を再開した。

 そっとひとつの気配が接近し、優しく体を支えられる。普段なら遠慮するところ、ありがたく肩を借りた。

 

「……なあ」

「なんですか、ガイ様?」

「その……おまえが、俺の……腹違いの姉上だっていうのは、本当なのか?」

 

 ひそひそと囁かれた言葉。

 それを噛み締めるかのように、スィンは一拍置いてから彼の耳元に唇を寄せた。

 

「……バチカルでおじいちゃんに確認しました。僕の体には、旦那さまの血が流れているそうです」

「それじゃ……!」

「でも、血脈はあくまで血脈でしかないと考えます。血が半分繋がっていようと、あなたは僕の主である事実は変わらないし、血の繋がりがなかろうと親子は親子、ではないでしょうか」

 

 黙ってしまったガイに軽く会釈をし、歩き続ける。

 目的の部屋の前に到達し、スィンは無言で鍵を突き刺すとノブを回した。

 ガイに礼を囁いてから、自力で部屋の中へ入る。

 中央の寝台──個室がなかったのか、キングサイズ──に荷袋を置くと、スィンはその中から救急箱を取り出した。

 

「……消毒液がもうちょっとしか無い、買ってこないと」

「心配には及びませんよ、ほら」

 

 やけに楽しそうなジェイドの声に、いぶかしがりながら彼を見る。

 そして──スィンは頭痛を起こしたように額を押さえた。

 

「まさか、それで患部を消毒するおつもりで?」

「そのまさかです。純度が高いから、エチルアルコールの代わりにはなるでしょう」

 

 ジェイドが笑顔で手にしていたもの。それは、一瓶のブランデーだった。

 封が切られていないところを見ると、買ってきたばかりらしい。

 

「そんなもったいないことしないでください。……じゃなくて、いつの間に仕入れたんですか、そんなの」

「あなたがまだ、私の背中でく~ぴゅるる~、と寝息を立てていたときのことです。アッシュが第一研究所専属の医師にあなたを預けようとおばかな提案をしたとき、店先にあったので購入してみました」

 

 余計な情報が混じりまくっていることはさておき。

 必要、または重要な情報を抜き出して思った感想。

 

「……ああ。うん、ばかだねえ」

「悪かったなっ! あんたはいつもあそこにかかっているという話を思い出したから、ヴァンがいるかもしれないということを思わず忘れて」

「ありがとう、アッシュ。心配してくれて。ごめんね」

 

 心持複雑そうに見えるが、それでも笑顔を向けられ、アッシュの頬がほんのりと上気させる。

 フン、と彼がそっぽを向く頃、その笑顔も消えて表情が引き締められていた。

 

「じゃ……お願いしましょうか」

 

 針より少し太く、長さはスィンの中指から手首のあたりまでというナイフや、普通の形のピンセットから少し特殊な形状のピンセットまで、ずらずらと並べ酒を浸した布で消毒する。

 とにかく、歩く度に痛みを覚える背中をお願いしようと考え、赤く染まった白衣に手をかけて。ジロッと男性陣を見た。

 

「どうしました?」

「紳士の自覚があるならあっちを向いていてください。アッシュはこっち」

 

 ジェイドとガイに背中を向けさせ、対象外のアッシュを手招きする。

 

「悪いけど、脱ぐの手伝って」

「わかった」

 

 大真面目にアッシュが応じる。

 一緒に風呂すら入った仲だ。恥ずかしいという感情はない。

 

「……また傷が増えたな」

「これは傷じゃなくて、誇りと勲章っていうんだよ」

 

 白衣の腕を引き抜いたところで、乾いた血でびったりと接着している背面を見る。

 いくら引いても、取れないのなら仕方ない。

 

「どうする?」

「一思いに剥がして。耳栓いる?」

「……いや、いい」

 

 スィンの肩と白衣を掴み、「いくぞ」と短く呟いて、アッシュは遠慮なく白衣を引き剥がした。

 

 べりべりべりっ、ビリッ! 

 

「ぎぃやああっ!」

「……だ、大丈夫か?」

 

 文字通り、生皮が剥がれる激痛に悶えるスィンの気配に、思わずガイが振り向きかける。

 

「ああっ、こっち向かないで! 見ないでください!」

「……悲鳴を『絹を引き裂いたような』ものに変換すると、どこの修羅場ですか? って感じですねえ」

 

 ジェイドの声は無視。

 

「この白衣……はどうする? 廃棄か」

「後で処理する。それで……」

 

 サラシを自分で解きにかかると、アッシュは手伝おうか悩んでからくるりと後ろを向いた。その隙に。

 これまで髪に隠れ、アッシュにも見えていない背中の譜陣に、借姿形成の応用で迷彩を施す。

 女の体で盾は務まらない、とみなされたスィンの体には主に肉体強化の譜陣が限界まで刻まれており、子供でも皮膚が比較的頑丈な背中は様々な陣で埋め尽くされているのだ。

 これまでヴァン以外には見せたことがない。彼らにも、見せようとは思わない。

 術をかけ終えたスィンは、素早く髪をまとめて前へ流した。

 鏡で患部を確認するフリをして、すべてが見えなくなっていることを知る。

 過去の怪我の跡まで幾つかなくなっているのは、ご愛嬌だった。

 

「大雑把と言っていたが……思ったより塞がっているな。麻酔も使わずに銃弾の摘出なんかできるのか?」

「可能ではありますよ。ただ、失血死やショック死という可能性を忘れられませんが」

 

 ちらりと患部を見たアッシュが誰ともなしに尋ねると、先ほど消毒したナイフ類を手に取り、錆の類がないか点検していたジェイドがしれっと答えた。

 そしてふと笑顔になる。

 

「──もういいかーい♪」

「……もういいよ」

 

 首から下をシーツで覆い隠したスィンの姿を一目見るなり、彼は手に取ったナイフをひょいと差し出した。

 

「スィン、火」

「……ご自分でどうぞ」

「生憎私は、あなたのように器用ではありませんので」

 

 結局スィンの指先に灯した炎でナイフを満遍なく焙り、冷ました後。

 床を汚さぬよう体に巻きつけたシーツを床へ敷き、その上へうつ伏せに寝たスィンは、手渡された手布を丸めて力いっぱい噛み締めた。

 

「歯を食いしばって、背中の力は抜いて」

 

 そんな器用なことができるかと、胸中で呟いた直後。

 激痛が走った。

 

「……ぐううううっ!」

 

 無意識に暴れる体が、ガイとアッシュの手によって押さえ込まれる。

 それでも麻酔なしの銃弾摘出手術は和らぐことを知らない。

 これ以上ない、と思っていた激痛は右肩上がりに強さを増し、スィンは「動くともっと痛いですよ」という忠告も聞けず何度も暴れ、しまいには三人がかりで押さえつけられた。

 三人の荒い息遣いが、一人のやけに静かな呼吸が、そしてスィンの痛みによる啜り泣きが、部屋にこもる。

 

「ひっ……く……うぅ……」

「旦那……まだ見つからないのかよ」

 

 スィンの声なき悲鳴と嗚咽を聞くに堪えたか、露出されている患部によってか。

 自分が痛みを感じているような声音でガイが尋ねた。

 

「もうとっくに発見しましたが、無理に引きずり出すと神経に思い切り触れてしまいますので……せめて施設は借りたかったですねえ。器具もそうですが、患者を押さえつけるなんて良心が痛んで痛んで」

 

 彼が本当にそう思っているのか、そもそも痛めるほどの良心を持っているのかどうかはさておき。

 痛みで朦朧とした意識の中、灼けつくような痛みに七転八倒しかけて、抑えられる。

 充満した血の臭いに混じった匂いを感じるに、ブランデーか何かのアルコールを患部にかけたらしい。

 

「直にかけないで……っ! ……せ、せめて散らしてくださいよっ……」

「単なる消毒ならそうするんですが、今のは血を洗い流しました。……まあ、話せるくらいならまだ平気ですか」

 

 柔らかく頭を撫でられたかと思うと、またも背中に激痛が生じる。

 焦れたか、あるいはこれ以上長引かせるのは危険だと判断したか。

 慎重さをかなぐり捨てて差し入れられた金属が血管を縫うように進み、これまで痛覚を刺激していた根源を掴んで引き抜かれた。

 

「──取れました」

 

 ♪ Luo Rey Qlor Luo Ze Rey Va Ze Rey──

 

 返事もせず、これまで使いそうになりながらこらえてきた譜歌を奏でる。

 癒されていく痛み、そして苦しみの緩和にほっとしながら、スィンは血に塗れたシーツを引き上げつつ遠慮なく流れた涙を拭った。

 痛みの余韻か、じわりと瞳が潤む。

 

「お疲れ様でした」

「それは……お互い様、だな」

「後は自分でどうにかしますから、戻ってくださって結構です。休んでください」

 

 涙を払い、彼女は裸の体にシーツを巻きつけて三人を追い出そうとした。

 癒したとはいえ、つらい手術を受けた直後とは思えない気丈さに内心舌を巻きながらも、ジェイドが尋ねる。

 

「一人で平気ですか? なんならガイに添い寝を頼んでも──」

「……お願いです、独りにしてください」

 

 けして強い調子でもきつくもなく、やんわりと告げられた言葉ではあったが、それが明確な拒絶だということに気づかぬ三人ではない。

 憔悴しきっているであろう眼を伏せ、三人を半ば強制退去の形で退出を促した。

 ぐいぐい押してくる力は物理的にはかろうじて、のレベルではあったものの、逆らうのはためらわれる。

 結局、全員が締め出されてしまった。

 扉が閉まる。同時に、数人の足音が響いてきた。

 

「皆さん……どうしてここに?」

「スィンが心配だったから、お見舞いに来ました。彼女の具合はどうですか?」

 

 代表してティアが言う。

 彼女の後ろにいるルークは、どこで何を買って荷物持ちにされたのか、一抱えもある袋を四つも持たされていた。

 

「夕食は要らない、と言っていましたが、食べないと体力が落ちてしまいますわ。だから、何か体にいいものをと……」

「といっても、ナタリアが好き勝手に作った料理なんて食べさせたら、とどめを刺すようなもんだからね。だからアニスちゃんもお手伝いに来たの!」

 

 会話の内容からして、食材オンリーらしい。

 こんな家庭的な女の子、そうそういませんよ~? と大佐に言い寄りつつも、その眼は閉ざされた扉に注がれている。

 

「で、どうなんだスィンは?」

「あー……」

 

 事実をそのまま告げるのははばかられたが、ガイが何かを告げるより先に。

 

「──今しがた治療を終えたところですよ。ナタリアたちの好意はとてもありがたいものでしょうが、今はそっとしておいてあげなさい。夕食は要らない、というのは気分の問題ではなく、消化器官の損傷によるものでしょうから」

 

 その説明に納得した一同が、面会することも控えて自分たちの部屋へと戻る。

 その帰途にて、ガイはこっそりとジェイドに話しかけた。

 

「──よくあんなこと、咄嗟に言えたな?」

「口は回る方ですから。それに、嘘をついたわけでもありませんし」

 

 足音が遠ざかる。

 扉にもたれかかり、図らずも盗み聞いていたスィンは心の中でジェイドに感謝を呟いていた。

 今誰かと会う、または話をするのは、どう考えても難しい状態だったから。

 流し尽くしたと思われた涙が、また一粒つうっ、と頬を伝う。

 痛みによって緩んだ涙腺は、なかなか引き締まってくれない。

 

「っふ……ひっく……」

 

 誰もいなくなった、と確信した瞬間、咽喉の奥から嗚咽が零れる。

 二十七歳のいい歳した女が部屋にこもり、号泣直前までに大泣きをしているなんて、考えただけでも寒いのに、実現してしまっている今は恥ずかしくて目にも当てられない。

 失恋じみた悲しさのあまり泣き崩れるなんて馬鹿馬鹿しい、やることやってさっさと寝てしまえと呆れる理性をそのまま、涙はぽろぽろと転がっていく。

 

 一番の問題は、どうして自分は涙を流しているのか、自分でもよくわかっていないスィンにあった。

 

 ヴァンと道を違えたことは、すでに承知済みだったはずだ。

 離縁を申し出て、どんな反応が返ってくるのか。承諾してもらうときは別として、はねつけられた場合の想定も考えてあった。

 説得も無理だとわかっていながら、自分の考えを知ってもらおうと思ってやったわけで、本気であれを聞き届けてもらおうとは思っていなかったはず。

 まさか超振動を使われるとは思っていなかったが、剣を交えることになっても、二人きりで話して、納得してもらって、痛みわけをした。

 完全に離縁したわけではないが、相手にその意を知ってもらったのだ。

 承諾はもらえなかったが、これまでの状態とは格段に違う。最善には及ばないが、それでも多少の相互理解は得られたのだ。

 なら。

 悲しくて切なくて、胸が締め付けられるような苦しみと共に湧き出ずるこの涙の正体は? 

 ぼやけた視界を、瞬きで回復させる。

 それも一瞬のこと。目蓋の中があっという間に潤んで、眼の淵からまた出て行く。

 しばらくそのまま。スィンは一歩たりとも動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 




さて、長い夜のはじまりはじまり……
アッシュがナチュラルにフラグを立ててくれました。これで何も起こらぬわけがない(笑)
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