the abyss of despair   作:佐谷莢

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第七十二唱——無意識が語りしは、零れ落ちた夢

 

 

 

 

 重々しい響きをもって、刃は交わされた。

 片は華奢、緋色の輝きを宿す妖しき刀。片は無骨、その重量にて万物を両断する大剣である。

 妖刀と大剣は剣戟を繰り返した。一見して互角。

 大剣の重い一撃を妖刀は軽やかに受け流し、妖刀による細やかな突きは幅広の刀身にてすべて受け止められる。

 せめぎあう刃物の持ち主は、杳として知れない。

 つかぬ決着を苛立つように、大剣は攻撃の粗雑さを覗かせ、妖刀はその隙を逃さなかった。

 しかし、それはあまりにも見事なフェイント。

 大剣は突如転進し、これまで彼らから離れていた透明な蒼の剣に襲いかかった。

 今や大剣は妖刀に対し隙だらけの様相を見せている。が、このままでは蒼剣はあえなく大剣の餌食となろう。

 損得を、戦術を考えるにはあまりに少なすぎる刹那を駆け。

 妖刀は、蒼剣の盾となった。

 

 

 

 

 

 

「……ィン!」

 

 心臓に突き抜けるような痛みが走った後、耳元で名を呼ばれ。スィンは弾かれたように目蓋を上げた。

 

「……あ……」

「怖い夢でも見たんですか? うなされていましたが」

 

 ぼんやりとした視界の中で、大きな手が頭を撫でる。力の入らない手で掴むと、知らない感触が両手にわだかまった。

 おかしい。ヴァンの手はもっとごつごつしていて、もう少し色黒だったはずだ。

 どうして割と滑らかで、こんなに色白の手なんだろう。そういえば今の敬語は? 

 眼をしばたかせて起き上がり、手の主を確かめた。

 

「おはようございます。この年になっても手を握られるのは、テレますね」

 

 昇りたての朝日が差し込む中、にっこりと微笑む細面のいい男が、自分のすぐ隣にいる。

 

「うわあぁっ!」

 

 どさっ! 

 

 寝起きでなかなか力の入らない体を跳ねさせて逃げると、温かな寝台から冷たい床へダイブする羽目になった。したたかに体をぶつけて薄いカーペットに転がれば、一気に醒めた意識がこれまでの現状を教えてくれる。

 

「まったく、人の顔見て悲鳴を上げるなんて失礼な方ですねえ」

「……あれ? 昨夜はあっちで寝たはず……」

 

 やれやれ、と言わんばかりに肩をすくめるジェイドを放置して、上着を毛布がわりに身を横たえた長椅子を見た。

 上着が端のほうでわだかまっており、寝入る直前まで手入れしていた血桜、そしてジェイドが外したグローブもそこにある。穴を開けてしまったことで何やかや言われるのが嫌で、こっそり繕っておいたのだ。

 その繕い後が、その記憶に間違いないということを教えてくれる。

 

「大佐、まさか……」

「はい。そんなところで寝ては疲労が溜まるし、風邪を引いてしまうと思いましたので、こっそり移動させておきました」

 

 起こすのもなんでしたので、とにこやかに宣うジェイドを睨みながら、盛大に罵ろうとして。

 窓の外の光景が視界に入った。

 

「どうしました?」

 

 ジェイドの声に応えもせず、窓に張り付いて確認する。

 数十名の神託の盾(オラクル)兵士が、ベルケンドの入り口に集まっていた。

 まぶしい朝日に負けず、眼をこらしてみると兵士とは明らかに異なる衣装の二人を発見する。

 一人は色の薄い金髪でやや小柄、もう一人はティアに似た鈍色の髪をまとめた大柄な人物──

 

「……いえ、なんでもありません。ちょっと汗流してきます」

 

 速やかに浴室へ入り、シャワーから水を流して頭から被る。

 冷たい水を浴びての禊をしながら風の古代秘譜術──ウインドビジョンを発動させると、映像が流れ込んできた。

 

『……以上だ。撤収!』

 

 早朝にもかかわらず、リグレットの力強い号令で兵士が港方面へ去る。治療師の世話になったか、自力で癒したか。二人に怪我の余韻は見受けられない。

 

『閣下、参りましょう』

『……うむ』

 

 言葉少なく、ヴァンが頷く。どこか上の空の彼に、リグレットは重ねるような言い方で尋ねた。

 

『……シア・ブリュンヒルドのことを考えておいでですか』

『……』

 

 返事はない。沈黙を肯定とみなしたか、彼女は大きく息をついてヴァンを見上げた。

 

『お気持ちは、察します。私もティアのことが心配でなりません……しかし、今は……』

『──言うな。たとえ何があろうと、引き返すわけにはいかんのだ』

 

 振り切るように歩みだしたヴァンの後ろに、リグレットがつき従う。

 その光景を最後に、術を打ち切った。

 なぜなら。

 

「スィン?」

 

 こんこんっ、と浴室の扉が叩かれる。

 生返事をしながらコックを止め、彼女は素早く身支度を整えた。

 胸の内にずしり、としたものを抱え込みながら。

 

 

 

 

 

 軍服を纏い、部屋を引き払って食堂へと向かう。

 そこでは、荷を取りに男性陣の部屋へ戻ったジェイドがガイにくってかかられていた。

 女性陣は普段通り、強いて言えばナタリアが鏡合わせのようになって口論、というより口喧嘩しているルークとアッシュの様子をハラハラしながら見守っている。

 

「おっはよー! 怪我の方大丈夫?」

 

 アニスを初め、口々に体調を問われる中、それまで激しくジェイドにつっかかっていたガイが駆け寄るようにスィンの肩を掴んだ。

 

「スィン、大丈夫か!? 旦那におかしなことされなかったか!?」

「」

 

 ジェイドになら、長椅子から寝台への移動の際にあちこち触られただろうが、「おかしなことは」何もされていないはず。

 ただ、「おかしなことをされなかったか」と尋ねられたところで「ヴァンにやり逃げされました」とは流石に言えない。

 ──そしてこの発言は、爽やかな朝にささやかなひと騒動を引き起こす。

 

「何々、なんかあったの?」

 

 興味津々にアニスが尋ねると、ぶすっとしたようにアッシュが答えた。

 

「禁書を読み終わったと思ったら部屋を出て行って、そのまま朝まで帰ってこなかった」

「えーっ!」

「まあ! 大佐は『朝帰り』なるものをしたのですか?」

「ふ、不潔です……」

 

 アニスは歓声を上げ、ナタリアは惜しげもなくすごいことを言い出し、ティアはぼそりと呟きつつ頬を赤らめ、ルークは朝帰りの意味がわからないらしくきょとんとしている。

 ガイの口からこれが出るということは、ジェイドがスィンの部屋にいたと認めたのだろう。

 スィンはきわめて淡々と語った。

 

「特には何も。目が覚めたら大佐がいて、それはそれは驚きましたが。大佐も一応節度とか常識とかをわきまえる意識をお持ちのようで」

 

 もし何かしていたら、間違いなく詰問されているに決まっている。

 スィンの肌には未だ『不自然な虫刺され痕』がきっちり残っているのだ。

 

「……色んな意味で参っている人に追い討ちをかけるのもどうかと思って自粛したつもりだったのですが……いらないお世話のようでしたねえ」

 

 最後の一言が気に食わなかったらしく、ジェイドはきらりん、と眼鏡を光らせている。

 ついーっ、と誤魔化すように眼をそらしたスィンだったが、今度はアッシュとばっちり眼があってしまった。

 

「……お前、なんだってこいつを部屋に入れたんだ」

「入れてない。風呂に入ってる間、換気で窓開けといたらいつの間にかいたんだよ。鍵をこじ開けられた形跡がないから、多分窓から……」

 

 その一言で、ガイが、アッシュが同じように眉間に筋を入れる。

 あまり口を利こうとしない癖に、こういうところで非常に似通る二人を抑えんとしてか、あせあせとルークが違う話題を取り出した。

 

「あ、そ、そうだジェイド! 禁書のことだけど、何かわかったのか?」

「はい。魔界の液状化の原因は、地核にあるようです」

 

 実にあっさりと話題の変化についてきたジェイドが、真面目な顔でそう答えた。

 根掘り葉掘り詳細を聞き出そうとしていたアニスも自粛し、早くもナタリアが会話に参入している。

 

「地核? 記憶粒子(セルパーティクル)が発生しているという、星の中心部のことですか?」

「はい。本来静止状態にある地核が、激しく振動している。これが液状化の原因だと考えられます」

 

 それを聞き、ティアが軽く首を傾げた。

 

「それならどうしてユリアシティのみんなは、地核の揺れに対して何もしなかったのかしら」

「ユリアの預言(スコア)に詠まれてねーからとか?」

 

 安易なルークの意見ではあったが、一理あるのは否定できない。

 現にジェイドはどちらかというと肯定している。

 

「それもありますが、一番の原因は揺れを引き起こしているのが、プラネットストームだからですよ」

「プラネットストームって、確か人工的な惑星燃料供給機関、だよな?」

 

 軽く頭を押さえて記憶を引っ張り出したらしいルークに、以前かの名称を説明したティアが淡く表情をほころばせて答えた。

 

「そうよ、覚えていたのね。地核の記憶粒子(セルパーティクル)が第一セフィロトであるラジエイトゲートから溢れ出して、第二セフィロトのアブソーブゲートから、再び地核へ収束する。これが惑星燃料となるプラネットストームよ」

「そういえば、プラネットストームは創生暦時代に、サザンクロス博士が提唱して始まったのでしたわね」

 

 ふとナタリアがプラネットストームに関する知識を取り出す。

 ジェイドは「ええ」とそれに関連付けて地核が揺れている原因を推測した。

 

「恐らく当初は、プラネットストームで地核に振動が生じるとは考えられていなかった。実際、振動は起きていなかったのでしょう。しかし長い時間をかけてひずみが生じ、地核は振動するようになった」

「サザンクロス博士も、地核の振動を想定してなかったんですね」

 

 ティアの言葉に、ジェイドが頷く。

 

「地核の揺れを止めるためには、プラネットストームを停止しなくてはならない。プラネットストームを停止しては、譜業も譜術も効果が極端に弱まる。音機関も使えなくなる。外殻大地を支えるパッセージリングも完全停止する」

「打つ手がねぇじゃんか……」

 

 理路整然と語られる突破口のない仕組みにルークは呆然と呟いたが、ジェイドは「いえ」と理屈の上だけなら可能そうな案を提示した。

 

「いえ、プラネットストームを維持したまま、地核の振動を停止できればいいんです」

「そんなことできんのか?」

 

 そこでやっと、彼はかの禁書を取り出して掲げてみせる。

 

「この禁書は、そのための草案が書かれているんですよ」

「ただユリアの預言(スコア)に反しているから、禁書として封印された?」

「はい。セフィロト暴走の原因がわからない以上、液状化を改善して、外殻大地を降ろすしかないでしょう。もっとも液状化の改善には、禁書に書かれている音機関の復元が必要です。この街の研究者の協力が不可欠ですね」

 

 そこで初めて、黙して耳を傾けていたアッシュが口を開いた。

 

「……だがこの街の連中は、みんな父上とヴァンの息がかかっている」

 

 直後。ルークがすっとんきょうな声を上げてアッシュを凝視した。

 

「……ち、父上ぇ……!?」

「……なんだ!? 何がおかしい!」

 

 自分と同じ声帯でそんな間抜けな声音を吐かれたのが気に障ったか、それとも別の何かか。彼はルークを凶悪な目つきで睨めつけた。

 ところが、アニスの追い討ちでルークの驚愕の理由がダイレクトに公となる。

 

「へぇ~。アッシュってやっぱり貴族のおぼっちゃまなんだぁv」

 

 気持ちはわかるが、こういった人種に対しそう明らかに小馬鹿にするのはいかがなものか。

 案の定、アッシュは眉間に立て筋をいくつも刻んでぷいっ、とそっぽを向いた。

 

「アッシュ! どこへ行きますの!」

「……散歩だ! 話は後で聞かせてもらうから、おまえらで勝手に進めておけ!」

 

 ──好機(ちゃーんす)

 

「じゃあ、いい機会なんで僕も少し席を外します」

 

 アッシュが出て行きかけるのを見て、スィンがさっと挙手をした。

 

「どうかしたのか?」

「早朝の話ですが、ヴァンが兵士やリグレットらと共にベルケンド港へ向かうのを見ました」

 

 ヴァンの名を聞いてか、アッシュがぴたりと立ち止まり、一同にも緊張が走っている。

 

「これで第一研究所にも気兼ねなく入れます。だからアッシュに付き添ってもらって、ちょっと先生に異常がないか調べてもらいますね」

「……それはかまわないが、なんだってアッシュに付き添いを」

 

 黙してジェイドの顔を見る。その顔には、わずかな微苦笑が浮かんでいた。

 

「私が単独行動を制限する、と言ってしまいましたから……わかりました。くれぐれも身辺には気をつけて」

 

 ガイに軽く会釈をし、皆に手を振ってアッシュの背を押しつつ宿の外へ出る。

 何かを言いかけたアッシュを制し、スィンは話し始めた。

 

「ああは言ったけど、散歩したいなら止めない。口裏合わせてくれれば僕はそれで「別にかまわん。行くぞ」

 

 ぶっきらぼうに促され、スィンはその素直さ、意外さに軽く頭をかきながら、先を行く彼の後を追った。

 一方で、一同の話し合いも終焉を迎える。

 

「第一研究所の出入りは可能となりましたが、アッシュが言う通りなら、研究者たちの協力を得るのは難しいのでは……」

「いや、方法ならある。ヘンケンっていう研究者を捜してくれ」

 

 ティアの懸念に対し、ガイが軽い調子でそんな提案をした。

 

「捜して、どうするんだ?」

「後のお楽しみv さ」

 

 ルークの疑問にも、ガイは軽い含み笑いを零して対応している。

 珍しくジェイドを髣髴とさせるその裏のある笑顔に、何か策があるのだろうと察した一同は簡略会議を終了させた。

 

「にしてもアッシュ……思ったより短気だったね。怒らせちゃった~、失敗失敗v」

「可愛いところがあるじゃないですか」

 

 アニスがぽそりと呟き、ジェイドも心なしかその笑みを深くさせている。

 

「もう! 彼をからかうのはおやめになって!」

 

 ナタリアの憤慨に「ごめんごめん~」と返したアニスだったが、パッ、とジェイドに視線を寄せるとにまにま笑い始めた。

 

「それで大佐、スィンとのお泊まりはどうでした?」

「アニス!」

 

 今度はガイが怒り出すが、ジェイドは特に気にした様子もなく率直な感想を述べている。

 

「柔らかくていい匂いがしましたよ。やはり意識がない状態なら、触られても平気というか、気づかないようですね」

「……って、おい! やっぱり触ったのか!」

「基本的にはご想像にお任せしますが、手は出していませんよ? そんなことをすればいくらなんでも気づくでしょうし」

「……そうじゃなくてぇ、結局何があったんですか?」

「──返り討ちにされましたね」

 

 どこか遠くを見ながら脈絡のない返答を寄越すジェイドに、一同は不思議がって彼を見た。

 が、彼はすぐに平素に戻って「そういえば」と呟いている。

 

「ガイ。彼女は右胸に何かを患っていたりしませんか?」

「……右、胸?」

「ええ。起き抜けに右の胸を押さえてうなされていました。寝汗の量が半端でなかったので覚醒を促しましたが……」

 

 疾患で疼いたなら胸元を押さえるはずだが、あのときは明確なまでに右の胸を押さえていた。

 それを告げられ、ガイは深刻そうに眉を寄せている。

 

「右胸……か。別になんもなかった気がするけど、あいつ確か心臓が右寄りにあったんだよな……」

「え!? そうなのか?」

「心臓って、普通左にあるんじゃ……」

 

 ルークが驚き、アニスが半信半疑で聞き返した。

 それをガイは苦々しく否定している。

 

「あいつの目が何色かは知ってるだろ? 瞳も含めていわゆる『普通』じゃないところがいくつかある、って言ってたんだ。心臓病ってのは聞いたこともないし、今までそんな素振りも見せてないから先天性ってことはないだろうが……そっち側の肺が痛んだとかか?」

「いえ、それはわかりません。現に今まであなたには疾患の真相を隠していたのですし。これは彼女が戻ってきたら、問い詰める必要がありそうですね」

 

 す、と位置を正した眼鏡がきらりと輝き、一時的に特徴的な緋色の双眼を隠した。

 その薄い唇にはサディスティックな笑みが刻まれている。

 その様は、私に隠し事は許しませんよという意思が体現しているかのようで。

 彼を除く一同は災難をこうむるであろう彼女に胸中で「ご愁傷様」と合掌していた。

 

 

 

 

 

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