the abyss of despair   作:佐谷莢

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第七十四唱——ミッション勃発、おじいちゃんを追いかけろ!

 

 

 

 飛べないとはいえ、アルビオールという乗り物を得ての旅路は、これまでの行程と比べるにも愚かしいほどに快適なものだった。

 ダアト港にアルビオールを接岸し、何か異変を感じたらすぐ離岸するようにと、同じ轍を踏まぬための注意をノエルに言い。

 道中それほどの困難もなく、一行はダアト第四碑石の丘へ到達した。

 そこで、また一波乱が生じる。

 

「……そうか。ダアトの偽造旅券を手に入れたんだな」

 

 聞き覚えのありすぎる声にそちらを見れば、ダアトを臨む丘のところで一組の男女が密談を交わしていた。

 

「どうもケテルブルク行きの船に乗ったようね」

 

 一人は真紅の髪を背中まで流した目つきの鋭い若者。

 もう一人は、濃い桃色という珍しい色合いの髪に、露出過多な服装がかなりサマになっている女性である。

 確認するまでもなく、アッシュと……漆黒の翼リーダー格にして紅一点、ノワールだった。

 

「よし。おまえはベルケンドへ戻って、爺さんたちの様子を見ておけ」

「ふふ。人使いが荒いわネ」

 

 妖艶な笑みを浮かべ、ノワールは特徴的な歩みで小高い丘を降りてくる。

 おそらく一行が到着した時点で気づいたのだろう、彼女は驚いた様子もなくすすすっ、と、何を考えてか、ナタリアに近づいた。

 同じ女として、気忙しないナタリアの内心に鋭く感づいたのかもしれないし、何らかの視線を感じたからかもしれない。

 

「あの坊や、なかなか素敵よv」

 

 アッシュの性格から考えて感じ悪い命令しか聞いていないだろうに、ノワールの態度には、今の命令に対する嫌悪らしいものはなかった。

 

「な……なんですのっ!」

「ふふ。妬・か・な・い・の」

「そんなくねくねしながら挑発されても同性にはうざいだけだってば。それよか、これ」

 

 あまりそういったこと──恋の鞘当て、に相当するだろうか──に免疫のないナタリアを押さえ、スィンは財布からぽん、とコインを放った。

 

「何かしらん?」

「外套の御代。あのときは、助かった」

 

 一文無しであったゆえに、借りたことにしておいたが、もはや返却はかなわない。

 たかだか古着に気前よく金──詳細な額は秘密──を放ったスィンに、ノワールは再度微笑んで懐から何かを取り出した。

 

「……手紙?」

「ちょっとした拾い物サ。手がかりがアンタの名前しかなくてね」

 

 渡された便箋の宛名を見る。

 

「シア・ブリュンヒルド……」

 

 ダアトに属していた頃の名だ。

 封蝋を解き、中身を開いている間にも、完全同位体同士のやり取りは勃発していた。

 

「ふん。随分のんびりしたご到着だな」

「直行したよ、これでも! 大体おまえはどうやってここに……」

「船に決まっているだろう。馬鹿が」

 

 ちら、と見やった先にいるスィンは、珍しくアッシュの視線に気づかず手紙の文面を追っている。

 

「スピノザのことより、早くイオンを連れてこい」

 

 丘の上から臨めるダアトを顎で指し、彼は変わらぬ様子で立ち去った。

 その背を見送って、ルークがぽつりと呟く。

 

「スピノザは、ケテルブルクに向かったって言ってたな」

「……ここまで来て、スピノザを追いかけるとは言わないでしょうね」

 

 と、いらないことを呟いてはティアにクギを刺されていたが、ナタリアがそれに賛同している」

 

「あら、追いかけるべきですわ。……アッシュったら、あんな女と……」

「……もう。好きにすればいい「あ゛あ゛!?」

 

 ティアの言葉を遮り、ぐしゃっ、という音と共に恫喝のような低音が響き渡った。

 視線を集めた先には、手紙を握りつぶさんばかりに拳を震わせ、わなわな震えているスィンの姿がある。

 

「ど、どうしたんだ?」

「……どうしたもこうしたも……! あ、いえ、なんでもありません。ケテルブルクに用事ができました。不本意ですが僕もスピノザを追いかけるほうに賛同します」

 

 ぐしゃぐしゃと、今度こそ手紙を握りつぶして後ろに隠したスィンが、感情を抑えてルークに加勢した。

 思わぬ彼女の言動にティアまでもが二の句を告げぬ中、鶴の一声で行く先が決定する。

 

「──では、ケテルブルクへ行きましょうか」

 

 ルークやナタリアは嬉々として、スィンはムスッとしたまま港へ戻っていく中、非難の声を上げたのはダアトに属する二人だった。

 

「大佐! どうして許可したんですか、もうダアトは目前なのに」

「そうですよぅ、なんであんなにあっさり」

「では──今からでも否を唱えますか? あの彼女を前にして」

 

 ぐっ、と二人が口ごもる。

 

「しかし驚きました。たかだか紙切れであのスィンが理性をなくすとは……まあ、私は小心者なのでつい許可を出してしまいましたが、主にして弟君の言葉なら撤回したかもしれませんね」

 

 誰が小心者なんだ、というガイの突っ込みは、アニスの言葉にかき消された。

 

「そうだよ! ガイったら、なんで止めてくれなかったのさ! いっくらスィンがあんなんでも、ガイになら従ってたかもなのにぃ」

「いや……あいつがあんなにおこるなんて珍しいと思ってさ。思わず我を忘れちまうくらい、重要な用事があるんじゃないかな?」

「手紙の内容が是非知りたいところですが、今ちょっかい出したら噛まれそうですね……ガイ、あの手紙をこっそり盗めませんか?」

「無茶言うな!」

 

 ──かくて。不本意ながらスピノザ追跡行の幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

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