the abyss of despair   作:佐谷莢

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第七十六唱——スニーキングミッション、inグランコクマ

 

 

 

 

 

 

 

「では、私は軍部の方へ顔を出してきます。ここからは自由行動ということで」

 

 今日中には戻ります、と残し、ジェイドはマルクト軍本部の道を歩み去った。

 今度こそ先回りできたのか、スピノザはもちろん、アッシュや漆黒の翼の姿はない。それでもそのうち現れるだろう、と港周辺を張り込むルークたちを置いといて、スィンは個人散策を楽しむことにした。

 以前来たときは、ガイのこともあって観光の暇はなかったから、本当に久々のグランコクマである。

 幾度も来たことはあるが、どれもこれもホド戦争の始まる以前、すなわち十年以上前の記憶なのだ。

 これまで白黒だった思い出に、まるで塗り絵をするかの如く鮮やかな染色がなされていく。

 ぶらぶらと意図なく水路に沿って歩くうち、いつのまにか白と青のグラデーションが美しい宮殿の眼前へと至った。

 自然、瞳が鋭く尖る。

 蘇ったのは、いくつかの記憶だった。どれもこれも、あの大きな扉から入った記憶はない。

 市民を装った外観の視察、あるいは宵闇に紛れて宮殿内の探索、家柄の内情で親類と共に先帝に招かれたことがあるが、あれは確か裏口からひっそりと中へ──

 

「あのっ、大尉さん!」

 

 ふと、かけられた声に反応する。

 呼び方は実に奇妙なものだったが、それでもそれが、自分に向けられたものかどうかくらいなら声の調子でわかった。

 

「……自分、ですか?」

「はい、あの……大尉さんに、お願いがあるんです」

 

 声の主は、栗色の柔らかな巻き毛にふんわりとした落ち着いた色合いのドレスを纏う、物腰柔らかな、それでいてやや幼さを残した二十歳前後と思われる娘である。

 手入れされた髪を飾る宝石つきの髪飾りといい、白魚のような指先を飾る指輪といい、どこぞの貴族のお嬢さんと見ていいだろう。

 ……それで、彼女はスィンに何の用事があるというのだろうか。

 そういえば、大尉とかなんとか……

 

「何か?」

「あのっ、その……この手紙を、ジェイド・カーティス様にお渡ししてほしいんです!」

 

 ──一見して丁寧ではあるのだが、相手の都合を聞かないで自分の意見を通す辺り素の性格が垣間見える。

 突き出されたのは真っ白な便箋、封蝋がパステルピンクのハートマークときた。

 

「ほ、ホントは、自分でお渡ししたいのですけれど、最近はお仕事がお忙しいようで、なかなか、お姿をお見掛けすることができず……ですが今、たった今軍本部へ向かわれたんです! 軍本部は、私たちのような貴族の娘では出入りは禁じられているから、その、お渡ししてほしいと……」

 

 ──あー、そういうことか。

 

 遅ればせながら、スィンはやっと事の次第を理解した。

 以前ジェイドは、スィンの購入したこの軍服を大尉から少佐レベルの軍人に支給されるものだと言っていた。

 それで彼女は、女性軍人に少佐級はいないとか、そういう理由でスィンを大尉と呼んだのだ。

 つまり、マルクトの軍人と間違えられ、ジェイドに恋文……ラブレターを渡してほしいと。

 

「……お名前のご記入漏れはございませんか?」

「え?」

「肝心の貴女のお名前がなければ、あらぬ誤解を生むことでしょう。僕に預ける前に、ご確認ください」

 

 わたわたと便箋の封筒を確認する娘に、思わずため息が零れた。

 男の軍人にこんなものを渡されたジェイドは困るだろう、と考えて女の軍人に見えた人間を選んだのだろうが、名前がなければ渡した当人からのものかと錯覚される可能性を、彼女は考えなかったのだろうか。

 

「大丈夫です、必ずジェイド様にお渡しくださいませね!」

 

 じっくりと、自分の名が綴りを違うことなく記載されていることを確かめ、彼女はスィンに便箋を手渡した。

 薄紅色に染まる頬、期待と不安に満ちた瞳、恥じらい深く慎ましやかに去るその姿は、まさしく恋する乙女のもので。

 政略結婚、の文字が浮かばなかったわけでもないが、それは他者が詮索していいことではない。様子からしてその線は薄そうだから、まったく理解は出来ないが。とにかく。

 

「……渡すなんて、一言も言ってないんだけどな」

 

 ぽつりとスィンは、そう呟いた。渡された便箋を、手の上で弄ぶ。

 一旦戻ってジェイドが戻ってきたときに渡そうかと考えたが、その瞬間を誰かに見られて冷やかされたくない。

 一番いいのは、直接渡さずにジェイドの執務室へ置き去りにすることだ。もちろんそれが何処にあるかは知らないが、探せばどこかにきっとある。最終的には、ジェイドの手に渡ればそれでいいのだ。

 とても軽い気持ちで、軽はずみにそうすることを決めて、スィンは便箋を懐に収めると気楽な足取りで軍本部へと歩んだ。

 

「さて、大佐の執務室はどこかなあ、っと……」

 

 思いの他、実にあっさりと軍本部自体に侵入できた。

 見慣れない顔では怪しまれるかと思いきや、髪を黒くして結い姿勢を正す。この程度を変えただけで咎められもしない。

 すれ違う軍人の視線を感じはするのだが、声をかけてくる者はいなかった。

 見取り図を探したが流石にない。仕方がないので部屋のプレートを一枚一枚見て回ったが、面倒なことこの上なかった。

 いっそこの軍服が一兵卒のものであれば、新人を装って聞き込みができるものの……

 このままちんたら探していたら、日が暮れるどころか不審者扱いされるかもしれない。

 しかし奥まった一角に到達したところで、スィンの心配は波打ち際にさらわれて消えた。

 

『第三師団長執務室』

 

 燦然と輝く黄金のプレートが、スィンの迷走をねぎらうかのように輝いている。

 掃除は、行き届いているらしい。問題は、ジェイドがいるかいないか、だが……

 小さく深呼吸、そしてシンプルなノッカーを掴んだ。

 

 コンコンコン

 

「カーティス大佐。ご在室ですか?」

 

 おそらく書類整理か何かで居ると思われたのだが。どういうことか返事がない。

 その代わり、くぐもった音が聞こえたような気がしたのだが……いびき、か? 

 

「……カーティス大佐?」

 

 ジェイドのいびきなど聞いたこともないが、彼とて人の皮を被った悪魔ではなく、一応人間だ。寝ることも食べることもすれば、排泄もする。いびきをかいたって、全然不思議なことはない。

 まあ、寝ているなら寝ているでもいいか。

 

「失礼しまー……」

 

 がちゃっ。

 

 ドアノブを回そうとして、鍵がかかっていることを知る。

 なんだ、留守か。なら、遠慮はしない。ヘアピンを取り出し、施錠の開錠を図る。

 特に凝った鍵でもなかったために、ガコッ、という音がしてあっさりと錠は外れた。

 

「しつれーしまーす」

 

 バタン、と扉を開けた瞬間。

 

「ブキィッ!」

「わっ!?」

 

 低い姿勢からのタックルをもろに受けて、スィンはもう少しで倒れるところだった。

 とっさに衝撃を緩和させ、どうにか足の間をすり抜けようとジタバタしている物体を部屋の中へ押し戻す。

 人の気配がないとはいえ、廊下で騒動を起こすのは避けたかった。

 扉を静かに閉め、足で押さえていたそれを初めてじっくりと見る。

 濃いまだらの茶色が混じる体毛に、ウサギのような長い耳。「フゴフゴ」という独特の鳴き声に、ふっくらとした……というより、丸々肥え太った体型。

 

「……ブウサギ?」

 

 その動物は、ブタとウサギを掛け合わせたような外見にして一応魔物。巷では癒し系としてひそかにブームとなっている家畜『ブウサギ』に他ならなかった。

 

「なんで大佐の執務室に……まさか飼ってるのかな?」

 

 わしわし、と咽喉下辺りの毛を掻いて今にも走り出しそうな元気なブウサギの気をなだめる。気持ちよさそうに大人しくなったブウサギを柔らかく撫でながら、スィンは部屋を見回した。

 いくらブウサギが可愛かろうと、やることを忘れてはいけない。

 執務室は、ある一角を除いてきちんと整理整頓がなされている。その一角は、どういうことか本棚に納まりきらない本が床へ直に積み重なっているだけだ。けして、ブウサギが粗相をした、というわけではない。

 それどころか、この部屋にはブウサギが飼われているような気配はない。トイレどころか、えさ箱や水入れなども見当たらないのだ。ブウサギが一匹紛れ込んでいた、と説明した方がしっくり来る。

 ふと、ブウサギを撫でていた手が何か硬質なものに触れた。調べてみるとそれはブウサギの首輪で、ネームプレートに名前らしき綴りがある。

 それを確認したスィンは、思わず吹き出してしまった。

 なぜなら。

 

「お……おまえ、ジェイドっていうの?」

 

 笑わずにはいられない。

 こんなにも無邪気で、あの性悪とはかけ離れた間抜け面の可愛いブウサギが、あれと同じ名前とは。笑えるのと同時に、不憫だった。

 抱き上げるには少々育ちすぎているブウサギジェイドの頭を撫でてから、立ち上がる。

 この際、このブウサギがなんでこんなところにいるのかなど、どうでもよろしい。そろそろ、用事を済ませて帰還せねば。

 すりすり、と頭をこすってくるブウサギジェイドをなだめつつ、執務室の前へ赴く。

 便箋を取り出そうと、懐を探ったこのとき。

 

「ジェイド~! ここか~!」

 

 ──なんとも楽天的な、男の声がした。

 ぎょっとして、懐の便箋から手を離し扉の外を見る。だが、声は扉の外からではない。

 窓……は、突然の襲撃を恐れてか初めから設計されていない。冷暖房音機関が完備されているため、必要としないのだろう。

 では、どこから……

 隠し扉でもあるのか、と部屋を見渡し、スィンは不覚にもビクッ、と体を震わせた。

 ごとごとっ、と音を立てて、床に散らばった本が勝手に動いていく。あまりの面妖さに、ブウサギジェイドすら警戒を見せる始末だ。

 そして、声の主が姿を現した。

 

「ジェイド! ここにいたのか、心配したんだぞ……って、ありゃ?」

 

 ブウサギに飛びつこうとして、何を考えたのがブウサギジェイドはスィンの後ろに隠れた。

 男の視線が、初めてスィンに注がれる。

 男は軍服を着ていなかった。

 混じりけなしの金髪は整えている風でもなく自然のままに伸び、服装もだらしない、の部類に当たる。ただ、使われている生地は高価なものであり、気持ち色黒の肌に似合うようコーディネートされたそのたたずまいから、スィンは咄嗟にこれが誰であるかを判断した。

 ──間違ってないことを祈って。

 

「……ご機嫌麗しゅう、陛下。どうしてここにいるのか、お尋ねしてもよろしいですか?」

「……あー……見りゃわかんだろ。ジェイドを探してここへ来たんだ」

 

 良かった正解だ。

 ということは、この男が現皇帝ピオニー・ウパラ・マルクト九世陛下にあたるのか。

 

「カーティス大佐のことですか、それともこのブウサギの話ですか?」

「もちろん、こっちの可愛いジェイドの方だ。カーティスの方は、可愛くないジェイドだからな」

 

 可愛くないジェイド。

 言いえて妙なあだ名に、確かに可愛くはないな、とスィンは思わず頬を緩めた。

 ピオニーの目つきが変わったような気がして、咳払いをしながら顔を引き締める。

 

「では、僕は何も見てないし、聞いていません。速やかに可愛いジェイドを連れてお戻りください」

 

 ブウサギの頭をひと撫でし、恭しくピオニーに押し出した。

 フゴフゴ、とどこか苦情を訴えているような可愛いブウサギジェイドに、ピオニーの眼が面白がるように細まる。

 

「如何なさいました?」

「……おまえ、ここにいるってことは第三師団所属──ジェイドの部下だな? 名前は?」

「し、シア、と申します。シア・ブリュンヒルド」

 

 怪しく思われない程度に、皇帝を前にして緊張しているかのように装って名乗る。

 どうせもう使わぬ名だ。これならきちんと反応できるし、偽名には最適である。

 思ったとおり、ピオニーは気を取り直したようにこんなことを言い出した。

 

「よーし、シア。俺の私室まで俺とジェイドを護衛しろ」

「……は?」

 

 思わず、聞き返す。

 眼を丸くした『シア』の表情を堪能する気配を見せながらも、ピオニーは復唱しようとした。

 

「俺とジェイドを──」

「聞こえなかったわけではありません。その抜け道、陛下の私室に繋がっているのですか?」

「そーいうこった」

 

 他の奴らには内緒だぞ? とどこかジェイドにも通じる声音で、ピオニーは軽々とブウサギを抱き上げると、自分の出てきたところへ身を躍らせた。

 続こうとして、執務室の扉を施錠してから第六音素(シックスフォニム)の塊を召喚し、積み重なった本の奥に隠されている抜け道へ突入させる。

 

『うおっ!?』

『ブキィッ』

「あ、すいません」

 

 急に明るくなったことに驚いたのだろう。短く謝ってからそろそろと慎重に穴の中へ身を沈める。

 地下の道は思いのほか広く、二人と一匹が横一列に歩いてもまだ余裕があった。

 

「こんなの、いつ作られたんですか?」

「五年くらい前、だな。ジェイドやアスランたちに頼んでこっそり作ってもらったんだ」

「そうなんですか? 僕はてっきり、ブウサギを何匹か集めて掘らせたのかと」

 

 野生のブウサギは、穴ぐらでの生活を主とする。

 これといって主だった武器もなく、敏捷でもない体で突進する程度のブウサギが、子供たちを守るにはそれしか方法がないからだ。

 わずかにスコップ状になっているひずめで土をえぐり、まるでモグラのように土をその辺に塗り固めて掘り進むと聞いたが、事実は知らない。

 ピオニーからの返事はない。第六音素(シックスフォニム)の塊が先を照らしているが、周囲は薄暗いまま。

 夜目に自信はあっても、彼の表情を読むにはまだ、眼が慣れていないのだ。

 妙に息苦しく感じられる沈黙を破らんと、気づけばスィンは口を開いていた。

 

「……あの」

「ん、なんだ?」

「ここは一般の兵士にすら知られていない、言うなれば秘密の抜け道なんですよね? 護衛の意味「さーついたぞー」

 

 ないんじゃあ、と続けようとして。妙に明るいピオニーの声に質問はかき消された。

 

「先に上がって、ジェイドを受け取ってくれ。俺が持ち上げるから」

 

 促され、悟られないようため息をついてから天井の光に向かって体をリフトアップする。

 そこは、事前に皇帝の部屋だと聞かされているからこそ間違えたのでは、と心配できるほど、ごちゃごちゃした部屋だった。

 見慣れない、あるいは嗅ぎなれない人物を察知してか、思い思いに散らばっていた五匹のブウサギたちがぱっ、と顔を上げている。

 そしてなぜか、殺到された。

 

「おーい、受け取ってくれー」

「……はい」

 

 フゴフゴ、とブタに酷似した鼻を押し付けてくるブウサギたちをなるべく柔らかく押し退けながら、持ち上げられているブウサギジェイドを受け取った。

 

「重……」

 

 野生のブウサギと、家畜のブウサギは食料が根本的に違うため、体型に大きな差が出ているらしい。

 だが、皇帝のペットというこのブウサギたちはまた格別、毛並みも体格も良すぎた。

 

「……ジェイド、ネフリー、サフィール、アスラン、ルーク……ゲルダ」

 

 それぞれの名前。すべて人名がつけられているのは、気のせいだろうか。

 スィンがそれぞれにつけられた首輪のプレートを確認している間に出てきたらしく、ピオニーはその彼女のすぐ後ろに立って「ああ」と呟いた。

 

「俺の知り合いたちの名をもらったんだ」

 

 気づかれぬよう、気取られぬよう、身を離す。

 ある程度間合いをとったところ──とはいえ散らかった室内、それほどでもないのだが、とにかくスィンは恭しく一礼を取った。

 

「では陛下。僕はこれで」

 

 思わぬ寄り道をしてしまった、と、抜け道へ戻ろうとする。ところが。

 

「ちょっと待て」

 

 がしっ、と肩を掴まれ、体が強張った。

 じわ、と浮き出る冷や汗を無視して、どうにか顔を笑顔の形にする。

 

「……何か?」

「どうしてジェイドの執務室にいた?」

「カーティス大佐に、用事がありまして」

「そうか。だが、もう少し下調べするべきだったな。第三師団に女性士官はいないんだ」

 

 

 

 

 

 




軍服がやっと役に立ちました。実際は災難を呼び込んだだけですけが。
隠し通路、でよかったのかな? ついでに位置も、あれでよかったのかな? 
実際にジェイドの執務室は一カ所だけ汚いし、ピオニーさんはいきなり現れるからおそらくは。
転送装置だったらどうしよう、と悩みました。ジェイドだったらそのくらいちょちょっと作ってしまうかもしれません。ただ、率先しては作らないかと考えてアナクロな隠し通路の方向で固まりました。
ブウサギの習性に関しては完璧オリジナル……というか捏造です。
そんな人いないと思いますけど、誤解しない方向で。
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