the abyss of despair   作:佐谷莢

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第八十一章——脳裏に瞬くは、忌まわしき過去の悪夢

 

 

 

 

 

 

 礼拝堂へと赴き、ステンドグラスに描かれた泰然と佇むユリアと第一から第六までの結合譜石の眼前に、ガイを座らせた。

 少し離れた場所では、アリエッタを抑えたジェイドがトリトハイムに事の経緯を説明している。

 あぐらをかいて俯くガイに意識はあるのだが、まともな会話ができる状態ではなかった。

 

「……アリエッタがご迷惑をおかけしましたこと、謹んでお詫び申し上げます」

 

 ふとその声に彼らを見やれば、ジェイドが俯くアリエッタをトリトハイムに引き渡している。

 彼女は無言でぬいぐるみを抱きしめ、トリトハイムの前に立った。

 

「アリエッタ、こちらへ」

「……」

 

 変装と、ガイの傍から離れず、彼に顔を見せなかったのが幸いとなったらしい。

 スィンに──シア・ブリュンヒルドに顧みることなく、謹慎処分が下されるであろう彼女を連れ、トリトハイムは礼拝堂を後とした。

 荘厳な空気漂う礼拝堂に、三人のみが残される。

 

「……スィン」

 

 二人を見送ったジェイドが、こちらに視線を寄越す前に。ガイは呟くように彼女を呼んだ。

 

「はい」

「お前は……あの時のこと、覚えているんだよな」

 

 あの時のこと。それが、その言葉の示すものが。

 

「ホド戦争勃発時のことでしたら、記憶に残っております」

「あの時──」

 

 溜め込んでいたものを吐き出すように、ガイが何かを尋ねようとしたとき。

 唐突に礼拝堂が開き、複数の足音が聞こえた。ガイの傍らに跪いたまま見やる。そこには、先ほど別れた一同の姿があった。

 あちらは、一段落したということか。

 

「パメラさんは?」

「もう大丈夫みたいだ」

 

 スィンが尋ねようとした疑問をジェイドが偶然にも肩代わりしてくれ、ルークの言葉にスィンはホッと胸を撫で下ろした。

 知り合いが知り合いに殺されてしまうのは、あまり歓迎したい事態ではない。

 今度はアニスからアリエッタの所存を問われる。

 

「アリエッタの奴は?」

「イオン様に言われた通り、トリトハイム詠師に引き渡しておきました。まあ、六神将の誰かが戻ってくれば、すぐ解放されるでしょうが」

「ったく、あの根暗女……」

 

 根暗はさておき、アニスにしてみれば自分どころか護衛対象たるイオンにまで害を及ぼすところだったのだ。彼女が今なお憤るのはせん無きことである。

 そして話題は、彼のところにさしかかった。

 

「ガイは……大丈夫なのか? 何か思い出したみたいだったけど……」

「ママも心配してたよ。どうなの?」

 

 ルークに、気を取り直したアニスにそれを問われ、スィンはそれに答えようとして──寸前でやめる。

 ガイが、ものも言わずにすくっ、と立ち上がったからだ。彼らに向き直った主の顔は、すでに平静を取り戻しているようだった。

 

「……ああ。すまないな。あんな時に取り乱して」

「何を思い出したか、聞いてもいいかしら」

 

 謝罪の後に、同じ事を聞きた気だったティアがずばりとそれを尋ねる。

 

「俺の家族が……殺されたときの記憶だよ」

 

 それを告白した彼の顔は、ただただ、哀しみに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──思い出せるのは毅然としたその声と、ぼんやりとした姿形。

 スィンはガイの正体が発覚するまで彼女の姿を宿していたが、失われた記憶の彼女はもう少し幼く、髪が短かった。

 物腰柔らかな所作と、相反した闊達さと。それらを併せ持つ、気高き人だった。

 

『いいですか、ガイラルディア。おまえは、ガルディオス家の跡取りとして、生き残らねばなりません。ここに隠れて。物音ひとつたてては駄目ですよ』

 

 当時の自分は気弱で、泣き虫で、いつもいつも誰かの背にすがっていた気がする。

 マリィベルに叱られれば兄貴分だったヴァンに、彼に叱責を受ければ自分の従者であるスィンに──

 それでもガイは、大切な者を想う気持ちを知っていた。

 

『姉上!』

『しっ! キムラスカ軍が来たようです。静かになさい。いいですね』

 

 血なまぐさい喧騒が、音となって、振動となって徐々に押し寄せてくる。

 屋敷の奥にある小部屋、そこに据えられた暖炉に隠れるよう言われ、彼は煤にむせながらも身を縮めた。

 

『女子供とて容赦するな! 譜術が使えるなら十分脅威だ!』

 

 これはスィンも聞いた記憶がある。若かりし頃の、ファブレ公爵だ。

 彼自身に遭遇することはなかったが、スィンはこのとき初めて、自分に迫ってきた兵を、人間を斬った。

 試し切りで切った生肉よりも、遥かに生々しい感触。当てることはそこまで難しくなかったが、斬れば血が噴き出すし、しくじれば骨に当たる。生きている人間はとても斬りにくい。

 血と脂でべったりと汚れた刃を見て、そう思ったことは覚えている。

 その間にも──悲劇は、彼の眼前で鮮烈に瞬いたのだろうか。

 

『そこをどけ!』

『そなたこそ下がれ! 下郎!』

 

 小部屋に兵士が押し入ったらしい。マリィベルは暖炉に背を向けたまま、果敢に兵士を牽制している。

 それが彼女の死期を早めたと思うのは、今生きる生者の勝手な妄想なのだろうか。

 

『ええいっ! 邪魔だ!』

 

 戦場にて殺戮の興奮に酔い痴れ、お世辞にも正常な思考を保持しているとはいえない兵士が、剣を振り上げた。

 

『きゃあ──っ!!』

 

 誰かの悲鳴が、木霊して。

 それはマリィベルのものだったのか、はたまた別人の上げたものだったのか。

 とにかくガイは、姉の身を案じた。

 

『姉上!』

 

 幼いその声に兵士が気づき、斧槍(ハルバード)の穂先は彼に向けられる。

 

『ガイ! 危ない!』

 

 突き出された穂先は、振り上げられた刃先は。ガイを捕らえることなく、鮮やかな血飛沫を上げた。

 

『うわぁ──っ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──そんな、ことが。

 自分の駆けつける少し前。

 空白の時間の事実を今初めて知り、得体の知れない感情がこみ上げた。

 

「斬られそうになった俺を、姉上がかばってくれた。姉上だけじゃない。メイドたちも、みんな俺をかばおうとして……」

 

 独白が続く中、不意に言葉を止めて視線を彷徨わせる。

 しかしそれは束の間、すぐにその瞳はルークを映し出した。

 

「いつの間にか、俺は姉上たちの遺体の下で、血塗れになって気を失っていた。ペールたちが助けに来てくれた時には、もう俺の記憶は消えちまってたのさ」

 

 え? 

 パッ、とガイの顔を見る。

 見上げた彼の横顔はすでに遠くを見ていて、その視線の先は判別できない。

 

「あなたの女性恐怖症は、そのときの精神的外傷(トラウマ)ですね」

 

 幸いなことに、スィンの狼狽は誰一人気づいていなかった。

 ジェイドも冷静にそれを指摘しているあたり、ガイの独白に集中していたようである。

 ──助かった。

 狼狽を収めて胸を撫で下ろしたスィンだったが、ガイのため息が、自嘲が、我がことのように胸を突いた。

 

「情けないねえ。命をかけて守ってくれた姉上の記憶を、『怖い』なんて思っちまうとは……」

「そんなことねぇよ。おまえ、子供だったんだろ? 軍人が攻め込んできて、目の前でたくさんの人が殺されて、怖いって思うの当たり前だよ」

 

 うつむくガイに、ルークはたどたどしくもフォローを入れる。

 そしてナタリアは、これまでのことを反省していた。

 

「そうですわ。それなのにわたくし、あなたが女性を怖がるの面白がっていましたわ……ごめんなさい」

「……ごめんなさい」

「私も謝らないといけないわ。本当にごめんなさい」

 

 ──申し訳ありません。

 慣れろと言っていたナタリア、むしろ積極的にからかっていたアニス、そして彼の弱点をつついた事があるティアが頭を下げる。

 一瞬、ガイは蚊の鳴くような呟きをかすかに聞き取ったらしく、驚いたようにスィンを見たが、気を取り直したように彼女らを見回して笑声を放った。

 

「……ははっ、何言ってるんだよ。そんなの俺だって忘れてたんだ。キミたちが謝ることじゃないだろ。気にしないでくれ」

 

 そう言われて、素直に頷けることではない。彼女らの気持ちを押し計らってのことだということは明白である。

 それでも彼がそう言ってくれたのなら、と三人は一様に頷いた。

 一段落ついたのを見計らってか、ジェイドが彼の容態を確認している。

 

「ガイ、気分は? もう動けますか?」

「もちろん」

「なら、そろそろダアトを離れましょう。また六神将と鉢合わせては具合が悪い」

 

 パメラの情報が正しければ、アリエッタのように戻ってくるかもしれない六神将はいない。

 それでもヴァンの居所がわからない以上、その可能性は棄て切れなかった。

 

「そうですね。確か、シェリダンへ向かうんでしたよね」

「ああ。俺のことより、ヘンケンたちが心配だ」

 

 さっさと自分のことを話題から外して、ガイはベルケンドの老研究者たちを心配している。

 率先して足を動かし始めたガイへ、ルークは気遣わしげに声をかけた。

 

「ガイ、無理するなよ」

「全然してねぇよ。行くぞ」

 

 礼拝堂、ロビーを経て教会を後にする。

 アリエッタの強襲により、まだ騒然としている街を抜けながら、スィンは先頭からさりげなくしんがりへ移動するガイの姿を見た。

 そんなガイの視線を受け、スィンもまた故意に歩みを遅くする。

 しんがりをガイとスィンが受け持つ形となったとき、彼は前方を見据えたまま口を開いた。

 

「……違ってたのか?」

「何が、ですか?」

「俺が話したことだよ。驚いたような顔をしてたからさ」

 

 気づかれていたか──

 普段よりもずっと強く声を潜め、スィンは泰然と嘘でも真でもない返答をした。

 

「あの場に居合わせていたわけではないので断言はできませんが、あなたの証言と僕の記憶と、食い違う点はありません」

「食い違う点はない……じゃあ、穴が空いているのか?」

 

 否定ができない。

 彼は彼なりに自分の話した出来事が完全な史実でないことを知っているから、だろうか。

 食い下がるガイに、スィンは胸中で苦々しく思いながらも言いよどんだ。

 

「……幼くあられたあなたが、覚えておられないのは無理もありません」

「つまり穴が空いてるんだな?」

「無知は罪とよく言いますが、同時に幸運なことでもあるんです。無理に思い出さないでください、忘却は──」

「罪ではない、とか言ったら怒るぞ」

 

 どうにかはぐらかそうとするスィンの意図を察してか、幾分声音を低くして彼女に詰め寄る。

 

「俺は、あの後何が起こったのかを知りたい。おまえもペールも、知らなくていいの一点張りだったよな。俺がまだ幼いからとか、思い出したくないとか──俺はまだ事実を隠されるほど幼いのか? おまえはまだ過去を振り切ることができないのか?」

「……知らないほうがいいことなんか、世の中には溢れるほどにある」

 

 頷いてしまいたい衝動を押さえ、意識を埋め尽くしかねない記憶の蓋を押さえながら、言いつくろった。

 事実を知りたいということを、彼はけして安易に言っているわけではないだろう。

 それでも、それがわかっていても、スィンは詳細の証言を拒否した。

 

「お話しすることはできません。これを知るに、あなたはあまりにも優しすぎる」

「どういう意味だ。おまえまさか、俺が復讐をしなかったことを軽蔑してるのか?」

 

 徐々に大きくなる声に、何を話しているのかとアニスがこちらを振り返る。

 二人から一番近くにいるジェイドなど、先程から聞き耳を立てていた。

 

「違います」

「だったら──!」

「事実を知って、後悔しないこと」

 

 彼の気持ちが理解できないわけではない。

 古傷を抉ることはこれっぽっちも歓迎できないが、事実を話すことで彼を傷つけることにならないか。

 それだけが、気がかりだった。

 

「おかしな負い目を感じないこと。この話をおじいちゃんにしないこと。後──」

「後?」

「聞きたそうにしている人たちへ。けっして面白い話ではないので、聞かないことをお勧めします。聞いて気分がどうにかなっても、僕は責任持ちません。てか、持てません。それらを納得していただけたら、お話します」

 

 言葉とは裏腹に、冷たいスィンの視線がガイを通過していく。

 そこでガイは、ようやく一同の視線が自分たちへ集中しているのに気がついた。

 

「はっはっは。ばれていましたか♪」

「大佐だけならともかく、他四対の視線にも気づけない間抜けに成り下がった覚えはありません」

 

 とりあえず笑ってごまかしているジェイドに、スィンは冷たく突っ込んだ。

 

「え……えへへ。だってスィン、こないだから隠し事が多すぎるんだもーん」

「わたくしは……その、スィンの異性恐怖症の原因に興味が……」

 

 他二名はノーコメントを貫いているものの、聞き逃す気は見受けられない。

 ため息をついて、スィンは語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──スィンが二人の下へ駆けつけたのは、おそらくマリィベルがガイをかばった直後だと思われる。

 そのときすでにマリィベルは背中を割られて倒れ、兵士は暖炉から這い出て姉に取りすがろうとしたガイに、剣を振りあげる瞬間だった。

 

『ガイラルディア様ッ!』

 

 無我夢中でガイを突き飛ばし、短刀を抜いた気がする。

 あれで何人目の命を屠ったのだろうか。

 確かに覚えているのは、両手では足りなかったということだ。

 

『マリィベル様! マリィ様、しっかりして!』

 

 突き飛ばしたガイよりも、確か血まみれの彼女に取りすがった。

 呼びかけて意識を取り戻させようと、まずそうするしか考えられなかった。

 当時、治癒の術は持たずとも、止血する知識ならあったのに。

 それをすればまだ、彼女は助かっていたかもしれなかったのに。

 

『スィ……ン……』

『気づかれましたか、マリィ様!』

『……ガイ、は……?』

『しゃべらないでください、ガイ様はご無事です』

 

 それをいさめるより前に、手を動かせばよかったのに。

 

『そう……良かった……ガルディオス家の跡取りを護れたなら、本望だわ……』

 

 そう言って、彼女はゆっくりと、痛みにその顔を歪めて起き上がった。

 

『駄目です、動いては傷に触ります!』

『……お願い、スィン……私はいいから、ガイを連れて、早くここから逃げて……』

 

 頷くことなどできなかった。

 今にも崩れ落ちてしまいそうなその体を放っておくことなど、どうしてもできなかったのだ。

 

『逃げるなら、あなた様も一緒です』

『……いいえ。スィン、ガイを護ることが、あなたの務め……あれもこれもと、欲張ってはいけません。己が本分を、果たしなさい……』

『マリィベル様』

『……ガイだけは、どうか、お願い……』

 

 支えるスィンの腕の中で、彼女の体は不意にがくり、と脱力した。

 

『マリィベル、様……? マリィ様? お嬢様?』

 

 まだ暖かい彼女の体を抱きしめ、しばらくスィンは狂ったようにマリィベルを呼んだ。

 どれだけその名を呼ぼうと、彼女の嫌がったお嬢様と呼ぶ言葉にも、彼女はもう二度と返事どころか──反応すらしてくれなかったが。

 

『姉上!』

 

 やがて意識を取り戻した幼い彼の声に、スィンはゆっくりとマリィベルの体を横たえた。

 見開かれていた瞳を閉ざし、最期までスィンを掴んでいたその手を、胸の上で無理やり組み合わせる。

 そうして、スィンはやっと己の守護対象と向かい合った。

 幼い瞳には従者が来てくれた安心感と、姉を思いその姿を探す忙しなさが垣間見える。

 

『ガイラルディア、様……』

『スィン、姉上は? 姉上は、だいじょうぶなのか?』

 

 放心した心のまま、姉の姿を探すガイを抱きしめた。

 そして、その柔らかな腹部に──当て身を入れたのだった。

 屋敷をのさばる無骨な足音を聞きながら、彼を遺体の下敷きにする。

 心はそこで、記憶の解放を拒んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……申し訳ありません。女性恐怖症の直接の原因であろう、ガイ様をみんなの遺体の下敷きにしたの、僕なんです」

「……何だってそんなことを」

「お見せするわけにはいかなかった。知らずにいてほしかったんです」

「……姉上の、死を、か」

 

 言葉を切り、謝罪する。

 明らかな怒気を含むガイの言葉に、スィンは力なく首を振って「違います」と否定した。

 

「確かにご遺体の損傷は、直視するに極めて厳しいものではありました。ですが、僕が言っているのはその後の……僕が異性恐怖症を抱えることとなった、出来事の話です」

 

 どれだけの月日が経とうと、忌まわしい記憶は消滅を知らない。

 大分薄らぎはした。だから今、スィンは当時を思い出して発狂せずにいられる。

 扉一枚を隔てて行われていたのは、まさしく狂気の渦巻く宴であった。

 

「……当時の白光騎士団は、少数の派遣だったそうで。人手不足を補うために素性の知れない傭兵達を起用していたそうです。実際は廃棄可能な駒を欲したようですが、とにかく常軌を逸した連中でした。投降したメイドたちだけでなく、虫の息であった婦人でも、果ては……」

 

 話すうち、記憶の蓋が緩んだらしい。

 掴んでいた片手の甲に爪が突き刺さり、生々しい鮮血が指を滑らせても、脳裏に瞬く悪夢の光景は消えてくれない。

 痛みだけが、理性を引き止める。

 

「死肉を貪るハイエナのように、い、息を引き取られた、マリィベル様にまでっ……! 僕も、例外じゃ、なかった」

 

 ナイマッハの家に属する女であった以上、課せられた仕事をこなすための教育に男女の営みについて学んだことはあった。

 感情だけでなく、欲望によってなされる行為も、知識だけではあったが知っていた。

 だから強制されるであろう行為に対し覚悟することができ、結果かろうじて正気を保つことができた。

 

 

『ちっ、もう死んでやがる……お前、こんなガキでいけるのか?』

『わかってねえなあ、ガキだからいいんだよ。よーしよし、おじさんが今、大人にしてやっからな』

『まー死体よりはいいか。お、イキがいいなあこいつ。次、変わってくれよ』

『はあ、変態の考えることは分かんねえ……俺はこっちの、まだあったかいのにしよ』

 

 

「……僕が壊れる前に、彼らは生命活動を停止しました。ファブレ公爵が当時開発していた殲滅戦用試作毒は空気よりずっと軽いものであったらしく、這いつくばっていた僕には効きが遅かったんです」

 

 だから、試作ガスを吸って意識が混濁するより前に、ガイに防毒布を押し当てることが出来た。

 毛穴から毒素の侵入を防ぐため、彼に覆いかぶさることもできたのだ。

 

「……不謹慎な話ですが、あの時マリィベル様に意識がなくてよかった。あの苦しみは……自分でも耐えられたのが、不思議なくらいでしたから」

 

 肺を直接炎で炙られたような、毛穴のひとつひとつから犯されるような、そんな感覚だった。

 とっさに鼻と口を覆い、目を閉じて、なるたけ体内へ毒素の侵入を抑えたから、スィンは今を生きている。

 呼吸を止めてもいられなかった下賎な傭兵たちが、体中の穴という穴から血潮を吹き出してもがき苦しむ様を見て、ぼんやりと、死の影が自分に差し迫っていることを自覚した。

 今考えてみれば、瘴気よりも即効性が高く、殺傷性も段違いに高かったような気がする。その代わり揮発性も高く、割に素早く大気に分散されたからこそ、ペールも生きていたのだろう。

 もしも。もしもスィンが、この時点で今ほどとはいかずとも、人を屠る経験を持っていたならば。殺し合いに関する知識を、頭だけでなく体で知ってならば。

 彼女は、マリィベル・ラダン・ガルディオスは今も生きていたかもしれないのに。

 

「……だから、まあ、そういうわけで」

 

 これまで努力して、見ようとしなかった一同を初めて見やった。

 言葉こそないものの、皆一様に絶句し、ものの見事に硬直してしまっている。やはり刺激が強すぎたらしい。

 

「この先は、ガイラルディア様の記憶と同じ、おじいちゃんに叩き起こされるところから始まります。穴の空いた部分とは、この辺のことをさすのではないかと」

「……」

 

 うまく動かない口で、ガイが何かを呟きかけた。

 少し戸惑ってから、血の気を失った頬を手のひらでさする。

 

「いくら僕でも、今謝られたり、慰めを頂いたら怒りますよ?」

「……だけど」

「あなたは幼くあられたし、護られるべき存在だった。僕はあなたを護る立場にいて、その責務をまっとうした。マリィベル様をお護りできなかったことについて叱責を受ける義務はあっても、あなたを護るという、その当たり前のことに何かを言われる筋合いはありません」

 

 それが謝罪であれ、感謝であれ、叱責であれ。

 息をすることと同等の行為に、たとえ主といえど口を挟むことは許さない。

 鮮血を滴らせた手の甲、汚れた指先を隠すように後ろへ回す。

 彼を覗き込むようにしながら、にこっ、と笑いかけた。

 

「納得していただけましたか?」

「……ああ」

「それなら幸いです」

 

 ご静聴、ありがとうございました。

 独白の空気を一変させるように、飄々と一礼をして見せる。

 

「あの……スィン」

「んー?」

「ご、ごめんね。聞いちゃいけなかった……」

「んー、まあ、そうだよね。聞きたくないよね、こんなこと」

 

 アニスの謝罪を適当に流し、ふと手元を見た。じわじわと溢れる血が、痛覚を倍増させる。

 歩みを再開する彼らについていきながらも、思い返す過去に理性を繋ぎとめた功労者へ、口づけを贈った。

 鉄錆の味がする。

 

 

 

 

 

 

 




二人の追憶、ホド戦争当時の様子があるためグロ&R-18がほんのり香っていますが、直接表現はないのでセーフだと思いたい。
第八十一唱にして男性恐怖症の理由がようやくはっきりできたわけですが、ガイのものより軽度になっているのはヴァンの協力によるものです。そのため例外としてヴァンは平気。
自分より年上、つまり男性と認識している人物に対して発動する設定ですが、性格が見栄っ張りにつき表には出さないよう心がけています。表に出しているときは、そんな余裕がないときですね。
ちなみに魔物には発動しません……ところで、ガイの女性恐怖症は人間限定なんでしょうか? (笑)
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