the abyss of despair   作:佐谷莢

87 / 140
第八十五唱——見(まみ)えしは、己の影か、影は己か

 

 

 

 

 

 

 

「──ホド島にいた頃知り合った、僕の友人です。僕と、マリィ様と……ヴァンの共有した秘密でもありました」

 

 ガイより、先ほど口にしたマリィベルの名の関連を聞かれ、スィンをそれだけを答えた。

 

「でも、どうしてスィンは触ることができたのですか? 清らかな乙女しか近寄れないと、アニスが言っていましたが」

 

 げ、とアニスの慌てる気配がする。

 それは本人に面と向かって聞いていい内容ではないのだが、そこらの機微をこの無垢な──言い換えるとドンカンな導師が知っているわけがなかった。

 

「イ、 イオン様、それは……」

「それはよくわかりませんけど。厳密に言うなら、僕たち誰も彼女に触れる資格ありませんよ」

 

 慌ててティアがフォローする前に、わざと興味をひく話題を口にする。スィン自身の話題を消すためだ。これには、アニスもナタリアも食いついた。

 

「えー! ティアとかナタリアならともかく、アニスちゃんやイオン様まで!?」

「な、そんな……ティアやアニスやイオンを含む男性陣ならわかりますが、何故わたくしが!? わたくしまだ、アッシュとは何も……」

「……二人とも。どうして私は納得なの?」

 

 勃発しそうな女の戦いを食い止めるべく、どうどう、と三人を静める。

 

「ユニセロスの好む清らかさはいわゆる処女性だけじゃないからさ。その観点から考えれば、ユニセロスは赤ちゃんにしか触れないことになるけど」

 

 一行が歩んできたのは、けして綺麗な道のりではなかった。行く手を阻む障害は血を浴びてでも撃破し、時には防ぎきれなかった事故で他者の命を殺めている。

 人も、魔物も、厳密に追及すれば生きるための糧すらも。人は命を喰らって生きているのだ。

 そういった意味においては、イオンとて清らかの範疇には入らない。

 

「まあ、何にでも例外はあります。ユニセロス談義はその辺にしておいて、ここへ来た目的を果たしましょうか」

 

 最もなジェイドの言葉に従い、一行はようやっとセフィロトの入り口を見た。

 色の違うガラスを用いはめ込んだような扉は、泰然とその役割を果たしている。

 

「ここは僕が開きます」

 

 イオンが進み出て、すっ、と両手を扉にかざした。

 円形を幾重にも重ねたような譜陣が浮かび上がり、それは万華鏡のような模様の移り変わりを見せる。それに伴い、まるで歯車が回り、かみ合ったかのような動きを見せたかと思うと音を立てて消失した。

 扉を構成していた硬質の光が、各色ごとに消えていく。

 すべてが消え去った後に、イオンはふらふらと膝を折った。アニスが慌てて支えに駆け寄る。

 

「イオン様、大丈夫ですか?」

「……ええ、ちょっと疲れただけです」

 

 ちょっと、どころには見えないイオンの消耗ぶりに、ナタリアは眉を顰めてとあることに気がついた。

 

「そういえば、パッセージリングを起動させる時、スィンも疲れるみたいですわね。創生歴時代の音機関や譜術には、そういう作用でもあるのかしら」

「そんなことはないと思いますが……」

 

 ──また、余計なことを。

 

「僕は別に疲れちゃいませんよ。ダアト式譜術にはそれだけ負荷がかかる、ってことじゃないんですか?」

 

 封咒が解放される様子を一心に見つめていたスィンが、イオンをフォローするように尋ねた。

 少年は少し戸惑った様子を見せたものの、すぐにその意見を肯定している。

 

「そう……ですね。そうだと思います」

 

 頷くイオンを見て、ナタリアの疑念は解消された。

 

「イオン様、こちらで休まれますか?」

「いえ、行きます」

 

 顔色の悪いイオンをティアが気遣うも、彼は意外にも力強く待機を拒否した。

 ここまで来た以上、扉を開けるだけ開けて中に入れないのは、釈然としない何かを感じることだろう。

 

「無理すんなよ。きつけりゃ、声かけろよ」

「ありがとう、ルーク」

 

 ルークの気遣いに笑みで答え、彼は一足早く内部に足を踏み入れたジェイドに続いた。

 ひんやりとした、それでいてカビくささの感じられない遺跡の内装がどこまでも広がっている。

 

「そういえば、ダアト式封咒って空気まで遮断するものなのかな」

 

 不意に、周囲を見回していたスィンがぽつりと呟いた。

 

「どうしたんだ? いきなり……」

「いえね。もしあの封咒が外界の空気までも侵入を許していないんだとしたら、この中の空気はパッセージリングが設置された当時の空気のまま、ってことになりますよね」

 

 幾千年の刻を経て、創生暦時代の扉が開かれる。

 こうして当時の技術に触れること自体すでに奇跡であろうことに間違いはないだろうが、この漂う大気もまた当時のものだとしたら、それは──

 

「素敵ですわね……先人たちの生きた空気を、わたくしたちも肌で感じている。これが殿方の好きな浪漫、というものでしょうか」

「確かに、な。俺は音機関を見れるだけで十分満足してたが、そう考えるとなんだか感慨深いよ」

 

 遺跡マニアになる素質がありそうなナタリア、どちらかというと音機関関連でそれを理解した音機関偏執狂のガイは賛同を示しているものの、若年者には理解しがたい話であったらしい。

 

「そーかあ? 俺にはよくわかんねーけど」

「ルークには古き良き時代を思うって心がないもんねー。ナタリアと違って格式とかにもこだわんないし、普通におへそ出してるし」

「へそはカンケーねえだろっ!」

 

 首をひねるルークを、ちょうどいい暇つぶしとばかりアニスがからかっている。

 微笑ましい光景を前にティアはイオンとほのぼのそれを見守っていたが、珍しくジェイドはそのやりとりに参加していない。

 彼女の傍へと歩み、スィンに尋ねている。

 

「旧友と再会して、感傷的になっていますか?」

「否定はしません。けど、もし大気まで当時のままだったら変な細菌とか浮遊していそうで怖いなあ、と思っただけです」

 

 結局のところ、スィンは多少危機感を抱いていただけで素敵だのなんだの考える感性を働かせていなかった。

 ふむ、と納得したように彼が頷きかけた矢先。

 足元がまたもや揺れだした。

 

「とっ……」

 

 突然のこと、たたらを踏んだスィンにさりげなく腕が回される。

 感覚をおいて再び発生した地震に、一同は不安を隠すことなく周囲を見回した。

 幸い、遺跡は崩れるどころかきしむ様子も見せない。

 

「またどこか落ちたのか!? それとも……」

「ええ。セフィロトの暴走によるツリーの機能不全かもしれません」

 

 ルークの嫌な予想を否定することなく、ジェイドはどこまでも冷静に想定を語る。

 

「先ほどの地震といい、頻繁ですわね」

 

 この変化が何を示すのか、それがわからぬことが不気味だと言わんばかりにナタリアが零せば、ガイもまた嫌そうに眉をしかめていた。

 

「地震が起きると、ここが空中だってことを思い出して嫌な気分になるな」

「早く安心できる大地に戻したいわね」

 

 すぐ傍にいたため、アニスの代わりにイオンを支えていたティアが締めくくる。

 しかし、騒動はここで終わることを知らなかった。

 

「……で」

 

 ここでガイが、錆びた譜業人形の如く首をギコギコ鳴らしながら、首を可能な限り後ろへ曲げている。

 その視線の先には、彼が問題に思う二人の姿があった。

 

「二人とも、いつまでそうしてるんだよ!」

「おや、誰のことでしょうか?」

「お前らだよ!」

 

 見れば、スィンがジェイドの腕の中にすっぽり収まっている。

 抱擁を交わし合っているように見えるが、実際はジェイドがスィンにベアハッグ寸前といった有様だ。

 もちろんこんな状況で、彼はスィンに絞め技などかけはしないだろうが。

 どういうことなのか、スィンはジェイドを拒絶するでも悲鳴を上げるでもなくじっとしている。

 だらりと下がった両の拳は、きゅっ、と握りしめられていた。

 

「今の地震でよろけたから支えただけですが、私がスィンを抱きしめていては何か不満でも?」

「不満だらけだ! スィン、動けるか?」

「……はい。動けます」

「じゃあとっとと離れろ!」

 

 どうやら気を失っていたわけではないらしい。

 両の手がのろのろと上がったと思うと、スィンは素早く彼の腕を払い、バックステップで距離を取っていた。

 

「どうしたんだよ。お前が大人しく旦那の良いようにされてるなん……」

「三十秒!」

「……は?」

「三十秒、大佐に触れ続けることができました」

 

 どうやらどさくさに紛れて好き勝手をしていたのはジェイドだけではなかったらしい。

 ジェイドが触れてきたのをいいことに、スィンはスィンで己の異性恐怖症の克服に努めていたのであった。

 あっけにとられるガイをさておいて、ジェイドと接触した辺りをぺたぺた触っている。

 

「ガイラルディア様のように、僕もちょっとずつでいいから平気な人間を増やしていかないと」

「いや、その心意気はいいんだが、旦那はやめないか?」

「どうしてですか? 一番身近な対象で、彼以上に適している人材なんかないと思いますけど」

 

 そんなことはわかりきっている。しかし、許可はかなり勇気の要る選択であった。

 

「ガーイ。私への迷惑を考慮されているなら度外視の方向で結構ですよ。その分スィンに要求しますから」

「それが唯一気になるところですけど。まあそこは、ギブアンドテイクということでなんとか」

「熟慮しておきましょう」

 

 どうしたものかと悩み黙るガイを尻目に、二人の交渉は着々と進んでいく。

 個人的なことに関してガイの承諾を必要としないスィンの意識が、交渉をスムーズに進めていた。

 

「って、話を勝手に進めるな! その件に関しては後でじっくり話し合うとして、今は地殻の振動周波数を調べることが先だろ!」

「それはそうですけど、別に話し合うほど重要なことじゃ……」

「俺にとってはものすごく重要なんだ」

 

 首を傾げるスィンの手を取り、ガイはいち早くパッセージリングの設置された部屋へと向かっている。

 その手に逆らうことなくついていくスィンの背を眺め、ジェイドはふう、と息をついた。

 

「大佐~、スィンと仲直りできそうな雰囲気だったじゃないですか」

「思った以上に歩み寄ってくれましたからねえ、彼女も。あのユニセロスとの再会が起因して和やかになっているのでしょうが」

 

 あれがいつまでも続いてくれればいい、とさえ勘ぐれるイントネーションで、ジェイドはあっさりと本音を零した。

 わざと意地悪く尋ねたアニスはといえば、思った以上の素直さに驚愕を隠せていない。

 やがてジェイドは一息ついて、二人の後を追った。

 それについて残る面々がそれに続けば、目的の代物が眼前に聳え立つ部屋へとたどり着く。

 そこではすでに、スィンが制御盤の前へ立って起動を試みていた。しかし、どれだけ待ってもパッセージリングは沈黙を貫き通している。

 やがて彼女はあきらめたように制御盤から手を離した。

 

「……やっぱりユリア式封咒、結ばれたまんまです。扉が開いていなかったんだから、当たり前ですけど」

「シュレーの丘の時と同じですね」

 

 イオンの言葉を経て、ルークが当時を思い出すかのように動かぬパッセージリングを見つめている。

 

「シュレーの丘か……なあ、前みてーな譜陣があったら、解除できるかな?」

「……多分」

「よし。探してみようぜ」

 

 正直な話、あの現象がもう一度起こるかどうかは確約できない。それでも試してみる価値はある。

 仲間たちは一斉に散らばり、それらしい譜陣の捜索に走った。

 

「ねえ、ひょっとしてこれじゃない?」

 

 そして思いの他あっさりと発見される。

 アニスの指が示す先には、シュレーの丘にあったものに酷似した譜陣がひとつ、ぽっかりと浮き上がっていた。

 思わず眉根が仲良くなる。どうなるかわからない不安もあるが、またあの頭痛を味わわねばならないのかもしれない。

 知らず、気持ちが落ち込んだ。

 だが、それを口にしてジェイドにからかわれる要素を生むわけにもいかない。

 

「じゃ、いっちょ試してみましょうか」

 

 なんでもないような素振りで、指をほぐす仕草まで加えながら譜陣へと歩む。

 背中にいくつもの視線を感じながら、スィンはゆっくりと右手を譜陣へかざした。

 

「!」

 

 手のひらが、譜陣へと誘われる。

 あの時とまったく同じ、吸盤でも出来てしまったのかと錯覚するくらい、譜陣から手が離れない。

 ではあの頭痛も、と歯を食いしばったスィンだったが、いつまで経ってもそのような兆候は感じられない。

 

(譜陣が消えてから、だったかな?)

 

 知らず瞑っていた眼を、ゆっくりと開いた。しかし、視界に譜陣は欠片も見えない。

 それどころか、スィンの眼に映っていたのは現実の光景ですらなかった。

 

 

 ごちゃごちゃと譜業、音機関の転がった研究室内。

 書きかけの書類をほったらかして、彼女は部屋の隅に設置された小さな柵によりかかり、何かを眺めていた。

 愛くるしい鳴き声。ちょこちょこ動くちんまりとした手足。ふさふさした耳に、つぶらな瞳。

 数匹で戯れるその様は愛くるしいを愛狂しいと変換しても間違いではない。

 

『……かわいい……』

 

 五匹ほどのチーグルが囲われ、戯れるその様を眺めながら、彼女は透明なサファイヤの瞳をゆったりと細めた。

 たおやかな指先が、垂れた薄枝色の髪をかきあげる。

 さらり、と柔らかそうな髪は手櫛に絡まることを知らず、清水のように背中を辿った。

 この光景はどこのもの? 記憶は自分に何を伝えようとしている? 

 答えなき疑問を頭に浮かべることで、スィンは必死で己を保った。

 そうしなければ、その光景にすべてを囚われてしまう。そんな脅迫観念が意識の片隅に張り付いていたからだ。

 

『……彼の者の見し夢は、裏切りを知らない。言の葉で形となる未来を知りながら、すべてを受け入れるが契約者たる我らの務め。契約が破られたそのとき、この無垢な命も、悪意ある魂も、すべては世界と共に崩れ落ちよう』

 

 唐突に、チーグルを眺めていた女性──ユリアは立ち上がった。きびすをかえし、その先の人影を睨みつける。

 否、人影はない。ユリアが睨むは、壁にかけられた鏡だった。鏡の中では、彼女を睨まぬユリアがいる。

 ──鏡? 

 

『汝は生かした。失われるべき命を生かした。預言(スコア)が狂うことを知り、それに便乗した。結果はいかなるものや?』

「狂う定めの預言(スコア)を更に狂わせた。ありえぬ事象の発生を、幾多の命を混乱に導いた」

 

 鏡の中のユリアが語る。現実のユリアは、ますます強く鏡を睨めつけた。

 

『汝は、それだけに留まろうとしない。この先も、どれだけ罪なき命を生かす? 生き地獄へと追い込む?』

「死ぬことは救いでなく、生きることは苦しみではない。契約は、破られていない」

『生をなくすことで救われる魂はある。汝にその生き死にを決定する資格があるのか? ──答えは否。傲慢なことよ』

「傲慢は、もとより承知。我は生き死にを決定しない。ただ、選択を与えるのみ」

 

 禅問答のような、頭の痛くなるやり取りが途絶える。

 意識の中のどこかでその意味を知りながら、スィンは早く目が覚めないものかとそわそわしていた。

 

『……払うべき対価の重さを、その身に知っても?』

「恐れはない。世界と対峙して、真の夢を知るは誰や? 人は自由を望みつつ不自由を求める生き物。不自由は、個のしがらみだけでいい」

『それを傲慢と──』

「繰り返される輪廻に終焉を望むも、傲慢か」

 

 再び、問答は途絶える。ここで初めて、鏡の中のユリアの姿がはっきりと見えた。

 瞳の色が違う。鏡を睨む彼女の眼とも、左右の色も。髪は未知なる雪原のごとき白。

 鏡の中のユリアは、スィン自身だった。

 

 

 

 ゆっくりと、スィンの手が譜陣へかざされる。

 直後、結構な勢いでその手は譜陣の中央に張り付き、床のものとは違う別の譜陣を起動させた。

 通常譜術とは明らかに異なる意匠のそれは、万華鏡のような不規則さで、歯車のような正確さを見せて紋様を変化させると、床の譜陣に張り付く。

 やがてスィンはゆっくりと立ち上がったと思うと、片手を虚空へ差し出した。

 

「スィン?」

 

 指の先に小さな譜陣が発生し、音素(フォニム)の集まる気配と共にそれはある形を組み上げていく。

 ゆらゆらと、音素(フォニム)は一匹の蝶の姿を作り出した。

 青色に透き通る羽、ふわりと飛び立ったその姿はつい先ほど見た青色ゴルゴンホド揚羽であった。

 

「え!?」

 

 突如スィンの手のひらから生まれた蝶は、ひらひらと上空を舞い、やがてその小さな姿は風を受けて回り続ける巨大な風車に近づいた。

 

「あんなところに風車が……」

 

 風車を動かす風を受け、蝶はバランスを崩している。そのまま、木の葉のようにスィンの手元へ降り立った。

 何が何やらわからない一同を尻目に、スィンは手にした揚羽をためらうことなく握り潰している。

 

「わ!」

 

 ぐしゃり、と青色ゴルゴンホド揚羽が無残な姿となる直前。揚羽の姿は掻き消え、光の粒子──音素(フォニム)となり消えた。

 

「今のって……」

「──ルフ。あれ止めて」

 

 スィンによる説明はない。彼女は口の中でもごもごと何かを呟いたかと思うと、そのまま身動きをしなくなってしまった。

 誰が声をかけても、一切の反応がない。

 業を煮やしたガイがその肩を掴んで振り返らせるも、彼は絶句を強制された。

 

「スィ……!」

「──」

 

 その眼球には確かにガイの姿が映っているはずなのだが、違う。

 彼そのものを透かして、その先の遠くを見つめているような風情すらあった。

 ここではないどこかを見つめる瞳に光はなく、まるで深い井戸を覗き込んでいるかのように暗い。

 肩にかけられたガイの手を払うでも、どうするでもなく、その体勢のまま固まってしまっている。

 尋常ならざるその様子に、気圧された彼はゆっくりと、己の手を引いた。

 不自然な体勢の強要から解放されたスィンは、まるでばね仕掛けのようにもとの体勢に戻り──

 

「ん?」

 

 そんな呟きが誰もの耳にも届いた。

 きょろきょろと首を動かし周囲に視線を巡らせて、自分の真後ろに立っていたガイを見つける。

 

「ガイ様、如何なさいました? お顔の色がよくないですよ」

「そ……そりゃこっちの台詞だよ、どうしたんだ!?」

「顔色ですか? いつも通りですよ」

 

 わざわざ手鏡を取り出して確認した辺り、とぼけているのか本気なのか。いまいちわかりかねる言動ではあった。

 主の言葉の意味がわからないとして説明を求めたスィンは、それまで自分が取っていた奇行を聞いて軽く首を傾げている。

 

「やだなあ、夢遊病の前兆かな? それとも年かストレスか……」

 

 とにかく自分に覚えはないと、きっぱりはっきり言い切って。後ろ頭をかきながら、スィンはパッセージリングに歩み寄った。

 制御盤に手を添えるまでもなく、接近だけで音機関は起動を開始する。

 上空にはあの複雑な譜陣、重ねて警告が展開し、渦巻いた薄靄もまた、順調にスィンの体内へ吸収された。

 

「ユリア式封咒は解呪されたようですね」

「兄さんは、ここには来ていないのね……」

「それなら、ここのパッセージリングは第七音素(セブンスフォニム)さえ使えれば誰でも操作できるのかしら」

 

 ふと首を傾げたナタリアだったが、その問いはジェイドによって否定されていた。

 

「いえ、操作盤が停止しています。多分、シュレーの丘やザオ遺跡でヴァンのしかけた暗号を無視してパッセージリングを制御した結果、並列で繋がっていた各地のパッセージリングが、ルークを侵入者と判断して緊急停止してしまったのでしょう」

「じゃあ、制御は出来ないのか?」

 

 今回、振動周波数計測には何の関わりもないとしても、今後同じような状況に陥った際に障害となる。

 そう考えてか、少し焦ったようなガイの心配は、スィンが杞憂に変えた。

 

「平気ですよ、超振動はいわば裏技ですから。これまでと同じように操作盤を削っていけば動きます」

「力技、って訳か」

 

 当の施術者たるルークはそう呟いて、軽く指をほぐしている。珍しくやる気だ。

 

「で、俺は何をしたらいいんだ?」

「振動周波数の計測には、特に何も」

 

 せっかくのやる気が萎えるようなことを言ってくれる。

 ジェイドが気づかぬなら、と言葉を挟もうとしたスィンだったが、「ですが」という間発入れない彼の言葉に口を噤んだ。

 

「今後のことを考えると、外殻大地降下の準備をしておいた方がいいでしょうね」

「なんか書けばいいんだろ?」

 

 両腕がパッセージリングへと掲げられる。

 ジェイドの言葉に従って、発生した超振動が太めの線を描いていった。

 

「第四セフィロトと、ここ──第六セフィロトを線で結んでください。第五セフィロトは迂回して。そこはアクゼリュスのことですから、連結しても意味がない」

 

 太く歪んだ線ではあるが、暴走の気配もなく操作は順調に進んでいく。

 

「第三セフィロトと第一セフィロトも線で繋いでください。第六セフィロトの横に『ツリー降下。速度通常』と書いてください。それから『第一セフィロト降下と同時に起動』と」

「これって、なんて意味なんだ?」

 

 施術が終了し、ふう、と息を吐いて集中を解いたルークがふと操作の意味を尋ねた。

 本人は無意識なのかもしれないが、アクゼリュスの一件で仲間といえど自分が理解せずに操作するのに何かがひっかかったのかもしれない。いい兆候だ。

 

「第一セフィロト──つまりラジエイトゲートのパッセージリング降下と同時に、ここのパッセージリングも起動して、降下しなさいっていう命令よ」

「こうやって、外殻大地にある全てのパッセージリングに同じ命令を仕込んでおくんです。で、最後にラジエイトゲートのパッセージリングに降下を命じる。すると外殻大地が一斉に降下する」

 

 お姉さん、というには──外見はまったく違和感ないものの年齢が足りていないティア。

 お兄さん、というにはやはり外見的に問題ないものの、実年齢で問題ありまくりのジェイドに説明され、ルークだけでない一同も改めて理解した。

 ガイもまた、その合理的な案に対し感心した風を見せている。

 

「なるほど。大陸の降下はいっぺんにすませるってことか」

「納得。あとは地殻の振動周波数だな」

 

 ルークの言葉を受け、ジェイドはどこからともなく計測器を取り出した。

 形状からして、またパッセージリング自体と見比べて、一見すると測定方法の想像がつかない。

 

「大佐。どうやって計るんですかぁ?」

 

 そのように彼女は考えたらしく、当然のようにジェイドへと尋ねる。その期待に応えて、彼はにこやかに計測器を差し出した。

 

「簡単ですよ。計測器を中央の譜石にあててください」

「俺がやろう」

 

 音機関好きな彼らしく、率先して計測器を受けとりに進み出る。

 彼は言われたとおり、正面の譜石に計測器を押し当てた。

 待つこと数十秒。唐突に旋律の欠片が奏でられ、ガイはそっと計測器を引き寄せている。

 

「これだけか?」

「はい」

「ちょっと失礼」

 

 一声かけてから、スィンは彼の持つ計測器の側面を見た。

 一見して無意味な文字の羅列が計測器の内側で踊っていたが、確かに周波数は記録されている。後は解析して、同じ振動が発生するよう仕上げるだけだ。

 ただ、何が起こるのかと胸を躍らせ見守っていたアニスにはかなり期待が外れたらしい。

 

「つまんなーい。なんか拍子抜けだよぉ」

 

 唇を尖らせる少女に、「楽しませるための計測ではありませんからねぇ」とジェイドが苦笑する。

 そんなの無邪気な表情を微笑ましく見守りながらも、イオンは一同を促した。

 

「では、シェリダンへ戻りましょう」

 

 パッセージリングが設置された間を後とし、遺跡より外へ出る。

 帰路へつく最中、「そうだ」とイオンは唐突に声を上げた。

 

「どうしたんですか、イオン様」

「すみません、スィン。あなたに伝えておくべきことが」

 

 一体どうしたのだろうと、しんがりを歩いていたスィンは彼へと歩み寄る。

 背丈がほぼ同程度であるために背伸びも屈みも必要なかった密談は、唐突に終わりを告げた。

 スィンの眼が、大きく見開かれる。

 

「それは本当ですか、イオン様!」

 

 詰め寄らんばかりに確認を取る。

 アニスに距離が近い、といさめられても、スィンは引くことをしなかった。

 

「はい。ですから、ダアトではもう……」

「わかりました。教えてくださったこと、感謝します」

 

 イオンの手を取りかけ、それをやめる。代わりに深く頭を下げ、スィンは唇が描く弧を隠した。

 やっと。やっと解けたのだ。アレが。

 

「どうかしたのか?」

 

 緩む頬をどうにか押さえ、スィンは満面の笑みでイオンの言葉を繰り返した。

 

「手配が解けました。もう変装しなくて済みます!」

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。