the abyss of despair   作:佐谷莢

89 / 140
第八十七唱——彼女の不幸、彼女の苦悩

 

 

 

 

 

 

 測定済み計測器を携え、一同が再びラーデシア大陸に上陸したのはタタル渓谷を出て数日後のことである。

 夜明けを迎えて海岸に降り立ったとき。アルビオールから出てきたアニスが見たものは、浜辺に佇むスィンの姿だった。

 しかし、その姿は。

 

「あれ? スィン、大佐とのペアルック気に入っちゃった?」

「……」

 

 これまで、ダアトで手配されている、との情報により、街中では度なしの眼鏡、手直しこそしてあるが男性ものの軍服をスィンは着用していた。

 しかし先日、告げられたイオンの言葉によりダアトの手配が解かれたことを知り、これで大佐の副官はクビだとと嬉しがっていたというのに、今のスィンは眼鏡こそ外しているものの軍服のままである。

 アニスの問いに答えどころか反応もせず、むすっとした顔で横を向いていたスィンの代わりに、アルビオールから出てきたガイが苦笑しながら説明した。

 

「実はさ、昨夜古いのを処分しよう、ってことで旦那と俺とスィンで酒盛りやったんだ」

「え~、ずる~い! あたしたちも参加したかった~」

「キミたちまだ未成年だろうが。で、ただ酒を飲むだけに留まらずポーカーだのブラックジャックだのやってたんだ」

「ますますずる~い!」

 

 度重なるアニスの「ずるい」発言により、興味を抱いたルークらも集まってきている。

 スィンに対し、言い方は違えどアニスと同じような質問をし、相手にされなかったナタリアやイオンもやってきた。

 

「でだ。やっぱりそうなると遊んでるだけじゃ面白くないからって賭け事始めたんだよ。初めのうちこそ一気飲みとか、その場で逆立ち五分間とか、その程度だったんだけど……」

「だけど?」

「そのうちなんだか妙な雰囲気になってきてな。敗者は勝者のいうこと何でもひとつ言うこと聞くってことになっちまって……」

「うんうん」

「仕舞いには、勝ったジェイドがスィンにある要求をして、それをチャラにするためにスィンが勝って、それをチャラにするためにジェイドが勝って……っていうのがえんえん続いて、最後にジェイドが勝ったんだ」

「その賭けの内容って……」

「どうしても嫌だ無理だもうひと勝負って息巻くから、妥協してもらって一定期間、ジェイドの部下ってことにさ。つまり軍服の強制着用だよな。だから約束守ってるんだよ」

 

 なるほど、と話を聞いていた一同が納得を示したとき。「おはようございます」と実に爽やかな声が響いてきた。

 無言で朝日の出現を眺めていたスィンが、ギギッ、と音を立てそうな風情で首を動かす。

 

「珍しく遅いな、旦那」

「やはりアルコールの大量処分などするものではありませんねえ。少し腹がたるんできたかもしれませ……おや、どうしました? スィン」

 

 つかつか、と彼に歩んだスィンが、突如短刀を引き抜いてジェイドの顎に突きつけた。

 何を思ってか余裕綽々のジェイドに、スィンはゆっくりと顎の一部に刃をすりつけている。

 

「……髭。剃り残し」

「これは失礼」

 

 目敏いですねー、とか言いつつ、刃が触れた辺りを撫でている。

 出血等が見受けられないために事実らしいが、この若年寄に髭が生えていること、それだけのためにスィンが刃物を抜き放ったことなど到底信じられることではない。

 

「お、怒ってる……な?」

「怒髪天をついているように見えるわ」

「昔から、スィンは怒ると無口になりましたわ……」

「もともと口数は少ない方だけどな。今なんか言葉がぶつ切りになってるし」

「スィンさん、怖いですの……」

「ええ。スィンは怒っているとアニスにはない無言の迫力があります」

「普段冷静な人はキレると怖いんですよねぇ」

「そこ! 好き勝手抜かすなら本人のいないところでやってくださいっ!」

「……っていうか大佐、人のこと言えるんですかぁ?」

 

 鞘つきの血桜を振り回して暴れるスィンは、さりげなくジェイドの脳天に命中させんとこっそり狙いをつけている。

 多分当たらないだろうし、当てられないだろうが、パフォーマンスは必要だ。

 そんなことを考えながら、スィンはジェイドの盾にされたガイの脳天ぎりぎりのところで血桜を寸止めしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ガイラルディア様を盾にするなんてなに考えてんですか、大佐のアホー!」

「アホとは失礼な。あなたに対し極めて有効、かつ誰も傷つかずに済む方法でしょう。あなたがガイに危害を加えられるわけありませんし」

 

 しんがりに立つ二人の舌戦、否、口喧嘩がやんだのは、シェリダンに足を踏み入れてからのことである。

 それまでは魔物が現れようと盗賊が現れようと、互いに違う相手と切り結ぶ最中にまでけなしあっていたのだからたまらない。

 これがシェリダンに入っても続くようだったらばガイも止めに入るところだったのだが、街に入ってからはお互い何もなかったように接している。

 マルクトの軍服を纏う二人が言い争うなど目立つ行動は避けたかったのかもしれないし、ひょっとしたらこれが、二人の溝を埋める共同作業だったのかもしれない。溝を埋めようと努力して、更に深める羽目になっただけかもしれないが。

 

「おお、よく戻ったの」

 

 そんなこんなで、街の中心にある集会場にたどり着く。へこんできしむ扉をどうにか開けば、老人たちが出迎えてくれた。

 ただし、彼らが待ち望んでいたのは一同に限ってのことではない。

 

「これが計測結果だ」

 

 ルークの差し出した計測器を奪い取らんばかりに取り上げ、側面をまじまじと見つめている。

 そんなイエモンを、無駄だとわかっているためかいさめるようなことはせず、かわりとばかりタマラが一同に現状の報告をしてくれた。

 

「こっちは今、タルタロスを改造しているところさ」

「タルタロスを?」

「タルタロスは魔界に落ちても壊れなかったほど頑丈だ。地殻に沈めるにはもってこいなんだよ」

「タルタロスは大活躍ですねえ」

 

 どこか揶揄するようにジェイドが呟く。

 ほんのわずかに寂寥感がにじんでいる気がしないでもないが、それはあまりに人情が溢れすぎて垂れ流さんばかりの話かもしれない。

 仮にそうだとしても、この死霊使い(ネクロマンサー)がそれを表に出すはずもなく。

 

「まだ準備には時間がかかる。この街でしばらくのんびりするといいぞい」

 

 そう言い残し、彼は計測器を抱きしめるようにしながら作業台へと駆け上がった。待ちかねていた老技術者たちと、たちまち侃々諤々(かんかんがくがく)の打ち合わせが行われる。

 それじゃあね、とその輪にタマラが加わり、邪魔になってはまずいと一同は集会場を後にした。

 

「地殻の振動停止にタルタロスを使うんですね」

「もともと軍艦なのですが、戦争で使うよりも有意義な使用法かもしれませんね」

 

 流石のジェイドも、自分の乗っていた戦艦がこのような形で殉職するとは考えていなかったらしい。先ほどの台詞と合わせて、その言葉はどこか感慨深い。

 

「うまくいくといいですね~」

「成功させなければいけません。大地を降下させても、それだけでは人々は生きていけないのですから」

 

 念を押すように、どこか言い含めるような形でアニスの実現の成功に対する曖昧さを吹き飛ばしている。

 そんなことはわかっている、と言いた気に、アニスはぷぅっ、と頬を膨らませた。

 

「わかってますよぅ」

 

 その愛らしい仕草が笑いを誘ったか、ジェイドは「ははは」と軽い笑みを零している。が、すぐにその表情はひきしまった。

 

「ともかく、タルタロスにとっては最後の仕事になるでしょう」

「うん。頑張れタルタロス!」

「なあ、ちょっといいか?」

 

 この後は自由行動か、はたまた宿を取って休息するかと各自思案していた矢先。ふと、珍しく黙していたルークからふと切り出される。

 

「どうしたの?」

「ずっと考えてたんだけど、大地の降下のこと、俺たちだけですすめていいのかな?」

「ん? どういうこと?」

 

 ティアが反応し、更に語られたその内容にアニスが詳細を求めた。

 

「世界の仕組みが変わる重要なことだろ。やっぱり、伯父上とかピオニー皇帝にちゃんと事情を説明して、協力しあうべきなんじゃないかって」

「……ですが、そのためにはバチカルへ行かなくてはなりませんわ」

 

 ルークの提案に、ナタリアは眉を曇らせて逡巡を示している。

 無理もない。血の繋がらないことのショックに加え、濡れ衣を着せられた挙句、処刑されかけたのだから。その恐怖は、誰よりも強く彼女に刻まれたはずだ。

 それでも、ルークは彼女の目を見つめて断言した。

 

「行くべきなんだ」

「ルーク……」

「街のみんなは命がけで俺たちを……ナタリアを助けてくれた。今度は俺たちが、みんなを助ける番だ。ちゃんと伯父上を説得して、うやむやになっちまった和平条約を結ぼう」

 

 ──確かにその通りなのだが、異を唱えるべき点は何一つないが。あえて指摘するとすれば、時期が早すぎる。

 確かに処刑騒ぎから日が経っているものの、これまで成すべきことが多すぎてナタリアはその問題と向き合う暇がなかった。

 今唐突に取り出して無理やり向き合わせようとしても、それは難しい。

 

「それでキムラスカもマルクトも、ダアトも協力しあって、外殻を降下させるべきなんじゃないか」

「……ルーク! ええ、その通りだわ」

 

 思いもよらぬ彼の成長ぶりにか、ティアが感銘したように賛同を唱えている。

 しかし、ナタリアの表情は曇ったまま、苦しげに眉根を寄せたまま呟いた。

 

「……少しだけ、考えさせてください。それが一番なのはわかっています。でもまだ怖い。お父様がわたくしを……拒絶なさったこと……」

 

 ぎゅ、と拳が握られ、ナタリアが顔を伏せる。

 そして「ごめんなさい」と蚊の泣くような声音で呟いたかと思うと走り去ってしまった。

 誰も追うどころか呼び止めることはしない。ナタリアの心情を思えば、できることではない。

 

「仕方ない。ナタリアが決心してくれるまで、待つしかありませんね」

 

 嘆息混じりのジェイドの案に、一同が承諾を見せる。

 それぞれ解散したその後で、スィンは彼との通信を果たしていた。

 今のナタリアが必要とする、彼女の本当の幼馴染を。

 

『アッシュ!』

『……あんたか。なんだ』

『出番だ』

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。